ご縁のあった人たち

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2021年2月10日 (水)

会議効率化の観点で

 昨日の記事に関連して、会議の効率化に関してもう少し議論しておきたい。会社生活などでは、会議の効率化は、重要な事項である。私が若いときには

「会議に参加する前に、議事録案を作っていき、その場で結論を書いてまとめる」

という風に準備しての参加を指導された。これには

「会議には多数の参加者がいるので、その人の時間を無駄にしない。」
(参加者が多いと情報共有でき、参画意識で責任感を共有)

という、多数を巻き込むが、それでも効率化を図るという知恵があった。確かに、効率重視の人は

「(有効な)発言しない人間は参加させるな」

と言ったりしたが、このような人は

「反対しなかったことに意味がある」

面を忘れている。自分が参加した会議で決まったことは、不本意でも守る。これがある程度できていた。

 さて、このような『予定調和型会議』だけで、物事を進めて良いのだろうか?新しいことを始めるときには、不調和がどうしても生じる。また現状への疑問を投じることも必要である。こうしたときには

「流れや空気を読まない素人発言」

は貴重な意見である。しかしそれに対応することは、多くの時間を必要とする。

 日本的な『根回し』は、このような議論を、個別に行うことで、多数の参加者の束縛を避ける効果がある。

 このような会議の見直しも、効率的な経営には必要だと思う。

 会議管理論というモノがあっても良いだろう。

2021年2月 9日 (火)

森失言に関して色々と思うこと

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視とも取れる発言に関して、色々と思うことがあるので、忘れないうちに書いておきたい。まず、私は

「森発言は、五輪憲章などの主旨からしてアウト!」

と判断している。この点は世間の意見と同じだろう。しかし、森発言を

女性一般論とせずに守護を飼えてみる

とすると、別の景色が見えてくる。例えば

その分野の素人を入れると
(一から説明しないと行けないので)
会議が長くなる

と言う表現はどのように評価されるだろう。これをもう少し極端にすると

素人は黙って専門家の意見に従え

となる。これをもっと進めると

「私は学者としてしっかりした思考法の訓練を受けている。
あなたは受けていないのだから私の言うことに従え。」

と言う、高学歴者の発言が出てくる。この発言には、多くの人が反発するだろう。

 しかし、議論の効率からすれば

「数学的な議論を直ぐに受け入れることができる
人間同士のコミュニケーションは速く結果が出る」

と言う面もある。

 こうした、専門家同士のコミュニケーション効率と、一般人への説明は、分けて考えるべきだろう。

2021年2月 3日 (水)

『不安』による動機付け

 今回のコロナ対応でも、人々の『不安』を煽ることで、行動させている事例が多い。ここから一歩踏み込んでみると、

私たちは子供の頃から『不安』で動機づけられている

と言う経験を思い出してしまった。小学生時代から

「勉強しないとついて行けない、将来困る」

等の脅しを受け『不安』に駆られて勉強する。

「将来何をしたいから、勉強する」
と言う
「目標に向かう勉強でなく『不安』解消の勉強」

が、学校で学ぶ多くの人の動機付けではないか?そう言えば、停電になったとき

「隣の奥さんが内も停電です」

と聞いたら安心する、と言うジョークがある。一説によると、

「田植えで横並びで作業する習性が染みついている」

為に、『横並びから外れる不安』が大きいのではと言う仮説もある。

 確かに、明治以降の学校教育では、

「均質な生徒を作ることで、一定歩調で行進させる」

ことを目標とした面もあり、その中で

「置いておかれる不安」

を強調し活用した。このように、私達は『不安』による動機付けにならされている。

 しかし、ヴェーバーが『プロ倫』で指摘したように、キリスト教文明でも

「自分が救われているという確証がない『不安』が
激しく働く原動力になる」

と言う側面もある。これと同じ反応が、日本の場合にも

「地獄に落ちないために!」

と言う恐怖で大衆を押さえた例もある。逆に、一向宗の信者達などは

「働くことは阿弥陀様の救いの保証」

と言う形で、勤勉に導いた。

 動機付けにおいて、『不安』の力と弊害をもう少し考えていきたい。

2021年1月23日 (土)

信頼を得るコミュニケーション

 先日書いた、リスクに関するコミュニケーションの成功の第一歩は、

「受け手が送り手を信頼する」

状況である。

 お互いの信頼がなければ、情報も伝わらないし、伝わっても不信感を抱かれるだけである。

 そこで、信頼を得るためにどうすべきか、少し考えてみた。思いついたアイデアは、以下の通りである。

  • 自分が伝えるべきことをきちんと理解している
  • 相手の立場を理解している
  • コミュニケーション時に提示する情報が整理されている
  • コミュニケーション時の情報に矛盾がない
     特に詳細情報を追加していっても矛盾がない

この中で、自分の理解に関する項目は、必要条件である。一方、下の二つはコミュニケーションのテクニックと考えても良い。

 これを使って、信頼を得る方法を考えてみた。一般論と具体例を、整理して説明する。その後で、色々な事例を展開しても、一般原則から外れていないことを示して、自分の言っていることに矛盾がないことを伝える。このような伝達が、信頼を得るために大切ではないかと思う。

 権威に頼って、上から目線で伝えても、現在のような多様化社会では、信じてもらうことは難しい。信頼を得るためにの努力が必要だと思った。

2021年1月 3日 (日)

心に届く言葉とは

 東京などで、コロナ感染者が一日千人を超えるなど、危機的な状況が続いている。これに対して、首都圏の知事達が、政府に

「緊急事態宣言の発令」

を要求している。しかしながら,今回は前回と異なり

緊急事態宣言を出しても効果は薄い!

