ご縁のあった人たち

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2021年3月 2日 (火)

今回の接待疑惑に関して

 総理の息子の絡む、接待疑惑で、一人あたり7万円の食事と言う違法行為で、内閣広報官が辞職する事態になった。この話は、辞職した内閣広報官が『女性』であったので、

「山田広報官は菅内閣の強権政治の犠牲者」

と言う論調で、一部野党が叫んでいる。

 しかし、今回の接待内容を見ても、どうも直接的な許認可の、利益供与には至らない感じがする。接待の目的は

単なる情報収集

であり、出席した官僚も

気軽に愚痴をこぼせる場

という感じで参加していたように思う。

 私は、志ある有能な官僚には、レスペクトすべきだと思う。しかし、今回の山田広報官の動きを見ると、

調整が上手い

と言うレベルであり、これを大事にするかというと、一寸違う感じがする。

 本当に大事にすべきは、

長期ビジョンと大局観を持って政策を実行する官僚

ではないかと思う。

 このような評価が、ある程度はできる程度に、現在の日本の知的レベルは上がっているように思う。例えば、大阪府のコロナ対策では、保健行政の有能な官僚の働きが見えて、これを大阪府民は評価している。

 これを考えれば、官僚のビジョンを、もっと民衆に見える形で示していくのも善いのでは無いか。

2021年2月18日 (木)

「中退」に関して少し

 将棋の藤井二冠が、高校卒業を待たずに「中退」する。これがニュースになっているが、半世紀ほど前だと、このような「中退」は多く見受けたと思う。私は1973年に大学を卒業したが、当時から

「東大の法学部の学生は、上級の国家公務員試験に合格したら退学して公務員になる」

であった。従って、当時の国家公務員の学歴観は

東大中退 > 東大卒業 > 他の大学

という感じであった。

 しかし、現在は「中退」という言葉のイメージは、あまり良くない。

 この理由をもう少し考えてみた。私は以下の2点が大きいと思う。

  1. ギブアップでの中退が多い
  2. 学校で教えることが役に立っている

一つ目の、ギブアップ問題であるが、現在の社会では、色々なトラブルが発生したときに、引きこもる形で逃げる人が多くなっている。学校生活においての種々の挫折においても「中退」という形で逃げることが多くなっている。社会が、そのような逃げ方を認めている面もある。確かに、自殺と比べれば、「忠太してくれた方が」という発想は解る。

 一方、二つ目の方は、現在の学校教育が、現実世界で役立つ面がでている、と言う話である。これを電子回路で考えてみよう。1960年代なら、電子回路はトランジスタで組まれていることも多く、回路の設計や調整は「現場の経験」で行われる面が多かった。学校の教科書で書いている回路は参考、現実に動くモノは、現場で調整が必要であった。

 しかし現在の回路は、電子回路でも高集積の演算増幅器などでできていて、「教科書に書いている計算式どおりの性のがでる」状況にある。更に言えば、電気自動車等のモーターの制御には、複素関数の知識が必要であり、学校の知識がきちんとしていないと仕事ができなくなっている。

 文系でも、MBAの手法で経営を見るなど、色々と知識が役立つようになっている。

 このような時代の変化をもう少し考えてみたい。

2021年2月17日 (水)

不安で人を動かすのは?

 二月一五日の和歌山市の直下型地震は、市街地に震源があり、マグニチュードは低くても震度4まで揺れた。

 さて、この地震で和歌山市議会場の照明の一部が落下し、審議が中断する状況がテレビで放送されていた。

和歌山で震度4 市議会で照明落下し中断も(気象ニュース 2021年02月15日) - 日本気象協会 tenki.jp

 ただし、和歌山市に住んでいる人に聞いたが、

「揺れたが被害は少ない、どこかの灯籠が倒れた程度」

と言う状況らしい。

 一方、SNSでは和歌山市議会に関して

「見てくれ良さで、こった照明にするからあのような被害に遭った」

と言う意見がある。確かに、安全設計という面では、照明金具の落下などはない方がよい。しかし、和歌山県や和歌山市の大きな政策を見ると、もう一つのモノが見えてくる。

 それは、

「和歌山県の南海トラフ地震津波対策」

で、

「和歌山市内でも津波の被害に遭う。従って、高いところに移住する等の対策をとるように!」

と住民に伝えていて、県の機能なども、高いところに移している。

 この文脈で、このような「地震被害映像」を流すことは、住民の地震対策意識をかき立てる、有効な手段だと思う。

 しかし、『不安』で人を動かすのが本当によいのか?

