2009年11月 8日 (日)

人間の評価について

 日経ビジネス・アソシエのHPに面白い記事があった。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20091030/192621/

 日本人の他人の評価と言うか、承認には2つの側面があるという発想である。

  1. 表の承認:優れた能力や業績を称える。個性を尊重する。
  2. 裏の承認:和や規律、秩序を守り、分をわきまえていること、奥ゆかしさを尊ぶ。

表の承認を簡単に言えば、成績である。現在は、これが強調されすぎているように思う。この理由として、今の日本を動かしている人たちに、表の承認を得てきた人が多いからと思う。特に、子どもの時代に大きな意味を持つ学校社会でも、『成績優秀者だった先生』に指導されている。彼らは、自分が『表の承認』を受けてきたから、承認を受けられない人間のことが良くわからない。更に、『裏の承認』の重要性が、判らない人も多い。表の承認を、端的に表すものが、『偏差値』である。
 しかし、世の中で物事を上手く行うためには、『裏の承認』がないと、人がついてこない。この裏側で、『対人スキル』重視などと言う表現がでている。これが、建前としての「客観的評価」と微妙に交錯しているため、混乱していると思う。昔、ある学生が、

「就職にも偏差値を導入して希望者評価をして欲しい」

などと発言していた。この発言には、『奥ゆかしさ』や、『分をわきまえる』という観点が見えない。
 さて、このような能力はどうして身につくのであろうか。少なくとも、ほかの人の考えを思いやる想像力を常に働かすことである。
 もう一つ、仏教の実践に、一つの智慧がある。お経のあと、

「願わくは、この功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」

と唱える。皆が良くなれば自分も良くなる、と言う発想である。これを毎日唱え、皆と共に良くなるということが自然と身に付ければ、裏の承認も得やすくなるであろう。

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2009年10月28日 (水)

日本語の力について

 日本語の力について、もう一度考えてみたい。現在の日本では、大学の教育でも、多くの教科書が日本語で書かれている。これは、学問に必要な概念が、日本語に備わっているからである。少なくとも、必要な定義を記述できるための、基本用語と文法がそろっていると言うことである。
 これは、当たり前のように思うかもしれないが、世界中では珍しい例である。明治時代の先人が苦労して、欧米の学問を日本語で記述できるように苦労した。これが一つの理由であろう。それでも、明治から昭和の戦後時代まで、学問の先端を身につけるためには、英語などの語学力が必須であった。
 しかし現在の学問は、かなりのレベルまで日本語で用が足りているように思う。
 ここで気になるのは、いわゆる論理的思考の違いである。日本語の論理では、共有感覚を母体にして、更に類推的な追体験での理解が働いている。これは、欧米語の記号的に確りした論理と本質的に異なる。
 ものづくりで、総合的なものは日本人が得意で、モジュラー化は米国が得意と言うのは、このような日本語の特性にもよると思う。

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2009年10月25日 (日)

何故コピペがいけないのか

 大学の先生が、

「学生が、レポートや論文を、コピー&ペーストで作り上げるのはけしからん」

と憤慨している話しを良く聞く。さて、ここで

「何故コピペがいけないのか」

と言う疑問にきちんと答えることができるであろうか?
 まず一つの観点は、著作権の問題である。確かに著作権を放棄していない情報を、著者の許可なしに使うのは、法的違反である。しかし、インターネット上には、コピーレフトと言うことで、コピーフリーの作品も多くある。この場合のコピーについて、著作権で拒絶するのは難しい。(もっとも用途限定を超える場合はある)
 次に、先生方が

「学生のオリジナルな意見」

と限定した出題なら、これは条件違反である。しかし、実際は、レポートにも正解範囲があり、本当のオリジナルと言うことは難しい。

 私の意見で、コピペが悪いのは、

「学生が本当に鍛えないといけない能力の訓練が出来なくなる

からである。学生時代に鍛えるべき能力は、適切な前提を選んで、理論的に推論または論証して、結論を得る。そして、その結論を、現実での経験に照らし合わせて、検証する。特に、前提として選ぶべきことは、一般的な原理が望ましい。
 こうして、学生時代に学んだ知識を現実に適用し、しかも適用限界にあわせて修正する能力が、就職後も生きる重要な力である。
 この訓練を行う機会を、コピペでは失ってしまうのである。

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2009年10月21日 (水)

40歳以上の理系社員が危ない

 先日「『文系・大卒・30歳以上』がクビになる」と言う本を読んでみた。確かに、事務系のホワイトカラーの仕事は、本当に必要か見直すべきであろう。そこで見直した結果、余剰人員が発生することになる。このブログでも、前に書いたが、

「総合職の値打ちを出せ」

と言うことを、入社後も常に考えて、実力を蓄えないと後々後悔することになりそうだ。
 さて、ここで理系の人間については触れていない。著者は、理系の人間は、設計や生産技術など、ものづくりに直結しているので、まだ会社への貢献度があり、リストラされにくいと、考えているらしい。
 しかし、私が思うに、理系でも継続して力を磨いていないと、40歳ぐらいで技術革新による新技術に、ついていけなくなる可能性がある。旧式技術に執着している、理系人間もこの本が書いている、文系人間より危ないと思う。
 そうならないように、学生時代に基礎教養を確り身につけ、入社後も自己研鑽を勤め、新技術追従に勤めるか、管理職になるような経営のセンスを磨くべきであろう。

「文系・大卒・30歳以上」がクビになる―大失業時代を生き抜く発想法 (新潮新書) 「文系・大卒・30歳以上」がクビになる―大失業時代を生き抜く発想法 (新潮新書)

著者:深田 和範
販売元:新潮社
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2009年10月16日 (金)

論理的と言うことについて(補足)

 昨日の続きで、論理的な考えについてもう少し踏み込んでみたい。まず、相互の共感を基盤とする発想は、脳科学の面からもある程度支持がある。詳細は、「ミラーニューロンの発見」を見て欲しい。
 次に、機能面での動きの追跡と言うことは、思考実験でも使っている手法である。ただし、機能的な動きを真似る時には、何処まで現実で一致するかを、きちんと批判的に見ないといけない。そのためには、一つの手法が何処までも使えると信じる、独断論の世界を経験し、次にその効果を懐疑する。そして、その効果範囲を正しく批判する。このような、冷静な見方が必要である。
 さて、論理的な文章の訓練として、一つ思いついたことがある。それは思考実験のレポート作成である。普通の実験のように、思考実験を行いその結果をレポートに書く。そして、これを一般的な法則から演繹的に導いて説明する。次に、現実例から帰納的に同様な結果が導かれることを検証する。さらに、反対の場合も検討し、結果を何処まで一般化できるか、確り批判を行う。また、結果の検証手段を明確にしておくことは、過度の一般化で誤解に落ちた時、引き返すための良い判定手段となる。
 このような発想はいかがであろうか?

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice) ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)

著者:マルコ イアコボーニ
販売元:早川書房
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2009年10月15日 (木)

論理的な文章について再考

 昨日の現代文の参考書から、もう一度論理的な文章の意味を考えてみた。私の今までの経験では、論理的な文章は、必要な概念の定義がきちんとしてあり、一般的な法則などから、具体的なことがらを導き出す、演繹的な展開か、多数の事例から、共通的なものを導き出す、帰納的な展開を行っている。しかし、言語の基本機能に立ち返れば、書き手と読み手の間に、間違いのないコミュニケーションが成立すれば、十分目的を達成していることになる。
 そこで考えると、読み手が書き手の心情を思いやり、シミュレーションすることが出来れば、十分目的は達成できている。さらに、ある程度の範囲の人材が読んだ場合に、共通の結果になる場合には、客観的な有用性もある。つまり、広い意味での『論理性』を満たしていることになる。
 狭い意味の三段論法など、西洋文明で示された『論理』にこだわらず、本質に戻って考えてみたい。ただし、西洋論理の形式は、比較的習得しやすく、記述しやすいことは、確かである。実用的なものとして、訓練してみればよい。

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2009年10月14日 (水)

現代文の勉強について

 伝説の大学受験国語参考書と言う評判の本を見た。(読んだとはとてもいえないので、『見た』と表現した。原本は1959の刊行)
 確かに、現代文の解釈について、

論の展開を正確に「追跡」して論旨を把握すること。

と言う方針は、同感である。そのための例題を、選りすぐり、260ページに収めたことも立派だと思う。この本の例題をきちんと行えば、現代文の読解能力は、かなり強化されると思う。
 但し、2つ気に入らない点がある。一つは、「事実」と「意見」の分離が出来ていない。この本で取り上げている、論理的な文章は、ほとんが意見であり、一部のその証拠があるにすぎない。本当に論理的な議論を身につけるためには、事実とそれに対する意見を、きちんと分別することが重要だと思う。
 そしてもう一つは、近代思想の啓蒙書と言う性質を、併せ持っている点である。国語の読解と言うのは、それだけで重要なスキルであり、それ単独で身につけるものと思う。中途半端に価値観が絡んで文章を選別することは、冷静に情報を読み取る能力を疎外すると思う。
 しかし、国語能力を訓練するには、良い本だと思う。

新釈 現代文 (ちくま学芸文庫) 新釈 現代文 (ちくま学芸文庫)

著者:高田 瑞穂
販売元:筑摩書房
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2009年10月11日 (日)

日本における"技術"の役割

 日本語の"技術"と言う言葉には、英語で言うと2つの訳語があるらしい。
  1)Mechanical Art:器械技 Liberal Art:上品芸=芸術と対比して使う
   2)Technology
これに対して、誤解を招く不幸なことだと言う大学の先生がいる。確かに、テクノロジーは、『論理』を伴った『発見への働きかけ』と言う意味がある。ある人は、

「技術は露にするものである」

と表現している。一方、アートと言う意味には、『技』と言う意味合いがあり、言葉で表現できない要素を含んでいる。これはテクノロジーとは、相容れない概念である。しかし物を作る場合には、現実世界の複雑さに対して、数式だけでは及ばない部分がある。そのような部分を経験等の、『言葉で表せない智慧』で対応しているのが、工業製品つくりの現場である。ある人はこれを『暗黙知』と称している。特に、日本のものづくりの現場では、このような『智慧』を上手く活用して、『擦り合わせ』のもの作りを行っている。
 このように考えると、"技術"の訳語に2つの意味を交わらせたのは、日本のものづくりの知恵ではないかと思う。

<参考>笠原正雄「情報技術に向かう姿勢・その基本」電子情報通信学会誌平成21年10月Vol.92№.10 p886~p892

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2009年10月10日 (土)

大学からの調査について

 光市事件の実名出版について、是非の議論が色々ある。この事件自体について私は詳しく読んでいないのでコメントできないが、関連したことを一言述べたい。
 今回の著者は、『大学職員』と言う、少なくとも一般市民に対して、権威を持った働きかけができる立場である。私も覚えがあるが、一方的に家や勤務先に、

 「研究のために必要だから調査に協力してください」

と言う文書が、送りつけられてくることがある。このような文書を受け取ると、協力しないと何か追及されそうな、気がする。特に、団塊の世代で大学紛争時の糾弾を経験している身には、『進歩的知識人』の追求には今でも恐怖心を覚える。テレビでよく出ている、T教授や書籍で有名なU教授の追及を受けるような恐怖を感じてしまい、協力しないといけないのでは考えてしまう。
 「研究のため」と言う言葉に、一般人には、このようなプレッシャーをかけているということも、知っておいて欲しい。

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2009年10月 7日 (水)

三段論法についてもう少し

 現在のような、インターネットによる知識入手機会が増えた場合には、従来のように単に知っていると言うことの優位が無くなって来た。その代わりに、必要な知識を使えるようにすることが重要になってきた。
 これを、三段論法の図式で考えてみよう。従来の「知っている」と言う話しは、大前提を、持っているということになる。他の人が知らない大前提の存在が、優位性となっている。現状に対し、大前提を適用するように、小前提を作っていく。これが、知識ある人間の推論となる。
 しかし、現在は、多くの一般論が溢れている。つまり大前提過剰である。従って、現状の記述である、小前提の部分に当てはめる、大前提の発見が重要である。ここでは、どのように概念を抽象化するか検討することが重要である。
 現在の知的労働者は、このような仕事が必要ではと思う。

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2つの三段論法

 理性的な論理展開の道具として、三段論法がある。これは以下の様な構図をもつ。

[大前提]人間は死ぬものである。
[小前提]ソクラテスは人間である。
ーーーーーーーーーーーーーーー
[結論] ソクラテスは死ぬ。

 つまり一般論を大前提として、個別の事例を小前提として、当てはまるかを推論するものである。これは、大前提に含まれていることを、個別の現実に当てはめるので、分析的な推論と言う。これは、実質情報が増えるのでなく、大前提に含まれていることを、明らかにしている。
 一方、小前提と大前提のつながりが、普通の人間には思いつかないことなら、綜合的な推論となる。創造的になる為には、綜合的な推論を使う必要がある。

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2009年10月 4日 (日)

ボルトの錆について

 今朝のNHKテレビの『ルソンの壺』で、錆ないボルトを取り上げていた。確かに、鉄のボルトが錆びたため、強度が低下した事故の例は多くある。
 しかしながら、表面だけの錆びは、ボルトとナットの結合を強くしていることもある。
 一面だけの見方でよいだろうか?

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2009年9月28日 (月)

カントが今の時代にいたら

 今カントの「純粋理性批判」を理解しようと苦労している。そこでは、
  ・理性・・・知識による推論(前提を探す必要がある)
  ・悟性・・・記号的・形式的な推論
  ・感性・・・現実との対応
の3種類の機能を分けて考えている。ここで感性は、現実から直接「感じる」ものである。次の悟性は、形式的にきちんとした「論理的な推論」である。そして、理性は、概念に対する「三段論法」での推論である。
 さて、カントの時代では、あまり出版等の力もなく、理性での推論の前提になる知識が、少なかったと思う。
 しかし現在では、インターネットの上で多くの情報が溢れている。従って、理性のレベルでの、前提が溢れているように思う。そのような状況での推論は、正しそうなものを上手に選ぶことが大切だと思う。

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2009年9月24日 (木)

数学の使い方

 金融工学の話しを聞くたびに、『数学に使われてはいけない』と思う。数学は、単なる道具であり、『適切な前提から、結果を得る』ために使うべきである。しかし、数学の道具としての強力さは、的中した時に大きく印象付ける。そして、その力に溺れて、適用範囲があると言うことを、忘れてしまう。数学は、強力道具であるが故に、確り制御して使わないといけない。
 これは、カントが「純粋理性批判」で、述べたことだが、今でも数学に惑わされている人が多いように思う。

純粋理性批判 下    岩波文庫 青 625-5 純粋理性批判 下    岩波文庫 青 625-5

著者:カント
販売元:岩波書店
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2009年9月22日 (火)

部分情報から全体を知るために

 よく言われている、「一を聞いて十を知る」はどうしたら実現できるだろうか?これは、事前の準備と言うか、悩みがあるから成立することである。ここで、適切な悩みと言うか、問題設定を行えば、情報を効果的に使えるようになる。まずどのよう現象が起るか考えてみたい。
 (1)確認する効果・・・不安を除く効果
    自分のおぼろげな考えを、一つの実例で後押しする。
    経験的に行ってきたことを説明する理論との出会い。
 (2)破壊する効果・・・今までのモノを壊す
    今までの先入観を壊す強烈な反例との出会い。

 (3)類推を与える・・・全体像が見えないときに有効
    全体的な構造や、新たな関連項目を思いつく。

 (4)三段論法の利用
 (4-1)前提条件を探す
    実例の中から、前提にある条件を見出す。
 (4-2)中間項を探す
    一般論に当てはまる、現実のものを見出す。

このような情報を求める疑問を出し、探すことで、
  「判った」
と言う体験をすることができる。  

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日米論文生産方式の比較

 ネット上を探していたら、日本の経営学が世界に向けて発信する力は、アメリカに負けていると言う意見があった。
http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2006/20060918/1150/
 この中で、

「アメリカの研究世界は、論文作成もモジュラー化している。」

と言う話が面白い。確かに、日本の経営学研究は、今までの前提を覆すようなものも多く、翻意しないと理解してもらえないようなものが多い。そういう意味では、『インテグラル』な研究である。この場合、大先生の成果発表は出来ても、若手の研究が育つ機会は少ないよう。
 一方、アメリカの研究は、大方針に従った中で、部分的な成果を積む『モジュラー』な形で若手を鍛えている。ポランニーの『暗黙知の次元』にもあるが、研究者としての出発点は、『身の丈にあった問題を解く』ことからはじめるのが、入りやすいと思う。特に、アメリカの研究者は、小さな問題を解く過程で、方法論をきちんと教え込まれている。
 しかし、日本の経営学は、現場の意見は謙虚に吸い上げているように思う。現場の意見は、論文のレベルまでは整理されていないが、擦り合わせに活かせば、大きなものを生む力がある。米国の良い所を取り入れると共に、日本の良さも残して、『日本式経営学』を育てて欲しい。

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2009年9月21日 (月)

努力を見せないといけなくなった

 昨日のNHKスペシャルでは、「ON(王・長嶋)」について、取り上げていた。特に、天才と言われた長嶋選手が、人に見えないところで、必死の努力をしていたことを伝えていた。当時の長嶋=天才というイメージは、マスコミも含めて作り上げたものであった。そしてそれに答えるために、隠れたところで必死の練習をする。一方、見ているファンの方も、長嶋先週の努力についても薄々は知っていた。しかし、天才と言うことを受け入れていた。
 しかし現在は、

 プロとアマの境目がはっきりしなくなった時代でもある。まれにすごいことを、さりげなくやってみせる人たちがいる。そういうひとこそ不世出の天才というものなのだろうが、天才でないことをわきまえた昔の並のプロは、見た目からまずガツンと威嚇してみせてきたのだろう。

 しかし、いまは謙虚にしていたんでは、だれも陰の「努力」に目をむけない時代なんだと紳助さんは言いたかったのかもしれない。

である。(日経BP社のHPから引用)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/?P=2

天才を認めにくい世界になってきたのが、本当の天才が生まれにくく、ブレークスルーが少なくなった要因ではと思う。

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2009年9月15日 (火)

正しい日本語とは?

 日本語の常識が、失われていると言う話しを聞く。確かに、故事を踏まえた言葉の、真意を伝えない用法が多くなっている。これは、日本語の連想機能が豊富と言う一面も、関係していると思う。これについては、別途議論したいが、今回は、『正しい日本語』とは何かを考えてみたい。
 正しい言語の候補には、大きく分けて2つの方向がある。一つは、完全に変えず、従来のままを堅持する方法である。このような発想は、学校教育などで制御している、フランス語が一例である。もう一つは、多くの人が使っているものが正しいと言う発想である。この発想は、アメリカ英語である。
 さて、日本語はどちらであろうか?結構無節操に外国語を取り込むので、完全に変えないと言う思想は難しい。しかし学校で評価して、正しいと言うことを強制しているのは、変化を拒否する方向である。
 こう考えると、正しい日本語と言うものにも、難しいものがある。

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2009年9月14日 (月)

希望の格差

 先ほどのNHKの番組で『希望』について、取り上げていた。そこで気になったのは、

「高学歴者ほど、希望を持ち、低学歴の場合は、希望が持てない。」

と言う調査結果である。これは、本当に正しいのであろうか。確かに高学歴で成功した人間いは、希望があるだろう。しかし、高学歴者の失敗者は、かなり惨めなものであるし、復活能力も低いように思う。
 それは、さておき、低学歴者は、本当に希望を持っていないのであろうか。大学の先生の質問に答えて、上手に希望を言えないだけでなないのではなかろうか。特に、希望と言うと、かっこようくしゃべらないといけないと言う事で、答えられなくなっているのではなかろうか?
特に今までの学校社会では、成績優秀者を目的とした仕組みになっている。成績がそれほどでない場合に自分のやりたいことなど、いえなくなる雰囲気があったのではないか。
 このような観点で、いわゆる『希望の格差』についても考えてみた。 

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努力を継続する条件

 イチロー選手が、9年連続200本安打の新記録を達成した。彼の成功要因の一つは、地道な努力を続けた、常時の改善である。
 このような努力が続く条件を少し考えてみた。まず第一は、微妙な進歩を敏感に感じる力である。努力を続けるためには、自分の努力が、有効であると言う信念を維持できないといけない。その為に、細かい進歩が自分で評価できれば、成果を確認して努力を続けることができる。
 第二には、大きな目標設定の力である。一つの目標が達成すれば、直ぐに満足してしまうようでは、大きなことが出来ない。今得たものに満足せず、少し上の目標を次に設定する。これが大切である。
 このような、能力開発の基本がおろそかにされているのではないか。

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2009年9月13日 (日)

「見えない大学」への入学

 前に書いたが、研究者として、認められると言う為には、あるレベルより上の能力が必要である。これをある人は、「見えない大学への入学を許される」と表現している。
 このニュアンスは、単純に伝えることは難しいので、一つのシミュレーション・ストーリを作ってみた。まず準備段階はここ、
 http://homepage3.nifty.com/manabizz/KdaiBenkyou1.pdf
次に、認められる瞬間は、下の5~6ページに書いている。
 http://homepage3.nifty.com/manabizz/KdaiBenkyou2.pdf

なお、この話しは、前に話題になった本を踏まえたものである。(パロディにしてはまじめだが?)

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2009年9月12日 (土)

Web時代の大学のあるべく姿

 前の記事に続いて、日経BP社の「イノベーション雑記帳」から刺激を受けた内容を書きたい。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090911/175158/

 Web時代の大学の位置付けについて、この記事で書いていたが、大学に関してはもう一度『暗黙知』の観点で、議論してみたい。詳細は、ポランニーの『暗黙知の次元』を自分で読んで味わって欲しいが、私の考えでは、
   「『大学の暗黙知』として一番大切なものは、本当の研究者を識別する機能」
である。ある人はこれを、
   「見えざる大学に入学を許される」
と言う。研究の為の確りした論理展開、そしてそれを評価する力、適切な課題を選ぶ力等、『暗黙知』としか言いようのない力を身につけた人間が、この「見えざる大学」の学生である。

 大学の機能は、単なる知識の蓄積・伝達だけでなく、本当の研究者を育てる機能があることも、再度認識して欲しい。これは、Webでどう展開するか、大きな課題である。Web世界で門戸を広げるのも良いが、正しく暗黙知を伝授していく仕組みは、単なる放送的な発信では実現しないと思う。ただし、Web2.0となると、双方向性のニュアンスがあるので、このような伝承も可能かと思っている。

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫) 暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

著者:マイケル ポランニー
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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尖った力と広がった力

 よく言われていることだが

「現在の経済の危機を脱するためには、イノベーションが必要である。」

ことは多くの人が同意するであろう。さて、このイノベーションを効果のある形で実現するためには、2つの段階があるように思う。まず従来の常識では、不可能であると思われていたことを、可能であると示す段階である。次に、単なる可能性から、事業としての実現まで持ち込む段階である。
 最初の、可能性を示す段階では、個人で独創的な研究を続ける『尖った力』が必要である。このような技術者、研究者には、「個性が強い」と言われるぐらいの人材を、上手く活かすことが重要である。彼(彼女)らに協調性を求める必要はない。但し、彼らの成果を見てやる管理的・経営的な立場の人間は必要であろう。
 次に、可能性を示しただけでは、製品等として世の中に出すには、不十分である。例えば、製品として世に出すためには、安定した品質の製品を、適切な工数で作れる様に全工程を実現する必要がある。製品の設計時には、実使用に耐える丈夫さを与える必要もある。従って、研究段階から開発・設計に移る時には、幅広い観点で検討しながら、モノとしてまとめる必要がある。このような技術者には、「広がった力」が必要であると思う。
 しかし、経営上のイノベーションの場合には、トップが「発想し実現までもっていく」場合が多いように思う。この理由は、経営学の『研究』がまだ未成熟と言う面もあると思うが、経営者が今までの経験で、元々幅広い見識があり、そこに特定分野で『尖った』力を出してブレークスルーして、新しいビジネスモデルを実現させる。このような経営者のT型人材の能力が、力発揮したと思う。
 さて、このような人材の育成には、どのような手段があるだろうか。一つの考えは、旧制高校の様に、大学の初年時に全寮制で交流し、専門に別れる前に色々な立場で、議論するなどの仕組みも良いのではと思う。
 一方、「尖った能力」を活かすためには、「寮などにいれず孤独に耐えるような方針」も有効かもしれない。ただし、企業において研究する場合には、地道な仕事で利益を出し、研究者の生活を支えている人達を忘れないために、全寮制なども良いかもしれない。
 この記事は、日経BP社の『イノベーション雑記帳』を参考にしました。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090911/175158/

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2009年9月11日 (金)

自分で行うと言うこと

 独創的な研究と言うものは、人に理解されるまで時間が掛かるのが常である。誰もがイメージできないようなものを提案するのが、独創である。少なくとも、コンピュータ・シミュレーションを行った後なら、他人からも見れるかもしれないが、理論的な話しでは理解することが難しい。
 私が、若い学生さんにアドヴァイスしたことは、

「どんな分野の研究を行うにしろ、自力でシミュレーションプログラムが組める程度の、プログラミング能力を身につけておく。」

である。独自の研究は、他人に理解できるものではない。自分イしか出来ないものは自分でプログラムを作るしかないのである。
 さてここで、経営学などの世界を考えてみた。日本の大学の先生が、自分で会社を経営していると言う話は少ない。このような状況で、自分の独創を人に示すことが出来るのであろうか?

