ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

2020年3月21日 (土)

25年前のオウム真理教サリン事件について

 地下鉄サリン事件から25年と言うことで

「風化させてはいけない」

と色々な報道が出ている。私はこの事件に関しては、

「風化どころか、当時から本質の解明ができていない」

と考えている。

 まず、今回の表題に注目してほしいが、「地下鉄サリン事件」だけに注意を向けると、多くのモノが見せなくなる。私の考える問題点は以下の通りである。

  1. 上九一色村でのサリン製造プラントの問題
  2. 上九一色村で製造された大量の上質サリンの行き先
  3. 松本サリン事件
  4. 地下鉄サリン事件

一番にサリン製造プラントを挙げたのは、このような設備ができた、それを見逃していた、治安体制の問題である。特に注意すべきは、プラントができたと言うことであり、これには高度の熟練技術者が関与した可能性が大きい。配管をきちんと行うと言うことだけでも、匠の技が必要であり、これは日本の大学で「XX学」を学んだと言うことだけでは、習得できないモノである。従って、オウム信者の「高学歴者」は、試験管レベルのモノを作れても、プラントを実現できたとは考えにくい。

 なお、このようなプラント実現に関しては、「安全重視」の日本の環境では、経験を積むこと自体難しいので年月での育成となる。一方、北朝鮮のように「人権に配慮しない国」ならば、被害者が出ても強引に作り、失敗を重ねながら経験を積むことで、早期育成が可能になる。従って、

「日本の高学歴者の言っていることを、北朝鮮の技術者が実現し、しかも日本の経済環境で原料を調達する」

と言うことは、北朝鮮の化学兵器充実には、特に有効な手段であった。

 もう一つ加えると、オウム真理教とロシアの関係を疑う人がいるが、サリン問題に関しては、ロシアのメリットはない。なぜなら、ロシアはアメリカに対抗できる、唯一の核大国であり、逆に核保有以外では経済的に考えれば、三流国扱いされないレベルである。従って、核のメリットを脅かす化学兵器などは、ロシアの眼中にはない。

 さて、サリンが実際に使われたことは、テロの歴史を変える大事件なので、これはまたこれで追求すべきことである。ただし、ここで大事なことは、

「地下鉄サリンは粗悪品である」

と言う事実である。つまり、プラントを破壊して、純正サリンはないが原料があるので粗悪品を製造した。これは、当時のオウム真理教幹部の技術レベルを示しており、高度の技術者は当時既に(国外)逃亡をしていた可能性がある。

 25年間には

「朝鮮民主主義共和国は理想の国、拉致はアメリカのでっち上げ」

と言う世論が強く、拉致被害者に対しての迫害もあった時代の空気を、もう一度見直してこの事件を考えるべきではないかと思う。

2020年2月28日 (金)

私たちの力が及ばないモノとは

 先日の続きで、私たちは、何を『不可思議』と思うか考えてみた。法華経の中には、

「無限の大きさ、久遠の時間」

が『不可思議』なモノとして示されている。

 また、摩訶止観の『不可思議の境』では

「三者は別のモノでもなく、一つのモノでもない」

を観る。

 前者は、現代人なら『無限の扱い』と言うことで、概念的に処理できるから、わかった気持ちになってしまうかもしれない。しかし、それを具体的に考えられないのであると、本当に解っているのだろうか?

 一方、後者は、『仏の智慧』を得て、『全てを創造する』立場になれば、一つ一つの存在だが相互に依存し、独立ではあり得ないモノが見えてくる。

 こうして考えると、現代の科学技術の成果を鵜呑みにしている私たちは、

「本当に解っているのか?」

と言う問題に常に向き合うべきでないかと思う。

2020年2月27日 (木)

支配者の指導力について

 私が考えている『日本教』は、

「神様は全て観て導いてくれる」

と言う根本的な教義(信仰)に支えられている。これは、西洋文明における、プラトンの『国家』が描く

「哲学者の指導」

にも共通するモノがある。ただし、プラトン以降の西洋文明は、『人間の到達不可能世界』への諦めがある。一方、日本においては、大乗仏教が六世紀に入り、小乗仏教の『彼岸への憧れ』を経由せずにいきなり『仏の智慧を得る』ことができると、

「完全な指導ができる」

と、純真な子供のように信じてしまう傾向がある。

 さて、今回は、このような指導者の力について、考えてみたい。皆は指導者に何を求めるか?

