ご縁のあった人たち

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2020年7月 3日 (金)

医療従事者という言葉の力

 今回のコロナ対応で「医療従事者」という言葉が多く聞くようになった。

 医療の話なら、まずは医師そして看護師を考える人が多いのではないか?しかし、入院中の経験は、医療が多くの人によって支えられている。薬剤師や医療事務、栄養士等の食事提供に係わる多くの人達、病室やベッド等の清掃や維持管理、こうした多くの面を見ないといけない。

 そういう意味で、

    医療従事者への尊敬!

という表現はよいと思う。

2020年6月28日 (日)

緊急出版:Kindle版 「日本教的リーダーシップ」

 今まで書いていた、日本教のリーダーシップについて、このたびKindleで出版しました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08BXQDJLD/

日本教の元では、指導者が、全体像を持たないと行けないという議論です。

 今回急いだのは、コロナ対策の話と、東京都知事選に便乗という話もあります。

 なお、もう一つ別の理由として、私が明日より、天疱瘡の治療のため、一ヶ月入院することになったので、それまでに出したかったからです。

 また、来週からはこのブログの更新をしばらくお休みさせていただきます。

 元気で戻ってきますので、それまでお待ちください。

 

2020年6月10日 (水)

日本教についてKindleで一冊出しました

 今までこのブログで議論してきた、日本教の話をまとめて、Kindleで出版しました。

 

まだシリーズ化して書きたいことは多くありますが、日本教の原点について、まとめることができました。

なお、2020/6/10 17:00から四日間の無料ダウンロードキャンペーンがあります。

その時を活用いただければ幸いです。

 

2020年6月 8日 (月)

抽象的な一般論と具体的な展開の関係

 昨日書いた使える地図の話はもう少し議論する価値があると思う。

 この問題をメディア論を加味して、検討すると

「西洋文明的発想では、抽象的な地図という、記号の上での世界がある」
「日本教的発想では、現実に適応した地図があるべき」

という発想になるのではないかと思う。これを一歩進めると

「数式などの抽象世界だけで思考できる学者」
「直観的に理解できるモノで考える現実の人間」

という対立軸が見えてくる。プラトンが「国家」で主張した

「哲学者だけが真実に近づける」

という発想が前者であり、仏教とその影響を受けた日本教なら

「誰もが真実の世界を知る」
「あるべきようはを皆が知る」

という発想になると思う。この問題に関して、技術者として一つの経験がある。

「大学で制御理論の数式的処理をきちんと学んだが、現実の対応は判らなかった。
そこで工業高校の教科書を手に入れて勉強することで、全体像と直観的な理解を得た。」

ただし、この場合にも、実現の細部には、もう一度数式的な検討も必要になり、ここでは大学教育などが役立った。

 このように考えると、全体像の把握と、細部の検討、この両面を上手く切り替える人材が必要ではないかと思う。

2020年6月 7日 (日)

使える地図を作る

 一般意味論の基本原理は

「地図は現地ではない」

である。しかし、『日本教』の信者にとっては、

「実用になる地図があり、指導者は私たちに与えてくれる」

という願いがある。それでは、このような実用になる地図は、どのようにして描くのだろう。一つの発想は、

「現実の場所の写真などを使って、抽象化して描く」
「現実の世界を縮小して描く」

という、現実のモノの大きさ比率を保持し、縮小し抽象化するという、抽象化への一本道で考える。実際の一般的な地図は、このようなルールに従って作られる。

 しかし用途が明確な地図を作るときには、これと別の道がある。実際に利用者の立場で、そこまで動いてみる。そこで目標になるモノを見いだし、書き込んでいく。広告などで、自分のところへのアクセスマップを作る場合には、主要な目標物を書き込むだろう。

 このときの作業を一般化すると、

  1. 抽象化した地図を写真などから作る
  2. その地図を持ち現場に言って自分で動きながら目標物を探す
  3. 目標物を書き込んでいく(建物の名称や色なども重要情報)
  4. 動きやすさを確認して目標物を絞り込んでいく