と思う。理由は

  1. 緊急事態宣言に伴う強制処置がない
  2. 政府や都知事などの言葉は民衆の心に届かない

からである。

 何故、心に届かないか?それは、

  • 自分で責任を取らない人の言葉
  • 言行不一致の人の言葉

のためである。知事達の,政府への要請活動は、

「自分達の責任逃れ」

と言う魂胆が見えている。一方、政府も首相の会食問題などで

「法的には違反してない」

と言う,自主的活動を否定する失言をしてしまった。このような言行不一致で、責任逃れの人たちが

「上から目線で発言」

しても届くわけがない。

 その点、大阪の吉村知事の発言は、大阪府の衛生行政スタッフと連携して苦労を知った発言だけに,心に届いている。従って大阪の患者数は、増加を抑えることはできている。この違いを為政者はかみしめてほしい。

2020年12月29日 (火)

会社と人間は違うのか

 昨日の競争原理に関する議論を見直して、一つの問題を見つけ出した。

  競争原理について考える: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

昨日の議論の問題点は、

「個人と会社を混同している」

である。つまり、個人が傷つくことを、会社と言うことに無意識に類推している。確かに経営者の一人一人は、個人でもあるが、会社というモノには別の見方があっても善いと思う。端的に言えば

「会社は潰れても善い、個人は潰してはいけない」

と言う発想である。この問題は、前にもこのブログで書いた。

  コロナ危機以降の社会について 続き: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

今回は、会社と個人の問題をもう少し考えてみたい。私が犯した誤りは

「会社に人間の類推を持ち込んだ」

である。これは、

「(組織を扱う)社会科学を(個人を扱う)心理学に還元する」

と言う単純化の失敗である。例えば、既得権益問題に関しても、組織として持つ既得権益意識の方が強烈な場合が多い。これには、いわゆる『空気』が発生して強固になっていく事例などがある。

 また、時代遅れ組織が、有能人材を抱え込む、事例も多くある。このように考えると、組織としての淘汰は、あっても善いのではないかと思う。

 ただし、日本人の場合には、まだ組織帰属の依存心が大きい人が多い。欧米では、もう少し個人が育っているように思う。この問題も考慮する必要がある。フーコーが『監獄』と言った監視社会、これを日本人は、近所付き合いなどの『組織組み込み』により、自然に実現している面がある。これは悪い面でなく、コロナ対応の自主規制の効果などでの良い面もある。

2020年11月23日 (月)

いわゆる「Goto~~」について考えるべきコト

 政府の「Goto~~」については、色々な議論がある。しかしながら、この議論の前提とすべき情報が漏れているように思う。それは、

「コロナでの死亡者の総計は二千人」
であるが
「十月一ヶ月の自殺者は二千人を超えている」

と言う状況である。自殺者の原因の内訳が明確になっていないが、コロナによる経済状況逼迫が影響している人が、少なからずいるだろう。控えめに考えて一割としても、コロナでの病死者に匹敵する数になる。(コロナの病死者は二月からの集計)

 このような状況では、景気対策も重要という議論は、しっかり行わないと行けない。

 ここで、橋下徹元大阪府知事が

「問題があったのは名前。Go Toキャンペーンは今の時期良くない」と名称に苦言。「やっぱり、助け合い、頑張ろう事業とか、もうちょっと地味な、ウキウキした、浮かれたような名前を付ければいいのに、なんでこんな名前になっちゃったのか。コロナが収束した後はGo Toキャンペーンでいいけど…コロナが収束していない状況を見越し、もうちょっと違う名前をつけておけば、状況も違ったと思う」

と言う議論を展開している。

橋下徹氏 「Go To」の名称に苦言「もうちょっと違う名前をつけておけば」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 私はこの意見は、一理あるが

自殺対策としてなら、『Goto~~』表現はある

と考えている。

 理由は、

「引きこもって心が暗くなる場合には、『外に出る』ことが効果がある」

と考えるからである。

 実は私自身、現在は自己免疫疾患(難病)治療のため、ステロイドと免疫抑制剤の投与を受けているので、外出は控えるようにしている。ネットでのお付き合いなどがあるから救われているが、このような状況でこもっていると、ストレスが貯まり、メンタル的に参りそうに思う。

