2009年11月 9日 (月)

2つの不幸

 日経ビジネス・アソシエのHPで、香山リカさんが鋭いことを言っていた。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20091102/192998/
 現在の普通の幸せが手に入らない、不幸な人は、2通りあるという。
 その1は、派遣切りにあったなど、本当に不幸な人で、滑り台が止まらない現在の仕組みにも、問題がある。現在の会社では、個人情報保護とか言うことで、退職と同時に個人メールなど情報が消えてしまう。これで、つながりが切れて、誰も助けてくれない。
 その2は、頑張りすぎて、普通の幸せを通り過ぎてしまった人である。常に今以上を求める。その結果、安住の場所がなくなってしまう。
 この原因は、やはり優等生が多くなりすぎたことにあると思う。多様さを認めず、いっぽうこうの価値観だけで進むと、止まるところも知らないし、一度外れたら、ブレーキが利かなくなる。
 このため、いろんな経験を積み、視野を広げながら、ほどの良い所に満足することが重要だと思う。

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2009年11月 8日 (日)

人間の評価について

 日経ビジネス・アソシエのHPに面白い記事があった。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20091030/192621/

 日本人の他人の評価と言うか、承認には2つの側面があるという発想である。

  1. 表の承認:優れた能力や業績を称える。個性を尊重する。
  2. 裏の承認:和や規律、秩序を守り、分をわきまえていること、奥ゆかしさを尊ぶ。

表の承認を簡単に言えば、成績である。現在は、これが強調されすぎているように思う。この理由として、今の日本を動かしている人たちに、表の承認を得てきた人が多いからと思う。特に、子どもの時代に大きな意味を持つ学校社会でも、『成績優秀者だった先生』に指導されている。彼らは、自分が『表の承認』を受けてきたから、承認を受けられない人間のことが良くわからない。更に、『裏の承認』の重要性が、判らない人も多い。表の承認を、端的に表すものが、『偏差値』である。
 しかし、世の中で物事を上手く行うためには、『裏の承認』がないと、人がついてこない。この裏側で、『対人スキル』重視などと言う表現がでている。これが、建前としての「客観的評価」と微妙に交錯しているため、混乱していると思う。昔、ある学生が、

「就職にも偏差値を導入して希望者評価をして欲しい」

などと発言していた。この発言には、『奥ゆかしさ』や、『分をわきまえる』という観点が見えない。
 さて、このような能力はどうして身につくのであろうか。少なくとも、ほかの人の考えを思いやる想像力を常に働かすことである。
 もう一つ、仏教の実践に、一つの智慧がある。お経のあと、

「願わくは、この功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」

と唱える。皆が良くなれば自分も良くなる、と言う発想である。これを毎日唱え、皆と共に良くなるということが自然と身に付ければ、裏の承認も得やすくなるであろう。

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2009年10月26日 (月)

科学的経営管理と日本の知恵

 昨日の続編でもう少し思いついたので、補足しておく。テイラーの科学的な手法に、相当するものが、日本にあった。
 それは、嘉納治五郎の講道館柔道である。1882年に講道館を設立した時には、すでに古流柔術の技を、科学的に説明できる様にまとめている。テイラーの研究が1890年ごろであるから、少し早いと思う。更にもう少し遡れば、千葉周作の北辰一刀流の合理的な体系もある。
 ただし、嘉納治五郎の柔道では、体内の筋肉の精妙な動きが、消えたように思う。古流の型稽古の中に、隠されたものが、柔道の技術として、顕在化したため消えたものがあるように思う。このような観点も考えて欲しい。

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2009年10月25日 (日)

科学的な経営管理について

 20世紀初頭にテーラーが提唱した科学的管理法について、少し読み返してみた。確かに、彼がやったことは、作業内容をきちんと観察し、最善の行動を求めて、標準化すると言う科学的な手法で研究したことは、当時としては画期的なことであった。
 しかし、日本では、もっと昔から体の合理的な使い方に関して、調べていた人達がいるように思う。それは、武術にたずさわる人たちである。確かに彼らの研究は、主観的な手法であり、現在の科学的手法とは異なっている。しかし、このような蓄積があったことは、考えておくべきではと思う。

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2009年10月 1日 (木)

当たり前のことができる

 すぐれた会社や、スポーツチームの強さの秘密を、

「当たり前のことがきちんとできる」

と言うことがある。この意味を、もう少し突っ込んでみたい。まず、そのチームにとっては『当たり前』だが、他のチームとっては、出来ないと言うことがある。その理由を考えてみると、体のつくりのような、基礎体力が違っている場合がある。またこれを実現できる、スキルが身につけるために、多くの時間がかかり、他では出来ていないことがある。
 また、もう一方では、誰でもできるが、それを実行していないということもある。例えば、規則を守るという単純なことでも、完全にできる会社とそうでない会社がある。
 このような場合にも、出来ない原因を追求していくと、どこかで規則に無理があったり、社員個人のスキルがついていけていない場合がある。
 真の原因を潰さずに、結果としてわれわれは出来ていないというのでは、何時までたっても進歩はない。その前に、彼らと自分の『違いが判る』ことが重要である。このように段階をきちんと踏めば、物事は良くなっていくものである。

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2009年9月21日 (月)

努力を見せないといけなくなった

 昨日のNHKスペシャルでは、「ON(王・長嶋)」について、取り上げていた。特に、天才と言われた長嶋選手が、人に見えないところで、必死の努力をしていたことを伝えていた。当時の長嶋=天才というイメージは、マスコミも含めて作り上げたものであった。そしてそれに答えるために、隠れたところで必死の練習をする。一方、見ているファンの方も、長嶋先週の努力についても薄々は知っていた。しかし、天才と言うことを受け入れていた。
 しかし現在は、

 プロとアマの境目がはっきりしなくなった時代でもある。まれにすごいことを、さりげなくやってみせる人たちがいる。そういうひとこそ不世出の天才というものなのだろうが、天才でないことをわきまえた昔の並のプロは、見た目からまずガツンと威嚇してみせてきたのだろう。

 しかし、いまは謙虚にしていたんでは、だれも陰の「努力」に目をむけない時代なんだと紳助さんは言いたかったのかもしれない。

である。(日経BP社のHPから引用)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/?P=2

天才を認めにくい世界になってきたのが、本当の天才が生まれにくく、ブレークスルーが少なくなった要因ではと思う。

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2009年9月14日 (月)

努力を継続する条件

 イチロー選手が、9年連続200本安打の新記録を達成した。彼の成功要因の一つは、地道な努力を続けた、常時の改善である。
 このような努力が続く条件を少し考えてみた。まず第一は、微妙な進歩を敏感に感じる力である。努力を続けるためには、自分の努力が、有効であると言う信念を維持できないといけない。その為に、細かい進歩が自分で評価できれば、成果を確認して努力を続けることができる。
 第二には、大きな目標設定の力である。一つの目標が達成すれば、直ぐに満足してしまうようでは、大きなことが出来ない。今得たものに満足せず、少し上の目標を次に設定する。これが大切である。
 このような、能力開発の基本がおろそかにされているのではないか。

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2009年8月29日 (土)

組織開発について

 組織開発や活性化と言うことは、よく言われている。しかし、この本質を理解している人は少ない。そこで少し説明を書いておきたい。
 まず、組織開発と関連して良く行われる、ファミリー・トレーニングがある。ファミリー・トレーニングは、ある一つの仕事の関連者が一堂に会し、お互いに話し合いながら、同じ方向を向いた仕事を行うようにする。そして、組織活性化は、色々な手法があるが、相互にコミュニケーションを密にしながら、トップの方針に合わせて、全体として最適な行動をとるような、組織にもっていく手法である。
 組織開発にしろファミリー・トレーニングにしろ、実は基礎にロジャーズの『エンカウンターグループ』の考えがある。エンカウンター・グループの基本発想は、

「人間は自分のことを受け入れてくれる人の前では、善くなり力を発揮する。」

である。これを、理解しておけば、ファミリー・トレーニングでは、まず各人の言うことをきちん聞く。そして、各人の人格は大切にしていることを伝える。そして、組織全体のことを考えるならば、今の仕事の仕方を変える可能性もある。これを皆が納得すれば、組織としてよい方向を向け、皆が変化していく。これが組織活性化である。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4422110489/nifty0b5-nif1-22/ref=nosim

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2009年8月 9日 (日)

本日のテレビを見て

 今朝のNHKテレビの『ルソンの壺』で、医療練習の人体模型を取り上げていた。このような模型で訓練することは、失敗を行いながら練習できるので、力をつけることができると思う。

 シミュレータでの訓練の利点は、失敗を行えることである。逆に失敗を経験していない人間は、安全を見すぎて、機会を失することもある。但し、シミュレータ自体の限界もある。

 道具は使いこなすことが重要である。

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2009年7月27日 (月)

対人能力の不足は何処の責任か?

 本日の朝日新聞の文化欄に、今月の注目論文とその解説が載っている。橋本努北海道大准教授のコメントしか見ていないが、以下に注目した。

「どうも雇用の現場から排除された人々はコミュニケーション能力が不足気味で、抵抗の社会運動よりもメンタルヘルスを求めているではないか」

この意見に同意する向きも多いと思う。

 さてここで、成人のコミュニケーション能力不足について、もう少し考えてみたい。まず、
  「今回言われている、コミュニケーション能力不足は、本当か?」
と言う議論をすべきであろう。これは、問題提起している人達が、いわゆる知識人で、"論理的"と称する人種であることを考慮し、
  「彼らの基準で低い」
と言っているだけかもしれない可能性を、排除できないからである。全共闘世代の活動家に追及された経験のある人間は、『いわゆる進歩的知識人』の議論方式には、嫌悪感を持つこともあり、彼らとのコミュニケーションは、難しいものがある。

 しかし、雇用確保の問題で、コミュニケーション能力不足が言われているのは、現実である。この原因は、小学校~高等学校までの、基本的な教育の問題も大きいと思う。特に、国語教育の論理的な思考力育成軽視や、教師の独断的な支配が悪影響を、及ぼしているように思う。

 また教師採用において、成績のみに偏った試験を行っているように思う。成績優秀者に偏ると、コミュニケーションもその世界に偏っていく。田中角栄の負の遺産が、ここにも出てきたように思う。

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2009年7月25日 (土)

使えない知識の理由

 高機能性発達障害の症状の一つに、
  「言われたことを、そのまま字句どおりにしか理解できない。」
と言う行動特性がある。彼らの場合には、極端な話しだが、一般に学校を出て直ぐの場合には、学校の理論を、そのまま当てはまる場合には使えても、応用が利かないことがある。

 この理由を考えてみると、本など机上の理論をいくら勉強しても、その理論上の概念だけで、議論展開を見ていることが多い。その理論が、現実の世界に適用される場面を見ていず、応用方法を知らないことが多い。机上で勉強をすればするほど、知識のみが集積するが、知識の使い方がわからなくなってしまう状況である。

 この対策として、理論で使っている概念が、いかに現実の世界に対応しているか、考えてみる。そして理論を使って説明する。このような訓練が有効である。また、机上の勉強に関しても、知識間での応用を確り使っていくことで、知識の使い方が生きると思う。

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2009年7月21日 (火)

人間と親しい神様

 京都の葵祭りについて、テレビで放送していたが、これほど、神様と人間が親しいのかと、改めて認識した。神事の一つ一つは、大事なお客様に喜んでいただくためと、はっきり見て取れる。神様が、みなの心の中に生きていることが、はっきり判る。

 真言密教でも、色々な行いは、皆大事なお客様を迎えるためと言われるが、このような神の世界と人間の世界に隔たりがない世界も、良いものだと思う。

 

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2009年7月20日 (月)

面接の一形態

 就職試験などでの面接において、行動特性を見抜くために、コンピテンシー面接を行うことがある。コンピテンシイーとは、その人の強みが、行動特性として発揮されたものと、考えればよい。私が、コンピテンシーを探る場合の面接は、以下のように行う。

 1.自分の経験で、一番成功したことを、教えてください

 2.その時に貴方は、どのような立場ですか?

 3.そこで、一番苦労して、上手くいった場面を教えてください
   意思決定の重要な点を教えてください

 4.その時、あなたはどのように考えましたか?
   何を大切にしたか?

 このような観点で、対話を行うだろう。そして、話しの内容で、具体性があるか、評価する。受験者は、ここで派手な話しより、実体験に根ざした、具体的な話を心得るべきである。

 コンピテンシー面接は、会社の中で、今までに成果を出した人間の、行動特性と比べて、できるだけ同じような特性の人間を選ぶのが要点である。これを知っておくことが、面接を受ける時に少しでも、有利になるかも知れない。

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2009年6月27日 (土)

お礼と尊敬を強制してはいけない

 何かした時、相手から
  「ありがとう」
を自然に言ってもらうのは気持ちが良い。お客様に対して、機械的にありがとうと言う。これでは、仕事は長続きしない。お客様に対して、良いものを提供する。それに対しお客様が自然に、
  「ありがとう」
と言っていただく。それに対してこちらも
  「ありがとうございました」
と返す。こういう形にもっていきたい。単にお金を払うことに対する
  「ありがとう」
では、金さえ払えば、威張ると言う話になる。このような話をのさばらしてはいけない。

 これと関連して、尊敬の強要もいけないと思う。どこやらの大学教授が
  「先生は無条件で尊敬しろ」
等と言っているが、
  「尊敬に値する先生になれ」
がまず基本である。形の礼ばかり強制して、中味無しの尊敬を強要しても、後ろでバカにされるだけである。特に学校は、通過点である。その一つ一つで自然に頭の下がる『先生』出会えた子は幸せである。

 但し、教える側も、成果が出ないと直ぐに契約打ち切りの条件とすれば、大分変化がでるかもしれない。私も非正規雇用の『講義業』を経験しているが、2回目のお座敷を得るための緊張感が、自分を鍛えてくれたと思う。

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2009年6月 5日 (金)

禅について思うこと

 昔は、若い『知識人』がかぶれるものとして、「マルクス」と「禅」があった。しかし、彼らの求めているものが、本当の「禅」だったのだろうか?彼らの求めた「禅」は、知識過剰の論理を少し離れた所で求めているように思う。左脳的思考を補う右脳的思考を求めているようだ。

 しかし、実際の「禅」の教えは、もう少し神秘的な要素が入っているように思う。確かに、禅の教えには、「魔境」を禁じると言うことで、各段階で生じる神秘的なものを押さえている。そして、公案の話しなどを聞くと、ある種の超越的な論理を感じることもある。

 しかし、白隠禅師の「延命十句観音経霊験記」等によると、もっと素直に御仏の教えを信じその姿を求める、「正しい神秘」を求めるものではないかと、思ってしまった。

 そのような観点で見ると、顕教の代表的経典である法華経も、お釈迦様の姿を見るための瞑想のお経に見えてくる。

白隠禅師法語全集〈第6冊〉八重葎(巻之2)延命十句経霊験記 白隠禅師法語全集〈第6冊〉八重葎(巻之2)延命十句経霊験記

著者:白隠 慧鶴,芳澤 勝弘
販売元:禅文化研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年5月25日 (月)

伸びる人間の行動特性

 相変わらず就職戦線は厳しいと思う。さてそこで、企業が本当に欲しいと思う人間の、行動特性を考えてみた。ここで企業の状況は、将来投資を考えて、採用を行う、少しだけ経営に余裕のある企業を考えている。

 まず第1は、地に足の着いた、理想状況をきちんと描ける人間である。自分のあるべき姿を、企業の要求していることを理解した上で、描く能力である。この時、誇大妄想的に、できもしない姿を書くのは当然嫌われる。しかし地に足が着くことが良いと言って、まったくリスクを取らない人間も同程度に困ったものである。企業の必要とする、少し上の段階にチャレンジして欲しい。

 その次は、その描いた姿に向かって、実行する力である。今からでも良い。少しでも前に進む。それを日記に書くなどして、自己評価を行う。成長する人間の条件は、自己評価が確り出来ることである。これは良い面・悪い面の両方で確り行う必要がある。

 関連して、失敗を恐れず修正する力が必要である。今の世の中、管理が行き過ぎ失敗が少なくなっている。しかし実際は、小刻みな修正を上手に行う方が、計画に時間をかけるより、有効な場合も多い。例えて言えば、コンビニがスーパーより売り上げが良いという話である。コンビニの場合には、商品をこまめに入れ替え、売れ筋を修正している。これがスーパーに勝つ一つの要因である。このように計画倒れより、実行修正をきちんと行うことが、現在求められていることである。

 但し、失敗も上手に行うことが重要である。会社に致命傷にならないようにする。このためのある限度を弁えることも大切である。

 このような行動特性が必要と思う。

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2009年5月17日 (日)

若い人の対人力不足

 今年からの大学卒業で就職する人たちは、いわゆる『ゆとり教育世代』と言うことで、色々と言われている。色々な意見があるが、一つの側面として、彼らの『対人能力不足』があると思う。まず、「批判に対して弱い。」、「空気読みすぎ。」等が、よく出てくる意見である。

 私の考えでは、この理由の一つは、「学校制度への過剰適応」と、「失敗体験の無い」教育システムがあると思う。ゆとり教育の一つの理念は、
  「教育カリキュラムの全員達成」
であったと思う。言い換えれば、
  「できないと言うことは、何らかの欠陥を認めないといけない」
と言うことである。『XX障害』と言う言葉が多く見受けるのは、教師が教えられないときには、XX障害を見出す可能性もあるように、勘ぐってしまう。

 しかし、現実の社会では、「ゆとりを持った仕事の与え方」はできない。そのため失敗を多く経験しないといけない。このように失敗に直面できないのが、一つの対人能力不足の原因である。
   「少しの批判にも耐えられない」
と言う傾向は、できる限りなおす必要がある。

 また、均質な学校と違い、会社では多くの人間の組み合わせで動いている。全ての人間に良いと言うことは難しい。そのために、反論のあるのは当たり前である。「空気を読んで」合わせると言う事に、そこまで気を配る必要はない。

 このように、学校生活からの切り替えを上手に行えば、社会人生活へ適合できるようになうと思う。

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2009年4月29日 (水)

子どもの天才

 あるテレビ番組で見たが 

 「子どものピアノは、多くの天才が生まれる。
  しかし、成人した後まで
  天才であり続けることは、ほとんど無い。」

と言う話しには、色々考えるべきものを含んでいる。一寸思いつくものは、以下のとおりである。

1)子どもの教育訓練効果
 子どもに対して、適切な訓練を集中して行うことで、能力を開発する可能性は、低くない。但し、この場合に評価されるのは、正しく指が動いて、それなりの演奏になるレベルであろう。

2)大人の天才の意味
 大人になって、天才として受け入れられるためには、単に手が動くと言うレベルでは、通用しない。作曲家の思想的な側面や、信仰まで踏み込み、しかも自分の思想まで含めて表現しないといけない。

2')真善美に加えて聖
 よい演奏の評価は、子どもなら直感的にわかる。美と聖については、直感でわかる世界である。しかし大人になると、真や善が絡んでくる。この段階では、自分の哲学や倫理を持ち、しかも他人の信仰にまで理解できないといけない。

 特に、子どもで天才と言われた場合には、知識の幅をもたせて、教養を身につけるのに失敗する人が多いのではないかと思う。その点アメリカの教育と言うか、社会は、天才を特別扱いせずに、育つ機会を与えているように思う。

 ヴァイオリンの五嶋みどりさんや、諏訪内晶子さんは、アメリカの大学で、音楽以外の勉強を学び直している。このような、子どもの天才をきちんと育てるには、日本の風土に何か欠けているものがあると思う。日本で、教養も備えている音楽家としては、青柳先生がいるが、彼女の家系は特別すぎるので、参考にはならないと思う。

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2009年4月 9日 (木)

青い鳥はどんな鳥?

