2009年2月 8日 (日)

学問と実用生活

 ある機会から、『アメリカが生んだ最も多才で最も独創的な哲学者』C.S.パースの著書を読み直している。パースの著作は膨大なものがあるらしいが、邦訳は限られている。しかし、邦訳された文献からでも、凄みは伝わってくる。まず最初に、「連続性の哲学:岩波文庫688-1」から、学問と実生活の関係を考えてみたい。

 ここでは、実生活の意思決定と、学問世界の論理的思考方法の両者について、その違を指摘している。パースの指摘のとおり、現実世界では、感情・本能による意思決定が力を持つ。一方、学問の世界では、数学・論理と形而上学などの理論的にしっかりした思考方法が重要である。

 特に、大学で学ぶべきことは、まずしっかりした、論理的思考法を学ぶべきである。この論理とは、数学なども含む広い論理である。その後、科学哲学の思想をきちんと理解して、理論と現実の関係も、しっかり学ぶべきである。このような論理性が、学問の世界で生きていく条件である。

 なお、パースは、本能なども学問的経験が浸透することで改善されると指摘していることも、付記しておく。

<第1章p46~p47から引用>

 われわれはどのようにささやかな仕事であれ、周囲の状況が許す範囲で自分の微力をもって遂行することのできる、人生の仕事を見つけ出さなければならない。われわれはそうした仕事の遂行のためにすべての力を発揮しなければならないから、それには当然理性も含まれる。しかしすでに述べたように、そうした作業の過程で主として頼りにすることができるのは、魂の部分のなかでももっとも表層的で誤りやすい部分ー理性ーではなくて、もっとも深く確実な部分ー本能ーの方である。

 とはいえ、この本能もまた発展し成長することができるのである。たしかにそれが担う決定的な重要性を考えれば、本能や感情の発展の運動は非常にゆっくりしたものであるが、それでも本能や感情の発展は理性の発展とまったく並行した形で生じる。ちょうど理性が経験から生まれてくるように、それらの発展もまた魂の内的、外的な経験から生じる。その経験とは、例えば内省であり、あるいは逆境での生活である。またそれは認識活動の発展と同じ本性をもっているが、主として認識活動が提供する道具的有用性の側面を通じて発展する。魂の深い部分に触れることができるのは、その表面を通してである。それゆえ、このような内外の経験に対処する過程のなかで、われわれが数学と哲学と他の科学によって触れることを許される永遠的な諸形式は、ゆっくりとした浸透作用によって、われわれの存在の中核へと達することになる。それらはわれわれの生に実際に影響を与えるようになる。そしてそれらの形式、イデアのコスモスが、結局のところ人間の生への影響力をもつことができるのは、それらが人生にたんに決定的に重要な真理を含んでいるからではなくて、それ自身がまさに理念的で永遠的な真実であるからである。

<引用終わり> 

連続性の哲学 (岩波文庫) 連続性の哲学 (岩波文庫)

著者:パース
販売元:岩波書店
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2008年12月 2日 (火)

何処でも使うべきはハイリッヒの法則

 近頃のニュースを聞いて、もどかしい思いをする。それは、予兆があるのに、それで対処していないで、物事を大きくする例が多すぎるからである。例えば、元厚生次官殺害事件の犯人は、今まで何度もトラブルを起こしている。また、航空自衛隊の元幕僚長は、
 「今までこのようなことは、言っていたのに?」
とテレビで発言していた。

 今の世の中、個人の自由を大切にするのが行き過ぎている。人に迷惑がかかる段階で、きちんと対処すべきである。

 ハイリッヒの法則は、ここでも適用できる。そのためには、行き過ぎた犯罪者の人権保護を、排除しないといけない。

 

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2008年11月 2日 (日)

政治はマルチ商法じゃない

 アメリカのサブプライムローンを見ていると、日本のバブル時期に一部であった、不動産投機が多く行われた形跡がある。結局、家の価格がどんどん上る、そのような前提で
  「借金して家を建てて売る。」
と言う発想で動いた人が、破綻している。

 このように、経済成長による資産価値向上などの幻想で、国家を運営しているといつかは破綻する。これは、ある種のマルチ商法に、引っ掛かったようなものである。

 そのようにならずに、現実的に判断し、舵を取るのが政治だと思う。日本では、マルチ商法を擁護する国会議員もいるのだから、困った話である。

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2008年9月13日 (土)

1200件目の記事

 この記事で、1200件目となった。大体1日1件をノルマにして書いてきたが、休日には2件以上を書くこともあり、開設2年9ヶ月でここまで来た。おかげさまでアクセス件数も順調に増え、近頃では日に100以上のアクセスがあるので、もう少しで、60,000アクセスの御礼を載せることが出来そうだ。

 1200記事で、60,000アクセスと言うと、平均1記事で50アクセスと言う計算になるが、実際はそういう話ではない。「分数計算」などの計算力シリーズ、大阪府の橋下知事関連、学士力など就職関連の記事、「ポランニーの暗黙知」「系統主義教育」「理論構築の方法」「思考と行動における言語」など特定の項目に関してまとめたものなどが、人気を集めているようである。10%の記事が90%のアクセスと言うほどではないが、ABC分析の手法は、ここでも使えるように思う。

 しかし、アクセスログを見ていて気になることが一つある。「系統主義教育」などと規定のテーマに、ある時期アクセスが集中する現象がある。これは、どこかの大学のレポート課題などで、参考にされているのでなかろうか?一応、しっかりした文献のホームページも引いているし、自分の意見を付加しているが、丸写しがたくさんでると一寸気になる。

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2008年9月 6日 (土)

大阪の国際児童文学館について

 本日の朝日新聞の夕刊で、大阪府の橋下知事が、大阪の「国際児童文学館」の職員の仕事ぶりを、”隠し撮り”したと言う記事が載っていた。確かに隠し撮りと言うと、聞こえが悪い。しかし、知事がここまでしないといけない状況になった、原因を明らかにすべきである。

 私の知り合いも、昔自分の学校の生徒を、国際児童文学館に連れて行ったが、ひどい対応に、怒り捲くっていた。具体的に言うと、
  「この文学館は、某大学の偉い先生の研究のためのもので、
   お前ら下賎な者の来るところではない。」
とあしらわれたのである。

 しかし、国際児童文学館の廃止の議論になると、非常に立派な施設と言う話しばかりが、マスコミや議会から出てくる。一部の学者達が私物化した場合にも、文化的と言う隠れ蓑に、口が立つ場合には、反論がしにくい。

 そのような場合には、現実の映像で対抗するしかなくなっている。橋下知事がそこまでやると言う実行力を高く評価する。

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2008年8月10日 (日)

日曜朝の経済番組の効用

 今朝テレビで、NHKの”ルソンの壺””経済羅針盤”や毎日の”がっちりマンデー”を見ていた。この手の番組は、見ていると元気になる。日曜の朝から、良い気分となるので、1週間が楽になる。

 さて、なぜ経済番組が元気になるのであろうか。一つには、ニュース関連では、元気になる話が少なすぎる。人の悪い話を追求する姿勢が、気分を悪くする。

 一方経済番組は、悪い状況から、自分で考えて解決すると言う、良い面の話しが多い。

 自分でよくできる。このイメージを持つことが大切ではないだろうか。

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2008年7月26日 (土)

ネット社会の仕事のしかた

 日経BP社のホームページで面白い記事を見つけた。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080724/166135/
 「新聞記者の就職面接をしていたら、新聞を取っていない子が多く受験している。」
と言う、大ベテラン記者の怒りの話から始っている。さらに、
 「新聞記者がネットで検索して仕事をした気になる。」
と言う怒りが続いている。この話しは、さらにネット社会の便利さに溺れて、近道ばかり歩く人間を戒めている。

 確かに、仕事にはスピードが大切である。しかし、じっくり考えることももっと大切である。ネットで、仕事のスピードが上ったら、その分大切な書物を読む、この習慣が少なくなっている。この記事で戒めている、分からない言葉をGoogleで検索した場合でも、一つの記事で分かったつもりになるのではなく、複数の記事を見る。場合によっては、引っ掛かった見当違いの情報を、面白く読む。

 このような、一つの道の周辺も読むことで、しっかりした知識にすることができると思う。

 このブログに、偶然行き合わせた皆さんも、色々読んでいただければ、きっと得るものがあると思います。アクセス数向上のコマーシャルです。

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2008年7月22日 (火)

灰色の意味

 ある所で、
  「灰色には全ての色が入っている」
と言う話を聞いた。確かにそのとおり、私は小学校の頃は、絵をかいた時、最後にそれまで使った色全てを混ぜて、灰色にして、背景等に使うことが多かった。全ての要素が入った色が、何となく好きであった。

 しかし、中学の時、
  「色を混ぜると濁る。」
と指導され、そのようなことはいけないと教えられた。

 今にして思うと、色々な色を混ぜておくのも、良かったように思う。美術等で、指導と言うのはどこまで行うのがよいのか一寸考えてしまった?

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2008年7月18日 (金)

文系か理系か?

 先日、ある工業高等学校の先生と、議論する機会があった。そこで、資格のことが話題になった。先生が言うには
 「工業高校で例え電験3種を合格しても、大学の推薦条件にならない。
  一方、商業高校で資格取得者(簿記等)は、大学へ推薦で入れる。」
と言うことで、工業高校では、資格取得にもう一つ乗りにくいと言う事であった。

 この話し、逆に見れば、大学が高校生でも取れる資格を、重視しているということである。皮肉な言い方をすれば、高校卒業と変わりないと言うことになる。これはきつい言い方をすれば、一般職での就職がターゲットになってしまう。総合職で就職させるためには、対局的な判断力や市場調査の能力が必要になり、それは大学として別途教えることになる。この場合、簿記等の資格は会計数値が少し解るという一部の能力にしかならない。

 さて、工学部で例えば、電気系の学生が電験3種の資格を持っていたとしよう。確かに彼は、電力の使い方は、比較的よく知っているであろう。しかし現在の電機機器設計や、正業に関しては、もっと多くの勉強が必要である。それに耐える能力は、知識を総合的に使う、総合職にふさわしくなる。

 子どもの進路を、理系/文系と迷ったら、就職の面では理系の方が良いと思うがいかがであろうか。

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2008年6月30日 (月)

50000アクセスの御礼

 先ほど、アクセス解析を確認したら、アクセス数が50,000を超えていた。3月12日に40000アクセスだから、3ヵ月半で10000アクセスになった。大体4ヶ月で、10000のアクセスのペースから少し加速したと思う。

 読者の皆さんに感謝します。

 さて、アクセスが少し加速したのは、今まで書いた記事が、アクセスを稼いでいるからである。人気記事ランキングでは、「平方根の計算」・「就職試験の小論文」・「法律の読み方の実務例」が上位3位となっている。その外、「系統主義教育関連」の記事も、時期に寄るとアクセスを稼いでくれる。

 一般的には、就活関連の記事とインド式計算法が人気がある。ブログでも、お客様のことを意識すると、アクセスは増えるように思う。

 

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2008年6月 5日 (木)

改善を妨げるもの

 新入社員がそろそろ実務に投入されるようになってきた。さて、彼らは学生時代とのギャップに悩むことになる。特に、
 「こうすれば良いと思う。」
 「これがあればよい。」
と思っていても、学生とは違うと言うことで、否定される経験をしてしまう。

 このような経験を積むと、自分の思考に見えない枠がはまってしまう。

 しかし、学生時代のやり方を押し通すのも、仕事としての色々な重要なものを、見落とすことになる。

 これを乗り越えるには、現在のあるものは、なぜこうなっているか、原理まで深く踏み込む理解をする必要がある。

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2008年4月 8日 (火)

ブログアクセス増加の努力

 昨日に1000記事の御礼を書いたが、書き手の立場でもう少し議論してみたい。まず、欠き続ける原動力は、皆さんが読んでくれることである。そのため、読者が増えるテーマで書くことが多くなる。特に就活関連の記事でアクセスが増えることで、意識して書いてみた。一方、インド式計算の記事は、予想外にアクセスが増えた。検索ソフトとの相性が良くなったのも、インド式計算の後である。

 その外、暗黙知や山本七平関連でも、ある程度のアクセスを得ている。

 この次は、50000アクセス突破を目標に頑張りたい。

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2008年4月 7日 (月)

1000記事の御礼

 このブログの記事も1000件となった。2006年1月に始めてから2年3ヶ月ほどの時間が過ぎた。できるだけ、毎日1件は書くようにし、その外思いついたことがあれば、出来るだけ書くようにした結果、1000件を書くことができた。

 ブログを始めた頃は、「1日のアクセスが20件を越えれば~」と思っていたが、現在は50アクセス~100アクセスを頂いている。特に、インド式計算関連と、就職活動関連のページでアクセスが増えている。ありがたいことである。

 ブログを書くことで、自分の考えを整理したり、新しいことを勉強したり、思いつくことができた。これも読者の、有形無形の支援の賜物である。

 読者の皆様に感謝しますとともに、今後ともご支援をお願いします。

 

 

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2008年3月 9日 (日)

日本の農業は?

 日本の農業は、現在はかなり縮小している。しかし、中国の冷凍食品問題や、CO2対策として地産地消の動きから、日本の農業はこれから強化されると思う。

 特に中国の人件費の急増を考えると、海外生産の人件費差でのメリットは少なくなる。

 但し、農業の形態も、企業形態になると思う。つまり、土地所有者と作業者の分離である。これは戦後の農地開放路線を、否定するものである。

 戦後体制の否定がまた一つ出てきた。

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2008年2月25日 (月)

分けすぎる弊害

 死因不明社会 (ブルーバックス 1578) の中で、一つ象徴的な話があった。『相撲部屋でのリンチ死亡事件』に関する記述である。現在進行中の事件であるので、不確定な話もあるが、印象に残ったので書いておく。

 少し著者の意見とは違うかもしれないが、
  「明らかに集団暴行を受けたご遺体を、司法解剖したが、
  明確な死因が特定できなかった」
と言う表現があった。確かに全体を見れば、集団暴行は明らかである。

 細部で厳密にこだわりすぎると、判断ができにくくなっている、と言う一例だと思う。

 なおこの本で書いている、「死因の追求をきちんと行わないと医学の進歩が止まる」と言う意見は、日本の経営全般に通じる意見だと思う。

 特にあいまいな、成功や失敗をごまかしていると、経営の革新は行われない。日本全てが”原因不明社会”にならないように、悪いことにも向き合う努力が必要である。

 なお、そのためには、”余りにも厳しすぎる追及”も何とかしないといけない。

 救急医療を壊したのは、医療ミスの追及で、しかも医師を拘束した警察の力という意見は、納得が行く。ただし、この後ろの行き過ぎた市民運動と、威張りすぎた医師会への反発もある。

 原因は絡み合っているが、一つ一つ解きほぐしていくしかない。

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2008年2月21日 (木)

日本の選挙について思う

 大阪府の新知事橋下氏が頑張っている。しかし、彼の言い方で気になる部分がある。
  『府民の絶大なる支持を受けて~』
これは本当であろうか?どうも私は、彼が勝ったと言うより、他の候補が負けたような気がする。つまり、
 『他の候補に勝たせたくないので、彼に投票した!』
ので、彼を本当に支持しているかは??であると思う。そこを誤解しないで欲しいと思うのだが・・・

 さて、彼を支援しているのは誰だろうか。関経連の偉いさんが
 『教育する』
等と発言して、みなの反感を買っていた。これでまた支持率が上るかもしれない。このような偉いさんよりはまし・・・

 もう少し前の、郵政民営化選挙でも、小泉首相支持より、某氏のばら撒き政治反対で小泉側に票を入れた人もいるのではないか。

 良い人を選ぶのでなく、ある人を通したくないので、別の人に投票する。これは悲しいことでもある。

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2008年2月14日 (木)

昔の設計勉強

 ある機会で、30年ほど昔の新入社員時代を思い出した。大学では、弱電関係の学科に在籍していたが、コンピュータのソフトウエアばかりやっていたので、ハードウエアには疎かった。しかし、会社ではマイクロコンピュータを活用するということで、回路の設計から行うことになった。

 当時、どうやって勉強したのであろうか?そう言えば、当時は会社で"日経エレクトロニクス"を購入していて、回覧されていた。その中で必要な記事をコピーして、勉強した覚えがある。そうしていると、自分専用で欲しくなり、日経エレクトロニクスを購入したことも覚えている。当時は、現在のようにインターネット上で情報を入手することができず、雑誌やカタログ・データシートをコピーしていた。特に、雑誌を購入した場合は、関連記事などを読むことも多く、知らず知らずの内に知識の幅ができたように思う。

 現在のインターネット世界は、便利であるが、本当に力をつけるのには、本や雑誌での勉強も重要と思う。

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2008年1月24日 (木)

小説と悪役

 前にも、経営の勉強に小説を使うことの危険性を述べた。ここでもう一つ書いておきたいことが出てきた。

 それは、悪役の存在である。話しを面白くするためには、悪役が必要である。しかしながら、現実にはそのような悪役は少ない。しかしそれでは、話にならないから、無能上司やセクハラ重役等が必要になる。

 しかしこれを本当に思って、「国会議員になれば料亭で贅沢する」などと信じてしまう世の中になれば、何か狂ってくると思う。

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2008年1月 1日 (火)

2008年とブログの3年目

 新しい年が始まった。そしてこのブログは2006年の1月2日に開始したので、明日から3年目に入る。おかげさまで、毎日50件程度のアクセスを頂いている。ありがたいことである。特に昨年は、『インド式計算術』、『就職関連』及び、その他教育関連のページで結構アクセスを頂いた。現在の記事数は800以上あるので、過去の財差に頼っても結構アクセスは頂ける。しかし過去の遺産にすがっていては進歩はない。

 本年は、企業生活における知的生産性向上について、もう少し情報を発信したいと思っている。自分の能力を鍛えて、仕事を楽にする。そして、その時間でもう一度自分の力を向上させ、さらに良い仕事を短時間で行えるようにする。このような、良いサイクルを回していくようにしたい。

 このブログと、本家の「勉強の方法」のホームページの、ますますのアクセス増に努力したい。

 

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2007年12月 1日 (土)

手帳の効果

先にシステム手帳について書いたが、知的能力向上のため、手帳の効果は大きいと思う。まず、記憶の負担を軽くすることが出来る。また、思いついたことを、書き出すことで、発想法を補助することが出来る。しかし、今回は行動の改善について述べてみたい。

 昨日も、PDCAのサイクルを回して、改善することの重要性を述べた。自分の行動を記録することで、反省をして改善する。このような効果が大きい。これは、ネガティブ・フィードバックによる改善だと思う。

 しかしもう一つ、良い体験を残しておき、それを見直すことで、もう一度力を引き出すことが出来る。特に偶然良いことをしたとき、それを思い出し、自分のものにする効果も大きい。このようなポジティブ・フィードバックの効果もある。

 手帳一つでも、使いこなせば大きな効果があると思う。

 

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2007年11月 4日 (日)

大衆は賢い

 マスコミ関係者や知識人達が、色々指導的なことを言っている。しかし、大衆の判断は結構正しいように思う。例えば、毎日新聞の『沖縄密約スクープ事件』だが、その後毎日新聞は、不買運動で危機に落ち入った。

 この密約には、特に「国民に知らされていない金の動き」を公開したなどを、マスコミとしては毎日新聞の功績としている。しかし、当時の大衆は、「お金を払ってでも何とか沖縄返還を実現したい」と言う、暗黙の了解があったように思う。それを、変に公開し追求する動きに、大衆が拒否したと思う。

 このように、”知識人の意見”と”大衆の意見”は、微妙に違うように思う。しかし、自らの利害関係が絡む所では、大局的な判断が弱いような面もある。補助金頼みの地方行政などはその例と思う。

 日本人は、熱いという警告を受けても反応しないが、熱いものに触ったあとの反応は抜群に早い。これは確実に危機を認識した後の大衆の賢さを示しているのではなかろうか。

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2007年9月30日 (日)

日本語のブログはなぜ多い

 日本語のブログは、世界で一番多いそうである。これは色々な見方があるが、日本人の日記等作成する癖が、ブログになった一面もある。英語のブログはもっと多いかと思ったが、日本語より少ない。

 ここで、日本語のブログが多いのは、日本の作文教育の効果かと思う。アメリカ等の文章教育は、事実と意見の分離や、トピックセンテンスの存在等、文章をキチンと教えている。

 一方日本の教育は、自由に書けである。これが、ブログの入口を広げているのではと思う。

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2007年9月29日 (土)

今朝の朝日新聞を見て

 今朝の朝日新聞を見て、色々と気になった記事がある。

1.3面(関西版?)「前鳥取県知事 片山善博さんに聞く」の記事

 この主旨は、「大阪がしっかりして、西日本のリーダーとなれ」と言うことらしい。しかし、このような中央集権的発想は、それこそ東京的・霞ヶ関の官僚的発想だと思う。

 関西には、商売の中心大阪と、千年の古都である京都、国際都市神戸等の色々な個性が、それぞれ棲み分けている。(良い意味も含めて)変人を育てる京都大学、実用的な大阪大学、経済・経営では阪大・京大を無視していた神戸大学と色々面白い分担がある。これを一律に、大阪中心の共同体と言っても上手くいかなでしょうね。ただ大阪の官庁に自覚を促すのでは、スローガンとしては良いかもしれない。

2.35面(関西版) 神道・仏教共に祈る

 これは、
  「ミャンマー情勢などを懸念し、奈良の主要寺社の僧侶と神職が
   春日大社で、紛争の早期終結を祈った。」

と言う記事である。

 この記事自体は、悪くないが
  「仏教、神道の宗教者がこうした行事を一緒に開くのは異例のことだ」

と言う表現には、おいおいと言いたくなる。歴史的に見れば、神道と仏教の疎遠な関係は、明治の廃仏毀釈以降の話である。千年のことにとってはホンの100年一寸の出来事である。まあ、興福寺の僧侶から春日大社の神官に変身した、立派な方々のやったことを、考えれば少しは寺側に恨みがあるかもしれないが・・・

 春日明神と明恵上人の世界を引き出して、もう一度考えて欲しいと思った。

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2007年9月26日 (水)

新聞を見て

 今朝の新聞を見て、2つほど気になる記事があった。

1.自民党の山崎氏が、講演の中で「昨年10月の北朝鮮の核実験について『核保有がはっきりしたという意味でよかった』」という発言をした問題で、釈明書を広島長崎の市長に送ったと言う話し。

 全文を、読まずに部分だけで、『核実験~良かった』と言う言葉狩りをしている感じがする。ある意味では、『拉致問題はない』と言う、政党が国会議席に存在した日本である。核保有も、実験と言う現実を突きつけても反論する。しかし、実験で世論の後押しが出来て良かった。これすらいえないようでは、魔女狩りの世界である。

2.通信社配信の新聞記事に対する賠償判決
 これは、共同通信の記事を誤りとしたが、共同通信に対しては、それなりの根拠があったと、名誉毀損の訴えを退け、その記事を載せた地方紙3紙には責任を認めた判決である。

 この骨子は、ニュース源を「共同」と書かずに、自社取材であるがごとく掲載した、地方紙の責任追及である。こう考えると、少し納得してしまった。

 やはり引用は、キチンと出展を明記しないと、責任を取る必要がある。

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2007年9月17日 (月)

精神科医からの反論

 昨日の、『たかじんのそこまでいって委員会』を見ていたら、精神科医の先生が、出演していた。

 そこで、
 「犯罪者の弁明のために精神病を使うな」
と言う趣旨の発言があった。

 この発言を聞いて、というとう出たという感じがする。前にも、池田小学校事件のとき、精神科の先生が以下のように嘆いてられた。

「私の見ている、統合失調症の患者さんたちは、皆さんおとなしい人たちです。このような事件が起こると、皆気にして小さくなって、しまいます。犯人が、本当に統合失調症なら諦めもつくのですが・・」

 余りにも行き過ぎた、弁護手法に泣いている人も多いということを知っておくべきであろう。

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2007年9月 9日 (日)

広汎性発達障害について

 一寸機会があり、広汎性発達障害について、調べてみた。特に、高機能性の場合には、本当に障害と言うべきか考えてしまった。

 昔から、皆とうまくやれない子供がいた。成績の良い悪いとは別であった。しかし、これに『発達障害』と言うラベルを貼ることで、メリット・デメリットがでてきている。ただし、なぜこのような言い方が出て来るのか、一つ原因を追究してみたい。

 一つの仮説は、教育に関する管理の徹底、特に「ゆとり教育」の一つの理念である、「全員が最低限これだけ習得」と言う発想である。これから、きちんとした学級運営をしないと、教師の責任になる。そこで免罪符は、「~~障害」のラベルである。「障害だからしょうがない。」これで逃げる要素もあるように感じる。

 学校運営でも、色々な子供がいるという認識が許されると、一寸違って来ると思う。

 ただし、「広汎性発達障害の子」についての対策は、何か仕事が上手くいく環境作りと、同じように見えてきた。ある冊子から引用してみた。

<接し方> 幼児期学齢期

「見通しの立つ環境にします」

生活の見通しが立つことは、安心を与え、社会性を伸ばす基礎になります

【子どもに伝える内容】

・毎日の日課をなるべく一定にして、

 見通しが立つように配慮します。

・初めての経験や予定の変更がある場合、
 ことばで説明するだけでは充分に
 理解できないことがあります。

・「いつ」「どこで」「なにを」「いつまで」
 「どのようなやり方で」するのか、
 「終わったら次に何をするのか」をはっきり伝えます。

・特に活動の「終わり」は明確にします。

【伝える方法】

・一日の日課や予定の変更を目で見てわかるように、
 活動に関連した物や、絵・写真カードで示したり、
 日課の流れを文字で書いて示したりします。

・変更の後には、いつもどおりの日課や
 楽しみがあることを示して、
 安心させることが大切です。

「場所と活動の意味を一致させます」

わかりやすい空間は、子どもの自発的な行動を促します

 その場に行けば活動内容がわかるように、
“勉強する”、“遊ぶ”、“食事をする”等の
 活動と、それをおこなう場所とが、できるだけ
 1対1で対応するようにします
 (ついたてやカーペットを利用して
  部屋を区切る方法もあります)。

 その場に関係のないものは片付けます。

 不安になったときや混乱したときに、
 子ども自身が避難できるように、一人静かに
 落ち着ける場所やコーナーを工夫して
 用意しましょう。

この注意、会社生活で仕事の与え方に繋がると感じた。

ライターや長い靴べらは、戦傷者の便宜から一般化したように、発達障害児への対応から、仕事の改善が生まれるかもしれない。

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2007年9月 1日 (土)

700記事のご挨拶

 このブログの記事数が700件となった。昨年の1月2日にスタートしてから1年8ヶ月で700件とは、一日1件以上のペースで書けたことになる。ささやかながら、蓄積が出来たので、古い記事へのお客様も呼べるので、25000アクセスへの一つの加速要因となったと思う。

 このように継続して書くことは、その時新聞などを読んで、思いついたことを残す効果もあるが、自分の発想が増えるように思う。
これも、ブログを見ていただいている皆様のおかげです。
改めて御礼を申し上げます。

 さて、ブログで成長を見ることは、自分の例ではなく、他人のブログを見るとよく解る。例えば、以下の日経エレクトロニクス記者のブログでは、昔は「学生の作文」と言われたり、「カメラを紛失さす」など、これが記者かと思うような人が、物造りに関して鋭い意見を書くまで成長している。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070810/137772/

 自分もこれからも成長したい。

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根本原因の追究

 警察官と拳銃について、二つの事件が気になる。一つは大分前のSAT隊員の死亡事故である。もう一つは、近頃の警官ストーカー事件である。マスコミの報道等で、もう一歩踏み込んで欲しいと思ったので、書いて見たい。

 まず、SAT隊員の死亡事故であるが、対拳銃の常識はずれの話しである密集体制での接近の謎を解く必要がある。密集集団なら、どこかに命中する。そこで一つの仮説は、
  「わざと撃たれようとした。」
である。これは、官僚主義で「警察官の発砲は、厳しい条件があるが、正当防衛なら、発砲できる。」と言う発想である。

 もう一つの警官ストーカー事件に対しても、警官の悩みを対策すると言う話しが出ている。しかし、根本的には、危ない行動をする人間を事前に見出し隔離する仕組みが、必要ではなかろうか。

 どちらも、根本的には、犯罪者の人権重視の、「進歩的知識人」の文化があるように思う。トラブルの真因を追究せずに、場当たりの対策ばかりしても解決にはならない。物造りでの鉄則である。

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2007年8月30日 (木)

頭の使い方

 頭の良い悪いと言う言い方は、余り好きではない。しかし、使い方の上手下手というのはあると思う。そこで、一つのヒントとして、抽象のハシゴを上手に使うことを、考えて欲しい。

 抽象化することで、一般化して色々適用を考える。一方、具体的に降りることで、適用範囲を明確にしたり、過度の思い込みの弊害から逃れることが出来る。

 頭の使い方の一つとして知っておいて欲しい。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/Chushou.pdf

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2007年8月29日 (水)

創造について

 日経BP社のホームページに、NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」の要点が公開されている。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20061010/111381/

 そこで、色々な人の創造の話が載っている。その要点は、プラトニズムの発想で、本当の理想があると信じる。一つの発想に執着し、未熟な状態から育てていく。なお、建築の例では、完全な更地と言うことは無い。周囲の環境等から、色々な制約を満たす答えにしていく。

 このような創造のためには、自分の能力(生命力)を信じる。人間は、相互に認め合うことでも成長する。ルーチン作業の中でも、自分の創造を活かすことができる。

 なお、私の考えでは、創造には感性が重要であり、色々想像して、正しく評価することが重要である。

 その外、感覚の重要性、「プロとは締め切りを守る」「下手なオーケストラは無い。下手な識者がいるだけである。」:マーラーなど、凄い言葉が並んでいた。ゆっくり読む価値のあるページだった。

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2007年8月18日 (土)

就職内定後の自己啓発について

 お久しぶりです。就職内定した、貴女に何かプレゼントしたくて、これを書きます。この時期は、卒論の準備で忙しいでしょう。卒論のために自分で調べ、考えをまとめ、文章にする。その経験は、会社に入っても役に立ちます。フィールドワークの経験は、特に有効です。

 さて、今一度確実に身に付けて欲しいスキルがあります。それは自分の流儀のノート作製です。参考文献を読む、その結果をノートに抜書きし、自分の意見を加える。このようなスキルが確りしていると、大学を出た後でも、自分で勉強できるようになります。現在のように社会の変化が激しい時代では、就職後も勉強をしないと、取り残されるようになります。そのため、自分流の勉強法を確立しておいてください。

 ノートの作成法は、色々ありますが、結局自分の方式を決めるのが一番です。私が面白いと思ったのは、出口汪氏の流儀です。彼の小論文用のストックノートは、以下の要素を、見開き2ページに上手に配置します。

(左上)参考文の要旨    (右上)自分の経験
(左下)用語説明・論理構造(右下)意見・感想

これは、必要な項目を見やすく配置した、優れものです。参考にしてください。

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2007年8月17日 (金)

五山の送り火

 昨日のNHKテレビで、京都五山の送り火の放送があった。そこで、妙法の送り火に関連して、戦国時代の法華宗徒の町を、比叡山の僧兵が焼き討ちした話しを、取り上げていた。

 織田信長の比叡山焼き討ちは取り上げても、「天文法華の乱」を取り上げる史書は少ない。さらに、法華宗が一向宗の寺院を焼き討ちしたのもとりあげない。

 われわれは、宗教は平和なものと考えている。しかし、考えてみれば、「異端の教えは人を地獄に導く」ので「いかなる手段を用いても排除すべき」である。

 そのために、宗教戦争は必然ではないかと思う。神道と仏教が融合した、日本の平和的宗教は、ある意味で奇跡である。

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2007年8月16日 (木)

京都五山の送り火を見て

 本日は、大文字を代表とする、京都五山の送り火が焚かれている。それぞれの山が、独自の方法で点灯する。それが調和するのが、千年の都に相応しい。

 日本の宗教には、『清め』の心があるように感じる。清めには。『火』によるものと『水』によるものがある。どちらかと言うと、『火』は下から上に起こり人体では腹から発生する。『水』は、上から下に下りてきて、頭からかぶるものである。宗教的儀式でも、護摩を焚く場合と、頭から水をかぶり、滝に打たれる水行がある。水の理性と火の胆力の違いではと思う。

 今の世の中は、「頭で考える理性が走りすぎている」ように思うが、腹で火を燃やす力も必要ではないかと思う。

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2007年8月15日 (水)

失敗の原因

 孫引きで申し訳ないが、昨日の朝日新聞勇敢の『窓』に、堺屋太一氏の小説、「世界を創った男 チンギス・ハン」のなかで、金王朝の対応力の記載があった。

 「一度は人事のせいにする。
  二度目は仕方が悪いという。
  三度目は組織の仕組み(構造)を変える。
  そもそもの考え方(価値観)を変えねば
  ならぬと気付くのはそのあとだ。」

 それが伝統を誇り、多くの人を抱え、財力も豊かな組織が、業績の悪化に直面した際の反応だというのだ。

 上記は、朝日新聞の編集者が、堺屋氏の意見を引用したものだが、確かに納得のいくものである。ここで言う価値観は、ポランニーの暗黙知や、山本七平氏の『空気』や『水』に通じるものがある。

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2007年8月14日 (火)

熱に強い電子回路設計

 昨日までの電子回路と熱の話を、もう少し突っ込んでみたい。

 まず基本は、熱を出さない。そのためには、余分な電力を使わない。そこで、低い電力で動く回路を使用する。また、効率の良い回路を使うということになる。これらのことは、それだけ聞くと、単純に実行すればよいという結論になる。しかし、低い電力は、低いノイズマージンやS/N比に繋がることになる。効率の良い回路は、歪など信号の質の低下に繋がることもある。

 昔は、SSBで不要サイドバンドを、フィルタで強引に削除していたが、このような無駄なエネルギーは、許されなくなった。しかし、その時代のS/Nは20dBでも小さいと言っていたのに、我が家のADSLのS/Nを測ると5dB程度しかない。厳しい条件での設計が、必要になっている。

 このような設計を実現するために、時間領域と周波数領域の両面での理解が必須となっている。数学の基礎の上で、動作原理を知る必要がある。そのため、経験便りの対策では、難しい面が出ていると思う。

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2007年8月13日 (月)

暗黙知と軽く言っても

 前に日経エレクトロニクスの、宇野 麻由子氏の記事について少し触れたが、今度は暗黙知に関して、もう少し突っ込んでいきたい。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070810/137772/

 海外の設計者に対して、
   「安易に『暗黙知』があるから、優位を保てる」
と言う言い方には、私は賛成できないものがある。

 今までも散々取り上げてきたが、
  「自分の表現力不足を暗黙知といって逃げる」
安易なやり方は、すぐに「見える化」に追いかけられ、キャッチアップされると思う。

 しかし、日本人の本質的な姿勢として、周辺や利用者にまで配慮する、システム発想は、このブログの最初に書いた
 「下水処理場をつくってから、水洗便所を作る」http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_9e0c.html
等で残っていると思う。発熱を、人体に影響させて平気な携帯電話の設計者は、下水処理場なしに、川に直接放流させる水洗便所を作った、欧州の都市設計者と、余り変わらないと思う。

 顧客の利用状況を、実感して製品を作る姿勢が残っていれば、熱設計まで責任を持って対応する、回路設計技術者の育成が可能だと思う。

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物造りの変化について

 昨日日経エレクトロニクスの、宇野 麻由子氏の記事について少し触れたが、今まで私が取り上げた内容に色々と絡んでいるので、もう少し突っ込んでいきたい。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070810/137772/

 まず、この特集が取り上げている、電気(電子)回路の設計者は、熱設計に配慮すべきであるという主張には、全面的に賛成である。特に携帯電話の放熱による低温火傷の危険性の指摘は、鋭く設計者の製品責任に迫っている。また、この記事では顕わには示されていないが、放熱とノイズ耐性のトレードオフ等も考慮している点も、総合的な視点として重要である。

  さて、ここでもう少し突っ込ませてもらいたい。まず、ノイズ耐性と発熱のトレードオフである。昔私が回路を設計した時には、出来るだけ信号電流を流し、ノイズに強い設計をする方針であった。しかし、これは発熱が多くなる。S/Nをエネルギーで稼ぐとどうしても、ロスになる発熱が多くなる。

 さらに、もう一つ当時の状況を明確にすると、機能設計と実装設計がかなり明確に分かれていた。機能設計者には、数式的な知識等が必要なため、大学卒で専門分野を勉強した技術者が周り、実装設計には、知識と経験が重要なため、工業高校卒業後社内でキチンと訓練された技術者が担当するという図式であった。その中で、熱対策や雑音対策は、実装技術者の責任となっていた。当時の雑音対策は、コモン線を太くしたり、最短配線や捩り線利用などが主体だったが、経験の積み重ねで対応した部分が多くあった。その中で、使用抵抗のワット数に余裕を持たす等の、熱対策も行っていた。当時の機能設計者の熱検討は、ICの使用電力を積み上げる程度のものだったと記憶している。

 現在は、設計シミュレーションのツールが確りしているから、実装状況やEMCや熱の状況まで、回路設計者が把握して、対応を考えることが可能になっている。つまり総合的な技術者でないと、回路設計は出来なくなっている。このようなツールを使い結果を理解するためには、電波や熱の伝播に関する最低限の基礎知識が必要である。そのうち、日経エレクトロニクスのチュートリアルに、熱伝達の基礎講座あたりが出現するであろう。

 ここまで書いて、昔私が入社した時にも、基板を設計するので、色々な知識が必要になり、日経エレクトロニクスを急遽購読したことを、思い出した。

 なお、暗黙知に関してもう少し書きたいが、長くなるので一旦ここで終わる。 

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2007年8月12日 (日)

電子回路の落とし穴=熱設計

 日経エレクトロニクスの、2007/8/13号は、「熱設計で攻める」が特集であった。設計から保守まで広い意味で、電子回路の製造の現場に携わっている者にとって、熱が設計の成否を決める、出荷後のトラブルの原因は、まず熱というのは、経験的に伝わっていた。

 しかし今回の特集は、回路設計が終わって試作品を見ながら行う『熱対策』と、事前にシミュレーション等で評価する『熱設計』を比較して、今後の方針を示している。電気設計者も、従来の機械設計者任せでなく、シミュレーションで熱の状況を、よく理解すべきである。

 特に、人体に接する電子機器では、低音やけど等、新たなリスクを明確にした点にも注意したい。携帯電話が長く使っていると熱くなる。これは、回路を作る立場では、放熱成功かもしれないが、使う人間に高熱を伝えるということは、現在は許されなくなっている。また、同社のHP では、物造りの丸投げ問題まで議論している。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070810/137772/

このような総合的な、設計が出来る能力が重要になっている。専門外まで広く理解する力が今求められている。重い問題提起として、上記ホームページの記事も含めて考えるべきである。

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2007年8月11日 (土)

努力の方向付け

 前に、努力は現在に似合わない、と言う話しを書いたが、そう簡単には言い切れないように感じる。http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_bbf9.html

 高校野球に象徴されるスポーツの世界が、一つの反例である。そういう意味で、就職活動の一つの売りに、
 「部活を熱心にしました」
と言う場合がある。これは結構なことだが、少し寂しい。学校だから、学問等で努力したものを見せて欲しい。とは言っても、
  「難関校に努力して入りました。」
と言うことは、学校名を隠す採用等では無力である。何かおかしいと持っていたら、一つの光が見えてきた。

 国家技能検定で、3級の資格は工業高校等の該当学科在籍中に、受験できるようになっている。そして3級に合格したら、2級の受験資格も得る。そして2級にチャレンジし合格することで、努力を形にすることができる。

 このような仕組みを考えている、厚生労働省始め関係各位に感謝したい。まだまだこの国の物造りも良い所がある。

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2007年8月10日 (金)

日本人は劇的が好き?

 少し遅れた話になるが、臨床心理学者の河合隼雄さんが、7/19にご逝去された。河合さんの功績は色々あるが、ユング派の精神分析を日本紹介したことは大きい。逆に彼が偉大すぎて、
  「日本のカウンセリングは、精神分析が主流」
と誤解している向きも多いように思う。フロイトに始まる精神分析は、あることが見つかれば、劇的に病気が治るような印象を人に与えている。

 関連して、禅においても、見性という体験で、一気に世界観が変わるような、印象がある。

 しかしカウンセリングにおいては、まず来談者を受け入れる、ロジャーズの流れが主流であり、禅でも単に座り呼吸を整えるだけでも効果がある。

 劇的な変化を求めるのも良いが、少しずつの進化を地道に求める努力も重要だと思う。 

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2007年8月 9日 (木)

論理的になれない理由

 日本人の議論を聞いていると、どうも論理的でないように感じることが多い。そこでもう一度、基本の三段論法を見直してみた。三段論法では、前提・事例と結論の図式になる。

 ところが、学校教育では、知識の有無が先生の優位に繋がっている。特に道徳的規範に関しては、
  「前提は先生のみが知っている」
という状況も多い。例えば、
  「なぜ数学を学ぶの?」
と言う質問すると、
  「君達には分からない理由がある」
と返事が返ることが多い。

 これでは、同じ公開条件での推論や議論が育たないように思う。幾何の証明等は、この条件を満たしているのだが、これも十分訓練されているとは言いがたい。

 また、アメリカ等では小学校から、事実と意見の分離を、キチンと区別するように教えているが、日本の国語には、道徳的な要素が入り、意見と事実が混在しているように思う。

 これで、論理的にするには、かなり訓練が必要だと思う。 

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2007年8月 8日 (水)

努力は似合わない

 今朝の朝日新聞の
  メディア社会の中で 消えた「男の子」
で、週刊少年ジャンプの編集長が
 「連載で主人公が努力したり、練習したりする場面が
  続くと人気が落ちてしまう」
 「努力している姿は読者にとって停滞にしか
  見えないものかもしれません」
といっていた。これの裏側として、養老猛氏の
 「子供には『ドラゴンボール』の努力している所を読ませる」
と言う言葉も別の所で聞いた。

 その理由として、関西大学の竹内教授の
 「努力がださくなったのは、今日より明日が良くなる
  という進歩の意識がなくなったから」
と言う発言がある。

 確かに、現在の世界は上昇志向が弱くなっているので、努力が出来にくいかもしれない。しかし、江戸時代にもそれぞれの立場で、芸や技を身に付ける努力はしていたと思う。今の学校制度での勉強への努力は、上昇志向と関係しているかも知れないが、もっと別の動機付けができると思う。

 

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2007年8月 7日 (火)

どこかで壁を越える(インド式計算)

 今まで、インド式計算術について、何回か述べたが、その効用として、今までの、計算時間の壁を超える経験がある。

 これしか出来ないと、自分で思いこむことで生じる壁、これを壊した経験は大きい。一度壁を越えると、次の壁にも対応できるようになる。そのような意味で、インド式計算を使うのも良いかもしれない。

 しかし、質問されたら子供にからくりを教えることが出来るように、親や教える側は、理解しておいて欲しい。

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2007年8月 5日 (日)

風力発電について

 地球温暖化の対策として、自然エネルギーの活用を進める。その中で、地域によっては、風力発電が伸び悩んでいるらしい。確かに、風力は自然エネルギーだが、特に日本では不安定この上ない。従って、電力供給全体を見ている電力会社は、変動に対応して、火力の調整をしたり、無効電力を増やしたりする。これは、全体としてのCO2削減になるのか、と言う疑問がある。

 この対策として、電力のエネルギーを積分的に蓄えて、変動を調整する負荷を増やすことが、急務であると思う。具体的には、発電量が増えたときには、熱や揚水でエネルギーを蓄え、発電量減少時には蓄積をやめることで系統に対する供給変動を、少しでも減らすようにする方法がある。例えば、貯水池への揚水と、自然流下の組み合わせで、エネルギーの蓄積が出来る。

 しかし、基本的には日本の電力行政が、大電力会社に依存していることに、根本的な課題がある。小規模発電業者と大電力会社の関係で、大会社の責任とばかり、変動への対応を任せるの如何なものであろうか?全体を見た、行政コントロールが必要ではなかろうか?

