ご縁のあった人たち

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2020年11月23日 (月)

いわゆる「Goto~~」について考えるべきコト

 政府の「Goto~~」については、色々な議論がある。しかしながら、この議論の前提とすべき情報が漏れているように思う。それは、

「コロナでの死亡者の総計は二千人」
であるが
「十月一ヶ月の自殺者は二千人を超えている」

と言う状況である。自殺者の原因の内訳が明確になっていないが、コロナによる経済状況逼迫が影響している人が、少なからずいるだろう。控えめに考えて一割としても、コロナでの病死者に匹敵する数になる。(コロナの病死者は二月からの集計)

 このような状況では、景気対策も重要という議論は、しっかり行わないと行けない。

 ここで、橋下徹元大阪府知事が

「問題があったのは名前。Go Toキャンペーンは今の時期良くない」と名称に苦言。「やっぱり、助け合い、頑張ろう事業とか、もうちょっと地味な、ウキウキした、浮かれたような名前を付ければいいのに、なんでこんな名前になっちゃったのか。コロナが収束した後はGo Toキャンペーンでいいけど…コロナが収束していない状況を見越し、もうちょっと違う名前をつけておけば、状況も違ったと思う」

と言う議論を展開している。

橋下徹氏 「Go To」の名称に苦言「もうちょっと違う名前をつけておけば」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 私はこの意見は、一理あるが

自殺対策としてなら、『Goto~~』表現はある

と考えている。

 理由は、

「引きこもって心が暗くなる場合には、『外に出る』ことが効果がある」

と考えるからである。

 実は私自身、現在は自己免疫疾患(難病)治療のため、ステロイドと免疫抑制剤の投与を受けているので、外出は控えるようにしている。ネットでのお付き合いなどがあるから救われているが、このような状況でこもっていると、ストレスが貯まり、メンタル的に参りそうに思う。

 このような側面も考えて、”Goto”はありだと思う。

2020年11月11日 (水)

会社の存続という問題

 米国では、

「会社が潰れることはよいことだ」

と言う発想がある。この主旨をもう少し説明すると

「時代に適合しない会社が、人材を抱え込むことを避けて、成長分野に人材を回せる」

と言う発想で

「会社が潰れることはよい」

と表現している。確かにこの話の実例として、太平洋戦争の真珠湾攻撃の裏話がある。

「日本海軍の真珠湾攻撃で、米国は旧式戦艦を多く失った。その結果、その戦艦に乗るべき人材を、新しい空母などに有効活用できた。一方、日本海軍は、大和と武蔵の巨大戦艦が最後まで残ったため、有能な人材を、大和や武蔵に縛り付けられたので、実戦での活躍ができなかった。」

この事例が示すように、旧来の組織が残ることで、資源の無駄遣いになる可能性はある。

 しかしながら、私たち日本人は、会社の存続と言うことの重みも知っている。よい実例が任天堂である。私は戦後の昭和からの人間なので以下の変遷を知っている。

  1. 昭和の30年代ぐらいまでは、たばこ屋で「任天堂の花札」を売っていた
  2. 昭和の30年代には、ディズニートランプを、トランプマジックの番組で上手く売り込んだ
  3. 昭和50年代からテレビゲーム機
  4. 昭和60年代からファミリーコンピュータ

等のすさまじい変化を遂げて、現在も生き残っている。この会社は

「遊びと言うことの専門の会社」

と言う「芯になるもの」を大切にしながら、色々と適合し成長している。このような、会社を残すよい面も知っておくべきだろう。

2020年11月 2日 (月)

マスメディアの安全策が本当に善いのか?

 昨日の読売テレビの、「そこまで言って委員会NP」で、考えるべき意見があったので、忘れないうちに書いておく。それは、

「マスメディアが安全策をとって報道しないことによる弊害」

と言う問題である。

 最初に出てきた話は、

「コロナ対策のための不況によって、多くの自殺者が出ている。」
しかしながら
「自殺に関する報道は追従者の可能性があるのでできるだけ控えるようになっている」

と言う状況で、マスメディアの報道は

「コロナ対策による自粛や行動制限のみ」

になっている。このような情報を与えられれば、多くの人たちは外出を控え、その結果消費も控え、景気が悪くなって倒産や失業が増える。そのために自殺等の報道は抑えられている。

 確かに自殺の報道は難しいモノがあり、個人の情報に配慮して、統計的なデータを出すだけでも、

「それほどいるなら自分も」

と追従者が出かねないと言う危険性はある。しかしながら、それでも現状を正確に示すことは、マスメディアの使命だと思う。

 さて、もう一つはカルト宗教に関する話であった。これは、司会の辛坊治郎氏が実体験を踏まえた話で言っていたが、

「一見神秘体験と思い込むこともあり得る」
と知らせるだけで
「カルト宗教の勧誘に対する免疫を付ける効果がある」

と言う指摘である。これも鋭い指摘だと思う。例えば

「座禅の姿勢のまま、数センチ飛び上がるだけでも大変な力がいる」
(並の人間にはできない)

