ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

2021年2月27日 (土)

「わきまえない女性」に助けられる話

 少し古くなったが、森元総理の「わきまえない女」発言について、思いついたことがるので書いておく。

 私は昨年、ある難病で入院した。その病院で、色々な診察と治療を受けたが、そこで多くの女性医師に助けていただいた。彼女達に共通する点は

「患者のことを第一に考え他の医師の了解へも踏み込む」

点である。私の主治医は、男性であったが、その科にいたA女医も、私の症状について色々とケアをして下さった。特に

「メンタル面のサポートまで踏み込む」

姿勢を感じた。これは、普通の医師なら

「看護師に任せる領域」

ではないかと思う。また、別の科のB先生は、私の飲んでいる薬の副作用などにも、ある程度踏み込んで説明してくださったし、私がそれまで治療を受けていた地域の医者の治療に関して、少し不安を抱いていると感じたら

「この件は、こちらで見つけた症状なので私が継続してみます」

と安心させてくださった。

 なおA女医は、私が入院中に同室の患者がベッドから落ちた時

「念のため頭のCTを取りました。脳の専門家に見てもらいますが、
私も画像を見たところ大丈夫と思います」 

と主治医として、患者の全体的な面倒を見る姿勢が強くでていた。

 これが、「立場をわきまえる」人たちなら、

「専門以外には口出さない」
「同業の医者のことは悪く言わない」

と言う対応を取るだろう。

 しかし、「わきまえない女性」はそこを踏み越えて、

「患者のために」

自然に行動している。ありがたいことである。

 なお、彼女たちは、現在より厳しい状況で、医学の道に進んだのだろう。それだけの力に裏打ちされた行動ではと思う。

2021年2月21日 (日)

いわゆる「スマホ脳」について

 スマホに依存することで

「脳が退化する」

と言う説があるらしい。この問題をもう少し踏み込んで考えてみた。

 まず、スマホに依存することでどのような弊害があるのだろう。一通りあげてみると

  1. 自分で考えずに答えを探す
  2. 検索もせずに人に聞く
  3. イイネの評価を求める(依存する)

等がある。

 これをもう少し深掘りすると

  1. 自力で考えない癖
  2. 他人に依存する癖

は、

  1. 正解で無いことに対する恐怖
  2. 自力で正解と言えない自信のなさ

によって起こっている。この原因をもう少し深掘りすると

学校で

「正解で無いと怒られる」
「教科書に書いていることを正解と信じる」

と言う躾の効果が大きい。教科書に書いていることを疑わない、従って自分で正しさを証明することも無い。これでは自信を持てるわけが無い。

 こうした、

学校教育への過剰適応

の延長に、スマホ脳がある。

2021年2月 3日 (水)

『不安』による動機付け

 今回のコロナ対応でも、人々の『不安』を煽ることで、行動させている事例が多い。ここから一歩踏み込んでみると、

私たちは子供の頃から『不安』で動機づけられている

と言う経験を思い出してしまった。小学生時代から

「勉強しないとついて行けない、将来困る」

等の脅しを受け『不安』に駆られて勉強する。

「将来何をしたいから、勉強する」
と言う
「目標に向かう勉強でなく『不安』解消の勉強」

が、学校で学ぶ多くの人の動機付けではないか?そう言えば、停電になったとき

「隣の奥さんが内も停電です」

と聞いたら安心する、と言うジョークがある。一説によると、

「田植えで横並びで作業する習性が染みついている」

為に、『横並びから外れる不安』が大きいのではと言う仮説もある。

 確かに、明治以降の学校教育では、

「均質な生徒を作ることで、一定歩調で行進させる」

ことを目標とした面もあり、その中で

「置いておかれる不安」

を強調し活用した。このように、私達は『不安』による動機付けにならされている。

 しかし、ヴェーバーが『プロ倫』で指摘したように、キリスト教文明でも

「自分が救われているという確証がない『不安』が
激しく働く原動力になる」

と言う側面もある。これと同じ反応が、日本の場合にも

「地獄に落ちないために!」

と言う恐怖で大衆を押さえた例もある。逆に、一向宗の信者達などは

「働くことは阿弥陀様の救いの保証」

と言う形で、勤勉に導いた。

 動機付けにおいて、『不安』の力と弊害をもう少し考えていきたい。

2021年1月14日 (木)

手洗いうがいの原点

 コロナやインフルエンザの流行時には

「手洗いうがいの徹底」

が推奨される。さて、この手洗いはいつ頃方定着したのだろう。

19世紀に最初に手洗いを提唱した医師 上流階級に理解されず精神病に - ライブドアニュース (livedoor.com)