 このような、大企業が先に走り、そこに色々な責任をかぶせる行政手法は、明治以降の追いつき形式産業政策ではよいが、現在にはあっているのだろうか?

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関西のテレビは貧乏

 昨日の関西テレビの「たかじん胸いっぱい」で、面白い話があった。関西のテレビ局と東京のテレビ局では、番組作成の予算が桁違いだそうである。当然、関西のほうが少ない。東京の10分番組の予算で、1時間頑張っている、関西局は大分かわいそうだ。

 しかし、予算があれば良いというものではない。金がないなら、無いなりに工夫するのが、日本の底力と思う。この番組でも、担当の女子アナも頑張って、水をかぶっている。

 中央にいろいろな力が集中した日本だが、地方も金に頼らずに、工夫をしていく姿勢が大切だと思う。補助金や、公共投資頼みでは、いつまでも中央にバカにされっぱなしと思う。

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2007年8月 4日 (土)

韓国のキリスト教

 タリバンの人質騒動に関して、前にも書いたが、もう少し補足しておく。http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_58c3.html

 現在の韓国では、キリスト教が全盛で多くの組織が、布教をしているとの事である。布教と言うか、多数派工作と言うか、勧誘と言うか、言い方には色々あるが、
  「勢力拡大のため海外まで出る派も多い」
と言うことである。しかも、キリスト教の原理主義が多いという話である。

 ここまで聞くと、十字軍や南米でのキリスト教の侵略を、思い出してしまった。イスラムの原理主義のタリバンと、キリスト教の原理主義では、戦いになるのは自然の成り行きであろう。しかし、
 「剣か、貢納か、コーランか?」
と言う、イスラム教の布教方針から言えば、人質と身代金と言う解決もあるかもしれない。

 韓国のキリスト教の布教に関して、日本でももっと知るべきではないかと思う。日本は、日本教と言う武器があるので、キリスト教の侵入を、料理したが、韓国はそうではなかった。山本七平氏がこれを見たらどのように、述べるか聞いてみたいと思った。

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2007年8月 3日 (金)

幾何学とデカルト

 前から気になっていた、
  「幾何学の証明は、いい加減だ!」
議論について、自分なりにハッキリさせるために、幾何の証明を一つ書いてみた。http://homepage3.nifty.com/manabizz/kikaronri.pdf

 自分で書いてみて分かったが、幾何はそれほどいい加減ではないと思う。逆に数論の方でも、厳密に話しをしだしたら、実数の掛け算をどう定義するのか、議論する必要があるだろう。無限の桁数がでてくる時、帰納的な定義が成立するか集合論ではどうなるのだろう?

 なお個人的には、定規とコンパスをもう一度見直すべきだと、思っている。

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強者は攻撃しても良いが・・・

 この時期になると、戦争に関するニュース・意見が新聞等で色々でてくる。そこで、大切なことは、弱いものいじめは、見苦しいということである。もう一つ指摘しておくと、組織及びそのトップは、強者かもしれない。従って、"帝国陸軍""帝国海軍"や、陸軍指導者であった、東条英機・山本五十六と言うレベルは、批判に曝されても仕方ないと面がある。

 しかし、戦争の前線で戦った個人は、マスコミ等と比べれば『反論の手段も持たない弱者』であることが多い。しかし、軍隊の組織としての罪も、実行犯である個人の罪として糾弾する向きがある。特に、個人としての弁解も許さない糾弾が行われることも珍しくない。

 例えば、南京のいわゆる『百人斬り』報道について考えてみよう。戦時国際法から見れば、一人でも一般人を殺すことは、許されることではない。それは、軍隊としての罪である。しかし、その行動を「戦意高揚として百人斬りの英雄的行為」として、新聞報道を行う。戦後その新聞記事により、写真に載っていた"個人"が、極悪非道の重罪人として処刑される。

 この時、個人としての名誉の回復を行う行為自体が、この国では罪悪のようである。山本七平氏が、某有名新聞の有力記者から、糾弾を受けたのはその一例であろう。組織としての罪はあっても、個人への弁護まで閉ざすのはおかしいと思う。それを言うなら、第4の権力マスコミの、戦意高揚記事の捏造も、A級戦犯として裁くべきであろう。

 なお、朝日新聞の夕刊には、戦時の新聞社の戦争協力振りも、記載している。正当な評価を期待したい。

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2007年8月 2日 (木)

教育基本法に関して

 日本の教育について、一寸考えてみた。まず戦前の教育を考えてみると、以下の重要な要素が見つかった。

 1.教育に関する憲法規定はない
 2.従って教育勅語で教育を導いた

つまり、教育は天皇陛下から直接の指示で行っている。これを理解すれば、各学校に天皇陛下の『ご真影』があり、火事の時には、校長が身を挺してこれを守るという、仕組みも解ってくる。校長及び教師の権威は、天皇陛下の代行としての権威であり、その象徴である『ご真影』を粗末にすれば、自ら依って立つべき所がなくなるからである。

 さて、教育勅語を廃止した、昭和22年の旧教育基本法を見てみよう。個人を尊重する記述はあっても、先生に従えという記述は見えない。確かに身分尊重はあるが、生徒が従う根拠ではなさそうである。ここで、教育勅語もなくなった以上、どうして生徒を従わせたのであろうか?一方、教師の能力に関する記述は、見えにくい。例えば、数学教育において、『幾何学は曖昧だから廃止』などを叫ぶ教師に、
 「ヒルベルトの幾何学を知っているのか?」
 「数論に関しどこまで厳密といえるのか?
  実数の乗算はどう定義しているの?」
と確認したいが、それも許されないらしい。

 このような状況で、生徒及び父兄から、「今習っていることは何の役に立つの?」と言う質問を受けて、答えられるのであろうか?

 今度は、平成18年版であるが、ここでは「学校生活を営む上での必要な規律」と言う表現がある。これで教師に従えと言う話しは、少し根拠が出てきた。さらに、教員の能力向上の項目も書き加えられた。

 大分良くなったと思うのは、私の独断であろうか?

教育基本法(昭和22年版)

<前文>
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

第六条(学校教育) 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

第十条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

平成18年改訂版

<前文>
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

  我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

第一章 教育の目的及び理念

(教育の目的)

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)

第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

第二章 教育実施に関する基本

(学校教育)

第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

(教員) この校は独立して設けた

第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない

2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない

(家庭教育)

第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

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2007年8月 1日 (水)

子供の理系離れの対策

 子供が
   「理科系に進学するのを、嫌がっている。」
と言う話をよく聞く。その中でも、一つの理由は、
   「理科系の勉強は、実験等でしんどい」
と言う話しである。確かに、大学生としては、文系の方が自由になる時間が多いように思う。

 しかも、マスコミ等の場面を見たら、文系の社会学者や経済学者は、偉そうに色々発言している。メーカーの社長等、経済界の大物は、理系出身者も多いのだが、一寸世の中で発言すると、国家の品格等でうるさい先生方に、
  「商売人は口出しするな」
とばかり、士農工商の”士”族に、切られてしまう。これでは、理系に行く気も薄れるのではないかと思う。

 しかし、もう少し良く見ると、技術者や本当に技を持った職人は、会社としては大事にしている。不景気になって、厳しく当たられたのは、文系の人間である。

 世の中、自分の努力に、正しく比例した報酬を得ている人間は、それほどひどい目にあうことはない。分不相応な報酬を得ている人間に、風当たりが厳しくなることが多い。

 そう考えたら、工学の道は、それなりの努力で、それなりの付加価値を生み出す、長期安定の道だと思う。

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2007年7月31日 (火)

子供の理科離れについて

 若者の理系離れ、工学離れの問題は、まだ深刻な状況である。特に電気の世界は、従来のアマチュア無線と言う大きな裾野が減少したので、子供の興味を引く、施策が必要である。

 電気というものは、機械や建築分野と比べて、見えにくい。確かに電球をともしたり、モーターを回転させることは出来ても、その元になる電子の動き等は、見えない。ここの段階をどう子供に教えるかが難しい。

 しかし、技術と言うものは、見えない関係等を、数学・物理学・化学等の力で、精度よく予測して、人間が使えるようにするものである。こう考えると、電気分野は技術の王道を進んでいることになる。

 付け加えれば、エジソンとテスラの直流・交流戦争も、子供の教えるべきであろう。子供にとってエジソンは英雄かもしれないが、実は電気の分野では、直流にこだわる大失敗をしている。なぜ直流にこだわったかといえば、エジソンは数学の基礎が弱く、交流の原理面を理解できなかったからとも言われている。

 子供に現在の学校の勉強をきちんとすることが、大発明につながるということも、教えるべきであろう。

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2007年7月30日 (月)

幾何学への3つのアプローチ

 前にも書いたが、小平先生の幾何への誘い (岩波現代文庫―学術) では3方向からの幾何学の説明があった。http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_e4bc.html

 一つは、昔からのユークリッドの公理系、もう一つは、ヒルベルトの幾何学基礎論 によるより厳密な公理体系、そして最後に「定規とコンパス」による実験的な学習である。

 ヒルベルトの幾何学では、「『点』、『線』と言う言葉を使わずに、『机』、『椅子』と言ってもよい」というぐらい、各概念を厳密に定義して、理論を展開している。このような、形式主義の立場は直観を損なうようで、個人的には好きではなかった。

 しかし、電気の歴史等をもう一度考え直してみると、「見えない世界との戦い」が技術の本質である。このような見えない世界では、形式的推論の力が大きく、それを部分的に見て検証する方式が、技術の進歩を支えていたと思う。このような状況を考えると、やはりヒルベルトほど厳密な議論が、有効ではないかと思う。

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2007年7月29日 (日)

電子工学技術者の変化の応援

 日経エレクトロニクスの最新号を見て、考えることがあった。NEチュートリアルと言う技術者向けの教育記事で、
 モーターの等価回路
を教えていた。従来の常識からいえば、モーターは重電分野であり、”エレクトロニクス”の雑誌では、取り上げるべき分野ではなく、ブラックボックスとして使う分野と思う。

 しかし現在の制御技術は、このような分野まで、電子回路設計者や組み込みソフトウエアの設計者が、関わることを求めている。これは技術者に厳しいものがあるが、このようにサポートする体制が出来ているのも、電気系の利点である。

 電気の分野は、数学的要素での記述が確りしているので、機械等と比べても、後から勉強するのは比較的楽と思う。それに対して、学会や日経エレクトロニクス等のサポートが動き出したのも頼もしいと思う。

 日本の物造りもまだ進みそうに思う。

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弘法大師のご遺徳をもう一度

 昨日の新聞で、種智院大学が、仏教学部の名称を変更して人文学部にすると言う記事を載せていた。記事のホームページは、以下を参照して欲しいが、大学の生き残り作戦と言う、とらえ方であった。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200707280066.html

また、同大学のホームページは、ここである。

http://www.shuchiin.ac.jp/

さて、ここで

 「本学のルーツをたどると、弘法大師創設の
  『綜藝種智院』に至ります。」

と言う記載を見て、一寸待ってそんな浅薄な話しで済ましては、お大師様に申し訳が立たないという気がした。日蓮宗や浄土宗系の大学ならともかく、弘法大師の伝統を引く大学なら、人文科学は言うまでもなく、工学部や経営学部を創設しても不思議ではない。

 まず、現在我々が使っている五十音の表は、弘法大師が作ったという説がかなり有力である。なぜなら、50音は母音・子音の区別が確り判らないと構築が難しい。これは、サンスクリット語の知識があり、その他の言葉を使いこなし、しかも真言での発声法も身に付けた、弘法大師以外では、あの時代では、とても出来そうにない。つまり、弘法大師様は、その当時の世界最高の言語学者であったのである。

 一方、満濃の池の工事と言う大プロジェクトを成功させた、土木技術とプロジェクト管理力は、工学部と経営学部の先祖といえるであろう。話しは少しそれるが、聖徳太子も『大工の神様』と言う伝承もある。

 このように、日本思想史上の2大巨人が、工学系等での指導者であったことは、明治維新後の日本の工学教育の推進に、潜在的な支えとなったと思う。一言指摘すると、ヨーロッパでは、工学部の地位は低く、東京大学の工学部が世界初の総合大学の工学部であった。

 種智院大学には、お大師様の遺徳を継ぐべき立場として、小さく閉じこもって欲しくないと思う。

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2007年7月28日 (土)

なぜ書くのか

 文章作成の資料について考えていたが、基本的な問題を見落としていたことに、気がついた。それは書く目的の以下の2側面である。

1.自分の考えを、引き出しまとめること
2.人にわかってもらうこと

 文章作成の教材を考えるとき、つい2.「の人にわかってもらう文章」を中心に話しをしてしまう。しかし、考えがまとまっていない状況で、文章を書くのは非常に苦痛である。そこで、とにかく自分の思いつくことを、形式にこだわらずに書いてみる。短い断片でもかまわない。書いたものは、読み返し評価することが出来る。そして新しい発想もでてくる。

 現在は、ブログなどの道具も使えるようになって、便利になっている。私も思い付きをここに書いておき、あとで検索して使うこともある。

 このような材料が出来てから、人に見てもらうように、判りやすく整理して文章を作製する。人に見てもらうように整理することは、自分の考えがよくまとまり、不十分な点の再認識ができる。

 また人から反響があると、自分に自信が出来、さらに良い文章が生まれるようになる。インターネットの環境は、このように文章力を育てるすばらしい効果がある。

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2007年7月27日 (金)

宗教対立の怖さ

 タリバンが人質を釈放する、しないというニュースを見た。イスラム原理主義とキリスト教の関係者と聞くと、これはもうだめなのかなと思う。

 宗教の対立は、非常に怖いものがある。それがないのは、日本だけではないか。ここまで書いて、もう一つ凄い国があったな、と思い出した。

 それは、空海が遣唐使で留学した時代の”唐”である。回教、景教と色々あった。そういう意味ではやはり日本の先生は、唐にあったのかもしれない。

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2007年7月26日 (木)

インド式計算術の教え方

 インド式計算術を一寸ためしてみたが、これを子供に教えるタイミングと、説明方法が難しいと思った。

 まず小学生に、掛け算や割り算と同時に教えるのはどうであろうか。確かに計算は、速い時には速くなると思う。しかし本当に、効果を出そうと思うならば、2桁の九九(?)を覚える必要がある。そこまでするのかとの感じもする。ただし、集中力や忍耐力を養うのによいかもしれない。

 さて、中学生に教えることはどうであろう。これには、別の効果がある。記号式での因数分解を学んだ後、実際の数値に適用するのは、インド式計算が有効である。このような実例での適用を考えることは、抽象的な記号から現実の数値の世界に下りる効果がある。使える数学と言う経験は、価値がある。

 また、インド式計算の説明は、計算過程の数値をにらむと、納得がいくことが多い。このような実際の数値を見て、規則性を見抜くのもよい経験であろう。

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2007年7月25日 (水)

数学における実験

 数学における実験的なアプローチがある。一つは、逆数学と言う分野で、「この定理を証明するのに必要な公理は何か」という発想で考えている。これは、無限との戦い方で色々な戦果を収めているようだ。

 しかし、もっと別の実験的数学がある。それは、定規とコンパスで描く、幾何学である。自分の手を動かしながら作画し、その上で共通的な性質を考える。これこそ図形に関する実験的な対応だと思う。

 実験と言うのは、抽象のハシゴを上下するものだと考えれば、手を動かして図形を描く方が、実験的な数学にふさわしい。

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2007年7月24日 (火)

一般意味論とクリティカルシンキング

 哲学思考トレーニング を読んで、思考と行動における言語に書いている、「一般意味論」との共通点を、再認識した。

 クリティカルシンキングの「厚い記述」は、一般意味論の言う「抽象のハシゴを下る」と発想は同じである。また、排中律を使う、2分法に対する注意も同じである。

 50年前の、一般意味論をもう一度見なしてみるのも、面白いと思う。

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2007年7月23日 (月)

中国産の食品が危ない理由

 「ダンボールで作った食物の件は、やらせだった」と言う話しだが、「ダンボールを肉に化けさせる」と信じてしまうわれわれが怖い。

 このように信じる裏側には、今までの中国に対する行動があるのではなかろうか。今まで、安いものを作るといえば、「中国で安い人件費で作らせる」と言う発想する向きがあるのは否定できない。

 このように安くつくれといじめられていると、某建築士のようにどこかで、手を抜くようになる。

 やはり人間関係は、相互に尊敬がないといけないと思う。なお、職業に貴賎を付ける儒教も、何らかの悪さをしているように思う。どのような仕事でも、仕事に誇りを持たせる仕組みがないといけない。

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2007年7月21日 (土)

幾何学に関して

 小平先生の幾何への誘い (岩波現代文庫―学術) を読み、幾何学について、もう一度考えなおすことになった。

 この本では、幾何学をまず、ユークリッド系の公理体系と、ヒルベルト系の公理体系に分類している。そして、ユークリッド系の公理体系の教授法として、論理で考える方向と、定規とコンパスの実験で考える二つの方向を示している。特に、定規とコンパスの実験と言う、理科に近い幾何学と言う話しには盲点を突かれた。

 一般意味論的に言えば、ヒルベルトの幾何学は、抽象のハシゴを、一歩も降りずに、理論世界だけで話しをしている。ユークリッド幾何学は、図形と言う具体的なものに、抽象のハシゴを降りることが出来る。一方、定規とコンパスを使うことで、操作的な定義を与えることも出来る。

 このような定規とコンパスの世界から離れるだけでも、理系離れは促進しているように思う。 

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2007年7月20日 (金)

今朝の新聞記事で思う

 今朝の新聞に、彦根市長と週刊新潮の損害賠償裁判の記事が載っていた。記事は、『彦根のバカ市長』と言う表題らしい。

 今回は、市長側が敗訴したらしい。確かに、品位を書く記事だが、このような記事に対して、裁判で訴えるというのは納得できない。

 政治に対する批判は、できる限り時自由にすべきと言うのは、民主主義の基本と思う。

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2007年7月19日 (木)

インド式計算術 割り算について

 このブログで一番人気があるのは、『インド式計算術』関連らしい。それで、調子に乗って、もう少し書いてみる。今度は少し難しくなるが、割り算について考えてみたい。

 割り算の簡単化は、まず割る数の最下位が9である3桁の数での計算になる。例えば、73÷139とする。この答えは、0.525…となる。

   0.525
   --------
139)730
   695
   -----
    350
    278
    -----
     720
     695
    ・・・・・

 これを簡便化するため、73/14×1/10としている。

 まず、73=5×14+3 となる。まず小数点下1位は0.5と出た。
 しかし、140と139の違いがある。そこで30の下に上の商5を追加する。

 そして35=2×14+7 として、同様に計算する。

 さて、139で割る計算したとき730ー>350->720・・・と出てきた。

 この数字を、一桁少なくして作る工夫が、14で割った余りを10倍し、商を下の桁に追加していく工夫である。73ー>35->72・・・

 これを、記号で計算するのは難しいが、具体的な数値で見てみると、直感的に納得する。具体的な数値で、手を動かすのも大切だと思った。

 なお、全ての数向けの割り算は、上位の2桁で割り、快の2桁で補正するなどの手法をとっている。これも数字を実際にいじると比較的容易に納得できそうである。

 今の日本の数学は、少し抽象的な記号に走り過ぎではと思った。

 と言っても、単純な百枡計算よりは、工夫を考える計算をして欲しい。そこで、インド式計算術が注目されているのでは、と思う。

 

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2007年7月18日 (水)

思考と行動における言語について

 前から気になっていた、一般意味論の名著、『思考と行動における言語』の要約を、関連ホームページにおいた。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/Shikou.htm

一般意味論に関しては、ゆっくり議論したいが、このブログの原点である、「使える知識」の良い見本と思う。

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2007年7月17日 (火)

日経エレクトロニクス最新号から

 最新号の日経エレクトロニクスに面白い記事を見た。ホンダが、車自体を分散センサとする、研究をしているとの事である。この前の台風での大雨などについても、多くの場所を走る車をセンサーとすれば、現状より一回り異なる、気象情報システムが出来そうである。

 それ以外にも、チュートリアルの記事も面白い。この記事を読むためには、数学の基礎がかなり必要である。前にも言ったが、エレクトロニクスの分野では、数学の基礎が必要である。言い換えると、大学卒業の値打ちが大きく出る分野である。お母さん方、子供の進学先は、電気系が有利ですよ。(笑)

http://bpstore.nikkeibp.co.jp/mokuji/ne956.html

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2007年7月16日 (月)

インド式計算術について再考

 先般書いた「インド式計算術」について、一寸本を買って読んでみたら、色々と面白いことを、再認識した。まず私が買ったのは、

インド式秒算術 インド式秒算術

著者:P・クマール
販売元:日本実業出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

であるが、まず著者が面白い。いわゆるMBAの取得者である。日本のMBA取得者は、まず理論的な話しをし、数値ならEXCELあたりで、簡単に計算するであろう。ところが、この本の前書きでは、計算を速くする効用として、
 ・経営学修士(MBA)や大学院共通入試(CAT)の
  受験対策として有効
と書いている。このような実際の数値での手計算を、重んじる所が現在のインドの経済発展を支えていると思った。

 歴史的に見れば、この計算は古来インドの『ヴェーダ』に由来する。インドは、ゼロによる数値表現を発明した国であり、われわれが学ぶ前の、整理がされていない計算法から、多くの工夫が生まれたものと考える。

 そこで、我が国の計算法を考えてみると、直ぐに思いつくのが、『ソロバン』の存在である。数値の特性に対して、思惟をめぐらせ、精巧な計算法を編み出すインド文明と、適切な道具を用いて、処理を高速化する、日本文明は基本的に異なった立場である。なお、ソロバン&計算尺から電卓に移った時点で、ブラックボックスが増えすぎておかしくなった副作用があるが、これは別途述べたい。

 さて、インド式計算術の本質は、具体的な十進数値の特性を、個々に調べて、その特性に合わせた計算を行うことである。例えば、5という数字は二倍して10にすると計算が楽になるなど・・・
 これは日本数学の先生に言わせれば、「単なる応用だ、重箱の隅をつついて、喜んでいるだけ」という非難が飛んできそうだ。

 しかし、このような数値の本質的な特性を見抜く力は、魔術師といわれた天才数学家シュリニヴァーサ・ラマヌジャンが、発揮している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3

 道具に頼るわれわれの文明と、別の考えがあるということを、もう一度考え直したい。なお、昔(1970年ごろ)ソ連の計算機プログラムのあまりにも巧緻な構成に感嘆したこともある。欧米文明は、機械に頼りすぎ、人間の工夫を少しおろそかにしたように思う。

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2007年7月15日 (日)

[脳力]の未来を探る

 今朝の朝日新聞の、「シンポ『脳力』の未来を探る~ヒトの脳の勝負どころは?」の記事では、将棋の羽生善治氏の基調講演「決断力を磨く」の講演が面白かった。

 要点をまとめると以下のようになる。
 1.名手は多く読むのでなく、3手ぐらいに絞り込む
 2.大局観を使うと流れがわかる、経験が大切。
   ただし、経験を積むと迷う。的確な判断が重要。
 3.局面を絵として見る、手順のリズムを感じる。
   引き算で、思考を削るのが重要。
 4.コンピュータは計算力が強い。1年で処理を増やす。
   人間の逆だが、人間のような価値観を付けるか、楽しみ。

このような大局観は、ポランニーの言う『暗黙知』にも通じるものと思う。 

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2007年7月13日 (金)

一般意味論の見直し

 昔読んだ本を整理していたら、S.I.ハヤカワ著の「思考と行動における言語」が出てきた。内容はもう一度整理したいが、まずは序から、参考になる話を抜き出した。

 ハッキリと考えることを学び、より有効に話し・書くことを学び、より高い理解をもって聞き・読むしかたを学ぶーこういったこそこそ、中世の学塾の時代から今日の高校・大学での国語科にいたる言語学習の目標である。

 これは、日本の国語教育に対して一度、真剣に見直して欲しい。私の経験では、高校時代に、変な”文学中年”に“反体制的”な、文学的な”美意識”を押し付けられたように思う。 

 また次の観点も、目から鱗である。

 意味論の土台にある倫理的仮説は、「協同は衝突よりも好ましい」である。

 さらに、意味論の本はただ読んで捨てられるべきものではない。その原則は、意味あらしめるためには、自分の考え、話し、書くことと行動でためされ、自分の観察と経験で検証されなければならない。

 知識の活用の本質と思う。

思考と行動における言語

著者:大久保 忠利,S.I.ハヤカワ
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年7月12日 (木)

哲学は実用的か?

 英米の哲学者は実用的な検討を行うらしい、従って哲学の出身者は、広範囲な観点で検討できる人材として、重宝されているらしい。

 これを見て、一寸びっくりした。日本の哲学者は、難しいことか、変なことを言うのが職業と、先入観があったからである。

 しかし今朝の朝日新聞で、臨床的な意見を言う哲学者の立場が、載っていた。学問の実用化という観点では望ましいと思う。少なくとも、三枚目の役を演じる、某女子大の教授よりはましだと思う。

哲学思考トレーニング Book 哲学思考トレーニング

著者:伊勢田 哲治
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年7月11日 (水)

褒めて育つ条件

 近頃、若い人たちは、
  「私は褒められて育ちます」
ということが多い。褒められるには、それだけのことを、してもらわないと困る。しかし、実際は褒めて育てる手もある。その場合、以下の二つの理由がある。

 1.人間は認められた環境では、十分な力を発揮する
 2.人間の成長は、単調ではなく、行きつ戻りつする

 特に、2番目は大事である。新しいことを自分のものにするとき、不安定ながらできることがある。その時それを指摘することは、不安定を安定にする、大きな要素である。このような、育て方では、褒めて育てる、本当の効果が出ると思う。

 これは、『弓と禅』の中でも、よく出ていた。

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2007年7月 9日 (月)

『空気』に関する補足

 前に、山本七平氏の『空気』に関して、書いたが、慶応大学の伊藤陽一先生が、「政府・マスコミ・世論の三極関係」と言う形枠上で、上手く整理していた。

 3極の内、2極が一致すると『空気』が発生する。

 忘れないうちに、記録しておく。

http://www.mediacom.keio.ac.jp/publication/pdf2006/kiyou56/kojin/ito-yoichi.pdf

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2007年7月 8日 (日)

大学への期待(補足)

 先ほどの記事に関して、少し誤解を招く面があるので、補足しておく。前の記事では、「就職に必要な専門性」を、学校で教えて欲しいような書き方になってしまった。

 私の本意は、
  「学校での経験で狭い専門にこだわるのが困る」
と言うことである。極端な話、
  「自分が学校でやってきたことが使えないような、
   仕事をさせる会社が悪い。」
と言うパターンがある。

 ここで、学校でして来たことが、本当に世界の最先端の研究であり、企業の技術がついていっていない場合には、こういい言い方をされても少しは諦めがつく。それでも、生産設備の追従性や、大量生産に似合うだけの安定性など言いたいことはあるが・・・

 本当に困るのは、ごく狭い範囲の、部分改良や他の研究の応用例としか見えない成果を持って、これで専門家だと言う場合である。この場合、
 「企業の立場では、国際競争力が重要であり、
  世界の先端と勝負する。」
と言う当たり前の議論が通じないことがある。つまり、
 「自分のレベルの成果を褒めない会社が悪い」
と言う論法である。

 私の経験では、世界の最先端の研究で、火花を散らした経験者は、他の分野に展開しても、良い成果を出せるものである。繰り返して言うが、大学の研究は自由に進めて欲しい。ただし、就職時にそれを押し付けるのは、困ったことになる場合がある。

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学校と就職

 このごろ、「良いものを作れば売れる、と言う発想はもう古い。」と言う話はよく聞く。そこで、学校の就職問題について、これを考えてみた。

 ・この学生は良く勉強した。
 ・良い研究をした。
 ・部活でしっかりしていた。

 これは「全て、良い学生だから採用しろ。」と言う発想である。確かに、『人材』を、供給すると言う発想では、成績の良さは『素材としての良さ』を示している。しかし、現在の学生の採用に関しては、『専門性を活かせ』と言う発想がある。

 そう言う発想では、就職先の要求に本当に応えているのであろうか?

 確かに、工学系では『自己完結の調査能力等』を求めて、『修士課程』修了者を採用する。しかし、学生時代の専門的な研究は、企業の求めるような分野ではない。そこで、「専門性を活かせ」と言うならば、もう一度「企業の求める専門」とは何か、考えてもらいたいと思う。

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2007年7月 7日 (土)

インド式計算術関連でもう一言

 前に2回、インド式計算術について書いたが、もう一言付け加えたい。前の話では、単にルールを知っているだけということの、危険性を指摘した。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_7cfe.html

 しかし、このようなルールが、より深い知識への、動機付けになる可能性も否定できない。ある意味の"背伸び"をすることも、人生の一時期には必要かと思う。危険性は、危険と言うことを認識していると大分薄くなる。

 なお、本当に”背伸び”が”自力”に変化する為には、このルールについて悩み抜き、良く記憶しておくことが、色々なヒントを呼び寄せると思う。

 ある意味で、悩ませることは、教育の一つの方法である。禅でも、公案により"大疑団"を引き出すと言う。現在の分かりやすい教育に対し、背伸びで悩むことも良いことかもしれない。

 なお、インド式計算術について、最初にかいたのはここです。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_e2d6.html

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2007年7月 6日 (金)

大学院について

2005/7/5付け朝日新聞の、『私の視点』は、工学院大学の長谷川文夫教授の
 「大学と企業 博士号の数にこだわるな」
を、やっとこの話が出たと興味深く読んだ。色々な側面があるが、まず日米の大学構造の違いは、自分でも知らなかっただけに、目から鱗の感じがした。

 米では、修士は1年で、授業による知識付与が中心である。従って、独自で調査・研究できるレベルは、博士課程修了でないといけない。一方、日本の場合は、修士課程で独自で調査・研究が出来る力がついている。博士課程は、この力を深めるため、独自の領域にこだわってしまい、企業では使いにくくなっている。

 さらに、長谷川先生は、大学教授の成果を達成する手段として、研究室の大学院生に依存している部分が大きい点を指摘している。このため、ある程度の博士課程の学生を確保する必要がある。

 この点について、厳しく言うと、研究成果のためには、必要な人材を有給で雇うべきであって、"院生"と言う学生の形をすべきではない。しかしそのためには、本当の研究に絞り込む必要がある。これを厳しく議論すると、どれだけの大学研究室が、生き残れるのであろうか?

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2007年7月 5日 (木)

ノイズの働き

 一昔前の電子工学や通信工学では、ノイズの対策が重要な目標であった。しかし、現在の技術では、ノイズ対策が進んでいるように思う。

 ノイズ(=雑音)とは、広い意味では、設計者の意図しない信号である。つまり想定外のものである。従って、設計物の動きに不安定さがある場合も、ノイズと言うことになる。従って、設計及び製造技術がすすむにつれて、このような曖昧さによるノイズは少なくなる。例えば、昔の増幅回路は、個別トランジスタで実現していたので、温度変化などの影響で増幅率も変化していた。しかし、集積回路技術の進化で演算増幅器が容易に使えるようになり、フィードバック増幅器として、安定した増幅率を得るようになっている。

 その他、電波放射や伝播などの雑音に関する知見も増え、雑音対策も増えてきている。従って、昔の無線回路ではS/N(信号雑音比率)で20dBなど常識であった。しかし我が家のADSLのS/Nを図ってみると5dB程度であり、それで合格となっている。

 これだけ、余裕が少ないと言うことは、省エネルギーに貢献しているのは間違いはない。しかし、想定外の状況には、弱くなっているように思う。

 なお、人間生活でも、現在は”想定外”の事態に弱くなっているように思う。何でも、コントロールできると思っているので、余裕がないと思う。実世界に対応するには、余裕も必要と思う。

 

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2007年7月 4日 (水)

20000アクセス突破について

 このブログのアクセス件数が、20000を越えていた。2006/1/2に開設してから1年半で達成した。これより早く多くのアクセスを得る人も多いと思うが、自分としては、これだけアクセスを増やせたと、満足している。

 このブログを開設した当初は、読んでもらえる人は少なかった。その後、アクセス解析ツールが確りしてからは、どのような内容がアクセスを増やすかについて、少し知恵がついたように思う。近頃では、『インド式計算』で、アクセスを稼がせていただいた。

 今まで、いろいろな出会いがあった。残念ながら、ブログの初期に見ていただいた方が、自分のブログを閉じられたこともある。しかしまた新しい出会いが増えている。何はともあれ、このブログを見ていただいた皆様にお礼を申し上げます。

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2007年7月 3日 (火)

電子ピアノについて

 7/1付けの朝日新聞で、電子ピアノの特集をしていた。そこで目から鱗だったのは、低音の領域では、グランドピアノの弦の長さに限界があり、弦を重くすることで、低音を引き出すと言うことである。

 現実の世界で実現できないものでも、電子の世界では実現できる。このような実例を、身近に感じることが出来た。

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2007年7月 2日 (月)

電子工学の希望者減について

 現在、子供の理系離れと言う議論が出ている。電気・電子系の志願者数の低下も、色々と議論されている。しかし、歴史の歯車を少し昔に回してみた。

 昔は、子供の科学への志向は、まず「鉱石ラジオ」、そしてもう少し上の「レフレックス方式ラジオ」・「スーパーヘテロダイン式ラジオ」と進み、アマチュア無線の送受信機を自作すると言う、一つの道があった。その外にも、ラジコンや鉄道模型の道もあったが、アマチュア無線の子供に占める地位は大きかったと思う。

 例えば、誠文堂新光社の出版では、まず中学生レベルの『子供の科学』には『簡単なラジオ』の記事が一つはあり、その上位の本として、『初歩のラジオ』があった。また、『模型とラジオ』や、CQ出版社などの、アマチュア無線向けの入門書も充実していた。

 しかし、現在は『ラジオ作り』の地位が相対的に下がり、これに変わる子供の電子・電気への道が弱くなっているように感じる。確かに、携帯電話とインターネットの普及では、アマチュア無線の地位は下がったように思う。そこで『物造り好きな子供』を引きつけるのは、ロボットであったリ、飛行機作り、凧作り・・・と言う風に、物が見える世界を向いてしまう。

 本来電気・電子の世界は、『見えない』と言うハンディを背負っている。従って子供への普及は本質的に難しいはずだが、昔はアマチュア無線のおかげで、裾野が広がっていた。これに変わる普及のアイデアが、本当に必要ではなかろうか。

参考1 日経エレクトロニクスの問題意識http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20060125/112689/

参考2 現在の子供の科学他

http://www.seibundo-shinkosha.net/

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2007年7月 1日 (日)

憑神を読んで

 

憑神 憑神

著者:浅田 次郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 『憑神』を読んだ。確かに面白い。ただし、著者の言いたいことの一つである、「負け方の美学」には納得するものもあるが、考えてしまうものもある。

 確かに、戦いは両者で行うものであり、負けたと納得することは重要である。そういう意味では、アメリカがイラクを激しく攻め優位に立った時、イランから和平への申し出でがあったと聞く。イランの指導者の立場に立てば、この時の講和なら、国民を納得させることが出来たであろう。

 このように相手の国のことまで、考慮して進めるのが本当の外交である。そういいう意味では、現在のブッシュ政権はお粗末としか、言いようがない。

 皮肉な見方をすれば、第二次世界大戦のチャーチルの、日本に対する"好意"を見て取ることも出来る。欧州戦線で苦戦中のイギリスは、アメリカを参戦させようとして、種種の方策を練っていた。その一つに、三国同盟の日本が、アメリカに攻撃したら自動的に、アメリカも参戦する。ということで、日英同盟の伝統ある我が国は、真珠湾を攻撃した。さて、これで日本は用済みになったので、すぐに降参させるべく、新鋭戦艦『プリンスオブウェールズ』を日本に派遣し、艦隊決戦で屈服させようとご高配頂いた。

 しかしながら、日本海軍は艦隊決戦を避けて、航空機攻撃でこの船を葬ったのは、歴史の示すとおりである。その後の日本の、政治指導のお粗末さは言うまでもない。ブッシュ政権よりお粗末であろう。

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インド式計算術に関して補足

 先日もインド式計算術について書いたが、もう少し補足しておきたい。一寸本屋で立ち読みしたが、計算の簡略化を幾何図形の面積などを使って、上手に説明していた。

 個別ルールによる対応は、ラスムッセンが言うところのルールベースの動きでしかない。これを知識ベースに進めるには、やはり代数学のレベルまで進まないと難しいように思う。逆に、中学の因数分解の知識を得てから、このような計算の簡略化で使い込むのは、今までなかったように思う。その意味では、インド式計算術は大切だと思う。

 ここで、知識の功罪に関して、もう一度考えて見たい。単に、ルールを知っているだけでは、邪魔になる知識も多い。私の経験でも、無限数の対応と言う知識を中途半端に知っていたので、かえって実数の濃度が理解できなかったことがある。

 本来の学問の行う者は、自分の知識に疑問を持ち、本質の追求にいたる力を持たないといけない。しかし、現在は、安易に正解を求めすぎるので、本質追求に耐える、忍耐力などが薄くなったように感じる。

なお、ラスムッセンの、スキルベース、ルールベース、知識ベースの3レベルは、このホームページを参考にして欲しい。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/ninchi.doc

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2007年6月30日 (土)

模型での伝承と紙での伝承

 テレビの旅行番組で、「ギリシャの人が孫のために船の精密模型を作る」と言う話を放送していた。細部まで良く出来ている模型であった。この模型は、神への捧げ物と言うことであった。

 しかし、物作りの観点で考えると、これは船作りの技の、優れた伝承方法と思う。大きな船を、簡単に作るわけには行かないが、模型の細部で必要な形や、からくりを伝えることが出来る。

 現在の我々なら、直ぐに設計図での伝承と言うことを考えてしまう。しかし、昔のヨーロッパでは、紙は羊皮紙で貴重品であった。そのような状況では、木材から作る、模型のほうが、比較的容易に作れたのかもしれない。

 現在の『物造りの目ー先入観』に惑わされてはいけないと思った。

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2007年6月29日 (金)

回転寿司の位置付け

 一寸テレビを見ていて思ったが、回転寿司と言うものは、寿司の原点かもしれないと思った。江戸時代などでは、寿司の立ち食いは庶民の食事であった。

 現在の寿司屋の雰囲気は、何か近寄りがたいものがある。
  最初は隅っこのテーブルでおとなしく食べていて、店の人に
  「そろそろいかがです」と声をかけてもらって、ようやくカウンター
  に座ることを許される。
とまるで、京都の老舗みたいな敷居の高さを感じていた。

 そこで誰でも入れるようにした回転寿司の貢献は、大きいと思う。

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2007年6月27日 (水)

インド式計算が流行っている

 今朝テレビで見たが、インド式の計算術と言うものが、ブームらしい。

 テレビでは、
  75×75
を暗算で行う方法と言うのをやっていた。ちなみに答えは、5625である。

 確かに私でも、この場合のスピード計算は、いくつか直ぐに思いつく。

 例えば、(100-25)×(100-25)で計算してみよう。
   10000(=100×100)-5000(=2×100×25)+625(=25×25)
ここで、25×25=625は既に暗記している値である。インド人は2桁の九九を覚えていると言う。そうでなくても5のべき乗は、4乗ぐらいまでは何とか覚えている。

 別の方法では、
       (70+5)×(70+5)=4900+700(=70×2×5)+25
と言う戦法もある。

 インド式計算法の本も読まずに、このようなことを書いてはいけないが、どうもこのようなテクニックばかりが一人歩きするのは、危ないように思う。この場合は、数式の因数分解を考えて
   (A+B)×(A+B) =A×A+2×A×B+B×B
の適用でしかない。ある意味で、このような公式の応用が出来れば、すばらしい能力になる。

 知識の上滑りは怖いが、本質を理解した応用は、本当に力になる。その切れ目を越えるかどうかが、重要である。 

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2007年6月26日 (火)

今S&Mが流行っているらしい

 あるところで聞いたが、今『S(サディスト)系』のタレントにも人気があるらしい。これで一寸思ったが、現在の若い人たちは、余りしかられたことはないらしい。

 そのため、このような女王様に叱られる事を、求めてバランスをとっているのかもしれない。

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2007年6月25日 (月)

思考の道具としてOffice

 近頃発想法に、図によるものと、文章によるものとがあると、つくづく思うようになった。昔の自分は、文章で考えて補助的に図を描いていた。しかし近頃は、図を先に書いたほうが、全体を見通すことが出来て、発想が安定するように思うので、できるだけ図を描くようにしている。

 しかし、パソコン上では、どうも文字に頼ってしまうことが多い。特に文書作成のソフトであるwordを使っていると、文字に頼ることが多い。

 一方、Power Pointを使うと、クリップアートで少しは絵が出てくる感じもする。逆に、文章は、キーワードだけのぶつ切り表現になることも多い。

 思考の道具に、思考が使われていることを、意識しないといけない。

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2007年6月24日 (日)

エスペラント語について思う

 エスペラント語の地位は、近頃どうなったのだろうか。このごろは、インターネット環境は英語が主流になっているので、実質の国際語になっている。ただし、文法などは大分簡略化している感じがあるが、英語には違いない。

 さて、エスペラント語はどうなるのであろうか?現在これだけ、ネット上の情報財産が英語で蓄えられていると、英語の地位は動かないと思う。さらに突っ込んで考えれば、言語の伝達に欠かせない共通的な意味が、エスペラント語は現在の状況にあっているのであろうか。インターネット環境に合うかどうかも、気になるところである。

 言語の表現だけでなく、意味の共有化も考える必要がある。

 そう思っていたら、本日の題名のない音楽会で、大阪で開催の『なみはや国体』の行進曲を、大阪の吹奏楽団が楽譜を渡されただけで、完全に演奏したと言う話があった。大阪のイメージの歌を、大阪人が演奏すると言うことで、イメージが完璧に共有化できたと思う。

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やりがい議論について

 本日の朝日新聞A・STAGE の「本当のやりがいはどこに?」では、企業側を攻撃されていた。東大大学院の本田准教授の言う所では、まず企業は、『やりがい』を若い人たちに与えていない。そこで、若い人たちは以下の水路に流れると言う。
 1.趣味性 2.ゲーム性 3.奉仕性 4.団結

 本田准教授の意見では、「企業は給与を抑えるために、『やりがい』と言う美名で若い人をこき使い、可能性の芽を摘んでいる。」ということらしい。

 確かにそのような一面はあるかもしれない。しかし、公器である新聞の紙面で、
   「企業は若い人を育てる力がない」
等と決め付けられるのは、納得がいかない。

 私達は、企業の中で、『大学でフーリエ級数を使って卒業論文を書いていても、各係数の意味を説明できないような学生』でも受け入れて、きちんとした製品作りを教えて、一人前の技術者に育てるのに、苦労しているのである。また、完成した製品を通じた『やりがい』を与えることも、常に考えていることである。

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2007年6月23日 (土)

責任のありか

 あるところで議論していて、内部統制(会社法)の話と、暴対法はどちらも、トップの責任を追及する点では同じ、と言うジョークがでた。

 しかし、日本の責任は見えにくい。ある意味で、和を重視する意思決定法に、本質的な違いがあるような気がする。曖昧な良さもありそうだ。

 これはまだもう少し考えてみたい。

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2007年6月22日 (金)

ディジタル回路の変化

 日経エレクトロニクスの最新号を見て、自分の認識を変える必要が生じた。自分の考えでは、ディジタル回路は、0,1しかないので、雑音に強いと思っていた。

 しかし現実の回路では、ディジタル部分も微妙な差で識別しているし、ディジタル化する前のアナログ部分も、精度の高い計算を行っている。その結果雑音には、かなり弱くなっている。

 現在のディジタル回路は、処理の柔軟性のために使うのであり、雑音には強くないと再認識した。

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2007年6月21日 (木)

フィールドワークの効率化

 先日の続きで、フィールドワークの効率化について少し述べたい。
   「先入観を持たずに虚心に現実を眺める。」
これは大切であるが、実際には
   「先に仮説を持って、情報を収集する」
方が、焦点を絞りやすく、効率的な調査が出来る。

 ただし、ここで大切なことは、
   「自分の仮説に不都合な事実に目をつぶらない。」
ことである。自分に反論するものに目を閉じるのは、独裁者や狂信者のやり口である。

 科学的な態度は、
   「仮説は仮説と認めて、反論に対してもまじめに対応する。
    厳しい反論に耐えたものこそ、真実の可能性を認める。」
態度である。このような姿勢なら、仮説の先入観の弊害もやわらげることが出来る。

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2007年6月20日 (水)

フィールドワークのデータ整理

 フィールドワークのデータを整理する場合に、昔文化人類学者の川喜田二郎氏が考えたKJ法が有効とされている。しかし、KJ法の手法は、簡単に身に付けることが出来るものではない。単純にカードを使って、類似項目を並べるようなことでは、KJ法とはいえない。

 それより、フィールドワークで調査した項目を、カードかルーズリーフなどのばらしやすいものに書いておく。そのあと、記述内容を良く考えて、その行動をとった人の気持ちになり、その原因を考える方が効果が大きいと思う。

 特に、人間は本来合理的であり、非合理に見えるのは、見ている人間に見えない要素が何かあるからである。思考方法かもしれないし、メンタル内のモデルかもしれない。昔の経験かもしれない。大切なことは、このような理性的な要素を探す気持ちになることが重要である。

KJ法のホームページはここです。

http://www.kj-method.jp/

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2007年6月19日 (火)

足で稼ぐことか技術の利用か?

