ご縁のあった人たち

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2020年2月17日 (月)

怒りへの対処法 続き

 昨日の続きで考える。昨日の要点は、

「自分のことと距離を置ける場合は客観的に観る」

であった。

 今回は、怒りのエネルギーを、うまく活用できる場合について考えてみた。アイデアは

「怒りの、真の原因が観えれば、それに対して解決法が見える。」

である。このため、自分の状況を冷静に観ることが必要である。このため、自分に対して

「優しく客観的に観る」

ことが必要になる。

「あなたは、なぜ怒っているの?
何をされたの?
何が怖いの?」

これらの質問を優しく投げかける。そうすると自分怒りの、本音や真の原因が見えてくる。例えば、

「会社での上司に腹が立つ」

という表面的な怒りから、

「その理由は?」
と自問自答から
「仕事成果を評価されていない」
「同期と比べて評価が低い」

等の具体的な理由が見えてくる。

 ここまで来て、まだ元気があるなら、

「自分の力を客観的に評価した」
「自分のPR不足だった」

という、本当の問題につながる行動につなぐことができる。このように、上手く怒りのエネルギーを、自力でできる改善活動に持ち込めば、怒りが良い向きに働くことになる。

 真の『怒りの原因』を見いだし、『自分で解決できる可能性』が見つかれば、怒りのエネルギーで大きなモノを得ることができる。

2019年12月 4日 (水)

就職氷河期世代の採用に関して

 就職氷河期世代の採用に関して、もう一つ大きな問題が起こりそうである。私の予言は

「新卒の採用者数が大きく減る」

で、この理由は、

「成長した氷河期世代と比較される」

からである。先日もNHKのニュースで、氷河期世代の採用に当たった人が、

「経験を積んだ人の魅力に気がついた」

と言っている。このような気づきは、一般的な採用にも影響するだろう。特に総合職として採用するときに、

「一から育てる必要があるか?」

と言う議論になる。もっと言えば、従来なら

「若いときから育てて長く貢献して貰う」

が合ったが、現在の技術革新や、社会の変革が激しくなってくると、

「即戦力性を重視し、短期の貢献で十分」

と言う結論になる。

 こう考えると、来年度の新卒採用は、かなり厳しい状況になるかもしれない。

 

2019年11月 9日 (土)

社会的問題に対するブレークスルー思考は一度全体図を描く必要がある

 これまでにブレークスルー思考に関して、少し書いてきた。

 ブレークスルーの実現のためにはシステム的な思考法が必要

 ブレークスルーを行うと言うことは「次の安定に至る」ということ  

ここで、3段階を踏むことが大事と書いた。


  1. 可能性を開く時には、理想化した世界で理論的に考える
  2. モノとして作り出すときは関連する事項全ての閉じたシステムで考える
  3. 製品化の段階では社会という開いたシステムまで考える

と言う風に考える範囲を広げる必要がある。

しかし、これは工学などの、物理学などを母体にした物作りの発想である。その延長で、相互の因果関係などを考える、「システム発想」も提案したが、考慮する範囲は限られていた。

 しかし、経営問題や社会的な問題を考えるときには、検討範囲をもっと広げる必要がある。社会科学系では色々な仮説を考えて、その成立可能性を検証するが、

「そのために世界をどのように切りとるか?」

と言う前提条件の選び方が重要になる。

 もう少し言えば、

「この提案が成立した状況での社会はどうかなる」

と言う形で、結論が先行した形での議論も必要になる。

 このためには、上記の3段階説の切り分けは曖昧になり相互の侵入が発生する。

 少なくとも、理論検定時に関連項目の並ぶモデル化した世界を描き、その上で

「新しい考えが実現したらどうなる」

と言う形のシミュレーションを行う必要があるだろう。そうした結果が社会にどのような影響を及ぼすか、ここまで考える必要がある。

 単純な因果関係ではく、広い縁や報いまで考える。これは物語を想像するよことに通じている。

2019年9月16日 (月)

T型のスキルを持つ組織 I部分の育て方

 昨日の続きで、T型のスキルを持つ組織について、もう少し書いていく。

 今回は私がI型と表現した、特定部分に深く突っ込む部分について考えてみたい。この部分の力が、ブレークスルーの主要部分であるが、これだけでは十分ではない。ブレークスルーには大きく分けて以下の段階がある。