 若い人たちが、理想を追い求めて、転職を繰り返すことを、メーテルリンクの童話にちなんで、「青い鳥症候群」と言う。さて、彼らが求めている「青い鳥」は何処にいるのだろうか?

 彼らが求めているものは、自分の価値を認めてくれる、人または環境らしい。

 確かに、人の潜在能力を見出すのは難しい。そのような人材こそ、本当のキャリアコンサルタントと言えるだろう。

 但し、アメリカのバブルを、以下の例えで説明した人がいたことは、知っておくべきだろう。

 「アメリカ人は皆自分の家の庭に、
  金塊が埋まっていると思っていた。
  その金を当てにして金を借りまくった。
 しかし現実に金塊がないと判り現在の不況となった。」

 ありもしないものを求めすぎてもいけません。

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2009年3月27日 (金)

新入社員に贈る言葉(その2)

 今年も新入社員を迎える時期が来た。このブログでは、前には迎える側の人たちへ、考え方を書いたが、結構人気がある。 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_8537.htmlしかし今回は、新入社員の皆さんに直接語りかける言葉を述べてみたい。

その1「長い目で考えることが大切です。今までの学生時代は、
    16年程度、しかも3年や4年の細切れです。しかし定年まで
    を考えると、30年程度を会社で過ごすことになります。
    そのことを考えて、一度の失敗でもくじけずに、反省をきちん
    として、次にはもっと良くしたらよいのです。また逆に、
    一度の手間を惜しんで、何度も苦労してはいけません。」

その2「今まで学んだ知識が、そのまま仕事で使えるわけではありません。
    しかし、使いようによっては活かせます。会社で出会う色々な事柄を
    自分の知識で説明するように、心がければ知識の活かし方が
    解かってきます。」

その3「学校で学んだことは、どちらかと言えば抽象的です。これからは
    具体的なものも大切です。例えば物の寸法を、xxcmなどと
    目測する訓練なども、色々なことで役に立ちます。」 

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2009年3月15日 (日)

国会議員にうつ病はいない・・・

 今朝の新聞を読んでいたら、自民党の笹川総務会長が、
  「国会議員にうつ病はいない」
と発言したと言う記事があった。

 これには、うつ病患者に対する"偏見"が含まれている感じなので、議員として顰蹙を買うべきであろう。しかしここでは、別の観点で議論してみた。私の観点では、
  「うつ病になるような『まじめな人間』は国会議員になれない。」
と言うことである。例えば、郵政民営化で、衆議院の2/3を獲得したのに、それに反対だったなどと今頃言う。まともな神経の人間なら、悩んで「うつ病」になっても不思議は無いと思うが、首相を始めとして大きな声で、郵政民営化に反対だったと言っている。

 これは、どう見ても『躁病』になっても『うつ病』にはなりそうに無い。鈍感力が国会議員の必要条件と解かった。

 しかし企業で生活するには、モット責任感が必要だと思う。そのように自分で、正面から向き合うと、うつ病に成る危険性と向き合うことになる。

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2009年3月12日 (木)

空気と水の考察

 山本七平氏の「空気」と「水」に関して、もう一度私の解釈を説明しておく。まず基本になる考えは、下の図にあるように、知識の構造における、抽象的な理論世界と、現実世界の2分化方法である。

  http://homepage3.nifty.com/manabizz/koukatekikyouiku.doc

私の考えでは、山本流の「空気」は、この図の記号の世界が暴走したことで発生する。特に、特定の記号が表す「概念」が、色々な人の口に上る間に膨れ上がり、更に特定の性格がついたときに、発生すると考える。人々の会話の中で、正のフィードバックが発生して、発信したものが、「空気」の暴力的な力となる。

 一方「水」は、記号世界に対して現実世界からの介入で、上記フィードバックを立ち切る役割をする。 「話しに水を差す」と言うのは、現実に必要なものなどを挙げた時に生じる。

 このように考えると、第二次大戦の指導者達は、実戦の経験が無いので、「空気」で暴走したと言うことも説明できるのではないか。

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2009年2月11日 (水)

教育に於ける総合的なアプローチの効果

 前にも書いたが、日本の国語教育は、道徳教育と分離していない。これは、論理性を身につけたり、客観的な理解については、障害となる面がある。しかし、道徳的なものの見方が自然に身につく利点もある。江戸時代の寺子屋でも、手習いに道徳的な一節を書かせること多かったと聞く。

 更に、鉄道唱歌では、歌を通じて、日本各地の名物などを伝えて、地理の教育に役立てている。

 現在の教育は、少し専門に分かれすぎているように思う。そういう意味では、総合的に融合した教育も良いと思う。

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2009年2月 3日 (火)

成功哲学は本で学べるのか

 世の中には、「成功方法」と言うか「成功哲学」の本が沢山出ている。
   「それで本当に成功するのか?」
との疑問には
   「決定版がないから沢山本が出ている」
と言う、説得力のある答えが返ってくる。しかしこれでは、本を買った人は浮かばれない。しかも、どうしたら『成功』するかと言う答えがないまま放置されている。

 さて、このブログの思想は、できるだけ答えを出すことにしている。そこで私なりの成功法を説明したい。

 まず、本を与えられても、「それを実行する仕組み」と言うか「推進力」がないというのが、実体であろう。逆に、自分でこのような成功手法を調べて、自分の訓練方法を編み出し、実行する人なら、このような本を読まなくても成功する。

 そこで、実行するための推進力であるが、一つの候補は、「他人からの受容体験」である。つまり、「あなたは大切です。素晴らしい。」と、誰かに認められた経験である。これは、実在の人物でなくても、神様や仏様でも良い。自分が、その神様に認められていると言う感触だけでも、落ち着いて自分の良さを認め、それを伸ばすことができる。もっとも、ガネーシャ様は、恐れ多いから、普賢菩薩様のご眷属様の"白い象さん"あたりが優しいので良いと思う。観音様も優しいし、弁財天様も美しい。

 どうしても、そのようなものが見つからないなら、自分で自分の良い所を見つける。それも客観的に評価しながら、見つける。こうして、自分を褒めながら伸ばすことが有効と思う。成功哲学の本は、このような話があるのかな? 

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2009年1月21日 (水)

人に講演する条件

 オバマ大統領の演説が、皆の心をとらえている。このように人に呼びかけて、動かすのは一つの才能である。残念ながら我が国の政治家は、このように人を動かす力が弱いように思う。特に、国会から内閣には・・・

 さてここで、演説や講演において、考えてみたいものがある。それは、マイク&スピーカの功罪である。確かに、多くの人に声を届ける、機械的な増幅機能の力は大きい。しかし、本当に力を伝えるならば、自分の地声でできるだけ伝えるべきであろう。

 そのためには、腹式呼吸での発生が必要条件である。腹から声を出すことで、腹が据わってくる。ここから鍛えて欲しいように思う。

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2009年1月17日 (土)

物作りの楽しみ

 学生の皆さんに、企業に就職したときに得るものを一つ、指摘しておく。それは、成果により認められる体験である。仕事の場では、色々なことが要求される。その要求に応えるたびに、関係者から認められるようになる。

 このように他人から認められていることを、意識的・無意識的に感ずることで、心の安定を得る効果は大きなものがある。

 学校では、成績と言う一本道であるが、ものづくりの立場では、例え伝言を取り次ぐだけでも、貴重な役割と言うこともある。そのような時、一言のお礼で自分の立場を認識し、成長することもある。

 多面的な評価の効果の一つである。

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2009年1月10日 (土)

図の見方

 何処で呼んだか、記憶が薄れてしまったが、
  「杉田玄白らが解剖に立ち会ったときの内臓の状況は、
   蘭書ターヘルアナトミアの図のとおりではない。」
との意見を見たことがある。

 確かに解剖学の教科書どおりの内臓など、完全に一致することは、まずないだろう。しかし、これは現在の写真やビデオ画像に慣れているわれわれの感想である。当時の写実と言えば、浮世絵のレベルである。写楽の役者絵はわれわれの感触では、デフォルメの塊である。しかし当時の人には、十分写実であったのであろう。また、春画の男性器は、太腿より太い。しかしこれも当時の人にとっては、十分納得のいく表現であった。

 これを考えると、「解剖図」も十分写実的に見えたと思う。

 相手の立場を良く思いやる大切さがここにもある。

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2009年1月 2日 (金)

体育会系の総合職とは?

 テレビをつけると、駅伝やサッカー、ラグビーなどスポーツの放送が目に付く。昔から、体育会系の学生は就職に有利とされていた。そこで、そのような学生を採用する側の意見を拾ってみると以下のようになる。

1.体力・気力が充実していて、困難な仕事にも耐える。
2.上意下達で言うことを良く聞く。

 ここで、1.の『困難に耐える』と言う特性は、重要だと思う。特に、
   「自分の能力の壁を超えた」
   「自分の潜在力に目覚め不可能を可能にした」
経験は、今後の仕事の上でも活きると思う。このように自分を伸ばす人財を求めるのは正しい。

 しかし問題は、2.である。総合職として採用する場合に、
   「上の言うことを良く聞く」
だけでは、困ったことになる。自分の意見を持って考える。状況に応じて判断する。そしてそれを皆に説明し、受け入れさせる能力が必要になる。この能力を求めないで、総合職として採用するのはおかしい。

 なお、日本海軍の参謀は、「教科書どおりの潜水艦の配置」を、潜水艦の艦長に厳命指令したため、アメリカ軍に、
  「本来秘匿されるべき潜水艦配置が、解かり易くて
   日本軍の潜水艦を狩りは楽であった」
とバカにされた歴史がある。

 教科書どおり、上司の命令に機械的服従の総合職に仕事をさせるなら、この海軍参謀と、あまり進化していないように思う。

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2008年12月23日 (火)

体について注意を払う

 今朝のNHKの連続番組「だんだん」では、ヴォイス・トレーニングのシーンを放送していた。
   「プロが上手なのは、自分の声をよく知っている。
   自分の声を聴いて好きになる。」
と言う言葉が、特に参考になった。また姿勢として
   「常に今行っていることの意味を考えて訓練に望む」
と言うことは、どの分野でも同じだと思う。しかも、
   「舞の稽古が発声にも活きる。」
ように、今までの積み重ねを生かすということも、参考になった。

 また、腹から声を出す重要性も、よく番組の中で表現されていた。

 このように、心と体の関係も、もう一度見直してみたらよい。

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2008年11月16日 (日)

就活で成功するためには

 就活で、内定を得られない人の条件を考えてみた。まず、自分のことを客観的に見られない人、特に対人能力が弱い人が一番に思いつく。特に、採用する側の立場を考えない人間は嫌がられる。

 そして、能力が低いのに、それでいいと居直る、それどころか、
  「自分の価値を見出さない、社会や会社が悪い」
と言う人間が、もっとも嫌われる。一般に対人能力が低い人間は、トラブルを良く起こす。

 これを逆に考えると、まず人の言うことを聞く。この訓練からはじめる。そして自分の能力を、世間一般の絶対評価で、客観的に記述する。その時低すぎるのもいけない。

 但し、学校での評価にこだわるのは一番いけない。会社に適合できないと思われる。

 このような点を考えるのも、一つのヒントだと思う。

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2008年11月 9日 (日)

人間を堕落させるのは

 Kプロデューサーが詐欺事件で逮捕されたと言う話しを、ここ2~3日テレビなどで聞く。このような話しの時、いつも思うのは、
  人間は、自分の努力に相当しない報酬を得ると、堕落する。
と言うことである。特に、若い時からちやほやされて、頭を下げる経験がないと、おかしくなるようである。但し、頭を、上げる経験も必要である。現在は、一寸上から押さえすぎで、元気のない若者も多いような気がする。これも困ったものである。

 しかし、持ちつけない金で堕落するのは、日本の、マスコミを含めた、教育環境にも問題がある。どうも、マルクス主義の影響がまだ残っているようで、
   「金持ちは勝手なことをする」
という思想を子供のころから、学校で押し付けられているように思う。そして、マスコミも資本家や経営者の悪い所ばかり穿り出して、子どもに見せている。

 だから、
   「金持ちになって好きな事をする。」
   「国会議員になったら料亭にいく。」
などと言う人種が増えているように思う。

 もう少し、経営者の責任の重みと功績を、皆に示しても良いと思う。

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2008年11月 1日 (土)

武道について

 前にも書いたが、武道と言うのは、命のやり取りである。その典型が残心で、相手を倒しても、止めを刺していない限り、反撃の可能性がある。従って、心を残し、次の対応を考える。これが基本である。また、一人の敵に心を止めず、他からの攻撃にも対応できるようにしないといけない。

 しかしこの残心が、形骸化している。特に柔道では、一本にもならない技でも、ガッツポーズする者までいる。このようなものを、武道と言ってよいのだろうか。

 但し、このような命のやり取りと言う緊張感の連続に、本当に人は耐えるのであろうか。全ての人が耐えると言うことは、考えられない。前に、禅について書いた時、白隠禅師の墓の傍に、修業半ばで神経を患い死んだ僧たちの墓があると書いた。禅というのもある意味真剣勝負である。座布団の上で死にきった人間こそ悟りを開けると言う。

 武士道には、このような残酷な面がある。少なくとも、武士道などと言う人間は、それに耐える人間でないといけない。本当の恐さも知れずに、禅かぶれになるのも困ったものだが、武道にも同じような危険性がある。

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2008年10月22日 (水)

努力しない子供について

 近頃の若い人は努力しないと言う話しを聞く。そこで、その理由を考えてみた。そこで思いつくのは、ゆとり教育である。特に小学校の場面を考えてみた。例えば、算数の時間を考えてみよう。

 計算問題を行う場合、ゆとり教育の理念では、最低の成績の子でも、確保する計算力を教えている。そこで、できる子は、この場合はどうしているのだろう。楽にできて、暇をもてあます。しかし騒いだりすると、先生に睨まれる。

 そうすると、どうしてもゆっくり時間をかけて、計算することになる。勢い努力して、計算速度を上げるなどもなくなってくる。

 このような教育を受けた子が、
   「努力できないのは社会が悪い」
と言うのには、少し納得してしまう。

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2008年10月19日 (日)

手帳の効果(緊張の持続)

 今年も来年の手帳が本屋に並ぶ時節になった。特に大きい目の手帳は、日記としても使える。その場合、記述するのは、30分単位や10分単位の、細かい時間での記述になる。このような手帳で、短い時間単位まで「見える化」することで、実質の管理が細かくなる。

 このように、記述する手段を持つことは、管理する基本である。そして、見えてくるムダを排除するのが、改善の基本である。特に使っている時間で、どのような付加価値が生じるか、きちんと評価することができる。

 このような記述から、ムダを明確にし、改善を積み重ねる。これが改善の基本である。

 しかし、このように自分の時間を常に評価することは、緊張感を持続することになる。まずこの緊張感の持続に耐える気力体力を養うことが必要と思う。

 前に、いつもカメラを持ち歩く写真家や、常に命を狙われていると考えて行動する武士の話しをした。これと々緊張感の持続ができる人間がどれだけいるであろうか?