 あるテレビで見たが、近頃の警察は携帯電話保有者を突き止めたり、技術的な進歩が進んでいる。しかし、足で稼ぐことが弱くなっているらしい。格闘能力にも?がつくが、この部分は別途議論したい。

 この話どこかで聞いた覚えがある。一部のシンクタンクでは、一時数学的手法に傾いて数学出身者を集めたが、今では、フィールド調査を確りする,文化人類学出身者を集めていると聴く。

 亦ある大学生に聞いた卒論の研究も、現地での聞き取り調査が重視されているらしい。大学の動きも、世の中の動きに合わせているなーと思った。

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2007年6月17日 (日)

認められることで成長する

 近頃対人スキルや、コミュニケーション力が重要と言われている。関連して、エンカウンターグループの手法が、教育の場などでも注目されている。エンカウンターグループは、カウンセリング手法の基本である、来談者中心療法を考え出したカール・ロジャースが、晩年に健常者に適用するために考えたものである。ただし、運営役のファシリテータの能力が高くないと失敗することも多い。そのため、比較的容易な方法として、課題を与える『構成的エンカウンター』が色々提案されている。

 さて、ここからは私の独断であるが、人間の行動は色々な範囲で振れることが多い。その中で、偶然的に良いことをしていることがある。しかし残念ながら、本人はそれを意識していないことが多い。それを意識させることで定着させることが出来る。自分は、意識していなくても、他人の目には良く分かることが多い。このような目で人を見ていると、良い所が多く見えてくる。

 次に、他人の良い所を見出す訓練をしていると、自分自身の良い所も見えてくる。また、自分の良い所を見出してくれた人の良い所を見つけるのは、人間として自然な反応であろう。 

 このようなことが出来るためには、人の言っていることを聴くことがまず第一条件である。つまり、コミュニケーション力が強ければ、自分で成長できると言うことである。

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幅と深みについて

 先般の大学の企業の話に関して、もう一つ思いついたことがある。近頃、大学の"大先生"達が色々な本を出している。その中には、自分の専門の周辺から出している先生もいらっしゃるし、『この先生が、この分野に口出しできるの??』と思うような本もある。

 そこで素人の意見を言わせて貰うと、「ある分野で深みのある先生の意見は、専門外でも聴くべきものが多い」という面がある。

 ただし、現実の適用を考えるときには、ある程度の妥協も必要であるし、厳密化が過ぎて、高い可能性まで目をつぶるのも、困ったものである。

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大学の勉強と企業での活用

 私は企業に勤める人間であるが、色々な縁で大学の先生や学生さんと触れる機会がある。そこで、学校の学問を企業で活かす方法について、考えてみた。

 まず、就職活動中の学生さんには、以下のアドヴァイスを贈りたい。
  1.卒業論文は大切にしなさい。
    卒業論文のための、
    『先行研究調査・実験や実地調査・自分で考え・論文にまとめる』
    作業は、会社の仕事に大きく役に立ちます。
  2.学校で学んだ知識を、自分の経験などで裏付ける習慣を身に付ける。
    学校で学んだ知識は、適用限界・方法を誤ると、かえって邪魔になる場合がある。
    このため自分で、抽象的な話を具体的に適用する経験を積むことが役に立つ。
  3.自分の知識だけで、全てが説明できる訳ではないが、常に学びながら、
    知識の適用を考える。卒業後も勉強を続ける姿勢が重要である。
  4.会社での仕事は、期限が厳しいことを考える。スピードが重要である。
    状況では、決断しないといけないことがある。 

 また、社会人が大学に入って再度勉強する場合には、以下のアドヴァイスを贈りたい。
  1.大学の厳密な理論展開に、敬意をもって接しなさい。
    自分の仮説を検証する場合にも、反証可能性など厳密な方法論が、
    大学には蓄積されている。このような、暗黙知を大切にしなさい。
  2.包括的な議論より、決められた細部での確実な議論展開をする。
  3.大学の文明と企業の文明は異なる。企業は、現実への適用を重視する。
    大学は真理の追究を重視する。いわば、ヴィーコとデカルトの対決である。
    ただし、デカルトも言っているように、一度厳密な検討の深みを知ると、
    人間的に成長する。これは、企業に戻った時何らかの影響を及ぼす。

 このような、大学文明と企業文明の二つの暗黙知の対決で、悩む人もいるであろうが、深く考え対峙した人には,深みと広がりを身に付けることになると思う。

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2007年6月15日 (金)

マーケッティングについて

 一寸マーケッティングと言うことで、思い出した話がある。
  「2人の靴のセールスマンが、ある島に行った。
   その島の住民は皆裸足であった。」

 セールスマン1の報告
  「この島の住民は、靴をはかない。市場として不適切である。」

 セールスマン2の報告
  「この島の住民は、靴をはいていない。市場として大きく伸びる。」

 これは、ものを積極的に見るか、現状のまま見るかと言う、教科書的例題である。

 しかし別の面で考えると、今まで靴を履いていない人間に、靴を履かせるのは、一つの強制である。文明の侵略と言うべきかも知れない。本当に、相手のことを考えると、靴を履くことによる、水虫などのデメリットも考えないといけない。ひどい話では、島中に毬のある草をばら撒いて、靴を売ると言う話もあった。

 そのため、MBA教材などではWin-Winと言って、相手もよくなることを考えなさいと言っている。実際の仕事では、有限の時間で答えを出して、機会損失をしないための割りきりが必要である。一方、試験ででた場合は、相手の要求に合わせた、応え方が必要である。

 このような状況にあわせた割り切りは、不順とみなされるかもしれないが、環境対応性としては重要な能力である。そういう意味では、試験にも色々な含みがあるなーと再認識した。

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2007年6月14日 (木)

教育とは何だ?

 昨日に続いて、教育と言うものについて、少し考えてみた。結局、有限時間で教えて無限の可能性のある、現実に対応できるようにすることも、教育の一面である。このためには、一般性のある抽象的な表現で教えて、具体的な現実への適用は、各人に任せる方法である。

 このような教育についていくためには、抽象化して考える能力を、子供のころに身につける必要がある。例えば、鶴亀算で考えると、『鶴の足と亀の足』と言う道見ても同じに見えないものでも、『足』と言う共通点でまとめて考える必要がある。

 我々は自覚していないが、このような抽象化する能力を、小学校時代の優等生になるために、身に付けていたらしい。逆に、抽象化したものと現実の適応ギャップに、大人になってから悩むようである。一般意味論で言う所の『抽象のはしごを下る』必要がある。

思考と行動における言語

著者:S.I.ハヤカワ,大久保 忠利
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年6月13日 (水)

教育の方法

 教えると言うことについて考えてみた。まず、これで全部と言う形で教える。これは関連事項の最小公倍数という感じである。しかし有限時間で、全てを教えるのは難しい。その時には、核になる部分を教えて、後は応用を利かせるようにする。これは、最大公約数というべきであろう。

 しかしこれと別の見方があると、近頃考えている。一つは、処理を行う"プログラム"を教えると言う方法である。もう一つは、ゴールを教えて、達成手段は、自分で探させる方法である。これを、もう一つ進めると価値観を教えると言う話になる。

 もっと進めると、例を示してそこから価値観を抽出させると言うのもある。

 どれが良いかは、教わる方の能力に対応して決めるべきであろう。

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2007年6月11日 (月)

難しさを知ること

 前に書いたが、教員養成の専門の大学では、確りした教育実習校がある。そこできっちりしごいて、一人前の教師を育てることになっている。
  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_d8f3.html

 しかし、このような厳しい訓練で教師の仕事は大変と思い、別の道に進む人も多い。一方、出身校などでの実習は、赤本便りの安易なものとなり、教師への道を歩む場合が多くなる。

 しかしこれは教師の場合だけでは、ないような気がする。
 「学生時代にXXで卒業研究をしました。だから、
  私はXXには向かないと判りました。」
と言う若い人が時々いる。

 確かに私も若い時代は、卒業研究では壁に当たり、とてもこの分野では、やっていけないと考えたことがある。ある程度、専門的に調べると、高い壁が見えてくるものである。しかし、この壁が見えるのは、進歩の第一歩である。上っ面ばかり見ている人間には、壁が見えない。

 本当の強者は、壁を見つけて、乗り越えて、こそ生まれる。しかし近頃は、打たれ弱いというか、障害に会うと直ぐ逃げてしまう子が多い。

 就職活動においても、壁を乗り越えた経験を示して欲しい。企業が求めているのは、仕事に当たっても、逃げない"人財"だから。

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2007年6月10日 (日)

学問の効果

 サイエンス社の「メタ認知」A.L.ブラウン著が本棚から出てきたので、読み直してみた。
   第5章 記憶と知能と教授
が、特に気になった。ここでは、オルソンとブルーナーの研究として、『口伝えの文化』から『読み書きの文化』への移行が思考に関して大きな意味を持っている点に着目している。西洋流の学校教育による読み書きの伝統は、3つの力点
 1.言語の脱文脈化と形式化
 2.言語の修辞学的機能よりも論理的機能の強調
 3.特殊な経験より一般的で文脈的な規則の強調
がある。一方『口伝えの文化』では、韻文・謎・ことわざ・隠喩や金言に偏っている。

 確かに、『読み書きの文化』によれば、一般法則を見出すことが出来る。このように、一般化する姿勢が、学問の基本であることを再度認識した。

 ただし、少しこの本の主旨とは異なるが、『口伝えの文化』についても、色々と考えてみたい。まず、西洋文明においても、デカルトの対抗者としてヴィーコの存在を指摘しないといけない。また、科学的技能の一つである『思考実験』では、修辞学的な知識や、類推能力が重要である。

 一方日本に戻ってみよう、仏教の経典は、お釈迦様が誰かに説いた話を、誰かが聞き取った形で出来ている。従って『口伝え』の形になっている。もっとも、密教的な教えでは、その説法を行った、仏自体と一体化することで、その文脈を越え真なる御仏の世界に入るようにしている。

 このような日本人の知恵は、一寸西洋文明と異なるように感じる。

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説得、納得と命令

 日本の企業では、上司が部下に対して説得することが多い。説得した場合の部下は、状況を説明うけ納得して行動に移る。もう少し付け加えれば、上司の立場、考えに共感して全体で仕事をすることになる。

 この効果は、カルロスゴーン社長の
  「日本人は指示を受けた時文句を言い抵抗するが、実行するときはきちんとする。」
や、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』で、
  「日本軍艦は、指揮官が全滅しても、最後の一兵が残っていれば、目的地に向かう。」
と言う状況が端的に示している。

 逆に命令と言うものを考えてみた。命令は、有無を言わせず、従わせるものである。命令が成立するためには、
  「命令者の方が部下より正しい判断をする」
と言う前提が必要である。このためには、以下の最低一つが成立していないといけない。
 1.命令者の判断能力は部下より高い
 2.命令者は部下より多くの判断の基礎となる情報を持っている
特に現在のように組織がフラット化し、メールのコピーを同時に配信する世界では、部下も上司と同じような情報を持ってくる。このような情報量の優位性が弱い状況では、個人スキルとしての判断能力が重要である。

 ただ日本人は、指揮者の判断スキルを余り重視していないように思う。その一つの理由は、旧日本軍の体質にあると思う。欧米の軍隊は、兵卒と士官の区別が確りしている。日本軍は西南戦争の時点で、平民での兵卒は西郷軍に圧倒され、結局旧士族で組織した、抜刀隊に頼ってしまった。つまり、能力の劣る兵卒を士官が上手に使って勝利するのではなく、個人の戦闘能力の高い、旧士族の抜刀隊に頼ったのである。この影響でその後の軍隊も、兵卒の意識向上に努めている。この部分は前にも書いたので興味のある向きは見て欲しい。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_f3a0.html

しかし現在の『現場力重視』にも何か似たようなものを感じるのは、私だけであろうか?

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2007年6月 9日 (土)

褒められて育つ

 近頃の若い人の一部は、
  「私は褒められて育つのです」
と言って、褒めないお前が悪いと言うような、言い方をする人がいる。

 確かに、『人は褒められて育つ』面がある。しかし、良いことをしていない者を褒める、わけにはいかない。下手なレベルで褒めると、それ以上に伸びる可能性を、失うこともある。

 褒めて育てるの場合は、当人が意識していない良い面を、褒めることで認識させ、定着させる効果が大きい。褒める材料もなしに、褒めて欲しがるような人とは付き合いたくないものである。

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経営者の条件

 近頃ニュースを賑わしている、コムスンの不正関連問題だが、根本には、経営者の利益創出方針があると考える。もっと踏み込んで言うと、
 「自分で付加価値を考えず、従業員労働の報酬の搾取等で利益を得る」
と言う姿勢が問題である。

 例えばメーカーならば、新規設備の導入で作業効率や品質が上り、利益を創出できる。新技術の開発や改良開発で、製品を創出したり大幅な原価低減を行うなど、誰が考えても納得の行く利益創出構造がある。

 また派遣業界でも、例えばスーパマーケットなどに派遣する前に、自社内の茂木テンポで訓練をして派遣することで、専門職の派遣として付加価値をつけ利益を引き出す例もあると聞く。

 このような、経営側の努力なしに、安い労働力を高く売りつけるだけの発想では、経営者とは言えないと思う。昨日も書いたが、このような経営者像を、学校で植えつけているのでないかと危惧している。

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600記事を書いて

 このブログの記事数が600になった。昨年の1月2日に書き始めてから、約1年半で600だから、1日1件以上のペースになる。

 毎日1件のノルマを自分で決めたが、色々なことを考えたり、ここに書くために勉強したりとよい効果があった。ブログによる学習推進は、大人の勉強には適切な手段の一つと思う。

 最後にここを見ていただいて下さる皆様に感謝します。皆様の後押しで、ここまでこれました。

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2007年6月 8日 (金)

学校教育の偏りについて

 今朝の新聞を見ると、「日本青年会議所」が制作した、歴史「教育」アニメを中学校で使うことに関する記事が載っていた。
  特定の考え方「洗脳」手助け
と言うコメントも載っていた。

 確かに小学生・中学生などに、特定の考えを押し付けるのは良くない。しかし、考えてみると、どうも他にも特定の考えが押し付けられているような気がする。例えば、
 「資本家は悪い」
 「大企業は悪い」
 「大企業は物を作らず皆下請けにさせている」
等である。このような面も考えて欲しい。

 

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2007年6月 7日 (木)

教育の黒船

 フィンランドの小学校教育の内容が、日本語訳されて公開されているらしい。

 日本の教育は、文部科学省の指導と出版社の指導書の貢献で、見事な標準化がされている。しかし、この反作用として個別の先生の工夫が弱いように思う。

 このような海外から多様な教育方法が入ってくると、教育の改革が大きく進むように思う。このためには、教師のスキルの積み重ねが重要と思う。ある意味の年功の世界も必要と思うが、いかがであろう。

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2007年6月 6日 (水)

マーケティングについて

 インターネット上のマーケティングでは、ロングテイル(恐竜の長い尻尾)を重視して儲けるビジネスモデルがある。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB

 ロングテイルの説明は、上記ウィキペディアでも見てもらいたい。従来は、売上高の大きい方から積み上げていけば、大体20%の製品で80%の利益を生むなど、大口市場を重視していた。これが大量生産社会の発想である。しかし、ホンの少しの売り上げに執着している顧客と言うのは、その製品に大きな価値を見出している可能性が高い。このような客は、価格の破壊の心配なく、買ってくれる良客である。

 さて、そのような顧客を見つけるにはどうしたら良いか。ここで、インターネットの広がりと、充実した検索機能の出番である。ある程度のマニアックな顧客を世界中でそろえれば十分市場が成立する。一千万人の1ppmは、10人であるが、10億人の1ppmは、1000人である。そこまでいかなくても、0.1%の顧客でも世界中で探せば、かなりの数になる。

 このブログでも、一部のキーワードで、固定的に読んでくださるお客様がいっらしゃる。このような市場の開拓は、まだ続くであろう。

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2007年6月 5日 (火)

学校制度の矛盾

 学校の運営を難しくする、一つの原因に、親の高学歴化がある。この問題は、学校制度の根本的と絡んでいる。

 現在の学校は成績至上主義になっている。言い換えると、成績が上の人間が正しい、と言う世界である。こうして生徒を指導している。

 そこに、教師達より成績が上だった親が、怒鳴り込んで来たらどうなるであろう。

 昔は、多様な価値観で学校を運営していたから、教師の専門性も維持できたと思う。

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2007年6月 4日 (月)

メール作成能力でも

 昨日、人間関係について少し書いたが、携帯メールなどのコミュニケーションについて、コメントがあった。ここで、もう一歩議論してみたい。

 まず携帯のメールでは短い言葉が中心になる。長い文章でのやり取りに関して、スキルが十分であろうか?また、リアルでの対人能力が薄くなっている。これが現在言われている問題点である。

 確かに、会社で学生さんと連絡をした経験から言うと、1本のメールを書くのにも、ものすごく苦労しているのが読み取れる。一生懸命気を使って書いている。400字程度のメールに何時間かけたのか、大分かわいそうになってしまった。しかし就職活動等を行っていると、企業の人間とメールでのやり取りは、どこかで起こる可能性が大きい。

 その時、一寸した連絡に対して、直ぐに応答できるかは、大事な要素になる。速い応答は、少しの文体の不備を補うことが出来る。そのようなことを考えると、迅速なメールの応答能力は、一つの武器になる。このために、手近な大人の勤め人と、メールの経験をしてみるのも一つの訓練になるであろう。このようなことは、慣れると楽に出来るものである。

 一寸した工夫で楽になる一例である。

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2007年6月 3日 (日)

人間の付き合い

 一寸前にプレジデントで読んだ。
   「学生採用には兄弟が多い人から採れ。」
と言う話に一寸考えてしまった。この理由は、今の学生さんたちの人間関係が希薄になっていて、友人が多いと言っても、実際は名刺交換レベルでしかない場合が多い。

 従って、深い人間関係が兄弟であるであろうと言う発想で、兄弟の多い学生を採用しようと言う話である。

 これを、逆用すると、就職試験では、
   「学生時代の部活で、多様な部員の考え方の背景まで理解して対応した。」
等と言うのは、一つの売りになりそうである。

 ちなみに、このブログをよく読んで、
  「中年のオッサンとも知的意見の交流をしています。」
と言う人もでても良いと思う。ただし交流と言うなら、コメントでのやり取りぐらいは必要だが・・・(笑)

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2007年6月 2日 (土)

大阪は本当にだめなのか

 今朝の朝日新聞に、『大阪に明日はない?』という記事があった。

 本当に大阪がだめであろうか?確かに、引ったくり・不法駐車や、有効求人倍率などの指標ではよくない。でも、このような指標は、"首都"東京の連中が考えたものではないか?そう考えてみると、江戸時代の大阪は、自分で文化を発信していた。さらに、第二次大戦前までは、それを維持していたように思う。

 戦後、東京価値感に侵略されたことが、現在の大阪を引き起こした根源ではなかろうか?

 ただし、私は大阪の老舗の知恵が、まだ残っているような気もする。そのような力を引き出すことが重要ではなかろうか。

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2007年6月 1日 (金)

本日の新聞から

 本日の新聞の朝刊には色々興味を引く記事があった。

 まず、第3面の『監査難民』の記事、これは「監査の難しさ、正しいと保障する重み」が、皆に認識されてきたと考える。当然、難しい保障は避けるから、危ない会社は、監査すら受けられなくなる。

 科学面の、NTTや全日空のシステム障害の記事も関連している。まずNTTのIP電話は、命令の1字の打ち間違いが発端であった。一方、全日空の場合はまだ原因が不明らしいが、二重回線の一部が切れたために起こったらしい。多分古い情報が残ってしまったか、異常を知らせるメッセージを高頻度で送り続けると言う、初歩的なミスであろう。

 さて、ここでも正しいと見抜く試験能力が必要である。

 現在は、厳しい社会なので、正しさの保障が重視されるようになってきたと思う。

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2007年5月31日 (木)

Winny被害について思う

 インターネット上の情報流出がまだ起こっている。この中で気になるのは、情報の処理を請け負った会社からの流出である。

 良くあるパターンは、
   「契約を破って下請けに業務を投げ、その下請け会社の社員が
    自宅で仕事をする。そのパソコンにWinnyなどのソフトが
    入っていて、ウイルスに犯され流出する。」
と言う話である。

 ここで問題なのは、実際の業務を行っている環境が、下請け会社の社員の自宅パソコンと言う点である。利益を作業合理化やツール開発などで生み出さず、コストの安い下請けに投げ、その差益で出そうとしている体質の問題がある。

 コストを切った零細な下請けでは、個人のパソコンでの作業も多くなるであろう。確りした仕事をするためには、工場の設備を使った良い環境での仕事が必要であろう。 

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2007年5月30日 (水)

受験テクニックについて

色々な試験結果を見て、一寸思うところがあるので書いてみたい。

まず、英語能力試験のTOEICについて思うところは、以下の2点である。
 その1:これは一寸コツを知ると、大分点数が上昇する。
     どのような出題か知っておけば、点数が上る。
 その2:リスニングがリーディングより25%ほど良い成績の者がいる。
     これは、リスニングでは最後まで回答する。従って1/4は正解する。
     リーディングでは最後まで行けない。
 このような現象があるように思う。

一方、SPIなどの適性検査に関しては、一寸考えて欲しい。
まず、知識テスト・知能テストに関しては、練習の効果がある。しかし、性格検査に関しては、直感的判断を重視するべきであるのに、何度も経験すると、文章を深く読みすぎて、常識的な線に落ち着きすぎるように思う。

このような考えもありそうである。

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2007年5月29日 (火)

組織の力と個人の力

 本日の朝日新聞夕刊の『窓』欄に面白い記事があった。かいつまんで言うと、今年の中小企業白書の「中小企業経営者と、大企業からきた『右腕』の認識ギャップ」について述べている。
 中小企業の経営者は、自分一人で切り開いた経験から、「能力は個人の資質による」と考えている。一方、大企業の経験者は、「能力は自らの資質に加えて、組織の経験が大きい」と考えている。
 従って、経営者は『大企業経験者』に『何でも出来る』と期待してしまう。これが不幸な結果になるという話である。

 確かに、中小企業は個人プレイが多く、大企業は組織の力に負うところも多い。しかし組織を作るときや、規則化するのは、大企業文明が有効な場合も多い。

 単なる違いを踏み越えて、良い所を組み合わせるようにして欲しい。

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2007年5月27日 (日)

米軍の撤退

 アメリカ議会が、米軍のイラク撤退時期を明記しないことに決まった。
 これに関して一寸考えてみた。

 まず、軍隊運用の常識として、
 「防衛戦闘の部隊に期限を定めてはいけない」
と言うことがある。

 アメリカは、軍隊常識のある国だから、このことも判断に影響したのではないかと思う。

 ただし、この発想は、イラクでの現状が、不利な戦いと議会が認めたということではないかと思う。

 我が国にも、もう少し軍事常識を広げて欲しい。

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2007年5月26日 (土)

某勧誘員の言葉

 あるところで聞いた話だが、
  「奥さん、郵便局の普通預金は、ペイオフで保証されません。
   しかし今の内に簡易保険に入ると政府が保証します。
   だから簡易保険に切り替えましょう。」
と言う勧誘がされているようである。

 ペイオフで保障できないと言うことは、郵便局の普通預金が信用できないと、郵便局の人間が言っているのかなー?


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技能は忘れていませんか?

 昨日の朝日新聞で、『水素製造、新方式に壁』と言う記事を読んだ。これは、2005年12月7日に、九州大学の伊都キャンパスにある、閉じたタンク内で電気分解し400気圧の高圧水素ガスを直接つくる方式の、水素発生装置の配管が爆発した事件の結論である。

 この記事の、事故調査でも原因が判明しないと言う話をみて、
  『物造りをなめているのか』
と感じた。このような危険なものを作るときには、
 「基礎研究で要素技術を解明する。その上で小規模なパイロットプラントを
  作り実験する。そして大きくする。」
と言う基本的な開発管理が忘れられているように感じた。

 このような開発管理の技能が失われている。また、高圧配管にもそれなりの技能と設計配慮が必要である。

 大学が、物造りに乗り出すときには、それなりの配慮をして欲しい。

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密教の考え方を応用

 密教と顕教の違いについて、何回か書いたが、これを知識の習得で考えると、面白いアイデアになる。

 教科書等で入手した形式的な情報は、それだけで使うことは難しい。しかし、その著者がそれを書いた環境や心境を、想像し自分のものとすれば、暗黙知の部分まで、推測する可能性がでてくる。また、自分が講義する気持ちで教科書を読むと言うのも、同じような発想と考えることができる。もう一つ、ブラウン神父の秘密にも、この実践が見て取れる。

 

ブラウン神父の秘密 Book ブラウン神父の秘密

著者:G.K.チェスタトン,中村 保男
販売元:東京創元社
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2007年5月24日 (木)

仏教の2側面

 弘法大師様の説くところでは、仏教には顕教と密教がある。顕教は理で解き、祈りの宗教である。しかし密教は、瞑想の宗教であり、本尊と一体になることを求めている。これを理解すると、念仏や座禅中にも密教的な要素が見えてくる。また、お経を唱える場合にも、その内容を求めるのか、お経の中の仏様と一体になるのかによって、顕教と密教が分かれると言うのが、弘法大師様の教えである。

 これを見ると、念仏やお題目も密教的要素が出てくる。白隠禅師の延命十句観音経の教えも、密教的であろう。天台宗の正統派として、法華経を重視した一波が、南無妙法蓮華経を唱えるだけと言う、法華宗を攻撃したことは、何となくわかる。 

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2007年5月23日 (水)

こんなところで最新技術

 先ほど週刊現代で、面白い記事を見た。アダルト・ビデオのモザイクを自動的に作成するソフトの話である。実はこのソフトは、軍用のミサイルの目的識別機能を応用しているとのことである。

 何か納得のいく話であった。なおそれまでは、人力で一画面ごとにモザイクをかけていた。

 このようなところで、自動化による省力が行われると納得してしまった。

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2007年5月22日 (火)

日本の翻訳力

 日本の明治期の海外文化輸入消化力は、世界の水準以上であったらしい。その理由として、物理・数学などの基礎学問を、日本語に翻訳した力も大きいと思う。

 このベースには、聖徳太子の仏教輸入からの伝統があると思う。その伝承で、漢文を読んでいた教養人が、和魂漢才を和魂洋才切り替えたのだと思う。

 また物作りの職人が確りしていたのも大きいのではないか?蒸気船を直ぐに模倣した力は、理論だけで出来るものではない。この面からの研究も欲しいものである。

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2007年5月21日 (月)

聴き方の訓練

 面接の方法に関して色々書いたが、基本の能力について少し書き加えたい。

 それは聴く能力である。対話が出来ていない場合は、大部分が相手の話を聴いていないことによる。ところで、人間はどのように聞いているのであろうか?正確な話はわからないが、どうも二つのパターンがあるように思う。

その1:単なる言葉の流れとして聞く。左脳の反応。
その2:内容をイメージしながら聴く。右脳の反応。

 内容をイメージしながら聴くほうが、内容を良く理解できるようである。

 面接に行く前に、アルバイトで注文を受けたとき、どのように聴き、どのように記憶したか、一度思い出してみよう。そして自分の聴く力、記憶力に自信を持ってみよう。 

 

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2007年5月20日 (日)

学問の方法論について

 このブログの原点である『勉強の方法』について、考え直してみた。どうも勉強方法には二つのパターンがある。

 1.既にある程度基礎が解っている場合に追加する場合
 2.全く未知の分野を新たに勉強する場合

 特に2.の新たな分野の勉強は、会社生活などでは必要に迫られて、行うことも多い。ここで、タレントの橋下弁護士が面白い勉強法を説明していた。

 「全体の体系が見えていない間は、とりあえず何もかも丸暗記する。
  優先度や重要性の評価は、全体が見えてから出来る。」

これは新規分野に関しての勉強法の本質を突いている。自分で整理して表現するなどと言うことは、ある程度勉強して全貌が見えるから出来ることである。全体が見えないと価値観が解らず、整理もできない。そのため、最初はとりあえず全体像を何とか掴み、その上で整理していくべきであろう。乱暴な例えかもしれないが、歴史の書き方でも、最初に出来た”春秋”は、年毎に書いていく、編年体であった。そのあと、ある程度見えるようになってから、紀伝体の”史記”が書かれている。

 ただし、全体を掴むのは効率が良い方が良い。そのためには、百科事典などに慣れておくことが有効であろう。また、会社での新規勉強は、何らかの目的を持って行うことが多い。例えば、「XXがYYしたが、なぜか説明しろ」と言う風な説明などである。この場合は、全体像を作った後は、説明が出来る部分を切り出し、必要なだけ勉強したら良い。会社での勉強は、目的が確りしているだけ、やりやすい面もある。

 なお、このような事態に対応する訓練としては、自分で適当な課題を決めて、レポートを書いてみることをお勧めする。一つの新たな分野を開拓した人間は、別の分野でも対応できるものである。このような新規分野の勉強は、つらいものがある。

 このようなつらさに耐えるのは、”頭の強さ”と言うべきであろう。頭の良さより、強さが求められているように思う。石頭は困るが・・・

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日経BP社にお願い

 今号の日経ビジネスアソシエは、「見せる書類」の特集でしかも図解用のCDがついていて、お買い得と思った。

 ただ惜しいのは、CDの内容が不親切なこと・・・
 一々ファイルを開いて、どのような図か確認するぐらいなる、自分で書くということになる。

 せめて、CDのファイル名が読み取れれば、もう少し使いやすいのに番号だけでは使いにくい。このようなサービスが重要と思った。http://nba.nikkeibp.co.jp/

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武術の発想から

 秘伝の6月号を見たが、色々と参考になる。

 その1
 名人の世界を垣間見る言葉・・・空手の達人達
 「自然に考えが変わってくるというのは、ひとつの悟りなんです。
 気づいたらそういう風になっている。考えての結果”こうしよう”
 というのではなく、無意識の内にパッと感じる取る力です。
  無意識の力と言えば、寝ているときに見る夢は、
 技への大きなヒントを与えてくれることがあります。」

 「年齢的にも一番上になっちゃって、夢以外に教えて
  くれるものがいなくなっちゃったから」

 「夢に教えてもらうほど空手に真剣、ということでもありますね」

その2
 現代若者気質
 能の指導において
 「若い役者に『もう少しここで間を取ってくれ』と言うと、
  『何秒、取ればいいんですか?』って訊かれてるというんです」

その3
 空手について。
 「手は形ではありません。」・・・本当の手は一撃で終わる
 「型は空手ではありません」
 「手はみせるものではありません」

<蛇足>

 愛知県で痛ましい事件が発生した。今回の事件で、従来の護身術の常識を覆す事態がが発生した。従来は、
 「拳銃はめったに中らない。5メートル離れれば命中しない。」
と言うことであった。その結果5メートルあったら逃げろであった。しかし今回は、家の中から警官に対し急所に命中させている。また、今回の拳銃は45口径らしい。日本の警官は体格を考慮して、アメリカより小型の38口径を使用している。

 このように、45口径で屋外に居る相手に、命中させるのは、かなり練習が必要である。そのような状況を見過ごしたことは、警察の怠慢ではなかろうか。

 また、関連して特急列車でのレイプ事件について、
 「周りの人間が止めなかった」
と言うテレビ等での発言がある。この時、もし相手が拳銃を持って居たらどうなるであろうか?そうでなくても、覚せい剤を服用している人間には、単なる押さえ方では通用しない。そのような相手と口論になった場合には、物理的な格闘になる。その場合には、相手の戦闘力を確実になくなす覚悟でない限り、自分がやられるであろう。

 そこまで覚悟して止めろと言えるのか?また、止めた人間が相手を壊した場合に、世論の批判はどのよう成るであろうか?

 現在の平和ボケした世論は、一寸ずれているように思う。

 なお、JR特急のレイプ事件に関しても、警察の動きに関して、言いたいことがある。今回の容疑者は、前にも同様の犯罪を行っている。しかも再犯可能性が見えている。このような危険な人間を野放しにする世界は、一般の市民の安全を無視しているとしか思えない。

 ただし、シージャック犯人を射殺しただけで、”人権派”の弁護士殿に訴えられるようでは、警察も萎縮せざるを得ないかもしれない。何か間違っている。

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2007年5月19日 (土)

軍隊の指揮官について

 前の記事に関連して、思いついたことに書いておく。

 まず日本の軍隊の指揮官の特性である。前の記事に書いたが主語が"わが部隊"と言う命令が日本の特徴であり、指揮官の個性が出ていない。この原因について思い当たることを列挙してみたい。

 一つの仮説は、日本陸軍の生い立ちである。明治に近代軍隊として誕生したが、西南の役で大苦戦をし、結局"旧"士族を主力とする、警視抜刀隊の力によって、薩摩軍を打ち破っている。これは指揮官の戦略・戦術より、各人の技量に頼った切り込みを重視する結果となった。

 さらに、日本が模範としたドイツは、第一次大戦の塹壕戦で、「浸透作戦」を用いている。これも現場の独自の行動が主体になっている。

 また、明治維新直後の戦場では、身分が上の指揮官を担いでいるが、実際の指揮は身分が低い者した例も多い。これが第二次大戦前の参謀の独断専行を引き起こす下地になっている。前にも書いたが、海軍でも一等水平が名操艦をし、沈没から救った例もある。ただしこの場合の指揮官は「緊急操舵を命令」したので、最低限の仕事はしている。

 しかし現在は、管理職は全て戦略・戦術指揮が必要である。自分で戦略を持ち、主体的に動く人間が今一番必要である。

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戦術と指揮から

 PHP文庫の『戦術と指揮:松村著』には、色々面白い話がある。一寸抜書きしてみた。

その1 戦いに勝つ9の原則
 1.目標の原則:はじめから終わりまで目標を見失わない。
 2.統一の原則:指揮系統をはっきりさせる。
 3.主導の原則:先に動き機先を制して、主導権を握りはなさない。
 4.集中の原則:敵の弱点に自分の戦力を集中する。
 5.奇襲の原則:動きの中にチャンスがある。
 6.機動の原則:モノの機動速度・精神の機動速度が重要、
           戦史の失敗の大部分は『遅すぎた』が原因である。
 7.経済の原則:遊んでる戦力は、負けているのと同じ。適切な予備の運用と異なる。
 8.簡明の原則:目的・目標が明確で、作戦方針のコンセプトが奇抜・大胆・明快・新鮮
 9.警戒の原則:油断大敵。

その2 軍隊の4機能
 前衛:市場調査
 火力:宣伝など、事前の制圧
 機動:主力のセールスマン部隊、戦車と歩兵
 兵站:補給

その3 軍隊の階級
 上位の階級は、状況に応じて判断し、より上位の命令を変更するために与える。
 背景と命令発令の前提を確り理解していると、予測と異なる状況では、指揮官の独断を期待している。

その4 一般参謀と特別参謀
 指揮官の補佐をする参謀は、全体を見る一般参謀と、自分の専門だけを深く追求する特別参謀がある。特別参謀は、一般参謀との協議を通じて全般を知る。参謀不在時は自動的に他の参謀が引き継ぐ。

その5 指揮官の参謀に対する検討指示の与え方
 参謀に対する指針には以下の項目を明確にする。
 ・参謀活動を完了し報告する時期
 ・優先処理事項
 ・作戦の基調
 ・特別注意事項
なお、以下の注意事項がある。
 1.自分の個性に合わないことは命令しない。出来ないことは命令しない。
 2.形容詞・副詞を使わない。 ×可及的速やかに・・・
 3.背景になった状況認識を正確に説明する。
 4.周辺部隊・個別の部下に対する配慮を明確にする。初陣への配慮など。

その6 部下への命令
 海外の命令は "I will~" 日本は "わが部隊は~"の違いがある。
 任務の付与時には、背景を明確に説明し、「戦力と時間・空間に過不足はないか?」と確認する。そこで実行可能性を確認し「どれだけの戦力と時間をどれだけ下さい」と交渉しない部下を信頼してはいけない。命令は契約の締結である。

 「将軍が、軍の破壊の道具になるよりは首を切られたほうがましである。戦いの指揮官は、勝利に自信のない命令を引き受けることは、勝利に自信のない命令を発することと同様、罪悪である。」(ナポレオン)

その7 情報の確度
 100%の情報は存在しない。戦場では25%の情報で決断しないと時機を逸する。単に情報を得るのではなく、情報を理解し敵の動きを予測することで、奇襲が出来る。

その8 アマチュアを指揮官にする方法(第二次大戦の米軍&英軍)
 以下のステップで考える。
 1.命題:上位から受けた「任務」を分析し、達成事項の優先順位を決める。
 2.前提:地域を規定、敵情を解明、自部隊の状況を掌握する。
       そしてこちらの行動方針を列挙する。
 3.分析:敵の可能行動と見方の行動方針を組み合わせてシミュレーションし、行動方針の選択の鍵になる要因を見出す。
 4.総合:比較のための要因に重要度の順位を定める。行動方針を比較する。
       時間・空間要因で再度見直し、見落としをチェックする。
 5.結論:選択の腹を決め、問題点と対策を明らかにする。
       英国式では、作戦計画の骨子を作成する。
       ・・・英国式は、全体図を見てチエックすることを考えている。

その9 名指揮官の決断方法・・・戦史を深く理解し自己体験の積み重ねが前提
 情況の特質の把握、全感覚の活用、連想的・直覚的決定"着想"、合理的説明の創造の4ステップを使っているらしい。ただしこの段階は明確に分かれているものではない。
 ・・・想像力を駆使した、右脳的発想に、左脳の理屈付けを付加している。

詳細は、この本を読んで欲しい。

戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方 戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方

著者:松村 劭
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年5月18日 (金)

今の世の中に欠けているもの

 現在色々トラブルが発生している。その原因を一寸考えてみた。

 その1
   仕事をしている人間に想像力が欠けている。
   これが、おかしくなったらどのような惨事になるか?
   推測できなくなっているのではないか?

 その2
   特に曖昧な状況での評価・決断能力がなくなっている。
   変な音がした。それならどうする~

 その2’
   人の言うことに釣られる。例えば、
         「数学理論でXXが予測される」
   と言う言葉に釣られて、多くの数学出身者を採用したシンクタンク業界は、
   現在では「フィールドワークを良くする」
       文化人類学出身者を多く採用しているらしい。
   物造りのため理系重視と言う話も短絡的である。市場面もあるし、経営面もある。

 そういう中で、自分を伸ばすためにはどのような能力が必要であろうか。
 まず、他人の立場を思いやる。そのためには、自分をその立場においてみる想像力が必要であろう。このような想像は曖昧である。しかし曖昧な情報でも、良い悪いの方向が見える。そこで曖昧な情報での判断も、少しづつ鍛えられる。

 さて、そこで自分の評価をきちんとすることが大切である。良いこと悪いことを評価する。そして現状に甘んじることなく、成長することが重要であろう。たとえ悪い評価も,将来に直すことが出来るなら、それは長所に変わるかもしれない。逆に少し良くても、そこにとどまれば短所になるかもしれない。

 自分が出来ることを考え、前向きに対応することが重要と思う。

 しかし本日の新聞では、学校の先生を評価することに批判的な記事が載っていた。これで良いのだろうか?

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2007年5月16日 (水)

社会党の正体

 先日の新聞で見たが、戦後の社会党には、戦時中は『戦争賛成派だった人』が多数存在した。これと比べると、自民党の方でタカ派と呼ばれる、岸元総理でも、東條英機に刃向かって居る。

 これを見て、山本七平氏の著作にあった、
  「共産主義者は直ぐ転向するが、自由主義者は転向しない」
と言う、戦前の特高の話を思い出してしまった。

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2007年5月15日 (火)

パソコン時代の文章作成

 近頃文章作成法について考えている。木下是雄氏の著作などを見ているが、どうもパソコン時代には別の手法があるように思う。パソコン上では、修正が容易でありとりあえず思うところを書き、それを加工していく手法があると思う。

 自分のメモであろうと、書いているものを見れば、それで思いつくこともある。たとえ文字でも、外部に存在するものに対して、考えをめぐらすことは、自分の頭の中で考えるより遥かに発想が広がるように思う。

 当然ながら、パソコン上で絵を描くのはまだ自由度の制限もあり、手書きの図で考える人も居ると思う。そのような人は、その手法が良いが、絵を描くのが苦手な人は、とりあえず文章をパソコンの上で作り、それを修正するのが早道と思う。

 何か、ソフトウエアのアジャイル開発と、類似した面があると思う。

 見方を変えれば、自分の書き物でも外在するものであり、書き物との交流から、何か暗黙知が生まれそうな気がしてきた。

インターネット完全活用編―大学生のためのレポート・論文術 インターネット完全活用編―大学生のためのレポート・論文術

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2007年5月14日 (月)

日米の物造りと人材採用

 日米の人材採用に関して、一つ思いついたことがあった。日本の物造りが、擦り合わせ型で、会社内の蓄積が効果がある。しかしアメリカでは、モジュラー化した物造りなので、大学で標準的な勉強が効果的になる。

 日米の採用戦略の違いの一つの理由がわかったと思う。

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2007年5月13日 (日)

就職活動の自分探し

 就職活動の中で、自分探しを行うと言う話を聞く。確かに、一昔前の就職は、実際は就社であり、『なんでもします。頑張ります』と、自分を会社に売り込み、会社に身を任せていた。この場合は、余り考えずに求職する学生を、会社も求めていたように思う。総合職ですら、
 「下手に考えるより、体力で売った方が良い」
と言う言い方すらあった。

 しかし、現在の変動する状況では、求職者に対しても”ある程度の”主体性が、企業側から求めれている。従って、求職活動の前に、『自分探し』を行うように成ってきた。だが、ここでも二つの落とし穴がある。

 まず、学生さん達の知識・経験が、余りにも現実の仕事との間でギャップがある。この理由の一つは、藤本先生が言うところの『擦り合わせ的性格』である。企業の仕事はその会社の文明に適合化しているので、大学時代の経験に加えて、総合的に調整する必要がある。

 さらに、企業の仕事には色々な面があるが、学生から見える面は華やかな仕事しか見えていない。しかし、そのような仕事は実際はほんの一部であり、色々な仕事の上に成り立っている。しかしながら、自分探しとして、『やりたい仕事』と考えている場合には、これしかないと、凝り固まっている場合が多い。従って、入社しても、やりたい仕事に当たらなくなると、ショックを受けてやめるなどと言う話が出てくる。

 そこで、就職活動をする人たちに提案であるが、『自分探し』では『自分の持っている要素技術・スキル』を、明確にするようにして欲しい。このように考えると、自分のできる可能性が広がり、落ち着いた対応が出来るようになる。また大切なことは、会社側の今までの蓄積に対しても、謙虚に教えを請う姿勢である。このためにも、自分が今までの経験で、新しいことを学び、できるようになったと言う経験を、思いだすのもよいかもしれない。

 中途半端に、自分の能力を思い込んで、チャンスを逃さないようにして欲しい。

日本のもの造り哲学 日本のもの造り哲学

著者:藤本 隆宏
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2007年5月12日 (土)

医療事故と教育のトラブル

 今朝の朝日新聞を見て、関連のある記事を見つけた。一つは、医療の「事故調」の話、もう一つは、『戦後教育学』の話である。

 医療と教育の話、共通点は、「従来は関係者(受益者)の口出しを封じていた」が現在は、「被害者と思った人が直ぐ訴える」状況になったことである。医師の処置などに不安や不満があっても、「素人にはわからない」と言うことで、門前払いされていた。その実、「経験を積みたいから、この手術を試して失敗した」等と言う話から、遺族の無念を晴らすための訴えが出るのは、ある意味で当然であろう。

 また、学校教育においても、かなり精神的に安定性を欠く担任教師や、思想的に偏った教師、能力的に明らかに劣っている教師に対しても、不満を言えない時代が続いていた。現在はこの反動で、学校や教育委員会に直ぐに苦情を言うようになったのではないかと思う。

 一方、両者の違いは「学会」の強さである。医療系の学会では、「ヒポクラテスの誓い」が生きているので、専門家を優遇する徴候がある。しかし教育関係の学会に関しては、どの分野の大学教授も、自分で講義し・指導した経験が豊富であるから、一言も二言もある。従ってかなりの先生方が、”自信を持って”口を出している。電気学会など各分野の学会でも、教育の専門委員会を持っている。昔のあるジョークに
 「工学部の先生は、自分の専門分野では企業の経験に対し謙虚に聴く。
 しかし、企業の教育に対しては、自信を持って発言する。」
と言うものがある。

 系統的な大学の研究も大切であるが、素人の不安や不満に関しても、判りやすく説明する、中立的な発言が確りしないと、「素人は黙れ」「訴えてやる」の繰り返しになると思う。

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2007年5月11日 (金)

電子回路が見えなくなる

 日経エレクトロニクスの最新号に、面白い記述があった。電子回路の技術は、LSIの中に埋もれていくと言う話である。

 確かに、今回の記事でも増幅回路の低消費電力のために高機能化は、LSIの中に消えて大部分の利用者にはブラックボックスとなる。またA/D(アナログーディジタル)変換器の実現原理などに気を配らない人も多いと思う。

 しかし、ブラックボックス化しているからこそ、動作原理を理解しておかないと、限度をはみ出した時の対応が出来なくなる。電子工学の物造りは、深い理解が必要であると改めて考えた。

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2007年5月10日 (木)

最低賃金の議論

 授産施設や小規模作業所の障害者が「訓練生」かという議論が出ている。単純にアウトプットを評価したら、工賃は高く出せないのは、市場原理から言えばしかたないかもしれない。しかし、最低賃金レベルの作業が出来るまでには、長い訓練期間が必要である。そのための期間をどうすると言う問題がある。

 ある意味で、最低賃金という制度が必要と言うのも、何かいびつな感じがする。

 労働に対して、適正な賃金を払う。一方労働者は、それ以上の改善で経営者に応える。このようなよき習慣がどこかおかしくなっている。安い工賃のみを求める経営者と言うのは本当に良いのであろうか?