であり、少し座ってみた人間は、数センチ飛び上がるのを見て感心するかも知れない。しかし、明治時代からの各種の呼吸法の話を知っている人間は、

「そのような飛び上がる例は少なくない」

と冷静に流すことができる。更に、このような結跏趺坐から跳ねると、着地の時に尾てい骨に刺激を与える。この刺激で、

「光のようなモノを見他と感じる現象は起こることがある」

と言う知識を持っていれば、カルト宗教の勧誘時に、

「ここでしかできない神秘体験」

と言われても、

「他でもある話」

と冷静に流すことができるだろう。この問題も、

「神秘体験は触れてはいけない」

とメディアが逃げずに向かうべきではないかと思う。

2020年10月20日 (火)

短い文章でのコミュニケーションについて

 世の中では、SNS等の短い文章でのコミュニケーションが普及している。このような情報は

「断片的!深い理解がない」

と、否定的な見方をする。「有識者」が少なくない。

 しかし、昨日書いた空海の著作などを読むと

「経典の一句の抜き出し」

で、その経典の本質を描いている。空海だけでなく、日本で生まれた「稲荷心経」や「十句観音経」も、他のお経の抜き出しが多くある。このような抜粋したモノで、本質を伝える発想は、SNSでの短い文章による情報伝達に通じるモノがあると思う。

 一方、西洋文明の学び方には、

「抽象化してまとめる」

発想がある。これを、SNSの上で行うと、抽象的な議論や、スローガンだけの暴走になってしまう。

 本来、共有的な基本情報が存在し、その上での断片を伝えることで、新たな見方を導く。これが、短文でのコミュニケーションではないかと思う。また別の見方では、両論対立の時などには、片方の証拠を提示するのは、短い情報提供でよいのかも知れない。

 俳句や禅問答の短いやりとりは、このような読み手が意識できていない、モヤモヤとした情報を、刺激によって整理し体系化させる。これが一つの悟りになる。

 SNSの短文情報交換も、このような見方で観ると、西洋文明と日本教の違いが出てくる。

2020年10月19日 (月)

空海の学び方と西洋文明的学習法

 先日から、弘法大師空海の著書を読んでいる。私ごときが理解できたとは言いがたいが、私たちが今まで身につけてきた、西洋文明的な学習法とは、全く別の学び方が見えてきた。

 空海には、密教が完全に体に入っている。つまり、お経を読む場合にも、そのお経を説いた仏様になりきって、自分のモノとして解説するような読み方になる。このような読み方は、私たちが西洋文明的な発想で教えられた、教科書を読み理解していくという発想とは違ったモノが見えてくる。

 例えば、般若心経を読む場合にも、唯識や華厳等の今までの教えが詰まった上に、密教的な呪法の解釈と説明している。このような体験型の読み方は、密教体系が完成した後から修行した成果でもあったと思う。既に全体像ができている、それを自分のモノとして、体得した上で発言する。

 このような空海の勉強法は、梵語を習得した体験も、影響しているのではないかと思う。文字の体系が座りよく構成されている。これは全体を見通した上で解る。その上で、個別の文字が、その位置にある必然性のようなモノが見えてくる。こうした経験があるから

  一見阿字 五逆消滅 即身成仏 真言得果

と言う、一文字を観ただけで、全てが悟れるという境地になるのではないかと思った。

 この話と、Twitterなどの短い文字でのコミュニケーション可能性に関しても、もう少し考えていきたい。

2020年10月 4日 (日)

政治家の発言は大衆にも支持される論理的な展開であってほしい

 杉田水脈議員の発言が、色々と物議を醸し出している。

 https://www.j-cast.com/2020/10/02395817.html  

現状では、彼女の言わんとすることが、きちんと伝わっていないのは確かである。

 この問題は、現在の政治家とマスメディアの両方に、罪があると思う。私の主張は

政治家もマスメディアも、一般大衆の納得する、きちんとした論理展開を示すべき!

である。

 例えば、今回の杉田発言に関しても、

  1. 一般原則として
    「事件の当事者の片方から一方的な主張を受け入れると間違う危険性がある」
  2. 事例その一
    「痴漢えん罪」
  3. 事例その二
    「強制性交事件の加害者側が『同意の上』と主張する」
  4. 事例その三
    「韓国の慰安婦に関する主張」

と言う風に、一般論と具体例を整理して展開する。特に、具体例を多様に展開するコトで、視点の偏りを予防する。

 これぐらいの配慮を、政治家の発言には求めたい。ワンフレーズ政治だけでは、大衆の納得の上での支持を得ることは難しい。

2020年10月 3日 (土)

心があたたくなる冊子

 このブログでも紹介している、
   「子育てママさん応援カウンセラー春木めぐみさん」
が、素敵な小冊子を作っている。

 春木さんのブログはこちら↓

   https://ameblo.jp/cocotane-blog/

 メルマガはこちら↓   

 

 さて、小冊子の内容は、美しい花を育てる、言葉の力が美味くまとまっている。

 ワークの内容もきちんとしているし、絵も楽しく暖かくなる。

 春木さんの人柄が伝わってくる、楽しい本です。 

2020年9月29日 (火)