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2008年10月11日 (土)

緊張に耐えると言うこと(武術・武道について)

 前に、アメリカ軍兵士の心理的な影響について述べた。何処にいても、襲われるかも知れないと言う、恐怖と緊張が戦場から帰っても、精神に影響すると言う。これは、大変なことである。しかし、150年ほど前に時間を戻すと、日本人はそのような緊張感の中で生活していた。

 武士と言うものは、何時も死と向き合って生活する。例えば、潜り戸を抜ける時でも、その先で襲われたときの準備をして、潜ると聞く。このような、状況で生き抜くための体を作るのが、武術である。更に、日常全てにいきわたると武道になる。武道を学と言うことは、本当はここまで行くものである。

 現在で言えば、心得がある人は電車を待つ場合にも、最前列では待たない。またプラットフォームを歩く時も、端を歩かない。常に五感を活性化して,近づくものを感じている。

 このような緊張感は、耐え切れないように思うのは、平和化した現在に生きているからであろうか。 

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2008年9月23日 (火)

鎌倉時代から教訓

 井沢元彦氏の「日本史集中講義」を読んだ。色々面白い見方があるが、浄土真宗の布教の話が参考になった。親鸞の教えは大衆化は難しかったが、蓮如が一気に大衆化した。其の一つの仕組みが、信者の集まりである「講」である。ここで重要なことは、当時は
  「自由にものの言える場がほとんどなかった」
と言うことである。本当に会話や、意見を聞くと言うことは、大衆には遠い世界であったのであろう。

 そう言えば、北条泰時と明恵上人の関係も、何となくお互いが相手のことを受け入れたと見ることができる。当時の武士は、都の貴族には何となく、軽蔑されていたことは、想像に難くない。しかし明恵上人の対応には、そのような偏見は感じられない。上人は全てがお釈迦様の弟子ではないか。

 このように見ると、相手の言うこと聴き、受け入れる重要性が見えてくる。

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2008年9月14日 (日)

一流を維持するために

 今朝の朝日求人の「仕事力」で、仲代達矢氏が「帰り修業のすすめ」を書いていた。味わいの深い内容だったので、忘れないうちにメモしておく。

 まず、アメリカに比べて日本の俳優は恵まれている。アメリカでは、役者の数が多く、そこで競い合って実力がトップの人間だけが出てくる。アメリカの俳優養成所では、活躍しているプロの俳優たちがそこに戻り、もう一度自分の演技を見てもらい、洗い直している現場に遭遇した。

 無名塾では、俳優の基礎として観客に伝えるため
  「舞台の上手から下手へ普通に歩くことができるように、
   正しく美しい日本語が話せる」
ように、3年で何とか身につけるようにする。これはプロとして、よって立つ能力で、この「人間力」は、死ぬまで俳優を続けるために、たたき込まなければならない。

 一度成功しても、次第にマンネリになって壁にぶつかる。その時もう一度「無名」になった気持ちで戻るように、無名塾と名付けたが、なかなか戻ってこない。

 ベテランと呼ばれる年代でも、新しい役に立ち向かうときには、新人とまったく同じ取り組みをして、なるべく今までに自分で作った引き出しをぶち壊そうと思う。

 これはどのような仕事でも、共通する考えだと思う。成功する条件は、基礎をしっかりして、常に自分を磨くことである。 

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2008年9月 1日 (月)

実務と勉強の統合

 前に、新人が実務に入っていく場合のアドヴァイスとして、
  「思いついたことをメモする」
と言うことを書いた。今度は、観点を変えて、総合職の立場と実務処理能力について、考えてみたい。

 まず会社で努めている以上、実務処理が必要である。それを、将来管理する立場として、総合職の要員を採用しているが、実務を知らないで管理することは難しい。そのため、総合職と言えども、実務の経験を積ませる必要がある。

 さてそこで、実務を処理する時の心がけである。実務はある意味、変な理屈をこねずに、手早く裁くことが必要である。これは、問答無用の訓練が有効である。そこで、取り込まれると、あまり考えない癖がついて、前例重視になってしまう。

 取り込まれっぱなしになっていると、総合職の値打ちがなくなってしまう。そこで、自分の行っていることを、客観的に見る目が必要になる。仕事が終わった後、自分のしたことを振り返ってみよう.それを、理論的に説明できるか、改善可能性があるか、一寸考えてみよう。そこでアイデアをメモしておく。いきなりしゃべると、世間知らずで恥をかく可能性がある。経験を積みながら、自分の知識の活かし方を探っていく、これが総合職の条件だと思う。

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2008年8月31日 (日)

会社で走ると言うこと

 今朝の”がっちりマンデー”で、クリーニング業界の話しを取り上げていた。そこで、
   「社内では皆走る」
と言う会社の話しがあった。

 少しの時間も無駄にしない。全社員の時間感覚を速く動くようにする。これが全員に染み透ると、経営の効率が上ると思う。トヨタでも、物流の人間は、走って戻ると聞く。

 しかし、これで気になるのは、安全の問題である。また人間は、継続的に全力疾走に耐えるように出来ているのであろうか。持続的に仕事をするためには、歩くスピードで、効率的に生産できる仕組みを考えることが重要と思う。

 そういう意味では、24時間の受付や返却を行う、自動化システムを考えたクリーニングは素晴らしいと思った。

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2008年8月10日 (日)

日曜朝の経済番組の効用

 今朝テレビで、NHKの”ルソンの壺””経済羅針盤”や毎日の”がっちりマンデー”を見ていた。この手の番組は、見ていると元気になる。日曜の朝から、良い気分となるので、1週間が楽になる。

 さて、なぜ経済番組が元気になるのであろうか。一つには、ニュース関連では、元気になる話が少なすぎる。人の悪い話を追求する姿勢が、気分を悪くする。

 一方経済番組は、悪い状況から、自分で考えて解決すると言う、良い面の話しが多い。

 自分でよくできる。このイメージを持つことが大切ではないだろうか。

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2008年8月 9日 (土)

図と絵の違い

 物事を考えるときに、絵や図に描いてみるとよく解かる。しかし、図と絵には大きな違いがある。図というものは、ある約束事で、描くもので本質的に抽象的なものである。一方、絵には、現実を写しているもので、読む人間の想像を引き出す。従って、図の場合の解釈は、あるルールに従うので、一意的に決まる。しかし、絵の場合には、読む人により解釈が異なる可能性がある。この場合、「何が正しい」と言い切るのは難しい。しかし、これから新しいことを創造する可能性がある。

 これと同じ議論が、『理念型』の使い方で出てくるように思う。日本人の場合は、教養が大衆化している。しかし、『天職』などと言う概念は、ヴェーバーは完全に抽象化した、『理念型』として議論している。これは、上記の図による議論である。しかしながら、日本人の読者には、多くは「自分の『天職』の絵」で議論することも少なくないように思う。

 単なる抽象的な図は、感情に訴えるものが弱いが、絵の場合には、感情まで繋がってくる。これが、「日本人の『空気』を醸成する力」ではと思う。また、絵の共用は一つの『暗黙知』として力を持つと思う。

 

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2008年7月27日 (日)

本物を見る

 芸術や職人の世界で、本物と言うことに関して、議論をしてみたい。

その1.ある所で自分の店を持っていた、管理栄養士の話しから

 彼女は、自分のつくるプリンに関して、非常に自信を持っている。彼女は、プリンの原料の内、卵がポイントと考えて、数ヶ所から取り寄せて、ある卵を選んでつくっていた。しかし、近所のフレンチレストランで食事をして、最後のデザートがプリンだったと、怒っていた。ただし、彼女のプリンと食べ比べたある人は、
 「良い材料を使っても、あのレストランには負けている」
と評価していた。

その2.某ピアニスト

 彼女は、海外の某作曲家の難曲を弾きこなすが、その後ろにある信仰にまで、理解が及んでいない。その作曲家に会いに行ったが、「カソリック信者でない」と言う事で、不機嫌な顔をされたと言っている。しかし、その作曲家の演奏を聴いたある人は、
 「その作曲家の曲を別の人が演奏した時、神の恩寵が降りてきていた。
  彼女にはそれが感じられない。」
 これは、カソリックで無くても、ある種の超越者に対する敬虔さ、自らの弱さに対する認識のような何ものかを、感じているか否かで違うものが出てくると思う。

 ただし、このような場合に本物に正面から向き合うと、自分がつぶされる可能性も大きい。本物を求めると言うことには、それなりの覚悟が必要である。

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kyについて

 ky(空気が読めない)と言うことをよく聞く。確かに、韓国の大統領が困っていて、しかも北朝鮮に対して、韓国国民の(好意的でない)関心が向いたタイミングに、竹島問題を持ち出す首相等は、空気が読めているとは思えない。これは外交の初歩ができていないと言うことだろう。

 しかし、本日の朝日新聞の桐野夏生さんの「仕事力」で、カラオケ店に皆で行ったとき、
  「雰囲気を読んで歌を選ばないと皆がシラける。」
と書いてあったのには、そこまでやるのと言うのが正直な感想である。

 この原因は、一つの正解を求めすぎているではないかと思う。さらにもう一歩踏み込むと、学校教育において、先生の求める行動に合わせる癖が就いているからではないか。確かに小学校・中学校あたりは社会のルールを教えるため、ある程度の型嵌めは必要であろう。しかし、全てにおいて唯一の正解と言うものは無理があると思う。価値観をしっかりし、この方向は許す。これは絶対許されない。そのような判断が必要である。しかし、指導要領書頼りの教師には、自分で判断が出来ないのかもしれない。

 社会のマナー等、守るべきものと個性を活かすの両面のバランスが、大切である。一つのヒントとして、昨年の4月には、「集団面接が苦手で話せない」と言っていた人が、通学の往復車中で、「日経ビジネスを読んで企業の人たちの考えを知る」ことで、内定をゲットしたことを知って欲しい。

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2008年7月22日 (火)

仮説思考法の意味

 現在論理的な思考法として知られているものは、前提からルールに従って推論する演繹的手法と、実例の共通的な項目を抽象化する帰納的手法の2つがある。

 しかし、これ以外に確実さは無いが、有効な手法として、現状起こっていることを引き起こす原因を、従来から知られている因果関係から、想定する手法である。

  AならばBである。Bが観測された。それならば、Aの可能性がある。

これが、仮説思考法の形である。単にこれだけでは効果が見えないかもしれない。しかし、現実の複雑な事象に対応する場合には、可能性を列挙することで、複雑さに対応することが効果的である。可能性の交点から、本当の原因が見えることがある。

 将棋の高位者は、本当に必要な手を読むと言う話しと、通じるものを感じる。

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2008年7月21日 (月)

コンピテンシーについて再考

 コンピテンシーについて、もう一度考えてみた。どうも、私の理解は浅いように思う。本来の趣旨は、高業績者の行動特性と言うもので、その業務のハイパフォーマー(=高業績者)に面接して、その時どうした、今ならどうする、と言う面接結果から導き出すべきものらしい。

 これを考えると、面接自体で、ハイパフォーマーのモラルが向上する。具体的な仕事の対応事例で、皆が真似しやすくなる。などの効果が期待できるが、面接を実行せず借り物の用語で対応しても効果が少ないように思う。

 ただし、面接の考え方としては、使えるかもしれない。

 1.今まであなたが一番良い成果を出したことについて説明してください
 2.その時あなたの立場は
 3.その成果はなぜ出来たのですか
   必要能力はどのようなものですか

 4.現在ならどうしますか

 これは、就職試験でも使えるように思う。

 ただ、コンピテンシーは、意欲・価値観・スキル・知識の擦り合わせで、できているように思う。単純な、機能ではなく、対応すべき課題の文脈の中で、出てくるものと思う。

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2008年7月20日 (日)

擦り合わせ物づくりの一要因

 日本の『物つくり』は、『擦りあわせ』が得意と言う話しは、前から何度も取り上げたが、その一つの要因として、昔からあった木製品の工芸の伝統があると思う。このような工芸では、使用材料を個々の性質があるモノとして、「木を読む」等の対応をしている。

 部品の細部に、木を配らないで済む。これは標準化の大切な効果である。これなしには近代工業は、成立しない。

 しかし、「個別の木の特性を読んで組み上げる。」ことも、味があって良いと思う。

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2008年7月 9日 (水)

死を学ぶ

 今の医療は、死について学んでいるのであろうか?どうも、解剖等の授業が行われているようだが、死体の研究や、死に至るプロセスを、多く学んでいるとは思えない。

 そういえば、工学の世界でも、機械が壊れる段階について、学ぶのは不十分なように思う。

 無事を祈る、言霊信仰が行き過ぎているように思う。

 

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2008年7月 4日 (金)

右脳と左脳について

 先日テレビで脳の不思議について、特集をしていた。特にサヴァン症候群の話しについて、考えることが多かった。彼らの記憶力の説明として、
   「右脳の情報が無制限に取り出せる」
という説明があった。通常の場合は、左脳で取り出せる情報を制限している。情報を絞ることで、推論などができるようになっている。

 こう考えると、人間の学習は、右脳を抑える方向で、訓練しているように思う。右脳を使えという言うことは、本当に人間の能力を増やすのであろうか?

 もう一つ、右脳と左脳で分かったことがある。日本の仏教における、左脳の作用である。日本の仏教において、法華経の影響は大きい。一方、韓国では華厳経の影響が大きい。この二つのお経はどちらも、久遠の仏の救いについて述べたものであるが、華厳経は全てのものに仏と言う、イメージが強く、右脳に訴えるように感じる。(これは、華厳の一部しか見ていないというご批判はあるかも!)一方、法華経では、壽量本に示すように、きちんと論理的に如来の寿命が無限であることを解き明かす。これは左能の世界である。

 なお、日本の法華経に関しては、聖徳太子の影響も大きいと思う。

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2008年7月 3日 (木)

XX力の意味

 今、書店には「XX力」と言う本が、並んでいる。これは、各人が身につけるべき、スキルの訓練として考えると、納得のいくものが多い。

 現在は、一部のスポーツを除けば、単純なくり返しによる習得は、余り流行らないように思う。しかし「XX力」を身につけるには、くり返しの鍛錬が重要である。

 この努力は、色々応用ができると思う。

 しかし「売り込み力」と言う本は、無いのだろうか?

 多くのベストセラーを出している、S先生当たりから教えてもらいたいと思う。

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2008年6月28日 (土)

効率と不寛容

 会社生活が長いと、色々な仕事を効率よく行うようになっている。そのような目で見ると、世の中の動きは無駄に満ちている。例えば、色々な店舗でのレジ前での行列に対して、レジ係の動きに無駄が多いこと、一方待っている客も、動線が悪く、しかも並んでいる人間の邪魔をしたり、並んでいるのか立っているのか分からなかったり、他の人間の邪魔になる所で、しゃべっていたり。

 このような動きを見ていると、腹の立つことも多い。しかし、それを注意すると、
  「なぜそんなことで怒られなければならないのか」
と、反発を買ってしまう。

 このような、団体行動の躾けは、小学校の体育等で、教えて欲しいものだが、残念ながら今はできていないように思う。

 しかし、効率以外にも、他人の迷惑と言うことに、少しでも思い遣る人間がいたら、もう少し整列もきちんとすると思う。マニュアルに書いていないことは、対応しなくて良いという発想がこの思考停止を呼んでいるように思う。

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2008年6月17日 (火)

道具におけるモジュラー化

 缶ビールの飲み口の大きさを、工夫することで、美味しく感ずるようにした、と言う話を聞いた。同じような話しで、ワイングラスの形状も、舌の上の味感覚を引き出すようになっている。

 さてここでこの寸法は、どうして決まったのであろう。平均的な人間のサイズから割り出したり、最低限のサイズを決めたりと言う手順であろう。しかし感覚に敏感になれば、個人の微妙なサイズの違いにも、影響を受けるであろう。

 しかし、平均サイズで割り切るのが、モジュラー化というものであろう。

 一方、日本の道具は、箸が代表であるが、特に体にあわせたものとはいえない。その代わり自分で使いながら工夫して、一番良い所に運ぶ訓練を体の方が行っている。このような工夫は、擦り合わせの一つではなかろうか。

 なお、日本の道具でも、個人に合わせた物はある。例えば刀等は、自分にあったものを選んでいた。ただし、足軽・雑兵に関しては、規格品の刀を貸し与えていたらしい。そういう意味では、徴兵的な軍隊が早くできたところは、モジュラー化が進んだかもしれない。日本の江戸時代の兵農分離は、武具を個人向けの道具とし、擦り合わせに向かったように思う。

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2008年6月 8日 (日)

病名と言う記号

 

発達障害という記号 (メンタルヘルス・ライブラリー 21)

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を読んだ。発達障害やアスペルガー症候群に関して、ある程度の知識がないと、理解できない部分も多いが、色々考えるべき内容を含んでいる。

 まず最初の対話では、
  「記号としての発達障害の流行」
と言う議論が行われているとの問題提起が行われている。
  「従来は、統合失調症と言う診断が行われた症例でも、
   アスペルガー症候群に当てはまる。」
と言う記述には驚いてしまう。しかし、「現在は発達障害診断のバブル」と言う発言は、納得してしまった。
  「こんな子って昔、いくらでもいたじゃないですか」
  「ちょっと変った子が行きづらい学校になっている」
このような異質排除と言うか、教師の扱いにくい子は直ぐに、”障害”のラベルを貼ると言う風潮は、私も前から感じていたものである。これをもう一歩踏み込むと、文部科学省の管理過剰の教育現場では、教師がノルマ達成の理由を必死に求めていることも、原因のひとつだと思う。

 さて、この議論の後ろにはもう一つ大きな議論がある。
  「従来は職人として、余り人と接することが少なくても立派な仕事ができた。
   しかし、職人の仕事が減って、営業や対人サービス業につくと、不適応になる。」
これは、日本の産業構造の変換とも関連した話しで、顕在化した問題である。今、『アスペルガー症候群』や『広汎性発達障害』について、議論されることが多くなったのは、
  「仕事としての対人要素が増えてきたから」
と言う観点で、もう一度考えてみたい。

 なお、これと類似の話しとして、ソフトウエアの作業者の、キャリアパス問題がある。ソフトウエアの作業は、通常最初はプログラミングから入る。この段階では、変に想像を入れず、仕様書の内容を文字通り解釈し、周囲に目をくれず集中して、作業することが要求される。まるで、『アスペルガー症候群』のような作業である。しかし、これからSE等の上流作業に入ると、
  「お客様の要求を引き出すため、想像力を駆使し行間を読む」
作業が中心になる。このような、考え方の切り替えで、適応不全となる例も多い。只、この時、『発達障害』とは言われていない。これが良いのか悪いのか、悩ましい問題である。

 なお、この本の後ろには、医療福祉系の大学を進学してMSW(メディカル・ソーシャル・ワーカー)についた人が、実はアスペルガー障害だったという例も書いてある。このような仕事につく前に、学校での訓練は何をしていたのであろうか。こういうことも見分けることができないで、福祉関係につく人間の育成と言うことには、疑問を感じてしまう。

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2008年5月 4日 (日)

禅について

 セルフ・コントロールの医学 (NHKブックス 321) の第6章に、「魔境」と言う項目がある。魔境とは座禅をしている時に、感じる神秘的な体験のことである。禅ではこれを乗り越えて、真の悟りを目指すらしい。