というう風に、具体的な世界で実際の動きを確認していく作業が主体となる。

 一般意味論なら

「抽象の梯子を下る」

と言うところだが、このような体験的な記述が、日本教的な発想にあっているように思う。

2020年6月 3日 (水)

コロナ危機の後で

 コロナ以後の社会が、色々と動き出している。この機会に、今までの弊害を修正すれば、V字回復の可能性がある。そこで、私なりのヒントを探してみた。一つの切り口は、

『テレワークの普及』

である。これは、事務所のスリム化などで、経営的な資産も軽くなってくる。但し、私はここにもう一つ、大きな問題の解決可能性を見ている。それは、

「就職氷河期などの若冲年の『引きこもり者』の社会活動への参画」

のハードルを下げる効果がある。自室から出なくても、IT技術で社会とつながる。仕事にもつながってくる。こうして、『引きこもり者』の社会復帰への道が開けるようになる。

 なお、就職氷河期のトラブルの根底には、親の世代の問題がある。彼らの

「良い大学を出て、大企業に勤める」

と言う単純な価値観で支配された子供が、

「一度挫折すると、社会から取り残されたと思う」

ことで引き困っている人も少なくない。

 コロナ危機で、色々なモノが混乱しているとき、従来の価値観を壊すこともできるから、この機会に引きこもり脱出できる人もいると思う。

2020年5月28日 (木)

テレワークの成功条件(持続可能性)

 新型コロナウイルスの影響で、テレワークが推進されている。この働き方は、現在のネット環境やIT技術を考えれば、しばらくは効果があると思う。ここで

「しばらくの効果」

と表現したことに注意してほしい。私の会社員生活は既に前世紀期が大部分だが、このテレワークに発生する問題点を、経験している。それは、

「関係部門への配慮不足」

という問題である。これは大きく分けて、パソコン画面やタブレット画面、極単にはスマホ画面の制約という一面と、組織の横などへの配慮不足などから発生するモノである。しかもこのトラブルは、

「世代交代してから発生する」
または
「まれなトラブル時に発生する」

傾向がある。通常上手く流れているときは、限られた範囲の情報伝達で良い。また色々な経験をした人間が、分散しているときには、それなりの配慮をする。現在なら、メールの写しを入れておくし、その写しに目を通すという配慮もあるだろう。

 しかし経験が無くなった世代が働き出すと、このような写しなどには反応しなくなる。

 こうした状況を考えると、テレワークの成功のためには以下の方策が必要ではないかと思う。

  1. 全体を見て交通整理を行う管理者スキルの育成
  2. 全体像を皆で共有する「物語(伝説)」やゲームなどの作成

2020年5月27日 (水)

アメリカからの人工呼吸器購入について

 安倍首相とトランプ大統領の間で、

「アメリカが作りすぎた人工呼吸器を日本画購入する」

という話がまとまったらしい。これについて、色々と批判をしている人がいる。

 しかし、大阪の吉村知事は、

「プレハブでも良いから人工呼吸器を備えたコロナICUセンターを秋までに作る」

と大号令をかけている。ここで、格安の人工呼吸器が手に入れば、これは一つのコロナ中等症対策センターの設備として、立派に使えると思う。

 さて、今回議論したいことは、

「なぜ、安倍首相の話は悪意に捉えられて、吉村知事なら英断と言われるのか?」

という問題である。これには大きく分けて二つの要因がある。一つは国政と、地方自治の首長の違いである。国政においては、与党内においても、トップの足を引っ張る人間は少なくない。ましてや批判ばかりの野党や知識人は多くいる。しかし、地方の首長に対しては、よくやっている限りは批判がしがたい空気が生まれる。実際地域の住民としての直接の意見が飛び交う世界で、大阪モデルの成功を見ている以上、批判すると石が飛んでくる世界になっている。これは地方議会のオール与党体制とも絡んでいる。(なお大阪には、自民党という抵抗勢力が少しいる)