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2009年9月10日 (木)

大学の学科(学部)の選び方について

 ある機会に、高校生の息子を持つお母さんと、話す機会があった。私は、文系ならば、経営学科(経営学部)への進学を勧めたが、その時のお母さんの答えは以下のとおりである。

 「経営学と言うと社長さんの学問でしょう?うちの子なんかにはとても!」

 私は、経営学科(学部)で教える科目は、会社生活で役立つ知識が多いから、進学を勧めたのだが、経営学と言うと
   「社長さんになる学問」
と言うイメージがあるらしい。
 しかし、経営学部(学科)で教える科目には、市場の話や、資金に関する、実用的な話しが多くある。理系なら工学部、文系なら経営の学科が、基礎知識では、企業への就職が有利ではないかと思う。その専門性を活かさないのは、採用側にも原因があるように思う。もっとも、就職試験の席で、
    「御社の経営方針は間違っている」
などと言う、上から目線の学生には、採用したくないと言うのは、解からないことはない。

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2009年9月 9日 (水)

学校的な社会の弊害とその対策

 今の学校制度の弊害を、一言で言えば、子どもに「正解」を求めすぎていることであろう。そして教育を受けた人達が、何事に関しても「正解」を捜し求めると言うことである。その付録として、失敗を極度に恐れるようになる。そして、一度の失敗で、全てが終わったように考えてしまう。このため、試行錯誤を繰り返しながら、良くしていくという方法も取れなくなっている。
 そのほかの弊害として、順位をつけすぎているように思う。
 少なくとも会社生活では色々な役割がある。しかも、試行錯誤しながら少しでも良くする努力も必要である。
 このように学校的で無くなる努力も重要である。

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2009年8月23日 (日)

暗黙知とIT化

 日本の企業は、社員間の共感など、いわゆる『暗黙知』による伝承に、頼る部分が多くあった。そのような部分は、いわゆる叩き上げの苦労人が、担っていることが多かった。例えば、設計の段階では、機能的な詳細部分は、大学の専門学科卒業の技術者が担当する。しかし、全体構成図を図面化するのは、工業高校卒業のベテラン作業者である。彼らが製図する段階で、おかしいと思ったところは、学卒の若手にフィードバックして教えていく。このような形で、現場の経験が何となく伝わっていった。
 しかし、CAD化などのIT技術の進化は、製図作業を自動化してしまい、このような苦労人の働く場を、奪ってしまった。しかも、技術の進歩に伴い、個々の技術者の専門化は、ますます進み蛸壺化と言うような孤立化が進んでいる。彼らの潤滑油であった、苦労人のリタイヤは、技術伝承の危機になる可能性がある。
 ただし、見方を変えれば、IT技術を使って、このような暗黙知を、見える形にしたり、習得しやすくする仕組みを作ることができる。例えば、CADシステムに組み込む、禁則チェック事項として、従来の事故経験を残すこともできる。また、従来の技術蓄積を、データベース化し、検索機能を付加することで、未経験者に多くのものを見せることができるようになる。
 もっと単純に言えば、報告書や連絡事項のメールも、しかるべき根回し先に、自動的に配布する。これも暗黙知の『見える化』である。
 「IT化してXXが無くなる」
と言う話もあるが、このような使い方も考えて欲しい。

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2009年8月22日 (土)

経済学に関して入門書を読んで

 私は、日経BP社のホームページを結構よく読んでいる。特に、日経ビジネス関係のページは、3年ほど継続して呼んでいる。http://business.nikkeibp.co.jp/

 そこのある記事を見て、経済学の入門書を読んでみることにした。
   はじめての経済学〈上〉 #日経文庫# はじめての経済学〈下〉 #日経文庫#
そこで、私達の世代の、「マル経」と「近経」と言う概念が消滅し、代りに「マクロ経済学」と「ミクロ経済学」となっているのを、初めて知った。これは、「不勉強」と言われればそれまでかもしれないが、大学から離れた人間にとっては、「経済学」に関してこのような認識である。

 私達のような団塊の世代は、「マルクス主義経済学」「マルクス主義歴史学」等等の影響を、大きく受け多教育を受けていた。しかし、社会に出たら、結構市場経済に順応していた。このあたりは、山本七平氏の著作に譲るが、学校で学ぶことと、実用の乖離を植えつけるのに、マルクス主義は大きく貢献したと思う。

 さて、ベルリンの壁崩壊後は、経済学の研究者も大きく変化し、「マルクス主義」の看板を外し、マクロ経済・ミクロ経済と言うことで、社会に対して、発言しようとしているらしい。しかし、長年猛威を振るった、「マルクス主義」の偉い先生方の恐怖は、そんなに簡単に消えるのであろうか?経済学の先生は、
   「祟りを受けないように敬って遠ざける。」
と言うことになっていたように思う。これに対して、恐怖感を払拭した後で、経済学の実用性を、世の中に知らせるのが大切ではないかと思う。特に学生さんたちは、経済学で学んだことで、「大企業攻撃や政府攻撃以外」の「積極的な提案」を出すようにして欲しい。

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2009年8月15日 (土)

理想と批判

 世の中には、理想を語る人は多い。しかし、その『理想』が『暴走』する危険性を知って、語る人はどれだけいるのであろうか。10年ほど前にも、

「共産主義は理想的な政治形態である。従って、北朝鮮による拉致などと言うことはありえない」

と自党のホームページに載せていた政党もあった。

 理想は、あくまで理想として頭の中で考えたものであり、現実への適用には、種々の障害があると言うことを考えないといけない。

 カントは『純粋理性批判』で、

『批判と言うことは、理性の限界を明らかにすることである』

と述べているが、自分の知識の適用限界を心得て、発言し、行動することが大切である。

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2009年8月13日 (木)

夏休みの宿題

 近頃は、色々なものが売られているらしい。警察の鑑識キットまで売られている。これを使うと、科学捜査の手法を体験できるので、夏休みの理科の自由研究には、便利なものである。

 しかし、このキットを買えない子どもはどうなるのかな?しかもこれを、使いこなせるだけの勉強は、どうしたらよいだろう。物があっても使い方を考えないと、良い宿題にはならないと思う。それだけの指導ができているのかな。

 一方、このような市販品を使わずに、自分で工夫したことを、もっと評価して欲しいと思う。例えば指紋採集においても、透明の粘着性テープを使うなど、工夫したものを評価して欲しい。その上で自分で何処まで考える。これこそ本当の自由研究であろう。

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2009年8月12日 (水)

経済学入門は何処に?

 先ほど経済学を学ぶ必要性について、書いてみた。その後実行しようと思って、近くの本屋に行ったが、コーチングの本や、脳科学の本はあっても、経済の入門書は見当たらない。

 やはり何かおかしい?

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経済学の視点をもう一度見直す

 社会の状況に関して、色々考えているが、経済学の視点が一つ抜けていた。もう一度経済学の基本を、見直すべきと思う。

 http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090810/202140/?P=1

 しかし私達の時代は、経済学の評判は悪かったな。何しろ、「マルクス経済学」様がのさばっており、経済か宗教か?と言う感じだったから。

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評価の重要性について

 今朝のNHKニュースを見ていたら、派遣会社が『僧侶』を派遣する話しを、放送していた。そもそも、お盆のお経は、自分で心を込めてあげれば良いと思う。一方、日頃からお付き合いのあるお坊さんで、尊敬できる方にあげて頂くのも、ご利益があってよいであろう。

 しかし色々な事情があり、お坊さんを紹介してもらいたいときもあるだろう。そこで派遣会社にお願いと言う発想もわかる。ただ今回のニュースで、よいと思ったのは、派遣会社の営業担当者が僧侶に同行し、動きを評価していた点である。悪い点もこれで改善されるし、良いと認められれば、僧侶もやりがいが出るだろう。評価を受けないと人間は進歩しないと思う。

 むかし、「学校教師は他人の評価を受けないと言う事で、聖職者だ」と書いたことがあったが、現在は聖職者の方が評価が厳しいようだ。

 

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2009年8月 9日 (日)

本日のテレビを見て

 今朝のNHKテレビの『ルソンの壺』で、医療練習の人体模型を取り上げていた。このような模型で訓練することは、失敗を行いながら練習できるので、力をつけることができると思う。

 シミュレータでの訓練の利点は、失敗を行えることである。逆に失敗を経験していない人間は、安全を見すぎて、機会を失することもある。但し、シミュレータ自体の限界もある。

 道具は使いこなすことが重要である。

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標準化を実行する技術者について

 昨日書いた、国際標準化の話しに、もう一つ補足しておく。今回の強敵は、ドイツ企業である。ドイツ人の標準化を推進する力は、2つの有力な武器がある。

 一つは、ドイツ語である。ドイツ語には未来形が一種類しかない。これはある意味硬直化していると言われるが、これぐらい単純化しないと標準化はできない。

 もう一つは、カントからの伝統のある、哲学的思考である。自分の発言に自信を持つためには、一つは実体験の根を持つ、もう一つは哲学思考の厳密さである。このような哲学をきちんと身につけた相手に対しては、日本の技術者は弱いように思う。

 但し、今回の高圧送電の標準は、実証試験をきちんと実行したもので、上記の経験の力でもある。中国と組む戦略と、実証の力が、彼らの哲学的論述力に対抗する、一つのヒントになるように思う。

 なお、日本発の標準志向として、OSのTRONがあるが、これは教養学部が確りしている、東京大学発信であった。教養の段階で、哲学的思考をきちんと教えるのは、東大のシステムの利点ではないかと思う。

http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/090808.html

純粋理性批判 上   岩波文庫 青 625-3 純粋理性批判 上 岩波文庫 青 625-3

著者:カント
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2009年8月 8日 (土)

国際標準化を進めるために

 先ほどNHKの番組『追跡AtoZ』で、超高圧送電を例として、国際標準化の重要性を取り上げていた。

http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/090808.html

 確かにこれから、国際間の相互乗り入れが激しくなれば、国際規格を抑えることが重要である。そのためには、規格の専門化の育成が課題となる。規格の専門化は、技術的な理解だけでなく、規格としての法律的文書作成力、国際的な交渉力などの、総合的な能力が必要である。

 自分達が良いモノを作ったのだから、皆がこれに従うのが当然と言う、技術屋の論理はもはや通用しない。

 さてこのような、専門家はどうしたら育成できるであろうか。一つのヒントは、特許の権利出現を行う弁理士であろう。弁理士の試験では、技術的な理解力と、条約を含む法的な知識も試験される。その上で、市場性や、国際的な視野を身につければよい。

 このような専門能力を自分で身につければ、今後の就職に有効であろう。

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2009年8月 3日 (月)

求められれている行動特性

 人を採用する時、特に総合職で採用する場合に、これはお断りと言う行動特性は、

「何でも教えてくれと言う人」

である。近頃は、インターネット上に質問箱などがあり、何でも聞けば親切な人が答えてくれる。しかしこれに頼りすぎると、何でもかんでも質問し、自分で考えなくなってしまう。

 会社生活では、このような行動特性は、一番困る。特に仕事の上では色々な機密事項がある。あることを調べていると言うことから、競争相手に自分の動きが読み取られる場合もある。総合職になる場合には、自分の考えを持ち、自力で答えを出すようにして欲しい。

 しかし、自分で答えを出すためにはどうしたらよいのか。とりあえず、学生時代の宿題を自力で答えることから始めて欲しい。このような癖をつけることが重要だと思う。

 逆にこのように、自分で考え判断する力があると、一つの売りになると思う。

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2009年8月 2日 (日)

大学教授の発信力

 現在就職難が続いている。大学でも内定が取れていない場合が多い。

 さてここで一つ気になるのは、経済系の大学教授達の動きである。
  「新入社員を採用する効果や必然性」
を社会に発信し、納得させる動きは、あまり見えてこない。

 日本の先生は、高等な話しをしても、実用に関する話をせず、実際の政治に影響を与えるような下賎な動きはしないのかな。

 しかし、これぐらい学生のために動いて欲しいように思う。

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2009年8月 1日 (土)

社会人の勉強ブームについて思う

 NHKのニュースで、レンタルの勉強スペースを借りて、会社帰りや、出勤前に勉強する社会人の話しが報じられていた。確かに、雇用の継続性に関して不安があったり、キャリアアップしたいために、資格を取得する。このような勉強は、望ましいものだと思う。学校を卒業してから、一度も本を読んだこともない、などと言う話しも昔は良く聞いたが、このような人の思考力は、やはり年とともに落ちていた。このような対策として、勉強するのは良いと思う。

 しかし、勉強と言えば、資格取得と言うのも短絡的だと思う。もっと言えば、勉強と言えば、座学で教科書や参考書だけに頼るのも、寂しい話だと思う。

 実際の仕事に対応して、必要なことを関連する書物で調べる。これでもう一度学生時代の教科書を見直す。また、先輩の話から、色々なヒントを掴み、それを自分のものにしていくことで、能力を向上させる。これも立派な勉強である。

 こういう意味で考えれば、管理職の能力には、

「いかに意味のある訓示をできるか。必要に応じて、成長に役立つ雑談ができるか。」

と言うものは大切なことだと思う。もっと言えば、学校教師にも、教科書以外の話しで、指導できる力があるのだろうか?指導書のマニュアル教師にしか学んでいないと、このような経験談などからの教訓を引き出し、自分のものにする力はつきにくいように思う。

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2009年7月31日 (金)

高等学校と大学の連携について

 関西の私立高校が、学生集めの作戦として、有名私立大学との提携で、進学が容易になるとPRしたが、思ったより効果がないという言う記事を見た。http://www.asahi.com/edu/news/OSK200907300025.html

 この記事を見て思うのが、学校側の考えの甘さである。例えば、関西学院大学と提携している啓明学院高校の例では、

 受験生の中学時代の成績を、9教科の5段階評価で計37以上を受験資格にするなど基準を高く設けすぎたことが低迷の原因と、入試担当者は分析。「それだけの学力があれば、難関公立高から、国公立大を狙った方が学費も安く済むと判断する保護者が多かったのでは」とみる。しかし、生徒のレベルにはこだわり、受験資格を変えるつもりはないという。

と言っている。これには、まず高校の付加価値が見えていない。

「中学の成績が、少しぐらい悪くとも、高校での指導で学力を伸ばし、志望大学に入れるようにします。」

ぐらいは言って欲しい。または、切り口を変えて、

「大学受験の負荷がないだけ、高校時代にクラブ活動などを充実させています。人間性豊かな人生設計のためにも、思春期の大切な時期を、当校で過ごしてください。」

等と言うのも良いかもしれない。なお、

「中学・高校から提携大学の進学者には、受験勉強で苦労していない。」

と言う見方もある。これは、就職活動で不利になることもある。このことについては、就活シミュレーション(5ページ下から1/3ぐらいの会話)http://homepage3.nifty.com/manabizz/shuukatu.pdfも見て欲しい。

 このような発想は、お客様の立場を重んじる企業人の発想でしかないのかな?

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弁護士の業務について

 NHKのテレビドラマで、行政書士が法律相談に応じているのは、越権行為と訴えたと言うニュースがあった。http://www.asahi.com/culture/update/0729/OSK200907290086.html他多数のHPに掲載あり。

 弁護士会も、NHKに喧嘩を売る前に、講談社に喧嘩すべきと思うが、とりあえずクレームを出した意味を考えてみたい。http://morningmanga.com/lineup/29講談社へのクレームに関しては、講談社からの顧問料金を貰っている弁護士達からの政治圧力か、左翼系の論壇への恐怖からかは、不明確なので今回の議論から外しておく。

 従来の法律関係の業務では、弁護士・司法書士・行政書士の階層構造が、暗黙裡に構成されており、裁判の絡むような仕事や、会社の顧問などは、弁護士先生の仕事、巷の示談などの相談は、まず行政書士に気軽に相談と言う、棲み分けがあった。この棲み分けを崩し、示談交渉で、大儲けした一人は、現大阪府知事らしい。

 しかし、アメリカの圧力も感じられる先般からの司法制度改革で、弁護士の数を多くすることが決まると、弁護士業務をきちんと確保することが必要になり、今回の苦情になったのではと思う。この話しは、法律の条文どおりに解釈すれば、弁護士会の有利な結果であろう。ただし、従来この仕事で生きてきた、行政書士たちのことも考えてやらないと、新たな社会不安の材料になるのかと思う。戦後、GHQの指導で、助産婦による分娩ができなくなってしまい、現在の産婦人科の危機的状況を招いたことと、何か似ている感じがする。

 確かに、立場の曖昧な行政書士の書いた『内容証明文書』を振りかざし、法的権利のあるような行動をするやからもいるが、是々非々の対応が必要かと思う。

http://www.gyosei.or.jp/introduction/

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2009年7月29日 (水)

就職試験での小論文の役割

 就職試験の小論文は、大学入試の小論文と、微妙に違っている。大学入試では、論理性や基本知識を重視して評価するが、就職試験では、考え方や姿勢に注目して、評価することも多い。

 従って、就職試験の小論文では、
   「自分の問題として捉えて、自分が何をする。」
と言う姿勢を示すことが大切である。

 しかし、論理的な考え方が確りしていること、常識があると言う必要条件は、満たしておく必要がある。さらに、独創的な発想と言う、魅力要素もあれば、もっと良い。

 このような面まで考えると、大学2~3年生の就職活動では、大学入試の小論文の参考書を、もう一度引き出して、主要テーマの論述練習を行っておくことも有効であろう。さらに、学校向けの解答に、社会人として自分なら~~すると言う意思表示を加えれば、もっと良い。

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小論文について

 就職試験で小論文を書く場合には、少しは自分の専門の味を出して欲しい。例えば、『サマータイム制度の導入』と言うこと論述する場合を考えてみよう。

 まず法学系の学科なら、人間の権利として何があるか、それからどのような具体施策が展開するか等の論理性が見たい。一方経済系の学科なら、この施策による経済効果を、広く考えて欲しい。また文化科学なら、人間の行動に関して議論して欲しいし、理系の人間は、エネルギーの節約で議論して欲しい。

 このように学生時代の専門で、思考の基本的な道具をきちんと身につけておき、それを実際の成果で示して欲しい。くれぐれも、模範解答の丸写しをしないようにして欲しい。

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2009年7月28日 (火)

数学の勉強について

 数学の勉強を行うことは、2つの目標がある。一つは、論理的な思考法を身に付けることである。もう一つは、実際の場面で使うことである。これらの能力は、他の分野と関連している。論理的思考力は、国語の能力と密接に関連している。更に哲学や、社会学とも関連している。一方、実際の場面で使うには、物理学とその応用や、統計学を利用して、社会科学への応用などがある。

 さて現在の数学教育は、どちらを考えているのであろうか。特に、文系の学生に対する数学教育の意味づけが弱いように思う。多変数の方程式を扱う代数学と、統計学は実用的に有効だと思う。また、微分積分など難しく言うのではなく、

「積分すれば、細部の影響が弱くなる。その応用として、複数の投資先に分散して投資すれば、倒産のリスクの影響が少なくなり、結果として成果を得ることができる。これが、金融工学の一つの手段である。」

などと言えば、もっと興味を持って、勉強すると思う。

 一方、論理的思考を教えておく必要もあると思うが、数学と科学哲学の関連まで考えて教えるには、教える側の力が重要だと思う。本来このレベルは、整数論で教えるのが効果的だと思う。高木先生の本がよいと思うが、使いこなせる人は何人いるだろうか。

 このように、専門外の学生の教養教育は重大な使命があるが、少しないがしろになっていると思う。

初等整数論講義 第2版 初等整数論講義 第2版

著者:高木 貞治
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2009年7月27日 (月)

対人能力の不足は何処の責任か?

 本日の朝日新聞の文化欄に、今月の注目論文とその解説が載っている。橋本努北海道大准教授のコメントしか見ていないが、以下に注目した。

「どうも雇用の現場から排除された人々はコミュニケーション能力が不足気味で、抵抗の社会運動よりもメンタルヘルスを求めているではないか」

この意見に同意する向きも多いと思う。

 さてここで、成人のコミュニケーション能力不足について、もう少し考えてみたい。まず、
  「今回言われている、コミュニケーション能力不足は、本当か?」
と言う議論をすべきであろう。これは、問題提起している人達が、いわゆる知識人で、"論理的"と称する人種であることを考慮し、
  「彼らの基準で低い」
と言っているだけかもしれない可能性を、排除できないからである。全共闘世代の活動家に追及された経験のある人間は、『いわゆる進歩的知識人』の議論方式には、嫌悪感を持つこともあり、彼らとのコミュニケーションは、難しいものがある。

 しかし、雇用確保の問題で、コミュニケーション能力不足が言われているのは、現実である。この原因は、小学校~高等学校までの、基本的な教育の問題も大きいと思う。特に、国語教育の論理的な思考力育成軽視や、教師の独断的な支配が悪影響を、及ぼしているように思う。

 また教師採用において、成績のみに偏った試験を行っているように思う。成績優秀者に偏ると、コミュニケーションもその世界に偏っていく。田中角栄の負の遺産が、ここにも出てきたように思う。

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2009年7月26日 (日)

就職・採用に於ける文系学科の専門性

 大学卒業者の就職活動・採用活動において、理系(特に工学部)では、専門学科にこだわった採用が多い。普通は、建築工学の出身者に、電子回路を設計させたりはしない。ソフトウエアの世界では一部例外があるが、このように専門性を考慮した採用になっている。

 しかしながら、文系の場合には、このような専門性が、確り認識されているのか、疑わしい。確かに、一部の語学系のスペシャリストとして、例えば『ベトナム語専攻の学生』などと言う採用はあるだろう。しかし、一般には、人文系の学科の社会系の学科の違いすら、明確になっているとは思えない。

 この理由を考えてみたが、まず採用側の問題として、文系の各学科の特性を、活かせる力があるのだろうか。例えば、法学の論理性や、規則を体系だてる能力、心理学の人間性に対する理解、文化人類学のフィールドワークの経験と仮説設定能力等等、企業の現場で生かせる基礎知識も多いと思う。確かに、官僚社会における、東大法学部の優位と言うことは、その専門性の活用としての結果であろう。これが、きちんとできている企業は少ないように思う。

 しかしもう一つ、厄介な問題がある。このような大学の専門性を評価する為には、採用側が大学の状況まで踏み込まないといけない。例えば、大学によっては、経営学部が独立してあり、会計学と経営学がきちんと分かれている大学もあれば、経営学は経済学部の中の1研究室と言う場合もある。もっと厳しく言えば、大学に入ってから、中学生のレベルの基礎学力を一生懸命教えている学校と、団藤先生の『法学の基礎』でいきなり教えてついてくる大学と、一緒にするのが間違っているように思う。これを、学校名を隠して採用せよなどといわれて、はいそうですというなら、結局学生時代の専門性など無視して、知能テスト的な試験で、振るい分けることになる。

 これと関連して、大学の文系学科に関する議論があったので、リンクを残しておく。

 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/gakujutu/toushin/001114.htm

 

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2009年7月25日 (土)

使えない知識の理由

 高機能性発達障害の症状の一つに、
  「言われたことを、そのまま字句どおりにしか理解できない。」
と言う行動特性がある。彼らの場合には、極端な話しだが、一般に学校を出て直ぐの場合には、学校の理論を、そのまま当てはまる場合には使えても、応用が利かないことがある。