  1. 従来にない可能性を開く
  2. 可能性から製品として安定的な物に仕上げる
  3. 採算のとれる生産体制と販路を確立する

各段階では、それぞれ別の才能が必要になる。

 可能性を開く段階では、ある種のひらめきが大きく影響する。これは、

「今までそこで使われなかったモノが使える!」

という漠然とした感覚が最初に出ることが多い。例えば

  • XX理論は今回の仕事でも使えないか
  • 別の仕事だがXXのやり方はこちらでも使えないか

と言う風なイメージがわく。このイメージは漠然としたモノで、個人として思いつく段階が多い。そこでこれを個人で育てる場合もあるが、気軽に相談できる環境があると、もっと進むことも多い。ただし、相談して賛同されても、イメージの核は最初に思いついた人間が持つことが多いので、その人間が個人で詰めて完成度を上げることが重要である。もう少し言えば、個人の脳内でイメージができてくると、他の専門家に上手く質問できるレベルになる。このような段階まで来ると、協力体制もできやすくなる。ただし、専門家に丸投げするようでは失敗する。イメージを持った人間を中心に育てることが大事である。

 このように、深く突っ込んでいく部分が「I型」と称している部分である。

 ここでは、個人プレイが主体となる。個人が深く考え、理論を深く理解し、他分野の仕事や経験の本質を見抜く。このような個人スキルが重要である。しかし、そのように考えている人間を、サポートし、理解する周囲の働きも重要である。相談したときに、完全な理解ができなくても、とりあえず面白いと反応する。これだけでも孤独に悩む開拓者の力になる。また、ヒントを与えることはできる。こうした周辺のサポートも大切である。このような、日頃からのコミュニケーションは、組織のスキルとして大切である。

 さて、イノベーションに関しては、上司の立場について色々と議論する人が多い。これについては

「上司の理解が重要である。好きにやらせた。」

と言う成功例の話が教科書に載ることも多い。しかし、これはモノの反面しか見ていない。イノベーションは

「1勝9敗」

と言われるように失敗も多い。この引け時の判断が難しい。私も、色々な新規開発をするとき常に

「これは時間の無駄遣いではないか?
今なら引き返せる。」

と自問自答しながら画期的なモノを作り込んでいった。このとき上司が

「この仕事は私がやらせたモノ、失敗の責任は私がとる。
好きなようにやれ。撤退判断は私が行う。」

言ってくれたらどれほど楽だったろうかと今でも思う。

 イノベーションの突破力に関してはこのような考えも必要だと思う。  

2019年7月15日 (月)

総合的な検討の評価能力

 先日から書いている、大学文明と会社文明の話であるが、「会社文明」というのは少し限定しすぎたかとも思う。「現実社会」という風に言うべきかとも反省している。例えば、キャリア官僚の法律案を検討する話も、総合的な検討のよい一例である。

 このブログでも何回か取り上げたが

霞が関の官僚は、一つの法律を作るときに今までの経緯を、大宝律令まで遡って調べる。

という話がある。これは時間の無駄という人もいるかもしれないが、この問題に関係する人、直接の関係がないが縁のある人を探し出すときに、歴史的に網羅するため、今までの関連法律をすべて観るというのは、大切な作業だと思う。

 「~~時代では~~だった。その理由はXXだから」

という風に、その時の理由が判れば現在はどうすべきかが見えてくる。このような検討の大切さを、若い世代にきちんと伝える。そうして、意味のある作業をさせる。これは逆に心のこもった作業につながると思う。私が昔経験した事例をもう一つあげておく。

電気回路のサーキットブレーカーの動作を遠隔で監視制御するシステムの設計時の話である。

「サーキットブレーカーの動作信号は、オフを有意(つまり1)にしなさい。」

「なぜですか?」

「昔からそうなっている。」

この問答に関して、私が後輩に教えた話は以下の通りである。

「昔は、監視制御装置の回線容量が少なく、情報の絞り込みが必要だった。そこでサーキットブレーカーの動作信号だけを監視していた。その場合に、ショートや漏電で、サーキットブレーカーが自動遮断する事故が、一番大事な情報だった。だから、オフを有意にし重視した。しかし、今なら、回線容量は十分あるので、保護装置の動作情報も送れる。漏電もショートも個別項目で送っているならそれに対して警報を出せばよい。さて、次に大切な情報は、電気が流れているという情報である。うかつに触って感電したりしてはいけない。従って、通電中のオンの状態を重視して有意=1にしなさい。」