 中国生産やベトナム生産に頼る。派遣社員に仕事を移す。何か同じように感じる。

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2007年5月 8日 (火)

今朝の新聞から

 今朝の朝日新聞から、気になる記事について忘れないうちに書いておく。

まず3面の、「国立大改革 迫る競争原理の波」について。私個人としては、経財会議民間議員の丹羽宇一郎・伊藤忠会長の
  「ミニ東大の量産やめねば」
に同感である。しかし、国立大学協会理事の林勇二郎・金沢大学長の
   「大学に大胆な提案をする団体には、現状をよく理解してから
        主張を展開するように注文したい」
と言う主張にも、大学の変化を知っているだけに、少しは納得する。

 しかし、大学の先生方も結構色々な所に口を出されていますね~~

 それはさておき、この話に関連して、ポランニーの『暗黙知の次元』の第Ⅲ章の『探求者の世界』を思い出した。『探求者の世界』は確かに、外部からの評価が難しい。従って、大学の自治で、しかるべき予算配分がされるのは、それなりの説得力がある。

 ただしそれは、世間の尊敬が支えていないといけない。暗黙的に大学を支える気持ちがなければこれは、成立しないと思う。そのためには、大学自体の厳しい評価があってしかるべきと思う。

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2007年5月 7日 (月)

保守コスト

 ジェットコースターでの死亡という痛ましい事故がおきた。原因の完全な解明が終わっていないので、部分情報での発言となるが、
 「設備の維持管理が軽視されてた」
感じがする。

 鉄と言えども永遠の存在ではない。安全を保つには、点検と補修が必要である。このような当然が見過ごされているように思う。

 そう言えば、エレベータでも保守点検がいい加減で、火を噴いていた。

 このような地道な保守作業をキチンと行う。当たり前のことがどこかに行っている様に思う。怖いことだ。

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2007年5月 6日 (日)

教育と言う労働について

 流風さんのページにコメントした内容が、舌足らずであったようなので、もう少し補足しておきます。 http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/2007/04/post_338c.html

 私が、言いたいのは、
  「いわゆる『学校』と、営利企業としての『塾』等の労働に関する違い」
です。昔から、腹の立つ発言で
  「教育労働者」
と言う表現があります。労働者の場合には、結果に対する評価を正確に行います。一方日本の教職員組合は、一斉テストによる評価・管理職による評価に対して、反対することが多いように感じます。これは、まじめに仕事の評価を受ける労働者にとって納得のいかないものがあります。結果評価を拒否するなら、「聖職者」と言って欲しいものだと思います。そういう観点で、予備校のシビアな評価についてのコメントです。

 なお、企業の採用に関して一言、
  「難関大学入学者は、それだけ努力している。
  努力する機会が少なくなった現状では貴重な機会である。」
と言う観点があります。努力する経験がある人が、貴重になった寂しい現在です。

 今朝のテレビ、『報道2001』で、『国家の品格』の大学の先生が、「財界人が分を超えて発言する」と言う主旨を聞いて、「少なくとも財界のトップは、世間の厳しい目に曝されている」と反論したくなりました。

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裁判員制度について

 裁判員制度について、アメリカの教育の小学生時代からの違いを、一点指摘しておく。それは、「事実と意見の記述」を確りと区別する訓練である。

 アメリカでは、小学校時代から「事実と意見」を確り区別する能力を植えつける。従って、裁判における証言でも、「事実」を確り抽出して、自分の判断を下すことができる。

 しかし日本では、この分離があまり確りしていない。

 またディベートの教育も、アメリカの裁判を見ているようである。このように子供のときから裁判に役立つ、言語処理能力を訓練されているから、陪審員制度も上手く動くのではないかと思う。

 我が国の政策の、総合性の欠如をここでも感じてしまった。

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2007年5月 5日 (土)

日本と欧米の文書作成

 ある本で見た、「日本の出版は江戸時代の木版画が原型にあり、欧米の出版は、グーテンベルグ以来の活字文明である。」という説には納得してしまった。

インターネット完全活用編―大学生のためのレポート・論文術 インターネット完全活用編―大学生のためのレポート・論文術

著者:小笠原 喜康
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

昔、『ソフトウエア作法』を読んだ時、原著では図が一つもなく、日本語訳をした時スタックの図を一つだけ追加したのを見て、ワープロソフトの能力による制限と考えていた。しかし、木版と活字の文明の衝突があったと、再認識した。

やはり、今あるものだけでなく、歴史まで踏み込んで考えるべきである。

ソフトウェア作法 ソフトウェア作法

著者:Brian W.Kernighan,P.J.Plauger
販売元:共立出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年5月 3日 (木)

大学の卒業論文

 昨日の話と関連して、もう一つ補足しておく。それは、『飛び級による大学院入学』の弊害である。

 私の数少ない経験で申し訳ないが、企業で新入社員を見ていると、資料調査や報告の作成など、修士(博士課程前期)修了者は、学部卒と一味違う力を示してた。

 ところで、ある新人は、何か修士にしては気が利かない?

 そこで不思議に思っていたら、当人がある意味自慢げに、「自分は飛び級」と言っていたので、納得してしまった。やはり、卒業研究による論文まとめと、修士の論文の2回を経験し散ると、大分成長するように思う。この成長を、一貫して指導してもらった方が請うkがあると考えるがいかがであろうか?

 なお、私は飛び級自体は否定しない。ただ条件があり、卒業論文までの段階をどうショートカットしようがそれは大学の勝手だが、3年から大学院と言う動きに否定的なだけである。ただし、これも大学院の前期・後期連続するならば、それでも良いかもしれない。修士の論文1回だけと言うのは、物足りなく感じる。 

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2007年5月 2日 (水)

大学院博士課程前期に関して

 教育再生会議が大学院の改革に関して議論しているらしい。その中で、学部学生がその大学の大学院に、そのまま進学することを、枠を決めて禁止するなどを考えているらしい。確かに、博士課程後期まで進み、大学に残る可能性のある学生については、大学院の機会に他の大学を見ることは重要と思う。

 しかし、前期課程で就職する場合には、2年の細切れより4+2年の継続性が望ましいと思う。特に工学部などでは、4回生の卒業論文の反省を踏まえて修士論文を書くことは、完成度を高めるために有効と思う。

 企業で、新入社員を見ている立場からは、確りした先生に3年連続して指導された学生には、それなりのものを感じているので、連続性を残して欲しいものである。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/3bunka/dai10/siryou1.pdf

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/3bunka/dai10/10gijisidai.html

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日本の特異性(翻訳力)

 私達は、科学の最先端の本を、日本語で読むことができる。これは当たり前と思うが、どうも世界では常識ではないらしい。確かに、明治の初期にお雇い外国人に色々教えて貰いながらも、翻訳の努力を並行して行い、大学教育まで日本語でできるようにしたのは、国際的な技術導入からは、偉業であったと思う。

 物理学・哲学等の概念を上手く表現する、訳語を考えた明治の偉人達に改めて感謝したい。

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知識の功罪(ネット社会)

 昔(35年ほど前)大学の先生に、「お前は不必要な知識が多すぎる。」と言われた。確かに、今にして思えば、色々読書していたので、中途半端な知識が断片的に頭の中に残り、本当に使えない知識が多かったように思う。例えば、『中途半端な無限の知識』のためかえって『可算無限と実数の対応不可能性』を理解できなかった。また、『ゲーデルの不完全性定理』も中途半端な理解していなかったと思う。最初は、「数学の定理を完全に証明することはできない」から始まり「いろんな公理を付けて数学は拡大できるもの」など、中途半端な理解が続いていた。

 しかし、現在のインターネット上の情報の溢れは、当時とは比べ物にならない。今Googleで”不完全性定理”を検索したら以下のようになった。

 不完全性定理 の検索結果 約 1,130,000

この情報には色々なレベルがあるが、舌足らずな場合も多い。特に”第二不完全性定理”に対する”クライゼルの注意”に関しては、今一情報不足となってしまう。詳しくは、前原先生の本の10章を理解しないといけないようだ。さて、このような知識が一人歩きする危険性はどのようなものであろうか?例えば、クライゼルの注意から、『第二不完全性定理で理論の強さを評価できない』と短絡する可能性もある。

 しかし、このような概念の一端に触れることで、新しい学問への契機になることも否定できない。単純に卒業と言う言葉を使わずに、生涯学習という心を持ち続ければ、今のネット社会は新しい情報を常に与えてくれる、すばらしい学問環境になる。私も、連続体仮説と言う言葉を知っていたから、可算無限の上にある”何ものか”に興味を持つことができた。すこしの背伸びは良いもの金とも思う。ただし、まとまった情報を体系付けて得えるには、良書や優れた解説記事のある雑誌を読むべきであろう。

 ようやく連続体仮説の意味がわかりつつある、劣等性の感想である。

数学基礎論入門 数学基礎論入門

著者:前原 昭二
販売元:朝倉書店
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2007年5月 1日 (火)

大学受難の時代

 流風さんのところで、大学に関してのページがあった。http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/2007/04/post_338c.html

 加えて昨日の朝日放送のTVタックルでは、大學人の失業に関しても少しコメントがあった。なお、コメントの内容は、
 「これから多くの大学がつぶれて、関係者の失業ももっと出てくる」と言う三宅氏と、
 「何をしたくて大学院に言ったのか」と言う主旨の阿川女傑(?)の突っ込みであった。確かにこの席では、自分の力で道を切り開いた人たちだけに、大学院教育まで”多額の税金”で補助を受けた人たちの泣き言には厳しいと思う。(私学でも大学・大学院への国庫補助は行われている。しかも大学院生はあまり税金も払っていない。)

 現状でも大学は多すぎるので、教育面などでの努力が少ない大学は、淘汰されるであろう。

 ただし、私の付き合っている大学の先生方は立派な方が多い。学外でも、講演等で呼ばれている。またある大学では、2年の学生をきちんとしつけて、90分の講義でも寝させないようして、まともに質問ができるように鍛えていた。これは、現在の高校までの教育の甘やかし方から考えれば、驚嘆すべきな成果である。(爆笑&落涙)

 今後、大学淘汰の時代を考えると、大学内での教育を確りして、リストラ後も変な難民を出さないようにして欲しいと考える。例えば上記の教育力を、リストラ対象の先生にも発揮してはいかがであろうか。なお、一部の先生方には、経営側の責任による不幸なリストラもあるのは認識している。ただし、学外にも顔を売っていなかったのは、覚悟不足と言わざるを得ない。

 この話を書いていて、昔は企業の中でも、「社外に通用する人材になれ」と騒いでいたなーと、もう一度思い起こした。

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2007年4月29日 (日)

文章作成の勉強

 前に小論文の作成などに関して書いたので、関連する文献をあさっていたが、

Book レポートの組み立て方

著者:木下 是雄
販売元:筑摩書房
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が見つかった。著者は、物理学者であるが、この本は文系のレポートを主体に、会社の文書を考えている。下にある『理科系の作文技術』が好評だったが、文系の本を執筆したらしい。

 読まないと、効果はでないと思うが、以下の2点だけでも効果があると思う。

 1.事実と意見の分離をきちんとする
 2.読み手の想定・分析をきちんと行う

 また、内容の発想なども参考になることが多い。時間があれば、下の本も読んで欲しい。文系でも十分参考になると思う。

理科系の作文技術 理科系の作文技術

著者:木下 是雄
販売元:中央公論新社
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2007年4月28日 (土)

技術の流出か社会の理解か?

 昨日学生さんと話をした件で、もう一つ面白い意見があった。「技術は、表現できるものであり、流出する危険はないのか?」と言う主旨の質問であった。

 これに対して、技術は表現できても、実行するのは難しい、さらに特許で守られるなどの話で答えた。しかし一晩考えると、もう一つの答えが出てきた。

 技術は、ある程度以上の下地がないと理解されない。そのために、ある程度知らせておく必要がある。これの一つの例は、プロレスと極真空手である。
 1.プロレスでは観客の判らない、微妙の動きより大技を重視する
 2.極真空手では、各種メディアに解説を多く載せ、地味な技の高度さをPRした

 また、第2次大戦で米軍が日本の零戦を入手した時も、以下の3特徴の内1.しか理解できなかった。
 1.極度の軽量化の実行
 2.翼端失速を防ぐ主翼の捻り下げ
 3.速度変化に対応するために操縦系の剛性低下(伸びると言うこと)

 特に3.に関しては、高速では舵が利きすぎるのは欠点と考える発想がない限り思いつかない。これらのニーズを市場に認めさせるために、知らせることも重要である。

 またある人が言ったが、トヨタは工場を公開することが多い。これは誰でも簡単に真似できないと思っているからであろう。 

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2007年4月27日 (金)

2007年問題の関連

 あるところで、学生さんと話をする機会があった。そこで、目から鱗の面白い意見があった。

「2007年問題に対応して、高齢者の雇用延長が行われた場合の、体力低下はどうなるのか?」 

 確かに、このような問題はあると思う。しかし考えてみると、団塊の世代が今まで進んできた中で、加齢による体力低下は徐々に起こってきたと思う。その中で、機械化などで補ってきたのが現実ではなかろうか?

 また身体を使わなくなったことも関連していると思う。

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2007年4月26日 (木)

営業の訓練の応用

 プレシデント誌の最新号で、営業マンの自信について書いていた。概略は以下のとおりである。

 自分の扱っている製品がない理由その1は、社内のコミュニケーション不足と言うより製作側の思いあがり。その2は、ライバル企業との比較、その3は顧客要求へのミスマッチ感である。

 一方、処方箋は、その1は理論で納得させる、その2は経験を積ませる、その3は上司や顧客の評価の3つの方向で自信をつけるとなっている。しかもこの3者はそれぞれ人によって、効果が異なるとなっている。理論で納得する人間に経験を積ませても、効果がないと言うことである。

 この3つの処方箋は、勉強をさせると言うこと全てに通じるように感じる。

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思考停止

 現場力への過剰の依存は、デスクで指示すべき人間の思考停止に繋がる危険性がある。部下に改善しておけと命令する。それを受けた部下はさらに、その部下に、そして最後は、安い賃金を求めて進出した、ベトナムなどの工場での改善に期待する。

 このような図式がないことを願っている。

 しかし、逆方向の依存もあるのではなかろうか。昔、金融業界等では、MOF担がエリートコースになると言う話があった。財務省の言うことを聞いていれば安全と言う発想もあったのではなかろうか?

 もっとも逆に、財務省に現場を教える効果があったという説もある。一寸難しい問題である。

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2007年4月25日 (水)

全国学力テストを見て

 今朝の新聞に、全国学力テストの問題が出ていた。小学校の問題を見ても結構楽しめる。特に注意すべきは、国語の問題である。論理的な読み方が主体であり、いわゆる文学的な文章は少ない。私はこのような出題が良いと思うが、さて文学部出身の先生の趣味は、文学的な文章ではなかろうか?

 算数でも応用問題で文章読解能力を追求している。このような問題を解けるように、現在の学校教育ができているか、若干不安が残っている。

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2007年4月21日 (土)

小論文の参考まで

 小論文を作成するのが、苦手と言う人も多い。その中には、書き方が判らないと言う人も多いと思う。しかし、何を書いたらよいのかと言うことで、迷っている人も多いのではなかろうか?

 ここでは、一寸パンチの効いた意見を言うために、薬味になるキーワードを、2つほど紹介しておく。このキーワードに自分の体験を絡めると、迫力の出る小論文になるので、お試しあれ。なお、これは大分昔の本から見つけてきた、小野派一刀流の前の宗家、笹森順造氏の言葉を参考にしている。旺文社スポーツシリーズ:「剣道」昭和30年初版より。

<その1> 主心
 稽古をはげみ、師から習うといっても、主心を失ってはならない。主心というのは、わが心を主人とし外界のあらゆるものを客人として、この客人から多くのものをまなび取る心がけである。人は五官に触れるものに心を傾けて工夫をこらすと、何事でもわが教えとならないものはない。さらに進んで第六官を働かせて直観し、天啓を聴くと、凡百の物みなわが師とならぬものはなく、万物ことごとくわが味方となるものである。どんなに物が沢山有り余っていても、われに求める主心がなければ人から与えることができないものである。この世の中にわれを教える師がないなどというのは、自ら求むる主心のない愚者のいうことであって達道の見込みないものである。俗にいう「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と。稽古に当っては子供や下手を相手としても、なおかつまなぶのでなければ上達の限りをこえるようにはなれない。日頃弟子をさえわが師と思い、その弟子を相手として長を知り短をみてみずからまなぶのは名人に達する秘訣である。

<その2> 守破離
 稽古を単に先師の教えを守ってその域に達することだけのものではものたらない。競技者はこぞって新建設と創造発展に協力しなければならない。昔から伝わったよい技をことごとく習い覚えるのは容易ではないが、相手を選んでまなび、常に相手より一方上にでる努力をする。相手はまたわれより二歩上に出る。われまた三歩相手を凌ぐ。ここに相互に相競って優位を占め、新しい境地を拓くには単に古法旧師の伝授のみに泥み、いわゆる「琴柱に膠し、船に刻む」ようなことでは果たされるものではない。創造発展の過程を示す語に「守破離の三階」というものがある。はじめ稽古するときには師の伝をすなおに受け入れそれを忠実に守って、一点、一画もゆるがせにせず、その通りに習い、これがわがものとなりきったところで、次にはその則を破り、技の法を破り、心遣いを破り、さまざまに仕ってみ、みずから会得するところがあるようになったならば師伝を離れ、新しいものを創成して添加し、前代未聞の境地を開いてこの技の建設伸長に無限発展の歩を進めていくべきである。

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2007年4月20日 (金)

日経BP社よ頑張れ

<注意>・・・就職活動関連の記述は最後にあります(笑) 

 日経エレクトロニクスの最新号を見たが面白い記事があった。Google社が、ハードディスクの信頼性に関して、論文を発表している。温度条件や稼働時間が、従来の常識に必ずしも合致しない。

 これだけのことができるのは、同社がインターネットの情報を大量のディスクに蓄えているので、10万台以上のハードディスクを持っているからである。ただし従来はこのような信頼性などの研究は、メーカーなど専門家のものだと考える向きが多かった。

 このような、ユーザからの情報発信ができるようになったのは、大きな変化だと思う。この理由の一つは、技術が普及したからだと思う。また、大量の機器を使うユーザの情報が、集積されるようになっていることも大きい。

 なお、近頃の日経エレクトロニクスの記事を見ていると、モノ作りを支援しているように思う。特に回路や、組み込みソフトウエアの世界の話に力を入れているが、CQ出版社の『トランジスタ技術』などと競合関係になっている思う。

 ただし、ここで会社の特質が微妙に影響している。CQ出版社はそもそもがアマチュア無線から出発している。従ってモノ作りもアマチュア的な匂いがしている。今まで、このような本が少なかったから、CQ出版社の本で勉強した向きも多かったと思う。しかし、日経は企業社会を向いている。そういう意味で、『日経エレクトロニクス』が、モノ作りに支援してくれるのは嬉しい感じがする。

 これを考えると、就職活動中の皆さんが、日経新聞を読んだり、日経BP社の雑誌を読むのは、企業の発想を知るのによいかもしれない。

 

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2007年4月19日 (木)

技術と技能

 今まで暗黙知について色々書いているが、関連して技術と技能を明確にしておく。なお、ここで書くのは、私の個人的意見であり、状況によっては別の使い方があることも、知っておいて欲しい。ただし、考え方の整理には役に立つと思う。

 まず技術は、理論に裏付けられたものであり、高度の技術であっても数式や言葉で伝達が可能である。エンジニアリングのイメージである。

 一方、技能は本質的に、身に付けるものであり、勘コツの世界でもある。暗黙知といわれる要素も多い。スキルと言う表現が近いであろう。

 例えば、モーターを製作することを考える。設計者は、出力・大きさなどの仕様を満たす、電気的な構造を各種数式を解いて求める。さらにCADなどを用いて構造を決めていく。この時に強度の計算や、負荷状況を調べるのが技術の世界である。この結果は図面にまとまる。

 一方、図面の示すものを作るためには、鉄心を削ったり、加工しその上に線を巻くなどの作業がある。この時、作業者の勘やコツがモノをいう。鉄を削る時にも、切り子のとび具合などを見て、良い削りを見分けるのも、一つの技の世界である。これらが技能の世界である。

 なお、自動化しても技能が確りしていないと、良い機械の使い方ができないことは、重要である。

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2007年4月18日 (水)

就職活動への助言

 就職活動が大分進んでいるが、そこで少しアドヴァイスをしておこう。まず、面接の練習だが、友達と組んで面接官と被面接者のロールプレイイングを行うと良い。その時大事なことは、自分がどう感じるかを正直に述べることである。特に、面接官側で不満や不快を覚えた場合は、実際にも失敗する場合が多い。このような練習をしておくと、落ち着いて面接に望むことができるだろう。

 さて、次に小論文の対策を述べておこう。これも練習の効果が大きい。まずいくつか出そうな材料で、練習してみよう。なお、最初に書いてみるのは、1600文字(原稿用紙4枚)程度の大きなものを書いてみる。そして、800字(原稿用紙2枚)、400字(原稿用紙1枚)と絞り込んでみる。ようやく800文字書いた場合と、1600文字から要点を絞った800文字とは、迫力が違ってくる。

 また、手書きとパソコンの特徴を使い分けることも重要である。最初に書くときは修正を何回も行うために、パソコンを使うほうが良い。しかし、最低1回は手書きで書くことも重要である。手書きとパソコンでは、漢字の使い方が違ってくる。手書きの方がやわらかく、漢字が少なくなることが多い。更に、手書きになれていないと、字を書くスピードも遅くなる。

 なお、書き方に迷う場合は、出口汪氏の参考書などが有効である。
 1ポイントのアドバイスとして、副題を付けることをお勧めする。

 例えば、「やりたい仕事」についてと言う出題に対し、
   『~人と接する営業職への想い~』
と言う風に絞り込んでみる。これだけでも読みやすくなるので試して欲しい。

 

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2007年4月17日 (火)

学校制度の難点

 色々学校教育について書いてきたが、今の教育で一番問題なのは、行き届いた指導書だと思う。いわゆる赤本だが、これがあるから新人教師にも一応指導の形ができている。しかもこのマニュアルは、現場を離れた所で作られているので、現場での修正ができにくい。

 新人でも教壇に立つ、学校システムについてもう一度見直しが必要ではなかろうか?

 なお、国語力とペアで想像力を鍛えて欲しい。対人能力も相手のことを想像し思いやる力が重要と思う。

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2007年4月16日 (月)

匿名社会について

 現在のインターネット社会の匿名性を、無責任社会と言う識者も多い。しかしこの匿名性も、ある種の利点があると思う。

 現在の社会では、色々な権威がある。そこで、そのような”先生”方に逆らうと言うことは、非常に勇気が要ることである。近頃はそれほどでもないが、昔は左翼系の社会学者などの逆鱗に触れると、厳しく”総括”されたものである。

 拉致問題が堂々と言える様になったのも、インターネットの普及と関連していないであろうか?

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2007年4月15日 (日)

高校生の学力評価

 新聞記事によると、高校生の学力低下が改善されたとのことである。額面どおりなら嬉しいが、一寸と思う点がある。まず、国語の力が本当に評価されているのかと言う疑問がある。漢字や古典を問題にしているが、論理的な文章の読み書きと言う、基本が評価されているか気になる。

 「桜」が大和言葉であるなどという話は、どこやらの美しい国総理への胡麻擦り問題であろう。

 なお、英語に関しては、前にも書いたが会話重視の面では進歩したようである。

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2007年4月14日 (土)

学問方法の変化

 前にも述べたが、経済産業省や厚生労働省が、学生の就職に役立つ能力を発表している。この中には対人能力などがある。従来これは自然に身につくと言われていた。しかしこれは身についていないということになり、評価したり、教えたりと言う騒動になっている。

 このようになった理由は、一つは大学での卒業論文やレポート作成が、インターネット社会で変化したからではないかと思う。

 昔は、卒業論文の材料を探すには、論文を図書館で探し、人に借りに行き、先輩に教えてもらってと言う手順を踏んでいた。

 しかし現在は、Web情報の検索で、かなりの情報が手に入っている。しかも教えてくれる親切な人間も居る。

 このような面も考えて欲しいものである。このページを参考に考えたと言われても、絶句するが・・・

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/2_fddd.html

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集団面接について(その2)

 さて、集団面接と言う形で、グループ討議を行う場合を考えてみよう。この場合は、個人面接とは別の、コミュニケーション能力や協調性を確認する場合が多い。

 「これは日頃の積み重ねでつく能力であり、ここで読んだだけで
  良い成績になるものではない。」

と言ってしまえば、このブログを読んでもらえないので一寸アドヴァイスをしておこう。

まずこれをしたら減点されると言うポイントは以下の点であろう。
  1.何もしゃべらない超消極派…言うまでもないでしょう(笑)
  2.自分勝手にしゃべり続ける…同上
   3.誰かの発言に対して、賛否のかみ合わない発言
     主旨曲解も含む
  4.何を言っているのかわからない場合(小さな声含む)
  5.すぐ感情的になる人間

 一方、ある程度の場を読む配慮をし、しかも自分の意見を確り言うのは、評価されるであろう。なお、この場合は討議者の中に、試験側の人間がそれとなく混ざっていたりする。これも注意して欲しい。

 また、力のある発言は、自分の経験に裏づけされたものが多い。しかし自分の経験だけにこだわる人間は嫌われる。こういう観点も知っておけば損はないであろう。 

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集団面接について(その1)

 ある人から、「就職活動では集団面接が苦手です」と言う話を聞いた。集団面接にも色々なパターンがあるが、とりあえず大きく分けると以下のようになる。とりあえず1型2型とここで乱暴に決めてみよう。

 1型.数人同時に部屋に入れ、個人面接を連続して行うパターン
 2型.集団の間で討論などさせてその反応を見る場合

 1型と2型とでは大きく異なる。1型では乱暴なことを言うと、面接側の効率化のため、呼び込みなどの時間節約と、複数面接官の有効活用という発想の場合もある。但し、面接官側も複数で対応するので、他人の話を聞いている姿勢をチェックすることも多い。また、順番をわざと変えて、予想外への対応力を試す場合もある。特に、マニュアル丸暗記的な応答を準備している場合は、自分の答えばかりに集中しているので、他人の面接を聞けないことが多く、そのような人間を振るい落とすのには有効である。また自分の番が終わったあとで、油断して姿勢が崩れる等もチェック項目である。

 また少し変化させると、サクラを入れるアイデアもある。例えば、一番最初に答える人間が、颯爽とした発言をすると、皆腰が引ける場合もあるであろう。また逆に、余りにも最初の人間が、砕けた言い方をしているのを見て、調子に乗って変なことをいってしまう。これらは、皆罠にはまった例である。なお、サクラでなくてもエントリーシートなどから適当に配分することで、このような効果を引き出すこともある。

 さて、まとめると1型での面接の受け方には、以下の注意が必要である。
  1.基本は個人の面接だから、自分の言うべきことをきちんと言えばよい
  2.但し、他の人の面接の時にも集中力を途切れず聴いていること
  3.特に変化して、自分に質問が振られた時にも対応する心の準備が重要
     そのためにも、自分の言うべきことは、イメージで覚えておくこと。
    左脳の記号的丸暗記は、中断や振りに弱い。
  4.最後に面接室に居る間は、ずっと集中して隙を作らないこと。
    自分の番が終わった後の姿勢も、観察されていますよ!!

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2007年4月13日 (金)

通信の復権

 近頃、通信技術が重要になっている。電子情報通信学会の4月号でも無線通信の特集になっている。振り返ってみると、1960年ぐらいまでは電子工学は通信のためにあったようなものであった。しかし計算機などの進歩で、通信は徐々に比重が小さくなってきた。しかも有線通信の方が主流になり、無線屋は小さくなっていた。

 これが現在は、携帯電話や無線LANのおかげで、無線技術が大切になってきた。

 しかしアナログ回路の判る技術者はどの程度居るのだろうか?その上で、ディジタル処理を考えるなら、非常に難しいことになると思う。技術者の育成の重要点であろう。

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2007年4月11日 (水)

プラトニズムの数学者

 現代思想のゲーデル特集を、拾い読みしていると、面白い部分があった。
  戸田山和久氏:「ゲーデルの数学的プラトニズム」とは何か
である。前に構造主義科学論を読んで、納得できなかった所が、これを読んですっきりした感じがする。

 流石に、不完全性定理等の画期的内容を見出し、さらに連続体仮説への一面の解を示したゲーデルらしいと思った。ポランニーの意見もこれに近いのではないだろうか?

現代思想 vol.35-3 2007年2月臨時増刊号 特集=ゲーデル 現代思想 vol.35-3 2007年2月臨時増刊号 特集=ゲーデル

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構造主義科学論の冒険 構造主義科学論の冒険

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2007年4月10日 (火)

職業能力の2面

 本日の朝日新聞の関西版の朝刊10面に、若者の職業能力の二つの指標の記事があった。両者の比較は以下のホームページで確認して欲しい。

経済産業省の「社会人基礎力」http://www.meti.go.jp/press/20060418005/shakaijin,kisoryoku-point-set.pdf

厚生労働省の「就職基礎能力」http://www.mhlw.go.jp/general/seido/syokunou/yes/01.html

 両者の比較は、経済産業省と厚生労働省の狙いを考えれば納得がいく。経済産業省は、企業の能力を上げ多くの税金を生み出すのが、主要目的である。一方、厚生労働省は、失業率を下げるのが目標である。

 従って、「就職基礎力」は最低限の能力で、「社会人基礎力」は今後の成長の条件であろう。

 ただ東京学芸大学の准教授殿が、基準から落ちた若者の挫折感と言う話でこれに反対しているのは、納得がいかない。学校側で確り教えていないからこのような状況になっているのにと思う。

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2007年4月 9日 (月)

電子工学は凄い

 昨日の続きで電子工学について考えてみた。昔の電子回路では、多少のエネルギーの無駄遣いを許容しても安定性などを得ていた。しかし現在の技術への要求は、高性能と省エネルギーを同時に実現しないといけない。

 例えば30年以上前のアマチュア無線では、SSBのフィルタで30dBの減衰など、減衰したうちには入っていなかった。しかし現在では、SN比(信号/雑音)が5dBもあれば充分と言う世界である。しかも、上記フィルタで切り捨てられる部分の電力がもったいないと言う議論さえ出ている。

 また最終段の電力増幅でも、昔は直線性を維持するためには、効率の低いA級増幅を使っていたが、現在は効率の良い増幅器を使い、線形性はフィードバックをかけて、ディジタル部分の入力まで使って補正している。

 このような厳しい実現で、ようやく携帯電話などの小さく持ち運ぶことのできる機器ができると改めて認識した。このような設計には、少なくともフーリエ級数を使いこなす必要がある。このため、学生時代の勉強が基礎として必要である。 

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2007年4月 8日 (日)

日経エレクトロニクスが面白い

 最新号の日経エレクトロニクスを見た。かなり面白い。特に
  『設計から実装,出荷まで
    初歩から学ぶワイヤレス機器開発の実践技術
が、物作りの実像を良く示していて面白い。電子の一部の分野に特化した問題と言わずに、色々な分野の技術者や、工学の学生さんたちに見て欲しいと思う。

 但し、電子工学の特有の話もあるので注意して欲しい。電子工学は、進化が激しくしかも、ディジタル的分野が強く、机上での見通しがかなり良い分野である。これが、電気でも重電的分野や機械の分野では、現場での経験的要素が利く分野が多くなる。

 完全に信じるのはいけないが、設計などの実務のイメージを掴むのには、良い記事だと思う。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/HONSHI/20070403/130123/

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当たり前のことを行う

 昨日あるテレビ番組で、テレビ局に勤める場合と、製作会社に務める場合の比較をしていた。日本の産業構造の一つの縮図を見た感じをする。

 まず、製作会社に入って1人前になるまでの期間だが、使いパシリのAD6年、ロケを任され3年、部分任され3年の、12年でやっと一つの番組を見ることになる。この期間は、小学校から高校卒業までで、何となく説得力のある期間であった。

 一方、新番組を作る場合には、4ヶ月ぐらい前に概略構想を製作会社が作り、3ヶ月~2ヶ月前に構想を詰めていくが、予算がない、キャストのバッティングなどでだんだんしぼんでいく。

 ここで、大切なことは予算がないからと企画を、小さくすると言う発想である。本来なら、発注元のテレビ会社の正社員が、もっと良い発想を出して、コストを削減しつつよりよい企画に仕上げる能力を出して欲しい。正社員は、製作会社より給与が高いのだから、それだけの能力を示してもらいたいものである。

 しかし現実は、製作コストの削減を、製作会社の安価な労働力に頼っているように、見える。この結果が、製作会社に入れば48%が中途で退職するが、テレビ局入社は2%程度しかやめないと言う数字である。

 本当に、付加価値の高い仕事をするから、給与の差が生じると言う、当たり前のことが確実にできるようになって欲しい。

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2007年4月 7日 (土)

技術・技能の伝承について

 本日、ある店でコーヒーを飲んでいて、技術技能の伝承について、思いついたことがあるので、書いてみたい。この店は、大倉陶園、ウエッジウッド等の良い器を、惜しげもなく使い飲ませてくれる。また、この店では、アメリカン専用の豆も準備している。

 しかも、マスターのドリップでの淹れ方も実に丁寧である。器関係を暖めるのは当然だし、お湯の温度を一定にするため、薬缶を2段にして使っている。

 このような確りした匠の技こそ保存し、伝承すべきであろう。

 しかし、この店にコーヒー豆を卸している業者に、教えられたある経営者は、
  「アメリカンは豆を減らしておけばよいのです。」
と聞いたので、
  「お湯で割るようなもったいないことはしない」
そうである。そのような人は、このコーヒー豆会社から『合格』を貰っているということである。このような状況で、技能の保存伝承の必要があるのであろうか?

 技術・技能の伝承は、『本当に良いもの』を評価してこそ行われるのではなかろうか。そのような思想なら、その技を持つ人を大切にして、ぜひ会社に居て欲しいと言うことになるであろう。

 ”パートタイマーの技能伝承”

と言う言葉に、何か矛盾を感じてしまった。

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2007年4月 6日 (金)

記号だけで理解できるか

 

構造主義科学論の冒険 構造主義科学論の冒険

著者:池田 清彦
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

を読んだ。『科学の本質は、同一性の追及である』と言う意見には、ある程度納得する。この発想は、ポランニーの発想にも似ている。しかし根本的に違いがある。

 この本の著者は、真理の実在と言うことを否定している。しかし、永久に見つからないかもしれないが、何らかの真理の実在を求める方が、研究する場合の動機付けになるのではなかろうか?

 

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2007年4月 5日 (木)

細切れ時間の活用能力

 会社務めの人間には、まとまった時間をとって勉強することは難しい。そこで、細切れの時間を活用することになる。このためには、中断に強い勉強能力が必要である。このために、二つの方法がある。

 その1
 中断に強い記憶方法を身に付ける。そのためには、できるだけ確りしたイメージで記憶する。左脳だけの記号的記憶は中断に弱い。

 その2
 平凡だがメモを活用する。何ごとも書いておけば直ぐ継続する。

 これを心得るだけでも、かなりの時間を有効活用できる。

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2007年4月 4日 (水)

勉強方法の続き

 昨日も書いたが、プレジデント・ファミリの5月号には面白い記事が多い。

 「行動科学ティーチングの威力」の記事では、「『やり方』『続け方』を習得することで勉強をできるようになる。」と言う記事がある。

 自分でも、教える場合に悩むのは『継続させる』方法である。行動を細かく分解し、一つ一つ教えることで、『やり方』は教えることが比較的容易である。しかし、継続した訓練が必要な場合の仕組みができないことが多い。

 このためには、細かく指導し評価することが有効とのことであった。

 一方、東大の入試は、広い観点で多様な答えを求めるとあったのも新発見であった。これは、教養学部の存在も大きいかもしれない。

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2007年4月 3日 (火)

勉強方法について

 プレジデント・ファミリーの5月号は色々と参考になった。http://www.president.co.jp/family/

 その中でも、目から鱗となったのは、英語の学習である。昔の英語の学習は、文章を読むことに重点が置かれていた。私達も高校時代から、サイドリーダーとして一寸した小説を読んでいた。この弊害として、全くしゃべれない英語教育と酷評される事態になっていた。

 しかし近頃は、会話重視に重点を移したらしい。会話重視と言うことは、即応性が重要であり、軽くこなすことが重視されている。確かに英語の実用化のためには、会話重視も有効であろう。しかも海外の有効な文献は、かなり多く翻訳されている。この面からも、会話重視への移行も納得した。

 しかし、学問全体が、軽くこなすようになっているように思う。これでは英語教育に振り回されている日本の教育といわれても仕方ないように思う。

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2007年4月 2日 (月)

理論が強すぎると

 技術について考えてみた。物造りには、理論と経験のバランスが必要である。理論は部分的であり、自然界の複雑さに全て対応していない。モデル作成を行うときには、モデルに書けないものがあると、必ず考えないといけない。

 このような謙虚さが昔はあった。しかし近頃はそれが、少し薄まっているように思う。特に、電子工学では理論的に検討を確りしないと動かない。実際オペアンプの増幅度は、かなり計算値どおりに動く。昔のトランジスタは、ばらつきの山でしかも温度特性での変動も激しかった。このため、現物対応の勘が必要であった。

 このような理論の力が強くなった状況では、今までの経験に対する謙虚さがなくなっているように思う。これが、新卒者を誤らせる一つの原因になっている。

 ある人曰く、「中途半端に設計どおりで動くのがいけない」と言うのは一面の真理である。

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2007年4月 1日 (日)

就職活動の面接対策

 就職活動について書くと、少しアクセスが増えるようである。そこで、一つアドヴァイスを入れておこう。いまどきのマニュアルでは、「対人関係が重要」と書いていることが多いと思う。

 しかしこれを、単に「面接試験が大切」ととらえるのは、不十分である。

 対人関係の試験は、会社の門をくぐった時から始まっている。いや、電話でのアポイントやメールの文章からでも分かる。

 更に面接官だけを見ているのではいけない。単なる案内者と見くびってはいけない。みんな人を見る目を持っている。人によって対応を変えるのは一番嫌われる。

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2007年3月31日 (土)

今朝の朝日新聞から(就職関連)

 今朝の朝日新聞で、紙面審議会の最終座談会を見た。中々厳しいが参考になる意見があり引用させてもらう。

 丹羽委員:朝日には優れた人材が入社してきているはずだ。不祥事にしろ、
  記事にしろ、入ったあとの修養、修業が足りないのではないか。

 勝又委員:不祥事をきっかけとした改革の一環でジャーナリスト学校を
    つくったわけだが、日々の仕事に追われている記者に、時には
  一つのテーマをじっくり追う経験を積む機会を与えることが必要ではないか。
  養成学校だけですむのかどうか。

 丹羽委員:若い人の読書離れが言われるが、いい記事を書き、
  いい見出しを付けるにはいい文章を読むしかない。

 白石委員:読むことも大事だが、たくさん書かないとだめだ。米国の大学
  では、研究論文を書かせるときに、文章作法も時間をかけて指導する。
  若い記者の文章修養はどうなっているのか。

 外岡局長:かっては、若い記者の手書き原稿にデスクが直しを入れ、
  それをもう一度、記者に清書させたりしたが、いまはパソコンの画面上で
  直すので、書き手に還元されるものが弱い。書くこと自体に割くエネルギー
  が減ったように思う。

フーム、この意見にはかなり賛成する。しかし、日本の大学の文章作成力に関して、大学教授の白石委員はナゼ触れていないのだろう?

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2007年3月30日 (金)

禅について

 「弓と禅」の新しい訳が出版されている。但し、この本は少し神秘論的な面が多いと思う。

 私も若い時には、禅について、何か求めるものがあった。しかし、何かしら訳の分からない『悟り』と言うものには到達できなかった。今にして思えば、当時の禅の入門書はことさら、神秘的な話をしたり、矛盾だらけの問答を仕掛ける風潮があったと思う。

 もう少し単純に瞑想と言うものを、とらえるべきだったと思う。さらに、顕教と密教の違いを、もっと早く理解するべきだったと思う。密教の瞑想は、菩薩と言う具体的なイメージを使うので入りやすいと思う。

 そういう点では、禅宗はまだ理屈っぽいなと思う。もっとも白隠禅師の『延命十句観音経』の読み方は、大分密教のにおいがしている。

無我と無私 禅の考え方に学ぶ 無我と無私 禅の考え方に学ぶ

著者:オイゲン・ヘリゲル
販売元:ランダムハウス講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

弓と禅 改版

著者:オイゲン・ヘリゲル
販売元:福村出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

白隠禅師法語全集〈第6冊〉八重葎(巻之2)延命十句経霊験記 白隠禅師法語全集〈第6冊〉八重葎(巻之2)延命十句経霊験記

著者:白隠 慧鶴,芳澤 勝弘
販売元:禅文化研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年3月29日 (木)

一寸した違い

 近頃つくづく思うのだが、世の中で成功する法則は簡単である。

その1
 自分の努力に比例した、報酬を望む。
 努力の分を超えた報酬を得てしまうと、人間はおかしくなる。
 人間以外でも、どこやらの補助金目当ての会社や自治体の運命も同じ。

その2
 少しの配慮を行う。特に相手の立場で、必要なものを考える。
 また自分の仕事は、できるだけ合理化しながら、付加価値を付けていく。

その3
 上と関連するのだが、1回の苦労を惜しんで、何回も苦労するのは避ける。
 一度壁を越えると楽になることが多い。

さてどれだけ実行できるだろうか?