「暮らしを維持しできれば良くしてほしい」

これが一つの答えである。そのためには

「一般大衆よりもよくわかっている」

必要がある。この力の候補を考えてみると

  1. 今までの経験
  2. 経験の伝承知識
  3. 思考能力による推論・洞察
  4. 経験の一般化・応用能力
  5. 想像した世界での物語作成(シミュレーション)

等がある。プラトンは、3.の思考能力を重視した。確かに当時の幾何学の論証力は、従来の経験的な知恵を超える一般性を持ち、多大な成果を生んだ。一方、仏教の推論は、比喩的なモノ・現実的なモノが主体であり、西洋文明のような科学の世界を生み出すことは難しい。

 しかし、『法界を自ら造る』力が、人にもあると言うことで、5.想像した世界で物語を作り、展開できる力が人間にある。この力で人を導ける、と言う発想はあると思う。この問題は、もう少し深める価値があると思う。

2020年2月24日 (月)

使える知識についてもう少し

 昨日書いた知識の活用の話について、もう少し書いておきたい。今回書くのは

『知識の網』

と言う考え方である。現在の学校教育は、

『一つ一つの分野がバラバラ』

と言う状況である。しかし、知識というモノも総合的なに生かすためには、お互いの関連が上手く機能しないといけない。

 例えば、算数や数学の文章問題に解決には、国語の論理的な読解両区が必要である。逆に、算数の文章題を解くことで、どっかり欲とそのスピードも上がる。そうすると、理科や社会の問題もすらすら解けるようになる。また、数学の証明問題にも、論理的な文章の作成力が必要である。

 更に、大学などのレベルになると、物理学などの後ろに数学のきちんとした体系が見えてくる。こうして、

『抽象的一般原理と具体化への展開』
『各分野相互の関係』

の関係がつながってくる。

 こうした知識が

『網の様につながる』

『網の目のどこかが使える』

状況になってくる。

 このように、知識が整理されていることも、

『使える知識』

の条件である。

2020年2月23日 (日)

学問的知識の活用法

 先日から書いている、経験と哲学者の問題について、今日は別の切り口で考えてみたい。昨日までの記事はこちら

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-14ec1e.html

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-2c75c6.html

 今回議論するのは、現在あるモノや経験に対する知識の活用である。これは、とても大切なことであるが、このスキル教育が現在はおろそかになっているように思う。

 知識の活用の一つの場面は

『トラブル発生時の原因究明』

である。先日亡くなった野村克也名言の

『負けに不思議の負けなし』

にもあるように、トラブル発生時には何らかの原因がある。このような原因追及は、絞り込んでいけば、

『原因ー結果』

の明確な関係に追い込むことができることが多い。確かに複合的な要因や、不確定な外部環境の影響もあるが、多くは理論的に解明できることが多い。こうして

『物事を単純型モデルで説明できる』

状況になれば理論的な知識が有効になる。ここで『単純化』に関しては、経験要素があるので、先輩達から伝授を受ける必要がある。

 さて、もう一つの知識の利用は、

『成功体験の理由付け』

である。野村流の

『勝ちに不思議の勝ちあり』

『不思議を解明する』

ことができれば、経験の活用を間違えない様になる。過剰なまでの一般化による失敗、慎重になりすぎての機会損失、両者を防ぐために、

『どのようなからくりで成功したか』

を理論的に解明する。このためには、

『ある程度理想化・単純化したモデル』

を作り上げて、理論的な検討ができるスキルが必要になる。

 これが本当に役立つ知識だと思う。

2020年2月22日 (土)

新しいモノを作り上げる方法

 昨日の続きで、新しいモノを提案するための考え方を書いてみたい。私も40年ほどの会社員経験で、新しいモノの提案は難しいと言うことを、身にしみて知っている。その教訓の一つは

「斬新なものほど、完成度が高い形で提案しないといけない。」

これは、

「今までの常識を覆すモノは、多くの人には、ある程度の形にならないと、全く理解できない。」
「見える形になると色々とケチを付けたがる。」

と言う現状に対して、多くの人を巻き込むためには、

「ある程度の形を見せ、それに多くの意見を組み込んで、関係者としての応援者を増やす。」

と言う作戦である。

 さて、このように新しいモノを造るためには、以下の2+1の側面がある。

  1. モノができる可能性を示す
  2. できたモノが実用になるようにする
  3. そのモノの使える範囲を割り切る

この3つめ(+1)は、新しいモノを提案したときの失敗にある

「期待されすぎ、失望で全滅する。」

の対策である。世の中での、「XXブーム」が途切れるのは、このパターンが多い。

 さて、『可能性を示す』と『実用になるようにする』を分けたのは、これを分けると仕事がやりやすくなるからである。まず最初に、理想的な条件だけで組み合わせて、骨組み的なモノを造っていく。これは理論的知識の活躍が大きい。つまり哲学者的な思考も役立つ範囲である。