このように、今までの経緯と、状況の変化について、考える力が総合力の第一歩だと思う。

 なお、直接的な作用や因果関係だけでなく、縁やお陰様という間接的な関係も考慮していく。このような力の必要性を知ることから、現実的社会での総合的な検討能力育成を始めればよいと思う。

2019年6月26日 (水)

国家公務員試験の合格発表のニュースを聞いて

 昨日のニュースを見ていたら、国家公務員総合職試験の合格に関するニュースが報じられていた。昨日書いた記事は、このタイミングを狙ったモノではないが、丁度よい時期なのでもう少しお願いを込めて議論しておく。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-a94f7c.html

昨日の議論は、政策としてどうあるべきかという観点であった。この問題の本質は、

「物事を単純化しすぎて金銭価値に捕らわれすぎている」

ということである。

 一方、立場を考えてみれば、公務員の立場では

「よりよい社会の実現」
「より幸せな生活の実現」

という

「自分の理想に近づける」

満足感について、もっと認識してほしいという願いである。

 大分古い話になるが、1980年代頭に「第五世代コンピュータプロジェクト」の発足に当たって、当時の通産省の人が

「これでアメリカのコピーと言われなくてすむ」

と説明したときの

「我が国の国益のために流れを変える」

という気概を感じた。

 確かに、当時の通産省は、業界を指導して方向を示していた。現在は単一方向は難しいかもしれないが、総合的な視野での提案は色々できるだろう。

 また国民生活のあるべき姿を考えるなら、厚労省などで、いろいろな立場の人の生活について考える、このような理想を持って、公務員になって欲しい。公務員を辞めた人に

「ブラック企業」

と言われっぱなしで終わってほしくない。

2018年10月30日 (火)

もう一つの多様性管理

 会社の勤務者の多様性が色々と議論されている。そこで、私はもう一つ別の切り口から、多様性について考えてみたい。これは私自身の反省もあるが、私は昔あるメーカーでソフトウエアの技術者だった時期がある。詳細は書くことはできないが、コンピュータ活用に関して、色々と可能性を拓く部門であった。
 しかしながら、私が去った後、その部門はかなり衰退した。
 その理由を考えてみると、社会の要求の多様化、そして技術進歩による対応可能性の増加に対して、そのソリューションを考えだす、エンジニアが不足していたということが、一番大きかったと思う。
 ここで、エンジニアと言ったが、この表現自体が、障害になったと思う。つまり、問題になったのは、お客様の本当の要求を引き出し、まとめる力の不足である。この場合に必要な知識とスキルは、社会の状況を把握し、法律などの制約の下で、可能な物を提案する力である。
 今の私なら、このような仕事に対応する力について、色々と助言することができる。
 まず、お客様の置かれた状況を想像する。そのためには、社会学的想像力などもよいだろう。
 その他、法律的な知識も必要になる。さらに、人間の悩みなどまで行くと心理学まで広がるかもしれない。カウンセリングのスキルもお客様の声を聴くには使えるだろう。
 このように考えると、従来の技術者としてのシステムエンジニアの枠を超えて、多様の基礎知識を保有する人財を生かす必要がある。
 このような経営管理の側の努力と、人材の活用方向に目を向けた、大学側の努力も必要ではないかと思う。
 ミルズの『想像力』の現場での活用など、伊奈、中村の両先生に考えてもらいたいと思う。

2018年10月 9日 (火)

無駄な人材として排除されるのは?

