2009年10月26日 (月)

科学的経営管理と日本の知恵

 昨日の続編でもう少し思いついたので、補足しておく。テイラーの科学的な手法に、相当するものが、日本にあった。
 それは、嘉納治五郎の講道館柔道である。1882年に講道館を設立した時には、すでに古流柔術の技を、科学的に説明できる様にまとめている。テイラーの研究が1890年ごろであるから、少し早いと思う。更にもう少し遡れば、千葉周作の北辰一刀流の合理的な体系もある。
 ただし、嘉納治五郎の柔道では、体内の筋肉の精妙な動きが、消えたように思う。古流の型稽古の中に、隠されたものが、柔道の技術として、顕在化したため消えたものがあるように思う。このような観点も考えて欲しい。

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2009年10月25日 (日)

科学的な経営管理について

 20世紀初頭にテーラーが提唱した科学的管理法について、少し読み返してみた。確かに、彼がやったことは、作業内容をきちんと観察し、最善の行動を求めて、標準化すると言う科学的な手法で研究したことは、当時としては画期的なことであった。
 しかし、日本では、もっと昔から体の合理的な使い方に関して、調べていた人達がいるように思う。それは、武術にたずさわる人たちである。確かに彼らの研究は、主観的な手法であり、現在の科学的手法とは異なっている。しかし、このような蓄積があったことは、考えておくべきではと思う。

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2009年10月 1日 (木)

当たり前のことができる

 すぐれた会社や、スポーツチームの強さの秘密を、

「当たり前のことがきちんとできる」

と言うことがある。この意味を、もう少し突っ込んでみたい。まず、そのチームにとっては『当たり前』だが、他のチームとっては、出来ないと言うことがある。その理由を考えてみると、体のつくりのような、基礎体力が違っている場合がある。またこれを実現できる、スキルが身につけるために、多くの時間がかかり、他では出来ていないことがある。
 また、もう一方では、誰でもできるが、それを実行していないということもある。例えば、規則を守るという単純なことでも、完全にできる会社とそうでない会社がある。
 このような場合にも、出来ない原因を追求していくと、どこかで規則に無理があったり、社員個人のスキルがついていけていない場合がある。
 真の原因を潰さずに、結果としてわれわれは出来ていないというのでは、何時までたっても進歩はない。その前に、彼らと自分の『違いが判る』ことが重要である。このように段階をきちんと踏めば、物事は良くなっていくものである。

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2009年9月21日 (月)

努力を見せないといけなくなった

 昨日のNHKスペシャルでは、「ON(王・長嶋)」について、取り上げていた。特に、天才と言われた長嶋選手が、人に見えないところで、必死の努力をしていたことを伝えていた。当時の長嶋=天才というイメージは、マスコミも含めて作り上げたものであった。そしてそれに答えるために、隠れたところで必死の練習をする。一方、見ているファンの方も、長嶋先週の努力についても薄々は知っていた。しかし、天才と言うことを受け入れていた。
 しかし現在は、

 プロとアマの境目がはっきりしなくなった時代でもある。まれにすごいことを、さりげなくやってみせる人たちがいる。そういうひとこそ不世出の天才というものなのだろうが、天才でないことをわきまえた昔の並のプロは、見た目からまずガツンと威嚇してみせてきたのだろう。

 しかし、いまは謙虚にしていたんでは、だれも陰の「努力」に目をむけない時代なんだと紳助さんは言いたかったのかもしれない。

である。(日経BP社のHPから引用)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/?P=2

天才を認めにくい世界になってきたのが、本当の天才が生まれにくく、ブレークスルーが少なくなった要因ではと思う。

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2009年9月14日 (月)

努力を継続する条件

 イチロー選手が、9年連続200本安打の新記録を達成した。彼の成功要因の一つは、地道な努力を続けた、常時の改善である。
 このような努力が続く条件を少し考えてみた。まず第一は、微妙な進歩を敏感に感じる力である。努力を続けるためには、自分の努力が、有効であると言う信念を維持できないといけない。その為に、細かい進歩が自分で評価できれば、成果を確認して努力を続けることができる。
 第二には、大きな目標設定の力である。一つの目標が達成すれば、直ぐに満足してしまうようでは、大きなことが出来ない。今得たものに満足せず、少し上の目標を次に設定する。これが大切である。
 このような、能力開発の基本がおろそかにされているのではないか。

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2009年6月13日 (土)

素質と才能(やり遂げる能力)

 海堂尊著の「ひかりの剣」を読んだ。なかなか面白い。特に、『素質』と『才能』の違いを良く書いている。(第2章p39、第4章p75~p79)素質と才能の違いは、剣道のような体を動かす場合で、説明するのが理解しやすい。

 素質は、筋力がある・敏捷に動ける・動体視力にすぐれるなど、基礎的な力が身に付いていることを示す。

 才能は、その素質を、実際の実力に結びつけるために、努力を方向付け、やりぬく能力である。ある中国武術家は少し皮肉を込めて、
   「才能の中には本当の師を見抜く力も含む」
と言っている。

 子どもの時に天才と言われた人、彼らは素質に恵まれ、それをよき指導者に導かれて、他の子ども達より抜きん出たのであろう。しかし、彼らが大人になってまで、天才の立場を維持することはまれである。

 これに関して、ある書評では、10,000時間の訓練が一つの条件と言っている。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090611/197306/?P=3

