ご縁のあった人たち

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2019年11月25日 (月)

地域の活性化などにおける必要人材と施策の条件

 地域の活性化について考えると、二つのパタンの必要人材が見えてきた。一つは、必要なことを実現にまで持っていく力のある人材である。自分一人の行動力では不十分で、周りの人間を巻き込んでいく力、任せて組織化していく力も必要である。

 さて、もう一つの力は、冷静な評価能力である。特に

『他から見ても通用する良さ』

を見いだして、皆に伝える。これで皆に誇りを持たせる。この力が必要である。この二つを兼ね備えるのは難しい。特に評価者は、外部の人間が効果を持つ場合も大きい。一方、実行者は当事者意識が重要である。

 さて、実現まで持ち込むためには、現実の問題への対応力が必要である。理想的な条件でなく、多様な個別条件がある。それに対して一つ一つ向き合いながら対策を考える。どうしても、対応がとれない時もあるが、検討した上の先送りであり、『くさい物に蓋』をしてはいけない。

 一方、評価を行う人は、広い見方が必要である。外部の関係者がどのように見るか、このような観点で多面的に見て、

『何がよいのか』『なぜよいのか』『どのような人に役立つのか』

を客観的に伝える。これで、活動する人たちの誇りが生まれれば、実行するときの大きな力になる。

 さて、このような施策には、『広がりの安定性』と『深まりの安定性』の両面の安定性が必要である。多くの利害関係者に触れても、潰されない。一部の反対者がいても無視できる程度の支持がある。このように、『広げても大丈夫』な丈夫さが必要である。

 一方、実現していくときには色々な個別条件で修正がある。そのような修正を加えても、『根幹が安定している』これが、『深まっても大丈夫』という力である。

 このような力があれば、地域おこしなども成功するだろう。

2019年11月17日 (日)

本当の『親的立場』を育てるために何が必要か

 先日から書いている、地方創生の話等では、

「色々な人を生かすための親的立場」

の人財の重要性が見えてくる。例えば、日経BPの記事にあった、釧路市の例でも、

「助けを求める商店街」 

の人たちが描かれている。そこでこのような人を育てるために何が必要か、少し考えてみた。まず、私の会社生活で見た、失敗例から

  1. A部門は『本質的に平等主義』であり、年期が来ればよほど問題でない限り課長になる
  2. B部門は『エリート選別主義』であり、新入社員から幹部候補生を選別して育てている

この二つの部門について、どのようなことが起こっただろう。まず、A部門の場合には、部門の将来のビジョンを描く人間が育たなかった。従って、市場の変化について行けず、リストラ対象部門となってしまった。一方、B部門においては、出世コースの2番手人材の一部にモラル低下が激しく起こり、トラブルが発生している。

 上記のA部門のように、平等主義をはき違えると、衆愚政治的になってしまう。一方、エリート育成の選別が激しくなると、それ以外の人間のモラル維持が難しくなる。特に『建前としての平等性』で育っただけに反発が大きい。

 この問題の解決策は、多様な価値観で物事を見るように、皆を育てることから始めるべきではないかと思う。今の学校教育は、成績という一本道で評価しようとする。会社に入れば地位と給料で評価する。このような単純な出世の道のりではない。色々な見方、色々の人の反応が寄り集まってできている世界、これを親の立場ですべて観て、その幸せを考える。この喜びを本当の喜びと考える人間を育てることが大切ではないかと思う。

2019年11月16日 (土)

地方創生のために本当に必要な人材とは

 昨日の続きで、地方創生に本当に必要な人材について考えてみた。私の考えでは

  1. 自分で現状をきちんと見て、問題の本質を見抜く
  2. あるべき姿を描く
  3. それを実現させるように多くの人を巻き込んでいく

と言うような能力が必要である。これは、分業であってもよいが、きちんと協力し、チームとしての不足があってはいけない。

「XXがないからできない」

と言ういいわけを、許さないことが大事である。

 今あるモノで、できる限りのことを行う。一方、必要ならば投資を呼び込んで実行する。ここで、「投資」という言葉を使ったことに注意してほしい。地方創生には、よく「補助金」という言葉が出てくる。しかしながら、補助金に対しては、受け取った側の責任感が薄くなる。投資なら回収の責任が生じる。これは金銭的なモノだけでなく、福祉の向上による満足などもあるかもしれないが、