 さて、この本の243ページには、静岡県の松蔭寺の、白隠禅師の墓の周りの、2,30の小さな丸石の墓の話がある。それらは、白隠禅師のもとで修業中に発狂して死んだ雲水の墓だと言う。白隠禅師は、『内観法』『軟酥の法』を教えて、禅病対策を教えていた。そういう立派な師の下でも、30もの墓がある。

 筑摩書房の「公案ー実践的禅入門:秋月 竜珉著」には、「一度座って死んだ上で言える言葉」と言う表現があった。このように、死と正面から向かい合って禅と言うものが成立したと思う。少なくとも江戸時代の侍は、自らを処する方法として、切腹の作法を教えられていた。

 命を大切にししかも死というものに常に向き合う。これが本当の侍であろう。これを理解し、体得できていない人間が武士道と言っているのが、現在のひずみではと思う。

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2008年5月 1日 (木)

若手時代の経験

 新入社員の皆さんも、そろそろ、自分の仕事を任されることが多くなった、のではなかろうか。そして失敗もする時期である。そこで大切なことは、失敗を活かすことである。失敗を繰り返さないと言うことは、基本であるが、そこで萎縮してしまうのもいけない。まったく同じ失敗のくり返しは許されない。しかし別のことにチャレンジすれば、また失敗する。このような経験を、繰り返しながら成長していくのである。

 特に、色々世代の異なる人々と、一緒に仕事をする経験が重要である。ものづくりの場では、完成形の図を描いても、実際に組み立てることはできないことがある。そのようなことは、現場のものづくりのベテランの経験に指摘され、叱られて覚えることも多い。ここで、
 「とてもものづくりの詳細は理解できない」
と投げ出さずに、ベテランと共同して仕事をすることで、人間的な力もついてくる。

 この点ソフトウエアの世界では、一人でできることが多く、自分だけで完結する仕事も多い。これは自分の責任感を強くし、鍛える面もある。しかし、対人関係での力が改善される機会を失うことでもある。このような点を考えると、ものづくりの経験は重要だと思う。

 

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2008年4月 2日 (水)

新入社員へ贈る言葉

 4月になり、新入社員を迎えた会社も多いと思う。さて、ここで新入社員に対して、どのようなメッセージが贈られたであろうか。一般的には、会社側の考え、新人に対する期待などが語られたと思う。

 しかし、この見方を変えて、新入社員の立場に立って見よう。彼らには、新生活に対する期待もあるが、不安もあるはずである。そのような不安を、打ち消すメッセージを送ることも重要ではなかろうか。

 特に、今の若い人たちは、
   「失敗を極端に恐れる」
傾向がある。これは、学校制度の弊害もあるが、今後の長い会社生活では、一度の失敗は、直ぐに取り戻せると言う主旨を、伝えることが大切で、効果がある。

 特に終身雇用のメリットである企業内教育に関しては、きちんと説明すべきであろう。

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2008年3月31日 (月)

ニックネームの効果

 スポーツの訓練で、各人に『司令塔』等のニックネームをつけることで、自己イメージを作らせる手法があるという。これは良い方法だと思ったが、これが一人歩きすると、一寸恐いことになりそうだ。

 山本七平氏の言う、『空気』の発生が、このようなラベルの一人歩きが、一つの原因だと思う。そういう意味では、この国は色々ラベルを貼るのが好きな人が多いと思う。

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2008年3月23日 (日)

総合病院の利点

 あるところで、心療内科の先生の講演を聴いた。身体の不調を訴えても、精神的な理由がある場合には、そちらを治さないと、根本的な治癒にはならない。一方、元気がないと言う事で、精神科やカウンセラーが対応していたら、実は癌で体力が落ちていた。

 このような話を聞くと、心療内科できちんと切り分けて貰うことも、大切だと思った。総合的に多くの設備を使い検査する。これは総合病院の利点だと思った。今までは、
  「近所のホームドクターで切り分けてもらって、重症は総合病院に送ってもらう。」
がよいと思っていたが、現在のような機械検査が充実していると、総合病院の利点が大きい。

 なお、心療内科がよいといっても、実際は神経科の専門家が、患者を集めやすいため、「心療XX」の看板を上げている場合もある。

  「神経の専門なら、神経の病気をきちんと治せ。」

ということらしい。

 専門と総合の一つの例であった。

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2008年3月20日 (木)

号令「気をつけ」について

 近頃、学校に行くと、「姿勢を正して」と言う号令を、聞くことが多い。どうも、「気を付け」の意味らしい。確かに、なすべきことは「姿勢を正す」のだから間違ってはいないが、何となくしっくりこない。軍隊的と言うことで排除されたのかな?個人的には、号令は短い方が良いと思う。極端に言えば、「起立・礼・着席」で十分と思う。

 もう一つ、「気を付け」で思い出したことがある。私達が習った「気を付け」は、踵に重心がある突っ立った形である。しかし明治以降の軍隊訓練の、「気を付け」は、少し前に重心があり、いつでも飛び出せる姿勢だったとどこかで聞いた。何となく納得してしまう。

 極端に言えば、我々は身体に関して、少し鈍感になっているのではと思う?自分の重心が足のどこに落ちているか、正確に掴んでいない人が多いのではないか?歩き方の訓練などにも、重心を知ることが大切だと思う。

 

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2008年3月13日 (木)

安定と不安定の続き

 前に、安定と不安定の話しを書いたが、これを人間関係で考えてみた。私だけがわかっている、『あなたの良い所』というのは、不安定と見てよい。誰が見ても、良いと言うのは、安定していると見てよい。

 そこで、安定にするためには、どうすればよいのか?

 まず客観的に、解るようにする。このため、言葉で表現する必要がある。そして皆の批判を受け調整していく。このような配慮が必要である。

 ただし、達人の世界は達人しかわからない。このような面もある。

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2008年3月11日 (火)

不安定から安定へ

 人間の能力を伸ばすためには、自分の能力以上の課題に、チャレンジすることが重要である。そこで失敗した場合は反省する。そこから原因を追究して、対策を考えることで、自分の力が増えていく。

 しかし、大切なことは、偶然に成功した場合である。これだけで済ませていると、本当の実力にはならない。いわば『不安定な成功』である。そこで、偶然の成功でも、その原因を追究し、自分のものとすれば、『安定成功』に持ち込むことができる。

 例えば、選択式試験で、勘で正解を得た場合でも、その内容を勉強し、説明するノートを作成することで、知識を定着する。このような手段もある。

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2008年3月 9日 (日)

人間の体について

 大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫 ス 9-1) を読むと色々面白い発見があった。とくに、人体解剖の話しで、杉田玄白のに対する意見が面白い。実際の解剖を行った時、教科書どおりの内臓の配置等あるはずがない。それが、 蘭学事始 (講談社学術文庫)では、オランダの教科書どおりに配置と書いている。確かに漢方の内臓図よりはましかもしれないが、教科書どおりと書くのは、実際に解剖に手を下していないから、と言う意見は納得した。やはり現実は、多様に変化するものである。

 もう一つ、江戸時代の人体への感覚は、柔術等の武術家がかなり詳しく研究している。明治の柔道への合理化で消えた部分もあるが、骨の押さえ方等きちんとした研究がされている。新渡戸 稲造武士道 (PHP文庫) でも、柔術を学ぶことで体について、理解が深まるといっている。

 このように現場を知ることが大切である。

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2008年3月 1日 (土)

就活の効果

 3月は卒業式のシーズンである。また就職活動が、活発になっている時期でもある。

 さて、就職活動は、単なる求職だけではなく、自分を鍛える場でもある。採用側と、自分のマッチングを考えて、色々調べる。そして、どのような人材が、求められているか考える。企業の採用側の人間との出会いから、学ぶこともある。

 第1希望がかなえられない、このような挫折経験も、人間を鍛えてくれる。

 就活を前向きに考えて、色々な考え方を学び、自分を鍛える機会と考えて欲しい。

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2008年2月27日 (水)

無住心剣について

 剣術の流派に、無住心剣と言う流派がある。この流派の極意は、両方とも倒れる相打ちと言う。そして、相打ちを覚悟した二人は、お互いに抜ける、相抜けになる。

 さて、相打ちを覚悟する、と言う意味を、考えてみたい。人間が戦う場合には、実は「相手を殺す・傷つける」と言うことに、ためらいの心がある。しかし、相打ちの覚悟なら、自分は既に死んでいるので、ためらいなく技を出すことができる。

 このような感じがした。

 なお、相抜けは、技自体が生命を持って、感動を引き出したときに、生じるのではないかと思う。

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2008年2月25日 (月)

分けすぎる弊害

 死因不明社会 (ブルーバックス 1578) の中で、一つ象徴的な話があった。『相撲部屋でのリンチ死亡事件』に関する記述である。現在進行中の事件であるので、不確定な話もあるが、印象に残ったので書いておく。

 少し著者の意見とは違うかもしれないが、
  「明らかに集団暴行を受けたご遺体を、司法解剖したが、
  明確な死因が特定できなかった」
と言う表現があった。確かに全体を見れば、集団暴行は明らかである。

 細部で厳密にこだわりすぎると、判断ができにくくなっている、と言う一例だと思う。

 なおこの本で書いている、「死因の追求をきちんと行わないと医学の進歩が止まる」と言う意見は、日本の経営全般に通じる意見だと思う。

 特にあいまいな、成功や失敗をごまかしていると、経営の革新は行われない。日本全てが”原因不明社会”にならないように、悪いことにも向き合う努力が必要である。

 なお、そのためには、”余りにも厳しすぎる追及”も何とかしないといけない。

 救急医療を壊したのは、医療ミスの追及で、しかも医師を拘束した警察の力という意見は、納得が行く。ただし、この後ろの行き過ぎた市民運動と、威張りすぎた医師会への反発もある。

 原因は絡み合っているが、一つ一つ解きほぐしていくしかない。

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2008年1月19日 (土)

情報余りの世界での対応

 先日、見学させていただいた工業高校の課題研究発表会で、一つ衝撃を受けた事項がある。生徒達がコンピュータ上で、ゲームを作ったり、アニメーションを作ったりしていた。これを実現するために、インターネットからフリーソフトウエアを入手して、かなり完成度の高い作品が作っていた。この外にも、ラインを読み取り自走する自動車等、IT利用の実技は、比較的容易に、完成度の高いものが実現できる、とわかった。

 このような環境では、基本的なc言語でのプログラム作成などは、中々生徒の興味を引かないと思う。さらに工業高校から、大学に進学してプログラミングの講義や演習を受講した場合を場合に、色々なプログラミング言語での授業が、本当に興味を引くか、考え直す必要があると思った。確かに、基本原理に戻って理解するのは重要である。そこの意識付けが出来ていたら、c言語での講義もかまわないが、コンピュータを使うと言う意味でのc言語なら、バカらしくて聞く気もなくなると思う。

 教材の使い方に、工夫が必要と痛感した。

 そこで、本日の朝日新聞を見たら、高校野球の特集で、桑田真澄投手が同じようなことを言っていた。
 「今は情報がたくさんある。大事なのは、自分自身にあっているかどうか。とにかく、すべてやってみる。自分の目で見て、触れて、感じてみるのが大事。100人いたら100通りのフォームがあり、コンディショニング仕方がある。」

 情報余り、特に多様な解決の材料が溢れている現在、自分に必要なものを探し、身につけることが重要である。一方、昔何とかプログラムを作り、計算機を動かす可能性を開拓していた時代の教え方は、一寸時代遅れと思うようになった。 

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2008年1月15日 (火)

教え方の基本は

 日経BP社のホームページに歌舞伎役者の坂東玉三郎さんに、教えてもらう記事があった。http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080110/144570/

 その指導法は、良い動きをしたときに、”それ”を指摘すると言う手法である。一々教えるのではなく、良いモノを指摘する。これが本当の教えるではなかろうか。

 そう言えば、「弓と禅」にも同じような記述があった。

弓と禅 改版

著者:オイゲン・ヘリゲル
販売元:福村出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 これを行うには、指導者の技量が重要だが、教えるという原点をもう一度見直したい。

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2008年1月13日 (日)

育ててくれるのは?

 2人のヴァイオリン奏者について、一寸思うところがあり、忘れないうちに書いておきたい。

 まず、アメリカで活躍している五嶋みどりさんだが、彼女のヴァイオリンをメンテナンスする技術者が、あるところで書いていたことを思い出した。
 「彼女のヴァイオリンは痛みが激しい。自分の意思を強引に通そうとしているのだろう。」
というような主旨であった。

 一方、ヨーロッパに拠点を置き、活躍中の諏訪内晶子さんは、貸与されている名器『ドルフィン』を非常に大切にしている。大切と言うよりは、ドルフィンに教えてもらっているような、感じすらする。

 自分の考えを持ち、それを表現することも大切だが、先人の蓄積を色々なものから吸収し学ぶ姿勢も大切だと思う。

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2008年1月11日 (金)

考えるべきときは

 あるところで見た情報だが、チェスの名手達に、ある局面で以下の条件で検討してもらったそうである。
 1) 5秒見ただけの直観での着手
 2) 30分じっくり考えた着手
ここで、1)、2)の違いはどれほどであろうか?実は、86%が同じ手であった。

 さて、これをどのように理解するべきであろうか?ほとんど同じだから、5秒で即断すべきと言う人もいるだろう。しかし、14%とは無視できない値である。この値は、今までの経験則でも納得できる。仕事の時間配分で、経験的によく言われるのは、
  「10%の部分に90%の時間を費やす」 または
  「20%の部分に80%の時間を費やす」
である。

 さて、ここで知的生産の向上には、何が必要であろうか?私の考えでは、
  「まず本当に時間を懸ける値打ちのあるものを識別する」 言い換えると
  「直ぐに処理するものを、即座に識別する」
能力が、重要である。迷ったら、とりあえず直感の答えを出しておく。その後、時間があれば悩むべきものを、優先度をつけて順次考えていく。

 ただし、リスクの制御をきちんと行う。このような手順がよさそうである。

 

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2008年1月 8日 (火)

人間に対する、なま物と干物

 色々と教育・研修に関してネットを検索してみた。そうすると、e -Learningの情報が目に付く。インターネット上の検索であるから当然かもしれないが、もう少し生身の講師の話も聴きたいと思った。

 そこで思いついたアナロジー

 なま物:経験のある講師が適宜対応しながら教える。
 干物:マニュアルどうりの教育。e -Learning等

現在は、干物の世界になったのだろうか?

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2007年12月31日 (月)

ソフト生産から知的生産のヒント

 ソフトウエアの生産方式の一つとして、アジャイル(軽快)なソフトウエア開発として、エクストリームプログラミング(以下XP)がある。XPは、中小規模なチームでの高効率のソフトウエアの開発を可能とする。しかし知的生産一般に有効なものがあると思うので、基本思想をここで書いておく。

・コミュニケーション:人と人との適切なコミュニケーションで、協力関係を築き、知識を共有し問題を解決していく。

・シンプルさ:直面する問題のみ適切に解決し、変化に対応しやすくする。

・フィードバック:検討中の解決策の適切さを即座に確認する。

・勇気:人は、本能的に変化を恐れる。シンプルさを保つため、行き詰った時に立ち止まり、状況に応じて以前の方針を捨て去る勇気が必要であり、コミュニケーションとフィードバックがそれを支える。

・尊重:上記4価値を得るために互いの尊重が必要である。

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2007年12月30日 (日)

近頃よく聞くXX障害について

 小学校の教育について、何となく気になるので、書いておきたい。どうも近頃の学校教育は、教師のガイドラインに入らないと、XX障害と言うラベルを貼るのが上手な気がする。さしずめ自分は、まず
 「音感的聴音能力発達障害」
と言うラベルが待っているだろう。いわゆる音痴であるが、今の学校教師のノルマでは、きちんと歌わせると言うことになっていたら、全員が音程を外れず歌わないといけない。ただし、「xx君は、YY障害です」と言う免罪符があると、教師のノルマから外れる。従って私は、自己診断で、「音感的聴音能力発達障害」ということにしておく。

 しかしこれで、困ったことは、できる子供がスポイルされる場合である。前にも書いたが、算数の計算で、教師の定めた方法に従わないと起られる可能性が大きい。インド式などやったら怖いことになりそうである。

 しかも、計算が速くできる子は、終わって退屈するであろう。そこで他の事をしたら、また怒られる。何かできる子のことも考えていなかったような気がする。それこそじっとしていられない、XX障害のレッテルが貼られそうで、恐くなる。

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2007年12月22日 (土)

子供の集中力

 近頃の子供と言う言い方は、言い古された感じがあるが、どうも集中力が持続しないように感じる。その一つの理由は、学校教育が平易になりすぎ集中力を使う機会が、少なくなったように思う。また、教える側も集中力が切れそうになったら、直ぐに話題を変えるなど、教え方としては上手かもしれないが、変に迎合している面もあるようだ。

 しかし実際に、どの分野でも大成するためには、集中力の持続は重要である。

 このため子供のときに、好きなことでよいから、できるだけ長い時間それだけに集中して遊ぶ等の経験を積ませるのも、良い方法かもしれない。ドラゴン桜の一人の脇役は、子供の頃に「ウルトラマン」に関するものに集中していたと言う内容があった。

 このような子育ても良いと思う。

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2007年12月15日 (土)

自分探しが良いのか

 就職活動がまた始まろうとしている。そこでよく言われることは、
  「最初に自分が何をしたいのか、はっきりさせましょう」
である。これと関連して、
  「自分探し」
と言うことがでてくる。ここで危険なのは、
  「オンリーワン幻想」と「シンデレラ症候」
である。今の自分の能力より、もっと良いものがある。それを見出していないだけ。これに取り付かれてしますと、大抵の仕事には満足できなくなってしまう。

 その代わり、自分を記述することをお勧めする。
  「自分の良い所、まだ足りない所、昔からやりたかったこと、
   今やりたいと思うこと、そのためにどのような力がある。」
このようなことを、客観的に書き出してみると良い。

 就職活動の採用側では、自分探しと言っても夢のような話でなく、客観的な自己記述を通じて論理的に考える能力を見ていることが多い。

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2007年11月22日 (木)

うつ病から逃れた経験

 近頃うつ病に関する話をよく聞く。そこで自分の今までの生活を、思い出してみた。結構ハードな仕事もしてきたし、業務の関係で、いわゆる閑職も経験した。ある意味で、うつ病になりそうな経験を色々している。そこで何が助けてくれたか、一寸振り返ってみたい。

 まず20代~30代若い時代のハードワーク時の経験である。ここでは、まず周囲の好意に支えられたことが大きい。自分に好感を持って支えてくれる人がいる。この認識が大きかった。一方自分でも二つの努力がある。まず必ず自力での解決を考えること。一方、客観的に自分を見ていたが、しかも自分の体の声にも敏感に対応した。例えば、ハードワークの時には、食事の量は減らしていく。しかし時間が着たら少量でも食べる。なお、新入い時には、自分のもらっている給与が、他の人に比べて高いと悩んだものである。このプレッシャーもハードな仕事に、納得を与えた気がする。

 40代以降では、結構上り下りの激しい会社生活であった。しかし、社外の人との交流等を通じて、多様な見方を身につけていたので、一度会社での評価が落ちても、それほど自分に響かなかった。ただどの仕事でも自分で考え、自分でできることは出来るだけ対応したことも、他人に迷惑をかけたいないだけ楽であった。

 また閑職を楽しめるようになっていたことも大きい。これは、生涯学習を続けていたので、時間があれば勉強する。その勉強で説明できるものが増えるので、対応が落ち着く。このような、良いフィードバックが廻ったことが、自分の生活を守ってくれたと思う。 

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2007年10月31日 (水)

面接の訓練

 今までにも書いたが、面接試験についての効果的な訓練はあるのであろうか。マナー訓練や、敬語の訓練は大切だと思う。また話す内容を増やすために、小論文などを多く書いてみるのもよいと思う。

 また、企業の人間の発想を知るため、企業の人間と話してみる。特に面接官になりそうな、世代と話しなれておくのも一つの訓練かもしれない。

 最後に、丸暗記への反論として、この本を挙げておく。勘の研究 (講談社学術文庫 512)この中では、試験前には一旦記憶したものを忘れることで、自然な答えが書けるといっている。この意見に私も同感である。但し細かい数字にこれは通用しない。しかしそんなことを聞く面接等はあまりないと思う。

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2007年10月28日 (日)

面接についてもう一つ

 面接について今度は、別の切り口で考えてみたい。それは面接官の観点である。

 まず面接は、本質的に新しい出会いである。面接官にとっても、不安と期待が交錯している場である。就職試験の面接の場なら、
  「会社の成長をになう人材の発見」
という重いミッションを担っている。その立場での喜びは、何であろうか?