宮本武蔵も、「千日の稽古を鍛とし万日の稽古を練とす」と言っている。大学でも、学部4年と博士課程前期の3年で、一心に勉強すると、10,000時間を越える。この時何かが変る人間がいるのも確かである。ただし、正しい向きと言うのが条件である。正しい方向を見定めるのが、『才能』かも知れない。逆に、『師』と決めた人に、疑わず一心に従う。これも才能の一つかもしれない。

 最後に、「ひかりの剣」の剣道の試合のシーンは、作者の経験に裏付けられているのだろうが、どうも納得がいかない。正しい面撃ちと、右肩に外れた打ちが同時になっても、正しい面打ちに一本を与えるのかな?スポーツなら良いが、真剣勝負ならどちらも死んでいる。(もっとも真剣勝負なら、肩のところには和紙を濡らし貼り付ける早着込みなどの手はあるが・・・)特に、切り落としは、真っ向から入って、自分の体に触れないように落とすのが大切と思う。また、某漫画では、「前の試合で右肩に竹刀を受けたので、切り落としは使えない。」と言うシーンがあった。この話しは、切り落としの難しさをよく語っているように思う。 

ひかりの剣 ひかりの剣

著者:海堂 尊
販売元:文藝春秋
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2009年1月 2日 (金)

体育会系の総合職とは?

 テレビをつけると、駅伝やサッカー、ラグビーなどスポーツの放送が目に付く。昔から、体育会系の学生は就職に有利とされていた。そこで、そのような学生を採用する側の意見を拾ってみると以下のようになる。

1.体力・気力が充実していて、困難な仕事にも耐える。
2.上意下達で言うことを良く聞く。

 ここで、1.の『困難に耐える』と言う特性は、重要だと思う。特に、
   「自分の能力の壁を超えた」
   「自分の潜在力に目覚め不可能を可能にした」
経験は、今後の仕事の上でも活きると思う。このように自分を伸ばす人財を求めるのは正しい。

 しかし問題は、2.である。総合職として採用する場合に、
   「上の言うことを良く聞く」
だけでは、困ったことになる。自分の意見を持って考える。状況に応じて判断する。そしてそれを皆に説明し、受け入れさせる能力が必要になる。この能力を求めないで、総合職として採用するのはおかしい。

 なお、日本海軍の参謀は、「教科書どおりの潜水艦の配置」を、潜水艦の艦長に厳命指令したため、アメリカ軍に、
  「本来秘匿されるべき潜水艦配置が、解かり易くて
   日本軍の潜水艦を狩りは楽であった」
とバカにされた歴史がある。

 教科書どおり、上司の命令に機械的服従の総合職に仕事をさせるなら、この海軍参謀と、あまり進化していないように思う。

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2008年11月 9日 (日)

自動車産業に関する予言

 トヨタを始め自動車会社が皆、大幅な経営状況悪化を報じている。これは、アメリカ発の不況が原因である。しかしこの経営状況悪化を、戦略的に活用する力が、日本の自動車産業にはあると思う。もう少し突っ込んだ言い方をすれば、今の自動車業界は、従来のガソリンエンジン主体の車から、電気モーターを使う自動車に切り替わるタイミングである。

 しかしながら、従来機種が売れている場合には、新規機種の投入が後れるのは世の常である。従来の成功機種を切り捨てるのは、非常に抵抗が大きい。このような時、業績悪化と言うのは、ある意味新機種投入の追い風になる。

 ただし、ここで従来機種に適合していた、専門企業や職人達には、リストラの風が正面から当たってくる。大切なことは、このような負担を、自動車業界だけに押し付けるのは、間違っていると思う。従来の企業競争は、国内でのシェアの奪い合いであった。しかし現在は、国際化しているので、海外に企業に市場全部を奪われ、結果として国内の雇用が全てなくなってしまう。

 そもそも、失業者の救済は、社会全体であり、国として考えるべき問題と思う。何でもかんでも、企業の経営者に押し付けるのは、おかしいと思う。

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2008年11月 1日 (土)

武道について

 前にも書いたが、武道と言うのは、命のやり取りである。その典型が残心で、相手を倒しても、止めを刺していない限り、反撃の可能性がある。従って、心を残し、次の対応を考える。これが基本である。また、一人の敵に心を止めず、他からの攻撃にも対応できるようにしないといけない。

 しかしこの残心が、形骸化している。特に柔道では、一本にもならない技でも、ガッツポーズする者までいる。このようなものを、武道と言ってよいのだろうか。

 但し、このような命のやり取りと言う緊張感の連続に、本当に人は耐えるのであろうか。全ての人が耐えると言うことは、考えられない。前に、禅について書いた時、白隠禅師の墓の傍に、修業半ばで神経を患い死んだ僧たちの墓があると書いた。禅というのもある意味真剣勝負である。座布団の上で死にきった人間こそ悟りを開けると言う。

 武士道には、このような残酷な面がある。少なくとも、武士道などと言う人間は、それに耐える人間でないといけない。本当の恐さも知れずに、禅かぶれになるのも困ったものだが、武道にも同じような危険性がある。

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2008年9月15日 (月)

大相撲の不祥事について

 大相撲で大麻問題など不祥事が発生している。そこで、親方が弟子の指導と言う言葉を聞いた。しかし、本当にできるのだろうか?

 ある落語家が面白い話をしていた。

  「相撲部屋は、弟子に来てくれと言う。そして、
   弟子が貰う金で親方は生活している。
   一方落語家は、弟子志願者が来ても断る。
   何度も断ってもそれでも来るものだけ弟子とする。
   そして弟子に小遣いを与えて、養ってやる。」

この違いは大きい。このような人集めをして、更に収入の構造が現役力士依存では、親方の指導などできるのであろうか?

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