 

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2007年3月28日 (水)

就職活動他で大切なもの

 先般も就職活動について述べたが、若い人たちには、これから意識して伸ばして欲しい能力がある。
 それは、想像力である。

 例えば、面接を受ける場合に一寸面接官の立場を思いやることができると、色々と見えてくる。このためには、自分がその立場になったと想像してみると良い。

 また、モノを作る立場でも、利用者が使っているシーンを想像する。そうしたことで一寸した配慮をする。また、何ごとも相手の立場に立って想像してみる。そして、少し自分の知恵を出して、両方に良くなる答えを考える。この差が大きく積み重なってくる。

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2007年3月26日 (月)

見方を変える

 時々読む武道雑誌『秘伝』の4月号は、古流剣術の特集であった。伝統のある流派の話は、それぞれ面白いが、一刀流の
 「円は多角形の角度を増やした極限で、至るところに角がある」
と言う話には納得してしまった。

 確かに、このような見方もあると思う。もっとも、相手と同時または少し遅れて切り込み、自分の刀だけが相手に届き、相手の刀をはずす、『切り落とし』を実現するには、半端な鍛錬では無理である。このように、丸いものでも角がたつほどの反発力は、凡人には及ばないかもしれない。

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2007年3月25日 (日)

就職活動中のあなたに

 このごろ就職活動が激しくなっているようですね。本日もある喫茶店に入ったら、先輩の意見を聞いている学生さんが居ました。ここで一寸気になったのですが、現在の学生さんは、先輩の意見やインターネット上の情報収集などに凄く力を入れているようですね。

 皆さんは、今までの進学に関しても、学校や受験産業の豊富な情報に従って進んできたようですね。但し、そこではやりたい学問で決めるより、確実に入れる学校を選んだことが多かったと聞きます。

 ここで一つ大切なことを指摘します。学校は志望者に選ぶ権利があり、沢山の人間が殺到した学校が、やむを得ず選別しているのです。言い換えると、受験者はお客様なので、多く来て貰う必要があります。一方会社に勤めるということは、会社と皆さんが契約を結ぶと言うことで、双方に選ぶ権利があります。

 だから、大学が情報を提供する場合と、企業の提供する情報とはちがいます。その様な状況では、情報も大切ですが、自分が勤めても良いという想いを大切にしてください。

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2007年3月24日 (土)

下請けいじめをなくなすには

 新聞を見ると、関西テレビの問題放送が16件とあった。さらに、経済面では経済産業省が、
  『下請けいじめ対策本腰』
と言う記事も出ている。

 前にも書いたが、この問題の根本は、発注する側の能力低下である。

 まず、現場の状況を知らないのが問題である。モノを作るのにどれだけの時間と手間がかかるか、本当に把握した上で発注がされていないから、このようなことが起こるのである。次に、コスト削減に対する、発想の貧困である。モノの作り方か、モノ自体を革新しない限り、そう簡単にコストの低減と言うことは、できるものではない。確かに一時的に外部発注すれば、低賃金の労働者が働くので、安価にモノができるように見えるかもしれない。これが、進むと海外での生産と言うことになる。

 このようなトラブルの再発防止は、発注側の大会社が社員教育をきちんとして、高給に耐えるだけの付加価値を社員に生み出すように、きちんとしつけることが重要である。

 なお付加価値と言うことは、大企業の名前をかざして、発注先を恫喝して、値引きさせることではない!

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2007年3月23日 (金)

学者の予測

 先ほど見ていた、日本テレビ系の
  「驚きの嵐!世紀の実験」
は面白かった。

 特に学者先生達の予測が、大きくばらつき、現実に合わないのが面白い。現在の技術進歩でも、このようなことが多い。

 逆に、ある程度設計どおりのものが出来るのは、電子工学の世界であり、設計どおりになるのはコンピュータソフトウエアの世界と言えよう。

 これらの分野では現場に対する、敬意が薄れているように思うが、実際は多くの分野で現実対応が重要である。

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2007年3月22日 (木)

物余り時代は下流が決定

 物の仕様決定に、部品メーカーなどの上流が力を持つ場合と、組み立てメーカーなどの下流が力を持つ場合の両方のパターンがあると言う話を、先ほどある雑誌の記事で見た。

 例えば、パソコンは、プロセッサーを作るintelとWindowsを作るMicroSoftの両者に仕様決定権がある。これが上流側が決定するパターンである。一方、車は組み立て段階を握っている自動車メーカで仕様が決まる。

 このように仕様決定の上流・下流の分割理由を考えると、物の供給が厳しい段階では、上流が決定権を握っている。つまり、ユーザーの意見を余り聞かず、これを使えと言う発想である。一方、供給にかなり余裕ができて、ユーザーが選択できるようになると、下流側が力を持つようになる。

 さて現在は、一般に物余りの時代であり、下流側の組み合わせが多様化するように思うが、いかがであろうか。

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2007年3月21日 (水)

教育の基本

 昨日の、”ガイアの夜明け”は興味深いものであった。大手進学塾の新人が参考になった。

 テレビで放映されているのは、私の解釈では以下の2項目であった。

 1.発声練習…大きな声で明確に伝える

 2.起立礼…最初にすることもきちんとさせえられないのに他の事が教えられるか

確かにこれが教育の基本と思う。

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2007年3月20日 (火)

暗黙知と偶像崇拝の可否

 暗黙知に関して、日本と欧米の違いは、キリスト教の偶像崇拝禁止が影響しているように思う。キリスト教は偶像崇拝を禁止しているため、イメージでの伝承は難しいように思う。しかし、日本の仏教は仏像を拝むことは禁止されていない。

 また、弘法大師の『般若心経秘鍵』等では、お経の教えを、菩薩や如来と一体になることで身に付けることを示されている。例えば、華厳経の教えを象徴する”色即是空”は、建立如来すなわち普賢菩薩の悟りである。

 このように、文章で書いた理屈でなく、それを実践する方々と一体になるのは、暗黙知の伝承の理想形と思うがいかがであろうか?

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2007年3月19日 (月)

努力を示す

 現在、テレビで
  『コーチング』
を見ながらこのブログを書いている。この番組は、コーチングと言うことより、出演者の努力が魅力と思う。他にも、『シャルウィダンス』も努力を見せる番組であった。

 このように努力を見せる番組が出てくると言うのは、世の中の流れを
   『努力を評価する』
向きに誘導する思想があるのかもしれない。

 個人的にこれは悪くないと思う。

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2007年3月18日 (日)

電子工学の変遷

 電子工学はこの数十年間で大きく進歩した。特に30年ほど前の回路設計と、現在の回路設計は大きく変化している。30年ほど前では、アナログ回路には、単独のトランジスタを使用することも珍しくなかった。当時のトランジスタは特性のばらつきも大きく、作業者の『勘コツによる現場での調整』が必要なことも多かった。

 しかし現在のアナログ回路は、演算増幅器を利用して、フィードバックをかけて実現している。従って、設計どおりの性能が実現するようになっている。さらにGHzのレベルの帯域では、シミュレーションが必須である。このような机上設計に重点がおいた世界では、大学などの高等教育の効果が大きくなる。従って、少なくとも機能レベルでは、現場での職人の知恵に依存する部分が少なくなってきている。

 このため、大学卒業生が現場に対する敬意を払わなくなったのではなかろうか?特に、組み込みソフトに依存するようになると、ソフトウエア技術者が全てを取り仕切り、現場に対する依存がますます少なくなっていく。このような世界は、日本の物造り伝統と少し離れそうである。

 重電や機械の分野では、まだ現場の知恵に依存する部分も多く、先人に対する敬意が残っているように思う。これはこれで、解決すべき課題があるが、少しは先人に対する敬意を残して欲しいように思う。

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2007年3月17日 (土)

教材の工夫について

 先ほど、教材について議論する機会があった。そこで、自分の貧乏根性を再認識した。議論内容は、ある会社から供給されている、ソフトウエアの勉強用の教材である。

 非常に安価で、ほどほどの機能があり、例題の与え方と説明を工夫すれば、充分教育効果が期待できると、私は判断した。しかし供給側の会社の発想では、もっと機能を付けた方が良いのではと言う質問であった。

 確かに、近頃の技術水準を考えたら、もう少し機能を追加するのは簡単かもしれない。

 しかし、教育の効果を生み出すのは、相手に合わせたコンテンツと説明と思う。そのためには、与えれた教材でどこまで工夫するかが大切ではと思う。

 多少昔の貧乏性に対する、負け惜しみが入っているが・・・

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2007年3月16日 (金)

給与はどうして決まるの

 現在春闘が激しい話になっている。これでつくづく思うが、本当に納得に行く給与の決まり方は、どうしたら良いのであろうか?今までは、雇用者と被雇用者の間で納得が成立すれば良かった。

 現在は、話が複雑になっている。まず同じ職場に、派遣社員がいる場合に、給与の違いが説明がつくのであろうか?このような議論が出てくる。勤務の多様性と、能力の多様性が絡むからややこしい。特に一見仕事のできない正社員が、高い給与を貰っていると話がややこしくなる。これに関しては、正社員は継続雇用による、成長見込みと言う議論は、一つの根拠になる。そうすると今度は、正社員の高能力者が、会社に借りがあるので給与を差し引かれると言う議論も出る。

 更に、海外に目を向けた場合に、同じ仕事をしても、給与差が出てくる。確かに向こうの国において、金銭価値が違うといえばそれまでだが、海外に発注した時、相手側に
  『あなたはナゼそんな給与をもらえるのですか?』
と質問されて、確り答えられる人間がどれだけいるだろうか?

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2007年3月15日 (木)

マスコミと政治の関係

 少し古いニュースの関連だが、近頃の新聞社と政府の付き合いは、大人になったと感じている。

 まず読売新聞と防衛省の関係だが、新聞記事にしたと言う事で読売新聞のほうには追求がない。

 また、毎日新聞は自社の記者が取材情報を、他に漏らした件でまじめに謝罪している。

 昔の、外交機密情報を記事にせず、しかも野党代議士に渡したくせに、マスコミの知る権利などと威張っていた、新聞社と比べると大分進歩したと思う。

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2007年3月14日 (水)

15000アクセスの拍子抜け

 本日なぜか知らないが1000以上のアクセスがあり、15000アクセスをあっけなく突破してしまった。この数日で、15000になると楽しみにしていたが、あっという間に通過してしまうと拍子抜けである。

 とはいえ、昨年1月2日から始めたこのブログもまた一つの通過点を迎えた。

 読者の皆さんに感謝します。

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2007年3月13日 (火)

昨日の補足

 昨日の記事にコメントを頂きました。

<一部引用開始>
 ヒューリスティックというのは「発見的・経験的」という意味です。
「暗黙知」の逆が「体験で得られる知識」であるならば、ヒューリスティックな
知見は暗黙知ではないのでは?
<引用終わり>

 確かに強引な議論展開をしたので、疑問を抱かれる向きもあったと思います。しかしここで誤解を解いておきたいのは、
  「暗黙知」の逆は、
  「文章等で明示的・形式的に記述できない知識」
です。だから、暗黙知も体験的に身に付けることができます。ただし、
  「単純に本を読んで身につく、坐学で身につくと言うものではない。」
と言うことを言いたかったのです。

 ヒューリスティックに関する暗黙知と言う表現は、適用できる条件が『明示的』に表現できず、『暗黙的』に適用条件を決めることになることがあると言うことです。成功する条件と例外の区別がつかない、複雑な条件に対するヒューリスティックを話題にしました。

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2007年3月12日 (月)

暗黙知について再度の検討

 ポランニーの暗黙知によれば、知識は暗黙知であるか、暗黙知に根ざしているかのどちらかである。これを言い換えると、本を読むなどの形式的な情報を、いくら収集しても使えないと言うことになる。

 これについてはある程度納得する面がある。実際に役立つ知識は、色々と自分で体験することで身につくことが多い。また、ヴィーコは『学問の方法』で聴講生について述べている。つまり、昔の大学では、あるレベルに達成したと認められるまでは、議論に入らず聴くだけの立場で参加する聴講生とからスタートした。これも、「暗黙知ができてから学生として議論する」と言うことであろう。

 また、一般システム思考では、色々な手法は、手法自体の知識と同程度以上に、適用すべきかどうかを知ることが重要と述べている。またヒューリスティックな知恵は、いつ適用をやめるか教えてくれないとも書いている。これも暗黙知の一面であろう。

 しかし、逆に考えると、文章のような形式的な情報から、本当の暗黙知を身に付ける方法を、見出すことが『独学の力』を身に付けることになると思う。一つの方法は、丸暗記して置いて、現実で適用できる場面で反芻しながら身に付けていく方法がある。他には、類推能力を使いながら、適宜修正する方法もある。

 但し、独学で暗黙知を掴むためには、最低でも一つの分野をかなり深め、本物を見抜く力をつける必要がある。

一般システム思考入門 一般システム思考入門

著者:ジェラルド M.ワインバーグ
販売元:紀伊國屋書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 

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2007年3月11日 (日)

本日の朝日新聞から

 本日の朝日新聞を見て、色々思うことがあるので忘れないうちに書いておく。

その1
 都道府県や市議会の議員提案条例がゼロが4割と言う話と、ある県議会で、議員に質問の仕方等を教える地方役人の話があった。これは、一つには現在の法制度が複雑すぎて、それ専門の官僚の手を借りないと、とても新規提案できなくなるほど、複雑になっていることに、原因があると思う。
 これに関連して、数日前に某知事が新人のマニュフェストは、制度に慣れていないので大目に見て欲しい、と言う主旨を書いているように記憶している。
 しかし、議員や首長は、それなりの住民の信託を受けるべきものであり、全員プロであるべきと思う。プロと言うものは、その場に立てば期待された働きをするものであり、そこで新米だから・不慣れだからと言う泣き言はおかしいと思う。

その2 
 教員養成の教職大学院を作ると言う話が載っていた。しかし、会社で院卒を含む新入社員を見ていると、大学院で勉強したからと言って、本当に教員のリーダーが育つかは疑問を感じてしまう。大学及び大学院で学んでも、授業対象を想定して教材研究を行う。教壇の上から、教室の隅々まで声を届かせ、しかも反応を読む。このようなスキルは経験で身に付く要素も多い。本当に大学院できっちり教案を書けるように訓練するのであろうか?教科書メーカーの指導書がないと教育できない教師を、これ以上増やすのはおかしいと思う。
 但し、現役の教師の再勉強として、知識の整理と充実を図るのは有効と思う。

 どちらにも共通するのは、大学で卒業した段階で直ぐにプロとして通用する人材が、世の中に出ているのであろうか。

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就職活動および社会生活のために

 先日から何度か書いたことは、まとめると、左脳による記号的思考への、過度の依存の弊害についてである。

 これをひっくり返すと、就職活動の面接や、社会人としての生活に大きな武器になる。この話しもう少しまとめて、自分のホームページに載せたいが、とりあえずアイデアを忘れないうちに書いておく。

 まず、思考方式として数式などの記号的な話より、具体的のもののイメージで考える。極端に言えば、数学を方程式で解くのではなく、算数の鶴亀算・旅人算・・・で解くというのも一つの考えである。これは、平成教育委員会等が得意とする技である。これを心がけていると、思考するときにはあるイメージができて、それを動かしたり、それと対話しながら考えるようになる。

 このようなイメージがある程度できて、ある種の感情を抱くようになると、そのイメージを確り記憶するようになる。ここまで来ると、一寸した中断には動じなくなる。

 この中断に強いと言うことは、色々と効果がある。例えば、面接の時にも、マニュアルの棒暗記の答えには、チョイト意地悪したくなる。一番簡単なのは、しゃべりだしてから口を挟む手である。棒暗記した子には、そこで流れが止まり、次が出なくなり立ち往生する。

 これが、自分のイメージを持っていると、中断しても直ぐに立ち直り話を続けることができる。しかも、感情まで込めて話すので、非常に強く話せるようになる。自分の体験が強いと言うのも、このようなイメージの力が大きい。

 さて、中断に強いということの、もう一つの効果がある。社会人の勉強と学校の勉強の違いは、時間環境の違いである。残念ながら会社生活中には、連続してじっくり勉強する時間を確保するのは難しい。しかし5分や10分の細切れ時間は結構ある。この時間を活用すると、色々面白い勉強ができる。このような、状況に適応して、自分を改善できる人間が、本当の”勝ち組”ではなかろうか?

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2007年3月10日 (土)

世代による変化(想像力)

 『近頃の若い人』と言うのは使い古されているかもしれないが、ある種変化を感じている。その原因として、全てバーチャル世界による思考が多く、リアルな世界に対する、想像力が弱くなっているように思う。その結果以下のような現象を散見する。

1.記号の世界での結果を全てと思う決め付け
   現実の複雑さに対する謙虚さがない
   マニュアルの例外への対抗力がない

2.自分の思想がすべてと言う極端な思い込み
   先日、反戦運動に関する記事があったが、最初は
    『日本人は被害者であったが、加害者でもあった』
   と言う思想でスタートしたのに、若い運動家は
   原爆被災者まで否定する発言をしてしまった。

3.教科書が全てという専門家
   昔、某大学のインターン医師に診断されたが、
    『お前の心臓は教科書どおりの場所にない、重症だ!』
   と大騒ぎされた。病院に行って検査を受ける羽目になった。
   (当然正常) 

 この原因は色々あると思う。一つは、インターネットやテレビで情報過剰になり、自分で想像せずとも情報をもらえるようになっていることも一因と思う。

 また、中途半端に科学が進み、かなり教科書どおりで、予測できるようになっているのも原因かもしれない。昔の物理の大先生は、
 「野球の重い球などない」
とおっしゃっていたが、現実には重い球軽い珠が存在する。近頃は、教科書などがコンピュータグラフィックスや超高速分解写真を駆使して、バットとボールの当たった瞬間や、接触面の変化をかなり詳しく示し、色々教えてくれるようになった。

 これは大きな成果かもしれないが、これで全てと思い込むようになることは、かえって弊害が出るように思う。

 なお、政治活動などでは、極端から極端に走る傾向がある。これについても、中間より極端のほうが想像しやすいと言うことで、説明できるかもしれない。 

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2007年3月 9日 (金)

給料の決まり方

 近頃よく、「派遣社員と正社員で給与差があるのに、仕事は同じ」と言う問題を聞く。この原因には色々な面がある。まず、給与差に対する擁護論は以下の側面がある。

 1.正社員は仕事に対する責任が大きい。メーカーでは、
   製品のトラブル時の対応、将来の保守など長期の責任を
   背負っている。

 2.個別業務のスキルは、長期の経験を通して身に付いている。
   同様の仕事に見えて、深みが違っている。

 しかし、業種や会社の運営によっては、派遣社員と正社員の差が見出せない場合もある。ここでもう一度もう少し深く原因を追求してみよう。直ぐに見えてくるのは、一部の企業で、賃金水準が高くなりすぎている点である。これに対して、利益を生むための発想が、
  「安い賃金の作業者を求める。」
と言う安易な発想になる。これと、単に安価な賃金の海外での生産を推進している場合も、同様な発想である。本来の原価低減は、生産技術や素材などでの革新から生じるべきものである。確かに業務の標準化で、職人の名人芸から、素人工へのシフトで、作業者の給与削減は、近代工業の成長の基本であった。

 しかし国情による給与の差に対する安易な依存や、派遣労働者への依存には、あまり経営努力が感じられない。こんなもので本当に競争力が出るのであろうか?

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2007年3月 8日 (木)

出版状況について

 近頃読んだ2冊の本で、一寸違和感を感じた。どちらも、ある分野での名著の解説書である。昔は、『プログラミング言語C』や『ファインマン物理学』は、プログラミングや物理学を専門とする者にとっては、必読の本であり、皆何度も読み返して自分のものにした。

 しかしこのような解説書が出たということは、これらの本を他人に読んでもらうという人たちが出たらしい。この分野の裾野が広がったと言うべきか、専門とする者達も安きに流れるようになったか、判断に迷う所である。

カーニハン&リッチー『プログラミング言語C』を読む カーニハン&リッチー『プログラミング言語C』を読む

著者:小林 健一郎
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「ファインマン物理学」を読む 量子力学と相対論を中心として 「ファインマン物理学」を読む 量子力学と相対論を中心として

著者:竹内 薫
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年3月 7日 (水)

失敗学と経営学

 失敗学が現在流行っている。提唱者は、工学院大学(元は東大工学部)の畑村教授である。確かに、従来のキレイゴトの学問から、現実的な失敗に取り組み、再発防止に取り組むことは、社会的にも重要と思う。特にこの”言霊の国”では、失敗の話が堂々とできるようになっただけでも助かる。

 しかし、この分野は工学が主導権をとるべき分野であろうか?

 社会的影響や人間的要因が占める面が大きいだけに、経営学などの分野で、取り上げてもよいのではなかろうか?

 学問の専門性と言うことで、少し考えてしまった。

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2007年3月 6日 (火)

日経ビジネスアソシエから

 日経ビジネスアソシエの最新号に、一寸面白い記事があったので忘れないうちに記録しておく。

その1
 小泉首相は、テレビ向けでは10秒しか話さない。なぜなら10秒なら編集されずにそのまま映るから。編集で変に切られた経験がある人は多い。

その2
 本を読む場合は、徹底して読む。本は自分の力以上のものが書いてあるので、その概念を背伸びして使うのは、身を滅ぼす。自分のものにするには、何回も読み返す必要がある。

その3
 就職の面接では、自分の成功体験を話す。そこで努力して問題を解決した過程が、面接官に受けると言うこと。

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水田はいつから?

 先日の朝日新聞に、『水田は明治時代以降から日本中に広まった』と言う記述があった。確かに、水の供給や肥料など色々解決すべきものがあったであろう。

 でも、江戸時代の米での経済を考えると、本当に水田は珍しいのかな?

 先入観を破壊するのは大切だが、余り簡単に新説に乗るのも怖い気がする。

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2007年3月 5日 (月)

法律の構造について

 先般、法律の専門家の講演を聴く機会があった。非常に面白く目から鱗と言う経験をした。もっとも、このブログで書いたことを修正する羽目になってしまった。(06/4/12:やりすぎで残業)

 まず、日本の法律は大きく分けて3段階の世代があるということである。

 1.明治維新まで
    これまで、万人向けの成文法は大宝律令しかない。
    つまりこれまでは、律令国家が継続している。(XXの守 などの官職名)

 2.2000年ぐらいまで
    明治時代の法律は、フランス→ドイツ式の法律体系を導入している。
    第二次大戦後は、憲法はアメリカ指導で作ったが、民法など
    多くの部分は明治の法律を継承している。

 3.近頃
    アメリカ風の法律が、時々顔を出す。例えば会社法など・・・

 ドイツ式及びフランス式は、法の運用を厳格に行う。アメリカはそのあたりは曖昧で、問題が起こったあと決着と言う思想がある。

 このような基本思想の転換は、慎重に行わないといけない。従って、前例まで調べるので、大宝律令の調査は、当然必要かもしれない。アメリカの外圧で会社法を変にいじった結果はどうなるのだろうか?ただし、経営者のノブレス・オブリージュがなくなると、アメリカ式の法律が必要かもしれない?

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2007年3月 4日 (日)

違いが解る

 先ほど『目的と目標』について書いたが、もう少し似たような話を思いついた。

 戦略と戦術
 問題と課題

 これらの答えは、就職試験の準備として知っておいて欲しい。

 戦略は大局的なもの、戦術は具体的な戦い方、但し失敗した後
 「これは戦術的には失敗したが、戦略的に成功した」
と言う言い訳に使うことも多い。

 「問題は、皆が感じているもの、課題は自分が解決しようとしているもの」
と考えておけばよい。但し
  「問題点はXXです。私はこれをYYしようとしている」
と言う言い方も成立するので、課題といわなくても積極性を示すことができる。

 最後に注意すべきことは、
  『目的』と『手段』
の区別である。特に、解決手段を先に求めて、自分ができることばかり考えると目的を失いやすい。

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目的と目標

 会社で、『目的』と『目標』の区別を、きちんとしろと言う話がある。『目的』は、最終的に達成すべきものであり、『目標』はそれを具体的に表現したもので、多くの場合では『数値化』することを求められる。

 ただし『目標』は、具体的に書くことが大切であり、数値にはこだわらなくてもよい。例えば、東京大学の理学部のホームページには、以下のように目標が記述してある。
 http://www.s.u-tokyo.ac.jp/gai/kyo.html

 一方、京都大学で目的の代わりに将来構想が見つかった。
 http://www.kyoto-u.ac.jp/uni_int/01_unei/syorai.htm
 また教養教育に関しては以下のページも見つかった。
 http://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/zenkyo_purpose.html

 また色々なホームページでは、第2次大戦のドイツ軍参謀本部の言葉として、
 「目的はパリ、目標はフランス軍」
もよくこの区別を示していると思う。

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2007年3月 3日 (土)

暗黙知の実例

 このブログでは、ポランニーの話は例外として、どちらかと言うと、身体を使う暗黙知について、書いてきた。しかし、大学の研究室でも暗黙知は使われている。そのような事例が見つかったので、忘れないうちに書いておく。

 該当するのは、講談社+α文庫の『墜落』のp395~p398にある、高野博行博士の、飛行機の飛行状況シミュレーションを実現するための、考え方の説明である。一つのシミュレーションが、発散せずにまともに動くようにするためには、2~3ヶ月かかるとのことである。
「このモデル作りの過程で、トライアル&エラーを繰返していくと、
 解の動き方、修正のされ方が一応解ってくる。」
「そしてある日、計算結果が急速に改善されるようになります。
 こうしてようやく最適解の一つにたどり着いたことになる。」 
「ひとたび解を得ると、その設定値を少し変えたところの解は
 比較的容易に得ることができる。」
「非常に重要なことだが、最初の解をそのまま使ってはいけない。
 最初の解は拘束条件に依存することが多い。
 制限にかかわらない解から出発する方が効率が良い。」
 「そういうことをよく考えた上で、概略構造を求める。
 前回解を求めた経験がこの時生きる。最初の問題を解くときに、
 色々苦心したことを通して、解のパターンとか解の性質とかが、
 かなりわかっていることにもよる。」 

 表現は変えさせてもらったが、暗黙知の働きがよく出ていると思う。

 世界のトップの研究だからこそ、暗黙知が重要だと改めて考えた。

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2007年3月 2日 (金)

ネット時代の就職活動

 一寸大学のホームページを覗かせていただいた。個人のホームページも色々とある。ところで皆さんは、就職活動をする時、企業の担当者がそこを見る可能性を、考えているのかなー?

 例えば、ある大学の経営学部では、”姫”様が
  「ルイビトンがお気に入り」
と曰まっていた。

 さてこのお”姫”様は、流石は経営学部と言わせることができるであろうか。

 ルイビトンのブランド戦略で一言演説できるだろうか?

 私の経験では、カード入れを買った時に、販売店の方が
 「補充品は最低30年程度は確保します」
と言うことにも感激したし、実際家内の財布の停め金具が甘くなったら、直ぐに直してくれた。このように
 「長く付き合えるメーカーとしての良さが解り、本物の良さが解る」
と言う一言があれば、私なら感激する。

 もっとも日本の知恵として、お伊勢さんも20年毎の式年遷宮で立て替えて、宮大工の技を保存している。どちらが良いか議論してみたい。 

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2007年3月 1日 (木)

技能の伝承について

 先般あるところで、技能の伝承に関するシンポジウムを聴かせてもらった。そこで、近頃の若い人たちには、最初に派手な表側の仕事をさせ、その後徐々に裏方の仕事を教えないと、ついてこないと言う話を聞いた。昔は調理場では、皿洗いから入ったが、今ではいきなりフライパンで料理させると言う話である。

 これは時代の流れと嘆く向きもあるだろう。しかし、昔から技の伝承には、以下の二つの流れがあった。一つは、身体の鍛錬になる基礎的な作業、多くは裏方から入り、身体ができてから次に行く方法である。例えば、皿洗いや、道具の砥ぎなどから入る方法である。一方、最初に全体を見せておき、その後個々の鍛錬を繰り返しながら、最後にもう一度全体にいく方法もある。なお、昔は内弟子制度があり、全体を見る機会が多くあったので、個別鍛錬にいきなり入る方法が効果的に働いたようである。

 さて、技の伝承では、武道の話が古来からの知恵として参考になる。まず、示現流では最初に学ぶ燕飛の型に、極意の技が全て入っていると聞く。ただし、示現流は立ち木内と言う一人の訓練をその前に行うかもしれない。

 一方、沖縄空手の古流の伝承を良く残している剛柔流では、最初に三戦と言う限定された技だけの基本型で、身体を鍛えその後、最破等の実際の攻防に役立つ、開手型を習うことになっていた。しかしながら、これでは若い人がついてこないので、撃砕と言う普及型を作り、初心者でも攻防の感じが味わえるようにしたと聞く。

 このように全体を見せ、少し格好の良い所から入らないと、人をひきつけないかもしれない。しかし、身体を作らないと、悪い癖がつくので、最初に身体を作るほうが成長が早いのは何となく納得がいく。

 ただし、昔の内弟子のように全体を見る機会がなく、想像力も弱くなった現在では、全体を先に見せるべきかもしれない。

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2007年2月28日 (水)

引退の時期について

 三遊亭円楽さんが、
  「自分の思うようにしゃべれない」
と言うことで、引退すると言う記事があった。
  「プロとして、最高の芸を見せることができなければ引退」
と言う潔さには敬服する。

 しかし、桂米朝さんの『ほど良くぼけた』高座というものも味がある。

 どちらにも理があるような気がする。落語の世界ならでの話かもしれないが、老人力の効果も面白いと思う。

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2007年2月25日 (日)

写楽の絵は写実か?

 一寸前に、NHKのテレビで写楽の役者絵について、
 「現在の目で見ると、デフォルメに見えるが、当時の照明などを
  考えると実際は写実的である。」
と言う内容を見て、目から鱗の感じをした。

 現在の目で見ると、美意識や写真等の写実での評価による、バイアスが入っていたと再確認した。これも一つの暗黙知の作用かと思うのでここに忘れないうちに書いておく。

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2007年2月24日 (土)

暗黙知に関して補足

 先ほどの暗黙知に関して、もう少し書いておきたいことがある。仏教の教えでは、如来・菩薩・明王と色々な方々にお助けいただく。特に密教では、その方々のお力を自らのものとする。例えば、記憶力を増したければ、虚空蔵菩薩様のお力を自らのものとする。

 ここで、記憶力と言う抽象的なものが、虚空蔵菩薩様の具体的な姿でイメージ化されている。その外にも、大慈悲の観世音菩薩様、大威力の不動明王様など色々な方々がいらっしゃる。

 このような菩薩様の具体的なイメージを持ち、その力を自らの中に求めることは、抽象的な概念から、求めるより遥かに効果的と思う。

 ポランニーも、「暗黙知のためには、実在をイメージすることが重要」と言っている。この点でも、弘法大師は1000年以上先行していたように思う。なお、ポランニーは、ヒルベルトの
「定義をきちんとしていれば、ラベルはどのように付けても、数学は展開できる」
とした姿勢と戦っていたのだと思う。これに関しては、ラカトシュが、
 「定義の記述は、定義のラベルに影響されてはいけない、建前だが必ず影響を受ける。」
と証明分析で述べていたこととも関連している。

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暗黙知の大先輩

 暗黙知について、ポランニーの本を色々読んでいたが、その前に「確りした暗黙知の議論がある」ことを思い出した。それは、弘法大師空海の密教の教えである。既に806年の『請来目録』に、顕教のお経では、説ききれないものがあり、書画等種々の助けを借りて伝えると言うことを書いていらっしゃる。

 「蜜蔵深玄にして翰墨に載せ難し。更に図画を仮りて
  悟らざるに開示す。種種の威儀、種種の印契、大悲より
  出でて一覩に成仏す。経疏に秘略にして、
  これを図像に載せたり。」

 考えてみれば、昔は文字の普及率が低く、文章による伝達と言うものの比重も低かったと思う。そういう意味で、伝承は”現在言うところの”『暗黙知』で行われるのが標準で、その補助や心覚えとしての、文書や図画であったと思う。

 真言密教が、現在まで無事伝承されていることを考えても、暗黙知の伝承は、まず弘法大師様に習うべきかも知れない。

 その次には、武道などの秘伝伝授があると思うが、これは別に書きたい。

 日本人の伝統ある『暗黙知』は、変に西洋の学者を担ぐべきではないように思う。

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2007年2月23日 (金)

ある工業高校の課題発表

 ある縁があって、工業高校の合同課題研究発表会 を聴く機会があった。最初の発表は建築科の生徒であった。課題自体は、詰めが甘いと言う感じはしたが、彼女の頭の良さと将来性を感じるものがあった。「大学に進学して、建築士になりたい」と言う希望がかなうことを祈っている。

 そこで、2つの会話を思い出した。

 一つは、昔棒大学の先生との会話で、
 「近頃の学生は、小さな資格を取り、大きな夢を語らなくなった」
 「設計コンペに参加したいぐらいと言って欲しい」
と言う、縮まる話である。

 もう一つは、電車の中で聞いた話である。工業高校を卒業して、大学に進学したと言う子が友達と話していた。
 「大学での授業はどう」「高校で習ったことの繰り返しだ」

 これは確かに初年度では、そのような面が多いと思う。しかし、大学では数学などの基礎できちんとした体系をつけるので、今までより深く理解することができる。そのような深みを理解しないと、一流にはなれない。その勉強過程では、苦しいことは多いと思う。挫折もあるかもしれない。

 しかし、それを乗り越えて、本当の一流になってくれることを期待している。

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2007年2月22日 (木)

良いものから必要なものに

 現在は、『お客様の求めるもの』を供給することが重要である。昔は、『良いもの』を作れば買うものだと言う信仰があった。しかし、現在のように物が豊富になれば、本当に必要なもの、または欲求を掘り起こさないと、買ってもらえない。これを広く言うと、受け入れられないと言う表現が正しいかもしれない。

 そこで思い出したのが、JリーグとV リーグである。オリンピックの成績などでは、バレーボルの方がサッカーより優れていた。従って
  「自分たちのほうが良いから、J リーグ以上の成果を得る」
と言うのが、Vリーグの目算だったらしい。

 しかし結果は大きく違っている。サッカー陣はきちんと社会の欲求を掘り起こし、支える仕組みを作り上げていた。

 このような解りやすい例を忘れてはいけない。

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2007年2月21日 (水)

学生の名簿と疑似科学

 私は、あるご縁で某大学の講師をさせていただいている。そこで少し気になる現象がある。
 「五十音順で出席簿の前の方が多い。特にア行が多い。」
ということである。

 これを、
 「xx大学はア行の名前が縁起が良い」
と言うなら単なる占いである。統計的数値を出しても、単なる疑似科学になってしまう。

 さて、ここで一つ仮説を加えてみる。
  「高校までの学校生活では、五十音順で座席を決めることが多く、
  前列に座ることで、集中力などが良くなる機会が多いので、
  成績優秀者が多くなる。」

 こう言うと、少し確りした議論になる。しかし、再反論がある。
  「昔から、五十音順の座席決めがあったのにナゼ近頃こうなったか?」

 これに対しては、
 「従来は受験勉強を全員が意識していたので、集中力は皆が付けていた。
  しかし、ゆとり教育や18歳人口激減による大学入試容易化で受験勉強も
  弱くなっている。」
このような再反論を準備しないといけない。このような、仮説・裏づけ・反論・再反論と繰り返していくつらさに耐えることが、科学的手法の一つの条件であろう。

 特に、反論を認めて再反論する事が重要である。反論を認めないのは信仰の世界である。昔、教職を聖職と言ったのは案外当たっているように感じる。

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2007年2月20日 (火)

平安時代と現在と

 現在の生活は、職場と密着していない。しかも食物も、加工されたものしか見たことがない子供が多い。
  「魚の切り身が、海で泳いでいる」
と言うジョークが通用しそうである。

 ある神様は、
 「近頃の連中は四角い箱の中に入っている。天候などに鈍化になるはず。」
と怒っておられた。このような自然観・仕事間から離れた人種は、昔にもいたと思い至った。

 それは平安貴族である。彼らは、荘園から取り立てたもので生活しているので、物がどうできるかの認識が弱かったと思う。彼らは、和歌を詠み、言霊でいいことばかり言っていると、世の中が上手くいくと考えていたらしい。

 そう言うと現在にも、言霊信仰者が多いなと思ってしまった。

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2007年2月19日 (月)

暗黙知の伝承の一案

 2007年問題で、技能の伝承が重要視されている。このブログでも前から何回か取り上げたが、技能の伝承には、『ポランニーの定義による暗黙知』の発想が有効である。ただし、『ポランニーの定義による暗黙知』自体は、幅の広い概念であるので、ここでは以下のアイデアを使ってみたい。

 「暗黙知が生じるのは、そのモノのを、包括的な存在として暗黙裡に認識し、
  それとの自分の関係(コミットメント)が成立する時である。」
 「暗黙知が働くためには、そのモノを想像できることが必要条件である。」

 上記を踏まえて、このような暗黙知の伝承方式を、昔から行っている古武術に関して見直してみたい。特に、沖縄空手では、一人で稽古する『型』が重要である。これは、仮想敵を想定して、相手の攻撃に対応しながら、自分の技を出していく稽古である。このように決まった型を繰り返し稽古する中で、身体の使い方を覚え、色々な攻防を想定できるようになる。型がある程度できるようになると、その技を実際に試すため、相手との組み手に移るようになるが、一人での型稽古は数年は続けるようになる。そして、その型に対する自分の見解が師匠に認められるようになれば、一つの区切りになる。

 この中で、一つ大切なことは、想像上の敵を自ら作り、その敵との対応と言うことで、型を演舞することである。想像上の世界で多様な攻防を繰り広げることは、『暗黙知』を育てるのに有効と考える。

 このアイデアを、もう一つ広げれば、従来からあるマニュアルによる作業においても、『想像上の環境や相手』を想定して、自分が繰り返し練習することで、自分のなかに包括的存在が生まれ、暗黙知が早く育つように思うがいかがであろうか?

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センサーネットワーク社会

 社団法人計測自動制御学会の『計測と制御 2007 2月号』は、
 『社会システムを支えるセンサーネットワーク技術』
の特集である。また、社団法人情報処理学会の2007/2月の学会誌が、
 『社会の未来を拓くネットワーク情報共有空間』
の特集であり、『センサはWebを超える』と言う記事もある。

 両者に共通しているのは、従来は、特定の目的のために『専用のセンサ』を設置し監視する社会であったが、今後は汎用のセンサが、インターネットに情報を供給する。その上で、情報を判断し加工することで、自分に必要な情報を抽出する社会になると言うことである。

 従来からセンサを遠隔監視するための通信線の利用は行われていた。それがIP電話のセンスで、インターネット上の1:1接続を利用して、遠隔監視をしている例も多くなっている。しかし、センサネットワークと言う発想は、根本的に異なっている。

 例えて言うならば、従来のプログラムに付属する個別データから、データーベースとして独立の存在に変わったのと同じ変化が、センサの世界で起こっている。各センサがIPアドレスを持ちSQLで検索できると言うことは、この辺の事情をよく示している。

このような独立系のセンサーが多数存在する世界では、
  「どの情報をどこから取り出し、どう加工するか。」
と考えるレベルが重要になり、従来のどのように実現するかと言う議論の前段階にも、重点がおかれるようになる。言い換えると工学の世界に、人文科学的・社会科学的な分野が加わるようになる。一つの例として、『計測と制御 2月号』では、センサーネットワークの要素技術として、無線通信や統計的手法などに加えて、民族誌学的手法による計測データの決定の項目について記述している。

 この変化は、今は小さいが、今後もっと大きな波になりそうな感じである。そのためにも、文系の手法を企業で実用化できるように、大学の経営学部等に頑張って欲しいものである。

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2007年2月18日 (日)

今朝のテレビから忘れないうちに

 今朝のテレビで参考になる話があった。

 「がっちりマンデー」では、ポンプを『産業の心臓』と言っている。納得してしまった。私も、電気・情報に目を向けていたが、空気を含む流体の扱いはもれていた。しかし考えてみると、最後には物を動かす必要がある。また冷却は電子機器の生命線を握っている。反省してみると、今まで工学において、IT系統の方に力を置きすぎていたように感じる。流体の扱いなどを含めた、機械工学の地道な充実で職人芸の活用・技術化が必要だと反省した。

 また格差問題が色々と報道されている。どうも旧来のマルクス主義経済で、「大企業悪玉論」での追及が厳しすぎるような感じがする。ここで私の独断を書いてみたい。

その1:
 格差是正と言うことで、『再チャレンジの機会を与える。』と言う話がある。しかし、再チャレンジの前に、現在の正社員体制に合うように訓練する必要がある。今まで、学校生活などで、その訓練になじまなくて、『いわゆる負け組み』になった人も多い。
 彼らがすんなり受け入れるような効果的な、訓練があるのだろうか?更にその効果を彼らに納得させ、wantsを引き出せるだろうか?良いものだから受講せよは通らないと思う。

その2:
 非正規雇用の問題があるが、そもそも大学や大学院で勉強した人間は、会社で訓練されずとも、一人前なはずである。それが、一寸おかしいから「正社員で採用してもらって、じっくり育ててもらう」と言う話になる。修士の学位を持っていたら、契約社員で会社と渡り合える力を示して欲しいものである。
 しかしながら、『就職活動をはじめる前に読む本』を読んでいたら、『インターンシップに行って、きちんと定刻に出社する癖を付ける。』などという記事を見てずっこけた。こんなところまで、企業が教えないといけないなら、大学だけで人間として一人前を作れないというのは、現実かもしれない。約束を守るは、どんな人にとっても基本である。

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著者:浦上 昌則,横山 明子,三宅 章介
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 なお、講師として大学に接しているが、ここ数年の私の知っている大学の学生指導は、非常に充実している。ここにも格差が生じているのかもしれない。 

一方このページから辛口の情報も見ておいて欲しい。

http://www.geekpage.jp/blog/?id=2007/2/9

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2007年2月17日 (土)

ヤクザ屋さんの技術力

 今朝のニュースを見ていたら、
  「暴力団の関係者が、ネット関係の会社の経営者になっていた。」
と言う話があった。

 考えてみると、ヤクザ屋さんはネットワーク作りのプロと思う。特に、匿名で潜むなどはお得意ではないか。更に、IT技術も駆使していると聞く。昔見た、某週刊誌の記事では、
 「出版した直後に、見事なワープロ文書の抗議文と、
  修正記事案がファックスされた」
と言う話を見た覚えがある。

 これは、みんなが”暴力”と言うラベルに惑わされているのではなかろうか。彼らの収入は知的業務で得ている部分も多そうである。もっとも、ヤクザの語源を知らず、自分で威張って”ヤクザ”と言うような、末端構成員を抱えているのは一寸疑問である。

 「任侠の道を歩いています。」「任侠の道を極めています。」
 「堅気の衆にはご迷惑をかけません。」

ぐらいは、末端でも言って欲しいものである。

 なおヤクザの語源は、893で8+9+3=20で、19を通り超えた、ドボンで、使い物にならないと言う意味である。

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2007年2月16日 (金)

暗黙知のもう一つの例

 ポランニーの暗黙知の研究は、『科学的研究』の方向付けに関する議論が、一つの動機になっている。科学的研究における暗黙知は、一つは研究のタブーと言う形で現れる。

 欧米と比べて日本のタブーは少ないと思う。例えば、「猿学の先生が人間に関して発言しても」かまわない。ロボットの研究も自由であった。これらの分野は、欧米で下手にやると神学教授に噛み付かれそうである。ロボットには労働組合も絡んでくる。

 しかし、考えてみると、明治の文明開化の影響がありそうである。超能力研究はタブーだし、漢方薬や漢方の治療もてが出しにくそうである。中国の針麻酔が一時有名になったが、日本ではこの分野は遅れていた。かえって西洋からの逆輸入になっている。

 このような学問でも、自分で枠を嵌めていることがある。もっとも羽目をはずすと、擬似科学になってしまう。やはりバランス感覚は重要である。

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2007年2月15日 (木)

十年後

 今よく言われている2007年問題に対して、堺屋太一氏の色々興味深い意見がある。流石に、団塊の名付け親だけに説得力がある。その中でも
 「団塊世代が退職後は、企業に縛られない、有能な労働力が流通する。」
と言う意見があったように思う。

 確かに、面白い仕事に対し、「年金を貰っているおじさん達」が賃金無視で仕事をする可能性は大きい。しかしこれに慣れてしまうと、労働の相場が大幅に下落してしまうのではなかろうか。どうも日本の経営者には、社内の能力での差別化より、労働コストの低下による利益創出に頼る向きが多いように感じる。

 そうなって、一度落ちた労働価格の相場は単純には戻らないであろう。10年後の世界で団塊が本当にリタイアした後の労働相場は、どうなるのであろうか?