 私は、
  「被面接者の潜在的な能力を見出すこと。新しい可能性を見出すこと。」
が大きな喜びと思う。確かに、面接はコンサルタント業務とは異なる。しかし、面接を進めていくうちに、
  「本人が、自分の可能性に気付き、元気になっていく」
プロセスを見ることが時々ある。これは、ロジャーズ方式のカウンセリング等で指摘されている現象である。このような現象が起こるためには、被面接者が自分の言葉で語っていることが条件である。

 確かに、面接には会社に合わない人間を、お断りする面もある。しかしそれだけを強調するのは片手落ちである。

 人材の発見は企業の喜びでもある。

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2007年10月18日 (木)

試験で平静を保つ

 ここしばらく就職試験で、緊張して実力を出せない人の話を、連続して聞いた。面接の席で、手がぶるぶる震えている子もいるという。そのような人に、何か役に立つことができないかと考えてみた。

 まず体の使い方で、考えてみた。手に力が入ると震える。その力をどこに持っていけばよいのか。やはり、腹に持っていくべきであろう。呼吸は、腹式呼吸でゆっくり行う。特にゆっくり吐くことが大切である。また、肛門を締めることも効果がある。気持ちを腹の底に収める感じでゆっくり呼吸するのがよい。出来れば、鏡を見るのがよい。興奮した場合に鏡で自分を見ると落ち着くものである。

 それから、完璧主義はいけない。少しのミスは取り戻せると、少し広い視野を持つことも大事である。鏡ではないが、自分を客観的に見て、「ここでは失敗したが、次の話しで取り返せばよい。」と冷静に評価したらよい。もう一つ言えば、最初にある程度の失敗を、見込んでおけば、「想定内」として冷静に対応できる。ドラゴン桜にもある、「10本の内7本を目標にすれば、1本の失敗には動じないで済む。」である。

 また、面接試験関連では、話す内容のイメージを自分で持ち、感情を豊かにして話すべきである。感情が後ろにあると、記憶が鮮明になり、少しの中断でも動じなくなる。しかし、言葉だけで考えた上滑り状況なら、一寸した中断でも狼狽することになる。

 もう少し、原因を突っ込んでみよう。これは私の経験で言うので、すべての人に当てはまるのかは不明であるが、ヒントになればと思う。私の場合には、「自分で自信のもてない場合には、緊張が増す。自信のある場合には落ち着いている。」との傾向があった。

 自信がもてないときには、どうすればよいのか?これは近頃の若い人には結構多い状況である。客観的に見れば、結構力のある人でも、自信がもてないことも多い。この対策を少し考えてみたい。

 まず、自分に何があるのか、客観的に見ることが重要である。そのための、一つのツールとしては、1枚の紙を半分に区切って、その片方に短所を、反対側に長所を書き出してみる。特に見方を変えると、短所が長所になることがある。また、いままで生きてきた間で身に付いたものを列挙することも重要である。結構勉強しているし、身に付いたものがある。

 次に大事なことは、自分で今の自分を受け入れることである。自分が受け入れない者を、他人が受け入れるとは考えにくい。あまり高望みはしない。しかし、正答に評価する。これが大切である。自分を褒めることが重要である。人間は、自分を受け入れてくれる人が居ると、十分な力を発揮できる。せめて、自分で自分を褒めることが出来ればそれだけでも力が出る。

 まだまだ書きたいことはあるが、これだけでも実行して欲しい。

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2007年10月 8日 (月)

禅宗の指導法

 日本の教育を、ややこしくしているものに、一つはマルクス主義史観と思っていたが、もう一つ思い当たった。それは”禅”の教えである。?十年前の私達の若い頃は、「禅かマルクスにかぶれる」と言うのが教養人といわれていた。

 現在では、マルクス主義史観の問題は、「年貢で搾取した込めは何処に行った」と言う風に、適切なる追求がされていると思う。しかし、禅の影響については、見過ごされている面があるように思う。そこで私が若い頃であった影響を受けた、「公案:実践的禅入門:秋月龍珉著、ちくま文庫 あー8」から、教育に影響している部分を抜いてみよう。

 まず、「不立文字」の原則である。つまり「言葉では言い尽くせないものがある」と考えている。この影響は、「西田幾太郎の講演で、哲学を理解できないが哲学を見た」と言う感想に繋がっていく。

 師資契合:禅の修業において、師と弟子の気合が符節をあわせるようにぴたりと会うこと。

「三年学ばずして師を選べ」、「師資相承」正しい師匠から伝承されることが重要である。

 よき師は求めて得られるものでもない。しかしまた求めなくてはけっして得られない。

 「しからば良師はいかにして見つけるか。それには師たるべき人の私生活を観察するのが捷径であろう。言行一致するや否や、常識的に見て私生活が立派なりやを否やを観察すれば、だいたい誤りはない。私は禅機とともに禅によって練られたヒューマニティに魅力を覚える」 野口明先生

 また、成長を示す十牛図の扱いについて、現在の教育に通じるものがあるが、別途書いてみたい。

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体罰問題へもう一つの切り口

 相撲部屋の話しも含めて、体罰に関する議論が色々ある。ここで、体罰に関する新たな観点で、議論してみたい。今回の議論の本質は、
 「体罰向けの指導書がないので体罰反対である」
と言う観点である。指導書と言うのは、教科書出版会社が教師向けに、教科書を使って事業を進める方法を書き加えた本である。検索して見ると以下の様な例が見つかった。http://www.nichibun.net/textbook/heisei_19/guidancebook/index.php

 私も正規教師ではないので、現物は見ていないが中々の優れものらしい。特に大学卒業して直ぐの新卒先生が授業できると言うのが不思議であったが、指導書のことを聞き何となく解った。

 なお、指導書について二人の元教師の名(迷)言がある。ある人が、作文指導をしたいと言った時の発言である。
 「あんた指導書なしにやってはいけません」
 「作文の指導書はない。だから、学校では教え方が不十分、頑張りなさい」

 このように指導書なしで、教えられない先生に、「指導書なしで体罰」などされると、たまったものではない!そういう意味で、私は体罰反対にせざるを得ない。

 なお、体罰の一つの根拠として、禅宗の警策の使用を挙げる人もいる。ここでもこのような公案がある。

 「徳山・行応底は且らく置く。上座が一棒作縻生(そもさん)か受用せん」

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2007年10月 6日 (土)

権力乱用

 今朝の新聞では、生命保険の未払い問題が、取り上げられ、政府から
  「厳しくご指導を頂いている」
様子がよく解った。そこで気になるのだが、一企業に対してこれだけ厳しく言う政府は、身内の
  「社会保険庁の年金未払いや着服」
に対しては、どれだけ厳しく言うのであろうか?

 ましてや、
  「着服を厳しく追及すると士気にかかわる」
とおっしゃる地方公共団体等には、どのような指導をするのであろうか?相撲協会に預けて、バットとビール瓶で指導してもらうのもどうか?

 さて、社会保険庁(及び代行の地方公共団体職員)の年金着服だが、政府の追求が弱いと思う。これは、国家権力の悪用である。例えば、
  「自衛官や警察官が、支給された拳銃で強盗を
   働けば、政府やマスコミはどのように
   追及するであろうか?」
国家権力を使って、無辜の市民の金を巻き上げると言うことでは、同様の犯罪である。

 小さいことでは、教師の無意味な生徒いじめ・体罰と証する暴力行為、相撲部屋のリンチ事件、どれも権力の乱用である。

 この国では、権力を持った人間が、それを乱用した場合の罰則が、弱すぎるように思う。

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2007年9月21日 (金)

ドラゴン桜からテクニック論

 ドラゴン桜では、受験テクニックが多く出てくる。しかし単に、テクニックと済ませない所が凄い。第4巻のp156~p170の国語の問題を解く場面では、
  「国語の試験の出題者の考えを読む」
と言う表面的な話しから、一気に
 『客観性を持って自分を見る。』
 『自分を知る。』
 『常識的見地に立ってものを考える訓練を積む』
と進むのは素晴らしい。

 国語の基本は、論理性にあり、その底にあるのは、人間の理解である。思い込みでなく、客観性を持った、人間の理解がすべての基本ではなかろうか?

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2007年9月17日 (月)

精神科医からの反論

 昨日の、『たかじんのそこまでいって委員会』を見ていたら、精神科医の先生が、出演していた。

 そこで、
 「犯罪者の弁明のために精神病を使うな」
と言う趣旨の発言があった。

 この発言を聞いて、というとう出たという感じがする。前にも、池田小学校事件のとき、精神科の先生が以下のように嘆いてられた。

「私の見ている、統合失調症の患者さんたちは、皆さんおとなしい人たちです。このような事件が起こると、皆気にして小さくなって、しまいます。犯人が、本当に統合失調症なら諦めもつくのですが・・」

 余りにも行き過ぎた、弁護手法に泣いている人も多いということを知っておくべきであろう。

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賢くなる一つの方法

 ”言葉”について一寸考えてみた。”言葉”には、広がりがあると思う。一寸方向を挙げてみよう。例えば、『犬』と言う言葉で考えてみよう。

1.自分の今までの経験の積み重ね
   子供の頃に飼っていた犬、近所の犬、テレビ番組で・・・

2.抽象の梯子の上下
   抽象化してペット、哺乳類・・・
   具体化して柴犬など種類分け、個別の犬(近所のタロウー)…

3.文脈での広がり
   「彼はXXの忠犬」…

 このような、“言葉”の広がりを、できるだけ限定して、記号としての推論が誰でもできるようにするのが、数学の一つの流れである。数学ほどではないが、適切に定義された用語を使って、議論を展開するのは、「科学的な態度」の一つの条件である。

 逆に、記号としての”言葉”の操作を、ルールとして覚えるのも、ある時期の勉強法としては、効果がある。人間は、一度に学習することは、限られている。しかし一度枠組みが出来たものに、補充を行うことは、比較的簡単に出来る。従って、とりあえず記号の処理として、勉強する方法もある。例えば、1m=1000mm等の計算は、本来はミリの意味を教えるほうが良いかもしれないが、このような操作として暗記させる方法もある。但し、あとからミリの意味を教える必要はある。

 このような学び方は、抽象の梯子や、理論構築の図式を理解していれば、納得がいく方法であると思う。http://homepage3.nifty.com/manabizz/Chushou.pdf

http://homepage3.nifty.com/manabizz/riron.htm 

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2007年9月10日 (月)

見方を変える

 教育の両面として、「厳しく」と「のびのび」と言う矛盾した要求がある。このような矛盾した要求は、いろいろな所であるように思う。しかしこれを視点を変えて考えてみよう。

 まず絶対条件的なものから、洗っていこう。こちらは、厳しくすると言う話しだが、「危険な行動」「他人に迷惑のかかる行動」は、厳しく禁止しないといけない。一方、自分で判断すべきことは、出来るだけ自由に考えるようにしないといけない。

 ここで、もう一段上から考えてみよう。判断する基準は何か。この部分は、最初はある程度厳しく指導する必要がある。

 しかしもっと上で考えれば、その動きは自然に従う動きである。自由に振舞うことが、自然に従うようにもって行く。

 客観的に、上位の観点が見ると、自由が増えたり、必然になったりする。因果律から逃れたり、また絡まったり、人生はこのようなものではなかろうか。

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2007年9月 9日 (日)

広汎性発達障害について

 一寸機会があり、広汎性発達障害について、調べてみた。特に、高機能性の場合には、本当に障害と言うべきか考えてしまった。

 昔から、皆とうまくやれない子供がいた。成績の良い悪いとは別であった。しかし、これに『発達障害』と言うラベルを貼ることで、メリット・デメリットがでてきている。ただし、なぜこのような言い方が出て来るのか、一つ原因を追究してみたい。

 一つの仮説は、教育に関する管理の徹底、特に「ゆとり教育」の一つの理念である、「全員が最低限これだけ習得」と言う発想である。これから、きちんとした学級運営をしないと、教師の責任になる。そこで免罪符は、「~~障害」のラベルである。「障害だからしょうがない。」これで逃げる要素もあるように感じる。

 学校運営でも、色々な子供がいるという認識が許されると、一寸違って来ると思う。

 ただし、「広汎性発達障害の子」についての対策は、何か仕事が上手くいく環境作りと、同じように見えてきた。ある冊子から引用してみた。

<接し方> 幼児期学齢期

「見通しの立つ環境にします」

生活の見通しが立つことは、安心を与え、社会性を伸ばす基礎になります

【子どもに伝える内容】

・毎日の日課をなるべく一定にして、

 見通しが立つように配慮します。

・初めての経験や予定の変更がある場合、
 ことばで説明するだけでは充分に
 理解できないことがあります。

・「いつ」「どこで」「なにを」「いつまで」
 「どのようなやり方で」するのか、
 「終わったら次に何をするのか」をはっきり伝えます。

・特に活動の「終わり」は明確にします。

【伝える方法】

・一日の日課や予定の変更を目で見てわかるように、
 活動に関連した物や、絵・写真カードで示したり、
 日課の流れを文字で書いて示したりします。

・変更の後には、いつもどおりの日課や
 楽しみがあることを示して、
 安心させることが大切です。

「場所と活動の意味を一致させます」

わかりやすい空間は、子どもの自発的な行動を促します

 その場に行けば活動内容がわかるように、
“勉強する”、“遊ぶ”、“食事をする”等の
 活動と、それをおこなう場所とが、できるだけ
 1対1で対応するようにします
 (ついたてやカーペットを利用して
  部屋を区切る方法もあります)。

 その場に関係のないものは片付けます。

 不安になったときや混乱したときに、
 子ども自身が避難できるように、一人静かに
 落ち着ける場所やコーナーを工夫して
 用意しましょう。

この注意、会社生活で仕事の与え方に繋がると感じた。

ライターや長い靴べらは、戦傷者の便宜から一般化したように、発達障害児への対応から、仕事の改善が生まれるかもしれない。

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2007年9月 8日 (土)

荒川静香さんの力

 本日のNHKテレビ「ようこそ先輩」で、荒川静香さんが母校の子どもたちを指導していた。流石に教え方は上手だったが、体験談がすばらしかった。

 荒川静香さんには、
  「周囲の微妙な好意を吸い上げて、自分の力にするポンプ」
のような能力があると思った。

 現在は、「自分を褒めてくれない」「敵意ばかり」と言う話を聞くことが多いように感じる。自分に対して微妙な好意を感じとり、積みかさねる能力があれば、もっと人生が楽になるのにと思う人が多い。

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2007年9月 2日 (日)

連続動作と言うこと

 前に、日露戦争の日本海海戦で、ロシア軍の無線装置は、連続的な送信に耐えないという話を書いた。これは、通信装置等の世界では結構よくある話である。そのような条件を表現するのに、「連続動作定格」「瞬時定格」等と言ったりする。つまり一瞬のピーク動作には、通常以上の力を使うと言う発想である。強力な送信信号が、受信側に回り込むと、受信側が壊れる。しかし、一瞬の信号入力なら壊れる前に止まるので被害は無い。

 しかし、人間の脳力に関しても、大部分は使わないでピークの時全力を出すと言うことが多い。

 ここで、写真家の梅佳代さんのことを思い出した。彼女は、24時間カメラを持ち歩いている。このプレッシャーに耐えると言うことは、すばらしいことだと思う。ピーク値でなく連続定格で、プロの感性を維持しているのが凄い。 

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2007年8月21日 (火)

相撲とは何だ?

