ご縁のあった人たち

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2021年3月 3日 (水)

勉強の理由を納得していく

 私たちは、

勉強しなければならない

と言う常識を持っている。しかし、この理由を考えたことが有るだろうか?言い換えると、

親や先生という『権威』からの押しつけ

ではない、自分の言葉で勉強の動機付けが有るだろうか?この問題を、少し考えて見た。

 勉強する一つ目の理由は、現在社会での学歴の価値である。確かに、学歴や資格の保有で、生涯の収入額が大きく変わってくる。学歴だけで、高収入という甘い考えではいけないが、それがないと門前払い、と言う経験はある。これは一つの動機付けになると思う。ただし、これは「試験の成績で決まる」モノが多い。しかし、学問で身につくモノはもっとあるのでは無いだろうか?

 学問の原点に戻ると、古代ギリシャの哲学者達が

生活を良くする

為に

本質を理解する力

を求めている。こうして

世の中に起こっていることの
本質を見抜いて賢く生活する力

を身に付けるという目標を、もう一度考えるべきではないか?現在、SNS上の多様な情報に惑わされる人が多い。この対策としても、

論理的に考えて真実を見抜く力

を学問を通じて習得するということが、学問の動機付けになると思う。

2021年3月 1日 (月)

社会科学に対するAI活用のアイデア

 日経BPで、コトラー教授のマーケティングの話があった。

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/20/00041/022200001/

彼の提案するマーケティング5.0は

「機械学習などを活用したモノ」

らしい。

 私は最初これを聞いて

「AIで市場の相関関係を見いだすぐらい」

と甘く見ていた。それなら

「しっかりした仮説を作り検証する力が必要」

なので、人間の力に依存する面が大きい。しかし、Q&Aを聞いていると

「AIで人間の行動モデルを作り市場の動きを見る」

と言う方向が見えた来た。これはとても大きなモノが出てくると思う。

 これで、社会科学においても,シミュレーションによる実験ができる、という可能性が拓かれた。これは、技術の世界で設計支援環境に組み込まれたシミュレーションのように、市場検討などでもシミュレーションの可能性を拓くモノである。

 従来も、「囚人のジレンマ問題」をコンピュータシミュレーションで解いた事例はあった。しかしそれは、専用ソフトでの対応である。現在のAI技術なら、汎用的な

「市場行動シミュレータ」

としての人間モデルができるだろう。更に言えば、コンピュータ将棋で行っているように、人間モデルが自動的に機械学習で成長することも可能になる。

 ここまで考えると、社会科学のシミュレーション的実験が、手軽に行えるようになると思う。

2021年2月28日 (日)

格差は乗り越えたが・・・

 東洋経済オンラインに「東大生の中の格差」の記事があった。

貧乏東大生が見た「金持ち東大生」との残酷格差 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 (toyokeizai.net)

 私は、東大生では無い(私の年は東大入試は無かった!)が、旧帝大で、ここに書いている様な状況は、経験している。まず経済面では、生活水準の違いを経験し他。例えば学食の安いどんぶりに対して

「お前が上手そうに食べているのを見て、一度食ったがこんなにまずいとは思わなかった」

と同級生に言われた。彼らは、生協のグリルでランチを食べていた。私にとっては、昼食を百円以下で抑えること外気のこりの手段であった。

 さらに、学問の世界でも、何人かの学生は、数式の展開を当然としてみている。私はその関係を理解しようとするが、ついて行けない。一方、参考書も効果で手が出ない。一般力学の講義は、ランダウの教科書が種本とはわかっているが、翻訳された本は高くて買えない。そこで、ロシア語の原本なら安く手に入るので、それを買って勉強したが、理解は難しかった。

 さて、私は親と姉に無理を言って、何とか修士課程まで終了し、その後メーカーに就職した。

 メーカー就職後も、勉強は続けた。特に、自分の金で好きな本が買えたことがうれしかった。

 こうして、基本となる本を色々と読んでいく内に、数学の本質などが見えてきた。なお時代の助けとして、ちくまの学芸文庫に、多くの古典的な教科書が翻訳された事も大きい。前に書いた、ランダウの物理学教科書も、ちくま学芸文庫から出ている。こうして、ランダウの物理学と、ファインマンの物理の教科書の両方を読むと、物理学という物が何となくわかってくる。

 このような経験から、登用経済の『残酷格差』は、少なくとも学問理解の上では乗り越えたと思う。

 しかし、そのために就職後の数十年を費やしたことも事実である。

 この体験から、

「格差は乗り越えられる」

と言い切って、多くの人に強制するのは善いのだろうか?可能性があるが、実行は難しい。

2021年2月26日 (金)

自分で教科書を書く効果

 昨日書いた「知識を体系化して納得し覚える」手段として、自分で教えるつもりで、資料を作ることは効果が大きい。

   納得して覚える: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 私は会社に入って、色々な物作りに携わった。そこで

「目的とする物作りのために、必要な知識な知識を体系化する」

必要性を感じた。こうして

「知識を目的に向けて整理する」

経験をすると、

「無駄な知識で無く必要十分阿知識の習得」

ができ、しかも知識が生きてくるようになった。

 さて、これを仕事以外での学問修得に使えないだろうか?