 もっともその時には、価格破壊が進んで暮らしやすくなっているかもしれないが・・・

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2007年2月14日 (水)

新しい仕事への挑戦

 就職活動などの話を聞くと、結構学生さんには未知の仕事に対する不安がある。これは誰にもあることだが、私がある仕事で直面した話が、参考になればと思う。

<発端>
 ある日の夕方、
  「お客様からXXの講師を頼まれている。何とかしてくれ。」
と泣きつきが入った。その分野は、自分も初めてで、しかも数学的な基礎が必要であり、不安は多かった。しかし自分も講師業を、多く行っている手前、無下にも断れず、とりあえず
  「明日返事する」
と返した。

<自分の中での検討>
 この分野は、初めてであるが、関連した事項の講師は行ったことがある。既存のテキストもあり、準備時間は1ヶ月で間に合う。
 また自分のスキルの棚卸をしてみた。
  ・講師稼業を永く行っているので、人に教え説明するスキルはある
  ・今まで、未知の分野でも短期で勉強した経験はある
 従って、この講習の講師を行うことに決定した。

<準備>
 短期勉強の常道として、標準的な教科書1冊を選び、主要章を見開き1枚にまとめた、ノートを作成する。そのノートに自分の思うこと、他の本からの補充を書き込んで、まとめる。これを実行しても、1回目の講習は不安であるが、手書きのノートを見ることは、気が落ち着く。

<講座実行>
 何とか講師は無事終わった。主催側の講評は、
  「とにかく受講者のことを考えてしゃべっているのが良い」
であり、最低限のノルマは果たせたと思う。

<次回への反省>
 次回があるかどうかは不明だが、受講者のアンケートなどを見せてもらった。その結果、受講者達も
   「数式の扱いより、定性的な説明が欲しい」
と言っていることが解った。講師として、本当に必要なモノを明確にすることで、自分も楽になり、受講者も満足する、Win-Winの答えを得ることは多い。

 早速、その後時間を見て、パワーポイントで自分なりの教材を作成した。

<その後の展開>
 次の回からは、受講者及び主催側の反応も比較的好評で、毎年リピートで講習をさせていただいている。なお、一部こちらに考え違いがあった時も、主催者側がそれとなく注意してくれるので、無事進んでいる。もちろん教材は毎年見直し、ニーズに対応して更新している。

<結論>
 自分にできることを考えて、逃げずに本当に求められていることに対応する。これが信頼され、成功する仕事の基本ではないかと思う。

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2007年2月13日 (火)

学校制度の変遷

 教育制度に関して、色々な意見が出ている。しかし考えてみると、小学校、中学校の義務教育は、明治の制度から本質的に変化しているのだろうか。

 極端に言えば、明治の小学校は、西洋文明に追いつくため、一般大衆に情報を与え、軍隊向きの身体を作るための制度であった。特に生徒や父兄と教師の間で、情報の格差が大きく、教師に従い尊敬する制度であった。また、テレビなどのコミュニケーションツールもなく、音楽・美術・語学なども人が教える必要があった。

 しかし現在は、教師側の知識より高い親も少なくない。しかもインターネットから大量の情報が流入している。また、音楽や語学の本物が色々なメディアから流れている。また、テレビではよい教師の授業が流れ、スキル不足の教師との断絶を生徒や父兄に感じさせている。このような条件で、教師の欠点が生徒や父兄に生じる可能性は充分ある。

 更に変な平等主義を、教師の側が持ち出し余計に話をややこしくしている。他人を尊敬しない教師が、自分を尊敬しろと言うのも矛盾である。変な知識偏重で、我慢を教えていない付けが回ってきている。更に親の世代も、自分が責任を持たず、人の責任を追及することが多い。

 加えて、よいものなら売れると言う、発想は教育界にもありそうである。これだけ、生徒・父兄の不満を引き出す状況は、学校制度を崩壊しているのではと思う。

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2007年2月12日 (月)

経営学と文化人類学

 近頃、「企業が『文化人類学』の経験者を求めている』と言う話を聞く。確かに、お客様は異民族と考えるべきで、製造・販売側の企業の都合を押し付けるのは、堺屋太一氏の『知価革命』後の世界では通用しなくなってきた。そのような状況では、フィールドワークや面接技術に長けた、文化人類学の経験者は、市場調査から、ユーザの文化を推定し売れ筋や、製品動向の予測に有効かもしれない。発想法のKJ法も、本来はフィールドワークの情報整理から生まれた。異文化の中にも、合理的な理由を見出すことで、予測も有効になるであろう。

 しかしここまで書いて、一寸気になったことがある。文化人類学は、要素学問であり、それを、企業生活で実用化するのは経営学の立場ではなかろうか?

 工学部は、理学部と別に存在し、基礎理論を総合化して実用化することで、一つの存在価値を示している。文系の基礎知識を総合化して、実用化するのは、経営学及び本来の意味のMBAではなかろうか。今後の日本の経済成長には、大経営学部を生み出すことを考えても良いのではと考えてしまった。

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2007年2月11日 (日)

就職活動の参考まで

 『就職活動をはじめる前に読む本』を読んでみた。

 第1章 経済社会と会社生活を知る・・・ なるほど
  社会や会社が求める人間像→終身雇用と会社の育成が崩壊
       教養とスキルを持つことが大切
     テクニカルスキル(パソコン操作・文書作成など)
     ヒューマンスキル(対人能力・会話ができる)
     コンセプチュアルスキル(概念を操作して複雑な問題に対応)
   退職の753(3年で中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が退職)
  何ごとをするにも考えて行う。アルバイトでもスキルのつく人。

 第2章 人生を眺める・・・余り考えすぎるのは?
  ナゼ仕事をするか考える
  ただし固定した人生設計どおりで行くわけがない
  自己実現は自らの努力から生じる

 第3章 選択という行為・・・暗黙知が抜けている
  この章の意思決定論は、余り論理的過ぎる
    ポランニーの信奉者としては、暗黙知による意思決定を考えて欲しい。

しかし全体として、考えてスキルを身につけて、就職活動をという発想は正しい様に思う。

 なお退職の753は、それまでの生活の忍耐力が影響しているようにする。昔の中卒就職者は、生活が苦しいが為の就職が多く、忍耐力も高かった。しかし現在、勉強がいやで就職と言う場合が散見する。その場合には、忍耐力がなくなっている。しかし受け入れ側が、昔の発想ではとてもついていかないだろう。

就職活動をはじめる前に読む本―人生を創造するために 就職活動をはじめる前に読む本―人生を創造するために

著者:浦上 昌則,横山 明子,三宅 章介
販売元:北大路書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年2月10日 (土)

政治家の責任

『インテリジェンス 武器なき戦争』と言う本を読んだ。この本を完全に信じるわけではないが、鈴木宗男氏の外交的な貢献は、かなりありそうに感じる。特にロシアの警備隊などとの関係維持に関しても別の記事で書いてあった。

 そこまで考えると、彼の追及とは何だったのであろうか?

 どうもこの国は、政治家の能力を正当に評価していないように感じる。鈴木宗男追及者のほうが国に対して、損を与えたように思うが、その面での追求はない?

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2007年2月 9日 (金)

疑似科学について

 昨日の記事に関連して、疑似科学の話について思うところを述べる。現在の科学はなぜ科学なのであろうか。これに答えることができる”科学者”はどれだけいるであろうか?絶対確実な議論と言うものが科学ならば、量子論というものはどうなるのであろうか?色々な解釈と、表現式が入り乱れている。そして、最後は確率が同じモノを得るなら、どのような方式でもよいとのたまっている。(どのような経路と言うべきか・・・)

 このあたりは、理系の人間も科学哲学をきちんと教えておく必要があるが、これが一般に理解できるようになっているとはとても思えない。せめて反証可能性の概念ぐらいは教えて欲しい。

 そういう意味では、政治の世界でも、健全な野党が存在するのが、民主主義の条件と聞く。しかし、人の意見を聞いているようには思えない政治家、一方的にまくし立てるだけの国会議員がいると言うイメージがあるのは、ナゼだろうか?

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2007年2月 8日 (木)

マスコミの権力が崩れる

 近頃テレビのやらせ記事や不完全調査による放送とのニュースが多くある。これを見て思ったが、今まで日本で一番権力をもっていた、マスコミが崩れたと言う感じである。

 科学者たちも昔はマスコミに逆らうと怖いと言う話があった。某新聞の取材を断ったために、追求キャンペーンを行われて、立場を失った先生の伝説もある。

 しかし、現状マスコミに対するインターネットの世界が生じたのであろう。これでやらせや、疑似科学の公開に対する反論が出てきたように感じる。

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2007年2月 6日 (火)

MBAが受け入れられない

 先般から暗黙知に関して、知識を整理したが色々と面白いものが見つかった。

 その一つが、MBA(経営学修士)取得者の就職の問題である。
  「MBAを持っているから、と言っても仕事ができるわけでない。」
と言う向きがある。

 これは、ポランニーの言う”包括的存在”を共有化できていないからである。MBAで説明できる階層より上の包括的存在が経営者をはじめ、会社の主要部で共有されている場合は、外部から来ても、話が通じるものではない。

 ただし、経営的に危ない部分は、MBAの知識で説明できるかもしれない。

 ポランニーの創発の話でも、下位の段階で拒否される話が多くある。 

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2007年2月 5日 (月)

技能の伝承の一案

 現在技能の伝承が、大きな課題になっている。しかし技能も多様に亘り、伝承するのも容易ではない。ところで、昔から重要な身体技を、少数の要素で伝承していた世界がある。武術の世界、特に沖縄の古流空手がそれである。

 空手は、少数の型を徹底的に訓練することで、技を身に付けている。一人で繰り返し訓練することで、実戦でも通用する力を付けるということである。ここで、型について四つの段階があるという説がある。『玉野十四雄著:沖縄空手剛柔流』による。

 第1段階 有効な技の2人での訓練
 第2段階 技を覚えるための単独訓練型
 第3段階 型を洗練し仮想的との攻防のストーリィを含ませる
 第4段階 型に美的要素の観念を導入する

この最後の美的要素が重要と思う。美と言うことは選択する暗黙知の働きを含んでいる。これで応用の利く、技の伝授ができるのではなかろうか。なお、型の訓練では、筋肉等の身体の使い方を高度化させる訓練もしている。

 このような型を作るのは、技能の伝承に有効であろう。

Book
沖縄空手剛柔流
著者 玉野 十四雄
販売元 新人物往来社
定価(税込) ¥ 3,975

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2007年2月 4日 (日)

暗黙知について

ポランニーの『暗黙知の次元』の抜粋を、

 http://homepage3.nifty.com/manabizz/polanyi.doc

に乗せてみた。

 特に「第Ⅲ章 探求者の世界」が面白い。教育は、教育者に対する尊敬がないと成立しないなど、現在の学校崩壊に対する、一つの指摘だと思う。ただし、この本だけだと、ポランニーを誤解するかも知れない。彼の経歴を見れば、自分の論文が、『正しいのにもかかわらず拒絶された』経験がある。それでも、権威による受け入れられない論文の排除を認めているのは立派である。

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売り込み力

 ある本で、日本の芸術系の大学は、自分を売り込む方法を教えていない。従ってどこかのコンクールなどで賞をとるか、学校の教師になる等しないと生活に困ることになる。その結果、『私には才能がないので、音楽教師にでもなるしかない』と、挫折感を持って教師になるものも少ないと聞く。『私の才能を認めない世間が悪い』と言うよりはましだが、教師を甘く見ては困る。今の学校崩壊の原因は、このような挫折感教師にもあると思う。

 この話、芸術系の大学だけでないような気がする。基本は、
 『良いものは世間が認めて買ってくれる』
と言う発想である。しかし実際は、良いものでも、顧客の要求に会わないものは、買ってもらえない。

 逆にそこそこのレベルでも、用途をはっきりさせれば生きていく道も多い。

 現在の学校教育の問題はここにあるように感じる。

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2007年2月 3日 (土)

暗黙知と言っても

 近頃、2007年問題と言うことで、技術・技能の伝承と言う議論が、色々と出ている。その中で一つのキーワードとして、
 「暗黙知」
がある。この言葉は、日本では野中郁次郎先生の議論などで有名であるが、最初に言い出したのは、マイケル・ポラニー(本によってはポランニー)である。ポラニーの言っていることを単純に考えると、
 「私達は言葉にできるより多くのことを知ることができる。
であるが、彼の著作を読むとそれだけではない。入門書としては、ちくま学芸文庫の『暗黙知の次元』があるが、この本の理解も一筋縄ではいけない。その理由は、ポラニー自体が書いているが、ある思想を理解するためには、その包括的な存在を自らのものにしないといけないからである。

 とりあえず、『暗黙知の次元』の章立てを書いておく。奥深い何ものかを、感じ取っていただければ幸いである。なお、このブログで内容をもう少し書いていきたい。

 第Ⅰ章 暗黙知・・・暗黙知は内在化により包括=理解を成し遂げる
 第Ⅱ章 創発・・・暗黙知の構造と同じようなものが、生物等いろいろな所にある
 第Ⅲ章 探求者たちの社会・・・科学者の世界も暗黙知に支配されている

 なお、野中先生はこのポラニーのヒントから、新たな「暗黙知」を生み出されたので、その功績も大きい。ソフトウエアの世界での「構造的プログラミング」のダイクストラとメイヤーの関係が近い感じかもしれない。野中と小松先生が紹介されたヘイグの『理論構築の方法』には、非常にお世話になった。ヴィーコで社会学の考えを、ヘイグにその実行方法を教えてもらった。

暗黙知の次元 暗黙知の次元

著者:マイケル ポランニー
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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語学のみができても

 今朝の朝日新聞b4で、藤巻健史さんが面白いことを言っていた。

 ビジネスで一番頼りになる部下は、英語ができて仕事もできる人。
 次に頼りになるのは英語はできないが仕事はできる人。
 まー仕様がないかなーと思うのは、英語も仕事もできない人。
 最悪なのは仕事ができないのに英語だけできる人。

 最悪の理由は、自信過剰で仕事の話を壊すことが多い。

 この話何となく納得がいく。英語だけでなく、一つの分野の専門でも他の分野の状況に配慮できない人間は、仕事を壊すことが多い。ましてや、英語のように対外的に直に繋がる場合には、この傾向が顕著に出るのであろう。

 昨日の、ブログの影響で就職活動関連で、ここを見てくれている読者には、英語は一つの必要条件であり、例え英検1級などの資格を持っていても、自分に欠けている分野を謙虚に認識し、周囲の指示を受けながら、自己の能力開発を続ける姿勢を示すことが重要と思います。

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2007年2月 2日 (金)

就職活動中のあなたに

 就職活動中の皆さんに一つのヒントがある。

 日経BP社の日経ビジネスAsscieを読んでみることである。この雑誌は、会社側の発想に立ち、若手社員に考えて欲しい問題や、身に付けて欲しいスキル訓練の特集を行っている。

 この雑誌で何を言いたいのか、読んでいると一般に会社が求めるものが見えてくる。

 一度試して欲しい。ただし、編集長のブログは時々変なことを書いているので、見ないほうがよいかもしれない。

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2007年2月 1日 (木)

日蓮宗と天台宗

 井沢元彦氏の宗教論には、興味深いものがある。特に、日蓮宗と天台宗の以下の関係は、いわれて見ればもっとも納得した。
 「天台宗では、法華経を大事にしている。それを、お題目と言う形で、
  本当のお経を見ない民衆をつくる日蓮宗はけしからん。」

 これは、『最澄』と言う名前が示すとおり、純真な開祖に対しては、冒涜と感じるのも当たり前だと思う。
  「日蓮上人は、天台宗の開祖に従って、法華経を大切にした。」
と単純に考えていた、自分が恥ずかしくなった。確かに比叡山の天台宗は、法華経以外にも大日経も重視して混乱はしていたが、お題目と言う発想は、開祖が嫌いそうなことである。

 ただし、実際の不況手段としては、お題目もよぴ手段と思う。お題目を唱える入口から、どんどんお経に入っていけば良い。法華経には、幻の城を見せて人を導く例えもあることだし。

 教育においても入口のつかみと、最後の到達への厳しさの両面のバランスが重要である。これが上手くできるまでには、大分修行が必要である。

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2007年1月31日 (水)

講師の条件

 先ほど2回連続して講師をする機会があった。1回目の話では、自分としてもかなり満足できる内容であった。しかし、2回目は受講者の一部に眠られてしまい、自分として不本意な講座であった。

 この理由を考えると、受講者の意識など色々な観点があるが、自分の中にも大きな問題があった。つまり1回目の講座の受講者は、既に社会人で色々な経験を積んだ人たちである。そのため、
 「自分としても受講者に対する、ある種の尊敬の念があった」
が、2回目は若い学生さんたちだったので、知識格差が大きく一方的な話となってしまった。

 従来の教育に関する議論では、
  「受講者が講師に対して尊敬しないといけない。」
  「尊敬を受けるような講師になるためには」
と言うような発想があったように思う。江戸時代の寺子屋や明治以降の学校システムでは、先生に対する尊敬と言う形で、秩序を維持しようとしてきた。

 しかし、人間の関係では、お互い認め合う関係から尊敬が生まれるのが原則である。
  「講師だから、一方的に尊敬されるべきである。」
  「先生だから親から尊敬されるべきである。」
と言う思い上がった発想は、時代遅れではないかと思う。昔は、情報量の優位と言う観点もあったが現在では、親の方が知識がある場合も多い。このようなことを考えると、教育システム自体の根本的な見直しが必要と思う。

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2007年1月30日 (火)

着物の着付けは無料?

 どこかで、
   「着物の着付けを、無料で教えます」
と言う広告を見た。これを見て、着物を売る業界では、着付けの講習を、無料で実施してでも、着物を着る人口を増やしたいのだと思った。物を売るためには、それを使える人間を増やすのが一つの条件である。このためには、使い方をサービスで教えるのは、一つの答えだと思う。

 しかし見方を変えれば、逆の発想もある。
   「着物をただで配って、着付けサービスで費用を回収する」
と言うビジネスモデルもある。また、現在のように着物を着る機会が少ない場合は、着物のレンタルと着付けのサービスの方が、収益モデルとしては確実かもしれない。

 本当に利用者が求めているのは、しかるべき席での雰囲気と、その時点での記録かもしれない。このような発想では、着物を売るのか、着物を着てもらうサービスを売るのか、考えると色々な商売が見えてくる。

 このように物を売るのか、サービスを売るのか、よく考えて欲しい。お客様の満足はどこにあるのか、良く考えてみよう。

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2007年1月29日 (月)

テレビと下請けいじめ

 関西テレビの捏造問題で、下請け丸投げの問題が表に出ている。ここで下請けいじめの構図が出ている。

 ここでいじめとして出ているのは、
  『予算の削減』
である。しかし、現場の立場で一番困るのは、
  『無理な期限』
である。今回も調査期間が短すぎたと言ういいわけが出ている。

 特に現場の作業を知らない発注者が、
   『無理な期限』
を押し込める傾向がある。ただし、下請け側の能力不足で、無駄な時間を費やしている場合もある。もっとも、そのような下請けを指導できないのは、発注側の無能を示している。

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2007年1月28日 (日)

歴史の扱い

 先日のNHKテレビの”その時歴史は動いた”では、”天草の乱”を取り上げていた。この取り上げ方で、自分の受けてきた歴史教育の欠点について、感じるところがあったので、書いておきたい。
 まず、この番組では、”天草の乱”をキリスト教徒の反乱と言い切っている。しかも、当時の日本でのキリスト教の布教には、『寺を破壊する』ような、他宗教に対する迫害要素があったことを明確にしている。
 
 思い起こせば、数十年前に私が高校で受けた、日本史の授業は、以下の様な内容であった。
 1.キリスト教徒の寺に対する破壊には触れず。
   なお、仏教徒自体の相互の戦いに関しても触れていない。
 2.海外の文献を引いて、これは農民一揆であると、暗示している。

 これは、まさしく井沢元彦氏が現在の歴史教育に関して、追求している通りである。
 1.宗教に関する、色々な考察を避けている。
   特に宗教間の争いは、暴力行為に繋がることが多いのに、目をつぶっている。
 2.文書による証拠を至上のもとしている。
 3.マルクス主義の階級闘争論に直ぐに結び付けたがる。

 このような観点で、今回のNHKの企画は、大切なものを我々に伝えていると評価したい。

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本日の新聞(政治参加)から

 本日の朝日新聞で、二つの興味深い記事を見た。

 まず、読書面で
  『タネダミキオでございます』
 では、誰でも政治に参加できる。

 一方、社会面では
  『チームそのまんま~手弁当マニフェスト』
と言う記事では、専門で研究したメンバーが協力して東国原知事のマニュフェストを作った話が載っていた。

 この話に関しては、流風さんのページにもあったが、政治家になる前の勉強を重視して欲しいので、前のマンガには一寸怖い感じがする。

 もう一つ、この記事で思うのだが、政治参加ということを狭く取りすぎているように感じる。自分が立候補する、それだけが政治参加であろうか。色々な場面に対し、適切な意思表示も政治参加だと思う。0と1で割り切りすぎるのは、問題だと思う。

 演劇も、主役以外の裏方を含めて多くの人間で成立する。全員が主役の学芸会で育った子供は、
  「議員になれない限り政治参加ではない」
と、思っているのではなかろうか。

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2007年1月25日 (木)

要約作成の技術

 文章力の一つの要素として、要約を上手に作成する力がある。しかしこれは難しい。この理由として、どんな状況でも一般論で要約に有効な手法は存在しないからである。

 本質として要約の実行には、意味を考える必要がある。そういう意味では、出口氏の小論文作成の際に、10ほどの基本論文を教えて、まとめを作ったストックノートを作らせていたのは、一つの案かもしれない。

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2007年1月24日 (水)

講師業務は怖い

 先日あるところで、久しぶりに講習を受けた。そうしてみると講師業というものは、難しいとつくづく思った。

 考えてみると、受講者が本当に教えて欲しい知識を伝える時以外は、知識付与だけで満足を与えるのは非常に難しい。多数の受講者にこれを設定するのは至難の業である。

 但し、スキル教育に関しては、比較的自分でできるできないが判定できるので、割合教えた結果が定着しやすく、満足を得ることが多い。問題は知識単独の教育である。

 考えてみると、教育は有限の時間で無限の応用に対応すると言う宿命を持っている。このため、応用の利きそうな例題をどう見出すか、その当たりが講師の力の見せ所である。しかし難しいな~~

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2007年1月21日 (日)

リスク回避は判断回避

 近頃の若い人たちにリスク恐怖の癖が出ている。言い換えると、危険なチャレンジをしない「これで良いのだ症候群」が流行っているらしい。この原因を追いかけていくと学校教育にも責任がありそうである。

 よく言われるが、白雪姫10人の学芸会というジョークがある。これは学校の先生が判定しないので、皆主役になると言う話である。このような判断ができない先生が増えたのはナゼであろうか?

 一つには、変な平等主義の行き過ぎがある。しかし成績の良い先生を多く採用し、ジャッジのストレスに耐える力が弱くなったのではと思う点もある。優等生は、自分の医師が通らない経験が少なく、他人にそれを強いるストレスにも耐えられないのではと思う。

 田中角栄政治で、先生の給与を上げた弊害である。田中政治の弊害が、こんな所にも出てきた。

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関西テレビの対応を見て

 本日の新聞で、捏造問題に対する関西テレビの報告を見た。テレビ局の
  「危機管理ができていない」
と言う表現に何となく違和感を覚える。

 自分がつくるものだから、
  「品質管理」
ではなかろうか。まるで、悪事が暴露した時の『危機』管理と言う感じである。

  何となく丸投げで無責任と言うイメージを感じてしまった。

 自分が送り出すものは、どういう経緯があろうと自分が責任を持つ。このような社会人としての基本をどこかにやってしまったのであろうか。 

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2007年1月20日 (土)

本日の朝日新聞を見て

 本日の朝日新聞を見て、一寸気になる記事があったので、書き残しておきたい。

 まず、天声人語では、『日銀の政治的な独立性と、
     通貨や金融問題について、発言する政治家は、
     高度の専門知識と実務経験が必要。』
との主旨が読み取れた。

 しかし政治家には、一般的な感触による発言も許されるべきであろう。専門家以外の発言を封じる風潮は、危険なモノを感じる。

 もう一つ、私の視点で、「中国を平均で見る」ことは危険と言う意見があった。確かにそのとおりである。但し例にしているのは、『大学評価』であった。この問題は、原因が別にあると思う。なぜなら、日本の大学に関しても、(建前では)大学名で区別することが許されないからである。

 おんなじ学部・学科名でも教育内容にはかなり隔たりがあるが、それを確認したくてもうかつに聞けば、就職差別と糾弾されそうな現在である。

 

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2007年1月19日 (金)

大学生の基礎教育

 大学基礎講座のテキストなるものを購入した。

しかし内容を見てぶっ飛んだ。

大学で授業を受ける常識のコラムでは、

 私語をしない。飲食は厳禁。携帯電話はカバンの中にしまう。遅刻・欠席しない・・・

これを教えないといけないのか・・・

大学基礎講座―充実した大学生活をおくるために 大学基礎講座―充実した大学生活をおくるために

著者:藤田 哲也
販売元:北大路書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年1月18日 (木)

リスクから逃避と「これでよい」

 近頃の若い人たちには、リスクに対して非常に弱くなっていると聞く。例えば、
  「振られることが怖いから、異性と付き合わない・・・」
等である。このような症候の裏側として、
  「これでいいのだ」
と言う発想がある。このような状況は、社会の活性化を妨げると思う。

 この原因の一つは、情報過剰である程度先が読めることも原因になっているらしい。

 考えてみると、昔の進学は学校の正体など知らずに進むことが多かった。しかし現在の情報はかなり行き届いている。更にネット上にそれらしき情報もある。

 しかし社会は複雑曖昧なもの、これに耐えられないと本当は困るんですがね。

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2007年1月17日 (水)

お金の大切さ

 本日のNHKクローズアップ現代では、オーケストラの経営(?)危機について、放送していた。企業や自治体からの寄付金が減って、大変と言う話であった。こういう話を聞くたびに、
 「金儲けばかりしている、儲かっているくせに金を出さない」
と企業を悪者にするのではと心配してが、番組の中では堺屋太一氏が、
  「もっと経営努力すべき」
と言うトーンで話していたので少し救われた気がする。

 企業に勤めている立場では、少しの無駄も省き、原価を1円やもっと小さい単位で管理しながら、苦労をして利益を出している。このようにコスト低減を図らないと、海外の企業に市場を奪われてしまう。企業と言うものは、存続することで少なくない社会貢献をしているのである。
 まずその1:税金を払っている。これは法人税のみならず、
        勤めている人間の納めている税金も関係する。
 その2:企業がつぶれると言うことは、それだけ失業者が出る。
     大量の失業者は、社会不安に繋がる。
このような立場で、必死に利益創出を考えている人間に、文化のために寄付をしろと言われると、
 「何で」
と言い返したくなってしまう。

 番組の中でも、「バブル期に安易に金をばら撒いた付けが回っている」
と言う説明があったがそのとおりと思う。何ごとも、自分の努力に見合った収入と言うものが望ましい。

 なお、仏教の托鉢は、お金とともに悪い因縁など引き取り、寄進者のためになる行為である。そのため、托鉢を受けると同時にお経の力で、清めたり帰ってから、水行したりして清めるのである。それを、しないとうっかりすると、宗教者から金の亡者に転落してしまうのである。お坊さんも大変なのである。

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2007年1月16日 (火)

日本のロボット工学と平和憲法

 日本はロボット研究が盛んである。この一つの理由は、倫理的・世論的なロボットのブレーキがない点もある。

 西洋の場合宗教的に人間に似たものを作るのは、神に対する冒涜と考え、抵抗があるらしい。また労働組合の既得権を荒らすという抵抗もある。

 しかし、もう一つ大切なことは、ロボットの軍事利用に対する抵抗であろう。ロボットが戦闘を行えば、自分の被害を顧みず相手に対しても、容赦がなく攻撃するようになる。

 日本では、ロボットの軍事利用を考えないので、安心して研究できるようである。平和憲法の効果が、このような面でもありそうである。

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2007年1月15日 (月)

ノートの作成

 会社での勉強と、学校での勉強を見直してみた。会社での勉強は、自分で目的を見つけて行うと言うことが、一番の特徴である。学校での勉強は、強制されて行うのであるが、会社での勉強は、自分の目的のために行う。

 これを言い換えると、会社での勉強はある目的のために行う。もっと直接的に言うと、勉強した結果をどこかで使う場面が出てくる。話を聞いてきても、またどこかで説明することなどが多くなる。

 実務面では、ノートの作成が重要である。人に説明するためには、必要な事項を自分の歩幅と視野で、必要十分な情報をまとめておく必要がある。そのために、自分で書いたノートに従って話をするのが楽である。講師等を経験すると、ノート作成のありがたみが解るが、自分で勉強する時は、いつでも人に説明すると思って、ノートを作成して置くとよい。

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2007年1月14日 (日)

現実と理論のバランス

 中央公論の2月号は、大学下流時代の特集であった。興味を引いたので購入したが色々と面白い記事があった。まず、西部氏の、”知識人、この滑稽なるもの”が面白い。同氏の印象はあまりよくないし、表現に気にいらない所はあるが、ヒントに満ちている。

 まず、
  「人格の完成などと言うことは、軽々しく言うべきでない」
ということ、には賛成である。自分が未完成であると、常に学ぶ姿勢はいくつになっても必要と思う。  

 また教育において、本当に大切なことは、
  「やる気を引き出すことである。」
  「人間は言語的動物で他人と話すことでやる気が出る。」
等が、納得がいった。

 また現実的な知恵と、理想のバランスが重要と言う意見も納得がいく。

 そのほか大学の下流化の原因として、
 「これでいいのだ文化」
等も納得してしまった。

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2007年1月13日 (土)

人任せにしないで

 昨日までの人材有限性の議論を考えてみた。この国の経済制度のかなりの部分は、田中角栄の時代につくった、土木建築事業に依存している。日本の土木建築業は、世界の平均よりはるかに多い。つまりこの関係の生活者が多い。

 ところで、今まで行政改革で公共工事の発注を充分削減してしまった。しかしここで重要なことは、そこまで公共工事に依存していた諸企業を、どのようにソフトランディングさせるべきかと言う議論がなかったように思う。

 このような国の流れを変えるときには、それなりのリーダーシップを持った指導者が必要と思うが、現在の指導者はどうもグランドデザインを持っているようには思えない。

 しかしこのような才能を持った人材は、少ないので期待する方が間違っているのかもしれないと思ってしまった。

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2007年1月12日 (金)

人材も有限

 昨日の話を少し続ける。第二次大戦の初期においては、確かに零戦の性能は、群を抜いていた。このような傑作を作るには、主任設計者の能力とそれを支える工場の総合力の両方が必要である。もう一つ言えば、適切な要望を出す発注側もそろった時点での産物であった。

 しかし戦争が激しくなると、利用者側からの種々の要望で、多くの改造が出てくる。これらに対応しながら後継機種を作るということは実質難しいことだったと思う。そういう意味では、1つの機種の改造で、エンジン性能を2倍にしたドイツ・イギリスの発想は正解である。多数の会社を競合させることができる、アメリカでは、種々の機種が生まれ交代しているが、日本でそれを考えるのは無理があった。

 ところで、このような有限の”人材”と言う発想に、この国はまだ慣れていないように感じる。誰かが工夫して答えを出すと考えているのではなかろうか。特に政治的な大問題に関し、そのような面を感じる。もっとも大した知恵もないのに、俺について来い、と言われたらたまったものではない。

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2007年1月11日 (木)

日本の常識とアメリカの常識

 あるテレビ番組で、日本の国際化は外国の本を読むことである。もう少し経験しても、アメリカでの経験だけだと言う意見を聞いた。確かに納得する感じもある。

 そういう意味では、アメリカに言われて、ハイハイと言う首相も多くいたナー。

 さて、ここで一寸戦争オタクになって、あることを思い出した。
 「アメリカ軍は最初、零戦の性能に驚いた。
  しかし、戦争が続くのに、後継機が出てこないのにも驚いた。」

 しかし、ヨーロッパ側で考えると、ドイツはMe Bf109だけで戦ったし、イギリスも実質スピットファイアだけで戦っている。もっとも両機とも、初期は1000馬力クラスのエンジンが、戦争末期には2000馬力に強化されているが、単一機種で戦ったと言っても良いであろう。

 これを考えると、アメリカは国の規模が大きく、複数の航空機会社を競合させることで、多くの機種を投入した。そういう観点では、日本の後継機無しは、驚くべきことかもしれない。しかし、日本の国力を考えれば、少数の機種を拡張するように考えた方が良かったかも知れない。特に、最先端の兵器を設計する人材は限られているので、それを有効活用すべきであった。

 このようにアメリカと同様に人材が、沸いて出ると考えて、構想を間違えないか、心配している。

  

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2007年1月10日 (水)

2017年問題

 世間を騒がせている2007年問題に対して、堺屋太一氏が
  「有能な人材が会社の縛りから解放され、しかも低コストで働くようになる」
と、良い面をとらえていた。確かに、年功序列で高賃金で働きの悪い、中高年に実力社会が激しく働き、市場価格での人材調達が可能になるように、世間は動くであろう。

 しかしこれは、その先にピンチがあるように思う。確かにこれから数年は、知恵と経験がある人材が、年金を持って小遣い稼ぎ的に、知恵を出してくれることが多くなるであろう。このような低コストの罠には、経営者がはまりやすいように思う。

 しかしこれで、人件費の相場が落ちてしまった後が怖い。団塊の人材も70を過ぎると本当に、リタイアするであろう。その時になって、人件費の予算を低く見て、人材を調達しようとしても、そんな予算では誰も見向かなくなってしまう。しかも、団塊の人材に頼り自前の人材を調達できないと、どうなるのであろうか?

 これから10年先に大問題が起こりそうな気がする。

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2007年1月 9日 (火)

論理的に答える難しさ

 就職試験などで、論理的思考能力を聞く問題が出るらしい。そのような問題で、失敗するパターンは、
 ”前提と結論が区別できていない”
と言うことが多い。昔中学時代に隣に座ってた学生が先生に、「結論を使って証明している」と笑われているのを、思い出した。

 これは「自分の考えが整理できていない」のだなと思い、例題を作ってみようと、幾何の証明問題を引っ張り出してみた。すると、前に証明した定理を使って、次の定理を証明するなどと入り組んでいる。これを考えると混乱して、結論先取りと否定されるのも、無理はないと思ってしまった。これを考えると、幾何を教えるのは不適当と言った、数学研究者のいうことにも一理ある。整数論あたりなら、使える道具と結論の分離はすっきりしている。

 しかし、考えてみると、前提になる知識は、人によって異なっている。会話の場合には、相手に応じて事実と証明すべきことが変わってくるのであろう。このあたりは常識の支配する世界かもしれない。

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2007年1月 8日 (月)

おーいでてこーい!

 近頃のテレビで、団塊の世代の扱いに関する放送が多い。そこで、活躍する「堺屋太一」氏の発言で一寸納得するものがあった。いわゆる、天下りに関するモノであるが、
 「会社においておいて、秘書をつけ何もしないようにしておく。
 家庭でも、邪魔になるから、会社にいてもらうほうが良い。」
この発想には笑ってしまう。

 しかし考えてみれば、今まで日本の社会では、企業に色々なものを押し付けてきた。天下りだけでなく、色々形での押し付けがあると思う。地域での失業対策事業的なものも、ある意味では企業に押し付けた感じもある。

 ところが、海外との競争などが厳しくなり、行政改革が進むと、企業も贅肉を落とすようになってくる。こうすると、雇用も厳しく絞るのは当たり前である。こすると、堺屋太一氏ではないが、「天下りなどお断り」となるが、「彼らが仕事ができない場合は、家庭で迷惑を受ける人がでる」ということになる。

 こういう風に、企業に押し付けていた分が吐き出された時、この国は何か起こりそうな気がする。星新一氏の傑作「おーいでてこーい!」は、環境問題だけではないと思う。

おーいでてこーい―ショートショート傑作選 おーいでてこーい―ショートショート傑作選

著者:加藤 まさし,あきやま ただし,星 新一
販売元:講談社
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2007年1月 7日 (日)

内部統制に思う

 近頃、内部統制に関する話題がネット上でにぎわっている。日本での内部統制は、「会社法」「金融商品取引法」の2本立てになりややこしくなっている。しかし、単純に言えば、アメリカの株式市場をにぎわせた”粉飾決算”を、させないようにということらしい。それを、経営陣の責任を明記し、リスク要件を明確にして、事前に明確にすることで、株式の暴落に関するインサイダー取引などをできにくくするのが狙いらしい。

 ネット上を見るとIT関連で、内部統制のためのパッケージと言うのがいくらかでてくる。これはある意味でブームのようである。これは、10年ほど前にあった、2000年問題を思い出した。ただし、2000年問題は本質的にソフトウエアの問題だが、今回のIT 業界の活気は、少しでしゃばりすぎているように思う。確かに、内部統制ではITも一つの要素であるが、主役は財務でないかと思う。

 これだけ、IT業界がはしゃいでいるのは、ある意味で2000年問題特需のようなものを願っているのであろうか?または、ソフトウエア業界の特性として、細かい点にこだわるので、リスク管理面で、IT関連を重視しすぎているのであろうか? 

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2007年1月 6日 (土)

文章理解力を大切に

 先般読んだ某週刊誌で、中学受験の勉強の記事を見た。そこで気になったのは、国語の長文問題の対策である。そこで、受験テクニックとして教えられているのは、文章自体は読まずに、設問の方を読み答えを推測していく方式である。

 確かに、受験で出る文章は長く、読む気がしない感じもする。しかも設問には、読解力より常識や道徳的センスで答えが決まるものが多い。こうなると、文章を読む力より、要領よく答える方が理にあっている。

 しかしこれでは、文章を読む力がつかないように感じる。何となく近頃の大学生の、説明文書を理解する能力が落ちているように感じていたが、ここに原因があったのかと納得してしまった。 

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2007年1月 5日 (金)

シビリアンコントロールと専門家

 防衛庁が防衛省になると言うことで、世の中は騒いでいる。国際的な立場もあるから、省になるのは良いことだと思う。そこで、軍国主義の亡霊対策のために、シビリアンコントロールが重要と言う話になってくる。

 しかし、気になるのは、防衛のように専門性が高いものに、外から素人の口出しができるのであろうか。そうでなくても、大臣は質問に答えることができなくて、事務方に助けてもらっているのに・・・

 ここで大切なことは、軍事に対してきっちり議論のできる、風土が必要だと思う。大学においても、戦術などを含めて軍事に対して議論できる学校を多く生む必要があると思う。公明な議論と、良識ある批判が存在することが重要である。

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2007年1月 4日 (木)

初詣について

 今年の初詣が一段落したようである。ところで、神社の比較に関してであるが、厳しく言うと、自らを守れない神社は、ご利益があるのかという話である。具体的に言うと、震災などの被害で、自らの社がどれだけ守れたのかと言う観点である。

 これは、阪神大震災の後で、建設業の人に聞いた話であるが、激震地でも確りした宮大工が建てた社は、大体生き延びている。それが現代風の建築で、建築費を値切っていると・・・

 確かに鳥居や塀が崩れた社は多いが、本体はかなり生き延びているように感じる。

 なお、境内に駐車場を設け、数時間預かる車に対して、お祓いを行う神社があった。この行為は、神事であり『営利行為ではないので税金を納めない』と、神戸市と一戦を交えた神社もあった。もっともこれは、半額納める政治決着したらしい。

 その神社は、震災の後立派に立て直されている。

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2007年1月 3日 (水)

新年のテレビ忠臣蔵 瑤泉院の陰謀をみて

 正月のテレビ番組は、どれも力の入ったものが多いが、
   テレビ東京 新春ワイド時代劇
     『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』
は、面白かった。現在の時代考証などで伝わっている、浅野内匠頭の癇癪の病なども取り入れて、現実性を増しながら、上手く作っていたと思う。

 しかし、この番組の中でも主人公の台詞にもあったが、
  「これでは吉良側が可愛そう」
と言う感じがする。このように、芝居等の文芸作品に残ってしまうと、フィクションがフィクションでなくなってしまう。井沢元彦氏の作品にもあったが、確かに忠臣蔵は、徳川綱吉の政治に対する、庶民の批判がこもっていたであろう。しかし、このような作品が一度できるとそれが一人歩きしてしまう。

 忠臣蔵の後、現在でも赤穂浪士関連の作品ができている。しかも、刃傷の理由を作るために、吉良上野介の悪役理由を無理やり作っている。勧善懲悪のつじつまを合わせるために悪役を作るのが、大衆受けの一つの手段である。

 このような被害者は、声を出せないがかわいそうな気がする。

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2007年1月 2日 (火)

機会損失について

 近頃は、成果主義と言うことで、評価が厳しくなっている。しかし、成果主義の評価は、『有言実行』の形式になりやすい。そこで、問題は『有言』の内容である。宣言したことができないと評価が下がるとなると、一歩引いて目標を設定を作ることが多い。こういうことが積み重なると、腰の引けた目標設定にならないか心配である。

 この対策として、『機会損失』に関しても、目標未達成と同程度の処罰を与える必要がある。しかし、この目標設定は理に合ったものでなくてはならない。従来、上司が無理やりノルマを突っ込むと言う形が多かった。その結果、上司は成功可能性に関して、まともに評価できないという雰囲気ができている。

 機会損失に対して、見方を変えれば、昔の閉鎖日本社会の仕事では、少しばかり機会損失があっても、結局自分たちに注文が来ると言う世界であった。しかし現在のようなグローバル化、ボーダーレス化では、異業種や海外からの参入に曝され、市場自体がなくなることもある。NTTはISDNから光のロードマップを作っていたが、YAHOOのADSLを許してしまった。もしこれがなければ、日本のブロードバンド化はもっと遅れ、ネットワーク社会で今の地位はなかったであろう。

 別の例では、学生の進路指導で良くある例である。その学生が、絶対通るレベルを指導され、行きたい学校を諦めさせるように指導されるのは、良くあることである。また近頃の就職指導でも、就職しやすい会社に向かう傾向も少しありそうである。実際、
  「1000人採用し、1年以内に6割は退職することを見越している会社」と
  「100人しか採用しないが、できるだけ実力を伸ばす会社」
どちらを選ぶべきであろうか?