 この理由を考えてみると、本など机上の理論をいくら勉強しても、その理論上の概念だけで、議論展開を見ていることが多い。その理論が、現実の世界に適用される場面を見ていず、応用方法を知らないことが多い。机上で勉強をすればするほど、知識のみが集積するが、知識の使い方がわからなくなってしまう状況である。

 この対策として、理論で使っている概念が、いかに現実の世界に対応しているか、考えてみる。そして理論を使って説明する。このような訓練が有効である。また、机上の勉強に関しても、知識間での応用を確り使っていくことで、知識の使い方が生きると思う。

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2009年7月20日 (月)

全体を見る必要性

 少し時間があったので、「決定力を鍛える:ガリル・カスパロフ NHK出版」を見直してみた。チェスと言う限られた世界で経験を、一般世界に広げようとすることで、少し無理もあるが、参考になる部分も多い。過去の成功が、「人生最大の日はもう来ない」と言う状況にするのは、今の政府にプレゼントしたい。

 特に興味のあるのは、P 336 のホワイトヘッドの専門化の行き過ぎに対する発言(1925 ハーヴァード大学での講演)を、引用している部分である。

 「この方面の専門性から生じる危険は、とくに民主社会では重大である。方向を示す理性の力が弱められ、指導する立場の指揮者はバランスを欠く。この状況、あの状況と、一方に目をやることはあっても、両方を同時に見ることはない。連携という課題は、一定のキャリアで成功する力あるいは気骨が足りない人々に委ねられる。」

 一部の大臣が、答弁の資料を常に官僚に作成させる、現在の日本はまさにこのような状況ではなかろうか。

決定力を鍛える―チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣 決定力を鍛える―チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣

著者:ガルリ カスパロフ
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年7月19日 (日)

試験について考えてみよう

 学生の場合には、「試験は先生が行うもの。」と考えているだろう。しかし、試験の本質を考えてみよう。これは、効率よく、受験者の能力を評価する手段である。そして、試験の結果は、単なる評価だけではなく、受験者の今後の成長に繋げること、教育者側の反省材料として、今後の教育の改善点を示している。

 さて、社会で生活していると、色々な人や物を評価する必要がある。その場合に、いかに効率的に、評価するかが重要である。そのため、これを知っていないと、仕事ができない。このような考えができないと、仕事ができないと言う要点を確認することが、試験つくりの目的となる。

 まず思いつくことは、基礎的な概念を知っているか、用語の確認を行う試験である。基本的な用語を使いこなせなければ、効果的な議論もできない。従って、基本用語を知っているかの試験は、有効である。しかし、これでも落とし穴がある。昔ある新入社員に、
  「『概念装置』についてどう思うか?」
と質問したら、
  「『概念装置』と言う言葉は初耳です、『理念型』で習いました」
と返された。このように、別の用語で学んだ場合でも、基本的な概念と使い方を知っていて、柔軟に用語を切り替える能力があれば、対応できる可能性がある。このように、用語知識だけの試験では、落とし穴がある。

 次に、基本的な例題を与えて、答えを求める方法である。これも、自由記述にするか、○×式等の客観的試験にするか、考えないといけない。特に客観的な試験は、採点が容易である。しかし、偶然の正解もありうる。このような利得を考えて、試験形態を選ぶ。

 そして、試験の課題であるが、
  ・ そこを知らないと、それから先に進めない
  ・ 誤解しやすい部分
  ・ 他の部分に影響が多い部分
等を選び、間違いが生じやすい問題を考える。また、試験の後で、フィードバックを行う場合には、その問題をマスターすれば、今後の展開に有効なモノを出題する。

 このように、試験を行う立場を、理解することも、学生から社会人への切り替えで有効である。なお、IT業務では、もの造り成果を確認する、試験作業が重要である。試験段階でどのような確認を行うかで、作業者の能力評価が行える。 

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2009年7月18日 (土)

本で学ぶということ

 学校を出てからも、自分で勉強する機会は多い。その時、本を使って、勉強することの比重は、ネット社会になってもまだ多い。

 本の使い方は、大きく分けて2つの方法がある。まず第1は、教科書的な本で、全体像を掴むために読む。もう一つの使い方は、参考書の使い方で、特定項目の知識を補充するために読む。学ぶべき分野の知識が不足している場合には、まず教科書的な本で全体を掴まないと、個別知識のすわりが悪くなる。全体のイメージができ、デファクトの登場物ができると、新しい知識の追加が容易になる。この段階で、自分の疑問を答える、参考書を読めば、効果的に勉強できるようになる。

 教科書の使い方は、全体像を掴むのに便利であるが、もう一つの使い方は、自分の弱点を知ることである。全般的に記述している中で、自分のしらなこと、理解不足なことを知れば、その分野専門の参考書で確り学べばよい。

 このような読み方もある。

 

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2009年7月17日 (金)

理論の力

 科学的な知識を身につけると、世の中の現実的な問題が解決する、と言う迷信がある。

 しかし、科学的知識は、ある前提が満たされた時、効果を発揮する道具でしかない。確かにこの道具を持っていると、問題の解決に有利なこともある。

 例えて言うと、経験的な知識は、銛で魚を突くように、そのポイントでしか効果がない。一方理論を知っていると、網で掬うようなもので有効範囲が広くなる。数学と言う道具で、広がりができている。確りした仮説で、目標を明確にした上で、理論で説明するのが理想である。

 しかし、網には穴が開いている。現実の複雑さに理論だけで立ち向かうのは、現在のところ失敗が多いのは、金融工学の例でも明らかであろう。

 

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2009年7月12日 (日)

リーダーの条件(決断力を支えるもの)

 リーダーに必要な条件として、決断力について前に述べた。その決断の条件として、もう少し考えてみたい。決断するためには、広い視野を持って、論理的に検討することが必要である。ここでは、広い視野と言うことについて、もう一度考えてみたい。

 まず広いという意味は、地理的と言うか人間関係の広がりの軸がある。そして、時間軸の広がりも考えるべきである。地理的と言うのは、経済的なつながりと言っても良い。まずお客様は色々な環境で、製品を使ってくださる。自分の所だけで考えると、見落としがでる。環境を読むことも重要である。次に部品供給など、色々なつながりを考える。ネット社会では、広範囲のつながりがあるが、逆に個人の生きている環境等は、抽象化して消えてしまうこともある。生きた人間が、暮らしている環境を想像することが重要である。

 次に、時間軸での検討も重要である。現状は、いきなりこの形になったのではない。今までの歴史を考えると、色々な納得が出て来る。逆に、あるものの理由は、昔は合理的であったが、現在は存在価値がなくなっている、惰性で動いているものもある。昔から変ったので、修正する。これも説得力のある説明である。

 また時間軸では、未来への検討も重要である。今の製品の寿命は何処まであるのか、別企業の参入は何時頃起こるのか、このような検討も重要である。

 このような広い観点で検討することも、リーダーの責任である。但し検討しすぎて進まないのも許されない。短期での決断も要求事項である。

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2009年7月 6日 (月)

工学部で学ぶ人たちに

 現在工学部で学んでいる人たちに、一つアドヴァイスをしておきたい。それは、
  「自分が今学習していることが、実際の製品で
  実現していく過程を、知っておく。」
ことの重要性である。

 例えば、電気自動車などで大切な、モータの制御で考えてみよう。半導体メーカの制御アルゴリズムの説明は以下のホームページにある。http://japan.renesas.com/fmwk.jsp?cnt=ac.htm&fp=/applications/motors/motor_algorithms/child_folder/&title=AC%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%88%B6%E5%BE%A1%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

 この内容は、大学の電気系に学んでいれば、理解できる材料はある。但し、クラーク変換は、「送配電工学の故障解析」などのカリキュラムで説明されるかもしれない。しかもその時には、もう一つの要素があるが、モータの制御では、直交する2つの成分で考えている。

 このような応用の仕方を一度経験することは、今後の役に立つと思う。

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2009年7月 5日 (日)

数学の限界について

 数学とは、ある前提条件から、理論的に結果を導く道具である。だから、
  「数学だけで、現実の世界の問題を解決する」
と主張することはできない。このことは、金融工学の失敗などから見ても、明らかである。

 しかし、世の中の数学の教育で、このことをきちんと教えている例は、少ないと思う。

 そう思っていたら、以下の本が見つかった。

確率・統計入門 Book 確率・統計入門

著者:小針 あき宏
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 最初の書き出しが、「ベルトランの逆理」で、第1章を理解できれば、上で言ったことを理解してもらえると思う。

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2009年6月26日 (金)

便利すぎる世界での勉強の必要性

 前から書いている、便利すぎる世界での仕事の仕方に関して、具体的な例で話しをしてみよう。例えば、身長と体重のような2つのデータの関係を、調べてみよう。

 この両者がどの程度関係が深いかは、相関係数を求めると判る。さてここで現在ならどうするであろうか。一番手っ取り早いのは、両者をEXCELの表に打ち込んで、相関関数CORREL()を使うことである。そして、両者の関係は回帰関数 LINESTを使って、予測することができる。

 これは知っている人間には直ぐにできる。しかし
   「相関係数とは何か、回帰関数とは何か?」
と言うことを理解せずに、これを遣うことは難しい。しかもその意味がわからないので、応用が利かなくなる。相関や回帰と言う概念を知らないと、EXCELの関数を探すこともできない。しかし、できる人間は直ぐにできてしまうので、この作業の標準時間は非常に短くなる。

 このような環境で、大学卒業の技術者と言われる新人は、苦しい戦いを演じることになる。

 パソコン出現前なら、例えば、

確率・統計入門 確率・統計入門

著者:小針 あき宏
販売元:岩波書店
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の第4章の例題を見ながら、手計算でデータを処理して、こんなことをやっていると理解する時間があった。今の新入社員は、このような基礎知識を自分で身につける必要がある。

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2009年6月25日 (木)

大学3年生での就職活動について

 今回の就職難時代を迎えて、大学3年生から、インターンシップと言うことで、就職活動をはじめている向きもあるようだ。遊びほうけた学生生活よりは、目的が確りしていて、良いような気もする。

 しかし、少なくとも工学部の学生は、この3年の講義を無視してはいけないと思う。前にも書いたが、例えば車の制御を行う場合に、制御理論や高度な電気回路の理論は、たぶん大学3年ぐらいで学ぶはずである。この段階の知識をきちんと身につけていないと、現在の高度技術応用製品は理解できない。

 もっとも、大学で講義聞いて学ぶのでは、時間がかかりすぎるので、自分で教科章を集中して読みぬく。これなら、10時間ほどで2単位分が身につくかもしれない。それぐらい自力で勉強する人間を、企業は欲しがっている。

 「従って、3年からの就職活動は、本当にできる学生を
  選別する、すぐれた仕組みである。」

と言うような、冗談を信じる様では、社会の荒波にのみこまれてしまいますよ。

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2009年6月24日 (水)

新入社員の取り扱い方法

 日経ビジネスAssocieのHPに面白い記事が乗っていた。http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20090622/161911/?P=1

 今年の、新入社員は、
  「どうして私が採用されたか?」
と質問が多いということである。若い人たちと接した感触からは何となく納得する。さてこれで、昔の先輩や上司なら、このような答えが返ったのではと思う。

  「フーム、採用枠が余っていたんだろうね。」
  「採用者が二日酔いで間違ったんだろう。」

この言葉の後ろには、

  「とにかく、採用されたのだから、これから頑張れ。過去は関係ない。」

と言うフレーズが、秘められていた。

 しかし、上のような言い方をすると、まずバブル時代では、

  「せっかく来てやったのに、無礼である。辞める。」

と言う反応になる。しかし現在は、就職難を反映し、

  「やはり駄目ですか。僕の将来はない~~」

と、自分で泥沼に落ち込んでしまう。又は、パワハラで訴える。等の結果しか生じない。

 現在の子は、自分を評価して欲しいと言うが、『良い評価』しか受け入れない。社会人教育では、

  「悪い所は、直せばよい。そして次の成長に期待する。」

と言うメッセージをきちんと送ることが最初である。

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2009年6月22日 (月)

技術者の多忙の一要因

 現在の若手技術者は、多忙である。その原因の一つには、自分の担当している業務の奥にある、技術要素を理解するのに、時間がかかると言うこともある。この背景には、現在の製品が高度な技術を基礎として、成立していることがある。30年前には、電機メーカーでも、
   「オームの法則だけ知っていれば、技術的には十分」
と豪語しているつわものが沢山いた。しかし現在では、一寸したモーターの制御でも、
   「やれクラーク座標に変換して」
と言う風な話しが出て来る。もっとややこしくするのは、設計支援環境に、このようなモデルが組み込まれている場合である。この時記号の意味は、判る人間にしか判らない。

 さて、これを本当に理解しようとするなら、大学の電気工学の教科書から、送配電の教科書を探しても少し書いているだけである。そこで、インターネットで調べると、断片的に情報を入手できる。しかしこれを理解するには、また別の情報を探すと言うことになる。

 このような、一つのものごとの後ろに多くの知識が隠れており、しかもそれは時間をかければ勉強できる。従ってまじめな人ほど、勉強の罠にはまってしまう。

 このような状況に対し、私が提案するのは、目的を明確にして、必要情報を探す勉強法を身につけることである。例えば、モーターの制御と言うことで考えてみる。このためのモデル考える。そして、使っている、クラーク座標系に関して、必要な範囲で理解する。このような経験も有効ではないかと思う。

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2009年6月21日 (日)

学士力に関して再考

 前に、学士力について書いたが、もう一度就職後の仕事に関連して、どの力が必要か議論してみたい。http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_a1b7.html

 まず、異文化コミュニケーションについては、学校社会から、企業社会、しかも企業には社内だけでも上司の立場、現場の立場、スタッフの立場と多様な文化がある。これを理解することができないと、話についていくことができない。更に色々なお客様がいらっしゃる、このような、多様な文化の社会を理解し、コミュニケーションをとることが必要である。

 このような、異文化コミュニケーションには、一般意味論の抽象の梯子の発想が、役に立つと思う。http://homepage3.nifty.com/manabizz/Shikou.htm

 しかし、これだけではない。特に工業製品は、設計段階で大学の基本的な知識を、駆使してものを作っている。これは理論の実用化が進んだと言うことである。30年前では、机上の計算では及ばないところが多く、現場での経験でものを作る要素も多かった。しかし、現在の計算機普及状況では、30年前の高度数値計算は、EXCELの数式を少しいじって、実現することができる。例えば、
  「一寸データが取れたので、フーリエ級数を取ってみたら
   第13高調波が異様に大きかったです。これですね。」
と言うような議論が、気軽に行われる様になっている。

 このような状況では、基礎になる数学・物理学から機械工学・電気工学・電子工学の知識を確り理解し、使えるようにしておかないといけない。昔は、この知識をプログラムに落とす過程で再勉強の機会もあったが、現在はEXCEL関数に埋め込まれているなら、即座に使わないといけない。

 こう考えると、大学の専門科目の基礎知識を確り理解していないと、生き残れないようになっていると言うことが、よく判ると思う。

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2009年6月18日 (木)

子どもの学力を伸ばすために

 今日のNHKのクローズアップ現在で、「10歳の壁を克服せよ 脱暗記」を取り上げていた。現在の子ども達は、いじりすぎた教育制度を受けて、あまり本当の能力が上っていない。特に、早くしろとばかり言われて、本質を考え抜かなくなっている。

 この対策は、言語による思考力を大切にすることであろう。しかし、ここで気になるのは、日本の国語教育の現状である。

 本当に必要なものは、論理的思考力、特に一般意味論の「抽象の梯子」を確り理解して、使いこなせる教師の養成ではないかと思う。

 特に、論理的な討論は、教師に対する反論も生じる。それに耐える教師と言うか、教育システムが重要であろう。

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2009年6月17日 (水)

演習問題の活用について

 良い教科書には、確りした演習問題がついている。これを解くことは自分の力を評価するだけでなく、知識の使い方を確認する効果がある。これを実行するためには、単に答えに至るだけでなく、その過程を自分で納得して進める必要がある。

 そのため、問題を解く過程をきちんとノートに書く。その後、適宜自分の知識で解説を加えていく。このように、教科書の例題より解かり易い解答集を作れば、実力向上に役立つ。

 正解合わせを超える、演習問題の理解が、使える知識への一歩となる。

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2009年6月16日 (火)

文章の読みは、異なる世界観の理解力

 日経BPのホームページで面白い記事を見つけた。http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090611/197321/?P=1
新入社員が、会社の文章を理解できないのは、その脈絡を理解していないからである。そのためには、文章全体を見ながら、脈絡まで理解しないといけない。

 関連して、大学の先生は、聞き手の状況を配慮して話すが、会社では上司の気持ちを読みながら、解読しないといけない。このように、社会での文章理解は、書き手の世界観を理解しながら読む必要がある。

 この発想は、今まできちんと意識していないが、納得のいく話しである。更に一般意味論の発想を加えると、もっと見通しがよくなるように思う。

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2009年6月15日 (月)

自分の就職に失敗してキャリアコンサルタントになる

 あるところで聞いた話しであるが、就職活動に失敗した人が、しかたなしに
   「キャリア・コンサルタントの試験を受けて、合格した」
と言うことがあるらしい。確かに試験に合格する勉強は、あるレベルに到達すると、結果がでる。一方、就職活動は相手があり、相性の問題もある。しかし、自分ができないことを、人にアドヴァイスする"コンサルタント"は、一寸恐い気がする。

 これ以外にも、IT分野でもコンサルタントになりたがる、若手がいると聞く。確かに、高学歴の知識を使うなら、自分でもの作りするより、他人を動かすコンサルタントが、似合うかもしれない。

 しかし、実務のできないコンサルタントは、どこかで失敗するのではと思う。

 ちなみに、私のアドヴァイスを受けて、就活が無事終わった人はいますよ。(苦笑)

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2009年6月13日 (土)

素質と才能(やり遂げる能力)

 海堂尊著の「ひかりの剣」を読んだ。なかなか面白い。特に、『素質』と『才能』の違いを良く書いている。(第2章p39、第4章p75~p79)素質と才能の違いは、剣道のような体を動かす場合で、説明するのが理解しやすい。

 素質は、筋力がある・敏捷に動ける・動体視力にすぐれるなど、基礎的な力が身に付いていることを示す。

 才能は、その素質を、実際の実力に結びつけるために、努力を方向付け、やりぬく能力である。ある中国武術家は少し皮肉を込めて、
   「才能の中には本当の師を見抜く力も含む」
と言っている。

 子どもの時に天才と言われた人、彼らは素質に恵まれ、それをよき指導者に導かれて、他の子ども達より抜きん出たのであろう。しかし、彼らが大人になってまで、天才の立場を維持することはまれである。

 これに関して、ある書評では、10,000時間の訓練が一つの条件と言っている。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090611/197306/?P=3

宮本武蔵も、「千日の稽古を鍛とし万日の稽古を練とす」と言っている。大学でも、学部4年と博士課程前期の3年で、一心に勉強すると、10,000時間を越える。この時何かが変る人間がいるのも確かである。ただし、正しい向きと言うのが条件である。正しい方向を見定めるのが、『才能』かも知れない。逆に、『師』と決めた人に、疑わず一心に従う。これも才能の一つかもしれない。

 最後に、「ひかりの剣」の剣道の試合のシーンは、作者の経験に裏付けられているのだろうが、どうも納得がいかない。正しい面撃ちと、右肩に外れた打ちが同時になっても、正しい面打ちに一本を与えるのかな?スポーツなら良いが、真剣勝負ならどちらも死んでいる。(もっとも真剣勝負なら、肩のところには和紙を濡らし貼り付ける早着込みなどの手はあるが・・・)特に、切り落としは、真っ向から入って、自分の体に触れないように落とすのが大切と思う。また、某漫画では、「前の試合で右肩に竹刀を受けたので、切り落としは使えない。」と言うシーンがあった。この話しは、切り落としの難しさをよく語っているように思う。 

ひかりの剣 ひかりの剣

著者:海堂 尊
販売元:文藝春秋
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実用になる論理思考の訓練法

 論理的な思考方法の有効性は、色々な人が述べている。しかし、実際の仕事では、論理的な考えは、失敗したり困ったことになることが多い。ヴィーコの、

「正しいものは作られたもの」

と、一般意味論の

「地図は現地ではない」

を合体させると、

「理論は現実に適用するときには、間違う可能性がある」

と言うことになる。つまり、狭い意味での論理ばかりを振り回すと、現実の複雑さに対応できなくなる。そこで、実用に耐える論理的な思考方法の訓練法を考えてみた。

STEP1 まず基本の三段論法を確りマスターする。三段論法に関しては、以下の資料を参考にして欲しい。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/sandanronpou.pdf

STEP2 このような三段論法を使えるようにするためには、概念を抽象化してまとめることが重要である。このため、抽象の梯子を知って、現実と抽象の上下を意識する、一般意味論の手法を知る。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/Chushou.pdf

http://homepage3.nifty.com/manabizz/Shikou.htm

STEP3 厳密な思考は、手間がかかるので、候補を絞り込むことが重要である。そのため仮説推論(アブダクション)や、類推の手法を知ることも重要である。仮説思考に関しては、パース著作や、米盛先生の本を参考にして欲しいが、以下の資料の12ページからも読んで欲しい。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/chap3.pdf

STEP4 現実の問題を解決してみる。この場合全体像のモデルを上手に作ることが重要である。また、確りした検証を行うことも重要である。工学の例で専門家手法のまとめを作ったので、参考にして欲しい。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/EngAna.pdf

<参考にした本>

思考と行動における言語 Book 思考と行動における言語

著者:S.I.ハヤカワ
販売元:岩波書店
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哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545)) 哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

著者:伊勢田 哲治
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

アブダクション―仮説と発見の論理 アブダクション―仮説と発見の論理

著者:米盛 裕二
販売元:勁草書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年6月12日 (金)

論理的な思考を実行するために

 論理的な思考が大切とは、皆わかっている。しかし厳密な思考を行うのは、大変な労力が必要である。しかも現実の問題では、学校の問題と違い、正解がどこにあるのか、わからないことが多い。

 そのため、論理的な推論の筋道を少しでも短くする工夫が必要である。このため、以下の様な手段がある。

 1.よく知っている事象から類推を利かせる

 2.全体像を描き、原因結果の両面から探していく

 3.抽象化して一般的な原理で検討する

 4.良い概念装置を使ってまとめ上げる

 5.数式の助けを借りる

 但し、このような手段は、厳密性に欠けることが多い。あくまで正解の候補を見出す手段である。但し正解候補を絞り込んだ後、きちんと検証することで、正しい結果を得ることができる。その時の労力を少しでも少なくするために、候補の絞込みが有効である。

 厳密に考えろと言っても、それを楽にする手段を考えないと、実行に移すことは難しい。実行時の苦労を少なくすることも、新しいことの実現に向かうための必要条件である。

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2009年6月10日 (水)

理論だけに閉じこもらないために

 ここしばらく、学校的な世界に過剰適応し、教科書的な世界に閉じこもった人の弊害について書いてみた。その状況を、一般意味論で言えば、
  「地図だけで考える」
と言う状況である。

 そう考えると、対策は明快である。地図と現場の突合せを常に考えればよい。抽象の梯子を下ることで、理論と現実の対応を考える。当然、現実は多様であり、理論どおりには行かない。そのような経験を踏まえて、理論の生かし方を知れば、本当に使える知識を得たことになる。

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2009年6月 9日 (火)

言行一致は良いものか?

 現在の日本の道徳では、一般に「言行一致」は、美徳とされている。しかし、中国の古典では、「言行一致」は小人とされている。

 考えてみると、「言行一致」の裏側には、
   「自分の信じているものが完全である」
と言う思い込みがある。しかし現実には、色々な側面があり、自分の間違いの可能性がある。従って、「自分の言っていること全てが正しい」と言うのは傲慢そのものである。一方
   「絶対に正しいことしか言わない」
と言うことなら、何も言わないことになる。

 こう考えると、「言行一致」と言うことは、あまり良いこととも思えなくなった。しかも現在の学校社会に、過剰適応すると、『言行一致』で現実の複雑さに目を向けなくなるように思う。

 ゆとり教育の弊害にはこんなものもあるように思う。

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2009年6月 8日 (月)

中途半端に成果が出る

 前から、ゆとり教育に関して書いているが、ゆとり教育の教科書体系自体は、よくできているのではと思う。逆の良くできすぎていると言うべきであろう。教科書体系の外に出ることができないような子どもを、これほど作ったのだから。

 このような中途半端に見えたものを、完全と思い込むと、それ以降の進歩がなくなってしまう。

 不完全な教育体系の方が、今後の謙虚さと拡張を呼ぶために良いように思う。

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自分の専門に閉じこもる?