 モンゴルから来た横綱の振る舞いについて、色々取りざたされている。しかし、どうも議論の食い違いがるように思う。皆が、相撲に何を期待しているかが、外国から来た人に、伝わっていないのではと思う。

 海外の人たちは、格闘としての相撲しか見ていない。しかし、日本の相撲への期待は、神事ではないかと思う。このような暗黙的な了解での文化は、国外の人たちには、理解が出来ないものがある。自分の思いを勝手に押し付けると、海外との摩擦を引き起こさないか、心配である。

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2007年8月10日 (金)

日本人は劇的が好き?

 少し遅れた話になるが、臨床心理学者の河合隼雄さんが、7/19にご逝去された。河合さんの功績は色々あるが、ユング派の精神分析を日本紹介したことは大きい。逆に彼が偉大すぎて、
  「日本のカウンセリングは、精神分析が主流」
と誤解している向きも多いように思う。フロイトに始まる精神分析は、あることが見つかれば、劇的に病気が治るような印象を人に与えている。

 関連して、禅においても、見性という体験で、一気に世界観が変わるような、印象がある。

 しかしカウンセリングにおいては、まず来談者を受け入れる、ロジャーズの流れが主流であり、禅でも単に座り呼吸を整えるだけでも効果がある。

 劇的な変化を求めるのも良いが、少しずつの進化を地道に求める努力も重要だと思う。 

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2007年7月11日 (水)

褒めて育つ条件

 近頃、若い人たちは、
  「私は褒められて育ちます」
ということが多い。褒められるには、それだけのことを、してもらわないと困る。しかし、実際は褒めて育てる手もある。その場合、以下の二つの理由がある。

 1.人間は認められた環境では、十分な力を発揮する
 2.人間の成長は、単調ではなく、行きつ戻りつする

 特に、2番目は大事である。新しいことを自分のものにするとき、不安定ながらできることがある。その時それを指摘することは、不安定を安定にする、大きな要素である。このような、育て方では、褒めて育てる、本当の効果が出ると思う。

 これは、『弓と禅』の中でも、よく出ていた。

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2007年6月26日 (火)

今S&Mが流行っているらしい

 あるところで聞いたが、今『S(サディスト)系』のタレントにも人気があるらしい。これで一寸思ったが、現在の若い人たちは、余りしかられたことはないらしい。

 そのため、このような女王様に叱られる事を、求めてバランスをとっているのかもしれない。

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2007年6月17日 (日)

認められることで成長する

 近頃対人スキルや、コミュニケーション力が重要と言われている。関連して、エンカウンターグループの手法が、教育の場などでも注目されている。エンカウンターグループは、カウンセリング手法の基本である、来談者中心療法を考え出したカール・ロジャースが、晩年に健常者に適用するために考えたものである。ただし、運営役のファシリテータの能力が高くないと失敗することも多い。そのため、比較的容易な方法として、課題を与える『構成的エンカウンター』が色々提案されている。

 さて、ここからは私の独断であるが、人間の行動は色々な範囲で振れることが多い。その中で、偶然的に良いことをしていることがある。しかし残念ながら、本人はそれを意識していないことが多い。それを意識させることで定着させることが出来る。自分は、意識していなくても、他人の目には良く分かることが多い。このような目で人を見ていると、良い所が多く見えてくる。

 次に、他人の良い所を見出す訓練をしていると、自分自身の良い所も見えてくる。また、自分の良い所を見出してくれた人の良い所を見つけるのは、人間として自然な反応であろう。 

 このようなことが出来るためには、人の言っていることを聴くことがまず第一条件である。つまり、コミュニケーション力が強ければ、自分で成長できると言うことである。

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2007年6月 3日 (日)

人間の付き合い

 一寸前にプレジデントで読んだ。
   「学生採用には兄弟が多い人から採れ。」
と言う話に一寸考えてしまった。この理由は、今の学生さんたちの人間関係が希薄になっていて、友人が多いと言っても、実際は名刺交換レベルでしかない場合が多い。

 従って、深い人間関係が兄弟であるであろうと言う発想で、兄弟の多い学生を採用しようと言う話である。

 これを、逆用すると、就職試験では、
   「学生時代の部活で、多様な部員の考え方の背景まで理解して対応した。」
等と言うのは、一つの売りになりそうである。

 ちなみに、このブログをよく読んで、
  「中年のオッサンとも知的意見の交流をしています。」
と言う人もでても良いと思う。ただし交流と言うなら、コメントでのやり取りぐらいは必要だが・・・(笑)

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2007年5月26日 (土)

密教の考え方を応用

 密教と顕教の違いについて、何回か書いたが、これを知識の習得で考えると、面白いアイデアになる。

 教科書等で入手した形式的な情報は、それだけで使うことは難しい。しかし、その著者がそれを書いた環境や心境を、想像し自分のものとすれば、暗黙知の部分まで、推測する可能性がでてくる。また、自分が講義する気持ちで教科書を読むと言うのも、同じような発想と考えることができる。もう一つ、ブラウン神父の秘密にも、この実践が見て取れる。

 

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著者:G.K.チェスタトン,中村 保男
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2007年4月27日 (金)

2007年問題の関連

 あるところで、学生さんと話をする機会があった。そこで、目から鱗の面白い意見があった。

「2007年問題に対応して、高齢者の雇用延長が行われた場合の、体力低下はどうなるのか?」 

 確かに、このような問題はあると思う。しかし考えてみると、団塊の世代が今まで進んできた中で、加齢による体力低下は徐々に起こってきたと思う。その中で、機械化などで補ってきたのが現実ではなかろうか?

 また身体を使わなくなったことも関連していると思う。

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2007年4月25日 (水)

技能伝承の変遷

 前にも書いたかもしれないが、技の伝承方式が近頃変化している。例えば、料理の世界では、昔は皿洗いから始まり、色々な下働きを経由して、、最後に料理を作ることを許される。これは、身体を作りながら、最後に仕上げると言う方針であった。

 しかし現在は、いきなりフライパンでオムライスなどを作らせ、その後から個別の訓練をすると言う。一つは若者気質の変化が原因と言う。

 ここまでの話で、似たような話を思い出した。沖縄の空手でも那覇手の訓練は、最初は三戦と言う、単純な型を3年ほど繰り返し身体を作り、その後に徐々に応用の技を教えると言う訓練法をしていた。しかし、本土に那覇手が入って剛柔流として広範囲に普及しようとした時には、適当な攻防を入れた撃砕と言う型を作っている。

 しかも、撃砕の型は最後に習う型の一つである、壱百零八手(スーパーリンペー/別名・ペッチュウリン)の多くの技を含んでいると言う説もある。これは、示現流でも同じような話を聞いたが、最初に全貌を知らせ効果もあると考える。

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2007年4月19日 (木)

技術と技能

 今まで暗黙知について色々書いているが、関連して技術と技能を明確にしておく。なお、ここで書くのは、私の個人的意見であり、状況によっては別の使い方があることも、知っておいて欲しい。ただし、考え方の整理には役に立つと思う。

 まず技術は、理論に裏付けられたものであり、高度の技術であっても数式や言葉で伝達が可能である。エンジニアリングのイメージである。

 一方、技能は本質的に、身に付けるものであり、勘コツの世界でもある。暗黙知といわれる要素も多い。スキルと言う表現が近いであろう。

 例えば、モーターを製作することを考える。設計者は、出力・大きさなどの仕様を満たす、電気的な構造を各種数式を解いて求める。さらにCADなどを用いて構造を決めていく。この時に強度の計算や、負荷状況を調べるのが技術の世界である。この結果は図面にまとまる。

 一方、図面の示すものを作るためには、鉄心を削ったり、加工しその上に線を巻くなどの作業がある。この時、作業者の勘やコツがモノをいう。鉄を削る時にも、切り子のとび具合などを見て、良い削りを見分けるのも、一つの技の世界である。これらが技能の世界である。

 なお、自動化しても技能が確りしていないと、良い機械の使い方ができないことは、重要である。

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2007年3月28日 (水)

就職活動他で大切なもの

 先般も就職活動について述べたが、若い人たちには、これから意識して伸ばして欲しい能力がある。
 それは、想像力である。

 例えば、面接を受ける場合に一寸面接官の立場を思いやることができると、色々と見えてくる。このためには、自分がその立場になったと想像してみると良い。

 また、モノを作る立場でも、利用者が使っているシーンを想像する。そうしたことで一寸した配慮をする。また、何ごとも相手の立場に立って想像してみる。そして、少し自分の知恵を出して、両方に良くなる答えを考える。この差が大きく積み重なってくる。

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2007年3月26日 (月)

見方を変える

 時々読む武道雑誌『秘伝』の4月号は、古流剣術の特集であった。伝統のある流派の話は、それぞれ面白いが、一刀流の
 「円は多角形の角度を増やした極限で、至るところに角がある」
と言う話には納得してしまった。

 確かに、このような見方もあると思う。もっとも、相手と同時または少し遅れて切り込み、自分の刀だけが相手に届き、相手の刀をはずす、『切り落とし』を実現するには、半端な鍛錬では無理である。このように、丸いものでも角がたつほどの反発力は、凡人には及ばないかもしれない。

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2007年3月10日 (土)

世代による変化(想像力)

 『近頃の若い人』と言うのは使い古されているかもしれないが、ある種変化を感じている。その原因として、全てバーチャル世界による思考が多く、リアルな世界に対する、想像力が弱くなっているように思う。その結果以下のような現象を散見する。

1.記号の世界での結果を全てと思う決め付け
   現実の複雑さに対する謙虚さがない
   マニュアルの例外への対抗力がない

2.自分の思想がすべてと言う極端な思い込み
   先日、反戦運動に関する記事があったが、最初は
    『日本人は被害者であったが、加害者でもあった』
   と言う思想でスタートしたのに、若い運動家は
   原爆被災者まで否定する発言をしてしまった。

3.教科書が全てという専門家
   昔、某大学のインターン医師に診断されたが、
    『お前の心臓は教科書どおりの場所にない、重症だ!』
   と大騒ぎされた。病院に行って検査を受ける羽目になった。
   (当然正常) 

 この原因は色々あると思う。一つは、インターネットやテレビで情報過剰になり、自分で想像せずとも情報をもらえるようになっていることも一因と思う。

 また、中途半端に科学が進み、かなり教科書どおりで、予測できるようになっているのも原因かもしれない。昔の物理の大先生は、
 「野球の重い球などない」
とおっしゃっていたが、現実には重い球軽い珠が存在する。近頃は、教科書などがコンピュータグラフィックスや超高速分解写真を駆使して、バットとボールの当たった瞬間や、接触面の変化をかなり詳しく示し、色々教えてくれるようになった。

 これは大きな成果かもしれないが、これで全てと思い込むようになることは、かえって弊害が出るように思う。

 なお、政治活動などでは、極端から極端に走る傾向がある。これについても、中間より極端のほうが想像しやすいと言うことで、説明できるかもしれない。 

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2007年3月 1日 (木)

技能の伝承について

 先般あるところで、技能の伝承に関するシンポジウムを聴かせてもらった。そこで、近頃の若い人たちには、最初に派手な表側の仕事をさせ、その後徐々に裏方の仕事を教えないと、ついてこないと言う話を聞いた。昔は調理場では、皿洗いから入ったが、今ではいきなりフライパンで料理させると言う話である。

 これは時代の流れと嘆く向きもあるだろう。しかし、昔から技の伝承には、以下の二つの流れがあった。一つは、身体の鍛錬になる基礎的な作業、多くは裏方から入り、身体ができてから次に行く方法である。例えば、皿洗いや、道具の砥ぎなどから入る方法である。一方、最初に全体を見せておき、その後個々の鍛錬を繰り返しながら、最後にもう一度全体にいく方法もある。なお、昔は内弟子制度があり、全体を見る機会が多くあったので、個別鍛錬にいきなり入る方法が効果的に働いたようである。

 さて、技の伝承では、武道の話が古来からの知恵として参考になる。まず、示現流では最初に学ぶ燕飛の型に、極意の技が全て入っていると聞く。ただし、示現流は立ち木内と言う一人の訓練をその前に行うかもしれない。

 一方、沖縄空手の古流の伝承を良く残している剛柔流では、最初に三戦と言う限定された技だけの基本型で、身体を鍛えその後、最破等の実際の攻防に役立つ、開手型を習うことになっていた。しかしながら、これでは若い人がついてこないので、撃砕と言う普及型を作り、初心者でも攻防の感じが味わえるようにしたと聞く。

 このように全体を見せ、少し格好の良い所から入らないと、人をひきつけないかもしれない。しかし、身体を作らないと、悪い癖がつくので、最初に身体を作るほうが成長が早いのは何となく納得がいく。

 ただし、昔の内弟子のように全体を見る機会がなく、想像力も弱くなった現在では、全体を先に見せるべきかもしれない。

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2007年2月28日 (水)

引退の時期について

 三遊亭円楽さんが、
  「自分の思うようにしゃべれない」
と言うことで、引退すると言う記事があった。
  「プロとして、最高の芸を見せることができなければ引退」
と言う潔さには敬服する。

 しかし、桂米朝さんの『ほど良くぼけた』高座というものも味がある。

 どちらにも理があるような気がする。落語の世界ならでの話かもしれないが、老人力の効果も面白いと思う。

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2007年2月27日 (火)

新しいロボットの活用

 食物において、減農薬の表示が出ている。しかし、農家の苦労は並大抵ではない。もう一つ突っ込むと、周辺の農場で農薬を使って、多くの虫を殺しているので、まだ楽である。

 ここまで考えた時に、ロボットの活用を思いついた。現在の技術を活用すれば、虫取りロボット・雑草取りロボットと言うものは、実現可能と思う。また、超音波などの技術を使って、虫などを追い払う可能性もある。

 その他にも、介護犬・盲導犬が少ないと苦労しているが、これもロボットですべきと思う。

 このように従来の延長から、離れた所で、ロボット化を真剣に考えるべき時が来ていると思う。 

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2007年2月24日 (土)

暗黙知の大先輩

 暗黙知について、ポランニーの本を色々読んでいたが、その前に「確りした暗黙知の議論がある」ことを思い出した。それは、弘法大師空海の密教の教えである。既に806年の『請来目録』に、顕教のお経では、説ききれないものがあり、書画等種々の助けを借りて伝えると言うことを書いていらっしゃる。

 「蜜蔵深玄にして翰墨に載せ難し。更に図画を仮りて
  悟らざるに開示す。種種の威儀、種種の印契、大悲より
  出でて一覩に成仏す。経疏に秘略にして、
  これを図像に載せたり。」

 考えてみれば、昔は文字の普及率が低く、文章による伝達と言うものの比重も低かったと思う。そういう意味で、伝承は”現在言うところの”『暗黙知』で行われるのが標準で、その補助や心覚えとしての、文書や図画であったと思う。

 真言密教が、現在まで無事伝承されていることを考えても、暗黙知の伝承は、まず弘法大師様に習うべきかも知れない。

 その次には、武道などの秘伝伝授があると思うが、これは別に書きたい。

 日本人の伝統ある『暗黙知』は、変に西洋の学者を担ぐべきではないように思う。

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2007年2月 5日 (月)

技能の伝承の一案

 現在技能の伝承が、大きな課題になっている。しかし技能も多様に亘り、伝承するのも容易ではない。ところで、昔から重要な身体技を、少数の要素で伝承していた世界がある。武術の世界、特に沖縄の古流空手がそれである。

 空手は、少数の型を徹底的に訓練することで、技を身に付けている。一人で繰り返し訓練することで、実戦でも通用する力を付けるということである。ここで、型について四つの段階があるという説がある。『玉野十四雄著:沖縄空手剛柔流』による。

 第1段階 有効な技の2人での訓練
 第2段階 技を覚えるための単独訓練型
 第3段階 型を洗練し仮想的との攻防のストーリィを含ませる
 第4段階 型に美的要素の観念を導入する

この最後の美的要素が重要と思う。美と言うことは選択する暗黙知の働きを含んでいる。これで応用の利く、技の伝授ができるのではなかろうか。なお、型の訓練では、筋肉等の身体の使い方を高度化させる訓練もしている。

 このような型を作るのは、技能の伝承に有効であろう。

Book
沖縄空手剛柔流
著者 玉野 十四雄
販売元 新人物往来社
定価(税込) ¥ 3,975

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2006年12月24日 (日)

限界の訓練

 『秘伝』と言う武術の専門雑誌がある。ある意味でマニアックな側面と、思い込み的側面もあるが、面白い情報もある。特に今月の記事は、武道筋を鍛えると言う特集であった。特に鹿島神傳直心影流の振棒訓練は凄い。5尺で16キロの棒を振る訓練には感心した。このような人間の限界を超えるようなものを扱うには、体の求めることを素直に聞いて、合理的な全身の使い方を身に付けないと、とてもできない。

 このような、限界に挑戦することで、本当に入用なものを見つけることは、武道だけではないと思う。私も昔、コンピュータのソフトの開発を行っていた時、体力の限界での仕事では、本当に必要な文書を、体と脳の求めに従って作るようになった。

 今のゆとり教育の風潮とは逆行かもしれないが、一つの考え方である。

 また、西洋式筋肉訓練では、
   「余りにも一部の訓練に偏る。特に合理的な体の使い方を殺している。」
と言う意見にも納得した。但し、武術には筋肉は必要と言う意見も書いてある。要するにバランスの問題である。筋肉鍛錬とスピードの鍛錬を、交互に行うと言う方式が新しい形かもしれない。

 確かに学校でも、一部訓練のため、わざと不自由を強いている面があるように思う。

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2006年12月13日 (水)

専門家依存の世界

 前にも書いたが、現在の日本の社会は
  「専門家への過剰依存」
があるように思う。言い換えれば、
  「専門家以外が発言できない社会」
となっているように思う。

 特に気になるのは、「カウンセラー」への依存である。色々なトラブルが発生すると、カウンセラーを派遣してなどと言う記事が出る。確かに、精神的な被害を受けているものにカウンセラーが対応することは大切かもしれない。

 しかし身近な人間の対応が、おろそかになってはいけないと思う。

 但し学校の問題では、教師の発言を直ぐに追及する雰囲気になっているので、専門家に依存するのも何となく解るが・・・

この一つの原因としてヒポクラテスの誓いも見て欲しい。

http://www.kanazawa-med.ac.jp/mic/rinri/hippocrates.html

この中で、
 「結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。」
の部分は、専門外への手出しを禁止する言葉として有名である。

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2006年11月24日 (金)

目が悪いと言うが

  脳の話を色々と聞いていると、人間の情報処理は、大部分頭の中で行われている。感覚から入る情報の多くは、大脳で取捨選択され、加工されている。

 これで一寸気になったのが、近視・遠視・乱視の対策である。これらは、眼球の構造の問題として、眼鏡やコンタクトレンズで対応している。

 しかし大脳の中には対策が必要ではなかろうか?

