ご縁のあった人たち

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2021年1月 4日 (月)

西洋文明の根底にあるギリシャの哲学

 今年の書き初めとして書いた記事の続編として、ソクラテスやプラトンが西洋文明に残した功績を考えてみた。

ソクラテスやプラトンが見た世界: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 この機序の終わりに

ソクラテスやプラトンは

「(幾何学にような)真理を求める力が哲学者にある」

と言う発想で、哲学者による支配や教育を進めようとした。

 なお、幾何学的な世界観には、論理の単純化が必要である。これは別途考えてみたい。

と書いた。この論理の話について、もう少し説明したい。まず、小学校や中学で、図形の扱いを学ぶとき、自分で三角定規とコンパスを使って作図した経験があるだろう。その時、同じ図形というモノが描けただろうか?もう少し言えば、斜辺が5センチ、その上に4センチと3センチの辺を描く、この三角形が直角三角形になるのは、ピタゴラスの定理が示すところである。しかし作図したとき、綺麗な直角が得られただろうか?

 私は

「鉛筆の芯の太さなどによる誤差で同じ図形など描けない!」

と言う記憶がある。

 このように、自分の手で描く図形では

「同じと言うことが確かめられない」

状態だが、

「本質的に同じである」

ので

「本質の世界で考えれば同じにできる」

と言うのが、幾何学の誕生であり、これを一般化したのが

「イデア」

の発想である。

 なお、このような『理想化』した世界では

「中間的なモノがないので、成立/不成立の2値論理が使える」

状況になる。このような割り切りが、西洋文明の科学科に役立ったと思う。

 なお関連記事は以下の通り。

抽象化を使えるということ: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

抽象的な一般論と具体的な展開の関係: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

学問の形態について「テトラレンマ」の発想から: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

東洋の論理について: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 

2020年12月24日 (木)

複眼的な思考と立体視

 多様な経験や、複数の学問を身につけることで、複数の視点で見ることができる。これで、物事を立体的に見ることができる。このような意見を慶応大学の坂井教授が言っていた。

ミルグロム教授(1)ビジネスに使える! オークション理論って何?:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

 この話、もう少し精密に議論しておきたいと思う。

 まず、複数の視座から見ることで、

「そのモノが現実にあるように立体的に見える」

と言う現象はあると思う。ただもう少し整理すべきではないかと思う。

 まず厳密に、立体的なモノを、二次元の複数視座から合成する方法がある。これの代表は、機械製図の三角法である。正面・側面そして上方などの直交した視点からの図形を、3枚合わせることで、立体的な形状を二次元の図形に落としていく。個のようね厳密な記述法がある。

 一方、人間の視覚は、両眼から入ってくる情報を、脳内で処理して、立体視している。このような脳内処理の働きを自覚するためには、特殊な印刷の図形による、立体視を経験するのがよい。このような

「脳内処理の能力が私たちにある」

これを意識することが大切である。

 さて、今回議論するのは、

「社会現象などの立体視」

である。これは、

「自分達がモデル化したモノが自律的に動き出す」
「多様な見地から見れば、別の性格が見えてくる」

と言う状況である。例えば、小説などを書くと、

「登場人物が勝手に動き出す」

時がある。こうしたモノを想像する、これが本当の複眼的思考法だと思う。

 このようなスキルは、簡単に身につくモノではない。しかし求めない人はそれを探すこともない。このような、想像したモノが動く効果を知っておくことは大事だと思う。

2020年12月19日 (土)

リーダーの条件(哲人政治を見直す)

 先日書いた、ギリシャの哲学についてもう少し、その時代に立ったつもりで、考えてみた。

 プラトンは「国家」の中で『哲人政治』が望ましい形だと書いている。現在の私たちは、『民主主義』を正しいと教育されているので、独裁につながりかねない『哲人政治』には、嫌悪感を持つ人も少なくないだろう。

 しかしながら、プラトンやソクラテスが生きた時代を考えてみよう。現在のような学問体系や教育システムは存在しない。そこで、

「善き市民にするための教育」

はどのように行われていたかを考えてみよう。ここ答えは、プラトンが書いているように

「先人の功績をたたえる叙事詩を学ぶ」

形で行われていた。つまり、市民として勇敢に戦い、知恵を働かす。このような価値観を、昔の英雄の活躍等で伝えていた。これに対して、ソクラテスやプラトンは

「哲学者は、本質を考えて、普遍的な規則性を見いだすことができる」

と、哲学的思考法の優位性を説いた。このように考えると

「先行事例を単純になぞるより、その本質を見抜き一般的な規則性を見いだす力」

を持ったリーダーを選ぶのは、皆のためになると思う。

色々な物事の、本質を見抜き、普遍的な規則性とその限界を見いだす力

このような力が、リーダーにある。これは望ましいことだと思う。この力を身につけることが、哲学を学ぶなら、指導者の訓練としては善いと思う。単に

「プラトンの本のXXにXXと書いている」

と応えて、大学で単位を取るだけの哲学者ではない。また専門的な狭い範囲の議論だけの学者でもない。現実世界の本質を見抜く、哲学的な思考法を使う『本当の哲人』の指導は善いモノだと思う。