 今朝の朝日新聞に、サイエンスライターの竹内薫氏が、

「自分の中にそびえたつ理系、文系の壁を越えてみよう」

と言う話しを載せていた。確かに文系と理系の壁は大きいと思う。しかし、応用と基礎の壁は、余りにも低すぎるように思う。基礎的な哲学に関して、色々と口出す人も多いし、基礎分野の人が、応用分野に口を出すことも多い。

 もう少し、基礎分野だけの専門性があっても良いと思う。

 

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2009年6月 7日 (日)

パワハラ対策としての外部講習

 日経エレクトロニクスの講座記事の中に、面白い指摘があった。

注1)上司から見ても,外部の研究会は有効です。最近は,自分の部下を厳しく育成しようとすると,上司が部下や周囲の人に誤解され,“パワハラ”(パワー・ハラスメント,権限を悪用して嫌がらせを行うこと)と言われかねません。技術者交流の場となる社外の研究会などの方が利害関係がないので,厳しく指摘しやすいことが多いものです。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/LECTURE/20090514/170115/

 最近のパワハラ対策では、部下に対して、
  「こんなことも知らないのか!」
と言うことは、パワハラになるらしい。なんともやりにくい世界である。

 しかし逆に言えば、この程度のことに耐えることで、成長可能性を示すこともできる。撃たれ弱さと、改善可能性は就活の大きな武器になると思う。

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2009年6月 6日 (土)

本の読み方について

 近頃ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を誤解している向きがあるように感じる。ヴェーバーは、
  「プロテスタンティズムの厳格な倫理的な圧力が、
   勤勉を強制し資本主義の成立に役立った。」
と言っているのであって、
  「資本主義の経営者が、高度の倫理観をもつべきである。」
等とは言っていない。ましてや、
  「高額の報酬を求める倫理観のない人間の否定」
等は言っていない。

 そもそもヴェーバー自身は、プロテスタンティズムの厳格な倫理の被害者であり、本当に肯定的か疑わしいものである。表題にある、『倫理』と言う言葉にだけ反応しているのでないかと疑ってしまう。

 少なくとも下の2冊を読んで、意見を言った方が良いと思う。もっとも、この本でも翻訳に対する異論はある。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫) プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

著者:マックス ヴェーバー
販売元:岩波書店
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マックス・ヴェーバー入門 (岩波新書) マックス・ヴェーバー入門 (岩波新書)

著者:山之内 靖
販売元:岩波書店
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2009年6月 3日 (水)

現在の教育で一番不足しているもの

 ここ数日、ゆとり教育の弊害について書いたが、今一番必要なものをもう一度、考え直してみた。

 まず学科で考えると、国語の能力であろう。特に、論理的な文章を読み書きする能力が無い。そして行動特性は、努力すると言うこと、できないことにチャレンジし、くり返し訓練して自分のモノとする。対人スキルも必要であろう。

 このような、基本的なものを、一つ一つ身につけていく。このくり返しが必要ではないか。

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2009年6月 1日 (月)

ゆとり教育世代への対応

 ゆとり教育の弊害について、先日書いたが、彼らを戦力化する立場で、もう少し議論して起きたい。まず彼らは、学校式世界に過剰適応していることが多い。従って、これを上手く誘導すると、その流れに乗ってくることも多い。そこで、指導上のヒントを少し挙げておきたい。

 まず、彼らは傷つきやすい。これは確かである。さらに、自信が無いことが多い。さらに、効率と正解と言うことに、過剰に反応している。

 そこで、彼らに対して指導する場合に大切なことは、
  「これを行えば、自分の力をつけることができ、将来役に立つ。」
と言うことを示すことである。さらに、訓練手段をある程度示すことも重要である。

 もう一つ言えば、彼らの個人の可能性を認めてやることである。安心を与えないと成果は出ない。

 このような指導を行えば、今まで上滑りしていた勉強が、深く突っ込んだ勉強になる可能性がでてくる。試して欲しい。

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2009年5月31日 (日)

PDCAの本当の意味

 現場作業等の改善に関連して、
   「PDCA(Plan-Do-Check-Action)のサイクルを回せ」
と言う言葉を良く聞く。つまり、
   「計画を立て、それを実行し、結果を評価し、問題点があれば改善する。」
と言う活動である。

 この運用に関して実際は、
  「適当な計画を立て、失敗しないように実行する。そして成功と報告し万歳する。」
と言うパターンが多いと思う。ここで
  「適当な計画」
が曲者である。つまり、確実に出来ることしか計画していないと、失敗することは無い。その代わり成長も無い。

 本来のPDCAサイクルは、
  「理想像を計画し、実行したとき不具合がでれば、それを改善する」
このような動きである。チャレンジした時には失敗もある。また新しい計画には、予測できなトラブルが実行時に生じることもある。これらを明らかにし、次に繋がる改善をするのが本来の姿と思う。問題点と言うものは、現実と理想像のギャップから生まれる。そこで理想像を落としてしまえば、進歩がなくなってしまう。

 さて、このようなよいPDCAが動かない理由は、どこにあるのだろうか。私の考えでは、正しいCAが行われていないことが原因と思う。もっと言えば、どうしたら正しい、改善ができるかを、見えていない。さらに、チェック段階で不具合がでれば、それを厳しく糾弾する。このような体質があれば、低い目標で安全策をとることになる。

 PDCAがきちんとできるようにするためには、失敗を許容し、チャレンジを評価する、組織風土にすべきである。チャレンジした結果の失敗を高く評価する、しかも皆で救済する組織を作ることが大切である。 

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就職活動の超絶技巧

 就職活動において、一つ思いついたことがある。それは、
  「供給者観点から需要者観点へ」
と言うことである。つまり、自分が今までに、どんなよいことをした。どれだけ力をつけた。これは、売り込み側(=供給者側)の話しである。

 ここで、採用者側の立場を考えてみる。このような視点で、就活ができているかが、一つのポイントである。
  「相手の立場に立ち、相手が困っていることを解決する。」
このような志向の人間は、現在の企業が総合職として求めている人材である。

 さてここで、一つ話題になっている、ゆとり教育の弊害を考えてみたい。例えば、日経ものづくり誌のブログを見てみよう。 http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20090529/171002/

 この対策として、前の記事での原因追求を踏まえて、自分の対応を考えてみよう。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-6309.html

 これをもって、就活をするのはいかがであろうか。

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ゆとり教育の弊害状況

 ゆとり教育の弊害についいて、色々と議論されているが、私の見るところでは、正確な状況把握と根本原因まで、踏み込んでいないように思う。

 まず現象面を見てみる。世の中でよく言われる「ゆとり世代の欠点」は、以下のとおりである。
 1) 知識不足
 2) 努力しない。難しいことに当たれば投げ出してしまう。

 これをもう少し踏み込んで、みたい。私の見た感触は以下のとおりである。
 1) 暗算などの計算の力不足、電卓などの道具に頼りすぎ。
 2) 手書きの力不足、文字を書くと、直ぐに乱れてくる。これもパソコン依存か。
 3) できないことに対する耐性が低い。できない仕事を
    与えられると、与え方が悪いと反発する。また、一度の失敗で、全てが
   駄目になったように考える。
 4) 批判に対し打たれ弱い。批判を全人格に対する否定のように考える。

 さて、これの原因をもう少し踏み込んで考えてみたい。まず、ゆとり教育の理念には、
   「教えるべきものを絞り込み、全員がそれを達成する」
と言う考えがある。このため、教える内容も簡単化している。例えば、小学校での掛け算の教育でも、一桁ごとの計算になっている。これでは、暗算もできないと思う。インド式計算が流行したのも、わかるように思う。

 次に、教育時間を短くした結果、くり返し訓練の要素が少なくなっている。暗算や手書きが身につかないのも、くり返し訓練が少ないからと思う。特に繰り返し訓練の経験が、どこかで1回あると、他の分野でもできるようになる可能性がある。しかし、一回も無いならば、繰り返しスキルを身につけるのは、難しいと思う。

 さらに、奥深い問題は、できないと言うことの、重みである。これは、学校で全生徒が必達と言う建前のため、できない生徒は『XX障害』と言うラベルを貼られるからである。つまり、批判を受けたり・失敗した経験は、『XX障害者=不適合人間』と評価されたと思い込んでしまう。一方、ゲーム社会でリセットと言うことに慣れている子は、このような評価を受けると、直ぐに『リセットしたい』と言うことになる。

 更に就職氷河期の、厳しい経験がより縮こまる性格を、生んでいるように思う。確かにバブル時代の、行き過ぎた求職側の思い上がりはひどかった。その反動として、就職氷河期の求人側の厳しい対応、これが現在も、求職側のトラウマになっているのではないかと思う。ここのような状況では、批判を致命傷と思うことが多い。

 ゆとり教育世代と言うだけでなく、このような社会状況の変化を考えれば、色々見えてくると思う。

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2009年5月30日 (土)

XXの基礎について

 社会のシステムについて、議論するために、法学を体系的知っておくことは、大切だともったから法学の基礎 第2版 を読み始めた。必要な概念装置の理解を得るためには、便利な本だと思う。しかし、この本だけで、法学を勉強するのは難しいと思う。

 一般に、『XXの基礎』と『XX入門』は、きちんと区別しないといけない。確かに、大先生が晩年に書いた教科書には、
  「選りすぐりの基礎事項を選んだ入門書」
があり、特に、長年の経験を踏まえて、
  「この例題をきちんと理解して欲しい」
と言う思いが伝わる本もある。

 しかし、一般に「XX入門」は、主要部分と代表的手法の概要を伝えて、初心者の抵抗を少なくする目的で書かれている。「XXの基礎」は、基礎事項を網羅し、どの分野に展開しても、不自由しないように書いている。初心者向けは、「XX入門」を使って、教育すべきである。

 特に初心者教育は、先端の研究とは別の、高度な専門性が必要と言うことを、知っておくべきである。初心者の向けの教科書が無いから、安易に「XXの基礎」で間にあわすと言うのは間違っている。

法学の基礎 第2版 法学の基礎 第2版

著者:団藤 重光
販売元:有斐閣
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年5月28日 (木)

力を発揮する条件

 ここ数日、就職などに役立つ行動特性を書いてみた。そこでもう一つ、このような行動ができるようになる条件を、考えてみた。私見では、一番大切なことは、これからの将来に対する意欲である。そのような意欲には、自分が認められる。安心して事に当たれる。将来自分のためになる。このようなことが、感じることができれば、意欲が湧くと思う。

 さて、このような安心感は、他人が受け入れてくれているときに、よく生じる。他人に受け入れられると言うことは、自分の言うことを、聴いてくれるということが多い。

 このように他人に聴かれるようになるためには、自分も良く聴くことである。他人を大切にする人間は、自分も大切にされる。これが、意欲を湧かせる、一つの切り口である。

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2009年5月27日 (水)

困った新人の生態

 昨日までは、望ましい行動形態を書いたが、今日は逆に望ましく無い事例を、考えてみよう。日経ビジネスのコラムに3つほど関連した話しがあった。まず、第1例は、先輩に仕事を丸投げする社員である。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090522/195533/

この話しは、色々な原因があるが、一つは、視野の狭さが原因と言えるであろう。そしてもう一つは、苦労する力が無い、と言うことであろう。

次は、新人育成ができていない、マスコミ記者の例である。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20090525/195674/?P=2

最後の例は、学生と会社生活の切り替えができていない例である。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090522/195458/

 これらををきちんと反省すれば、もう少しましな就職活動ができると思う。

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2009年5月26日 (火)

逆境に強い行動特性

 昨日は、「伸びる人間の行動特性」について書いたが、今日は現在一番必要とされている、逆境を跳ね返す、行動特性を考えてみたい。正直言って、1950年代から1990年代までの日本は、大局的に言えば、成長路線であり、逆境と言っても、忍耐することでしのべる場合も多くあった。当然、多くの企業が淘汰され、職を失った人もいるが、他の業種まで考えれば、求人難であった。

 しかし現在は、安定成長と言うか、十分多数の新しい雇用が生まれる可能性が、かなり低くなっている。そのため、消費が落ち込み市場も弱くなっている。このような、境遇を切り開くためには、従来以上の知恵を出し、しかも実用化に持ち込む力が必要である。そこで行動特性を考えてみた。

 まず大切なことは、「物事の本質に対して、逃げずに立ち向かう」である。現在のある姿をきちんと、客観的に見る。そして、その原因と言うか、本質を考え抜く。そしてあるべき姿を、現状に捕らわれず、確りと描く。

 次に、現実的にできる対策を考える。理想論を述べるだけでは、人は動かない。現実に出来ることから進めることで、人は希望をもち動くようになる。多くの人を動かさないと、結局ものごとは成就しない。このためには、明るく、多くの人を引っ張ることが大切である。

 このような本質を考えながら、現実に対処し、未来を切り開くことが、逆境時には必要と思う。当然ながら、一時の非難には堪えないといけない。そういう意味での打たれ強さも必要である。

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2009年5月25日 (月)

伸びる人間の行動特性

 相変わらず就職戦線は厳しいと思う。さてそこで、企業が本当に欲しいと思う人間の、行動特性を考えてみた。ここで企業の状況は、将来投資を考えて、採用を行う、少しだけ経営に余裕のある企業を考えている。

 まず第1は、地に足の着いた、理想状況をきちんと描ける人間である。自分のあるべき姿を、企業の要求していることを理解した上で、描く能力である。この時、誇大妄想的に、できもしない姿を書くのは当然嫌われる。しかし地に足が着くことが良いと言って、まったくリスクを取らない人間も同程度に困ったものである。企業の必要とする、少し上の段階にチャレンジして欲しい。

 その次は、その描いた姿に向かって、実行する力である。今からでも良い。少しでも前に進む。それを日記に書くなどして、自己評価を行う。成長する人間の条件は、自己評価が確り出来ることである。これは良い面・悪い面の両方で確り行う必要がある。

 関連して、失敗を恐れず修正する力が必要である。今の世の中、管理が行き過ぎ失敗が少なくなっている。しかし実際は、小刻みな修正を上手に行う方が、計画に時間をかけるより、有効な場合も多い。例えて言えば、コンビニがスーパーより売り上げが良いという話である。コンビニの場合には、商品をこまめに入れ替え、売れ筋を修正している。これがスーパーに勝つ一つの要因である。このように計画倒れより、実行修正をきちんと行うことが、現在求められていることである。

 但し、失敗も上手に行うことが重要である。会社に致命傷にならないようにする。このためのある限度を弁えることも大切である。

 このような行動特性が必要と思う。

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2009年5月24日 (日)

漢字検定が流行った理由

 漢字検定協会の不正に関し、色々と報道されている。これは協会の体質もあるが、漢字能力の評価に、過剰に依存した部門があるということを、指摘しておきたい。

 それは、企業の採用試験などである。読み書きや聞き取りの力は、仕事を遂行するために、必須の力である。従って、これをどうかして評価したい。しかしながら、
  「試験を行うときには、できる限り客観的な試験を行うべし」
と言うお上のご指導がある。そこで、下手に読解問題を作ると、解答に紛れが生じて、クレームの危険性がある。

 そのため、漢字の試験を行う。あまり文字を知らないものは、文章の読み書きをできない。この発想で脚きり試験として、漢字の試験をしている。

 これを見て、漢字の能力だけが一人歩きをし、その結果が漢字検定ブームではなかったか。

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2009年5月22日 (金)

知っていることと使えること(承前)

 昨日の「知っていることと出来ること」の議論について、もう一つ判りやすい例で議論してみたい。それは、手法の知識である。企業で品質管理や改善活動で使用する、QC手法を考えてみよう。QCサークル活動では、新旧の七つ道具や、QCストーリーなどの手法が確りしている。

 この手法を知っただけで、改善ができるであろうか。実用になるには、使用する個人が使いこなすように練習する必要がある。特性要因図のように書式に書き込む場合でも、どのょう表現すべきか、どれぐらいにまとめるか、初心者には簡単にできない。

 このように、手法として確りしていても、使えるようにするためには、それなりの訓練が必要である。まして、学校で学んだ知識を使えるようにするには、もっと時間が必要である。

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2009年5月21日 (木)

知っていることを出来ることへ

 「知る権利」の議論の一つの根拠は、「知らないことによる不利を防ぐ」と言う観点がある。確かに知らないことで、不利をこうむる例もあるだろう。しかし現在は、ネット社会と言うことで、知識の情報は比較的簡単に入手できる。

 しかし、この知識を使えるようにするためには、それなりの訓練と言うか、習練が必要である。

 現在の教育は、どうも効率重視になりすぎているように感じる。確かに知識だけを伝えるなら、少しの情報を伝えればよく、時間をかける必要はない。一方、知識の使い方は、自分で練習する必要がある。くり返し練習をしないと、身につかないものがある。

 たなんる効率を求め、情報を知っただけで満足するのでなく、地道なくり返しで、スキルを身につけることが大切だと思う。

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2009年5月20日 (水)

日本はなぜ標準化が下手なのか

 日経エレクトロニクスのブログで、車の標準化について、面白いことを書いていた。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20090520/170392/この記事によると、日本のメーカーは、電気自動車の実現に一生懸命である。一方、欧米では、規格作りに熱心である。

 この理由には、色々な側面があると思うが、いくつか仮説を挙げて、今後の検討のために残しておきたい。

その1:日本人の法律作り下手
 明治維新以来の欧米からの法律を、ありがたがって頂いてきた、伝統がある。一方、欧米には、植民地支配や奴隷支配の伝統もあり、規則を自分たちで作り、支配するのは得意である。

その2:物作り現場の発言力
 標準化と言うのは、ある意味割りきりである。現場の実物を前にすると、やはり割り切れないものがある。現場から離れて、机上で作業する方が、冷静に考えることができる。

このような見方もあるのではないか。

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2009年5月17日 (日)

論理の色々

 今まで、論理的な考え方が重要と、色々の話をしていた。しかしこの論理も、広い意味では、物理学などで見る、数式での論証も含んでいる。この場合、ミクロな力学のように、保存則の成立する場合などと、マクロな熱力学のように、因果法則での一方向性の推論がある。

 一般に三段論法では、因果法則のレベルの場合が多い。保存則が成立の双方向性の場合には、必要十分条件の推論なので、言葉での推論では、あまり興味のある結果がでないことが多い。複雑な数式の世界では、面白い結果がでるかもしれない。

 ここで、もう一つの評価軸として、複雑さも加える必要がある。大規模の場合は、抽象化してまとめるか、数式の活用が必要であろう。

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2009年5月14日 (木)

法律の使い方と知識の使い方

 法律の使い方は、一般的な規則を現実的な問題に当てはめる、法的三段論法が基本である。

  一般記述 XXの場合にはYYである
  現状評価 現在の状態はXXの一例である

  結論    従って、現状に対しYYを適用できる

 この考え方は、知識の実世界への適用方法として、基本である。

 狭い意味の勉強では、一般記述を中心多く覚えることになる。しかし現実の世界での実用のためには、現状を評価して、一般法則を当てはめることが大切である。

 このような概念を持つだけでも、知識の活用に関してよい見通しができると思う。

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2009年5月12日 (火)

教科書を残すかノートを残すか?

 自分が学んだ結果をどのように残すか。私の経験では、まずノートである。誰かに説明するつもりで、自分が学んだ事を書き出していく。但し、1回で上手く書けるとは限らない。残念ながら、全体構造がつかめていないとき、部分的について行けなくなったとき、ノートは中断してしまう。しかし、それを乗り越えて自力で納得した経験は、大きなものとなる。そして、自分のペースで書いたノートができると、教科書は何かのとき調べる役割に退く。

 このようなノートは貴重な宝である。このようなものをどれだけ残せるか、それが勉強の成果ではないかと思う。

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2009年5月11日 (月)

知的生産の段階に応じた訓練項目

 昨日も知的生産性の向上について書いたが、知的生産と言う場合に、大きく分けて2つの種類がある。

 まず、最初はルーチンワークに少し毛が生えたような作業である。この場合は、文書作成能力を中心に訓練すると、効果が大きい。その他、対人スキルなどを訓練するのもよいだろう。

 次に、あるべき姿を描く、難しい問題を解決するなどの作業がある。このためには、独創的な発想も必要であり、更にそれを評価する力、他人に説明する力などが必要である。

 このようなスキルを自分の成熟段階に応じて使い分けるのが大切だと思う。

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2009年5月10日 (日)

知的生産性改善についてのアイデア

 先日から、知的生産性の改善について、少し思いつくことがあったので、忘れないうちにメモしておく。基本的な項目は以下のとおりである。

 まず生産の基本である、目的を明確にし、それに正確に対応する。そのために使える資源を、整理整頓しておき、必要ならば入手できるようにする。そして、自分のスキルを向上させる。

 目的を明確にすると言うことは、後工程を含めたお客様の立場で考えることである。お客様に必要とされているものは何か?そのために、自分が解決すべきものは何か?これをきちんと問うことである。問が正確なら、それに対する答えの方針も決まってくる。この段階をおろそかにしていると、知識や手法を色々学んでも空振りになることが多い。

 次に、自分の使える知識や、資源を十分整えておくことである。知識は現実問題に適用して活きてくる。抽象的な知識をどのようにして具体的な問題に適用するか、現実を切り取り、抽象化して理論の概念に合わせる訓練など常に行い、自力で解決できる範囲を常に広げるように心がける。

 そして最後は、スキルである。読み書きのスピードは、常に向上させることを考えないといけない。基本は手書き、その上でパソコン上での処理になる。さらに、対人関係のスキルも大切である。対人スキルも天性のものだけでなく、相手の立場を少し想像するだけで改善されることも知っておくとよい。

 このような向上心を常にもつことは、知的生産改善に役立つと思う。

なお、日常のルーチン業務を、正確かつ速やかに処理することも、必要条件である。雑用とルーチン業務を軽んじている人間に、大きな仕事をできるわけがない。

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2009年5月 9日 (土)

説得の方法は教えても納得のメカニズムは教えない?