「成果に対する責任と評価を明確にする」

ことが重要である。

 一方、独自性によるブレークスルーの必要性は低い。他での成功事例を参考にして、自分たちの状況に合わせて実現する。このような力が必要ではないかと思う。

創造よりも本質を理解し説明する力

これが大切だと思う。

2019年11月14日 (木)

中小企業のあり方について 一所懸命

 今までも、「中小企業不要論」に関してこのブログでも反論していたが、日経BP に興味深い記事があった。

 https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00080/110800003/  

この記事では、中小企業で構成されている駅前商店街が、大型スーパーなどの出店を受け、弱い商店が潰れるという

「淘汰による弱小企業排除」

が行われた。しかもその後、地域経済と雇用は大型店の力で維持し、しかも地域商店街へも大型店の集客力おこぼれで人が来るという状況になった。これこそ通産省の発想である、

「大型船が切り開いた後を小型船がついて行く方式」

である。

 確かに、流通の大企業には、商品企画などのスタッフがきちんとしているので、戦略や戦術我を検討することができる。この強みは、中小のみせには持てなかった。

 しかしながら、この戦略的な強み自体が諸刃の剣で地域を襲う。大企業の戦略で考えれば、地域の不採算店舗の廃止は、当然の結果である。また、ロードサイドなどへの移転も「論理的結果」として出てくる。

 このように、先端を切る船が逃げた後は、独自の対応ができない中小店舗が残っている。しかも、大企業の客寄せ頼みだったので、自分で考える力がなくなってしまった。

 このようなことをなくすためには、以下の2点を真摯に考えるべきである。

  1. 一所懸命の原則で自分のことは自分で考える
  2. 大企業的、中央官庁的発想ではなく地域に密着した解決策を考える

 

2019年11月 8日 (金)

琵琶湖を「琵琶の形」と見るためには?

 先日、NHKの「日本人のお名前」で、

「琵琶湖の形を完全に認識するためには、山などでは到達できない高さから見る必要がある。」

と言う趣旨の話があった。

 しかし、行基菩薩が竹生島を開いたとき,既に弁財天と琵琶の関係を感じていた可能性はある。

 そこで、天平時代や平安時代の人の気持ちになって、琵琶湖を見てみた。

 琵琶湖のそばには、伊吹山もあり、比良山系や比叡山もある。このような山の上から見れば、部分的にでも丸まっているが、円ではなく広がっている形が見えるだろう。

 さて天平時代に既に琵琶があったのは、正倉院の御物からも明らかである。従って、当時の人々は、琵琶の形は知っていた。一方、他の形はどれほど知っていただろう。丸い物は色々見ている。擬宝珠のような形も見ているだろう。しかし、それ以外の形は思いつくだろうか?

 こうして考えていくと、当時の人たちは、部分的いに見た物から、自分の知っている一番近い「琵琶の形」に当てはめたと考えるのが自然に思える。

 私たちは、航空写真という便利な物があるから、全体像を見て判断するという癖がある。しかし、当時の人たちは、自分が思いつく

「形状の概念装置」

の範囲で一番近いモノを選択したと思う。

 しかし、このような概念装置による、思考の制約は私たちに無意識的に働くことが多い。注意すべきことである。

 

2019年7月28日 (日)

ネット社会で『田舎者』とは?

 『田舎者』という言葉には、差別的要素があるので、使うのがふさわしくないかもしれないが、昭和の時代から平成の時代に経験した、事象によく適合しているので、あえて『』付きで使わせてもらう。

 私が、最初に見た事件は、ある会社の地方の支部であった。そこには、そこそこの人材がいる。しかし、なかなか業績が上がらない。そこで、他の部門で成功している事業を移管して、その部署の仕事の負荷を確保しようとする。すると一時的に負荷確保はできても、その仕事自体が潰れていく。このような事態が発生していた。私は、偶然にもその部署について、調べる機会があった。その地域で見たモノは、その地域では、その会社の課長クラスでも名士として、地域が大事にしている姿であった。これを見たとき、