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2007年1月 1日 (月)

新年を迎えて

 2007年を無事迎えることができました。昨年の1月2日にスタートしたこのページですので、丁度丸一年を迎えることができました。これも、見に来てくださる皆様の力を頂いている成果と思います。このページを見て下さる皆様に、深く感謝します。

 さて、年の初めは、明るい話としたいが、朝一番で新聞を見たら、「時代の谷間 私らしく」と言う朝日新聞の記事が目に入った。記事の副題は「社会頼らない」となっている。これは、内容を見ると「会社頼らない」の誤植ではと思う。

 確かに、今の企業の発想の中に、「価格競争に勝つ=低コスト労働力を求める」と言う低次元の発想があることも、否定できない。しかし、一方では技術・技能の蓄積を求める動きも起こっている。要するに、「企業は投資に値する人間を峻別しようとしている」ので、一般的なばら撒き雇用拡大と言う動きは、終止符を打ったと言うことである。

 考えてみれば、戦後の混乱期には、国鉄等に多くの雇用を求め、田中角栄の路線で、土木建築関係で非常に多くの雇用を生み出す仕組みを作った。こうして、
  ”社会=会社”
と言う村社会に、多くの人を引き止めることで社会の安定・治安を維持していた。しかし、この後ろには公共事業のばら撒き政策があり、いずれは破綻するので、どこかで舵を切る必要があった。そこで、新しいビジョンを示すのが政治と思うのだが、今はそれが見えていない。このような状況で、混乱が増しているように思う。

 但し、このページでは、”勉強の方法”と言うテーマを掲げているので、その面から一言言っておきたい。現在の企業は、
 「自分で考える力を持ち、対人的なスキルが充分ある人在」
をかなりの熱意で求めている。従って、チャンスは充分あるといっておきたい。

 なお朝日新聞の記事に関して、もう一言加えると、コンビニの低価格供給と言うことを消費者も求めている。これが労働者の低賃金に繋がっていると言う、冷静な記事もあった。一面からでなく多面的に見るのは、近代文面の必要条件である。

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2006年12月31日 (日)

宗教と平和について

 年末のテレビには、力の入った特集番組が多い。「京都の歴史」に関する面白い番組があった。井沢元彦氏の指摘にもあるが、戦国時代までの日本の仏教は、僧兵を抱えた先頭集団であった。そういう意味では、異端の信徒に対する、殺戮などの攻撃は色々在ったようである。織田信長の比叡山焼き討ちの前に、比叡山僧兵による、法華宗に対する殲滅的攻撃がある。これを考えると、イスラム教徒の戦いや、キリスト教の各種戦争を、特別視することはできない。

 逆に、日本のような宗教は武力を用いないと言う状況は、織田信長~豊臣秀吉~徳川歴代将軍が成し遂げた”世界の特殊例”かも知れない。そういう意味では、徳川幕府の宗教政策をもっときちんと、中学高校で教えるべきである。『キリスト教禁制』だけでなく、『日蓮宗不受布施派への禁制』も教えないと、寛容な宗教風土を造った経緯が見えなくなる。

 そういう風に考えていると、弘法大師が唐に入った時期を考えてみた。当時の唐には、仏教だけでなく、回教やキリスト教の一派まで入っていたと聞く。そういう意味では、他宗に寛容な風土は、そのあたりにお手本があるかもしれない。

 今年も残りわずか、このブログを見ていただいた皆様に感謝し、来年が平穏な年であるように祈っています。来年もよろしくお願いします。

 

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2006年12月30日 (土)

就職バブルについて思う

 今朝の朝日新聞を見ると、就職バブルと言う記事があった。確かに、現在の求人状況は大分改善されているようである。アルバイトが少なくて、年末商戦で苦戦する、商店主の話は別のテレビでも放送していた。

 しかし、冷静に見て状況はそれほど良いのであろうか?ある程度収入が安定した就職口の確保が、多くできているかが問題である。

 ここでもう一つ考えるべきは、大学側の事情である。現在の大学は、入学者確保に必死であり、そのためには『学校としての就職率や求人率』を、良くするためにはかなり熱心である。

 そんなことはないとは思うが、数値を良くするために、学生に低い目の要求を出すように指導して、就職率を上げるようなことはして欲しくないと思う。

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2006年12月29日 (金)

高校生時代の思い出

 現在、問題教師の話が出ているが、私の学生時代の記憶からいくつか。

その1:
 物理の教師にいじめられた例。1/tanθと書くところを、tan-1θと書いた学生がいた。
 ここで表現が不十分だが、-1は上付きの文字である。
 これを見た教師は、
 「中途半端な知識でアークtan など使って」
と散々嫌味を言った。私達は何がなんだかわからなかった。当時のの事情は、
tan2θ・・・(ここで2は上付き)と書くように習っていたので、1/tanθは肩にー1と書けばよいと思っても不思議はない。
 確かに、べき乗と逆関数の表現は紛らわしいが、学生がナゼ間違えたか、原因を考えて指導して欲しかった。当時生意気な学生もいたが、中途半端な知識のひけらかしでないと考えて、対応すべきであったと今では思っている。

その2:
 朝礼中に、雨が降ってきた。そこで傘を差した学生がいた。そこで校長曰く
 「自分だけぬれないで済まそうと言う学生は、当校の学生ではない」
それで傘をたたんだが、良く見ると教師陣は、建物の軒下からこちらを見ている。

その3:
 体育の授業で、膝を痛めた学生がいた。教師が、肩の骨の要領で直そうとした。これは、医者に連れて行って、事故になるのを隠そうとしたからである。しかし失敗し、医者から
 「下手にいじったため、靭帯がむちゃくちゃになり、後遺症が残るようになった。」
と言われた教師曰く、
 「私にも家族があるから穏便にしてくれ」
結局、学校から「大たい骨骨折」の重症並みの保証金でごまかしてしまった。

このような教師は昔からあった。現在は、その不満が一気に出てきたように思う。

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2006年12月28日 (木)

数学の試験

 就職活動の話を考えているとき、数学(及び国語)の試験に関して、少し気になることがでてきた。近頃の、学生さんの話を聞くと、きちんとした推論ができないことが多いと聞く。特に、前提条件と、証明すべき目的事項の分離が、上手にできない場合が多い。

 私の時代は、古い昔なので中学2年の頃に、幾何の証明問題で絞られた。しかしそこで、定義・公理・定理の違いを叩き込まれた。確かに、背理法による証明や、対偶を使う場合には、結論を先に使うこともあるが、原則は前提から使える定理を適用した、原因ー結果の流れを上手く使う証明が基本である。このような証明問題は、教える方も、解くほうも時間が掛かるので、簡単に流しているらしい。

 これは、国語の教育とも関連するが、どうも今の世の中で、論理的な物事の表現が上手く言っていない感じがする。事実と意見の分離も、上手くできていない。(このブログを見ても解る・・・自爆)しかし、もう少しきちんと学校で訓練して欲しいと思う。

 教育の再生が言われているが、国語教育の再生はどうなっているのであろうか?

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2006年12月27日 (水)

皆が主役の平等信仰

 前にも書いたが、近頃の小学校の学芸会(こんな表現古いか?)では、皆が主役と言う形になるらしい。従って、十数人の白雪姫と・・・と言う話になるらしい。

 これは差を認めない社会の性格から来ている。そこに、ゆとり教育の理念である、最低限の学力確保が入ってくる。こうなると、みんな同じ成績と言う話になる。

 そしてそれに少しでも外れると、対応できなくなる。それは無視に繋がるといじめが成立する。

 こう言う社会を時間をかけて造ってきたような気がする。戦後の、追いつけ教育から、時間をかけて平等性に持ち込んだ結果ではなかろうか?それとも聖徳太子にまで戻る、
  「和を持って尊しとなす」
文化まで遡ったということであろうか?

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2006年12月26日 (火)

大阪を貶める

 これはフィクションです。(笑)

 近頃のニュースを見ると、大阪の関係の不祥事が色々でてくる。大阪大学の関係の大先生が、愛人を公の宿舎に住まわせたり、論文捏造をしたり。

 そう思っていたら、”某有名タレント”が名誉毀損で敗訴している。

 これ一つ一つは、さもありなんと言う感じもするが、こう続くと関西の評価を、落とそうとして誰かが陰謀を企てているのかと疑ってしまった。

 首都圏の逆鱗に触れるようなことを、大阪は何かしたのかしら?阪神タイガースも優勝していないし、あまり心当たりはないが・・・

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2006年12月25日 (月)

教育再生会議について

 教育再生会議の座長の野依先生が、塾禁止などと言われているようである。

 放課後は、塾でなく遊びなど色々体験させろと言うことらしい。しかし、それができていないのが現実である。昔はクラブ活動など、学校ができる限りひきつける力があったように思う。

 これを単なる禁止で済ませようとするのは、何か甘い発想を感じる。

 前にも載せたかもしれないが、昔作ったジョークである。

 子供が一番行きたがるのは、”塾”・・・経済産業省の管轄、競争原理のみ働く
 その次は”保育園”・・・厚生労働省の管轄、危ないことのみ禁止のみ
 最後は”学校”・・・文部科学省の管轄、何でもかんでも規制する 

塾禁止というのも、文部科学省的発想に思えてしょうがない。

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2006年12月24日 (日)

ノート作成に役立つ話

 先ほどノート作成について書いたが、大学入試などの指導で有名な、出口 汪氏が、小論文の材料を作るためのノート作成を指導していたことを思い出した。

 資料が手元にないので、少し曖昧だが、以下の本に小論文の材料をノートにまとめる手法が書いてあったと思う。この本は、大学入試だけでなく、就職活動中の学生さんにも使えると思う。

 自分としてまとまった考えを持ち、人に上手に説明するスキルは重要と思う。

出口小論文講義の実況中継―大学入試 (2) Book 出口小論文講義の実況中継―大学入試 (2)

著者:出口 汪
販売元:語学春秋社
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限界の訓練

 『秘伝』と言う武術の専門雑誌がある。ある意味でマニアックな側面と、思い込み的側面もあるが、面白い情報もある。特に今月の記事は、武道筋を鍛えると言う特集であった。特に鹿島神傳直心影流の振棒訓練は凄い。5尺で16キロの棒を振る訓練には感心した。このような人間の限界を超えるようなものを扱うには、体の求めることを素直に聞いて、合理的な全身の使い方を身に付けないと、とてもできない。

 このような、限界に挑戦することで、本当に入用なものを見つけることは、武道だけではないと思う。私も昔、コンピュータのソフトの開発を行っていた時、体力の限界での仕事では、本当に必要な文書を、体と脳の求めに従って作るようになった。

 今のゆとり教育の風潮とは逆行かもしれないが、一つの考え方である。

 また、西洋式筋肉訓練では、
   「余りにも一部の訓練に偏る。特に合理的な体の使い方を殺している。」
と言う意見にも納得した。但し、武術には筋肉は必要と言う意見も書いてある。要するにバランスの問題である。筋肉鍛錬とスピードの鍛錬を、交互に行うと言う方式が新しい形かもしれない。

 確かに学校でも、一部訓練のため、わざと不自由を強いている面があるように思う。

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2006年12月23日 (土)

数学なしの経済学は

 先日ある大学の先生とお話しする機会があった。その大学の経済学部の1年生の数学を教えようとして、高校時代に微積分を学んでいないと言う事を聞いて、先生がずっこけていた。数十年前の経済学部受験者は、かなり厳しい数学の勉強をこなしていた。

 単純な疑問は、統計的処理を数学の基礎なしに、理解できるかと言うことである。指数関数とeの知識なしに、正規分布をはじめとする各種分布を、理解できるとは思えない。まして、因子分析などの多変量解析手段も理解できるのであろうか?

 しかし、ここまで書いて一寸考え込んでしまった。私達の時代は、統計分析するには、自分で計算するか、状況によってはプログラムを作成する必要があった。そのため、誤差論を含む数学的な知識が必要で、適宜近似による妥協を重ねて、何とか与えれた資源で答えを出そうと苦戦した。しかし現在では、EXCELなどの表計算の組み込み関数で、間単位処理できてしまう。

 このような状況では、正規分布、平均、標準偏差の意味を確り理解できていたら、別に細かい数学は知らなくてもよいのではなかろうか?数学的に確り理解しろと言われても、現在の確率論に触れると、コルモゴルフからルベッグまでとてつもなく濃い所にはまってしまう。そういう意味では、ある程度のブラックボックスは、やむを得ないような気もする。

 とはいっても自然対数の意味ぐらいは知ってほしいと思う。

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2006年12月22日 (金)

ノート作成について

 先般からの文章作成をまとめているうちに、ノート作成について触れていないと反省した。現在の学校教育では、ノートのとり方をきちんと教えていない様に思う。実際にノート作成が重要になるのは、高校から大学にかけて、自分の意見を持ち出す頃だと思うのだが、この時期にこのような教育がなされているようには思えない。

 さて、なぜノート作成が重要になるかと言うと、以下の理由がある。
 1.ノートの記述は自分の視野と歩幅で記述できて読みやすい
    市販の教科書だと、どうしても視野不足で情報補充が必要になったり
    自明なことまで証明する回りくどい表現になっている
   自分にとって必要十分な情報が、見開き1枚に整理されているノートは見やすい
 2.情報を整理するスキルが身につく
    上記と関連するが、自分で必要情報を配置することで自主性も身につく
    自分で講義をするつもりになるとノートを造りやすくなる
    時間割で制御される学生から、手帳で自主管理も社会人の第一歩
 3.手書きで書けば、図が多くなる
    パソコンを使うとどうしても、文字・表に依存する
    手書きの図による納得はバランスの良いものがある

 なお、ノートの作成法は、最終的には自分と用途に合わせて、見つけるしかない。私も、現在でも試行錯誤中であるが、少し思いついたことを述べておく。
 1.原則は見開き1枚に1主題とする。
 2.必要に応じて、書き込みのできるスペースを空けておく。
    但し空けすぎると何かしまりがなくなり読みにくい
 3.1冊のノートを使うか、ルーズリーフを使うか?
    昔はノートにまとめることを考えたが、近頃はルーズリーフも良いと思っている
    ・確りした教科書で、芯になる部分を記述するには1冊のノートが良い
    ・色々な意見を追加し、見比べるにはルーズリーフが便利である
   

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2006年12月20日 (水)

売り手市場対応の社員教育

 現在の新入社員の定着率低下は、かなり厳しい問題になっている。一説では、3年以内で30%の退職などと言う話もある。

 但しここで一寸驚いたのは、「リアル採用」と言う用語の存在である。つまり、インターネット上でのセレクションでなく、企業と学生が接する採用方式である。これをことさら言わないといけないようでは、採用時の目が弱くなっているように思う。

 この逆に、インターンシップ制やギャップイヤー採用などで、できるだけ企業の中に触れた上で納得させる、採用も進んでいる。

 ネット採用とインターンシップどちらも極端すぎるように思う。但し、情報過多の時代で、就活を行っている若者も、対応力が弱くなっているように感じる。

 このための対策には、各人の対人スキル強化がある。人間関係が上手くいく場合は、かなりの定着率向上が期待できるからである。また、新入社員のキャリア志向を満たすこともかなり有効である。

 そのため入社試験にグループワークを入れたり、内定後の研修に資格取得などのキャリア訓練を入れることもある。また入社後も、コーチングなどの対人能力サポートに力を入れる様になっている。

 しかし根本は、個人の対話能力・文書能力などの基本的な知的スキルの向上が一番重要と思う。

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2006年12月19日 (火)

エンジニアの心眼

 『エンジニアの心眼』と言う本を読み返してみた。この本は、2005年の京都大学経済学部の論文試験でも取り上げられたらしい。著者の言いたいことは、以下のようなことであろう。

 1.工学は良好に動作する物を作る学問である
 2.物を設計する場合には、数式の計算よりも形状を想像することが大切
 3.そのものの動作を想像しないと設計はできない
 4.以上より工学は伝承を大切にした芸術に近い作業である

 この内容には、かなり賛成できる部分がある。特にモノ造りをする場合には、そのモノが動くイメージを持てない人間が設計してはいけないのは、現在でも成立している。

 しかし、図式思考中心と言う点においては、現在の技術進歩はこれに反論できるレベルに近づいている。

 まず実例で、反論してみよう。数値的な計算でかなり精度良く役に立つものに、天気予報がある。これは、ここ数十年で飛躍的に進歩している。1970年代でも天気予報は当たらない代表であった。しかし近頃の天気予報は、かなりの精度で予測が当たるようになっている。これはコンピュータの精度向上と、モデルの改善によるところが大きい。

 また設計技術では、電磁気的な力と機械的な力や熱の作用等多面的に組み合わせた、連成解析やシミュレーションが実用化している。3Dグラフィックスとこのような解析を組合せる事で、かなり技術的予測能力が向上している。さらに、電子工学の分野ではギガヘルツ帯での設計になり、分布定数回路と過渡現象の理解が必須になり、微分方程式が理解できないと、設計ができなくなっている。

 昔の電気技術の創成期には、エジソンが交流の数式を理解できなくて、直流にこだわったと言うことを思い出した。ある程度のバランスが必要である。

技術屋(エンジニア)の心眼 技術屋(エンジニア)の心眼

著者:E.S. ファーガソン
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年12月18日 (月)

対話の技法

 説得では文章の作成もさることながら、対話能力が重要である。対話では相手の興味に対応して、重点的に話をする必要がある。そのため相手の反応を見ながら論点を移し絞り込むスキルが必要である。

 この時相手の興味はどこにあるか、仮説設定を行う能力が重要である。可能性を全てつぶす「虱潰し」や、裏づけのない「根拠なき断言」や「自己中心の思い込み」では、相手の琴線に触れることは難しい。

 この前提として、人々は多様な価値観を持つと言うことをよく認識しておくべきである。多様な価値観に対応する感性が、重要である。

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2006年12月17日 (日)

情報過剰の現在?

 久しぶりに、PHP文庫の「感性革命」を読んだ。この本は1983年に書かれたもので、いわゆる”団塊世代”とそれ以降の世代の比較で議論をしている。まず彼の表現で言う『日本原人=団塊世代より前』と、(1983年時代における?!)『新日本人』の発想の違いを考えてみよう。

 日本原人の故郷・・・薄汚い木造家屋、広場など少し残る自然、限られた情報源
 新日本人の故郷・・・狭いが電化セットのあるそれなりに暮らしやすい生活
             情報が多く使いこなす力がある。タテマエの後ろのホンエを見抜く
             学校教育は、平等と個性の重視
             理屈より自分の感性で『好みをはっきり言う』

 新日本人は見方では、『わがまま』だが、見方によれば『目的合理性』『感受性』がある。

 これは何か現在でインターネット前後に代入して、家の状況を適当にぼかせば、使えそうな感じがする。1980年代の話は、テレビなどの普及で、急速に情報量が増えた後の”断絶”であるし、現在は”ネット上に溢れる情報”による激変の後である。

 ところで、情報が増えると感受性は良くなるのであろうか?

 私はそうは思わない。感受性には、共通の実体験や相手を思いやる想像力が必要と思う。そういう意味では、『日本原人』が暮らした、物が不足した世代は、自然に触れる実体験と、自己の想像力での補いがあった。しかしテレビやインターネットの情報は、与えられるものであり、『自力で想像する』必要性が弱くなっているように思う。

 情報過多の現在に、生き残るためには、
  『与えられた情報を、ナゼを考えて自分で評価し、想像力で補充する。』
力を持った人間だと思う。

 「日本原人」より「新日本人」が、テーストが良くなったのは、供給力が強くなったので、色々と選べるようになったからではないかと思う。

 ただし、『感性革命』の本自体は、『定性情報』や『生活実感』の重視など面白い発想がある。今絶版らしいが、活用して欲しい本である。  

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2006年12月16日 (土)

情報過多の悩み

 あるところで、現在就職活動中の学生さんと、話をする機会があった。

 「企業の人、学校の人、いろんな人が色々なことを言うので迷っている。」

とのことであった。確かにそのとおりだと思う。

 現在は、ネット社会になり、誰でも情報発信できる状態になっている。その証拠に、ここでも勝手なことをほざいている、オッサンがいる。そうは言ってもこのブログ誰も読んでもらえないと寂しいから、もう少し我慢してみてください。(苦笑)

 特に就職及び求人活動に関しては、前にも書いたが、求人側が、
  「自発性を持ち、しかも会社の言うことを聞く」
という、一見すると自己矛盾する、要求事項を挙げているので、話が混乱している。

 しかし、これも本当の要求事項は何だと突っ込んで考えてみると、案外答えが見えてくる。採用側の本音としては、このような相矛盾する要求から、本質を見抜いて対応してくれる人財を求めているように思う。また、玉石混交の情報の海から、本当の珠を選ぶ目の良い人間が、今後必要になってくると思う。

 このような目の良い人間はどうしたら育つのであろうか。決定版ではないが、私の経験では、まず自分がどのような分野でも良いから、『世界一や日本一』にチャレンジした経験があると、大分良い効果がある。また、周囲にどのような分野でも『世界一や日本一』を経験した人間がいるだけでも、何か目が違ってくる。但し、この場合『あの人は違う』と、逃げる人間は結局妥協して、良いものには到達できなくなる。

 「身の丈にあった夢」と言う発想も大事であるが、世界のトップと勝負する気概も、若い時には必要と思う。そういう意味では、学生時代の学会発表したと言っても、厳しい競争相手のある学会と、そうでない学会の差を、見抜かれることもあるということは知っていてほしい。

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ようやく纏めました

 先般からここで書いていた、会社生活向けの文章作成について、とりあえずhttp://homepage3.nifty.com/manabizz/kaishabunsho.htm
にまとめを乗せておきました。

 これは、ブログで書いたことを、纏めた文章にする実験でしたが、まだ不満な点は多くあります。しかし、書いているうちに、ノート作成との関連性が見えてきたりして、結構面白い経験になりました。

 就職活動の皆様にも参考になれば幸いです。

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2006年12月15日 (金)

就職活動中の若手の変化

 産業訓練の資料から、「働くことの意識調査」の資料を読み返してみた。2006年と1971年の学生の会社選択が大きく変化している。選択理由の上位4番目までを見てみると、面白い結果がでた。

項目                1971年度       2006年度
自分の能力個性が活かせる  19%            30%
仕事が面白い           16%            22%
技術が覚えられる         7%            15%
会社の将来を考えて       27%            7%

 この結果を見ると、「会社の将来を考えて」と言う発想が激減している。また、「自分の能力、個性が活かせる」は、就職活動時の自己分析等の影響が大きいと思う。

 一方、「技術が覚えられる」と言うのは、何か自信無げな今の学生気質を表している。

 しかしこの理由を読みきれるような学生は、就職活動で勝ち抜くような感じがする。

 但し、何を持って価値とするかは議論の余地がある。 

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2006年12月14日 (木)

多くの情報が見過ごされてる?

 前にも書いたが、メールのような情報からも、個性を読み取ることができる。一方、踊りの手の動きは、手話や密教の印のように、色々なメッセージを送っている。現在の感覚でこれしかないと思い込むのは、危険である。

 また、自分で音を出し、聴覚から形状を認識する、視覚障害者の話も聞いた。この機能は脳内の情報処理能力によるらしい。

 人間の柔軟性は、今我々が思っているより大きいように感じる。色々な可能性が、体の隅々に潜在しているように思った。

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2006年12月13日 (水)

専門家依存の世界

 前にも書いたが、現在の日本の社会は
  「専門家への過剰依存」
があるように思う。言い換えれば、
  「専門家以外が発言できない社会」
となっているように思う。

 特に気になるのは、「カウンセラー」への依存である。色々なトラブルが発生すると、カウンセラーを派遣してなどと言う記事が出る。確かに、精神的な被害を受けているものにカウンセラーが対応することは大切かもしれない。

 しかし身近な人間の対応が、おろそかになってはいけないと思う。

 但し学校の問題では、教師の発言を直ぐに追及する雰囲気になっているので、専門家に依存するのも何となく解るが・・・

この一つの原因としてヒポクラテスの誓いも見て欲しい。

http://www.kanazawa-med.ac.jp/mic/rinri/hippocrates.html

この中で、
 「結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。」
の部分は、専門外への手出しを禁止する言葉として有名である。

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2006年12月12日 (火)

英作文について

 昔の私は英作文が嫌いであった。一つの理由は、会話の教材で、ネイティブの発想にはついていけないから、定型文のマネだけ勉強しろという内容を読んだ影響がある。

 確かに、英語を母国語にした人間の発想にはついていけないものがあるかもしれない。しかし、中国などの英語教育は、自分の意見を主張することに重点を多いていると聞く。

 そういうことを考えれば、余り難しく考えず意味が通れば良いと割り切った、英作文もあっても良さそうである。

 このように、ネイティブを意識過ぎるのは、専門家への過剰依存を感じた。

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2006年12月11日 (月)

2007年問題に便乗して?

 近頃新聞などに、団塊の世代が退職することによる、技術技能の伝承が途切れる、いわゆる『2007年問題』の記事が載ることも多い。その対策として、定年後のベテランを延長雇用すると言う話が出ている。

 これは結構なことだと思ったが、一寸気になる面がある。退職後の雇用は、年金を既に貰っている人が多いので、給与を安く抑えることも可能になる人も多い。

 これで、安易な経営者はコスト削減の一つの手段として、定年後の世代雇用に走らないだろうか?一昔前に、中国に発注すると言った話が、今度は定年後のベテランに走っているのでなかろうか?

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2006年12月10日 (日)

面白い論文

 論理的な文章にも面白い文章がある。それは「力強く」「独自の主張を持つ」文章である。これを支えるものは、個人の感性によるものが多い。しかし良いという方向がわかれば、人間は努力して何時かは手に入れることが多い。そのため、面白いと言う文章の特徴を少し述べてみる。

1.目的の意外性
  皆が認識している問題意識を超えるもの
  他人が気の付かない細やかな感性、盲点となっている視点

2.意外な結論
  特に、利益背反の関係で両者勝者になるWinWin関係の成立

また、力強さは以下の様な要素が大きい。

1.自分の体験での裏づけ
  自分の経験がある事項は、人の意見の丸写しより強い

2.書いてあること以上のバックデータ
  書いてあることは、自分の検討の抜粋であり、1枚の文書の後ろには
  数枚の検討資料がある場合、議論が飛んだように見えても補充ができる

特に、提出資料の後ろにそれ以上のバックデータのある議論は、密度が違うので迫力が違ってくる。 

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2006年12月 9日 (土)

話の進め方

 先般からの話題にもう少し補足する。

 全体構成に関しては、以下の手順を考えて欲しい。

(1)まず、何について書くか目的を明確にする
(2)着眼点を明確にした上で、現状を把握する
   悪さ加減を明らかにする
(3)原因を究明する
(3-1)必要に応じて仮説を立てる
(3-2)仮説を裏付ける理論と実例を探す
(4)改善案を提示する
(5)改善案の実行を思考実験等でシミュレーションしてみる

また、主張の構造化を考えることも重要である。全てを尽くす横の展開と、個別事項の内容を説明する縦の展開、一般論と具体論の展開などが、きちんと構造化していると読みやすくなる。

 これは、実行するのは難しい。一つの対策は最初は細部から始めて、ある程度まとまってから全体構造を考える方法がある。 

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2006年12月 8日 (金)

「それは確か?」への答え

 ここしばらく書いている、論理的な文書の作成についてもう少し書いてみる。

 今回は、
   「それは確か?」
と言う質問に対応する能力の強化について述べる。

 まず納得のいく説明としてイメージがあるのは、
   「原因→結果」
の因果関係がはっきりした議論である。しかしこの因果関係の認識も、読み手の立場で変化する。例えば以下の様な文句が出るかもしれない。
 ・乱雑な説明だ。話が飛び過ぎる。・・・読み手があまり知らない場合
 ・回りくどい。話が長い。・・・読み手がよく知っている場合

 この場合も、読み手を想定することが大切である。

 一方、因果関係の提示も、抽象度を変えた多面性が有効である。
 ・抽象化した一般理論での説明
 ・具体的な実例による説明

このような説明の材料を膨らますことも、わかり易くするために重要である。

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2006年12月 7日 (木)

即戦力への努力

 このブログを作った一つの動機は、学生さんが企業に入ったときに少しでも効率的に立ち上がることを考えて、勉強の方法とした。流風さんのところで、戦力になるまで3年と言う話が出たが、これを少しでも短くしたいと言う想いがある。

 今いくらか書きかけている論理的な文書作成も、一つのポイントと思う。現実に会社でマトな報告を書くには、3年はかかると言う説がある。それを2年にしたいという想いがここにある。

 なお、論理的な文書の作成は、ブログのアイデアをまとめて、最後に一つのHP にするのが目標である。断片的なアイデアから1枚のまとまりに持ち込む、舞台裏を見て欲しい。

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2006年12月 6日 (水)

知識の使い方

 前にも書いたが電磁気学の勉強法は、
   実例から積み上げる英国式
   数式の練習中心の大陸式
の二つの方法がある。前には、総合的なイメージを重視して、
  「英国式の勉強の方が良さそう」
と書いていた。

 しかし近頃少し考えが変わってきた。現在の設計はシミュレーション中心であり、数式の扱いに熟達しておく必要性が大きい。当然数式の意味を理解するのは重要であるが、ある程度の演習の積み重ねも重要ではないかと考えた。

 演習を積み重ねることは大切と再認識している現在である。

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2006年12月 5日 (火)

MECEの実現のために

 「それで充分なの?」と言う質問に対しては、MECE(もれなく重なりなく)で、表現をチェックする必要がある。これを実際に行う時には、昨日に書いたが相手の尺度で表現する事が重要である。これをチェックするためには、全体の図を書くか、表にまとめると良い。

 図に描いてみると、欠損部分が明確になるし、極端な細かさや荒さは描いていると、不連続でよく解る。また表にいても同様な効果がある。

 もちろん完全に描けない場合も多い。それでも欠陥や曖昧さがあることを認識することも重要である。

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2006年12月 4日 (月)

納得してもらうために

 昨日の話に追加する。まず以下の観点で考える。

 人が納得しない時の反応は、大きく分けて2通りになる。
  1.それで充分なの?
  2.それは本当なの?

 これに答えるのが昨日のMECEと因果律の鎖である。ところで、相対的と言うことは、聞き手の尺度が重要である。因果律では、ある人にとって自明なことでも、ある人にとっては説明が必要な場合がある。ここで、細かく説明する方が良いとは限らない、ことにも注意が必要である。余りくどく話されると、退屈して注意がそれるからである。ほぼ良い分解能が必要である。

 一方、MECEの立場で考えると、視野の広さと言うか視点の高さが問題になる。広く問題を見て、見落としを指摘する人もいれば、細部を突っ込んで見落としを指摘する人もいる。

 この様に相手に合わせた表現が必要である。

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2006年12月 3日 (日)

会社向けの論理

会社の論理は、人に納得してもらうために使う。

 人の納得を得るためには、まず相手を想定する必要がある。相手が知っていることを土台として話を進める必要がある。正しいと言うのは、相対的な事項である。

 具体的な話の進め方は、以下のようになる。

 1.まず関連すると言うことを、全てもれなく列挙する

    MECE(Mutually Exclusive collectively Exhaustive
          
=重なりなくもれなく)
が重要

 2.その中で、結果にいたる、原因結果関係で因果関係の鎖を組み立てる

    ここの話を三段論法などでつないでいく

    なお、厳密性より確からしさ、納得しやすさを重視すし、例外事項を認め明記して、それぞれに対する対策を明らかにする。

 特に複雑な現実を切り取って実際に議論を進めるためには、ある程度の仮定を設定する必要がある。例えば「経済成長率は、現状を維持する」などの設定が重要である。

 また、議論を進めて、因果関係の鎖を効率的に作るためには、仮説に基づいた思考法も有効である。但し、仮説が間違っている危険性を考慮した柔軟な対応も必要である。

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論理的に関して

 そろそろ来年の就職活動が盛んになってくるらしい。そこで、
   ”論理的”
 と言う側面から思いついたことを、皆さんにアドヴァイスしておきたい。

 学生時代の論文作成でも、論理的ということが言われたと思う。しかし社会と言うか会社の求める論理は、特に理系の大学の求める論理とは異なっている。これを端的に書くと以下のようになる。

1.大学の論理:厳密性を重視、確り構築された理想世界の上での論理展開
          明確な前提条件による割り切りがある
2.社会の論理:納得性を重視、多様な現実世界に適用できる論理展開
         言い換えると説明力を重視した論理

 ここでもう一つ付け加えると、大学の論理はある程度の、絶対性を要求している。一方、会社などで使う論理的な文章は、ある程度読み手想定し、彼らを説得出来ればよいのであ梨、相対的な性格をもっている。なお、政治家の論理は、この中間で自分たちの支持者および中立者までを想定して話をしている。

 このような立場の違いを考えないと、自分の前提だけで論理的と思っても、相手に伝わらないことがある。

 さてこの先では、社会と言うか会社の論理について述べる。

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2006年12月 2日 (土)

工業高校を求める大学

 昨日、高校の存在価値に関して書いたら本日の朝日新聞に関連する話が載っていた。

 「私の視点」ウイークエンド に 大学改革として、天岸静岡大学長が

 工業高校などの専門高校生の方が、普通高校の一部と比べて「対人能力」が一般的に高いと評価している。それは確かにそういう側面もあるであろうが、肝心の学問はどうであろうか?

 そう言えば昔の企業の採用でも、大学の教育は、当てにしないから、人間性が良い方を採用するなどと言う話もあったなー?

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2006年12月 1日 (金)

高校の必要性について

 流風さんのところで、少し前に高校の必要性に関する議論があった。流風さんの話は普通科の進学がらみでの予備校化の話とりかいした。

 さてここでは、工業高校に焦点を当てて考えてみたい。私は電気関連が専門なので、電気に偏るかもしれないが、現在の電子工学では、工業高校出身者は、技術者として立ち行くには、苦しいような感じがある。これを20年ほど前に時計を戻すと、逆に大学の教材の、偏りを追及したい面があり、工業高校の程よい教材配分は、実践的に全分野をカバーして、ある程度の即戦力となったように感じる。

 しかし現在の電子回路は、小型化・高速化しているので、微分方程式主体の解析が必須であり、大学レベルの基礎が必要になる。また設計サポートの環境が充実したので、微分方程式主体の設計・シミュレーションが強くなったのことも、大学出身者でないと技術が解らなくなった一つの理由であろう。

 これで逆に、腕・技の世界を考えると、本当は中学卒業で訓練したほうが、飲み込みがよくなる。こう考えると、高校の立場は苦しくなりそうである。

 但し、昔の工業高校のバランスの良い教育の高度化をして欲しいと言う思いも、個人としてまだ心の中にはある。悩ましいところである。

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2006年11月30日 (木)

数値化した尺度の効用

 西洋が力を持ったのは、ついこの数百年である。そこで継続的に強い国というと、やはり中国になる。マゼランの世界周航に、鄭和の大遠征先行しているが、鄭和の艦隊の方が遥かに優れたシステムを持っていた。

 しかしながら、中国の貿易システムは、いわゆる貢物に対する下賜品の朝貢貿易であり、複雑なシステムであり、中国と言う大文明から周辺の未開国との関係で成立した。一方、西洋文明の貿易は、貨幣経済による交換システムであり、多くの人間の参入を可能とした。

 結局、このような多数参加の可能性が、西洋文面を広げるのに役立ったのではなかろうか。

 しかしよく考えると、本当に絶対的かつ共通な価値はあるのであろうか?個人の価値は、個々に異なっている。朝貢貿易では、実は相互に相手が価値を高く評価するものを与えることで、相互に利益が生じる機会がある。このような世界は、構築するのに難しいが、本当に上手くいけば、皆が幸せになる可能性がありそうである。

 インターネットの情報処理能力で、このような複雑な交歓システムが、実用化しないかと考えてみた。

 

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2006年11月29日 (水)

コーハの時代

 今週のアエラに、

   「コーハ」で行こう
と言う記事があった。このホームページでも、結構哲学のキーワードで訪問してくれる方々もいらっしゃる。確かにテレビ番組でも、一寸硬い内容が目立つようになっている。
 ここでAERAを買って読んでみると、もう一つ面白い記述があった。
 この硬派の番組のコメンテーターに、物書き業務の人が多いという指摘である。
 これは、このブログでも書いたが、小説家が新しい理論を呈示すると言う話とも一致する。物書きの想像力は、総合的に検討することに有効である。
 世間は、硬派な内容だが、部分的に厳密な議論より、総合的に納得のいく話を求めているようである。

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2006年11月28日 (火)

守りが強い

 前にあるテレビで、長野県の田中知事に関連して、
 「落とそうとする方は結束するが、擁立派は色々と分かれている。」
と言う話をしていた。確かに、本人の求心力がないので分裂下らしい。

  外敵に対抗するなどの目的がある場合は人間は結束するが、色々な主張を持った人間が集まると、やはり分裂するらしい。

 このような人間の集団を導くと言うことが、リーダーシップと言うのだろう。

 現在の、政治家に求心力が弱くなった様に感じるのは、私だけであろうか?

 

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2006年11月27日 (月)

近頃の文庫本

 近頃、文庫本が面白い。数学の古典が文庫本で並んでいるには感激する。

 特に、岩波文庫で、ゲーデルの「不完全性定理」が出ているのには、感心してしまった。この本は更に、数学史の新研究も発表されている。

 ここまで、やるのかと思ったが、これがあれば理系離れを少なくできるかもしれないとも考えた。

ゲーデル 不完全性定理 Book ゲーデル 不完全性定理

著者:ゲーデル
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年11月26日 (日)

NTTのひかり電話

 今朝の朝日新聞の経済面に、NTT東日本のIP電話「ひかり電話」が3日間の通信障害を起こした件について、2ヵ月後のまとめを報じていた。

 混乱の状況は以下のとおり。

 9/19午前9時過ぎに、ひかり電話にこの日から加入した企業のコールセンターへの通話が、NTT東のサーバの一つに集中し、その結果輻輳現象が発生した。この現象は夜中の低負荷時で一時収まったが、明日の午前10時ごろ再発し、この輻輳は中継系サーバにまで波及した。輻輳状況は3日に及び、この間旧方式の電話に切り替えた工事は1300件に及んだ。

 最終的な、完全復旧は、通話中の情報を消す副作用がある、サーバーの基本ソフト(OS)の初期化を行って復旧した。副作用が少ない、応用プログラムの初期化は、初日に行ったが翌日障害が再発した。

 この理由はソフトウエアのミスで、1秒簡易100回までの発着信を処理できるはずが、実際は10回で遅れが出るようになっていた。運用開始前の4ヶ月程度の試験ではそのミスを見つけられなかった。

 なお、10/23にNTT西でも呼処理サーバーで障害が発生し、初日からOS初期化をしたが前面復旧まで3日かかった。

本件に関し、NTT関係者の発言として
「電話は切れてはならないと思われているが、
  パソコンは止まって当たり前。IP電話の技術は、むしろパソコンに近い」
また、NTT西の森下社長は、
 「予想がつかないことが起きた。人知を超えることだと考えている。」
があった、と載っていた。

 これを読んで、昔ソフトウエアの信頼性の教材として、電子交換機のソフトウエアの処理ならびに取り扱いを勉強した立場として、悲しくなってしまった。確かに、IP電話の発想には、統計的な配慮による資源の割り当てがあり、設計値以上の呼び出しなどがあれば、遅延が発生することは、想定内である。言い換えると、通常の電話は、回線確保という代償に高いコストを請求していると、考えるべきである。

 しかしながら、一度トラブルが発生しても、それが長く尾を引くようではいけない。悪くてもそれなりに被害を収めるフェイル・ソフトは信頼性設計の基本であり、これに関しても、昔電話のシステムで学んだように記憶している。

 「人知を超える」などと安易に言わず、昔の技術蓄積を生かして確りした物作りを行って欲しい。

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2006年11月25日 (土)

知識の上滑り

 昔の東大の入試で、円周率が3.1より大きいことを証明せよと言う問題があったと記憶している。出題者の要求は、円周率の計算の歴史を踏まえて、半径1の円に内接する6角形の周囲が6になることから3より大きい。更に12角形ならもっと大きくなって、3.1を超えると言う論法を期待していたのではと思う。

 12角形の辺の長さは、ピタゴラスの定理と3の平方根=1.73205・・・を使えば、簡単に計算できる。

 しかし、ここでarctan(tanの逆関数)のマクローリ展開を知っている学生がいたらどうなるであろう。 arctan(x)=x-x^3/3+x^5/5-x^7/7・・・

 これで、arctan(1)=π/4を考えると、上記計算で近似値を求めることも可能になる。(実際は収束が悪くて、計算時間が大変になるが、変形式を知っていれば、数項の計算で3.1を超えることは示すことができよう。

 ところで、ここでいきなりarctanのマクローリ展開と言い出しても、これを採点者は認めるであろうか?試験ならスペースがなくこれでOKとなるだろう。

 しかし、マクローリン展開の丸暗記では、応用が利かない。本当に仕事で役に立つ勉強にするためには、誰にも納得できる説明ができなければならない。いきなり、天下りの式を突きつけても人は受け入れない。

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2006年11月24日 (金)

目が悪いと言うが

  脳の話を色々と聞いていると、人間の情報処理は、大部分頭の中で行われている。感覚から入る情報の多くは、大脳で取捨選択され、加工されている。

 これで一寸気になったのが、近視・遠視・乱視の対策である。これらは、眼球の構造の問題として、眼鏡やコンタクトレンズで対応している。

 しかし大脳の中には対策が必要ではなかろうか?

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2006年11月23日 (木)

評価の受け入れ

 昨日の朝日新聞の投稿で、
   「せっかくボランティアに参加したのに5段階評価されて心外」
と言うような主旨の記事を読んだ。

 これを見て、二つの問題点を感じた。
  1.善意で行っているのだから評価してはいけないと言う発想
  2.5段階の採点で全てが決まったように思う発想
 まず1に対しては、善意で行ったことでも、関係者が不快に思うこともあり、色々な面から評価すべきである。批判を受けない活動は進化しない。

 一方、5段階評価を全てと考える発想にも困ったものである。人によっては不愉快でも、人によっては助かったと言うこともある。状況により評価は変わるので、多面的な見方が必要である。

 一つの数値だけで、すべてとの言い方は、非常に危ないものを感じる。

 なおこれと関連して、IQ/EQと言う話がある。日本人は、論理的な話が下手という言い方には、やはりIQ的なものが弱く、EQ重視の影響があるように思う。EQで共感と言っているが、自分に意見が合わない人間がいた場合、最後には「決めつけ、怒鳴りあい」の世界になってしまう。ゴーン氏の意見も、能力の上で「共感」と言っていたと思うが、それが伝わっているのであろうか。

 IQ重視で能力の高い人材にEQを強調するのはよいが、IQ不足の人間にEQを強調すると、怖い世界になる。

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共感重視について?