 私は、納得が基本ではないかと思う。

2021年2月14日 (日)

大阪の緊急事態宣言への対応

 大阪府などは、独自の解除基準を満たしているが、医療関係者などの意見から、今回の緊急事態宣言の解除要請を見送ることになったらしい。

 これに関して、今朝の朝日新聞は

「吉村知事が突っ走った」解除要請に揺れた大阪、反発も [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

という風に、少し吉村知事に批判的な記事を載せている。

 しかしながら、私は今回の吉村知事の対応は、ギリギリの政治的行動として、高く評価すべきだと思う。理由は

  1. 大阪府民のコロナ対応への協力を評価したい
  2. 医療の法界はなんとしても避けたい

と言う両面のバランスを取るため、

「皆さんの協力で緊急事態宣言解除レベルまで来た!!」

しかし

「医療状況の逼迫のためもう少し我慢してほしい」

という、メッセージを伝えるためには、今回の行動が最適だったと思う。行政の目的は、住民の不安を取り除くことが第一であり、更に希望を持たせることも重要である。単に「解除」だけが目的になってはいけない。

 そのように考えると

根回し不足の独走知事

と言う一部マスメディアの表現が、如何にピント外れかよくわかる。朝日新聞は、一面で五輪関係の密室政治を攻撃しながら、社会面で吉村知事の根回し不足を批判している。この自己矛盾に気がつかないのだろうか?

2021年2月12日 (金)

専門家と言っても色々

 コロナの問題で、色々と『専門家の意見』がでている。しかしながら、専門家にも色々とあると言うことを、きちんと理解している人が少ないように思う。今回の感染状況について、発言する専門家を大きく分けると、以下の2パターンになる。

  1. ウイルスの伝搬の細部の専門家
  2. 多数の感染状況を数理モデルで予測する専門家

1.の立場を『ミクロの専門家』、2.の立場を『マクロの専門家』と呼ぶと、イメージが掴みやすい。例えば、ミクロの専門家は、ウイルスが飛沫感染するからくりなどを教えてくれる。そこで具体的な内作を提案する。また、ワクチンの種類や、その効果について教えてくれるのも、ミクロの専門家である。

 一方、マクロの専門家は、多くは数学的なモデルを使って、感染の拡大状況を予測する。そうして、政策への提言を行う。例えば

「現状で対策を取らなければ、XX時点での病にはXX、そのうち死者はXX人となる」

と言うような予測を行う。さて、専門家のコミュニケーションというと、ミクロの場合には、その伝搬メカニズムなどの具体的な話についての議論となる。しかしながら、マクロの専門家に関しては、議論の向きが二通りに分かれる。

  1. 検討の前提に関する可否
  2. 手法自体の妥当性

ここで大事なことは、専門家の議論では、どちらかというと『手法の妥当性』の方での議論が多くなる。これは、

「数学的な議論なら『正しい』と言いやすい」

ことが影響している。

 しかし現実に適用するためには、前提をきちんと評価する必要がある。このような前提に関しては、

「素人も口出しできる」

ために

「会議が長くなる」

可能性がある。しかし、この問題を避けて通ると、予測外れのトラブルになり、結局専門家の地位を危うくすると思う。

 このような前提に関する議論を行う、専門家の周辺の人財を、育てる必要がある。

2021年2月 9日 (火)

森失言に関して色々と思うこと

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視とも取れる発言に関して、色々と思うことがあるので、忘れないうちに書いておきたい。まず、私は

「森発言は、五輪憲章などの主旨からしてアウト!」

と判断している。この点は世間の意見と同じだろう。しかし、森発言を

女性一般論とせずに守護を飼えてみる

とすると、別の景色が見えてくる。例えば

その分野の素人を入れると
(一から説明しないと行けないので)
会議が長くなる

と言う表現はどのように評価されるだろう。これをもう少し極端にすると

素人は黙って専門家の意見に従え

となる。これをもっと進めると

「私は学者としてしっかりした思考法の訓練を受けている。
あなたは受けていないのだから私の言うことに従え。」

と言う、高学歴者の発言が出てくる。この発言には、多くの人が反発するだろう。

 しかし、議論の効率からすれば

「数学的な議論を直ぐに受け入れることができる
人間同士のコミュニケーションは速く結果が出る」

と言う面もある。

 こうした、専門家同士のコミュニケーション効率と、一般人への説明は、分けて考えるべきだろう。

2021年2月 6日 (土)

発言することの責任をどこまで感じているか?

 元総理大臣の不適切なる発言で色々と騒ぎが起こっている。この問題は、当人の資質にも絡むが、現在日本の『言葉の軽さ』にも、一つの要因があると思う。これに関連して、先日SNS上で、

「占いについて深く勉強せずに占う人がいる」

という、ぼやきがあった。これは一つの問題だが、もっと大きな

「占う時には相手の宿業まで踏み込む覚悟が必要
自分も命がけで占う」

と言う前提が抜けている。私も少しは占いをするが、病人を占ったときには、その病の気がこちらに流れてくる。そのような怖さがあるので、とても金を取っての占いなどできない。

 しかし、色々な仕事を見ると、多くの仕事では

関わっている人の命や一生に影響を与える

判断をしていることがある。

 典型的な事例は,医者の判断である。

薬は毒の面もある

これを知って,患者のために判断する。このような、「相手にとって悪くなる可能性」を見据えた判断が必要になる。

 また、コンサルタントやカウンセラーに関しても、一言でクライアントの一生を変える可能性がある。

 こうした発言の重さ、これを現代人は忘れているのでは無いかと思うことが多い。

 もう少し言えば、私達は

死の危険性から遠過ぎる

と言う面がある。元々,民主主義の言論世界は、戦争や決闘という

命のやりとりでの解決

を代行していた。そこでは一言の重みを十分感じていただろう。それでも『ソクラテスが死刑になる』世界である。

 この厳しさを知ると,軽率な発言が減ると思う。

2021年2月 3日 (水)