 このような側面も考えて、”Goto”はありだと思う。

2020年11月15日 (日)

HSPに対する私なりの対策

 前に書いた、HSP的な症状に関して、私自身が今まで生き延びるために、役だった対策を書いておく。

 一つの対策は、人に頼る他力の対策である。具体的には

「自分を受け止めてくれる人を見いだし、その人の前では無条件に自分をさらす」

コトで、心の安定を得る。更に応用編としては、

「部下に、自分の感受性の弱い面を知らせ、部下の方が感じたモノを報告や注意して貰うことで、適宜自分の行動を修正する」

様に、上手く分業する方法もある。なお、分業に関しては

「計画のように、じっくり考えることは自分が行う」
しかし
「直接人に接して、臨機応変に対応する作業は部下に任せる」

と言う風に、自分が苦手とする部分を明確にして、それをカバーする方法を考える手法もとった。

 二つ目の対策は、

「視野を広げて全体像を描く」

様にして、その結果として

「自分を客観的に見て評価できるようになる」
その結果
「自分を認めることができる」

ことで、心を安定させる方法である。周りについて、考えすぎることで、自分を追い込んでしまう。そこで、自分を含めた絵を描き、冷静に他人の視点や、理論的な知識で評価ができれば、落ち着いて対応できる。なお、ここで『絵』と言ったが、図形的なモノでも善いし、言葉での記述もあると思う。私は、時々シミュレーション的な小説を書くが、これも全体を把握するためには有効である。

 三つ目の対策は、

「自分の感覚の働き方などを、知識として知っておく」

ことで、

「何となく気が楽になる」

効果がある。例えば、

「自分が見るモノは網膜に映る全ての情報でなく、色々な知識経験等が影響した、脳内処理の結果である」

と言う知識は、

「全てを観ようとして、注意を払う必要が無い」
「必要なモノだけを見ればよい」

と言う発想にもつながってくる。また、

「ランダムに入ってくる雑音は、少しぐらいあっても耳に障らない」
逆に
「特定の音だけあれば、耳障りになる」

と言う知識があれば、個別の音に対してのこだわりが薄くなることもある。

 このように、知識が自分を助ける面もある。

2020年11月14日 (土)

HSP(高度感受性人材)について

 色々なところで、HSPについての記事を見るようになった。

 https://twitter.com/kenken_kaneko/status/1327182387915096064

 https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/n60ba14db91ff


 実は、私もこの傾向があるので、当事者としての意見を少し述べておきたい。ただし、私が精神科などにかかって、HSPと診断されるかは、微妙なところである。現在の日本の(特に)精神科の傷病診断は、

「脳機能の欠陥がある場合」

に判定が下りやすい。つまりHSPの診断のためには

「感覚の一部の感受性が極めて高い」

と言う状況なら診断がでやすくなっている。

 しかし、私の場合は逆に

「ミラーニューロンなどの働きが弱いから、認知機能をフル活動して補おうとして疲れる」

と言う症状である。もう少し具体的に言うと、

「一般的な人より、他人の感情を感じる力が、弱いと自覚している」
そのため
「何とか相手の心を推察しようと、色々観察したり推測したりしている」
この結果
「いつも気を使って疲れる」

と言う症状がある。例えば

「買い物に行っても、スーパーの中で、他人の動線を常に気を使い、邪魔にならないようにしている」
そこで逆に
「通路を塞いで話し込んでいる人等を見るとイライラする」

と言う状況になっている。

 私は、このように、

「自分の感性が弱いから、気配りし、頭を働かせて補う」

と言う

「後天的に身につけたモノ」

も、大きな負担になっていると思う。

 なお、感受性に関しては、一番の問題は

「情報を上手くまとめる機能の働き」

にあると思っている。必要なモノをまとめて一括りにする。不要なモノを識別して、意味の無い背景情報に落としていく。これができるかできないかでHSP症状が出ると思っている。この点はもう少し議論したい。

2020年10月22日 (木)

自分の中での論争

 昨日の記事に関連して、一つの可能性を思いついたので忘れないうちに書いておく。

 強迫神経症などの思い込みに関して、

「自分の頭の中で、賛成/反対の論争が発生している」

可能性である。

 現在、私たちは学校教育などで、『道徳的』や『科学的』な考え方の型枠がはめられている。そこで、

〈例えば不潔恐怖を感じている人に)
「目に見える『汚さ』が無ければ何もない」
と理屈で押さえつけるが
「フラッシュバック的に発生した不潔感」

が発生してしまう。例えば

「自分の脳内で、
『科学的に考える自分』

『不潔感を持つ自分』
の戦い」

が生じてしまう。

 この時、いわゆる『理性的』な押さえが強くなると、感情を殺す鬱病的な対応となるし、感情面が強くなると、自己の思い込みを守るために、種々のいいつのりを繰り返し、強化することで、強迫神経症的な要素が悪化していく。

 このように、自分の心の中での『思い込み強化』が起こる可能性がある。 

より以前の記事一覧