上記HPの情報では19世紀になっている。

 しかし日本の神話を見れば、伊弉諾尊が汚れを祓う行為が、既に手洗いうがいになっている。その後神社の参拝時の作法としての手水等で定着している。もっともこれを言うと、

「ユダヤ教やキリスト教の洗礼がある」

と言う反論があるかも知れない。しかし、私達のように、大衆にまで『手洗いうがい』が普及しているのは、日本の神様との付き合い方によると思う。

 ただし、この問題を日本の風土で考えると、

「水に恵まれた日本だからできた」

と言う発想はある。多くの発展途上国は、

「水を手に入れるために大変な努力」

をしている。また私も阪神大震災の時に、水道が止まり

「手洗いなどは贅沢」

と言う体験もしている。

 このように考えると、比較的水に恵まれた、日本の風土が

「参拝時の手水」

等を可能にしたと思う。これが現在のコロナ対策にも役立っている。

 なお、19世紀のセンメルヴェイス・イグナーツの業績は、細菌学につながっている。このような理論的基礎とその後の展開も考えないと行けない。

2021年1月10日 (日)

真剣度が伝わると心に届く

 コロナに対する緊急事態宣言がらみで、心に届く言葉の議論を行った。

心に届く言葉とは: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 しかし、この問題の根本は、

「呼びかける人の真剣度」

が伝わるかではないかと思う。先日も、大阪の吉村知事がテレビに出ていたが、彼の緊急事態について話しているとき

「苦悩の表情」

が見えてくる。一方、首都圏の知事さん達の会見には、

「どこか人ごと」

と感じさせるモノがある。この違いではないかと思う。

 もう少し言えば、大阪府では、患者の病院への割り当てや、その後の対応に関しても、行政側がかなり関与し、苦労している。このような行政側の担当者の苦労が、トップの首超にまで伝わっている。

 この土台があるから、心に響く言葉になると思う。

2021年1月 3日 (日)

心に届く言葉とは

 東京などで、コロナ感染者が一日千人を超えるなど、危機的な状況が続いている。これに対して、首都圏の知事達が、政府に

「緊急事態宣言の発令」

を要求している。しかしながら,今回は前回と異なり

緊急事態宣言を出しても効果は薄い!

と思う。理由は

  1. 緊急事態宣言に伴う強制処置がない
  2. 政府や都知事などの言葉は民衆の心に届かない

からである。

 何故、心に届かないか?それは、

  • 自分で責任を取らない人の言葉
  • 言行不一致の人の言葉

のためである。知事達の,政府への要請活動は、

「自分達の責任逃れ」

と言う魂胆が見えている。一方、政府も首相の会食問題などで

「法的には違反してない」

と言う,自主的活動を否定する失言をしてしまった。このような言行不一致で、責任逃れの人たちが

「上から目線で発言」

しても届くわけがない。

 その点、大阪の吉村知事の発言は、大阪府の衛生行政スタッフと連携して苦労を知った発言だけに,心に届いている。従って大阪の患者数は、増加を抑えることはできている。この違いを為政者はかみしめてほしい。

2020年12月29日 (火)

会社と人間は違うのか

 昨日の競争原理に関する議論を見直して、一つの問題を見つけ出した。

  競争原理について考える: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

昨日の議論の問題点は、

「個人と会社を混同している」

である。つまり、個人が傷つくことを、会社と言うことに無意識に類推している。確かに経営者の一人一人は、個人でもあるが、会社というモノには別の見方があっても善いと思う。端的に言えば

「会社は潰れても善い、個人は潰してはいけない」

と言う発想である。この問題は、前にもこのブログで書いた。

  コロナ危機以降の社会について 続き: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

今回は、会社と個人の問題をもう少し考えてみたい。私が犯した誤りは

「会社に人間の類推を持ち込んだ」

である。これは、

「(組織を扱う)社会科学を(個人を扱う)心理学に還元する」

と言う単純化の失敗である。例えば、既得権益問題に関しても、組織として持つ既得権益意識の方が強烈な場合が多い。これには、いわゆる『空気』が発生して強固になっていく事例などがある。

 また、時代遅れ組織が、有能人材を抱え込む、事例も多くある。このように考えると、組織としての淘汰は、あっても善いのではないかと思う。

 ただし、日本人の場合には、まだ組織帰属の依存心が大きい人が多い。欧米では、もう少し個人が育っているように思う。この問題も考慮する必要がある。フーコーが『監獄』と言った監視社会、これを日本人は、近所付き合いなどの『組織組み込み』により、自然に実現している面がある。これは悪い面でなく、コロナ対応の自主規制の効果などでの良い面もある。

2020年12月25日 (金)

自然界の物を見ると言うことは?