2020年11月26日 (木)

日本人のコミュニケーションの変化

 今話題の、『鬼滅の刃』に関して、面白い意見があった。

  空前の大ヒット!映画「鬼滅の刃」なぜ社会現象?(テーマ別)【そこまで言って委員会NP|2020年11月8日放送】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=1geJ-sII-Sc&t=173s

 私が注目したのは大野氏の

「全てを台詞で言ってしまう」
〈とても分かりやすい〉

と言う発言である。これは、今までの日本語のコミュニケーションにおける、高度の文脈依存を除去している。この発想なら

「勧進帳の皆が、『義経と解っている』が知らないとして芝居する」

と言う、腹芸の世界が成立しなくなっている。

 この現象は、

「脚本家にとって革命的」

らしい。

 このような作品が生まれる背景を、少し考えて見た。

 一つの影響は、西洋文明的な思考法などの教育結果がある。コミュニケーションの明確化、論理的な表現をもとめる流れ、この成果が出ている。更に言えば、SNS等のコミュニケーションの普及も、丁寧に記述する方向に進んでいる。Lineでのメッセージは、そのやりとりで全てが解るよう持って行く。この影響もあるのではと思う。

2020年11月 1日 (日)

「辺境」の意味について

 日経ビジネスの最新号に、「イノベーションは辺境で起こる」と言う記事が載っていた。この記事の主旨とは少しずれるが、私は

日本という国は中華文明の辺境の地

と言う発想がある。これは地勢的なもので、

「東の果ての島国」

と言う立場は、『辺境』とならざるを得ない。さて、この辺境のメリットを考えてみた。私の考えでは、辺境のメリットは

「文明の伝達が遅れる」
この遅延は
「完成度の高いモノを選んで受け入れることができる」

である。つまり、中華文明の色々なモノが、ある程度完成してから伝わってくる。従って

「全体像を見ながら、自分たちに合わせて、取り入れることができる」
「失敗作に巻き込まれることが少ない」

と言う利点がある。日本が外国の文明を受け入れる場合には、

完成度の高いモノを鑑賞し、その上で自分たちによいように消化しながら取り入れる。

と言う悪知恵が働いているように思う。これは、

「自分で苦労して開拓してモノでなく、成果をただ乗りしている」

と言う批判を受ける面もある。しかし、実用化するにはそれなりの苦労もある。こうした面も評価していくことも大切ではないかと思う。

 なお、現在は文明の流入が高速化している。これでは、失敗が淘汰されるまでに、新しいモノに飛びついていく可能性が出てきた。このような状況は、上述の辺境のメリットを無くしてしまう。

2020年10月23日 (金)

社会学の基本的な考え方

 岩波文庫のマックス・ヴェーバー著『社会学の根本概念』清水幾太郎訳が本棚から出てきた。

  この本では、ヴェーバーの言う『理解社会学』の考え方が述べられている。『理解社会学』の主要なアイデアは、

  1. 社会学は社会的行為を解釈により理解する手法で、社会的行為の過程と結果を因果的に説明する
  2. 行為とは、行為者が主観的な意味を含ませている人間的行動
  3. 意味を考えるために概念的に構成された、純粋類型の行為者を考える
  4. この「理解社会学」から外れるモノで、大切なモノもある

である。もう少し言えば

『社会学』では、人間の行動の意味を検討対象とする。そのために、理想化した、社会と個人の類型を考えて、その上で考える。

このような類型に至るまでに、歴史上の事例での個人の考える意味、多くのケースで平均的に考える意味を検討し、それらを抽象化し理想化して、類型化していく。(物理学の大きさが無い質点のような、その概念が成立するために、必要十分な抽象的理想的なモノ)

『理解』には、行為の主観的意味の直接的理解と説明的理解がある。

なる、『類型』を構築し、その上で意味を考え理解するコトが、『理解社会学』の手法である。

 なお人間の行為には

  1. 目的合理的行為
  2. 価値合理的行為
  3. 感情的な行為
  4. 伝統的行為

がある。理解社会学では、1.の『目的合理的行為』を対象に、一般的な規則性を見いだそうとする。

 これは、社会学の基本的な考え方を、明確にしている。このような、学問の前提を明確に学んでいないから、私たちは学問の役立てかたを知ることができないのではと思う。

2020年5月15日 (金)

物事への関わり方の多様化

 昨日書いた維新の強さの議論をもう少し一般化して考えてみた。私の意見では、維新の強さは

  1. 民衆の「整理されていないが不満」という感情を拾い上げ
  2. 専門家としては原理原則できちんと議論する
  3. または謙虚に専門家に聞く

という、専門家の厳密な議論と、大衆のもやっとした感覚の両面を生かしている点が大きい。

 従来の発想では、

  1. きちんと議論できる専門家だけが発言する
  2. 大衆はそれに従え

型か

  1. 皆が平等誰でも発言できる

という両極端であった。

 これを両面で生かすようになり、

「大衆の感情も大事にしながら、全体を観て政治を行う。」

これが維新の強みだと思う。

 さてこの問題は他でも応用ができる。

 前にこのブログで書いた、クリエイターと読者の関係もこの議論が当てはまる。

 このようにSNS社会では、大衆の関わり方が、変化してきている。これを先取りした人が勝者になると思う。

2020年5月11日 (月)