日本の権力はどこにあるか? ー無責任な権力の怖さー

 今朝の朝日新聞を見て、相変わらずの安倍前首相批判の文体だと思った。そこで、少し考えてみたが、

「前首相の病状悪化の原因の一つは心労である。」
そこまで追い込んだのは誰か?
「野党勢力にはそこまでの力はない」
「まだ朝日新聞等の大新聞の方が力がある」

と言う事態が見えてきた。ただし、私が怖いと思うことは、新聞などのまずメディアの多くは

「自分が保有している権力に足して自覚がない」
つまり
「政府の権力にいじめられている弱者の格好をしている」

と言う状況が問題ではないかと思う。昔、大阪府の知事・市長であった、H氏に対して、出自などの卑劣極まりない記事を書いたときに、彼が家族まで巻き込まれた事態に激怒し、記事差し止めを要求したら

「報道の自由が権力で阻害された」

と、

「弱者の振りして逃げようとした」

図式が、

「権力を持っている人間の自覚のなさ」

を示している。

 しかし、この問題を考えると、我が国の権力は本当にどこにあるのか、もう一度問い直すべきではないかと思う。私が思いつく候補は以下のようになった。

  1. 政府などの政治的権力
  2. マスコメディア
  3. 学者や知識人
  4. 企業(経営者?)
  5. 労働組合など
  6. 学校
  7. 世間

これらの権力関係者は、自覚がない者も少なくない。それどころか、

「弱者の格好をして攻撃する」

得意技を持つモノもいる。また、相互に絡み合って、お互いが支持し合うことで、強固になる例がある。例えば、

「知識人(学者)の意見が、マスメディアに載る」
これで
「マスメディアは自分の意見の裏付けと元気になって報道を増やす」
一方
「学者は大新聞が取り上げたと言うことで発言力を増す」

と言うような形で、自分たちで雪だるまを大きくしていく。このような現象が起こっている。

 伊藤は、山本七平流の「空気」に関して、「政治・マスメディア・世論」の3面の内、二極が同調したら「空気」が発生すると指摘した。

 この構造を多極化した現在社会の、SNSなど多様なるコミュニケーション環境で、もう少し考えるべきどとおもう。

http://www.mediacom.keio.ac.jp/publication/pdf2006/kiyou56/kojin/ito-yoichi.pdf

2020年9月24日 (木)

デジタル化が進まない理由の一つはコンテンツ重視の体質にあり

 日本のディジタル化は、諸国の中でも遅れているらしい。この理由に関して、色々な観点から議論がされているが、私は日本教的な体質から、少し意見を言っておく。まず、日本教の体質は

  1. 上からの命令だけで動かない
  2. 多くの人たちが納得すると一気に動く

という面がある。これが、西洋文明的な「契約で縛られた」、共産主義などの「独裁者の命令に従わせる」世界とは根本的に異なっている。西洋文明では、リーダーシップというかたちで「命令に従う契約」を結べば、いやいやでも仕事が進む。また中国でも、中央からの目入れに無理矢理従わせる形で、新技術の導入は速やかに行われる。ただし、定着するかは別問題である。腹の中で逆らうのは、どちらにもある。

 さて、もう一つ日本の体質として、

「組織内での蓄積重視」

がある。これは企業内教育なども関連し、今までの前例重視という事で、紙の資料が残っている限りはそれに縛られるコトが多い。

 これは逆に、ディジタル化したコンテンツが充実すると、一気に仕事が変化する事がある。

 ディジタル化を議論するなら、コンテンツの充実に関しても、しっかり考えるべきだと思う。

 

2020年9月23日 (水)

専門家と一般大衆の両方が満足する政治

 今回のコロナ危機の対応を見ても、専門家の意見と大衆の感覚に、ずれがあるような場合が多い。本来、専門家の意見を、総合的に見て判断するのは、政治の役割であるが、現在の政治にはこれが上手くできていないように思う。もう少し言えば、

「専門家の扱い方を政治家が理解していない」

為に、色々な問題が起こっている。

 さて、この問題に関して、本質的な理解をしているのが、元大阪府知事・大阪市長の橋下徹である。かれは

専門家の厳密な議論は大切にしないといけない。
しかし、全体的な判断は政治家が方向付けをしないといけない。
また、一般大衆が「言葉上手くいえないが不満を持っている」時にはそれを大事にしないといけない。

と、専門家・政治家そして一般大衆の関係を、きちんと考えている。ここで、専門家と一般大衆の感覚について、彼が昔ある番組で、裁判員裁判制度に関し発言したコメントが本質だと思う。

プロ裁判官や法律家は、罪の認定等の専門的な議論は、きちんとできる訓練を積んでいる。しかしながら、一般大衆の感覚も重要である。例えば、
「飲酒運転」
に対して、法律の専門家の議論なら
「酒の影響で判断力低下したから、故意ではない、従って減刑の理由になる」
という方向になるが、一般大衆の意見は
「飲酒して運転すること自体が厳罰にすべき」
であり、この感覚を大事にすべきである。そのため、裁判員制度で意見が出るのは望ましい。

このように、大衆の意見が方向付けて、専門家がそれを実現する。このような政治が必要ではないかと思う。

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