 昨日の立体視の議論をもう少し進めて考えた。

複眼的な思考と立体視: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 昨日の議論で、機械製図の図面を取り上げたが、図面で表せる情報は、その形状が主である。なお、加工の精度なども情報として追記できるが、それだけで、そのものの情報全てとは言えない。つまり、機能などは、自分が塑像しないといけない。しかしながら、これは設計された物であり、設計者の意図は、何らかの手段で手に入れることができる。(設計者が奇矯すぎたら誰も解らないと言うことはありうる)

 しかし、自然界にある物を見るときに、その形状は見ることができるが、その働きなどを見ることはできるだろうか?例えば、多数の木が神社の周りにある。この木は、暴風林としての働きなどもしていると思う。しかしそれはどうして解るのだろう?

 このような解釈は、私たちが今まで持っている知識から導き出される物である。学校等から教えられた知識、そして自分の体験で学んだもの、これらが、目の前にある物の働きを、私たちに見せてくれる。学校で『防風林』という言葉を学ぶ、さらに子供の頃に、風が寒いときに、林の中に逃げたら『風の寒さが和らぐ』という体験をした。このような情報が上手く組み合わさると、神社の周りの木々が防風林と見えてくる。

 このように、自然界にある物を見るときには、自分の体験や知識に影響されて、そのフィルターを通して、その知識に合う物を見ることが多い。

 こうした知識の影響を意識することも大切だと思う。

2020年11月23日 (月)

いわゆる「Goto~~」について考えるべきコト

 政府の「Goto~~」については、色々な議論がある。しかしながら、この議論の前提とすべき情報が漏れているように思う。それは、

「コロナでの死亡者の総計は二千人」
であるが
「十月一ヶ月の自殺者は二千人を超えている」

と言う状況である。自殺者の原因の内訳が明確になっていないが、コロナによる経済状況逼迫が影響している人が、少なからずいるだろう。控えめに考えて一割としても、コロナでの病死者に匹敵する数になる。(コロナの病死者は二月からの集計)

 このような状況では、景気対策も重要という議論は、しっかり行わないと行けない。

 ここで、橋下徹元大阪府知事が

「問題があったのは名前。Go Toキャンペーンは今の時期良くない」と名称に苦言。「やっぱり、助け合い、頑張ろう事業とか、もうちょっと地味な、ウキウキした、浮かれたような名前を付ければいいのに、なんでこんな名前になっちゃったのか。コロナが収束した後はGo Toキャンペーンでいいけど…コロナが収束していない状況を見越し、もうちょっと違う名前をつけておけば、状況も違ったと思う」

と言う議論を展開している。

橋下徹氏 「Go To」の名称に苦言「もうちょっと違う名前をつけておけば」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 私はこの意見は、一理あるが

自殺対策としてなら、『Goto~~』表現はある

と考えている。

 理由は、

「引きこもって心が暗くなる場合には、『外に出る』ことが効果がある」

と考えるからである。

 実は私自身、現在は自己免疫疾患(難病)治療のため、ステロイドと免疫抑制剤の投与を受けているので、外出は控えるようにしている。ネットでのお付き合いなどがあるから救われているが、このような状況でこもっていると、ストレスが貯まり、メンタル的に参りそうに思う。

 このような側面も考えて、”Goto”はありだと思う。

2020年11月20日 (金)

知恵の種類について

 先日から書いている、「照準と修正」の話に関連して、仏教の智慧の扱いで、一つ見えてきたモノがある。大乗仏教の唯識等の教えでは、人の智慧を

  1. 大円鏡智:全ての経験等を記憶し収める智慧
  2. 平等性智:自我のこだわりを昇華し、仏の力を見る力
  3. 妙観察智:全ての良いところを見いだして考える
  4. 成所作智:実際の対応を行う、当意即妙の智慧

と分けて考えている。このほかにも全てをまとめる、「法界体性智」もあるが、今回は置いておく。

 さて、この四つの知恵の働きについて、私たちはどこまで意識しているだろうか?教えられたことを記憶していく、これだけで成績が良くなる。特に、実際の対応に当たる

「成所作智」

と事前にじっくりと考える

「妙観察智」

を、きちんと分けて考えることが大切である。更に、自分の考えは、自我による

「無意識の選択」

が働いている。価値観や道徳などが、無意識的に働いている。この部分を意識し、できるだけ「平等」に考えることも大切である。ここに「平等性智」の働きがあるし、心の奥には、色々な体験が

「鏡に映るよう」

にたまっている。

 このように考えると、大乗仏教の教えは、私たちの心の働きについて、大事な物を伝えているように思う。

より以前の記事一覧