 人間が行動するときに、納得すると自発的に動く。従って、他人に自分の意志を伝えるためには、納得してもらうことが大切である。そこで、一寸検索してみたが、「説得の方法」を書いている本はあっても、「納得のメカニズム」の本は、簡単には見つからない。

 このように、送り手・作り手の手法を教えても、肝心の受け手のことを教えていない。日本の行政は、供給側の都合しか見ていないと、同じことだと思ってしまった。

 しかし現在の成功者は、受け手やお客様のことを理解している人が多いように思う。

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2009年5月 8日 (金)

2組の物理学教科書

 物理学の教科書として、力学・場の理論―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) 量子力学―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) と、
ファインマン物理学 (1) ファインマン物理学 (2) ファインマン物理学 (3) ファインマン物理学 (4) ファインマン物理学 (5)
の2つのシリーズのどちらかを最高のものと言う人は多いと思う。しかし、この両者の違いは大きい。ランダウ&リフシッツの物理学は美しい数式の体系を武器に、無駄と隙の無い議論を展開する。一方のファインマンの教科書は、物理学だけに留まらず、眼球の構造まで記述し総合的な理解を引き出すようにしている。また、ファインマンは別途ついていけない学生に対し補講を行っている。ファインマン流物理がわかるコツ

 この両者の発想は、勉強の方法として2つの流れを示している。ランダウ&リフシッツの方式は、数学をきちんと身につけて、数式の追いかけは楽にできるようにした上で、形式体系を速やかに理解した上で、応用問題にあたる必要がある。この場合の勉強は、一気に最後の章まで読み込む力が必要だと思う。また数式の力で、理解力に差が出る。従って、ランダウやリフシッツが、学生に対して高圧的な態度で臨んだことも、納得がいく様に思う。

 一方、ファインマンの教えは、色々具体的な事例等にも目を向けながら、物理学の発展の歴史などを踏まえながら理解を深めていく。更に、物理学を現実の問題に適用して、工学的な問題解決の糸口を与えるようにしている。ファインマンの教科書は、色々寄り道しながら、身につけていくのも面白い。

 どちらの教えがよいか、議論が分かれるだろうが、金銭的に余裕があれば、ファインマンの教科書を読んでみたらと思う。ただ何となく、ランダウ&リフシッツの理論偏重の世界には、何となく危ないものを感じる。

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2009年5月 7日 (木)

ゆとり教育世代の新入社員について

 今年の新入社員は、ゆとり教育世代と言うことで、色々と言われている。その中でも、ここまでやるかと言うのは、
  「新人研修中の課題が、できないと放り出すパターン」
がでてきたと言う話しである。

 確かに、学校生活で、優が取れなければ、単位を放棄すると言う学生がいた。そのような学校時代の発想を持ち込んでいるらしい。このように、ゆとり教育の世代は、学校文化に過剰適応しているように感じる。

 さて、今年の就活に於いては、このような点もPRポイントになるだろう。

 私は、最後までやりとおします。間違いを指摘されるのは、仕方ないと思います。但し、同じ失敗は繰り返さないように勉強します。

 このような言葉が、売り込み文句になるように思う。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090430/193485/

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2009年5月 6日 (水)

論理的思考法についてまとめました

 今まで、論理的思考の大切さについて述べてきたが、思うところをもう一度まとめてみた。http://homepage3.nifty.com/manabizz/Ronrikunren.pdf

 なお、狭い意味での論理や理論は、現実と繋ぎ合わせることができないと、実際の役には立たない。しかし、論理をや理論の道具を確り持っていると、現実を広い網で掬うことができる。普通の人が見逃すことでも、知識や理論の網で捕らえることができることがある。この時にも謙虚に、現実や経験と繋ぎ合わせることで、地に足の着いた知恵の発揮ができる。

 特に現在のような、ネット環境では、知識の入手は比較的容易である。しかし、その評価が重要である。アメリカの教育では、クリエイティブシンキング(=創造的思考)とクリティカルシンキング(=批判的思考)を対にしている。これは、本の読み方でも、批判的読み方と言う形で訓練すべきである。

 批判的読書については、別途述べたいがとりあえず以下の本を参考にして欲しい。

本を読む本 (講談社学術文庫) 本を読む本 (講談社学術文庫)

著者:モーティマー・J. アドラー,C.V. ドーレン
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年5月 5日 (火)

高学歴者社会と専門家の立場

 和歌山のカレー事件と裁判員制度に関して、ある新聞のコラムで、
  「裁判官は高給を取っているのだから、判断に責任を取れ」
と言う主旨を述べていたらしい。確かに、これは一理あるように思う。しかし、ここで気になるのは、責任を取れというなら、
  「専門家としての裁判官の判断に従う」
と言う前提事項が、国民の間に無ければならない。そもそも裁判員制度が生まれたのは、
  「裁判官に任せると変な判断をする」
と言う意見が基本にある。

 専門家を認めて、その判断や行為に対して、皆が敬意をもって受け入れる。その上で、責任をとれという議論なら、納得できる。敬意を持たず、責任だけ追求すると言うのは、いくら金を払っているからと言ってもおかしいのではないか?

 さて、このような専門家への対応は、どう変化してきたのであろうか。少なくとも、明治以降の一つの文化は、大岡裁きや水戸黄門による救済である。つまり、本質的には、お上の裁きを信頼する形である。一部下位におかしい者がいるが、最上位は自分たちの思う結果を出してくれる、『便利な神様』との見方と言ってもよいかもしれない。

 そこで、効果的に機能したのが、明治以降の学校制度である。西洋文明の圧倒的な力をもち、知識差と言う力をもった、『先生』の存在、これが『専門家尊敬』の基本図式になっている。しかし、戦後の高度成長を経過して、高学歴者が多く出現する世界では、教師の知識は、父兄の知識に負ける場合も多くなっている。ここで、子どもの時代から、専門家に対する敬意を訓練する場がなくなっている。更にこのような教師への敬意を、教師自体も拒否する動きもある。教師が他の権威に敬意を表さないのに、その生徒が教師に対して、敬意を表さないと言って、怒る資格はあるのだろうか?

 医療崩壊に関しても、医師に対する敬意と言うもの無くなりが、本質にあると思う。それに値しない医師の存在も含めて、尊敬すると言うことを、もう一度考えて欲しい。

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2009年5月 4日 (月)

高学歴者社会としての日本のあり方

 現在の日本社会の特徴を、
  「高学歴者社会」
と捉えてみた。ここで、”高学歴”と言う表現には、
  「知識は結構ある」
と言う意味合いである。ただし、
  「論理的な思考能力等が身についているか?」
と言う問いには、少し答えにつまるものがある。この理由として、なぜか、
  「物理学はどうあるべきか」
等の根本的な議論が弱いように思う。確かに大先生の、ご託宣は色々ある。ただそれに対して、反論し、更に再反論する中から、真実に近づくと言う過程が見えないのである。

 この理由を考えてみると、明治以降の日本の教育システムは、欧米の進歩をキャッチアップするためにできていたことが、一つの理由であろう。極論すれば、
 「大学と言うものは、海外の成果を、日本に導入して、展開するための道具」
であった。世界で最初に工学部ができたのは、東京大学であった。そして日本の大学では、基礎科学を研究する理学部より、応用を教える工学部の定員が多くなっている。更に、理学と言うものは、どうあるべきか考える、科学哲学を教えるところはもっと少ない。つまり、他人が考えてくれた、科学技術の成果を実用化することが重要で、その基礎を考えたり、社会との関連であるべき姿を考えることは、少なくとも人数的には、軽視されている。また、工学部での一般教養に、科学哲学のような分野が、きちんと教えられているかも疑問である。それどころか、一般教養と言う言葉自体も、死語になりかけている。

 ここで、明治以降の国家指導者の考えた構想を推察すると、
  「国家のあるべき姿に関して考え、議論すべき人間は、
  殖産興業に従事する人達より、少なくてよい」
と言う発想であろう。これは、『海外列強』と言うある意味での『正解』のある世界では、正しかったように思う。しかし、現在のように、方向付けが多様化している社会では、色々な立場からの議論が必要である。

 もう一つ、現在の『高学歴社会』の問題点は、変な大学間の平等主義である。上でも述べたが、科学哲学に関してきちんと論議できるように、1~2年時代の教養課程で確り教えた大学と、高校までの数学や国語の能力を補習して、やっと工学部の学生として卒業させた学生を、『大学卒業』と言う『平等な扱い』をしないといけない。これはおかしいと思う。確かに、工学部卒業と言うことで、もの作りに関しての実務は、大学できちんと教えているかもしれない。但し、自分の専門以外まで口出ししてよいかは、別の問題である。他の分野まで口出しするには、それなりの積み重ねが必要である。そのような基礎として、一般教養というものが存在したが、現在の大学において、一般教養の格差は大きい。

 但し、一般教養は、大学卒業後でも自らの鍛錬で身につけることは可能である。そのように、身につけた後で、他分野に関しての発言は大いに行ってもよい。ただ、
  「大学卒業したから教養があり色々な分野に発言できる。」
との発想には問題点があるといいたい。ヒポクラテスの誓いを、もう一度見直して欲しい。

 現在を『クレイマー社会』と言う人もいる。しかしまず専門家が説明責任を果たす、その説明を、論理的に聞いて判断する。この両者が成立して、社会が円滑に動くのである。現在の高学歴だが、論理的でなく、権威的な高圧発言のみが飛び交う社会では、クレイマーと言う現象が、多くでるのではと思う。

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2009年5月 3日 (日)

論理的思考の勉強としての数学

 今まで論理的思考法について、述べてきた。この訓練として、数学の中でも特に、整数論の初歩を、勉強したらよいと思う。そこで、簡単にまとめてみたので、活用願う。http://homepage3.nifty.com/manabizz/SuugakuRonri.pdf

 また数学のノート作成は、勉強法一般の基礎として大切だと思う。従来のノート作成は、国語や社会の分野で教えていたと思うが、数学でも証明の分析や、考察を加味した、ノートの作成が重要だと思う。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/SuugakuNote.pdf

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2009年5月 2日 (土)

就活中の工学部の学生さんに

 就職活動中の学生、特に工学部の学生に一度読んで欲しい本がある。ソフトバンククリエイティブ(株)からでている「ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け :ニールガーシェンフェルド著、糸川洋訳」である。この本は、MITが、現在の『情報のヴァーチャルな世界や、大量生産世界』とバランスを取る、『個人で実際に物を作る』運動について上手に書いている。

 現在の日本社会では、若い世代は学校的世界に順応しすぎている場合が多い。そのような、『優等生』の人たちに、自分でものを作る『アマチュア的・野性的』な文明を知ることは、大切だと思う。また、ヴァーチャルな世界では、ブラックボックスの中に隠れそうな、加工段階の話しなどにも興味を持ってもらうためにも、この本の効果がある。

 また、大学の学問と実地の違いについても、面白い挿話がある。p106にある、インドの片田舎での話しで、「もちろんセラミック処理をした方がよいことは分かっていますが、どのセラミックを使えばよいかをお聞きしたかったのです。」と言う質問を受けた話しである。このように、現場でものを作りながら、最先端技術に触れている人は多い。従って、学校の意見は、そのままでは彼らに通じないこともある。

 しかし、学問の効果はここから出てくる。先端技術を結果だけで使っていると、変化やトラブルに弱い。このような時、基礎原理まで踏み込んで理解した人間の強みが生きてくる。

 この本を見て、大学の知識を現場で生かすと言うことを、もう一度考えて欲しい。

ものづくり革命  パーソナル・ファブリケーションの夜明け ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け

著者:ニール・ガーシェンフェルド,糸川 洋
販売元:ソフトバンククリエイティブ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年4月29日 (水)

子どもの天才

 あるテレビ番組で見たが 

 「子どものピアノは、多くの天才が生まれる。
  しかし、成人した後まで
  天才であり続けることは、ほとんど無い。」

と言う話しには、色々考えるべきものを含んでいる。一寸思いつくものは、以下のとおりである。

1)子どもの教育訓練効果
 子どもに対して、適切な訓練を集中して行うことで、能力を開発する可能性は、低くない。但し、この場合に評価されるのは、正しく指が動いて、それなりの演奏になるレベルであろう。

2)大人の天才の意味
 大人になって、天才として受け入れられるためには、単に手が動くと言うレベルでは、通用しない。作曲家の思想的な側面や、信仰まで踏み込み、しかも自分の思想まで含めて表現しないといけない。

2')真善美に加えて聖
 よい演奏の評価は、子どもなら直感的にわかる。美と聖については、直感でわかる世界である。しかし大人になると、真や善が絡んでくる。この段階では、自分の哲学や倫理を持ち、しかも他人の信仰にまで理解できないといけない。

 特に、子どもで天才と言われた場合には、知識の幅をもたせて、教養を身につけるのに失敗する人が多いのではないかと思う。その点アメリカの教育と言うか、社会は、天才を特別扱いせずに、育つ機会を与えているように思う。

 ヴァイオリンの五嶋みどりさんや、諏訪内晶子さんは、アメリカの大学で、音楽以外の勉強を学び直している。このような、子どもの天才をきちんと育てるには、日本の風土に何か欠けているものがあると思う。日本で、教養も備えている音楽家としては、青柳先生がいるが、彼女の家系は特別すぎるので、参考にはならないと思う。

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2009年4月27日 (月)

論理的と言っても

 前にも書いたが、今の世の中で必要なのは、前向きに考えて、しかも冷静に論理的に評価できる人材だと思う。しかし、論理的と言ってもいろいろある。ここで思いつくものを列挙してみよう。

1.一番狭い意味では、AND,OR,NOTと包含関係⇒を使うような、記号論理学の世界であろう。

2.次に数学の世界がある。数論や幾何学の証明問題は、論理性を鍛えるのによい。

 なお、ここまでは抽象的な、記号の世界での話しである。

3.この段階から色々な方向があるが、ここからは現実世界との関連で、どのような前提を選ぶかが大きく影響してくる。

3-1 国語の世界では、論理的な文章の表現と、読み方を学ぶことになる。ここでは、三段論法のような局所的なものから、説得のためのレトリックまで大きく広がってくる。

3-2 物理学の世界は、自然現象を数式で表現し,多くのことを予言し,検証している。

3-3 社会学、特に法学の世界では、現実の社会での現象を、評価したり説明したりする。

 このように論理と言っても、どの段階か、よく見極める必要がある。なお、基本になる数学の発想は、きちんと勉強しておくべきだと思う。特に、数論に関しては、一度勉強することをお薦めする。

はじめての数論 原著第3版―発見と証明の大航海‐ピタゴラスの定理から楕円曲線まで はじめての数論 原著第3版―発見と証明の大航海‐ピタゴラスの定理から楕円曲線まで

著者:ジョセフ・H. シルヴァーマン
販売元:ピアソンエデュケーション
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年4月26日 (日)

テストの活かし方

 文部科学省の全国学力調査の結果に関して、今朝の朝日新聞(関西版)33面に、
  「こんな学力調査はいらない 葉山梢」
と言う意見が出ていた。この主旨は、
  「調査結果を生かしていない。個人を調べて指導に生かすためには、
  今の調査は大げさすぎる。」
と言うことと理解した。

 確かに、調査した結果を生かして、改善に繋ぐことが大切である。「それができていない、または、コストパフォーマンスが悪い。」と言うことは、十分批判すべきことであろう。しかし、このような悪さが、表に出たことも、今回の調査の成果であろう。

 本来試験結果は、悪い結果こそ生かすべきものである。しかも関係者全てが、自分の問題として、考える必要がある。まず受けた生徒は、勉強が不足していたことを反省すべきである。次に現場教師は、それぞれの教え方を反省すべきである。また自分の予想通りの成績にならない生徒については、自分の生徒を見る見方を反省すべきである。これらのことは、次にどう直すかで生きてくる。

 一方、教育委員会などでは、学校ごとの差から、何処に行政的手段で改善できるか考えるべきである。予算のつけ方、人員配置色々と悩むことはある。

 さて我々市民は根本的に反省すべきことがある。このような教育委員会の人事は、結局首長選挙などが影響している。どのような主張を選ぶべきか、現状の悪さを明確にしながら色々と反省し、そこから次につなげないといけない。

 今の悪さを明確にする、そのように調査結果を生かせば、無駄と言うことは無いと思う。その生かしかたを知らない人間が、教育行政や現場に多いということが明確になったのは、今回の成果ではないかと思う。

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2009年4月23日 (木)

コンサルタントになる条件

 世の中には、色々なコンサルタントがある。但し、このような人に、コンサルタントとして、助言されたらどうなるだろう?

ケース1:
 就職活動で、失敗して何処も採用されなかったので、キャリア・コンサルタントを開業した。

ケース2:
 ある業界に入って仕事をしていたが、いい加減な仕事しか出来なく、上司に叱られて辞めた。その後、経営コンサルタントの業界に就職した。

 これを聞くと、
  「まずは自分できちんとできるようになってから、人の仕事の口出ししろ。」
と言いたい。

 しかし、会社を潰した経験者が経営コンサルタントになるのは、あるかもしれないと思った。

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2009年4月19日 (日)

創造性と論理能力

 昨日の続きで、論理的思考能力や理論知識が、創造性に役立つことを考えてみたい。特に、
  「理論勉強ばかりしている人は創造性に乏しい」
と言うイメージがあるように思う。確かに知識に捕らわれていると、創造性を発揮するのは難しい。

 しかし、創造性の最初の部分は、自由な発想の仮説提案であるが、その後には、検証の仮定がある。検証には多くの知識と、論理的な推論力が必要である。そのためには、論理的思考力や、知識のストックが必要である。

 世の中に受け入れられる創造的人間は、自由な発想と常識的知識そして論理的思考力の、バランスが取れている必要がある。

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2009年4月18日 (土)

実世界に役立つ理論知識

 実世界の問題で、理論的知識や論理的思考法を活かす方法について、考えてみた。実世界は、複雑多様であり理論どおりに進むわけではない。だからと言って、理論知識を勉強するのは無意味と言う決め付けは早急すぎるであろう。理論を適用する手法を知る。更に論理的思考法の限界と効用をきちんと把握して、適切に使うことが重要である。

 まず理論を現実に適用するためには、現実の特徴を上手く認識し、抽象化する能力が必要である。理論と言うものは、本質的に抽象的な理想世界で、考えるものである。ヴィーコはこれを
 「正しいものは作られたもの」
と表現している。つまり、自分の定義した世界での正しさである。理論と言うものは、キチンと定義した理念の世界で動くから、正しい結果を得ることができる。

 しかし、これだけでは、現実の問題に適用することは難しい。抽象化した世界から、現実の世界に降りて、実際の問題に適用できるか検証する必要がある。抽象化するときには、ある前提を無視している。その無視した項目が現実では意味を持つことがある。このように具体的に考えて、行き過ぎた一般化や、経験則の暴走を防ぐため、一般意味論では、
 「抽象の梯子を下る」
と言っている。

 現実の問題は、多様なので、できるだけ多くの点で確認すべきであると思う。

 

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2009年4月14日 (火)

数学の勉強の段階

 数学の勉強は、以下の4段階で進むことが望ましい。

 1)特殊な場合の具体例の考察(思考実験)

 2)一般法則の推測

 3)法則の証明

 4)証明された法則の適用

 しかし、多くの知識を求めると、このようにきちんと勉強するわけにはいかない。例えば、整数論等をきちんと勉強し直せば良いと思う。

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2009年4月13日 (月)

数学を学ぶ意味

 大学初年級までで数学を学ぶと言うことは、以下の2つの側面があると思う。

  1.物理学などで使う道具としての数学

  2.論理的思考方法を身につける手段

しかし、教える時にこれを理解しているのであろうか?特に、論理的思考法の訓練としての数学教育が、きちんと伝えれているようには思えない。必要受験、十分条件などのことばも理解させていないのではないか?

 また、道具としての数学は、使えるレベルまで訓練が必要である。これはスキルの訓練であり、ある種のくり返し訓練が有効である。ファインマンは微分の式を覚えてしまえと言っている。このような発想では、練習問題を多くすることも必要である。

 しかし、立派な数学の先生は、考え方の理解を重視し、単なる問題数の数をこなすことや、暗記を否定することも多い。私の中学・高校の先生も、問題集を、
 「同じような問題のくり返しで時間の無駄。」
と切って捨てていた。これで失ったものもあるように思う。

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2009年4月12日 (日)

アメリカの作文教育

 アメリカの作文教育の目次を見つけた。色々と参考になるので忘れないように書いておく。

<中1> 「私」についてーレトリックのためのアイデア
 1.出発点(日記。私的な文章。公的な文章。)
 2.もっと良く観察すれば、もっと良く書ける。(細部の観察。視点。目的。など)
 3.感覚を働かせて(五感を働かせる。適切な言葉遊び)
 4.もっと述べることはないか(印象を述べる。比較する)
 5.人々の観察(顔の表情を見る。言葉で画を描く。など)
 6.人々はいかに語るか(対話を聞く)
 7.人々は互いに異なる(個人差に注意する。主想を述べる)
 8.人々は問題を抱えている(問題について書く。解決を示す)
 9.この時、この場所(細部を規定する。ムードをつくる)
 10.経験にもとづいて(細部を選び構成する。冒頭・中間・結末)

<中2>目的を持ってー理由づけのためのレトリック
 1.効果的な文章とは(レトリックのためのアイデア。内容・構造・文体など)
 2.「問題」とは何か(知らせるために書く。内容・構造・文体を使って)
 3.次に何をするか(説明するために書く。望ましい結果を得ること。など)
 4.そこで何が起こったか(必要な情報を含ませること。1H5W)
 5.それは何か(定義づけをする。通知の文章を構成する)
 6.ユーモアを創る(適切な主題を選ぶ。ユーモアの種類。など)
 7.サスペンスを創る(驚きと衝撃。サスペンスを組立てる)
 8.ドラマを創る(即興。スキットを書く。など)
 9.人を動かすことば(説得と行動。説得と考え。など)
 10.世界を動かすことば(言葉の力。説得における内容・構造・文体。説得と聴衆)

<中3>プロットとプランーレトリックのための構造
 1.レトリックとは何か(レトリックの主要な3つの部分。公的な文章の規則。など)
 2.構造とストラテジー(正しい構造を選ぶ。直接的・間接的構造。効果を高める配列)
 3.構造とストラテジーの実践(娯楽のための構造。説得のための構造。最上のストラテジーを見出す)
 4.文から文へーどのように書いていくか(冒頭の文の書き方。一つの文から次の文へ)
 5.ストーリーそのもの(物語の構造と時の順序。クライマックスを組み立てる。冒頭・中間・結果)
 6.パラグラフとは何か(段落の定義。段落における主要な文。段落はいかに構成されるか)
 7.文ー効果的な構造を見出す(効果性と文の長さ。変化と強調。など)
 8.アイデアを組立てる(一般化に制限をつける。誤った一般化を認識する。など)
 9.一般化のための構造の型(詩・散文における一般化。分類)
 10.特別な型(質問・応答の型。枠組。事例)
 付 スピーチ・ハンドブック

<高1>眼で見る以上にー論理とレトリック
 1.作文と思考におけるレトリック(内容・構造・文体・段落の構成。正しい思考のための構造)
 2.ことばの意味ー意味論入門(ことばの意味。文脈でのことば)
 3.意味論(つづき)-外延と内包(外延的意味と内包的意味。内包はいかに我々に影響を与えるか)
 4.抽象と具体(抽象のレベル。レベルの固定化。抽象的に書く。具体的に書く)
 5.決定、演繹的推論(仮説を立てる。意味の重味づけをする。討論の技法)
 6.演繹的推論の型(基本的な推論の型。確率と演繹。推論における問題点)
 7.推論と事実(事実についての推論。誤った推論とユーモア。価値判断)
 8.創造的な見方(ものごとを事実として見る。ものごとを創造的に見る。直喩・隠喩・類比)
 9.創造性の諸側面(現実性と創造性。空想と確からしさ)
 10.視点(物理的な視点。心理的な視点。物語り調)
 付 スピーチ・ハンドブック

<高2>みんなが聴いているか?-説得のためのレトリック
 1.書く前ーアイデアを見つける(主題に集中する。注意と考慮。問いかけから意見へ)
 2.事実・意見・仮定(事実と意見との区別。仮定と意見。仮定と聴衆)
 3.聴衆(聴衆のさまざま。特定の知識をもった聴衆。聴衆に合う材料を用意する)
 4.正直さと聴衆(聴衆へのおもねり。宣伝と正直さ。適正なバランスを保つ)
 5.説得の要素(聴衆の心をつかむ。自分の主張の根拠を示す。セールスポイントを出す)
 6.レトリカルな問題(信頼度。仮定をチェックする。など)
 7.一つの「良い理由」を示せ(仮定の検証。推論における問題点。論理的な理由を示す)
 8.証拠とは何か(証拠をテストする。証拠と聴衆。内的な証拠からの推論、<例えばマクベス夫人の行動について彼女の性格から説明しようとすること>)
 9.感情への訴えー取り扱い注意(感情への訴え。説得のことば。説得における問題点)
 10.評定と生徒ーリサーチの事例
 11.リサーチのための案内(リサーチとな何か。そのやり方。リサーチペイパー)
 付 スピーチ・ハンドブック

<高3>パブリックな眼ー文体とレトリック
 1.書くことは発見することである(内容・主題を見つける。適正な構成をする。目的に応じた文体)
 2.日誌(日誌とは何か。アイデア銀行としての日誌)
 3.文体の分析ー語(抽象的な語・具体的な語。象徴的な語。特殊な専門語を避ける)
 4.文体の分析ー文(文の形式。並べる言い方。洗練された文の型)
 5.文体は人なり(文体は何を表すか。書き手と読み手。皮肉な調子)
 6.文体は内容である(明瞭さを目指す文体。誠実さを示す文体。適切さを示す文体)
 7.レトリカルな視点・作者の位置(文法と視点、例えば一人称・三人称なお。想像された視点。など)
 8.文体のレトリック(文構造のレトリック。語のレトリック。ことばのレベル)
 付 スピーチ・ハンドブック

言語論理教育入門―国語科における思考 (教育新書)

著者:井上 尚美
販売元:明治図書出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 
P184~191

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2009年4月 8日 (水)

新入社員の持つべき本

 本日ある大学の先生と議論する機会があった。その時、新入社員が大学での勉強の成果として、持つべき本が、話題になった。結論としては、その分野のトップレベルの本、又は古典的な本と言う話である。

 例えば、コンピュータの世界では、K&Rの「プログラミング言語C ANSI規格準拠 」や、「計算理論の基礎 [原著第2版] 1.オートマトンと言語計算理論の基礎 [原著第2版] 2.計算可能性の理論 計算理論の基礎 [原著第2版] 3.複雑さの理論」であろう。「ソフトウェア作法 」も古いが考え方としては面白い。

 また物理学では、ファインマンの物理学か、ランダウ・リフシッツとなるだろう。「ファインマン物理学 (1) ファインマン物理学 (2) ファインマン物理学 (3) ファインマン物理学 (4) ファインマン物理学 (5) 」がメインだが、「ファインマン流物理がわかるコツ 」も面白い。「力学・場の理論―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) 量子力学―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) 」は、文庫本だが読み応えがある。大学の知識を整理するために、これを読むと言うのも面白いだろう。

 そこで数学となると、難しい。古いが、高木先生の3部作になるか?「解析概論 改訂第3版 軽装版 初等整数論講義 第2版 代数学講義 改訂新版 」それとも、ハーディ・ライト「数論入門〈1〉 (シュプリンガー数学クラシックス) 」や、ヒルベルトの「幾何学基礎論 (ちくま学芸文庫) 」となるのかな?