 しかし、このような可能性を示す『プロトタイプ』は、現実の多様性に対して弱い物になりやすい。そこで色々な経験を加えて丈夫なモノにしていく。この段階では、色々な人の意見を聞くことも大切である。ただし、全てを聞いて取り入れる必要は無い。

「できないことはできない」

これを宣言していくことで、期待外れの敵対者を防ぎ、決められた範囲で良いモノとしていくことが大切である。

2020年2月 4日 (火)

「低学歴者」と馬鹿にされた人間のひがみ 今朝の日経BPから

 今朝の日経BP社の「低学歴化進むニッポン」という記事を見て色々と思うことがあるので、書いておく。なお私は、大学は修士課程修了でメーカーに入ったので、著者の河合薫PhD.の言う「低学歴者」であることを、お断りしておく。

 まず私自身の経験から言うと、大学での研究生活で論文作成のために必要な検討能力は、物事の根本を見直したり、報告書を作成したりするために有効活用できる面もある。これは厳密な検討能力という,一つの必要条件を鍛える訓練でもある。

 しかし、物事を成し遂げるためには,もう一つ大きなモノが必要である。それは

「全体像を描く総合的な検討力である」

大学の研究生活では、この部分の力が身についていない。従って、博士課程で訓練された以外の大事なモノがあると言うことを

「謙虚に認めてもう一度学び直す」

ことができるかという問題になる。これができないと、

「博士号はあっても使えない」

と言う状況になる。

 なお、大学に残っている場合には、教育の仕事に従事することも多いので、

「教えるために広く学ぶ」

ことが必要になり、自然と広い視野が身についている。こうして大学の中では問題が見えにくくなる。

 このような観点で、博士課程から企業という問題を議論すべきではないかと思う。なお私の経験談を参考にあげておく。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d2ac04.html

また、博士号取得者が企業向けの思考法になる勉強を、シミュレーションしてみたのでこれも見てほしい。

http://manabizz.c.ooco.jp/IppanSystemKatuyou.pdf

http://manabizz.c.ooco.jp/IppanSystemKatuyou1.pdf

 

 

2020年2月 2日 (日)

西洋文明と日本文明の比較 彫刻の例

 日本文明の思考方法は、西洋文明と違った面がある。今回は、像を彫る等の事例で考えてみたい。

 日本の文明は、

「あるべき姿を探り出す」

と言う発想がある。例えば、仏師が仏像を彫るときには、

「木の中にいらっしゃる仏様を表に出すように木を削っていく」

という感じで余分な木を除去するのが、仏師の仕事である。

 一方、西洋文明の場合には、部分を積み上げていくという発想がある。人物像を作るなら、

「まず骨格を勉強する。次に筋肉の付き方を知る。・・・」

と言う形で、段階を経て積み上げていく。この根底には

「部分に分けて、きちんと学んでいく。」
「分けることで解る。」

と言う発想がある。

 一方、日本文明の発想には

「分けたらなくなってしまうモノがある。」
「一度に全体を悟ることができる。」

と言う信仰がある。天台の摩訶止観の説く、円頓止観が一度に全てを観る可能性を示している。この発想の違いを、私たちは心しておかないといけない。

2020年1月 2日 (木)