「日本教」と持続可能性について

 「日本教」について、色々と書いているが、今回は

持続可能性は、一所懸命の発想から出る

という観点で議論する。これは逆に言えば、

侵略国家やフロンティア探しの流動性は、持続可能性に合わない

ということで、具体的には

欧米文明と持続可能性は相性が悪い

という議論である。単純に言えば

「だめだったらリセットする」
「上手くいかないなら余所に行く」

という発想に、持続可能性が求めることができるのだろうか。これの一例として

「日本には数百年持続の老舗が多くある」
「欧米に企業の寿命は数十年体ぐらいしかない」

という事例が、

「一所懸命」

で頑張った結果だと思う。

 さて、ここでお隣の四千年の歴史を持つ大国を見てみよう。この国は、内部で革命を何度も起こしているので、そこでリセットが入っている。しかも、儒教の精神は、

「過去の聖人を理想とする」

ことで、現状への適応力が無い。日本の老舗は

「秘伝のXX」
を守りながら
「新しい試み」

「九敗一勝」
の割り切りで行う

という、守るべきモノと、新陳代謝を上手く組み合わせている。これが、一つの場所で必死に生きる智慧ではないかと思う。

 一所で生きる、これこそ持続可能性だと思う。

2020年5月10日 (日)

小さな声を拾い育てる仕組み

 昨日書いた、発達途上のクリエイターと不安な読者の話に関連して、もう少し広げて考えてみた。昨日の話を一般化すると、

「小さな声を拾い上げて、良いモノを育てる力とする」

と言う議論になる。現在の有利な点はSNS等の力で、

「情報発信のハードルが下がった」

である。ただし、このハードルの下がり具合については、もう少し議論が必要である。確かに、ツールとしてのSNS環境は備わっている。しかし、それを使う人の心が向いているだろうか。この問題について、もう少し議論が必要と思う。

 まず、著者に対して、

「買ったよ!」「良かったよ!」「XX好きだよ!」

等の声をあげることの大切さを伝えることができているか?これに関しては、昨日も引用したように

作り手にとって、作品の購入報告ってね、最高にうれしいです

と作者側からの発信もある。

 しかし、もう一歩踏み込んで

「読者の反応が、クリエイターを育てる道筋を見せる」

方法で、もう少しこのような声を引き出せないだろうか?

 このような関係の

「クリエイターが育っていく状況のライトノベル」

「クリエイターを育てていくゲーム」

等で、

「小さな声が生み出す効果を実感させる」

という方法も無いだろうか?

2020年5月 8日 (金)

読書の方法

 外出自粛の影響で、自宅にこもる人も多いと思う。特に学生の場合は、自分で本を読む機会も多くなるだろう。そこで、今回は

『読書の方法』

について少し議論しておく。

 私の考えでは、読書には以下の3段階がある。

  1. 本に書いている世界で考える
  2. 本の登場人物の心に寄り添って理解する
  3. 著者の立場を思いやり、『何故この本が書かれたか』を理解する

なお、これは3段階と言ったが、優劣を付けるつもりではない。ただこの違いを意識することが大事である。

 1.の『書いてある世界で考える』の極端な例は、数学である。本の中で書いている、定義に従って議論する。それ以外の直観的要素などを持ち込んではいけない。例えば、群論では『積』と言う表現を使うが、これを

  「今までの数学で使った整数などのかけ算」

のイメージで考えると失敗する。あくまで

  「二つの項の間の演算で制約条件を満たすモノ」

と言うルールで考えないと失敗する。大学数学の初心者の失敗は、このような

  「抽象的なルールできちんと考える」

訓練ができず

  「直観的な思考に縛られてしまう」

弊害が残った場合がある。

 一方、2.の『人の心に寄り添う』読み方は、文学作品などに対して必要である。このときには、自分の想像力や直観的な感覚も大いに生かすべきである。

  「人の悲しみ、喜びについて、自分も共感していく」

一方、

  「そのような共感している自分を客観的に観る」

このような経験が、文学的な読書には必要だろう。

 さて、最後に『著者の立場を思いやる』読み方であるが、これは考え方によれば『上から目線』という危険性もある。しかし、

  「著者の生きた時代背景を考え、何故このように書いたか」

を想像することは、著作を理解するために大事な作業だと思う。これは自然科学の論文でも、社会科学の本でも、文学作品でも大切なことである。例えば、物理学の基礎として

  「マックスウエルが電磁気の基礎方程式に関する論文は、当時の機械の発想が入っている」

と言うことを読み解けば、どうして『場の概念』という創造ができたか解るだろう。

 また、私は天台の『摩訶止観』を読むときには、6世紀の環境をできるだけ意識して読んでいる。紙が貴重な時代、これを意識するだけでも得るものがある。

 このような本の読み方を考えるのも良いのではと思う。

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