 管理職のあるべき姿について、色々と考えていると、昔GEなどで言われていた、組織のフラット化という議論が出てくる。この議論では
  「中間管理職不要論」
になる。
 これと関連して、一時流行ったGEのシックス・シグマ活動がある。これは、品質向上を専門スタッフの力で行うもので、バラツキを抑えることが主目的になっている。つまり、机上計算通りの物が確実にできるように活動する。そのための活動者は統計解析の力を持った、専門的なスタッフである。
 この活動を見て、トヨタの生産方式を思い出した。確かにトヨタの無駄排除の中には、当然のことながら
  「ばらつきのあるもは許さない」
という発想はある。但し、トヨタにおいては、この活動は全員の参加で行われている。問題発生時には、皆で
  「なぜそうなったか?」
を厳しく追及し、真因を見出し対策を立てる。この繰り返しで、必然的にばらつきもなくなっていく。
 このために特別なスタッフがいるわけではない。確かに、対策を文書化するなどのスタッフ業務は必要だが、特別な数学的知識のあるスタッフが必要というわけではない。
 このように考えると、トヨタで排除されるのは、数学知識に頼るスタッフではないかと思う。(技術的な検討能力においては、科学的・数学的な力は評価しているだろう)
 現場で育った力を最大限に生かす。これが日本経営の強みではと思う。

2018年10月 8日 (月)

どこまで厳しく反省すべきか?

 昨日書いた、経験を説明できる力に関する話に関連して、もう少し議論すべきことを思いついた。
 自らの成功理由や、失敗理由について説明する。これは大事なことではあるが、それに耐える人間がどれほどいるかという議論である。
 詳しく反省すれば、成功理由に関しても、偶然や他人の助力が大きく、自分の貢献は少ないということに気が付き、無力感に襲われる可能性がある。また失敗理由でも、他人に責任転嫁せず、冷静に見ていけば、自分の責任が大きいことに気が付く。この重みというものは、正直に向き合うと結構重い。
 もっと言えば、自分の過去を反省すると、色々な罪深さを見てしまう。子供時代のいじめ問題でも、自分が被害者と思っていたことでも、自分にも悪い面があったこと、そして多くの人を傷つけていたことを思い出す。このような痛みにどれほどの人が絶えるのだろう。
 このように考えていると、西洋文明では、カソリック教会は悪名高い
  「免罪符」
を売っていたことを思い出した。このような、いい加減さが、かえって救いになったのではと思う。一方、マックスヴェーバーが指摘したように、プロテスタントの一部は、
  「自分の救いを確信するために勤勉にならざるを得なかった」
言い換えると
  「恐怖からの逃避としての勤勉」
があった。
 確かにこの発想もあると思う。
 なお、日本の大乗仏教には、自分自身の将来の救いがある。皆が仏になるという教えの力があるから、懺悔させることもできるのではと思う。
 このような宗教的な救いを無視して、厳しく自己に当たらせることは、危険ではないかと思ってしまった。

2018年9月21日 (金)

理想のモノを得るためにはどうしたらよいのか?

 理想のモノはどうあるべきか議論するために、資料を作ることを考えてみた。
 この時どのような対応があるだろう。大きく分けて二つの道がある。
  1. 現状を調べてまとめるー>改善提案を示す
  2. あるべき姿を議論するー>実現方法を示す
つまり現状肯定で、その延長先に理想のモノがあるという発想と、あるべき姿は別のモノで、それを理論的に展開しそこから実現への道を探るという話の二通りである。保守と革新と言ってもよいだろう。
 さてここに一つの宗教的な前提がある。西欧文明のようなキリスト教等の絶対神の世界では、
   「理想の世界は神のみぞ知る」
ということで、人間は到達不能のあきらめもある。一方、日本のような大乗仏教では、
   「皆に仏の智慧がある。『あるべきようは』は知ることができる」
という信仰がある。
 この違いは大きなものがあり、西洋文明では完全でないモノの提出は当たり前だが、日本では完全でないものは出せないという雰囲気がある。このことを意識していない人が多いが、大切なことであるので書いておく。
 
 もう一度話を理想を求める話に戻すが、現状の調査の場合には、保守的になって現状肯定になるか、革新的にすべてを否定する流れになることが多い。
 このようなことにならないため、現状調査と理想論の両面から、検討していきお互いの妥協点を見いだすことが大切である。理想論の欠点は、現実の細部に見落としがある可能性である。実現が危ぶまれたり、それで落ちるものの被害などを検討しないといけない。
 一方、現状維持に偏ると、『ゆでガエル状態』で、じり貧になることもある。理論評価と現実性の検討、この両面から議論し、どちらからの攻撃にも崩れない、丈夫な案を作ることが大切である。

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