 私が出した答えは

「自分に講義するつもりで資料を整理する」

となった。

 考えてみれば、

「教科書やノートも『形あるモノ』」

である。このような、

「有形化したモノに収束させる」

効果は大きい。こうして一度書き出すと、後から色々な関連事項が見えてくる。それを書き込むことで知識が充実し、使いこなせるようになっていく。

 なお、ここで教科書の効用について、パワーポイントなどの資料との違いを指摘しておく。私も講義するときには、プレゼン用のソフトを使えば準備時間が短く済むので助かった。メモ的な書き込みもできるので、これで講義準備は十分と思ったときもあった。

 しかし、教科書として文章をまとめ、

「これだけで理解できるようにする」

と言う決意で書き込むと、一段と理解が深まってくる。

 やはり、知識を整理するためには、自分の教科書を作ることが有効だと思う。

2021年2月25日 (木)

納得して覚える

 記憶が定着する方法について、もう少し議論する。私の経験では、

本当に理解できた知識は自然に覚える

が基本である。そこで次のステップは

理解はどのように行うか

である。これに対して、

体系化してつながった知識

を持ったとき

「理解した!」

と言う感動体験が一つの答えになる。次の問題は、体系化をどのように実現するかである。私の経験では以下の3面がある。

  1. その知識の中での論理的な展開
  2. 他の理論知識との横の繋がり
  3. 現実例への縦の繋がり

このような3つの方向への広がりが、密なネットワーク化すると、納得することが多い。例えば、電磁気学の教科書を読むとき、その本の中では、Maxwellの方程式から、数学的な展開をみる。一方、力学などの関連分野との関連を見る、さらにアンテナの実現などで、現実との関連を見ていく。こうした、展開を自分の力でモデル化していくと、

納得した!

と言う感動体験を自分のモノとするだろう。

2021年2月24日 (水)

忘却の恐怖を克服

 私は、大学院生時代は、狭い分野を深く勉強していた。具体的には、人工知能の為のモデル化と、コンピュータプログラミングである。しかし、会社に入って仕事をすると、いやでも周辺分野に気を配らないといけない。当時は、マイクロプロセッサが動き出した時代で、

「マイクロプロセッサとは何か?」

と言う議論から入っていった。そこでは、ハードウエアの知識が必要になり、回路の知識、電子素材の知識など多様な分野の知識が必要になる。そのために、多くの本を読みあさった。これは、必要に駆られて行った面もあるが、純粋に自分の知識を増やしたい、と言う動機も大きかった。

 そこでは、一応ノートをとったり、重要部に線を引いたり、書き込んだりしたが、やはり理解不足で忘れることが多い。そこで

「忘れることへの不安」
「解らないことへの焦り」

が発生した。しかし、この勉強は学校の場合と異なり、決まった期限で終わりではない。仕事のための情報収集としての勉強は、期限があるが、その場合には

「目的達成のための情報収集」

であり

「自分の納得のための勉強」

と違うことが解ってきた。「自分のための勉強」では、時間をゆっくり取ることが可能であり『積読』のように、一旦手に負えない者は寝かしておく。特に

「覚えきれない者は忘れてもかまわない」

と割り切ることで、自分で学ぶことが楽になった。これに関連して、前に買った本を、後で読み返すと、納得がいって理解が深まる、このような体験も何度かしたので、

「解らないことでも、時間が解決する」

と思うようになった。

 会社の仕事でも、必要なことはメモに書き、それは忘れても良い。必要なときに調べて解るなら、忘れても良い。このような割り切るが、気持ちを楽にしたように思う。

2021年2月23日 (火)

丸暗記の功罪

 先般書いた、記憶に関する議論に関連して、私の昔の経験を少し書き残しておく。

 一つ目の体験は、大学院の受験に関連する話である。当時の私は、数学の理解に関して『納得の壁』を超えることができていなかった。そこで、電磁気学などの、『数学的な証明』が必要な分野では苦戦していた。しかし、これでは大学院の試験は通らない。そこで、最後の手段として、主要部分の証明で

「証明で出てくる数式を総て暗記する」

と言う方法で対処した。自力で数式を展開して、証明するのが本筋だが、数式の展開を理解するために、色々と調べていると結局解らなくなる。それより、証明の全過程を暗記した方が速い。このような邪道とも言える勉強法だった。しかしながら、この方式にも利点があり、