 しかし、近頃は本が多くでているので、何を選んだらよいのか一寸迷ってしまう。

 但し、私が評価するのは、古典言える本物を選ぶ人である。

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2009年4月 7日 (火)

教育の投資は何処に向かうべきか

 日本の学校教育を見ていると、知識が深い人間を、より深く育てる仕組みのように思う。つまり、知識面で有能な人間に対して、より能力を伸ばすことに主要投資を向けている。このような教育の一つの理想は、大学の教官を作ることである。大学教授たちは、大学との間の契約で勤めている。このような、自立した人材を作るのは、大学教育の一つの理想であろう。このような、自立した人材は、企業も欲しく正社員で抱え込もうとする。そして、社内教育で更に伸ばしていく。企業の競争力を伸ばすためには、このような
  「自立した人材を更に伸ばすこと」
が有効である。

 しかし、社会維持のコストで考えてみると、自立できない人間を教育訓練して、生産的な仕事に向けるのも有効と思う。社会的に必要なスキルや、最低限の知識を教える仕組みも、必要ではないか。現在の社会では、このような部分を会社で教える仕組みが、ある程度機能していた。しかし正社員の道が狭まると言うことは、このような訓練を受ける機会が減るということである。終身雇用が当たり前になったのは、第二次大戦後である。しかし、戦前には、徴兵制と言う仕組みもあり、ある種の集団生活の訓練ができていた。このような、社会的訓練を、弱者に対して行うことで、社会一般としての生産性向上に繋がるのではないか。

 大企業が良い人材を囲い込むのは、ある意味で社会としての、機会損失になるのではないか。但し、ここまで統制する発想にも抵抗がある。

 しかし、安定成長の社会では、有限人材で最高の成果を求める、付加価値中心の発想が重要ではないかと思う。

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2009年4月 4日 (土)

指導者の考え方

 昨日も書いたが、ランダウ=リフシッツの教え方について、面白い1項目があった。力学・場の理論―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) の、解説(p396)の記述である。1961年に、ニールス・ボーアがソ連を訪れた時ある人が、どのように理論物理学の第一級の学派を作り上げるのに成功したかと問うた時にボーアは、

 「おそらく、私が馬鹿であることを私の学生たちに
  覚られるのを私が決して恥じなかったからでしょう」

と応えた。しかし、通訳に当たったリフシッツは、 

 「おそらく、私の学生たちにたいし彼らが馬鹿であることを
  指摘するのを私が決して恥じなかったからでしょう」

と訳した。但しこれは単なる誤訳ではなく、常日頃ランダウやリフシッツが学生に対する基本姿勢であった。

 実際の教育に当たっては、上記両面の厳しさが必要である。まず教える人間は、自らの失敗や無能さを、学生に対して隠してはいけない。失敗してもそれを修正すればよいのである。一方、学生の”現在での”無能さをきちんと指摘し、今後の成長を導くことも重要である。

 自分に自信がなくて教える人間は、権力に頼り自分のミスを学生に見せないようにする。さらに、学生の欠点指摘にも及び腰になる。本当の教育には、自分にも学生にも厳しさが必要である。

 なお、ソ連の教育は、体系的にはきちんとしている。しかし一度落ちこぼれた人間は、それ以降に進めないように思う。まるで計画経済そのものである。ランダウの本は、数学がきちんと身に付いていないと、とてもついていけない。

 一方、ファインマンの本では、トップクラスの学生に厳しく教えると言う姿勢はあるが、微積分の考え方を補講すると言うやさしさもある。計画だけで、できる人間だけを教えると言う姿勢では、どこかで無理が出たのではないかと思う。

ファインマン流物理がわかるコツ ファインマン流物理がわかるコツ

著者:リチャード・P. ファインマン,ラルフ レイトン,マイケル ゴットリーブ
販売元:岩波書店
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2009年4月 3日 (金)

理工系の新入社員に薦める本

 今年理工系の大学を卒業した皆さんに、お勧めの本が見つかった。

 「ファインマン流 物理がわかるコツ:岩波書店」

 これはご存知の「ファインマン物理学」の補充としての出版であるが、物理の知識を現実の現象に当てはめる方法を上手に説明している。学校で学んだことと、現実の問題解決の橋渡しとしてよい本と思う。

 またこの本には、「ファインマン物理学」の生まれた舞台裏についても書いている。「ファインマン物理学」は1960年代前半の講義が母体である。一方、その少し前1958年にアメリカに対立していたソ連には、ランダウ&リフシッツの「理論物理学教程<大教程>」の出版が始まっている。1957年の10月には、ソ連がスプートニックを打ち上げ、それに続けてこの「物理学の卓越した教科書」を見せ付けられた、アメリカの反応がPSSCであり、ファインマン物理学であった。

 現在の私は、両方の著作を完全に読んだわけではないが、ランダウ&リフシッツの理論的な明晰さには惹かれるものがあるが、ファインマンの現実と対応した物理学の方が、身につくものが多いように思う。ただし、旧ソ連の思想では、
  「有能でないものは、物理学等学ぶ必要はない」
と言うことだろう。

 昔貧乏学生時代には、どちらの教科書も買うことができなかった。大学の講義は、ランダウ思想の抜粋らしく、物理が嫌いになった。そのようなうらみも少しあるのかもしれない。(苦笑)

ファインマン流物理がわかるコツ ファインマン流物理がわかるコツ

著者:リチャード・P. ファインマン,ラルフ レイトン,マイケル ゴットリーブ
販売元:岩波書店
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力学・場の理論―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) 力学・場の理論―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫)

著者:L.D. ランダウ,E.M. リフシッツ
販売元:筑摩書房
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量子力学―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) 量子力学―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫)

著者:L.D. ランダウ,E.M. リフシッツ
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2009年4月 1日 (水)

新入社員へのアドヴァイス

 大学卒業の新入社員、特に技術系の皆さんに、もう一言アドヴァイスしておきたい。それは、
  「勉強する力を維持しなさい」
と言うことである。

 これは、今すぐは役に立たないかもしれない。しかし、10年後、20年後に役に立つ。なぜなら、入社直後の仕事は会社で教えてくれる。そして必要な知識は、先輩の教えや前例の中に入っているので、教わったとおりで何とかなる。

 しかし、10年以上会社にいると、技術が変化するか、自分の立場が変化がする。例えば、技術の陳腐化、新技術の出現、管理的・経営的立場への昇格などである。その時必要なことは、幅広く確り理解した基礎知識である。大学の学部時代の知識が有効になる。

 そのためには、今までの勉強した教科書をもう一度見直したらよい。そして試験の成績でなく、自分の納得や、
  「実世界の現象を説明できた」
と言う成功体験を積むことが大切だと思う。

 若いときに勉強する力を残しておかないと、40ぐらいであせっても遅い。

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2009年3月31日 (火)

勉強の条件

 今朝は、
   「勉強をするための条件は何か?」
と考え直してみた。まず思いつくのは、
   「基礎知識の有無」
である。しかしそれより大切なものがある。それは、
   「学ぼうとする意欲を持続させるもの」
である。それには、
   「自分の現状を謙虚に見て、良いものを求める価値観」
のようなものが必要と思う。

 勉強を継続するためには、
   「現状に甘んじないで、常に良いものを求める意欲」
が一番重要と思う。

 なお、新しいことを学ぶには、
   「計画通りのことより創造性が重要」
だと思う。これは、指示待ちの勉強では限界があると思う。

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2009年3月28日 (土)

大学2年を迎えるあなたに

工学部で学ぶあなたに

 お久しぶりです。その後お元気にお過ごしですか。

 さて、今回は工学の基礎について、『物理数学』を勉強することとで、効率化出来ることをお伝えします。大学1年で学ぶ数学は、解析学や線形代数学が主体です。これらの数学は、実際は物理学で使われるための道具になります。ニュートンが力学のために微積分を、作り上げたことは物理と数学の関係の一例です。このように学んだことが、後に使えると言うことを、知っておくことは、勉強の意識付けや、重み付けができるでしょう。もう一つ付け加えるならば、
  「数学のノートは、演習問題を解くためだけにある。」
のではありません。
  「今学んだ数学的知識を、後で使うとき参考にする」
ために作成するのです。

 さらに、物理数学の目で見ると、「力学で学ぶ」振り子の振動が、コイルやコンデンサの電気回路と同じ数式で扱えます。このような観点を、早くから身につけておくと、勉強の効率化にも有効です。
  「色々な先生が言っていることは、抽象化してみれば
  同じ数式で記述できる。」
このように見ることができれば、理解も早くなると思います。

 例えば、サイエンス社の『物理数学ノート』は、数学の参考書としては、記述の省略が多いのですが、物理学のために使うと言う観点は、良く判ると思います。この本は、今すぐ総て解かると言う訳には行かないでしょうが、今後の役には立つと思います。

 機会があれば、図書館でも見てください。

 正体不明のおじさんより

物理数学ノート―基礎物理をよりよく理解するために (SGC BOOKS) 物理数学ノート―基礎物理をよりよく理解するために (SGC BOOKS)

著者:佐藤 光
販売元:サイエンス社
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2009年3月22日 (日)

与えられた学問としての物理学

 前にも書いたが、物理学の勉強の方法として、例えば電磁気学ならば、マックスウエルの方程式のような、綺麗な基本原理から展開していく方式と、クーロンの法則のような身近な問題から原理を追求して基本原則にいたる方式の2つの方法がある。前者の基本原則から展開する方法は、良く体系付けられて整理されているので、学ぶ時には効率的に見える。しかしながら、与えられた真理を、学ぶという『受け身の姿勢』がついてしまい、自分で新しいことを発見すると言うには、別の訓練が必要になる。

 ここまで、物理学の勉強について考えてきたが、これと同じような話しを、山本七平氏の話で何度か見たように思う。それは、法律の話しである。明治維新以降の日本の法律は、自分で議論して作り上げたものではなく、どこかの国のお手本を真似した、継受法である。

 こう考えてみると、日本の学問体系は、どこかに正解があり、それに合わせこむ秀才型の勉強が主体であり、自分で発見すると言う話しは弱いように思ってしまった。

 なお、どこかに正解があるという『プラトニズム』の姿勢は、研究やイノベーションについては、悪い話ばかりではない。現状を創造的に否定し、より良いものを求める。その時には、どこかに理想があると言う、求道的な精神が有効なことも多い。運慶が木の中から仏様を彫り出す話しもあったが、これは発見の一つの側面を良く突いている。どこかにある理想形を、自ら彫り出す。これは一つのイノベーションの姿勢ではないか。

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数学の勉強の意味について

 ここ数日、物理数学の本を読んでいる。今まで数学基礎論の関係に興味があったが、もう一つの数学を見つけたように思う。大学で学ぶことを、効率的に理解するためには、微分積分等と行列~テンソルの物理数学を、確り理解することが大切である。このような、物理数学は、道具としての数学である。特定の事象間の関係を、上手に記述するための手段としての数学である。この場合は、公式や結果を調べることができれば、OKと言う話しである。極端な話し、「数値計算で結果が出せればよい」、「インターネットで調べて結果が出ればよい」と言う発想でも良い。

 しかし、数学の勉強には、もう一つの側面がある。それは、論理的な思考法を身につける手段である。このためには、整数論や数学基礎論をきちんと学べば効果的である。

 現在の講義カリキュラムを見ると、微積分などの解析学と、線形代数学しか教えていないことも多い。そして、集合論を少し。これは中途半端になりそうである。

 さて、ここまで書いていたら、結局高木先生の著作をきちんと理解しろと言うことになってしまった。大先輩に脱帽。

解析概論 改訂第3版 軽装版 解析概論 改訂第3版 軽装版

著者:高木 貞治
販売元:岩波書店
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代数学講義 改訂新版 代数学講義 改訂新版

著者:高木 貞治
販売元:共立出版
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初等整数論講義 第2版 初等整数論講義 第2版

著者:高木 貞治
販売元:共立出版
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2009年3月20日 (金)

数学の学び方と使い方

 昨日の続きで、数学の勉強方について、もう少し思うところを述べたい。私は、知っていることは、使えないといけないと言う主義である。しかし、数学に関しては、2つの使い方があるように思う。

 1.論理的な思考方法の訓練
 2.物理学や社会現象の記述・推論手段としての数学

 大学で教える数学は、どちらかと言うと1.の論理思考の訓練と言う部分に軸足がある。その結果、例外的な部分を厳しく教えることが多い。また、微分方程式の解などは、自分で苦労して探すことが重要である。

 しかし実用数学の立場では、微分方程式の解などは結論を先に知って、その導出を納得すれば十分と言うことも多い。そして、このような形で全体の見通しを良くしてから、細部を突っ込んで考えても良いと思う。

 数学の成績が悪くても心配せず、物理学をきちんと理解できるレベルの数学を、身につけて欲しい。

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2009年3月19日 (木)

数学の学び方について

 物理学を勉強するためには、数学の知識が重要である。逆に、数学のかなりの分野は、物理学の応用を考えた方が、理解しやすい。特に数学の教科書を読むと、何か特別な部分を重点に学ぶことになる。

 しかし、物理数学の立場だと、必要な関数なども大分簡単になる。例えば、関数は「連続であり導関数も連続」と言う風な、素直な関数で話が進む。大学の工学部の学生は、数学でなく、物理数学を学べば良いのではと思う。

物理数学ノート―基礎物理をよりよく理解するために (SGC BOOKS) 物理数学ノート―基礎物理をよりよく理解するために (SGC BOOKS)

著者:佐藤 光
販売元:サイエンス社
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2009年3月18日 (水)

コピペ論争に対する一つの反論

 感想文の宿題に対して、例文をインターネット上で探して、コピー&ペースト(以下コピペ)で作り上げる子どもがいると、学校の先生方が問題視している。これに対して、例文をインターネット上で公開している人の反論が面白い。

 「書き方も教えずに、感想文の宿題を出し生徒をいじめている。
 その対策として、コピペ用のサイトを作った。」

 この言い分はかなり説得力がある。更にもう一言
 「感想文の正解が判らない子の為に、文部科学省
  推薦(=お役人好み)の感想を並べた。」
と言えばモット説得力があると思う。

 素直な感動をそのまま書くことを、本当に許しているのであろうか?

 そうでなく、押し付けの感動を書くならば、コピペとどれほどの差があるのだろう。

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2009年3月17日 (火)

教育ビジネスがこれから伸びる

 あるサイトで、
  「コンピュータシステムのSEをしている人が、
   プロジェクト管理を任されて失敗した。
   そこで彼は、プロジェクト管理教育をしなかったと
   会社を訴えた。」
と言う話しを読んだ。

 これは、年寄りの私達には理解できない世界である。30年ぐらい前に、SEとプロジェクト管理をしたときには、手法も何もかも自分で調べて手探りで失敗しながら、自分の方法論を作り上げて言った。

 そこで、
   「教わっていないと会社を訴えるなど」
とは、とても思いつかない。先輩に対して恥ずかしいと言う発想である。

 このような発言が出てくる理由は、一つはインターネット世界があると思う。掲示板で同じような世代が交流すると、教わっていないと言うことを、堂々と言えるようになると思う。ネット社会で変ったものと思う。

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2009年3月16日 (月)

物理学は真理か?

 物理学の教科書を読んでいると、発見の歴史が見えないことがある。そこでうっかりすると、現在の物理学の形が最初から存在したように誤解するようになる。特に、熱力学と統計力学の関係などは、このような形になったのは後知恵で整理した結果だと思う。

 パースの発想では、学問と言うものは「常に進化する」ものである。こう考えると、学問の進歩を追いかけるのも有効である。しかし、学問は「ある真理を発見する」と言う立場では、一つのものを記述すればよい。

 明治以降の日本の学問は、欧米の成果を受け入れてきた。そこでは、「真理が存在する」と思い込んでしまったように思う。しかし、イノベーションを求めるなら、自分で、「より良いもの」を探す必要がある。

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2009年3月13日 (金)

数学の勉強法について

 大学初年級の線形代数学の勉強について、注意して欲しいことがある。行列の扱いは生まれは、連立1次方程式の解法である。そこで最初は、1次方程式と言う高校までの用途が見えている。しかし、その後高次元のベクトル空間の処理と広がっている。このような拡張段階で、「なぜこのようなものを学ぶのか?」と悩むのではと思う。

 線形代数の勉強では、ある程度割り切って、あるルールで変形するゲームと考える方が良いと思う。

 特に数学のでは、適当なラベルを使うことで、処理が簡単になることが多い。行列を”A”と言う風に一文字で表すことで、処理を簡単にする効果もある。

 

 

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2009年3月 8日 (日)

良い研究開発とは

 昨日の続きで、良い研究開発について、もう少し議論してみたい。今回は、良い研究開発の必要条件である、論理性に関して議論してみたい。ここで、論理と言う場合は、広い意味に理解して欲しい。まず、演繹的推論の重要性に関して議論したい。
  「デカルトの展開した、演繹的な論理は、
   しっかりした論証ができるが、あらかじめ
   解かっていることに、情報を付け加えることが無い。」
と言う批判は一面では、当たっていると思う。しかし、現実の問題は、多様な可能性がある。その仮定の下で、
  「ここから先はしっかり言える。」
と保証するのは、演繹的な論証である。ここで論証と言ったが、これは数学や物理学等の、既存の学問のかなりの部分が、この機能を果たしている。このような個別の論証がしっかりしていること、多様な理論の適用が出来ること。これらは良い研究開発の必要条件ではないかと思う。

 しかし、現実の世界は多様な複雑さを持っている。そこで接した時、既存の理論では説明のつかないこと、今まで未知のことと遭遇することも多い。その時、これを説明する適切な仮説を設定する。これも重要な能力である。既存知識に捕らわれず、自由な発想が大切である。しかし、ここで自由なだけだと、"幼い発想"に留まってしまう。その仮説を支える理論的な構造を、理論世界で演繹的に構築し、矛盾が無いか検証する。更に現実の事例と照らし合わせて、検証する。このような過程を経て、よく管理した良い研究開発に至るのである。『自由な発想、現実に対して謙虚に向き合う、但し検討は厳密に行う。』、研究開発の成功は、知識よりも行動特性と思うようになった。

 最後に、工学の専門家の行動手法についてまとめた資料を参考用に提示しておく。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/EngAna.pdf

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2009年3月 7日 (土)

「幼い発想」と「良い研究開発」とは

 お世話になっている、日経BPのANNEXで宿題をいただいたので、ここでもう少し考えを整理しておく。(ANNEXでのハンドルは"団塊の残骸")

 http://annex.techon.nikkeibp.co.jp/notes/show/4546?cnt=4307

 まず、このような研究開発に関しての私のイメージは、零戦の開発歴史の検討が一つの母体になっている。零戦に関しては、色々な本があるが、主設計者の堀越二郎氏と柳田邦男氏の本を挙げておく。要点は、大学卒業したての新進気鋭の堀越二郎氏が主務として最初に設計した、七試単戦はアイデア倒れのブサイクなものであった。しかし、発注側の海軍が可能性を見込み、ベテランパイロット達が色々と教えた。この失敗の教訓を活かしたのが九六艦戦で、物作りの細部まで気を配ったすきなの無い設計であった。

 しかし、海軍の要求は更にエスカレートし無理難題を突きつけてきた。これに、当時の日本の工業力で到達できるぎりぎりの答えが、零戦である。少なくとも昭和12年~18年の零戦は、世界最優秀飛行機と言えるであろう。

 この3段階は、「良い研究開発」の一つの流れを示していると思う。

 まず、1回目は、「未経験の幼い設計者」のアイデアを、何とか形にしてみる。そこでは、ものづくり現場や、利用者の立場など色々見当モレの部分がある。それを恥じて反省することから技術者としての飛躍が始まる。なお、この段階で先輩の"常識"の妥協すると飛躍することはできなくなる。

 次に、従来技術のブレークスルーを、した一つの製品を仕上げる。この段階で、全体として見直すことができる。こうしてできたものから次の製品への検討が始まる。

 そして本当の、ブレークスルーは、今までの成功を踏み越えることでできる。最初の段階で、”先輩の常識”と言ったものが自分の頭の中にも生まれる。これを乗り越えて、より上を目指す。前に作った名作は、今回の作品の全体イメージを与える習作と言うぐらいの割りきりができるかが、良い技術者の条件となるであろう。

 なお、私が最初に「幼い発想」と言ったのは、「学校卒業直後のもの作り現場を知らない発想」と言う意味であった。しかしこの問題は、追及すればますます深みが出てくるようである。また、大学の研究でも、単なる答えから、丈夫な答えまで改善する現実的な研究も行われていることも付記しておく。

零戦の遺産―設計主務者が綴る名機の素顔 (光人社NF文庫)

著者:堀越 二郎
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零式戦闘機 (文春文庫 や 1-1) 零式戦闘機 (文春文庫 や 1-1)

著者:柳田 邦男
販売元:文藝春秋
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 講談社+α文庫 「墜落:加藤寛一郎」 p395~p398

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2009年3月 6日 (金)

数学と物理学の本棚を見て

 先日本屋で物理学と数学の本を探した。そこで気が付いたが、「直感的に解かる」と言う主旨の表現の本が多くあった。これは、30年程前には無かった現象である。当時は、数学は抽象的な概念を、きちんと理解し身につけることが大切と教えられた。そして、物理学においても同様であった。但し、物理学の場合は、数式の変形問題の意味を理解していないと単位を与えられなかった。そして直感的な説明は邪道と言う見方もあった。

 それが現在では、大きく変っている。

 直感的と言うことが、タブーで無くなったのであろうか?

 それとも、先生方の年齢が上り経験が増したので、例え話が上手になったのであろうか?

直観でわかる数学 直観でわかる数学

著者:畑村 洋太郎
販売元:岩波書店
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2009年3月 1日 (日)

物理学に関して誤解していた

 物理学は、ニュートン力学に代表されるように、原因結果がきちんと決まる理論だと思っていた。特に保存法則が成立する世界では、時間的に遡ることも可能である。そこで、熱関連での不可逆性が気になったので、もう一度統計力学について読み直してみた。

 すると、統計力学にする段階で、ミクロな分子や原子の情報の大部分が、捨てられていることに気が付いた。このように情報が捨てられる。または、環境に散逸するならば、一度行ったことを、逆転させるのは不可能である。

 特に、このように情報を捨てる作業は、複雑な現実を上手にモデル化するためには必須手段である。但し、情報を捨てると間違う可能性もある。この決断と、誤ったときの修正能力が重要である。

 例えば、金融工学などでは、
   「社会の状況をシミュレートするのに、近似が甘かった」
と言う議論がある。しかし、複雑な現実はそう簡単に記述できるものではない。
   「ある種の数式で、少し方針が見えれば良い。」
程度の割りきりと謙虚さがどこかでなくなったのであろうか?

 もう一度、統計力学が生まれた経緯をきちんと理解するのが、大切だと思った。

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2009年2月26日 (木)

数学の学び方(大学と企業の違い)

大学工学部で学んでいるあなたに

 お久しぶりです。今は大学も試験休みでしょう。そして、あなたは今まで受けた期末試験の結果を、楽しみ(心配?)にしているでしょう。さて、今回の試験には、数学がありましたか?数学の成績は如何でしたか?