「AI美空ひばり」が引き起こすAIバブル崩壊

 昨年末の紅白で「AI美空ひばり」が登場した。私は音痴なので,音楽の面はよくわからないが,耳で聞く限りは素晴らしい物だったと思う。

 さて、この「AI美空ひばりは」NHKの番組で、何度か出ている。私が紅白で見たのは3度目であった。

 最初の、NHKスペシャルでは、「AI美空ひばり」の開発秘話などもあり、人工知能学会の創立年からの会員としても、

「ここまでAIが来たか」

と素直に感動した。

 しかし、その後テレビの画面を見ながら、「AI美空ひばり」の歌っている姿を観ると、違和感を感じるようになった。言い方は悪いが

「表情の乏しいまるで幽霊の顔」

という感じで,これは紅白の画面を見たときにも同じ感じである。

 実はこの理由は既にNHKスペシャルで明かされている。「美空ひばり」の音楽を再現させたのは、単にAI技術を使ったのではなく、ヤマハの技術者の高度な力が、

「道具としてのAI技術を駆使」

して実現した。

 さて、表情に関して、これと同じように、労力を費やすことができていたであろうか?時間的にもこれは難しかったであろう。従って、

「今のAI技術にお任せの表情」

となり、

「高度の音楽性の実現とのアンバランス」

となってしまったのではないかと思う。

 さて、この話はとても大きな教訓を残している。つまり

「AIお任せでは高度な物はまだ難しい」
「高能力の技術者がAIを補助に使うとすごい物ができる」

と言う状況である。これは当たり前と思う人が多いだろう。しかしながら、ここで私はこの話より

「AI人材バブルはじけが発生する」

と言う予言を行いたい。これは、

「単にAIの使い方を知っているという人材への過剰要求」

が、はじけると言うことである。

 この前例は、既に前世紀末ぐらいに騒がれた

「カオス理論によるブーム」

がある。当時、このような高度の数理モデルを理解する人材が必要と

「数学の大学院卒業者などをシンクタンクが迎えた」

が、結局このような理論の力が,現実に適用できず、

「文化人類学の経験者の方が数学よりよい」

と言う話が,計測自動制御学会誌に載ったりした。

 私は,現在の「AI人材」に関しても,同じようなトラブルが起こると思っている。特に現在のAIでは,モデル作成が機械任せの場合も多く,そのような技術者の使い道で企業は困ると思う。健全なAIの発展のためには,このようなバブル的な者が早くはじけて

「地に足の着いた基礎力充実」

に戻ることが大切だと思っている。

2019年12月19日 (木)

リチウムイオン電池の環境問題への活用について

 ノーベル賞がらみで、リチウムイオン電池の環境問題への貢献が色々と議論されている。実はこのブログでも2010年の8月に書いた記事があった。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-7944.html

この記事で議論したのは、

「通信技術で起こったように、電力の配電などでも、
蓄積交換の発想が使えれば、送電線等が有効活用できる。」

であった。確かに1970年代までなら、電話の回線も回線交換方式であり、通話中は一対一でお互いが電線を占有していた。現在は、情報を詰め込んだ、パケットを伝送することで情報を詰め込み、電線や電波の通信路を有効活用している。これと同じ発想が、電力でもできないかという議論は、昔からあった。

 しかし、通信の世界でパケット伝送が実用化したのは、大量のメモリが安価に使えるようになってからである。現在の技術では、電力の蓄積はまだまだ手軽にできるとはいえない。もしこれができるようになれば、確かに送電線の有効活用ができるだろう。

 ただし、リチウムイオン電池による電力の蓄積ができれば、もう少し別の形で環境問題への貢献ができるだろう。今すぐ思いつくのは、以下の二案である。一つは、ピークカットによる設備投資の最適化である。もう一つは、不安定な電源の活用である。

 ピークカットという話は、現在の電力供給は、蓄積が難しいために、最大負荷の対応力を設備として持っている現状を変える話である。この議論は

「XX電力は、真夏の数日の午後一時から四時までの負荷ピークに応じた設備投資をする。」

と言う状況の裏返しで、

「その設備は大部分は遊んでいる」

と言う状況を避けるため、

「そのようなピーク時は別にためた電力を使う」
「これで設備を減らせる」

と言う効果がある。またもう一つの面は、昼と夜の負荷アンバランスを避けるため、電池で平準化を行えば、火力発電などは、ボイラーの温度を一定しにた、最適運転を行うことができる。これで節約できる燃料は大きい。

 さてもう一つは、不安定な電源の利用である。太陽光発電にしろ風力発電にしろ、自然の気まぐれで発電量は変化する。これは電力の供給手段としては困った性質である。現在は、電力会社からの電力を、負荷変動に合わせて取り込むことで対策をしているが、これをいったん蓄電して置くことで、変動が少ない供給源とすることができる、不安定な塵も、たくさんまとめて山とすれば、そこから安定して使うことができる。

 このような活用策が見えてくると思う。

  なお以下の議論も参考にして欲しい。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-08e7.html

 

より以前の記事一覧