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2006年11月23日 (木)

評価の受け入れ

 昨日の朝日新聞の投稿で、
   「せっかくボランティアに参加したのに5段階評価されて心外」
と言うような主旨の記事を読んだ。

 これを見て、二つの問題点を感じた。
  1.善意で行っているのだから評価してはいけないと言う発想
  2.5段階の採点で全てが決まったように思う発想
 まず1に対しては、善意で行ったことでも、関係者が不快に思うこともあり、色々な面から評価すべきである。批判を受けない活動は進化しない。

 一方、5段階評価を全てと考える発想にも困ったものである。人によっては不愉快でも、人によっては助かったと言うこともある。状況により評価は変わるので、多面的な見方が必要である。

 一つの数値だけで、すべてとの言い方は、非常に危ないものを感じる。

 なおこれと関連して、IQ/EQと言う話がある。日本人は、論理的な話が下手という言い方には、やはりIQ的なものが弱く、EQ重視の影響があるように思う。EQで共感と言っているが、自分に意見が合わない人間がいた場合、最後には「決めつけ、怒鳴りあい」の世界になってしまう。ゴーン氏の意見も、能力の上で「共感」と言っていたと思うが、それが伝わっているのであろうか。

 IQ重視で能力の高い人材にEQを強調するのはよいが、IQ不足の人間にEQを強調すると、怖い世界になる。

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共感重視について?

 今朝の朝日新聞に、多摩大学と(株)ベネッセコーポレーション/ベルリッツ・ジャパン(株)の「日本発グローバル人材をどう育成するか」と言う広告特集があった。カルロス・ゴーン氏と中谷学長の対話で色々参考になる部分があるので、抜粋しておく。

グローバルビジネスで成功するタイプ
 ゴーン:もっとも重要なことは、「差異」に対して敬意を持つこと。
     自分とは異なる言語や習慣、文化に敬意を持ち、
      学ぶ気持ちがあるということです。
     またいろんな人と「共感」できる能力を持っていることが非常に重要です。
     もっと言えば、海外で暮らしたり働いたりといった、
     異文化体験を豊富に持っていることも大切です。

 中谷:ゴーンさんは、自分とは異質な文化や価値観を持つ日本人従業員と
     心を通わせ、現場のやる気を引き出すことで改革を成功させた。
          ~「日本のビジネスマンはまじめで仕事熱心だけれど、
      時に『退屈』だと批判を聞くことがあります」~
    日本人のグローバルなコミュニケーション能力に問題がある
         と見ていますが、どう思われますか。

 ゴーン:リーダーは退屈な人では務まりません。リーダーの仕事は、
     社員のモチベーションを上げること。どんなに優秀でも、
     人間的魅力に欠け、『共感能力』のない上司に部下は従いません。

企業における人材育成で大切なことはと言う質問に対して、
 ゴーン:ポテンシャルの高い人を見つけるプロセスをつくり、
     そのような人になるべく難しい任務を与えることが重要です。
     もちろん企業は、彼らが成功するようにサポートする必要があります。
     厳しい状況、難題を乗り越えた成功体験こそが自信となり、
     その人を優れたリーダーに成長させていくのです。

これは非常に大切な話である。但し、『共感』だけが一人歩きするのは一寸怖い。基本的な能力と、共感は車の両輪である。部下にとって、
  まともな答えの出ない上司 (マル投げを含む)
は、やはり最悪の上司である。

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2006年11月19日 (日)

プロ化と成長

 現在の社会は、プロ化しているという。就職時にも、
  「自分が何をできる、何をしたい。」
をはっきり言うほうが良い、となっている。

 しかし実際に、就職した時『そのものずばりの仕事を行える』と言われると、現実にはそのとおりにはならない。ここで企業側の言い分は、
  「実際の仕事には、会社の多様な要素が関連し、色々な経験を積まないといけない。」
  「学校で習ったとおりには行かない。」
ということになるであろう。もう少し本音になると、
  「学校で身についたもの、理想的過ぎて現実に合わない。」
     「あまりスキルがついていない。」
と言うであろう。

 それなら、最初から「会社の言うとおり働きます」と言う、自己主張なしの人間を採用したら良いと言うのではと言う疑問がでるであろう。しかし、現在は
 「自分で考えようとしない人間」
は、仕事ができなくなっている。従って、就職に関しても、やはり自分で考える必要がある。但し、現実にその考えが
 「狭い範囲の思い込み」
であったらどうなるのか?

 若いと言うことは間違っても修正できると言うことで、これは柔軟に対応できるならかまわない。ただ、考えなしのフニャフニャでなく、自分が何がよいと言う方向を知ることが大事である。

 学生時代には、良いものを見分ける価値観を、身に付けておくと、このような芯のある柔軟な対応ができるようになる。

 この話を踏まえると、面接時の対応マニュアルが出てきそうだが、それは後日に書きたい。

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2006年10月24日 (火)

手書きとメールの関係

 今週の週刊ポストで、
  「稚拙な文字」と「自殺」の驚くべき関係
と言う記事があった。
 字が稚拙な場合には、子供達の尋常でない状態を示している。
と言う主張には、納得のいく面もある。

 ・文字のサイズが一定か?
 ・字形が崩れていないか?
 ・不自然な余白がないか?
 ・文字が躍っていないか?

と言うチェックは、一貫した思考プロセスがない場合で、ココロの未成熟・短絡的思考を検出する、と言う意見にも一理あると思う。

 このため、子供の文字を書く力をつけるべきと言う主張がある。文字を書くような単純な作業でも、苦労して身につければ、生きていく力になると言うのは、一面の真理であろう。

 しかし、文字だけで済む問題であろうか?意思をきちんと伝えるには、文章をきちんと書くことが重要である。

 またこの記事では、メールと言うのは「単なる記録」と言い切っているが、そう単純でもないと思う。メールでも心を込めて考えて作った文章は、心を運ぶものである。

 そう言い切れば、手書きでない活字の書物は、全て心が伝わらなくなってしまう。

 このブログでも、心を込めて伝えている時が多いのですがね。

 でも近頃、変なトラックバックの処理が多く、一寸心が乱れているかな?

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2006年10月23日 (月)

禅と論理

 デカルトの論理思考に対抗するものとして、このブログではヴィーコの考えを取り上げている。しかし、我が国には色々良いものがある。その内一つの極端として、禅を取り上げてみたい。

 禅は、論理どころか一般的な思考を、拒否する。禅機というような直感的な働きを重視している。それを考えれば、武道と禅の関係も判るような気がする。

 但し、禅に関しては素人が手を出すと怖い世界でもある。独断の世界に陥りかねない。

 やはり、積み上げの論理の方が、凡人の私には分相応かもしれない。

 

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2006年10月13日 (金)

知恵の伝承

近頃、若い子がおかしいと言う話をよく聞く。昔からそうだったとは言い切れないような気がする。

この理由を考えると、核家族と言う問題になるのではなかろうか?人類の知恵の伝承は、3世代を超える寿命により、大きく進歩した。

しかし、親子孫の3世代同居が少なくなっている。これでは知恵が伝わらないのか心配である。

しかも、教えるのは学校の仕事と割り切ってしまう。ますます、知識が伝わっても、知恵が伝わらないような感じがする。

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2006年9月22日 (金)

理論だけで人は動かない

日経ビジネスアソシエ
[2006年10月3日号 no.105 定価550円(税込み) 9月19日発売]を読んだが、面白い記事が多かったので紹介する。http://bpstore.nikkeibp.co.jp/mokuji/nba105.html

まず、山崎 元のエコノミック渡世塾(068p)の次の名言である。
 『伝統的な経済理論の世界では、ダイエットに失敗する人はいない。』
これは笑ってしまった。理論と現実の乖離を見て変に納得してしまう。しかも追い討ちは、
 『米国人は基本的にはデブが多いのだが、
    政治家やビジネスエリートはデブの比率が非常に少ない。』
このような自己コントロール能力を誇示するのが、アメリカ流らしい。

他にも、為末大氏の『必然的にスランプを引き起こした』と考える選手は『偶然』のせいにする選手に比べて、なぜそうなったか原因を考えて、自分で引き起こしたことを解決しようとする。こうしていると、スランプを抜けやすく、またスランプに陥り始めている自分を明確に自覚できるようになる。

また好調時にもなぜ好調か理由を探す人は少ないが、それをする人は残す結果が大きく異なる。

この話は、トヨタ方式の勉強で必ず出る、ナゼの追求と繋がっている。

他にもあるがとりあえずこれだけ。

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2006年9月18日 (月)

大学の言行一致

またもや、痴漢をした某大学の有名客員教授がいる。前の一件でも本人は冤罪を述べているらしいが、今回は現行犯逮捕と言うことで、まず間違いはなかろう。

このような痴漢常習者には、カウンセリング両方が有効らしい。

さて話は変わるが、彼の所属している大学のキャンパスブログを覗いてみると、カウンセリングと言う項目もあった。このような、項目が表題だけでなく実行が伴うようにして欲しいものである。

直さなくても、危ないと言う危険予知はできなかったのであろうか?

実用的を目指す大学では、このような突込みにも耐えて欲しい。

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2006年9月 8日 (金)

護身術について

現在は物騒な世の中である。最悪の場合は、自分の身を守ることを考える必要がある。ところで、現在のスポーツ化した武道では、本当に身を守れるのであろうか?特にルールの弱点が護身には不適切と言う感じることも多い。

例えば、柔道では寝技で一本をとられないために、背中を丸めて亀と言う姿勢をとる。しかし、害意を抱く相手なら、押さえるふりをして、膝・肘などで腎臓等を背中から打ち据えれば、大被害になる。

このようなスポーツの1本と、戦闘力を完全に奪うと言うことは異なっている。護身術の場合は、相手の戦闘力を完全に奪うか、少なくとも追いかけられないようにすべきである。

合気道などでは、投げても受身を取られれば、被害が少ないので、その後固め業で動きを制するか、当身で決めることを教えている。この方がまだ護身には適している。

なお、薬物などの影響下にある人間は、痛みに関するショックが少ないので、たとえ腕一本折ったとしても、まだ向かってくる可能性がある。完全意戦闘力を失わせるまで、気を抜いてはいけない。一本で終わるスポーツと、命のやり取りをする武術の違いである。

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2006年9月 5日 (火)

受身の意味

柔道等では最初に投げられても被害が少なくなるように、受身を練習する。これで、実際に投げ技を試すようになる。この応用として、スキーなどでもこけることが、怖くなくなるらしい。

このように、失敗することを怖がらないような訓練が、現在必要な感じがある。学生さんに接していても、少し注意しただけでも、全人格否定のような嘆きをしたり、逆切れされることが多くなった。学生時代から失敗の経験が必要であるが、一度も注意されていない学生が多いようである。

困ったことだと思ったが、困った時の言い訳のマニュアルが出ていた。失敗対応は重要だが、マニュアルの通りの反応というのは、何とも言い難い。

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2006年8月30日 (水)

暗黙知の究極の形

前に書いた暗黙知に関して変わったところで関連しそうな話を見つけてしまった。

弘法大師の説く、密教と顕教の違いに一つのヒントがありそう。従来の仏教つまり顕教は、「お経を読めばすべてが理解できる」と言う立場である。つまり、形式知ですべて伝達できると言う話である。

しかし、密教の立場では、直接大日如来の境地になり、直接的に知ることができると言う。これは、暗黙知の立場であろう。ある意味で、プラトンのイデアの世界に直接踏み込む方法である。やはり弘法大師は、日本が世界に誇る偉人だと思う。

なお、本件は私の勝手な思い込みであり、仏教の正当な見解とは外れているかも知れない。

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2006年8月18日 (金)

2つの暗黙知

近頃、暗黙知という言葉をよく聞く。これは、本来は化学者であり科学哲学者(マンチェスター大学の社会学部教授)である、マイケル・ポランニーが言い出した概念である。彼の言葉では、
 「私達は言葉にできるより多くのことを知ることができる。」
という表現で、自己を拡張していく認識力などを取り上げている。

一方、日本国内では野中郁次郎氏の「形式知」と「暗黙知」の議論の方が広く知られているようである。

両者の比較は例えば、以下の本を見て欲しい。

暗黙知の次元 暗黙知の次元

著者:マイケル ポランニー
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知識創造の経営―日本企業のエピステモロジー

著者:野中 郁次郎
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両者の暗黙知を比較すると、ポランニーの方が、哲学的な深さを感じるが、野中氏の方が実用性は高いように思う。理論的に確りした検討も大切であるが、人が受け入れられるようにするためには、受け入れやすいスローガンでの表現も重要である。

昔コンピュータ・ソフトウエアの世界では、構造化プログラミングとGOTO文なしで色々論争あったことを思い出した。

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2006年8月10日 (木)

哲学とは何だ?

先般、流風さんから”経営者の哲学”に関して、ご意見頂いたので、少し思うところを書きたい。

まず”哲学”とは何であろうか?とりあえず、ドラッカーの

経営の哲学 経営の哲学

著者:P・F・ドラッカー
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を注文してみた。これについては、また後で述べるとして、いわゆる学校で学ぶ哲学では、何か満たされないものがある。それよりは、
  『若い時代に、マルクスにかぶれるか、禅にかぶれるか』
の”マルクス”や”禅”の方が、よっぽど経営者の哲学に近い感じがする。

但し、私は”古神道(≠国家神道)”の自然に敬虔に向き合う姿を大事にしたい。

但し、近頃の学校教育では、知識の切れ端を試験で保証している感じがする。これでは、哲学がないというのも、納得してしまう。但し、芯を持たないと言う、筋金入りの自由主義も、一つの哲学かもしれない。

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2006年8月 3日 (木)

楽器演奏に頭を使うのか

ある時、ピアノを教えている人と、一寸した議論をした。

ピアノを弾く時に、頭を使うのか?ここで議論している頭はどちらかと言うと狭い意味で、少し古い言い方では左脳と言う感じである。

まず初心の間は、何かと考えるであろう。しかしもっと進むと、自然に体が動くようになる。この時下手に考えると、体の邪魔をする。

そこで問題は、上級の演奏に頭を使うのかと言うことである。思想を込めた曲もある。一方、己を空しくして神に任せる、と言う曲もあるのではないか。日本では天地に任せると言うことか。

私の好みは天地一体の演奏である。

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2006年7月20日 (木)

近頃の悪乗り

「日経ビジネスAssocie」8/1号を読んだが、笑ってしまう記事があった。

ホリエモンが15kgもやせた !? 東京拘置所の食事はこれだ!

これはどう見ても、覗き見趣味としか思えない。それとも刑務所ダイエットとでも売りだすのかなー!

現在は、『メタボリックシンドローム』のブームだから、このような記事も出るのかもしれない。しかし、個人の腹回りは、個人情報保護で秘密になるのではと余計な、心配をしてしまった。

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2006年7月17日 (月)

企業の電話対応

今朝の朝日新聞の投書欄に、某業者の契約前の説明についてのトラブルが載っていた。投書者の主旨は、
「某社の『派遣社員のせい』というう言い訳をする体質が許されない。」
ということであった。

この話を聞き、ある会社でも
 『下請けを使っているので』
という言いわけを聞いたなあと、思い起こした。私のような、メーカーに勤めている人間では、これは言いわけにならない。自社の名前で出した以上、責任は全て自社にある。

これは、入社以来叩き込まれた原則である。

しかし近頃の電話応対は、下手なことが多い。特に、電話を掛けた人間の要求にこたえてくれないことが多い。私の経験でもこのようなものがあった。

 「お宅のXXは減農薬ですか。」
  「当社の基準で運営しています。」

これは何のことか解らず、結局買わなかった。その会社のホームページを見ると、
 「同社は独自の厳しい基準で運営し、いわゆる『減農薬』より、残存農薬は少ない。」
となっている。これを一言言ってくれれば、安心して買えたのに。

このように相手のことを考えない、電話応対が多い。

これもメーカーに言えば、
  「コールセンターの社員は、派遣社員ですから・・・」
と言いわけされそうである。

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2006年7月 8日 (土)

医師の専門性

朝日新聞の夕刊に、
「ニッポン人脈記 ブラックジャックたち」
が連載されていた。特に本日は、専門医の話でこのブログに関連する話題があり、一寸考えてみたい。

まず、
「大学の養成しているのは、学者であり、国民が求める臨床医ではない。」
という話で納得してしまった。他の分野でも同じようなことを言っていたが、医者の世界でも同じことであると改めて再認識した。

しかし一方、専門医の認定が非常に甘いのも、日本の欠点である。日本は、一度免許を出した者には甘い感じがする。

特に学会の権力が強いが、学会の参加資格が曖昧なことも欠陥である。

この話、医療の世界は、特に”いわゆる”成績優秀者が多く集まるので、ひずみが大きく出他が、他でも同じ問題があるように思う。

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2006年7月 1日 (土)

練習の効果

本日のNHK教育テレビのサイエンスZEROで、医療の進歩を取り上げていた。特に、触覚まで対応しているシミュレータには感激した。医師の卵たちにはぜひこれで、訓練して欲しい。

私がこれを言うには、身をもって経験した笑えない話があるからである。あるとき私は、腹の具合が悪くなり、会社の診療所に行きました。そこに居たのが、某大学の医学部のインターン先生でした。いやな予感がしたので、急激に腹具合が良くなって、戻ろうとしたのですが、暇そうにしていた先生と目が合ってしまって、
  「まあ入りなさい。」
ということになりました。そこで、腹の調子がと言うと、ベッドに寝るように指示されました。

ますます、いやな予感がしたが、一方で問診だけで適当な薬を出す、名医(迷っていないのでこの字でOK?)よりは良いと横になったのが、喜劇の始まり。

先生は、教科書に書いている、腸のあるところを押して、痛むかどうかチェックしているつもりらしい。しかし、こちらの感触では、そこに目的の内臓はなさそう。それでも、まじめにやっている先生に、協力しないといけないから、時々腸に当たった時には、
  「そこ感じます」
と答えてあげました。先生は女医さんだったので、男と女がベッドの上で、触って「感じる、感じない」と言う一幕です。本当に疲れた診療でした。

しかしもっと凄い先生も居て、
  「お前の内臓の位置は、教科書と違っている。すぐに精密検査を受けろ。」
という話も、聞いています。

こう言う先生に、色々なパターンの内臓シミュレータを経験して欲しいものです。

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2006年6月27日 (火)

後方注意

街を歩いていたり、買い物に行ったりすると、いらいらすることがある。

なぜかと言うと、他人の動線の邪魔になる人が多い。特に、買い物の時、店側の店員までが、人の邪魔になるような所で、荷物を置いている。また、バスの乗り降りでも、カードを通すときに時間が掛かるが、平気で通せん坊している人と、体を半身にして定期などの人を通してくれる人も居る。

このように周囲に対して、気を配れる人とそうでない人の違いは大きい。

いわゆる社会性という一つの要素である。

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2006年6月18日 (日)

雑誌記事の続き

世界遺産に登録されている和歌山県かつらぎ町上天野の丹生都比売(にうつひめ)神社境内にある樹齢約100年の杉の根元に穴が開けられ、中に除草剤がまかれていたことが14日、分かった。木は大部分が枯れており、回復させるのは難しいという。県警妙寺署は器物損壊事件として捜査し、文化財保護法違反の疑いもあるとみて調べている。
<毎日新聞のHPより>

この犯人の一つの仮説として、
   ”スギ花粉賞”の被害者達の反逆
というのは成立しないか?