 実は、私は大学にいた間は、数学の成績は最低でした。何故か問題が解けないと言うことと、何のために勉強しているか良く解かりませんでした。特に、『固有値』などの言葉に引っ掛かり、よく解かりませんでした。

 しかし会社に入ってからは、フーリエ級数と、歪み波形の高調波成分の対応など、現実の問題に数学が使えることを知って、数学の便利さが改めて、理解できるようになりました。前にも書きましたが、数学を単独で学ぶより、応用数学として力学や電気の問題と関連付けて、数学を使う立場で勉強した方が、面白く勉強できました。

 このような勉強では、練習問題の答えを思いつかなくても、例題の意味を良く考える方が、効率的に勉強できたように思います。

 数学の勉強は、問題を解くことにあるという、高校までの偏見で、私は勉強しそこなったように思います。私と同じ誤りに、落ちないように、数学は使うものであると考えて、勉強してください。

 正体不明のおじさんより 

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2009年2月22日 (日)

学校制度と内弟子制度

 日本のものづくりは、「見えないところまで、気を配っている。」と、高く評価する向きがある。このような仕事を育た要因として、昔からの職人などでおこなわれた内弟子制度などの、全人格的な育成方法もあると思う。内弟子制度では、親方や師範の家に住み込むから、実質24時間監視されている。その緊張に耐えて、物を作ると言うことは、済む図実までの気配りを自然と行うようになるであろう。

 さてこれが、学校制度ならばどうなるか?学校が終われば自由時間と、切り替えがきちんとできている。このような生活では、割り切りが働いてしまうであろう。

 今の世界は、学校的管理は、きちんと働いているが、全人格的な管理までは進んでいないように思う。

 逆に、学校制度で、24時間戦える人間を作るのには、全寮制で24時間指導でないと難しいように思う。

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大学理系で学ぶあなたに

大学の理系で学んでいるあなたに

 あなたが理系の大学で、今後成長するためには、物理学の基礎的な理解をしっかりする必要があります。具体的には、解析力学の段階です。ラグランジアンやハミルトニアンを使うために、一般化した座標系を使いますね。
  「具体的な、空間のXYZ座標から離陸して、抽象化した
   位置情報と速度情報か運動量を座標として考える。」
このような発想を理解する。上手く現実世界の現象を説明できるように、一般化した力などの、概念上の道具を使っていく発想を学ぶことが大切です。くどいですが、エネルギー保存法則の使い方をしっかり学んでください。

 また、ミクロの世界とマクロの世界を繋ぐ、統計力学の発想も重要です。熱力学で学ぶ、圧力などは、マクロの情報です。これを、個別原子の動きから導くには、情報が大きく減少します。その結果、可逆性が失われます。そのようなからくりを、きちんと学んでください。

 物理学には、可逆性が支配するミクロの世界と、非可逆なマクロの世界が存在します。

 この両者の違いをきちんと理解してください。特に非可逆の世界は、情報の減少がどこかで働いていることを、理解してください。

 それでは、この春休みを有意義に過ごしてください。

 ミクロな物理学の理解は、ランダウ=リフシッツの力学が面白いです。

力学・場の理論―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) 力学・場の理論―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫)

著者:L.D. ランダウ,E.M. リフシッツ
販売元:筑摩書房
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量子力学―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫) 量子力学―ランダウ=リフシッツ物理学小教程 (ちくま学芸文庫)

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マクロの物理学の話しを概略で理解するのは、これが面白いです。

岩波講座 物理の世界 統計力学〈1〉ミクロとマクロをつなぐ―熱・統計力学の考え方 岩波講座 物理の世界 統計力学〈1〉ミクロとマクロをつなぐ―熱・統計力学の考え方

著者:蔵本 由紀
販売元:岩波書店
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岩波講座 物理の世界 統計力学〈2〉マクロな体系の論理―熱・統計力学の原理 岩波講座 物理の世界 統計力学〈2〉マクロな体系の論理―熱・統計力学の原理

著者:吉岡 大二郎
販売元:岩波書店
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2009年2月17日 (火)

歴史教育に現在の道徳を入れるな

 歴史の教育において、現在の道徳観を持ち込むと、真実が隠れてしまう。例えば、江戸時代の武士の振る舞いは、武士としての感性であり、現在とは異なる。例えば、薩摩藩の財政建て直しとは、調所笑左衛門が500万両にも及ぶ膨大な借金を、商人を脅迫して借金を無利子で250年の分割払いとしたことによる。更に、これを飲んだ商人の中には、琉球等を通した密貿易で、逆に大儲けした者もいたと聞く。

 このような行動は、現在の道徳観では許されるものではない。しかし、これを許されないから、教科書に載せないと言うことも間違っている。

 更に、一部だけの記述も誤解を招く。例えば、借金を無理やり、無利子長期支払いとさせたことだけ書き、密貿易利権を与えたことを書かないなどである。

 これは、
   「権力を持った武士は悪く、商人は泣かされていた」
と言う価値観に毒されているように思う。

 その当時の価値観を考慮し、自分の価値観から自由な目で見る必要がある。

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2009年2月16日 (月)

このような採用があった

 日経BP社のHPで面白い記事を見つけた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090212/185850/?P=2

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090212/185850/?P=3

 この採用条件は、今の企業の就職試験問題としても使えそうである。

 忘れないうちに、記録しておく。

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2009年2月15日 (日)

ネット上の発言について

 ネット上での炎上や、度を越した書き込みが、社会問題となっている。これは、ブログや掲示板に簡単に書き込みできる、仕組みによって、書き込むことができる人間が、大幅に増加したからと思う。従来のマスコミの世界では、ご意見受付や投書と言う形で、受け付ける段階で評価を受け不適切と判断されたものは、拒絶されていた。しかし、ネット上のソフトは、自動的に公開することが多くなっている。

 このような発言の仕組みには、功罪がある。インターネットの功罪である。まず、光の面から述べてみよう。

 従来の選別された意見公開では、どうしても『表現力の高い人たちの意見』が重視されていた。いわゆる『進歩的知識人』の世界である。残念ながら、我が国の『進歩的知識人』は少し偏りがあったように思う。北朝鮮の拉致問題にしても、小泉政権が対応する前には、「某政党のHPでは拉致など存在しないと公言」し、しかも
  「国会でこの件を取り上げた某議員をののしり倒した」
ように、『進歩的な知識人様』に逆らう者は、発言を封じられる空気があった。これに逆らって出版会などメディア世界で生き残ったのは、山本七平氏など小数である。このような左翼系の言論圧迫に対抗した、インターネットの草の根発言は、それなりの功績があったと思う。

 しかし、罪の部分もある。例えば議論の仕方、発言の仕方を知らず、ルールやマナーを弁えない発言が、出現している。これが、人格攻撃になる場合も多い。
 「物的被害で無いから、何を言っても良い。」
 「匿名世界だから責任は取らなくても良い。」
等の誤解で、勝手なことを書いて、最後には警察沙汰になった人もいる。それより、これで被害を受けた人が多くいることを、認識しなければならない。

 さて、この根本解決はどこにあるだろうか。まず日本の国語教育で、本当の議論の仕方を教えているだろうか。更に教師の言うこと以外の異論を、冷静に受け入れ評価する訓練が、大切だと思う。

 このために、良い議論のされている、ネット上のページを見ることも大切だと思う。

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2009年2月14日 (土)

日本語の論理性

 私達は、大学どころか大学院でも、日本語の教科書を使うことが多い。これは当たり前のように思うかもしれないが、大きなことである。翻訳がしっかりしている。ここ20年ぐらいは特に翻訳書が多く手に入るようになる。

 しかし、もっと大きなことは、日本語の記述能力が、強力であるということである。翻訳しようにも、そのような概念が無いと翻訳できない。明治時代の先人が、多くの訳語を創出した。この成果が、現在生きているように思う。

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2009年2月12日 (木)

発明と発見の違い

 数学の各種成果は、発明であろうか、それとも発見であろうか?C.S.パースなら、発見と言うだろう。パースの発想なら、
  「混沌の中に有効な情報の構造を見出す。そしてその機能を評価する。」
ことは、発見と言うことになる。このような場合、散在した情報は潜在的には意味があっても、使えるようにはなっていない。

 そこで、必要な情報を組み合わせて、実際に使えるようにしていく。その過程では、色々な機能を実現しながら、構造を強化していく。その時には、その機能を使ってみる。不十分な部分を補充し、不要な部分を切り捨てていく。このような段階を経て、主要概念とその関係を明確にしていく。

 このような段階で、発見したものが明確になっていくのではないか。これは、ある意味発明に近いかもしれない。

数学 その形式と機能 数学 その形式と機能

著者:ソーンダース マックレーン
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2009年2月11日 (水)

教育に於ける総合的なアプローチの効果

 前にも書いたが、日本の国語教育は、道徳教育と分離していない。これは、論理性を身につけたり、客観的な理解については、障害となる面がある。しかし、道徳的なものの見方が自然に身につく利点もある。江戸時代の寺子屋でも、手習いに道徳的な一節を書かせること多かったと聞く。

 更に、鉄道唱歌では、歌を通じて、日本各地の名物などを伝えて、地理の教育に役立てている。

 現在の教育は、少し専門に分かれすぎているように思う。そういう意味では、総合的に融合した教育も良いと思う。

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2009年2月 9日 (月)

情報とエネルギーの分離

 物理学の基本原理の一つとして、エネルギーの保存則がある。しかし、この原理は誤解を招くことも多い。

 例えば、音を消すために、逆位相の振動を行う音を発生させる、アクティブ消音法がある。これに反対する人は、エネルギー保存則を根拠として、2つの音のエネルギーは消えないと言う。A.C.クラークはこれをネタにして短編を物にしていた。

 実際は、音はエネルギーとしてでなく情報として伝わっている。逆位相の音同士の打消しは、熱エネルギーとしてどこかに散らばってしまう。そのようなエネルギーと情報の分離をきちんと理解していないと、このような珍説を振り回すことになる。

 但し、実際のアクティブ消音では、位相のズレなどで、低周波のうなりを生じる可能性もでている。このような、理論から実用の段階では、色々なトラブルが生じている。

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2009年2月 8日 (日)

学問と実用生活

 ある機会から、『アメリカが生んだ最も多才で最も独創的な哲学者』C.S.パースの著書を読み直している。パースの著作は膨大なものがあるらしいが、邦訳は限られている。しかし、邦訳された文献からでも、凄みは伝わってくる。まず最初に、「連続性の哲学:岩波文庫688-1」から、学問と実生活の関係を考えてみたい。

 ここでは、実生活の意思決定と、学問世界の論理的思考方法の両者について、その違を指摘している。パースの指摘のとおり、現実世界では、感情・本能による意思決定が力を持つ。一方、学問の世界では、数学・論理と形而上学などの理論的にしっかりした思考方法が重要である。

 特に、大学で学ぶべきことは、まずしっかりした、論理的思考法を学ぶべきである。この論理とは、数学なども含む広い論理である。その後、科学哲学の思想をきちんと理解して、理論と現実の関係も、しっかり学ぶべきである。このような論理性が、学問の世界で生きていく条件である。

 なお、パースは、本能なども学問的経験が浸透することで改善されると指摘していることも、付記しておく。

<第1章p46~p47から引用>

 われわれはどのようにささやかな仕事であれ、周囲の状況が許す範囲で自分の微力をもって遂行することのできる、人生の仕事を見つけ出さなければならない。われわれはそうした仕事の遂行のためにすべての力を発揮しなければならないから、それには当然理性も含まれる。しかしすでに述べたように、そうした作業の過程で主として頼りにすることができるのは、魂の部分のなかでももっとも表層的で誤りやすい部分ー理性ーではなくて、もっとも深く確実な部分ー本能ーの方である。

 とはいえ、この本能もまた発展し成長することができるのである。たしかにそれが担う決定的な重要性を考えれば、本能や感情の発展の運動は非常にゆっくりしたものであるが、それでも本能や感情の発展は理性の発展とまったく並行した形で生じる。ちょうど理性が経験から生まれてくるように、それらの発展もまた魂の内的、外的な経験から生じる。その経験とは、例えば内省であり、あるいは逆境での生活である。またそれは認識活動の発展と同じ本性をもっているが、主として認識活動が提供する道具的有用性の側面を通じて発展する。魂の深い部分に触れることができるのは、その表面を通してである。それゆえ、このような内外の経験に対処する過程のなかで、われわれが数学と哲学と他の科学によって触れることを許される永遠的な諸形式は、ゆっくりとした浸透作用によって、われわれの存在の中核へと達することになる。それらはわれわれの生に実際に影響を与えるようになる。そしてそれらの形式、イデアのコスモスが、結局のところ人間の生への影響力をもつことができるのは、それらが人生にたんに決定的に重要な真理を含んでいるからではなくて、それ自身がまさに理念的で永遠的な真実であるからである。

<引用終わり> 

連続性の哲学 (岩波文庫) 連続性の哲学 (岩波文庫)

著者:パース
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2009年2月 7日 (土)

この国の議論下手の影響

ネット上で、悪質な書き込みをしたと言うことで、とうとう逮捕者がでた。今までも色々問題のあった、ネット上のコメントだが、とうとうここまで来た。このことに関して、現在色々議論されているが、論点はネット世界の匿名性と無責任性に関するものが多いと思う。しかし、もう一つ踏み込むと、我が国の現状である、議論下手と言う特性が見えてくる。

 国会議員や大臣でも、論理的に話していない人は多い。しかもその論法が通用するのは、「かんぽの宿売却問題」に対する、某新聞の社説が「総務大臣の話は論理性に欠ける」と言った時にも、無視された例でも解かる。もっとひどいのは、「郵政選挙の議席でかろうじて持っている某総理大臣」が、「郵政民営化に反対だった」と公言する事態である。彼らは、論理と言うより、自分の言いたいことを、大きな声でわめき散らし、反対意見を押さえ込めばよいと思っているとしか思えない。「相手の発現中には口を挟まない」と言う最低限のマナーも守られていない。

 また、ネット上の書き込みでも、相手の文章全て読まずに、一部が気に入らないと噛みつく例も多い。

 この原因は、この国の国語教育にあるように思う。相手の意見をきちんと理解して聞く。その上で自分の意見があれば、根拠を整理したうえで、反論する。このような論理的な力が、訓練されていないように思う。もう一歩踏み込めば、国語教育と倫理・道徳の教育が分離されていない教育システムの欠陥がある。子供に対して倫理的価値観は、ある意味問答無用で押し付けるものである。これを、国語の論理的能力とはきちんと分ける必要がある。さらに、日本の教育は、明治は「教育勅語」で、戦後は「マルクスレーニン主義もどき」の権力による、教師に反論を許さないシステムになっている。なお、現在は「マルクスレーニン主義」の代わりに「指導要領書」や「赤本様」を神様にしているらしい。

 反論があることを考慮し、それに対し論理的に応える姿勢が、論理的な議論の原点ではなかろうか。聖徳太子の憲法の第1条は、きちんとこのことを言っていたように思う。 

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2009年2月 5日 (木)

数学の勉強法について

 数学の勉強は、体系的に学ぶべきだと言われている。つまり、教わるものを、順次積み重ねていくことが重要である。しかし、数学は一本道ではない。色々なところで分岐点がある。

 確かに、ユークリッド幾何学の証明は、前の成果を踏んで進む。しかし、代数学や解析学と幾何学には、それぞれ別のものがある。そして、記述法も別々であり誤解を生じることもある。

 しかしこれを逆に考えれば、今まで数学がわからなかった人でも、新しい数学分野は理解できる可能性もある。大学で数学をやり直してみる。卒業後にやり直してみる。このような発想で、もう一度特定の数学分野を学んでみたらどうであろうか?

 例えば、高木先生の整数論あたりで勉強するのも良いと思う。

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2009年2月 3日 (火)

成功哲学は本で学べるのか

 世の中には、「成功方法」と言うか「成功哲学」の本が沢山出ている。
   「それで本当に成功するのか?」
との疑問には
   「決定版がないから沢山本が出ている」
と言う、説得力のある答えが返ってくる。しかしこれでは、本を買った人は浮かばれない。しかも、どうしたら『成功』するかと言う答えがないまま放置されている。

 さて、このブログの思想は、できるだけ答えを出すことにしている。そこで私なりの成功法を説明したい。

 まず、本を与えられても、「それを実行する仕組み」と言うか「推進力」がないというのが、実体であろう。逆に、自分でこのような成功手法を調べて、自分の訓練方法を編み出し、実行する人なら、このような本を読まなくても成功する。

 そこで、実行するための推進力であるが、一つの候補は、「他人からの受容体験」である。つまり、「あなたは大切です。素晴らしい。」と、誰かに認められた経験である。これは、実在の人物でなくても、神様や仏様でも良い。自分が、その神様に認められていると言う感触だけでも、落ち着いて自分の良さを認め、それを伸ばすことができる。もっとも、ガネーシャ様は、恐れ多いから、普賢菩薩様のご眷属様の"白い象さん"あたりが優しいので良いと思う。観音様も優しいし、弁財天様も美しい。

 どうしても、そのようなものが見つからないなら、自分で自分の良い所を見つける。それも客観的に評価しながら、見つける。こうして、自分を褒めながら伸ばすことが有効と思う。成功哲学の本は、このような話があるのかな? 

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2009年1月30日 (金)

工学部で学んでいるあなたに(承前)

XXさんに

 先日は、材料力学の必要性について書きました。そこで一部書き足りないことがあるので、補足説明をしておきます。

 まず、電気系など機械工学科以外の学科で、材料力学を学ぶ意味を明確にしましょう。現在のもの作りは、非常に厳しい設計を行います。そのため電子回路を実装する時に、部品の形状や固定方法などにも、気を配る必要があります。これは、電子回路としての性質以外にも、材料力学的な強度や、放熱への配慮が必要です。このような観点では、ものの壊れ方に関する、定性的な理解が必要です。数式の細かいことより、グラフ表示の曲線の意味を理解することが重要です。教科書で勉強するまでもなく、インターネット情報を検索して、解説を読むのでも良いでしょう。

 しかしもう一つの効果もあります。物理学で学んだ力学の話しが、実用と繋がってきます。モーメントなどと言う言葉が、実際のものを壊すことに関わってきます。このように各分野の基礎を実際の応用で確かめる経験は、今後の仕事の進め方、自己啓発の方針としても重要でしょう。

 このように勉強の目的をもう一度考えては如何でしょう。

  正体不明のおじさんより。

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2009年1月29日 (木)

数学の勉強法について

 ユークリッド幾何学の証明は、厳密性にかけるという議論がある。それに加えて、何が前提として使えるか、体系的とはいえない順序によっている。例えば以下の例題を考えてみよう。

【例題】三角形の各々の頂点から、対辺の中点に引いた、中線は1点で交わる。

【ユークリッド式の証明】

三角形ABC3BC,CA,ABの中点をそれぞれL,M,Nとし、中線BMCNの交点をG とする。次に、AGを結ぶ直線AGの延長線上に、点H をとり、AGAHの中点となるようにする。この時、三角形ABHで考えると、NGは辺ABと辺AHの中点を結んでいる。従って、中点連結の定理より、辺NG BHと平行になる。

同様に、辺MGは辺HCに平行になる。この結果、

  NG(GC) ∥ BH 、 MG(GB) ∥ CH  

となり、四辺形BHCGは平行四辺形となる。平行四辺形の対角線は互いに他を2等分するから直線GH(従ってAG)は、辺BCの中点Lを通り、従って中線ALGを通る 

【証明終】

 この証明では、「中点連結の定理」や「平行四辺形の対角線が互いを2等分する」、と言う性質を使っている。

 この秩序は、ユークリッド幾何学の教科書の記載順序による。この順序は、必然的とはいえない。それより、決まったルールに従っていると思った方が良い。

 数学は、自由な発想が重要などと言うのは、基礎がきちんとできてからである。勉強している段階では、
  「あるルールに従って、問題を解いている」
と考えた方が良い。

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2009年1月25日 (日)

工学部で学んでいるあなたに

XXさんに

 先日、大学で学んだことを活かすためには、材料力学(構造力学)の意味を理解しなさい、とお話ししました。残念ですが、それを説明するニュースが伝わってきました。例えばhttp://mainichi.jp/select/today/news/20090124k0000e040052000c.html?inb=yt

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090124-00000032-maip-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090125-00000007-yom-soci

 このニュースで、剪段破壊と言う言葉が出ていますね。この意味を理解していますか。材料力学の教科書にはきちんと載っています。ボルトの剪段破壊はどのように起こるか、教科書の記述を見てください。その時数式でなく、直感的な意味を理解してください。特にボルトの太さを変えるとどのようになるか理解してください。特に、半径の何乗に比例/反比例と言うことを押さえてください。

 もう一つ理解をして欲しいことは、鉄が破壊する仕組みです。材料力学の最初の方で教わると思いますが、鉄棒を引っ張って破壊する時の、力と鉄棒の伸びの関係のグラフ、応力の集中による、思ったより小さい力での破壊、くり返し荷重による破壊などの話しが、このニュースと関連して想い出してください。

 このように、自分の知識でニュースの内容を説明する。これが知識の活かし方です。

 それでは、寒くなりますが頑張ってください。

    正体不明のおじさんより

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2009年1月24日 (土)

電子回路の40年間

 私が大学で電子回路を学んだのは、40年ほど前だった。そのころは、まだ真空管が残っていて、ようやくトランジスタからICへと言う時代であった。真空管の回路より、トランジスタの回路は不安定で、実回路上でのパラメータを調整することが、必要であった。プリントパターンの作成も経験・勘で行っていた。なお、回路はMHzが高周波と言う感覚で、集中定数回路として扱えば十分であった。

 そして半導体技術は急速に進んでいく。演算増幅器(OPアンプ)がアナログ回路の主力になる。OPアンプでは増幅率等の特性は、フィードバック回路で使うRC等の受動素子で決まる。RCは精度が高く取れるし、フィードバック回路の特性は、温度などの影響を受け付けにくくなる。この結果、設計計算どおりの動作ができるようになった。言い換えると学校で学んだとおりの動きが実現する世界となった。

 一方、CADシステムの進化は、パターン設計に従来の伝承技術を埋め込んでいる。ここでも机上の設計で、直ぐに動く回路ができてきた。

 現在の社会要求は、GHzの回路を要求してきた。ここでは分布定数回路であり、回路の計算が微分方程式の世界になっている。インピーダンスマッチングと言っても、スミスチャートが必要になっている。ここまで来ると、大学で学んだ知識をしっかり使いこなす必要がある。確かにCADシステムはしっかりしているので、要求する回路を作ってくれるかもしれない。しかし回路の意味は、微分方程式に隠されている。

 さて、ここまで振り返ったが、現在の技術も、半導体の一部を除けば、大学の4年で学んだ基礎で理解できている。大学の4年間の勉強の重要性を改めて認識した。

 

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2009年1月23日 (金)

数学の使い方

 大学で学ぶ数学は難しい。しかし、使い方を明確にすると、割合理解しやすいことがある。特に物理学で使用する数学的な関係は、関係付けと思えば比較的容易に理解出来ることも多い。

 例えば、三角関数や指数関数は、積分しても無限大に発散しない性質が、色々な所で力を発揮する。考えてみれば、自然現象として存在するものは、無限大に発散するものは難しいだろう。一方小さくなる方も最後には消えるであろう。そうすると変化しないか振動するかしかない。このように考えると、微分方程式の解に指数関数が多く出るのも納得がいくであろう。

 このような発想で、数学を見てみると、結構理解が早くなる。

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2009年1月22日 (木)

学校で教えることについて

 中学・高校の数学教育において、幾何学が出たり入ったりしている。確かにユークリッド幾何学の証明は、どれを前提としどれを結論とするか、恣意的な面がある。そこでは、教師の方針に従順に対応する子が良い成績となる。これは、数学の客観的な性格とは矛盾するものである。このような分野を教えるのは、教師にとっては難しいかもしれない。

 しかし教えることが難しいからといって、必要なものを教えないと言うのは間違っている。ただし、必ず全員に理解させないといけないと言うノルマ的なものは、架すべきではないだろう。現在の教育は、ノルマを架しそれができなければ、XX障害と言う言い訳を考えているように見える。

 1つのことができなくてもかまわない。特に、出来る子の機会を失うのは、恐いように思う。従って、少しは背伸びがあるのも仕方ないと思う。

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2009年1月21日 (水)

人に講演する条件

 オバマ大統領の演説が、皆の心をとらえている。このように人に呼びかけて、動かすのは一つの才能である。残念ながら我が国の政治家は、このように人を動かす力が弱いように思う。特に、国会から内閣には・・・

 さてここで、演説や講演において、考えてみたいものがある。それは、マイク&スピーカの功罪である。確かに、多くの人に声を届ける、機械的な増幅機能の力は大きい。しかし、本当に力を伝えるならば、自分の地声でできるだけ伝えるべきであろう。

 そのためには、腹式呼吸での発生が必要条件である。腹から声を出すことで、腹が据わってくる。ここから鍛えて欲しいように思う。

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2009年1月18日 (日)

今朝の朝日新聞を読んで(博士問題)

 今朝の朝日新聞に、
  「就職漂流 博士の末は」
と言う特集を行っていた。要旨は、
 1.博士取得でも就職率は6割でしかない。
 2.この原因は、博士課程在学者を91年度から07年度で2.5倍にしたことによる。
 3.しかし、
    「専門能力は高いが他分野知識やコミュニケーション能力不足」
   で企業が採用しない。
である。

 しかし、この議論はまだ突っ込み不足である。上記3の専門能力は、本当に高いのであろうか。本当に世界トップクラスの研究を行えば、色々な人との交流もありその場でも鍛えられるはずである。また昔の博士課程では、査読つきの論文3本を書かないと、博士として認めなかった大学も多かった。そのようにしておけば一つの分野から他の分野を研究する経験があり、他分野の対応もできる素地ができている。

 このように、博士の質にまで踏み込んで議論して欲しい。

 大体大学が欲しがらない人間を、企業の押し付けると言う発想がおかしいと思う。

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書) 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

著者:水月 昭道
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2009年1月12日 (月)

政治のプロに要求される勉強

 先日テレビで見たが、地方議会が一部では活性化しているらしい。これは、従来の議会がひどすぎると言うことかもしれない。何しろ、首長からの反問を許さない議会答弁(?)がまかり通っていたらしい。これでは、一方的な陳情で、バラマキ政治になるのは当たり前と思う。

 そういう意味で、議会の方も地方の運営に関して責任を持つ意識が出たのは喜ばしい。そこで、議員さんたちも勉強しているらしい。

 さてここで、プロの政治家になるには、どのような能力が必要か考えてみた。一般的な、経営学/経済学の知識は欲しいと思う、法律に関する知識も欲しい。しかし、一番大切なのは、対話のスキル・答弁のスキルではないか?