「証明の全体像が見えて来ると、その意味を考えることができる」

様になってきた。こうして、最後には

「電磁気学がある程度解った」

と言う段階になった。

 なお、この時

「記憶することを恐れてはいけない」

と言う、心理的な障壁を壊したことも大きいと思う。それまでの学校的価値観では

「理解が大切であり、丸暗記は邪道である」
「丸暗記依存になると、考える力が無くなる」

と言う風な『恐怖感』があった。これを、『覚えてしまえ』と振り払ったことが大きいと思う。見方を変えると、自分の心にある、覚えすぎに関する恐怖、つまり

「頭の力をこのようなことに使って善いのか?」

と言う不安に対して、自分の可能性を信じて

「人間の頭脳は90%は眠っている。だから少しぐらい暗記を増やしても邪魔にならない。」

と言う、『信念』が持てたことが大きかった。もっと言えば、

「できないという、心の中にある『リミッター』を外す」

ことが記憶力アップにつながっている。

(続く)

スマホ脳と記憶に関しての議論

 先日、「スマホ能」に関して少し書いたが、その後気になって、今話題の新潮新書「スマホ脳」アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳を読んでみた。

 精神科医が書いただけあって、体内の化学物質の働きなどもよくわかる。

 さて、この本の後ろの方に、

スマホに依存するために発生する記憶力低下

と言う指摘があった。このブログは、「勉強の方法」と問題を取り上げているので、この問題はきちんと向き合う必要があると思う。

 まず議論したいことは、

記憶力の低下と言うことが本当に悪いことか?

これは、人類の歴史を見れば

文字なし暗記の世界 -> 文字の出現 -> 紙への記述 -> 安価な紙の大衆への普及

と言う風に、暗記力依存から外部記憶である書き物への移行が、大きな流れになっている。ノートに記述することができる。その結果、記憶の負荷から解放される。これは、創造的思考を働かせるためには、有効な手段である。

 従って、一旦スマホなどの電子的手段に、思いつきなどを保存しておいたり、参考になると思ったことを、リンクだけお気に入りで保存したりすることは、積極的な面も評価すべきだと思う。

 私の体験でも、色々と思いついたことを、このブログに書くことで、電子的に保存できるので、ノート保存の本棚があいて助かっている。しかも、検索機能が充実しているから、色々と引き出すこともできる。

 このような、知的生産の補助という側面を考えて

スマホ脳を上手く育てる

発想が必要である。

 古事記や日本書紀を書き写した時に、記憶の達人に依存した伝承から解放された。このような進化を受け入れて私達は育ってきた。

2021年2月21日 (日)

いわゆる「スマホ脳」について

 スマホに依存することで

「脳が退化する」

と言う説があるらしい。この問題をもう少し踏み込んで考えてみた。

 まず、スマホに依存することでどのような弊害があるのだろう。一通りあげてみると

  1. 自分で考えずに答えを探す
  2. 検索もせずに人に聞く
  3. イイネの評価を求める(依存する)

等がある。

 これをもう少し深掘りすると

  1. 自力で考えない癖
  2. 他人に依存する癖

は、

  1. 正解で無いことに対する恐怖
  2. 自力で正解と言えない自信のなさ

によって起こっている。この原因をもう少し深掘りすると

学校で

「正解で無いと怒られる」
「教科書に書いていることを正解と信じる」

と言う躾の効果が大きい。教科書に書いていることを疑わない、従って自分で正しさを証明することも無い。これでは自信を持てるわけが無い。

 こうした、

学校教育への過剰適応

の延長に、スマホ脳がある。

2021年2月18日 (木)

「中退」に関して少し

 将棋の藤井二冠が、高校卒業を待たずに「中退」する。これがニュースになっているが、半世紀ほど前だと、このような「中退」は多く見受けたと思う。私は1973年に大学を卒業したが、当時から

「東大の法学部の学生は、上級の国家公務員試験に合格したら退学して公務員になる」

であった。従って、当時の国家公務員の学歴観は

東大中退 > 東大卒業 > 他の大学

という感じであった。

 しかし、現在は「中退」という言葉のイメージは、あまり良くない。

 この理由をもう少し考えてみた。私は以下の2点が大きいと思う。

  1. ギブアップでの中退が多い
  2. 学校で教えることが役に立っている

一つ目の、ギブアップ問題であるが、現在の社会では、色々なトラブルが発生したときに、引きこもる形で逃げる人が多くなっている。学校生活においての種々の挫折においても「中退」という形で逃げることが多くなっている。社会が、そのような逃げ方を認めている面もある。確かに、自殺と比べれば、「忠太してくれた方が」という発想は解る。

 一方、二つ目の方は、現在の学校教育が、現実世界で役立つ面がでている、と言う話である。これを電子回路で考えてみよう。1960年代なら、電子回路はトランジスタで組まれていることも多く、回路の設計や調整は「現場の経験」で行われる面が多かった。学校の教科書で書いている回路は参考、現実に動くモノは、現場で調整が必要であった。

 しかし現在の回路は、電子回路でも高集積の演算増幅器などでできていて、「教科書に書いている計算式どおりの性のがでる」状況にある。更に言えば、電気自動車等のモーターの制御には、複素関数の知識が必要であり、学校の知識がきちんとしていないと仕事ができなくなっている。

 文系でも、MBAの手法で経営を見るなど、色々と知識が役立つようになっている。

 このような時代の変化をもう少し考えてみたい。

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