『不安』による動機付け

 今回のコロナ対応でも、人々の『不安』を煽ることで、行動させている事例が多い。ここから一歩踏み込んでみると、

私たちは子供の頃から『不安』で動機づけられている

と言う経験を思い出してしまった。小学生時代から

「勉強しないとついて行けない、将来困る」

等の脅しを受け『不安』に駆られて勉強する。

「将来何をしたいから、勉強する」
と言う
「目標に向かう勉強でなく『不安』解消の勉強」

が、学校で学ぶ多くの人の動機付けではないか?そう言えば、停電になったとき

「隣の奥さんが内も停電です」

と聞いたら安心する、と言うジョークがある。一説によると、

「田植えで横並びで作業する習性が染みついている」

為に、『横並びから外れる不安』が大きいのではと言う仮説もある。

 確かに、明治以降の学校教育では、

「均質な生徒を作ることで、一定歩調で行進させる」

ことを目標とした面もあり、その中で

「置いておかれる不安」

を強調し活用した。このように、私達は『不安』による動機付けにならされている。

 しかし、ヴェーバーが『プロ倫』で指摘したように、キリスト教文明でも

「自分が救われているという確証がない『不安』が
激しく働く原動力になる」

と言う側面もある。これと同じ反応が、日本の場合にも

「地獄に落ちないために!」

と言う恐怖で大衆を押さえた例もある。逆に、一向宗の信者達などは

「働くことは阿弥陀様の救いの保証」

と言う形で、勤勉に導いた。

 動機付けにおいて、『不安』の力と弊害をもう少し考えていきたい。

2021年2月 2日 (火)

リスクコミュニケーションについて一アイデア

 今回のコロナ危機に対応して、一般大衆へのリスクコミュニケーションの重要性が、明らかになってきた。

 さて、リスクコミュニケーションが難しいのは何故だろう。私は、この問題について一つの仮説を持っている。それは

  1. 大衆の不安が拡大するとリスクコミュニケーションは失敗する
  2. 当事者以外の方が不安は大きくなる

と言う二点である。つまり

不安という『空気』が暴走する

とリスクコミュニケーションは失敗する。

 さて、このような『空気』の暴走は、どのような状況で起こるのだろう。大事な要素は

自分が体験せず想像や伝聞情報で考える

場合に、暴走が起こることが多い。逆に

当事者は現実対応に追われるので
不安を感じる暇が無い

から『空気』の暴走は避けられる。

 私は、昨年ある難病で入院し、ステロイドの大量投与と、血液製剤の点滴を受けた。その時、句するに副作用の可能性などの、必要なリスクの説明を受け、その旨の書類に署名した。その時は、

とにかく治療が優先でリスクは取らざるを得ない

と言うのが正直な感想である。その結果、症状は収まったが、まだステロイドの減薬の行程であり、先は長い。こうして落ち着いてみると

ステロイドの副作用が今では怖い
(骨がもろくなるなど!)

と考えるようになった。このように、現場から距離を置くことで、色々考えたり、ネット情報に触れると、不安が拡大してくる。

 このような不安が、リスクコミュニケーションを難しくする。

 解決策としては、全体的な現場の感覚を、伝えることでないかと思う。

2021年2月 1日 (月)

悪意あるメディアへの対応

 今回のコロナ対応で、一部マスメディアが、興味深い動きをしている。それは、

「悪意あるメディアに対する予防策」

である。もう少し具体的に言うと

「コロナへのワクチン接種の妨害」

を意識的か無意識的は知らないが、実行するメディアへの予防策である。具体的な手法は

ワクチン接種が、高齢者や基礎疾患保有者に大量に行われたとき、
高齢や基礎疾患という状況では百万人に一人の割合でも
接種の後、2~3日で死ぬ人もある。
これを大々的に報道することで、
多くの人に『危ない副反応がある』と思わせる。」

と言う、

「因果関係の不明瞭な事実での扇動」

である。これは、マックス・ヴェーバーが言った

「事実をして語らしめる」

という、不誠実なマスメディアの行動そのものである。実は、これに近いことが既に行われている。子宮頸がんワクチンに関して接種後の障がいを、アピールする報道が行われ、被害者の状況をテレビで大きく取り上げた。その結果、子宮頸がんワクチンの接種は少なくなっていた。

 これは、

「政府のやることを妨害する」

を社是とする一部メディアなどが行いそうなことである。某新聞社の幹部は

「トイレを詰まらせろ」

と書いたが、

「ワクチン接種を滞らせて救える命を殺す」

様な報道を野放しにしてはいけない。このことを警告した読売テレビなどの誠意を評価すべきだと思う。

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