 しかし、もっと大事なことは

「安倍首相の人徳のなさ、胡散臭さ」
「吉村知事の明確なる情報公開と説明」

ではないかと思う。なおここで、安倍首相自身の問題と言うより、周辺にいる人罪の問題である。どうも安倍首相の政策には、お友達優遇のうさんくさい匂いがする。このような不明瞭な話は、昔なら文相にできないので表現されなかったが、SNS時代なら色々と反射的に

「うさんくさい」

と意思表示ができるようになったと思う。維新の政策には、このような

「明確な文にならない民意」

を拾い上げる力があるように思う。

2020年5月18日 (月)

本を読むということに関しての議論 その1

 Twitter上でちょっと気になる話があったので、少し突っ込んでみたい。

塾で教えていて、わりと衝撃的だったことの一つが「国語の教科書以外で、まとまった文章を読んだことがない子」の存在を、リアルに目の当たりにしたときのことだ。

この議論は、まだ色々と展開しているが、今回はメディア論の立場で、この問題について考えてみたい。なお、このブログではメディアの議論になるので、『本』という形で議論するが、元のTwitter上の話は、本にこだわっていないことをあらかじめ断っておく。

 一つ目の論点は、本による情報伝達や、教育は絶体的なモノではないという議論である。これは、現在の日本では『教科書』の存在を、当然と考えていることへの批判である。例えば、グーテンベルグ革命以前の西洋では、本は貴重品であり、庶民の手に入るものではなかった。また江戸時代の庶民を考えても、限られた手習い手本を写す、四書五経の素読をするという方法で学んでいた。

 そのような状況では、口頭での伝承の比重が多かった。

 二つ目の論点は、現在のメディア状況を考えると、文章以外での教育や体験ができるのではないかという議論である。明治から、昭和の時代までなら、活字による伝承の力は大きかった。そこでは、本をしっかり読みこむことで、人の考え方の多様性なども学んでいく必要があった。しかし、現在のようなメディアの多様化が実現したとき、本に頼るべきであろうか?それ以外で伝える方法があると思う。

 例えば、人間の考えの多様性、行動の影響で、人がどのように感じるか?これらは、映像・音声の総合的なメディアで伝える方法がある。更にゲームの世界でのシミュレーションもある。このような育成もあるのではないかと思う。

 もっと言えば、本においても、文字情報だけでなく、漫画なども活用すべきだと思う。一人の人物を想像する時、具体的な絵で与えられた場合に、人物としての具体化や、多面性が生きてくると思う。

 これを見て思ったことは、空海が日本に密教の色々な法具や曼荼羅を持ち帰ったとき、多様なメディアによる布教を実現した。今このような変革期ではないかと思う。

2020年5月16日 (土)

魂のこもる言葉とは

 先日から、橋下徹氏のYouTubeによる検察定年延長についての議論を聞いている。

 そこで大事な話と思ったのが

「官僚達が持ってくる案の中に、抽象的な話しかないものは、彼らが気乗りしていないモノである。」

という指摘である。

 これは、大事な指摘だと思う。これと関連して、山本七平(イザヤ・ベンダサン)が、「日本教について」の中で、「松川裁判と証言」や「広津氏の四原則」という議論で述べている、

情景の記述が明確に脳裏に再現できないモノは、信憑性が疑われる

という発想とも通じる。

 つまり

自分の体験等の具体的なモノがなく、抽象的な概念だけの議論は危ない

である。

 これは、私も自分で文章を書いていて、自分の体験に裏付けられたモノは強い言葉になるが、何となく受け売りの理論は空回りすると言うことで納得してしまう。抽象的な概念でも、それを実行する人物像を生み出せば、納得するようになる。

 このように考えると、『言霊』の概念も、井沢元彦流の空回りではなく、本当に魂を持った言葉の力ではないかと思う。

 『日本教』の皆の智慧を信じる立場なら、

魂のこもった言葉は皆に届く

という信念があるように思う。

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