そう言えば、PRESIDENTの7.3号に、スギの木を倒すNPOを作ると言う記事もあったし・・・

これが、単なる冗談になるように願っている。

そうでなくても和歌山の神社は、明治維新以来、合祀などでいじめられてきたのだから、これ以上自然と一体になった信仰を壊されたくない。

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2006年6月11日 (日)

学校に対するクレームの難しさ

昨日も書いた教育における体罰の問題だが、別の面があるように思えてきた。近頃の父兄が、体罰に対する厳しくなったと言うが、実際はこれしかいえないのではなかろうか?

色々と学校に不満がある。しかし中々言えない。そこで言えるのは、具体的な事例があるときだけである。

従って、体罰に不満が少なくても、この時にしかいえないので、体罰を追求せざるを得ない。このような不幸な図式も見えるように感じる。今の世の中、客観的な話が重視されているので、明白なトラブルしか追求できないが、本当はもっと前に聞いて欲しいトラブルがあったのではなかろうか?

そのような、声に出せない声が聞こえるように感じる。

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2006年6月10日 (土)

指導者の責任

新聞で、高校野球指導者の体罰問題が、報じられている。

この話を聞くと、現在”本当の意味で”大人になりきっていない、人間が多いのだと思う。逆に、そういう人間を指導者に選ぶ、選択眼のなさが情けないと思う。

これを、もう一度考えると、選択ミスは色々な所で出ている。

絵画の賞を、盗作問題の人に出したり、会計監査の不適正など・・・

この国では、本当によいという評価ができにくいのではなかろうか?

逆に、哲学論がしっかりしすぐに評価するのも、少し怖い感じがする。

難しいものである。

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2006年5月27日 (土)

秘伝の効果

昨日の内容と関連するが、昔の武術では秘伝と極意を区別していた。秘伝と言うのは、文字通り秘密に伝えるものであり、特別な技(=秘技)であったり、本質を伝える言葉だったりするらしい。一方、極意技と言うのは、技の本質を伝えるものである。

ここで、極意技は公開になっているものが多い。しかしそれを実現出来るかどうかは、本人の体得によっている。極端に言えば、『その人が一番得意な技が極意技である。』と言うことも多い。また、初心者が最初に習う技や型が極意技を含んでいることも多い。極意に関しては、別途述べるので、ここでは秘技について述べる。

秘技にも大きく分けて2通りある。一つは、幻の技とも言うべきもので、特別な運動能力がないと実現できない技である。空手では、別の方向に跳ぶことで相手の予測しない方向から飛び蹴りを入れる三角跳びがあると聞く。しかしこれが現実に出来た人間はほとんど居ない。

もう一つは、知っている人間には比較的習得し易いが、予想していない人間には、不意を衝く効果がある技である。例えば柳生心眼流には、
「右手に持った小太刀を、体の後ろで左手に持ち替え、切りつけることで
  相手の間合いを狂わす、左立ちの秘伝がある。」
と聞く。また多くの流派では、武士の作法では、右手での抜き打ちを封じるため
  『座った時に右側に刀を置く』
ことを逆用して、左手での抜き打ちを秘技としているらしい。

このような、秘技は乱用を戒め口外禁止とし、武術なので
  『使った場合は相手を殺す』
原則で秘密を守ってきた。実際、1回限りの命のやり取りならば、
 『相手が予測せず、自分が一番得意な技』
を使う方が勝率が高いであろう。

しかし、スポーツとして何度も試合を行う状況では、基本的な技の完成度を上げるか、多様な技を持たないと、相手に手の内が読まれることになる。一般に、一つの技の完成度を上げても、相手が対策を練ることが多いので、複数の業に頼ることが多くなる。

柔術を柔道にした時、危険な業を禁じて、乱取りを採用したことで技が多様化し、修練が深くなったのは事実かもしれない。しかし、一つの技に全てをかけた修練が出来にくくなった面もあると思う。そういう意味では、相対的訓練より絶対的な道を求める古流の稽古にも意味があると思う。

なお、インターネットの世界では、誰かが秘技について書くことが多く、知らない人間の不意をつく業の成功率が低くなる。これは、ある意味ではよいことだと思う。本質的な修練で差がつくのが、やはり正しいと思う。

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2006年4月10日 (月)

フリーターのスキル不足

ある週刊誌で、見たが
 「現在のフリーターには、段取りつけなど、社会生活のスキルが落ちている。」
例があるそうである。

これは何となく解るような気がする。理由としては以下の可能性がある。
 ①子供のときから、不自由なく育てられ、自分で工夫したことが少ない。
 ②ゆとり教育などで、くりかえしなど省略し、スキルを身につける経験が少ない。
 ③家庭でもスキル的なものの教育がされていない。

特に繰り返し的努力を軽視したツケが回ってきたように思う。

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2006年4月 9日 (日)

尊敬するから尊敬される

先般の話にもう一つ人間関係から、議論を加える。

人間関係の基本は、お互いに認め合うことである。これを、尊敬と言う切り口で考えてみよう。
   「相手の良いところを認めて尊敬するから、
  相手もこちらの良い所を見つけて尊敬してくれる。」
と言うことになる。

しかし、現在はどちらかと言うと、人の欠点を探すのが上手になっている。もっと言えば、何か攻撃的になっている。

確かに、人を褒めるのは難しい。なぜなら、相手の得意分野に入って評価しないといけないからである。自分の専門分野で、評価するのは楽である。この場合大抵はあら捜しになってしまう。

それでも、
  「何か良いもの探す、そして何故良いかを考える」
この努力が重要である。初めは見当はずれを良いと言ってしまうかも知れないが、何故を考えていると、だんだん的が絞られてくる。

なお、最初は良いものを見るために、皆が認める”よい人”にできるだけ接するのが良い。昔私達が、新入社員の頃
「夜飲みに行くなら行くなら、一流店に行け。
  一流の店は、遊ばしてくれる。
 そうでない店はこちらが気を使って
   遊ばしてあげないといけない。」
と言われたことも想い出した。

単に金を払っているからと威張る人間は、どこかでしっぺ返しを食らう。
人間の間で尊敬が繋がっていないといけない。

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2006年4月 1日 (土)

行ってはいけない

近所のあるレストランに、私は家族が行くことを禁止している。この店は、昔は美味しいものを食べさせてくれたので、大いに贔屓していた。しかしあるときに、少し値上げした。

値上げしたこと自体は、元々割安感があったので、許されないことではない。しかしその時にパンが小さくなった。しかもそれが、徐々に行われている。さらに、調味料が少しづつ換わっている。人間の感覚は、非常に精妙なのだが、また慣れやすいことも確かである。

昔、プロ野球で非常に好調の首位打者候補に関して、江夏解説者がこのようにコメントしていた。
  「このようなバッターを壊すには、得意のコースに投げ込んでいくのです。
   そして少しづつボール側にずらしていく。そうして悪球打ちに誘い込んで、
   フォームを崩すのです。」
この場合、感覚を崩すことが重要である。

食事でも、良いものを認識する感覚を大切にしないといけない。

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2006年3月31日 (金)

桜と法華経

桜のシーズンが近づいている。桜の特徴は、一斉にあっという間に咲いて、さっと散る潔さにある。桜が、このようにすぐ散らないなら、熱狂する人も少ないであろう。

とここまで書いてもう1つのことに思い当たった。それは、日本で一番読まれているお経の一つ、法華経の思想である。

法華経の中でも一番大切といわれているのは如来寿量品第十六では、仏の命は永遠であるが、凡人は教えを何時でも聞けると思うと、安心して身を入れて聞かない。そのため、仏にはめったに会えないと説くことで、皆が説法を聞きたがるようにする。そのため、お釈迦様は死んだ姿を皆に見せたのである。

『人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生にむかって度せずんば、さらにいづれの生にむかって、この身を度せん。』

これは、短い命の桜の花を追い求める、我々に通じるものを感じる。

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2006年3月22日 (水)

JR西の運転士について

本日、JR西が新しい企業理念を示したと聞いた。
そこで前から気になっていたのが、事故に遭遇した運転士の扱いについて一言述べる。

昨年の尼崎大事故に乗り合わせた運転士達が、そのまま勤務したことについて、マスコミ・世論は「救助に参加しなかった。」ことを追求している。確かに、周辺の一般住民が仕事を放り出して救助しているのに、自分の勤務が重要と、救助を手伝わないのは道義的におかしい。

しかし、これよりもっと重要な点がある。
人命を預かる運転士が、少しでも事故の後遺症の可能性がある場合に、勤務を命じて良いのであろうか!!
と言う議論である。例えば、ボクシングの強烈な戦いをした選手は、その後車の運転を禁止していると聞く。これよりもっと厳しい状況にあった人間に、多数を預かる運転をさせてよいのであろうか?

これに関しては、医療関係者のホームページで指摘されているのを見たが、マスコミなどでは見受けない。

人の命を預かる業務では、体調管理も重要と考える。少しでも危ない場合には、勤務禁止にすべきではなかろうか。これを、もう少し拡げると、病気の人間の勤務禁止となる。これは個人情報の関係などで、難しい面もあるが、多数の人命を預かるということを、真剣に考えて欲しい。

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2006年3月16日 (木)

宮本武蔵とヴァイオリン

 昔、ある芸術系番組で宮本武蔵の特集をしていた。そこで、「武蔵は必要に応じて、長い刀でも、短い刀でも使い分ける。」と言っている。「これは当たり前のことである。」と発言した先生が居た。その席にはヴァイオリニストと言われている、美女も同席していた。

 しかしこれはそんなに単純なことであろうか?剣豪の使う刀には、切っ先まで神経が通っている。それで長短を変えると言うことは、任意の間合いで戦えると言うことである。宮本武蔵は、相手の刀と自分の体で、間合いを取ったと聞くので、これも可能であったかも知れない。しかしこの見切りは、達人だからこそ出来たことである。

 ヴァイオリンで例えれば、演奏中に弦を切り、仕方ないので一回り大きい”大人用のヴァイオリン”を借りて演奏を続けた、五嶋みどりさん以外には、これを出来る演奏家を、知らない。

 もっとも諏訪内晶子さんなら、「ドルフィンの苦しむ声が聞こえるから、弦を切るようなことはない。」と言うかもしれない。

 名人の世界は、凡人の思いよりはるかに深いものがある。

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2006年3月14日 (火)

近頃の子供

近頃の子供は、自分でルールを考えるのが下手と言う話を聞いた。確かに、私達の子供のころ(40年前?)では、色々な遊びもまともに出来なかった。例えば、野球的ゲームでも、人数が少ないから1塁、2塁とホームの3角にしたり、塀があればそこに当たれば2塁打とか、状況によってルールを工夫していた。

現在は、良いものが与えられているので、工夫せずにあるままで全て受け入れている。

そして認められない、与えられない、とすぐに切れてしまう。どうも与えられすぎて我慢、工夫がなくなってしまったようである。変化への対応力がなくなり、感情の抑制がなくなり、暴発している例も多い。

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2006年3月12日 (日)

尊敬できる女性について

昨日の女性とのお付き合いに関して、もう一つホットな話題を絡めて書いてみたい。

トリノの唯一の金メダルの”荒川”選手は、「知性の優れた、大人の女性」と言う印象が強い。しっかりした自分の考えで、
  ”演技を組み立てる。”
 ”コーチを換える。”
などが積み重なったメダルと思う。

今までもてはやされた選手は、”可愛い系”が、多かったように思う。さらに、秋葉原あたりでは、可愛いメイドさんに萌える向きも多いが、そこには”知性のある女性”に対する、尊敬と言うものが感じられない。

男性が素直に、尊敬できる方として、『荒川静香さん』と素直に言えるときはいつになるのであろうか?

<参考引用 哲学原理 岩波文庫33-613-3 デカルト著、桂寿一訳より>

 殿下のうちに、この最高の配慮が存することは、次の点から明らかであります。即ち、年少の婦人たちに無識を余儀なくする、宮廷の気晴らしも因習的な教育も、貴女があらゆる善き技や学を探求するのを妨げ得なかったからであります。次には、貴女の頭脳の最高無類の明敏は、貴女がそれら諸学のあらゆる秘奥を最も深く洞察し、しかも極めて短期間に正確に会得されましたことから、明らかであります。
  ~
 ただ私は、貴女の頭脳のみはすべてを等しく明察する唯一のものであると認め、その故に当然類稀れなるものと申すのです。そしてあらゆる事物についての、かくも多様にして完全な知識が、多くの歳月を省察に献げて来た裸形の老修道者のうちにではなくして、容貌と年齢では目青きミネルヴァやミューズの神々よりも、むしろグレースの神をも想わせるうら若き公女のうちに、具わっているのを考えますとき、最高の賞賛に己を忘れざるを得ないのであります。
 最後に私は、単に知識の面のみならず意志の面においても、絶対かつ崇高な知恵に必要なもので、貴女の性格のうちに光彩を放たぬものが、何一つ無いことを承知しております。そのうちには、気品とともに並々ならぬ仁心と温情とが、絶えざる運命の危害に曝されつつも、決して荒らされることも弱められることもなく、現れているからであります。
  ~

<エリザベート公女殿下 への献辞から一部引用終り>

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2006年3月 2日 (木)

プロレスについて

プロレスについて、昔は八百長的で面白くないと誤解していた。確かに、プロレスラーの間には、
『相手の技が決まりかけたら、無理にはずさずに決めさせながら、ダメージを最低にする。責める方も最低限のダメージになるように考慮する。』
と言う風な暗黙の了解があるらしい。

しかし、これは体を壊さずに、長く続ける知恵である。更に、他の武道の演舞でも、投げられる時に、投げられる側も協力して跳んで、大きな投げになるようにすることもあると聞いた。このように、相手の投げに逆らわないで、跳ぶことは逆手を取られても手を折られないようにする工夫でもある。柔道などスポーツ化した場合は、危険な技を除去したから解らないかもしれないが、古流の技は、投げる場合も逆を決め、すぐに腕を折るようにしている。従って、逆らわずに跳んで逃げるのも、有効な手段であろう。

もう一つ、大事なことは、技が派手と言うことである。命のやり取りや、護身術の観点で見れば、あのような無駄な動きは不要で、最小限の動きで、急所を責めれば足りる。

しかし、それでは観客が納得できない。

物事は、皆が納得できるように見せることも重要である。

今の世の中、理屈先行で0と1で割り切る向きが多いが、このような色々な見方があると考えて欲しい。

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2006年2月24日 (金)

感情について

近頃の若い人たちを見ると、何か感情が不安定な感じがする。すぐに爆発する場合と、全然無反応名場合の両方がある。

この理由として、一つは感覚のアンバランスがあるのではなかろうか?
と言うのは、私達の時代は、子供の時代に体を動かし、自然の中で遊んでいた。

従って、その時には視覚・聴覚以外に嗅覚・触覚及び体を動かすことによる、筋肉感覚が一体となった経験であった。

しかし今の子供達は、室内でのゲーム機やテレビやパソコン画面からの情報が主となる。つまり、視覚・聴覚に偏る情報入手になる。また公園や学校の校庭では、良い環境のために、臭いの変化も少ない。

このような感覚のアンバランスが、感情の豊かさを奪うことにならないか心配である。

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2006年1月10日 (火)

総合化の勉強

専門化に細分することも、勉強を勧める一つの方法である。私も、細分化し勉強する方が、勉強しやすいと思っていた。しかし、あるときバスの中で、このような看護学生らしい2人の会話を聞き、目から鱗の思いをした。

「学校では、部分しか教えてくれない。全体の使われ方など解ればよいのに。」

確かに、現在の教育は専門に分離しすぎている感じがする。私も講義する時には、使われ方などを、意識して言う事で、反応がよくなった覚えもある。

また、武術などでは流れをまとめた型の稽古をすることで、全般を教えることができる。例えば、薩摩で有名な示源流は、初心の型に全ての業を入れていると聞いたことがある。

勉強においても、このような、全体を含めた型が必要かもしれない。

但し、本土に空手が初めて入った時には、型稽古しかなく、練習しやすいように、分解した稽古を、東大などの学生が工夫したとも聞く。全体と部分の難しい問題である。

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