 テレビに出ている国会議員さん達でも、人のしゃべっている最中にわめき散らす、裂いてのマナーの人も多い。更に、相手の意見に対し適確な受け答えになっているのは、もっと少ない。これから治して欲しいと思う。

 しかし、政治学の勉強をしたから、良い政治家になるとは限らない。宮崎県知事は、政治学の勉強をするほど政治に熱意があったから現在がある。政治学の勉強だけで、現在があるのではないと思う。

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現在の混乱の一原因

 今の社会的混乱の一原因は、理論的な学問の結果が、かなり現実に適合していることにあると思う。アメリカの金融工学も、物理学や数学の応用で、市場が予測できたと思い込んでできたようなものである。工学的ものづくりでは、パソコン上のシミュレーションでかなり精度良く予測でき、「それでも現場の知恵がいる」と言う議論がでている。

 これが社会科学的な分野にまで、広がっているような気がする。経営学しかり、官僚の体制つくりも同様である。しかも、それを一般的に認めているのが、一番の問題である。何でもかんでもお上に任せる「パターナリズム」的な発想が、これと結びついている。しかし現実と理論の齟齬が生じる。そこで、政府が悪いと言う議論が生じている。

 しかし、現実は多様に変化するものであり、理論はその一面を切り取ったものである。1898年にアメリカの哲学者C.S.パースが講演したは、「医学にしろ工学にしろ現実対応の技術が先行し、科学的理論がそれを説明し深めていく。」と言う主旨の発言がある。現実の複雑さに対し、柔軟に対応していく。特にそれを、色々な立場で行うことが忘れられているように思う。

 現在の派遣労働者の問題にしても、2005年に会社法が改正されて、会社設立が簡単にできるようになった。これは、競争社会の原理を導入することで、経済活動を活性化しようとする発想である。確かに、理論的にはその面での効果はある。しかし、競争第一主義の会社を乱立させて、社員の生活にたいする責任を持たない人間が、経営者になることを許すと言う弊害が出ている。この対策ができていないのが現状だと思う。 

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2009年1月10日 (土)

図の見方

 何処で呼んだか、記憶が薄れてしまったが、
  「杉田玄白らが解剖に立ち会ったときの内臓の状況は、
   蘭書ターヘルアナトミアの図のとおりではない。」
との意見を見たことがある。

 確かに解剖学の教科書どおりの内臓など、完全に一致することは、まずないだろう。しかし、これは現在の写真やビデオ画像に慣れているわれわれの感想である。当時の写実と言えば、浮世絵のレベルである。写楽の役者絵はわれわれの感触では、デフォルメの塊である。しかし当時の人には、十分写実であったのであろう。また、春画の男性器は、太腿より太い。しかしこれも当時の人にとっては、十分納得のいく表現であった。

 これを考えると、「解剖図」も十分写実的に見えたと思う。

 相手の立場を良く思いやる大切さがここにもある。

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2009年1月 7日 (水)

完全なものを求めすぎると何も得られない

 近頃の風潮として、何事にも完全なものを求めすぎているように思う。しかし、新しいものは何らかのトラブルがある。また未知のものとの対応では、部分的な成功を積み重ねで、正解に至ることも多い。また自己能力の開発においても、部分的な能力開発の積み重ねが必要である。

 しかし、学校的なある種の”理想化社会”では、正解が存在する。つまり完全な答えがある。そのような発想の人間は、完全でないものを捨ててしまう可能性がある。

 実世界で生きていくためには、中間的な成果を見出し育てることが重要である。

 「若い人たちに創造性がない」、「改善ができない」と言う前に、中間成果を見出して育てていない指導者がいないか。一方若い人たちも完全を求めて、自分の成果を壊していないかもしれない。「人のことを思いやる想像力がない。」と言う状況も、テレビ画面のように見える形で、完全なイメージができないと、「想像でない」と思い込んでいるのではなかろうか?

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2009年1月 6日 (火)

技術の確認方法

 技術者には、他人の技術力を、判定する必要が生じる場合が多くある。この仕事はなかなか難しい。例えば、その人の経歴などで、立派な学校を出ていても、あまり理解してなかったりする。また業務経験でも、自分で主要課題を解決した場合と、人任せにしていたり、指示待ちの担当だったりすると、本当に技術があるかわからない。

 そこで試験でもするか、との話になる。しかしこれも、試験だけできる。仕事は出来ないという人もいる。この理由は、試験の作り方にもよる。多数の問題で、知識を問う試験では、理解の深みを確認するのは難しい。

 私が試験するなら、古典的な教科書の中で、一番大切な文を説明させるのが面白い。その文を選ぶことから勝負は始まっている。例えば、コンピュータ・プログラムの世界なら、K&Rの「プログラミング言語c」のP129 にある

 while(*s++ = *t++)
           ;

の一文を説明させたい。

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2009年1月 4日 (日)

論理的思考について

 この休みに、論理的思考に関してもう一度考えてみた。特に、アメリカの哲学者(?)C.S.パースの考え方が参考になった。パースに関しては、琉球大学でご活躍されていた、米盛裕二先生の1981年の著作「パースの記号学」が、『仮説思考=アブダクション』と言う概念と供に、日本で一つのブームを引き起こしたと思う。

 今回は、岩波文庫の「連続性の哲学」を読み直すことで、パースの主張の一部が解かったように思う。この本の第二章「論理学の第一規則」は、
  「数学の計算方法のなかには、黙っていても誤りを
   自分で正すという面白い性格をもった方法がいくつかある。」
と言う書き出しで始まっている。

 この指摘は、面白いと思う。パースは、人の思考は記号であり、常に前提になる情報を選択する必要がある。言い換えると、「謬る可能性が常にある。」と言う発想である。

 そこで重要なことは、推論においても、「丈夫で安定なものが必要」と言う発想である。このため、計算途中で自動修正と言う発言が出てくる。もっと乱暴に言うと、「科学法則は、比較的安定した法則を見出す。」と言う考えである。この考えでは、
  「論理的と言っても、安定した概念・法則で、記述する。」
と言う観点が出てくる。

 しかし、コンピュータで計算すると、不安定なものも計算できるようになる。この点については別途詳しく論じたい。

連続性の哲学 (岩波文庫) 連続性の哲学 (岩波文庫)

著者:パース
販売元:岩波書店
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 なお、米盛裕二先生は、2008年3月19日にご逝去されたと聞く。ご冥福をお祈りしたいとともに、最後の著作である、「アブダクションー仮説と発見の論理」を、一度読んでみたい。

アブダクション―仮説と発見の論理 アブダクション―仮説と発見の論理

著者:米盛 裕二
販売元:勁草書房
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2009年1月 3日 (土)

内定者の皆さんに(特に技術者)

 就職内定を得た大学生及び院生の皆さんに、あと3ヶ月を切った学生生活で、もう一度見直して欲しいものがある。まず一つは、総合職と言う重みである。自分が総合職で採用されたのは、何故か?これをきちんと考えて欲しい。特に入社後の訓練をきちんとする会社でも、30,40の年代での再教育まで、面倒見てくれる例は少ない。

 しかし、そのような将来に力を出してもらうために、継続雇用の正社員で採用しているのである。そのためには、将来は自分で力をつけていく。そのような底力があると考えて、総合職で採用している。それに応えないと、それこそ将来は、リストラ要員になってしまう。

 さて、30歳、40歳の仕事はどのようになるであろうか。年をとると仕事の幅は広がってくる。関連業務との調整も必要になる。新技術との対応も必要になる。このような時、学生時代に勉強していた、幅広い基礎知識が必要になる。新技術は勉強しないといけない。しかし、基礎がしっかりしていると、勉強の時間は短くなる。したがって、大学の学部1~4年の基礎的な教科書を、もう一度見直しておくことは大切である。細部の証明より、説明できるように意味を理解して欲しい。

 更に、連成シミュレーションに対応するように、自分の関連分野の意味を知る能力を重要である。

 また、基礎として、速読の訓練は重要である。会社では、メールを含めて多くの文書と付き合うことになる。早く読み判断することで、時間は有効活用できる。

 このような訓練を、残された3ヶ月で行えば、将来20~30年先に得るものは大きいと思う。

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2008年12月29日 (月)

評価能力の低下について

 学力試験の結果公開についての議論で、もう一つ指摘しておきたいことがある。それは、学校の成績だけでの、一元化した評価の危険性である。成績が悪いと言うことだけで、まるで、生徒の全人格の否定のような議論がある。

 人間の評価は、成績だけではない。

このことが、どこかで忘れられているのではないか。

 逆に、今の世界は、数値で評価できないものは、全て見えなくなっているのではなかろうか。

 そう言えば、企業経営者についても、数値的な結果だけを、追い求めているように思うことがある。特に製造業の派遣社員増加は、
  「熟練労働者による種々の効果が数値化できないため、
  継続雇用のメリットが見えない」
と言う側面もあるのではと思う。

 経営者の能力として、このような数値化できない微妙な違いを評価する能力を、一つの条件として挙げておきたい。 

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2008年12月28日 (日)

教養不足というが?

 ゆとり教育で、若い人の教養が無いという議論を聞く。確かにそのような一面はあると思う。しかしながら、その例を見て首をかしげてしまった。例えば、

 「本能寺の変を知らない」

と言う意見がある。しかし、「織田信長が明智光秀に襲撃され死んだ。」と言う記述だけを、覚えているのが教養になるのであろうか?

 「本能寺の変」の意味をどう考えて議論できるかが、本当の教養でないか?しかしこれは難しい。単純に、「力を持って制圧した織田信長が、部下に油断した結果」と言う見方もあるし、「明智光秀は旧勢力に利用された、織田信長の改革への停止役」と言う見方もある。

 単に、「何時・何処で・何があった」だけで歴史の教養といって良いのだろうか?

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いわゆる一流大学の効果

 就活において、入学時の偏差値が高い一流大学と、そうでない大学の差について、色々と議論がされている。さて、ここでは今まであまり議論がされていない切り口で、一流大学の効用を考えてみたい。

 今回議論したいのは、大学の一般的な講義の密度の問題である。現在どの大学も、学部段階での講義に力を入れている。そこで問題になるのは、高校までの基礎能力の違いである。大学によっては、親切にも高校までの補講を行っている学校もあると聞く。しかしこのような状況では、本来の講義の密度に差が出るのはやむを得ないと思う。例えば同じ電磁気学の講義でも、ようやくマクスウェルの方程式までたどり着くのと、その物理的意味をゆっくり議論する講義の違いが出る。

 さて、この能力差は、会社に入ってから何処で出るであろうか?たぶん入社して3年程度の時期は、会社できちんと教育してくれるので、何とかなると思う。しかし問題になるのは、入社10年後、20年後である。特に技術系では、新技術の導入や、管理職の転換等で、自分の仕事を変えるポイントがある。この時、新しいものを勉強する必要がある。そのような時頼りになるのは、大学で学んだ広い基礎知識である。ここで、差が付くことが多い。なぜなら、この段階では企業の社内教育は、ヒントぐらいでしかなく自己理解力の勝負になるからである。

 ただし、大学の教育だけで勝負が決まると言うものでもない。会社に入ってからも時間を自分で見出して、大学の基礎分野を広く勉強し直した人間もいる。継続した勉強が重要である。もっとも知識の勉強以外に、人間性を磨くことも同様に重要であるが・・・

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2008年12月26日 (金)

秋田県知事の意見

 今朝の新聞に、秋田県知事が学力調査の公開したことに関連して、面白い話しがあった。(朝日新聞 朝刊2面)

 「教育関係者の中には(自分たちの間で作り上げた)学校間の序列がある。学校別に成績を公表すれば、その序列が崩れる。『子どもが可哀想だ』というが、子どもを盾にしているだけだ。」

 この話しは、他でも成立しそうである。評価反対という人間が、自分の評価が崩されることを、恐がっていることは多い。

 しかし、悪さと直面することで、次のステップが始まると思う。

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2008年12月23日 (火)

自己潜在能力の発見

 就職活動などで、『自分探し』とよく言われる。しかし、この言葉は誤解を招くことも多い。若い人達が、ありもしない『青い鳥』を捜し求めて、定職につかない子も多い。

 私が、自分探しで行って欲しいのは、
  1.まず自分の状況を客観的にみる
  2.その上で潜在能力に気がつく
の2点である。

 さて、ここで比較的簡単に、自分の潜在能力に気がつく方法を、提案しておこう。それは、自分の記憶力に関する発見である。

 皆さんは、3日前の夕食に何を食べたか、思い出すことは難しいのではないか。そこで、今日の夕食・昼食・朝食、昨日の夕食~~と順に辿ることで、3日前の夕食まで思い出せることがある。

 このように、記憶していないと考えていたことでも、思い出すことができる。このような体験も、潜在能力への気付きである。

 また他には、合気道の一流派が使う、「折れない腕」も、体の中にある抵抗勢力への気付きのヒントになる。基本は、自分の能力に興味を持つことである。

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歴史教育がなぜ面白くないか

 中学や高校の歴史教育は、面白くないと言う意見が多い。私も自分の受けた教育が、面白いとは思わない。
 「断片的で『XX年に何があった』と言う話しばかりで面白くない。」
と言う意見が従来からあった。

 しかしこれに加えて、
   「言葉狩り等、現在価値観の押し付けも、影響しているのでは」
と近頃思いついた。例えば、
   「『帰化人』と言う表現は、よくないので『渡来人』とすべきである。」
と言うような論調である。しかし、現在の価値観で、当時実際に使っていた言葉を禁止することは、生きた歴史を殺してしまうことになる。

 「当時は、XXと呼んでいた。しかし現在では、このような表現
 では、不快感を持つ人がいるので使ってはいけない。」

 このように、その時代の発想に合わせて、議論するのでないと、現在の価値観を押し付けてそのような概念すら、押しつぶしてしまう。

 「当時の道徳・価値観では、このような表現や行動が行われた。」

 これが、言えない限り、突っ込んだ議論ができず、当たりさわりのない、”事実”と称するものの羅列になってしまう。これでは、面白い議論ができないと思う。

 ヴェーバーが『学問の方法論』として、自分の価値観による偏見の可能性を明確にし、自分の立場を明確にしないといけないと教えたのに、彼の著書を邦訳する時に、
  「事実をして語らしめる姿勢を重視」
とわざと誤訳したこの国の学問は、どこか違っているように思う。

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2008年12月22日 (月)

資格取得の補助をする大学?

 本日の夕刊に、
   「大学が学生に対して資格取得の補助を行う」
と言う記事が乗っている。(朝日関西版)

 確かに、資格をとって少しでも就職に有利になって、それで就職実績を上げることで、学生を集めやすくする。この戦術は当然であろう。しかし、これは、大学にとっては諸刃の剣だと思う。採用側の目で見ると以下の様な突込みがある。

その1
 そのようにまでしないと勉強しない学生は、自主性がない。(そんな子いらない)

その2
 奨学金を出すレベルが低いと、そのような大学かと大学自体のランクが下がってしまう。例えば、TOEIC500点で自慢するような学校は、そんなレベルかと低く見られてしまう。

 さて、このような弊害を持つ制度であるが、就活中の皆さんには、これに対する対策を教えておこう。

 単純なことであるが、
  「資格は通過点、取得後も更に上を目指す」
ことをきちんと実行すればよい。これで自主性も示せるし、低いランクに甘んじないとアピールできる。お試しあれ。

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2008年12月14日 (日)

大学の中学レベルの補講について

 今朝の朝日新聞に、「大学が中学・高校レベルの教育を補講する」という話が載っていた。この話しを、大学の経営と言う目で見ると面白い議論ができる。

 まず一つは、市場開発と言う観点である。18歳人口激減期の経営困難に対して、大学に行きたいが、中学・高校の勉強が身に付いていない子どもを、入学できるようにして、市場を広げた。これは経営努力として、評価できるであろう。

 しかし、ここで気になるのは、卒業時・就職時点の問題である。まず基礎的な知識がついていない学生に、就職口があるのだろうか?さらに、自分で勉強せず、大学に入っても、与えられた教材に従うような学生は、企業に入っても自分で能力を開発できないであろう。大学に入っても、行き先がないのでは困ったものである。

 もう一つ、税金有効活用と言う観点で見て見たい。大学と言うのは、税制優遇と言うか補助を得ている組織である。そこで無理やり員数合わせをするようなことを許してよいのであろうか?また中学・高校の教育が悪いと言うなら、そこに費やした税金の無駄遣いをもう一度追求しないといけない。

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2008年12月12日 (金)

70000アクセスについて(御礼と?)

 先ほど見たら、アクセス数が70,000を超えていた。読んでいただいた読者の皆様に、感謝する。2006年の1月から約3年での達成である。最初は、日に20件のアクセスで喜んでいたが、今では100件以上を確保できている。ありがたいことである。

 しかし、少し気になることがある。アクセスログを見ていると、大学からのアクセスが結構ある。就活の記事もあり、大学からのアクセスも予想しているが、どうも特定のテーマに関して調査している形跡がある。ある課題のレポートへのコピペで使われていないか心配である。

 私の独断であるので、ユニークなレポートになる可能性があるが、自分の考えでないだけに、評価がどうなるかは責任が持てない。特に同じレポートが2つできたらどうなるのであろうか?

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2008年11月26日 (水)

キリスト教だけ取り上げるのは

 先日、江戸時代のキリスト教殉教者が、ローマ教皇庁に認められたと言う、ニュースが流れていた。確かに、江戸時代には、キリスト教に対する弾圧があったことは確かである。しかし、これだけを教えている日本の歴史教育に、大きな疑問を感じる。なぜなら、同時代にあった、「日蓮宗不受布施派」に対する弾圧に関して、教えていないからである。しかも、日蓮宗不受布施派に対しては、豊臣秀吉もキリスト教と同じく、禁制をかけている。

 このように見ると、豊臣から徳川の時代には、「排他的な宗派は弾圧を受ける」と言う流れがでている。これは、それまでの宗教がもっていた、
 「他宗派の人間を、自宗派に引き入れるのは善である」
と言う、ある意味宗教として当然の行動を、抑えるということである。

 なぜなら、このように自宗派に引き入れるのが”善”なら、武力を用いても言うことを聞かせるまで進んでいく。宗教が、暴力を否定するなどと言うのは、幻想である。
  「魂を壊すような言葉を聞くぐらいなら、
   その発言者を殺すのは、宗教的には正しい。」
これを、宗教的テロと切り捨てることは、現在の欧米文明圏と日本ぐらいである。イスラム原理主義は、これを実践している。そして、日本でも戦国時代には、比叡山と法華宗の戦いなどはこれに当てはまるであろう。

 そのような宗教の暴力性を抑えて平和を生んだ、織田信長・豊臣秀吉~江戸幕府の発明を、世界に誇るべきではないか。更に言えば、仏教と神道の融合を実現した、聖徳太子から弘法大師へ道も、日本の誇るべき文化遺産ではないかと思う。

 このような力を、イスラム原理主義とキリスト教の対立への調停に仕えないであろうか。

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2008年11月25日 (火)

法律を作る人は?

 ある機会に、東京大学法学部出身者の話を聞いた。そこで、教えられたことは、日本の法律を調べるには、大宝律令、明治憲法に始まる明示の法制、戦後の憲法とその他の法規を勉強したらよい。なぜなら、全国民を相手にした法体系はそれしかないから。

 確かにこの話しには、説得力がある。例えば貞永式目、武家諸法度は武家だけを対象にしている。しかし、これで済ませて良いのだろうか。ここで山本七平氏の意見を参考にしてみよう。彼は、体系的な学問や厳密な議論と言う観点では、非難される点もあるが、直感的に本質を見抜く能力は素晴らしい。彼の著書である「日本的革命の哲学」では、貞永式目を制定した北条泰時が、後世に与えた影響は大きいことを示している。いわゆる、大岡裁きも実際は、北条泰時の業績が多い。また江戸時代には、寺子屋の手習いに、貞永式目を手本としたことからも、庶民にも影響を与えたことがうかがえる。

 また現在でも、日本では「お上の裁き」に対し、本質的に信頼感があるように思う。欧米では、権力の暴走を監視するため、裁判にも陪審員を入れる必要があった。日本では、裁判員制度にもまだ不要論が多いのは、それだけ裁判に対する信頼感があるからであろう。

 しかし、このような考えは、しっかりした学問基礎のある東大のような大学では、受け入れられないように思う。どちらかと言うときちんとした理論を重視する大学出身者が、日本の法律作りを担っている。この功罪について、今一度考える時がきているのではないか。

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2008年11月24日 (月)

マルクス主義教育の成果

 団塊の世代の受けた教育は、マルクス主義歴史観に支配されしかも大学では、全共闘的価値観で、
  「資本家は悪人・保守政治家は腐敗・自衛隊は旧軍の影響下で暴走する」
と推し付けられていた。そのような教育を受けた優等生が、田中角栄首相の教育優遇政策で、教師になった。

 このような教育の結果、悪人視された人達が、素直に仕事ができるとは思わない。信用されていない人間が、節度のある仕事をするとは思えない。

 まず労働は尊いことである。国のため、公共の福祉のために、働く人への尊敬が基本として、国民の合意が得られないといけないのではないか。

 平安時代から、令外官として貴族からさげすまれてきた、武士の革命が鎌倉幕府である。今の自衛隊は、令外官でしかない。しかも、軍人としての命令服従と言うことを理解できていない将官がいるような組織である。

 これも、戦後の平和野党などが、色々押し込めてきてツケが出ているように思う。

 仕事は、義務を果たすことで、皆から尊敬を受ける。その結果、良い仕事が広がっていく。どちらが欠けても、上手く廻らない。

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2008年11月23日 (日)

地頭が良いとは

 就職時に企業から評価される側面で、『地頭の良い人』と言う側面がある。しかし、この地頭と言うのは何であろうか?

 あまりハッキリしないが、私の感触では、
 ・抽象的に思考して、しかも現実の問題解決に適用できる
 ・目的(本質)を見定めて、しかも総合的に検討する
 というような要素がある。

 しかし実際には、これを相手に伝える、コミュニケーション力が必要である。

 そしてこれを実現するには、抽象的な理念で、自己動機付けが出来、しかも進歩を評価できないといけない。

 その外、論理的な能力を鍛える、相手の立場に立つ想像力を鍛えるのも有効と思う。

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2008年11月22日 (土)

自分で評価することの重要性

 自分で評価することの重要性の記述が、マックス・ヴェー