「課長クラスがこれで舞い上がれば、進歩はなくなる。」

と納得してしまった。私の居住していたのは、東京ではないがそこそこの大都市である。そこでは、我が社の幹部でも、他の会社と比べられて、その他大勢の扱いである。そこでは、課長クラスも、上を見て学ぶ機会が多い。

「自分が大物と思い込む危険性が、『田舎』にはある」

しかし、この逆もある。

「常識外れの改革は辺境から起こる」

他人の影響を受けない状況だと、自分たちだけで解決しないといけない。そのためには、新しいモノを生み出す。このようにブレークスルーは、情報が途絶えている辺境から起こる可能性が大きい。

 しかし、現在のようにネット社会においては、

「解らないことを質問する」
「前例を探す」

コトはどこでもできるようになっている。

 この状況では、上記の『辺境でのブレークスルー』は難しくなっているのではと思う。

 ただし、密着した人間関係での、ちやほやは残っている。

 そこでは、『田舎者』の悪い面だけが残ってしまうのではと心配する。

 なお、私が書いた事例は、『XX市』というレベルであることを申し添えておく。XX町やXX村だけの現象ではない。XX市の幹部でも、十分思い上がる可能性はある。

2019年7月26日 (金)

地域おこしの政策を考えるために 失敗への道

 昨日書いた、政策を考えるための大局観の続きで、もう少し各論で議論していきたい。

 今回は、安易な発想による地域おこしの危険性について議論してみる。まず従来から、現在は何が変化したか?ここを押さえる必要がある。まずIT技術、特にネットワーク化の効果を考える必要がある。これには二つの面がある。一つは、余所の成功事例を簡単に見ることができることである。もう一つは、ネットを使った公募による大きな可能性である。

 しかし、ここに大きな落とし穴ある。まず第一のネット上の成功事例検索だが、これは成功結果しか見えないことが多い。ここに落とし穴がある。先日もMMTについて書いたが、一つの成功事例には多くの物事が絡み合っている。特に、現場での作業で苦労した人がいることを、忘れてはならない。多くの利害関係者の間を調整し、皆に協力させる。このような泥臭い仕事は、ネット上の話や、昔某局であった「~~X」という形では伝わってこない。この苦労を見ずに、よその成功例だけをほしがると、とんでもない失敗になる。

 次に、もう一つ、IT技術による、ハードル下がりの問題に関しても、しっかりした検討が必要である。確かに現在のネット環境では、公開して資源を募集することは比較的容易にできるようになっている。例えば,「XX文学賞」などを起こす場合でも、ネット上で募集して、投稿してもらい更に、読者の投票をしてもらう仕組みなどは、比較的簡単にできるようになっている。従来の郵送募集で、事務強が読み込み、審査員にお伺いを立てる。このような事務処理が簡略化される様に見える。

 さて、このような、『ネット上での文学賞』を考えるときに,本当に考えないといけないことは何だろう。

 まず思いつくのは、新技術であるIT関連の『お勉強』である。この面に関しては、真面目な官僚が勉強したり、技術的に実績のある会社が支援したりしてくれるだろう。

 しかし、本当に必要なモノがわかっているだろうか?私の考える、本当に考えるべきは、

「ネット上の関係者の反応に関する理解」

である。「ネット上の社会学」とでも言うべきかもしれない。例えば『イイネ』が、偏る可能性をどう考えるか?組織票があるかどう考える?その後も、人気投票だけで決めるのか、『有識者』の意見を入れるのか、このよう点がきちんと議論されていないといけない。

 単に、技術的な可能性だけで「ホイホイ」と軽く乗るようでは失敗すると思う。

 続編です。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-484fe8.html

2019年6月27日 (木)

歴史を見る時にも人間に注目

 先ほど書いた記事で議論した、

「ブラックボックス化してその後ろの人間を見ない」

という状況は、我が国の歴史教育に大きく影響しているように思う。

 この問題は、昭和の戦前までの「神国日本的歴史観教育」の反動として、「客観的歴史観教育」が重視されすぎた結果ではないかと思う。

 しかし、歴史はその世界に生きている人が作り上げたものである。

「その時代環境を考えて、なぜそのような行動があったか理解する。」

この経験は、異文化理解の練習としても大切である。そのために、役に立つ本が見つかったので、紹介しておく。

小学生おもしろ学習シリーズ まんが 世界の歴史人物事典 西東社

https://www.seitosha.co.jp/book/isbn-9784791627622.html

 この本が、小学生向けというのは、もったいない感じがする。どちらかというと、歴史の年表的な概略情報が頭に入った上で読めば、

「人間が作る歴史」

を生きた形で理解できると思う。

「漫画は子供向け」

という先入観にとらわれず、

「その時代に来た人」

を、具体的な絵で見ることは、より深くその世界を味わえると思う。

 また、この本の良いところは、年表が西洋史・東洋史・日本史と全て並行して描いているので、見通しがよくなるとである。

 なお、歴史の理解で大切なことは、

「進化論的発想」

にとらわれないことである。

「現在が、過去より優れている」

という思い込みが、当時の状況の理解に邪魔になる。価値を入れずに、その時代の状況をそのまま見る。これで見えてくるものが多くあると思う。

 

 

2017年11月24日 (金)

森友学園問題に関して現地をしっかり見ることの大切さ

 森友学園の問題が、会計監査院の報告で、不適切な払い下げという問題になっている。
 しかし、この問題に関しては、もっと深く考えるべきものが他にある。
 これは、今の状況だけでなく、戦後の数十年の歴史を見れば、判る問題である。
 
 まず一つ押さえるべきことは、豊中市における「荘内」という土地の、歴史である。実は庄内町が、豊中市に編入したのは、1955年である。つまりそこまでは、庄内町は独立していた。これが押さえるべき第一点である。次に、野田という地域は、庄内の中の北の端である。しかも、その地域は、実は東西に広がる堤防で、南部の荘内主要地域から隔離とまではいかないが、少し離れた感じのある地域であった。
 もう一つ、庄内という地域について言えば、1960年代には、庄内駅が阪急電車の乗降客で、トップスリーに入るほどの人口急増地域であった。
 これを、当時の某新聞は、
昨日まで田圃だった所に、瓦などを敷き詰めて、少し地固めらしきものをする。するとあっという間に、文化住宅が出現する。
と書いている。
 このような急激な造成を来なっているので、庄内地区の多くには、掘れば瓦などは、多くのところで出てくる。
 さらに上に書いたように、野田地区は庄内の中でも辺境の地であった。さらに名神高速道路ができれば、その土手の近くには、ますますごみなどが捨てられるようになる。
 これが森友学園のあった土地である。
 まずこの話をきちんと押さえないといけない。
 (明日に続く)
 

2016年7月21日 (木)

日本人は安全か?

 世界中を見ると、ISなどのテロは、まだ危険な状態にあると思う。さて、わが国の安全について、少し考えてみた。日本国内では、イスラム系の住民も少なく、テロリストが入国するのも難しいので、テロの危険性は少ないと思う。
 しかし、海外での危険性は別である。よく、
  「日本はXXの住民生活向上に寄与しているから安全」
などと言う人がいる。確かに、井戸を掘り、衛生状況を改善する。農業や漁業の改善を指導し、自立支援にあたって成果を得たこともある。そのような人たちは、現地の人たちが、守ってくれている例もある。
 ただし、このような状況は、反政府系のテロリストにとっては、貴重なターゲットになることも、見逃してはならない。その国の発展ということは、政府にとって好都合な事であり、反政府勢力にとっては不都合である。政府のやることの、邪魔をすることが、反政府勢力の闘争手段である。そのように考えると、政府の成果づくりに影響する日本という国は、彼らにとっての攻撃対象になる。もう少し具体的に言えば、日本人を殺傷して、日本からの支援者の入国が止まれば、政府にとっては痛手となる。
 このように考えれば、われわれがODAなどで、多くの支援を行っている国では、反政府勢力重要ターゲットとして、日本人を狙うのは十分あり得る。
 今回のバングラデシュでのJICA関係者が被害にあったことは、非常に痛ましいことである。しかし、被害者が
 「日本人だ、撃たないでくれ!」
と言ったということが漏れ聞こえる。確かに、キリスト教徒ではない、日本人だから助けられるということはあり得る。しかし、上記の理由で、大幅支援を行っている国での日本人は、反政府勢力にとっては重要ターゲットである。JICAのような、国際的な理解が深い組織でも、このような認識が薄いなら、大きな問題である。

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