 今朝の朝日新聞に、多摩大学と(株)ベネッセコーポレーション/ベルリッツ・ジャパン(株)の「日本発グローバル人材をどう育成するか」と言う広告特集があった。カルロス・ゴーン氏と中谷学長の対話で色々参考になる部分があるので、抜粋しておく。

グローバルビジネスで成功するタイプ
 ゴーン:もっとも重要なことは、「差異」に対して敬意を持つこと。
     自分とは異なる言語や習慣、文化に敬意を持ち、
      学ぶ気持ちがあるということです。
     またいろんな人と「共感」できる能力を持っていることが非常に重要です。
     もっと言えば、海外で暮らしたり働いたりといった、
     異文化体験を豊富に持っていることも大切です。

 中谷:ゴーンさんは、自分とは異質な文化や価値観を持つ日本人従業員と
     心を通わせ、現場のやる気を引き出すことで改革を成功させた。
          ~「日本のビジネスマンはまじめで仕事熱心だけれど、
      時に『退屈』だと批判を聞くことがあります」~
    日本人のグローバルなコミュニケーション能力に問題がある
         と見ていますが、どう思われますか。

 ゴーン:リーダーは退屈な人では務まりません。リーダーの仕事は、
     社員のモチベーションを上げること。どんなに優秀でも、
     人間的魅力に欠け、『共感能力』のない上司に部下は従いません。

企業における人材育成で大切なことはと言う質問に対して、
 ゴーン:ポテンシャルの高い人を見つけるプロセスをつくり、
     そのような人になるべく難しい任務を与えることが重要です。
     もちろん企業は、彼らが成功するようにサポートする必要があります。
     厳しい状況、難題を乗り越えた成功体験こそが自信となり、
     その人を優れたリーダーに成長させていくのです。

これは非常に大切な話である。但し、『共感』だけが一人歩きするのは一寸怖い。基本的な能力と、共感は車の両輪である。部下にとって、
  まともな答えの出ない上司 (マル投げを含む)
は、やはり最悪の上司である。

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2006年11月22日 (水)

昨日の補足

 昨日の話を、個人の観点で書いてみる。

 まず常に自分を客観的に見て、良い点も評価している。しかし高い目標も持っている。また自分より上があることも謙虚に認める。

 他人の指示にも素直に従う。固執はしない。

 このような人間は、多様な経験を積みながら、螺旋状に成長していく。

 

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2006年11月20日 (月)

面接の対応で考える

 昨日のプロ化の現状を踏まえて、面接の模範解答を作ってみた。これは企業側の立場で書いているが、ある意味で自己啓発の指針として考えても良い。

 まず、質問
  「あなたの専門は?」
に対しては、
  「学生時代の専攻はXXです。特にOOを研究し、YYは自分で考えました。」
等の自主性をPRする。

 また、会社でしたいことはと言う質問に対しては、
  「自分の考えではXXをしたい。」
とはっきり言ってもよい。但し、ここでもう一言
  「但し、自分の限られた知識での考えです。会社側の意見と異っても、
   納得がいけばとりあえず努力してみます。」
と言えればもっと良い。

とここまで書いたが、この意味についてはまた後で解説したい。

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2006年11月19日 (日)

プロ化と成長

 現在の社会は、プロ化しているという。就職時にも、
  「自分が何をできる、何をしたい。」
をはっきり言うほうが良い、となっている。

 しかし実際に、就職した時『そのものずばりの仕事を行える』と言われると、現実にはそのとおりにはならない。ここで企業側の言い分は、
  「実際の仕事には、会社の多様な要素が関連し、色々な経験を積まないといけない。」
  「学校で習ったとおりには行かない。」
ということになるであろう。もう少し本音になると、
  「学校で身についたもの、理想的過ぎて現実に合わない。」
     「あまりスキルがついていない。」
と言うであろう。

 それなら、最初から「会社の言うとおり働きます」と言う、自己主張なしの人間を採用したら良いと言うのではと言う疑問がでるであろう。しかし、現在は
 「自分で考えようとしない人間」
は、仕事ができなくなっている。従って、就職に関しても、やはり自分で考える必要がある。但し、現実にその考えが
 「狭い範囲の思い込み」
であったらどうなるのか?

 若いと言うことは間違っても修正できると言うことで、これは柔軟に対応できるならかまわない。ただ、考えなしのフニャフニャでなく、自分が何がよいと言う方向を知ることが大事である。

 学生時代には、良いものを見分ける価値観を、身に付けておくと、このような芯のある柔軟な対応ができるようになる。

 この話を踏まえると、面接時の対応マニュアルが出てきそうだが、それは後日に書きたい。

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2006年11月18日 (土)

工業高校と大学工学部

 あるところで、大学の先生と話をする機会があり、大きな誤解があると解った。大学の先生は、
  「工業高校出身者の知識は大学の2年修了ぐらいですか?」
とおっしゃった。これは、完全な誤解である。工業高校卒業時には、大学の4年間で習うような、応用的な製品知識はほぼ全部バランスよく学んでいる。

 それでは、大学との差はどこにあるのか?それは、基礎の違いである。例えば、インピーダンスの計算では、いきなり2*π*fという値が出てくる。大学では、一応微分積分での式で説明し、ラプラス変換も教えている。また複素数に関しても理解している。従って、この2*π*fの値が、ラプラス変換のsの定常状態での値を示しているし、演算子法などまでも必要に応じて踏み込めるようになっている。

 ところで、現在の物造り、特に設計段階では、理論が進化し、計算結果がそのまま実現に繋がるようになっている。前にも書いたが、携帯電話のGHz帯での回路設計など複素数で見た電力の分布定数回路での設計計算が必須である。このような段階では、工業高校の知識では難しいものがあると思う。

 20年前のトランジスタ回路では、比較的単純な計算で目算を立て、現物で調整するなども多くあった。こういう部分では経験がモノを言うので、大学の4年より経験が力を持っていた。しかし現在の回路では、微分方程式までいつでも遡れる力が必要である。ここまで来ると、大学の基礎知識が重要になってくる。

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知識労働のプロとは

 知識労働のプロとは何か一寸考えてみた。

 従来の発想では、
   「他の人が知らないようなことを知っている。」
という機能は充分知的労働として通用していた。しかし、インターネット時代の知的労働とは、以下の様な条件が加わるように思う。
  1.色々な情報を適切に探す。インターネット上の検索を含む
  2.探した情報の評価を適切に行う
  3.必要情報に絞り込む
  4.利用者の求める形に総合的にまとめ加工する
  5.必要に応じて、自分の知識で、補足説明を加える

特に、今後は評価する能力が重要になると思う。そう言う意味では、前に書いた治験のアウトソーシングなども時流にあっているように思う。 

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2006年11月17日 (金)

いじめっ子は使いやすい

 いじめニュースに関連して、あるテレビ番組の内容で、納得したことがあった。

 いじめを行う子は、活発で最低でも数人のボスであり、教師にとっては重宝な子供である。従って、いじめられたと言っても、教師が取り合わないことが多い。

 これで昔は、いじめ問題が深刻にならなかった理由を考えてみよう。色々ありすぎて、困るが思いつくまま述べてみよう。
 まず、いじめられる側
  1.打たれ弱い。直ぐに死ぬなど
 2.逃げ道がない。学校の世界以外に、他の世界はない

 次に、いじめる側
 1.昔のボスの品格というようなものがない。
 2.いじめる限度を知らない。致命傷にならないようないじめ方を知らない。

 学校の問題
 1.多様性を本質的に認めない。一本道の評価に近い。
 2.教師のスキル低下。

 社会の問題
 1.単純な善悪論。悪と言うと一気に極端になる。
 2.マスコミの過剰な追求

このようなものがでて来た。何となく昔のワルはそれなりの品格があったように思う。

 

 

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2006年11月16日 (木)

365件目

 このブログの記事が、365件になった。1年を待たずに365とは少し早いが、継続は力を信じて、これからも続けていきたい。

 まだ、書きたいアイデアリストには蓄積があるので、頑張って書き続けて生きたい。

 ブログの世界では、英語より日本語が多くなったと聞く。日本人の言語能力にブログの貢献する面を評価していきたい。

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2006年11月15日 (水)

センター試験の活用について

 高校の履修内容の虚偽に関して一つ提案したい。これは大学に対してであるが、
   「センター試験でできる限り多くの科目を評価する。」
という姿勢をとって欲しいと言うことである。なおセンター試験の成績が一定以上でないと、受験を拒否すると言う、足切制度とペアでの運用である。

 各大学独自の試験では科目を増やすことは、作業負荷が増えて大変であろう。センター試験では、多くの科目に対応可能である。これを活用すれば、理科の分野でも、物理・化学・生物の3科目を評価することができる。これで、医学部でも生物を勉強していないという悩みも解決の方向に向かう。

 このような改革は、東大当たりが音頭をとって欲しい。なぜなら、東大は教養学部を残し、一般的な教養に対し理解がありそうだから、多様な分野の勉強にも肯定的であろう。

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2006年11月14日 (火)

10000アクセス突破について

 このブログのアクセス件数を見ると10011と1万件を突破していた。今年の1月2日の書初めのつもりで始めて、今年中に10000アクセスを超えればよいと持っていたが、思ったより早く10000件になった。

 近頃は、余り歓迎できないコメントや、トラックバックに悩まされたが、流風さんはじめ皆様のおかげで、ここまでこれたことを感謝したい。しかし、最初に遊びに来てくれた、なるさんが近頃ブログを更新していないのは寂しいことである。ゆっくりでも良いから、更新を続けて欲しいと思う。

 私個人としては、このブログを書き始めてから、色々考えがまとまるようになってきた。まだ書きたいアイデアは色々のこっているので、まだもう少し頑張っていきたいと思う。

 最後にもう一度、このブログを見てくださる皆様に御礼申し上げます。

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2006年11月13日 (月)

現在はプロの時代

 現在は、プロ化の時代と言うことである。確かに、個別の仕事に対する、要求レベルは高くなっている。テレビ東京系のジパングで製薬業界の、新薬開発における治験と販売におけるアウトソーシングを取り上げていた。

 治験と言う業務のプロと言うことは、治験対象者や病院などへの折衝などから、成果データの統計解析と評価、報告書作成などの業務の業務のプロ化である。

 また、MRとは、薬の知識に加えて、説明のプロ化ということになる。

 このように専門知識とある種のスキルが結びついてこそ、プロとして評価される。

 これを応用すると、ソフトウエアの試験結果を解析するプロというような仕事も出現するかもしれない。

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2006年11月12日 (日)

日本人論と人工知能の哲学

 また山本七平(イザヤ・ベンダサン名義も含む)の著作を読む機会があった。正確に読みきれていないが、彼の述べていることで、一寸注目したのが、日本人の説得は、自分の人間性に対する説得と言う話である。

 このような説得は論理性が、欠けているように感じるかもしれない。該当事項の利害や詳細に触れずに
 「自分は清廉潔白である。このことに対しては無私の立場で対応している。
  だから皆も従え・・・」
と言う調子で説得する。

 この話は、確かに論理的では無い。しかし、見方を変えれば、全ての事項を説明できるものではないし、実行には色々な面での応用を利かさないといけない。従って、事項に対する説明よりも、実行者が信頼できると言う説明の方が、実際的には説得力があるように感じた。

 ここまで書いて、昔ある大学の先生と人工知能について話したことを思い出した。私が人間と機械の知性の違いとして、
 「人間は、必要に応じて執着をもち追及を深める。例えば、セキュリティ監視などで、
  危険度により追求を深める。」
と言った所、
 「そのような知性を造るというのは、新しい人工知能の定義である。」
と指摘されたことを思い出した。確かにこのような、任せられる知性を造れば、人工知能としては今までに無い強力なものになるであろう。ついでに、人工知能の一つの難題である、フレーム問題も答えることができる。

 なお、このような人に任せる発想の一つの形は、弘法大師が持ち帰った、理趣経にあると思う。理趣経では、色々な仏の救いの形を、担当の如来や菩薩等とともに説明している。例えば無限の知恵を蓄える虚空蔵菩薩様、その知恵を整理し人に授ける虚空庫菩薩様など多くの方が登場する。このようなイメージがあるから、御仏と一体になり、その力を得る密教の業は行いやすいのであろう。

 一方法華経では、仏の寿命が無限ということを見事な比喩で教えるが、教えを教えとしている。やはり顕教というべきであろう。

 今は理屈が勝った世界であるが、密教的一体化の良さももう一度見直して欲しい気がする。

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2006年11月11日 (土)

合理化を受け入れない体質

 今朝の朝日新聞の投稿欄に、郵政事業のトヨタ方式導入に対して、郵便局のOBからの反論が載っていた。

 確かに、考えなしの合理化手法導入には、賛成できない面もある。但し、投稿者の意見に賛同できない面もある。

 「ストップウォッチを持った人間に監視されていると、やる気が出ない。」

と言う主旨であったが、現在の一般企業において、合理化というのは作業を皆で見ながら、改善するのは一つの基本である。この程度のことに反発すると言うことは、メーカーに勤めている人間としては、同感できないものがある。

 何事においても、他人に見せても堂々と行える。そして、皆で改善する。これが基本ではないか。そういえば、教育の世界でも、学校の先生方は、授業を監視するといえば、非常に反発が多い。しかし塾では、これは当然のことである。

 何か同じ問題があるように思う。

 

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2006年11月10日 (金)

やらせ報道について

 近頃、教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」の話題が、新聞をにぎあわせている。これを見て、思い出したのが江戸時代の「お城将棋」である。

 江戸時代に、江戸城で将軍の前で見せる将棋は、一度別の場所で指しておき、その棋譜の通り、タイミングよくおいて行く儀式であった。つまって考えたりする、見苦しい状況は、偉い人には見せないと言う発想である。

 偉い人の前では綺麗に進んで欲しいという発想は、昔と同じだと笑ってしまった。

 しかし、発言する方も、自分の意見と同じなら少しでも格好よく発言したいと言う心理はあるだろう。しかもそれを、お役所でチェックしてくれるなら、ありがたい話と思うのではなかろうか。

 もう一方踏み込めば、このような会議で、見事な質問や意見を言える人間は、少ないように思う。そこまでできるようになるにはそれなりの経験や訓練が必要である。一方、テレビなどで見ていると、会議の発言は颯爽としている。このような評価が厳しくなれば、発言がしにくくなる。このような条件を考えると、担当者の焦りにも少し同情してしまった。

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2006年11月 9日 (木)

西洋文明の強さ

 西洋文明にはある意味の強い割りきりがある。自分の考えが正しいと言う、信念のようなものがある。この理由は色々ある。キリスト教の1神教の強さがその理由という人もある。ここでは、デカルトの推論法の強さを考えてみたい。

 デカルトの哲学は、疑いぬいた上での議論であり、ある意味非常に強くなる。このような強さが、西洋文明を生んだのではないかと思う。

 一方、日本の考えは全体イメージで進めるように思う。日本語は、風景描写の言語である。その中で、思考するので、新しいことを考えるのは迷いが多くなる。

 但し、日本語のよい所は、共感ができるので納得しやすい面もある。日本人は指示を受けるのは下手だが、実行するのは確実にする。

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2006年11月 8日 (水)

一寸気になるいじめ報道

 近頃学校でのいじめ報道が、激しくなっている。ある種の激しい追及がある。ある意味で、学校の教師などに対するいじめのようである。いじめを無視していたり、あおったりする教師は、自業自得と言う感じもする。

 しかし、この話には怖い面がある。子供の方の思い込みで、死ぬことで皆が迷惑することを期待する向きもありそうだ。死んでやる、と言うのを簡単に言う。しかし、その結果がこのようなリンチになるので復讐になると、喜んで死ぬ可能性がある。

 こういう感じで考える人はいないのかな?

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2006年11月 7日 (火)

3年で辞める若者について

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来

を読んでみた。確かに、「仕事意識を持った志ある者」を採用するが、彼らが現実のギャップに失望して、退職する話などは、納得がいく点もある。

しかし、ここで述べておきたいのは、現在の大学卒業生の、現実の問題に対する弱さである。特に、優秀といわれる人材も、非常に狭い範囲でしか能力を発揮できないので、企業にとっては大抵、大学卒業生の完成度が低いと見てしまう。

実際、ある程度の大きな物造りや、企画提案などを完成させるには、先輩の指導が必要なことがほとんどである。そのような経験をすると、少なくとも入社5年ほどは
  「先輩にはかなわない」
という形の年功序列の世界に慣れていくのである。

そういう意味では、この本の著者の城氏は、若手の内によい先輩の指導での、提案成功体験など、よい会社経験がないかわいそうな人のように思えてきた。

青色ダイオードのN先生も、会社の皆の支えを認識できないのは寂しいように思う。もっとも会社の徳も少ないように感じるが・・・

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2006年11月 6日 (月)

核開発における原子力発電

 近頃の北朝鮮の核開発疑惑で一つ勉強した。
 ウランの濃縮には大量の電力が必要である。

 これを考えると、エネルギーに溢れた国でないと、核兵器の開発は難しいということになる。逆に考えると、平和利用の原発と言っていても、エネルギーの余裕を生んで、ウラン濃縮の手伝いになるかもしれない。

 結局信用のできない国には、何をしても危なくなるらしい。

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2006年11月 5日 (日)

天才の扱いについて

機会があって、

  零戦の遺産―設計主務者が綴る名機の素顔

  著者:堀越 二郎
  販売元:光人社
  Amazon.co.jpで詳細を確認する

を見直した。堀越二郎氏の才能は、第2次大戦前の日本で、とにかく世界の一流に達する飛行機を設計したと言う事で、天才と認めるべきであろう。そこで彼の発想を少し覗いてみた。

<pp53~54 設計者と用兵者の哲学から 引用>
 私の歴史的観察癖は、早くから航空機における日本の立場・宿命と言うものを考えさせた。まず、先進国に比べて、日本は工業の基盤が遅れ、材料でも技術者でも質よりも量的に劣勢である。これは平和の時の競争なら設計でいくらか挽回できる。しかし長期戦もしくは総力戦では、量の劣勢は質の劣勢に転化する。次に、航空機の中でもとくに戦闘機の性能を支配する発動機の馬力が、いつも相手より二割か三割小さいという条件が日本にはつきまとう。
 こういう宿命を背負った上で、航空機とかぎらず、およそ兵器の性能で先進国と張り合っていくつもりなら、当事者は頭を大いに柔軟にしてかからなければならない。設計者の立場でいうと、まず設計のテクニックと規格に頭を使う余地がある。たいていの人がこの二つは与えられたものだとして、固定化、神格化して考える癖がある。私は現在のテクニックや規格がどうしてできたかを考えると、数学の定理などとちがって、科学、技術の進歩とともに変わっていくのが当然だと思った。テクニックや規格は設計をしばるものではなくて、設計の道具として使いこなすのが、設計者の務めであると考えた。
 現在のテクニックと規格のらち外に出ないで設計する方がもちろんらくではある。政治家も、経営者でも、考えの範囲や責任の深さを限定して身を処する方がらくではある。しかしそういうやり方では、現に力のまさっている、あるいは先に進んでいる国や団体に、日本は永久に追いつけないではないか。それでは将来の国や団体の運命に影響するような地位にいる責任を完全に果たしているといえようか。
 もう一つ大事なことは、日本中の各社が頭脳と手間を少ししかかけないで、多種の二流品を速くつくるよりも、一機種にたとえば二倍の頭脳と手間をかけて、少ない機種の一流品をつくるやり方の方が、日本の工業技術水準を高める早道であり、材料と人数の劣勢な日本が優勢な国と競争するのに、もっとも経済的な途ではないか。これは飛行機と限らず通用するはずである。
<引用終わり>

 これは確かに現在の技術者にも考えて欲しい問題である。但し、堀越氏は以下のように使いにくい性格である。これを生かした経営陣のほうも、褒めるべきであろう。

<pp49~50 引用>
 私は、対談でも、壇上からの講演でも、シャイであり口下手である。私の武器は、自分で考えることだけであった。子供のときの読書の感化かもしれないが、歴史的に今の時点で、自分のおかれた条件と言うものを考える癖があった。しかしいくら人より多くのことを考えても、シャイで口数が少ない方であるから、人を説得して自分の考えに従わせることは、人一倍努力しないとできない。その代わりフリーハンドを与えられると、自分の考えがらくに実行できる。
  ~ 一部略 ~
 しかし実際の世の中には、同じ条件で競争して、成績を比べるというケースは多くない。
<引用終わり>

 なお、この著書では、零戦の優越性を述べている。しかし、イギリスの主力戦闘機であるスピットファイアが、初期の1050馬力から戦争末には2040馬力に増強できたが、零戦は950馬力から1130馬力に、実用的には増強できなかった。これは、設計面の無理が響いていると思う。

 日本の強みの、擦り合わせ設計の典型だが、少しやりすぎたように思う。もっとも日本のエンジン技術がもっとひどく、2000馬力の実用エンジンはないという、言い訳は成立するが・・・

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2006年11月 4日 (土)

関西人のひがみ

 昨日のNHKテレビで、『大阪の歌』の特集をしていた。司会者が上沼女史というのを聞き、堺屋太一氏の理論を思い出してしまった。堺屋氏はある講演で、
「官僚の政策で、関東中心主義を貫くために、全国の人間は
  東京にあこがれることが重要である。したがって、東京の番組は、皆があこがれる
 美人タレントを起用し、関西はお笑い系メインでしか発信できない。」
と言っている。

 そう思ってみると、司会者に加えて、主要メンバーは、
  「天童よしみ、藤田まこと・・・」
ウーム、美男美女には見えないなー。更に見ていると、バックのセットを動かす黒子の姿も見えるし・・・何か安っぽくつくっている。関東と比べて、大阪は安く見られているのではないか?

 ただし、天童よしみさんが、『王将』を歌った時、 彼女が
   『将棋の駒の王将の姿に見えた』
この存在感には、満足した。

 「明日は東京に出て行くからに、何が何でも勝たねばならぬ・・・」

やはり関西人は、これでないといけない。と言うのは古いのかなー?

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とりあえず好くなりました

 昨日このページに書いた、アクセス数は、無事元に戻っていた。6千台から9千台に一気に戻ったら、何か得をしたような感じがする。システム運用側の修正に感謝したい。

 一方トラックバックに関しては、残念ながらココログ運営側の対応には期待できないので、前に作った全ての記事を、トラックバック禁止にした。ある意味でブログのメリットを殺す感じだが、コメントを生かせばこれで充分かなと思う。

 トラックバック設定に合わせて、全ての記事をざっと見直してみた。前の方に書いた記事には理解不十分な部分もあるが、自分の進歩の確認と前向きに評価したい。

 特に、流風さまはじめ、このブログを見てくださり、コメントしてくださった皆様にこの場を通じて、深謝の意を送りたい。

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2006年11月 3日 (金)

疲れますねー

 ココログフリーを、メンテしたそうで、改善されたと言うことらしいが、どうも気に入らない。

その1
 その後、変なトラックバックがつく。受付禁止にしてもかいくぐってくる。毎日100件以上の削除は疲れる。何かよい方法はないですかねー

その2
 アクセス解析がよくなったが、今まで9000件ぐらいの合った累計が6800ぐらいに減っている。今年中に10000の大台に乗って、と楽しみにしていたのにがっくり。

朝から疲れる話で失礼しました。 

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2006年11月 2日 (木)

電子回路の応用

 昔の電子工学を回想していて、一寸面白いものを思い出した。それは、超再生検波と言う方式である。これは、トランジスタや真空管を使った検波増幅回路の性能を最大限引き出す手法である。再生回路は、再生量を増やすと増幅率は増えるが、ピーと言う音とともに発振してしまう。この発振の直前が再生回路の最大性能である。

 超再生検波は、この状況を機械的に維持する方法で、具体的には人間の耳に聞こえない程度の短い時間で、発振と通常の動作を繰り返す方式である。

 超再生検波は、直ぐにスーパーヘテロダインにとって変わられてしまった。その理由として、トランジスタなどの半導体が技術進歩で、増幅回路が容易に増やせるようになったからである。さらにオペアンと言う演算増幅器では、増幅率が充分取れるので、負帰還をかけて、増幅率を落として更に安定度を増している。

 さて、現在の会社の仕事を考えてみよう。昔は、少ない人材の活用と言うことで、少しぐらいトラブル発生しても、無理して突っ込んでいた。しかし現在は、
  「無理はしない、安全を見る。」
を重視しすぎている。

 外部に影響しない程度のトラブルは許容しながら、少しの無理を行う、超再生のような発想が今の仕事に必要ではなかろうか。

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2006年11月 1日 (水)

技術論議(電子工学から)

 仕事の都合で、電子工学のこの50年ほどを振り返ってみた。50年ほど前には、電子回路と言えばテレビやラジオで、トランジスタと真空管が入り乱れていた。当時はアマチュア無線で、自作も良く行われていた。従って、電子工学や通信工学の大学に、入学した学生が既に大学で学ぶ電子回路の知識のかなりの部分を、実践的に身に付けていた。実際当時のトランジスタ回路では、理論で概略の設計はできても、最後に部品の特性に合わせた調整が必要であり、勘とコツの世界が生きていた。その時代で、物造りの基礎の知識は、工業高校でバランスよく教えられていた。

 一方、現在の電子回路は、携帯電話、パソコン、ディジタルテレビと高度化・多様化している。このために、回路の設計時にも制御理論と言ったフィードバック回路の設計から、分布定数回路など広い技術知識が必要である。そのためのシミュレーション等のサポートはかなり充実している。逆に、回路の設計は確りしているので、机上計算通りの性能が出ており、勘コツの世界は少なくなっている。このため、大学などの専門的な理論教育が重要になっている。現在の大学入学時のアマチュアが、回路設計から実用的な実装に持ち込むのは現実的には難しくなっている。

 ところで、国家技能検定の電子機器の組み立ての学科試験では、従来どおりの個別トランジスタの回路に一部オペアンプの回路が入っただけである。昔は、このレベルでかなりのトラブル追求能力があったが現在では、難しくなっている。

 このような、物造りに要求される基礎技術と知識が高度化しているが、全般的な一般的な工学知識を持った技術者の大学からの供給はまだ少ないように思う。特に従来の企業の姿勢が、新卒の素質に期待し、学校の知識に期待していなかった面もある。現在は転換期になっていると思う。

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2006年10月31日 (火)

大企業に責任をかぶせても?

 今朝の朝日新聞の社説で、
   「もっと電力会社は自然エネルギーの発電を購入すべし」
と述べていた。確かに、地球温暖化に対しては、自然エネルギーの使用は促進すべきだと思う。但し、発電に関しては、自然エネルギーを使うべきかに関して大きな疑問がある。なぜなら自然エネルギーは、非常に不安定である。例えば風力発電などは風の変化で発電量が色々と変化する。しかも電力は溜めることができない。

 このため、電力会社は風力発電の変化に応じて、自分の発電量を変化させて、一定の供給量を維持する。そのために、状況によっては火力発電の燃焼状況を変化させる必要がある。燃料消費は変化が生じれば、悪くなる可能性がある。このような観点での評価は余り聞かない。

 例えて言えば、オーケストラの中に、気まぐれで音を出す下手演奏家が紛れ込んだとする。その時、観客に音の変化を気取られないように、周囲が彼の音の強度に応じて、自分たちの音を調節しているようなものである。

 このような負担を、電力会社が背負わされるのは、大企業いじめと言う感じがする。大企業だから、負担せよと言う言い方でよいのであろうか?

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2006年10月30日 (月)

現場主義の怖さ

 近頃、現場主義を重視する向きが多い。確かにこれは大切である。ベトナム戦争のアメリカ軍の敗因の一つに、現場を見ないでアメリカ大陸からの指示があったと聞く。

 ただし、理論を身に付けた人間が、ある程度の現場経験を積むと、強気で手が付けられなくなる。理論だけだと、間違いの可能性があり、経験者の意見を聞く謙虚さがある。しかし、自分の経験があると強気で議論するようになる。しかも理論で、口が立つと手がつけられなくなる。

 しかしながら、経験と言うのは、ある一部を見ただけが多い。

 学校教育に対して、色々な先生方が発言するが、どうも自分の特殊な経験を一般化しているような感じで、危険に思う。そういえば、ゆとり教育の推進者も自分の経験を、しゃべっていたような感じがする。

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2006年10月29日 (日)

今朝の新聞記事から

今朝の新聞を見て、お役所仕事が2件見つかった。忘れないうちに感想を書いておく。

その1
 郵政公社が、トヨタ方式を導入しても、うまく行かないと言う記事が、朝日新聞の1面に載っていた。これは、当たり前だと思う。そもそも、作業効率改善は、その仕事に適切な方法があり、自分たちが考えて行うものである。
 それを、よそに求めようとする魂胆からして、間違っている。
 しかもご丁寧に、郵政公社がトヨタ方式である。トヨタ方式を一言で言うのは難しいが、物造り現場の知恵であり、物流は必要悪として、削減の大きなターゲットになっている。私の知っている工場でも、物流の最短化のため、品揃えのパートさんも工場を走り回っていると聞いた。この走ると言う意味は、文字通りのダッシュである。もっとも、工場内に自転車を入れるなどのサポートはしている。
 しかし、連続的に仕事するには、このようなダッシュばかりでは続かない。そういう点も考えて、自分の合理化をするのが大切と思うのだがいかがであろうか。

その2
 JR西が新快速を敦賀に延長したが、イコカが使えないと言うトラブルが生じている。
 それに対する見解が、
   「イコカの利用エリアを周知したい。」
 であった。
  「顧客優先の発想ができていないこと羞恥したい。」
 と言う、見解が欲しかったがいかがであろうか。せめて、イコカの活用区間を拡大するなど、顧客の満足度を高める方向に向かって欲しいものである。

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2006年10月28日 (土)

近似と言うことについて

 昔、京都大学の長尾先生が工学のモデルとして、
  第一次近似 自然界を何とか記述する
  第二次近似 第一次近似に補足を入れて、現実に近づける
  第三次近似  例外的な事項まで付加して自然界のものと同様に仕上げる
と言う話をされていた。

 この近似の話、何となくしっくり来ないと思っていたが、長尾先生が自然言語処理や自動翻訳を専門に研究されていたことを思い出し、納得した。

 通常の文法、辞書での翻訳が第一次、それに不規則変化や文脈的な用語の変化を加える第二次近似、最後に例外的な用法をどんどん付加していく、第三次近似と考えれば、理解しやすい。

 やはり、物事は背景を理解しないと納得しがたいものがある。

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2006年10月27日 (金)

学校での所感

 学校に関して色々な問題が発生している。私も、20年以上も時々大学に行く機会があるが、近頃大分変わったように感じる。

 一つの例として、演習などの時間で、パソコンを見ているとき、昔は相互の私語があったのだが、近頃は大分少なくなってきた。皆がパソコンを一心で見ているのは、ある意味で怖い世界である。
 考えると、私達の時代は、マシンが効果で、皆で共同して使ったから、いやでも話し合っていた。こういう意味でも、コミュニケーション能力低下の原因がありそうである。

 もう一つ、これはある先生が名言である。
  「このごろの学生は、単位取得重視で、自分の身につかないように勉強している。」
 これには思わず笑ってしまった。

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2006年10月26日 (木)

高校の教育内容について

 新聞等のニュースで、高校が決められた教科を教えていない、と言う事件が報じられている。確かに、教えると言うことを教えないのは、悪いことかもしれない。しかし、良く考えてみると、今の学校の教育の場合、授業を聞いても忘れた生徒も卒業させているのではなかろうか?これとどう違うのであろう?

 分数のできない大学生という話は、前から有名であるが、彼らの小学校卒業を認めるのと、今回の高校卒業とどちらが、問題か考えてしまう。

 但し、内申書で取得していない学科の成績があれば、虚偽と言うことになる。しかし内申書を、本当に信用しているのかは、各学校に聞いてみるといろんな答えが返ってきそうである。学校差など、厳しい評価が出るであろう。

 学校教育も、何時間教えたでなく、何を理解しているで評価すべきではなかろうか?
極端な話、今回教えていないと言う世界史や、地理の試験を行えば、今回の生徒の平均は、一般的な生徒程度の成績だったらどうなる?

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2006年10月25日 (水)

専門家の落とし穴

新潮OH!文庫の「改善のススメ」を機会があったので読み直してみた。

色々書いているが、
   (3)専門家絶対視の誤算
が面白い。

結論は、
(1)専門家の意見には一応耳を傾けるべきであるが、決して”絶対視”しないこと
(2)特に未来予測という点に関しては、専門家も門外漢も大同小異と考えること
(3)ミクロの部分では専門家をある程度尊重すべきだが、
   マクロでは、彼らの存在意義は極めて小さいという現実を知ること。
となっている。

どうしても自分の専門にこだわると、見方が狭くなる。しかし現実の複雑な要素が絡むと、予測は良く外れる。

その他、古いものでも徹底して使う、裏方を大切にするなど、参考になる話があるが、このブログの主旨として、専門の問題を書いてみた。 

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2006年10月24日 (火)

手書きとメールの関係

 今週の週刊ポストで、
  「稚拙な文字」と「自殺」の驚くべき関係
と言う記事があった。
 字が稚拙な場合には、子供達の尋常でない状態を示している。
と言う主張には、納得のいく面もある。

 ・文字のサイズが一定か?
 ・字形が崩れていないか?
 ・不自然な余白がないか?
 ・文字が躍っていないか?

と言うチェックは、一貫した思考プロセスがない場合で、ココロの未成熟・短絡的思考を検出する、と言う意見にも一理あると思う。

 このため、子供の文字を書く力をつけるべきと言う主張がある。文字を書くような単純な作業でも、苦労して身につければ、生きていく力になると言うのは、一面の真理であろう。

 しかし、文字だけで済む問題であろうか?意思をきちんと伝えるには、文章をきちんと書くことが重要である。

 またこの記事では、メールと言うのは「単なる記録」と言い切っているが、そう単純でもないと思う。メールでも心を込めて考えて作った文章は、心を運ぶものである。

 そう言い切れば、手書きでない活字の書物は、全て心が伝わらなくなってしまう。

 このブログでも、心を込めて伝えている時が多いのですがね。

 でも近頃、変なトラックバックの処理が多く、一寸心が乱れているかな?

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2006年10月23日 (月)

禅と論理

 デカルトの論理思考に対抗するものとして、このブログではヴィーコの考えを取り上げている。しかし、我が国には色々良いものがある。その内一つの極端として、禅を取り上げてみたい。

 禅は、論理どころか一般的な思考を、拒否する。禅機というような直感的な働きを重視している。それを考えれば、武道と禅の関係も判るような気がする。

 但し、禅に関しては素人が手を出すと怖い世界でもある。独断の世界に陥りかねない。

 やはり、積み上げの論理の方が、凡人の私には分相応かもしれない。

 

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2006年10月22日 (日)

学校の先生は学習しているの?

 学校のいじめ問題が、色々取り上げられている。特に注意すべきは、教師の不注意な発言が原因になったという事実である。

 今朝の報道200Xであるゲストが言っていたが、
   「このような言い方は昔からしている」
と言う面はある。しかし、これで子供が深刻な事態になる、種々の状況変化がある。

 このような子供を取り囲む、環境変化にいわゆる”先生”達が、追従できていないのが、問題ではと思う。

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数値は悪いのか

テレビで、いじめの問題などを取り上げる時、よく出る言い方に
 「数値目標が悪い」
がある。

しかし、数値には善悪はない。数値はある一面を記述したもので、客観性はその範囲である。

悪いのはその数値の意味を理解できない人間である。

特に指導的な立場の人間は、数値の意味をよく読まなければならない。意味がわからず単なる数値で騒ぐのは、無能と言われても仕方ない。

昔、テレビの視聴率でこのような例があった。

電鉄会社の提供の、ミニ番組である。これは視聴率は、1ケタ台の%である。しかし、その番組で取り上げた駅の切符の売り上げは、上昇している。

この結果、低視聴率にもかかわらず、長寿番組であった。

このような例が、ネットワーク化するともっと出てくる。

数値を理解しすることの重要性を再認識して欲しい。

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2006年10月21日 (土)

各国の戦力について

どの民族が戦争に強いのか?―戦争・兵器・民族の徹底解剖 どの民族が戦争に強いのか?―戦争・兵器・民族の徹底解剖

著者:三野 正洋
販売元:光人社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

を読んだ。かなり著者の個性による点は多いが、笑いながら納得した話を忘れないうちに書いておく。

その1 現代戦の研究をタブーとする(防衛庁の)防衛研究所戦史部
 ここでは、古今東西の戦史を研究して、将来の戦いに備えているはずである。
 しかし、第2次大戦以降の現代戦の研究は行われず、日清・日露及び太平洋戦争の研究に注力している。理由は、
 「現代戦を研究していることがわかると、差し障りが出る」
これを、もう少し説明すると
 ①いわゆる左派を刺激したくない・・・社民党など
 ②同盟国のアメリカ軍の失敗に触れることは具合が悪い
と言うことらしい。

その2 アメリカ軍の特性
 組織と装備に頼りすぎ、個人の能力が発揮できない。ベトナム戦争当時に、アメリカ陸軍の歩兵部隊は厳しい交戦規則、ならびに無線で送られてくる上層部の詳細な命令に悩まされた。

 これは両方とも、現在の経営上の問題として取り上げても通用しそうである。

 その1に関しては、カリスマ創業者の失敗を正せず、おかしくなった会社は多数ある。もっとまじめに、類推すると、
  「礼儀正しく、資本提携先のミスに関しては、
   たとえ昔のことでも話題にも上らせない。」
と言う状況は、多くの会社でありそうである。子会社は、親会社のミスに関しては口をつぐんでいる。

 その2は現場主義に対する反例として、色々な事例がありそうである。この本の該当部分に栞を挟み色塗りして、色々口出しする幹部に、プレゼントしても面白いかもしれない。

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2006年10月19日 (木)

会社の力

ある理由があり、プレジデント社と、日経BP社の出版物を読み比べてみた。

http://www.president.co.jp/ http://www.nikkeibp.co.jp/

プレジデント社の方は、流石にトップとのインタビュー記事が確りしている。その意味で、名言集という感じもする。しかし、何となくしっくり来ない部分がある。
 「油の臭い。(=現場の臭い)」
がしないのである。その点、日経BP社の方が
「日経ものづくり」
があるだけ、現場に近い感じがする。

これは取材能力など、総合的な会社の力かもしれない。

「日本のもの造り哲学」も日経新聞からの出版だったなと思い出した。

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2006年10月18日 (水)

ブログの禁断症状

 昨日は、このページサーバーのメンテナンスのため、書き込みできなかった。できるだけ、毎日書こうと決めているので、投稿できないと禁断症状が出てしまう。

 しかし今回の、メンテナンスで良くなったのかな?

 やたらとエラーが出るし、先ほどは変なトラックバックが、20件以上あった。しかしアクセス解析で見ると、その時間のアクセスは3件?

 よく分かりません。

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2006年10月16日 (月)

必要能力の変化

 現在仕事をするためには、自分で考えて問題を解決する能力が、要求されている。また物作りの場での基礎教養は、大学レベルの知識が要求されている。

 従来は、シナリオどおりに、言われたことを行う人間が必要とされていた。また物作りの場での基礎教養は、工業高校のレベルの知識で充分であった。

 このような条件で、偽装請負の話が出ているが、実際請け負いに耐える力があるのかという問題がある。請負と言うのは、仕事を完全に理解して、自分の裁量で仕事をするのである。これに耐える発注、受注ができる状況は、かなり難しいように思う。

 また管理面でも、多様性を理解したコミュニケーション能力、評価能力が必要であり、加えて、自分も含めて、相対化・客観化する必要がある。またお互いに、コミットメントする必要がる。今までの馴れ合い社会は、成立しなくなっている。

そこまで実行できる社会が成熟するには、まだ時間が掛かりそうである。

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知識の賞味期限

新しい知識の力が有効な期間がどんどん短くなっているらしい。一説では、
  江戸時代    30~100年
  第2次大戦後  10年
  1990年代    半年
    現在の秋葉原  2時間(この間に価格破壊が発生!!)
と言う話があった。

これは極端にしても、資格取得の4ヶ月ルールと言うのもある。これは、パソコンやインターネット関連の資格は、
「勉強期間を4ヶ月以内にしないと、直ぐ次の資格にヴァージョンアップされてしまう」
現状を言っている。

とは言っても、根本的な原理を理解して置けば応用は利く。また勉強する能力は、素早く理解する能力は、共通的なものがある。

このような力の参考になればと、このブログを続けている。

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2006年10月15日 (日)

税の歴史認識

 今朝の朝日新聞で、税の歴史認識という記事があった。確かに日本の歴史で税金と言うものを考えて見ると、以下の様になるだろう。

 「税とは政府(=お上)が無理やり取りあげるモノである。」
 「従ってできるだけ取り返すのが我々の権利である。」

 この場合は、公共事業などをできるだけ、自分の有利に成るように導くことが、重要になる。例えば、我田引鉄(=自分の票田に鉄道を導いて、駅を作らせる。特急を停めさせる。等)が、有能な代議士の条件となっている。

 一方、現在の民主主義の建前で考えてみよう。

 「政府は、国民の民意に従って、なすべきことを決め、
  そのために必要な税を徴収する。」

 これを考えると、不要な仕事を減らし、税金を減らすのも有能な政治家となる。

 昔、高市早苗氏が、週刊ポストで、
    ”アズ ア タックス ペイヤー”
と言う連載をしていたことを思い出した。

もっと厳しい言い方をすれば、公共事業を削減し、あまった税を住民に返す、大政治家が出て欲しい。 

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新聞を見て

本日の朝日新聞を見て、突然思いついたが、
 「新聞とは一般社会向けの、教育機関である」
という解釈もある。新聞には昔から、社説・コラムでの社会啓蒙と言う性格はあった。
 『啓蒙』と言う表現には、気になる面もあるが、ここでは一寸置いておく。

 ここで、注目しているのは、広告記事が
  「知識付与や社会生活上の助言を与えている」
と言うことである。大学のPRは本質的に、教育的になるのは当然かもしれないが、求人情報のSTAGEなど色々な記事が、助言している。

 確かに、ニュースなどの情報提供は、テレビやインターネットの方が速く、情報量は多いかもしれない。そういう情況では、付加価値として教育的な側面に力を入れるのは一つの選択かもしれない。

 但し、新聞の教育には社会の方向付けの要素があり、力を使っていると言う認識と責任を感じて欲しいものである。

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朝っぱらから変なものを見た

 今朝の”題名のない音楽会”を見ていて、ゲテモノの集団と言う感じがした。音楽で楽しむのは、第一に音で楽しむべきと思っていたが、某”美人?!”バイオリニストの率いる、12名の美女と言う集団は何か、美女が先に経って居るように感じる。

 何かピアノの音も濁っているように感じてしまった。

 音痴の私が、こんな風に思うのは、僭越かもしれないが、本文以外に力を入れ足り、売り出すことには、余り感心できない。

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2006年10月14日 (土)

大阪の梅田周辺変化の予想

 阪急と阪神の統合は順調に進んでいるらしい。それを踏まえて、簡単な未来予測を一つしてみる。

 大阪梅田駅前では、道一つ隔てて阪急百貨店と阪神百貨店が、向かい合っている。しかも阪急百貨店の北側には、阪急グループのコンセプトにより、見事な分担の阪急村ができている。これを応用して、阪神百貨店の位置づけを考えてみる。

 中途半端に考えると、阪急の方が少し上位の客層、阪神がもう少し庶民的というコンセプトになりそうだ。しかし、ここはもっとすっきりと、
 阪神百貨店は、タイガースショップにする。
と言う解決はどうであろうか。

 店の外観は当然、黄色と黒の縞模様、店員の制服も黄色と黒の縞模様、店のバックグランドにミュージックは六甲颪・・・

 それで、スペースが余れば、階を分けて
  宝塚のショップにする
タイガースに疲れれば、ベル薔薇が迎える・・・(どちらが疲れるかは???)

 この案誰か買いませんかね。安くしておきます。

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補佐官について

 首相の補佐官と言う役割ができたらしい。今まである大臣・副大臣とどう異なるのか、よく分からない。ラインとスタッフと言う分類で言えば、スタッフと言うことらしい。

 何か話を複雑にしている感じる。しかし江戸時代で例えてみると、側用人と老中の関係が似ているように感じる。当時の将軍は、家柄で選ばれる老中より、個人の能力主義で選べる側用人を登用した。ここで、 ”家柄” の代りに ”派閥と当選回数” を入れてみると、何となく見えてくる。こういう見方では、補佐官の仕事に期待できる。

 しかし、ラインとスタッフの関係で見ると、明治以降の軍では、スタッフである参謀が力を持って、昭和の暴走に繋がってしまった。幕末・明治の政府軍は、宮様を総指揮官に頂く究極の家柄人事であった。そこで、実務を担当したのが、下級武士上がりの参謀達である。そのような、情況が積み重なり参謀が力を持ってしまった。

 ただ、本来は権限と責任の一致したラインが、力を持つことが望ましい。さもなくば、また無責任世界になってしまう。

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2006年10月13日 (金)

知恵の伝承

近頃、若い子がおかしいと言う話をよく聞く。昔からそうだったとは言い切れないような気がする。

この理由を考えると、核家族と言う問題になるのではなかろうか?人類の知恵の伝承は、3世代を超える寿命により、大きく進歩した。

しかし、親子孫の3世代同居が少なくなっている。これでは知恵が伝わらないのか心配である。

しかも、教えるのは学校の仕事と割り切ってしまう。ますます、知識が伝わっても、知恵が伝わらないような感じがする。

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2006年10月12日 (木)

1+1>2が成立する条件

通常の数学では 1+1=2となる。しかし、仕事の上では1+1が2より大きくなるのは、よくある。一つの例として、空中戦における戦闘機の基本戦法の一つロッテ戦法がある。これは、攻撃専門の戦闘機の後ろに防御専門の戦闘機が組む方法である。単純に考えれば、2機の内1機しか攻撃できないので、半分の成果しかないように見える。

しかし、実戦の経験者は次のように言う。
 「自分が攻撃するのにベストの時は、別の飛行機が狙う好機でもある。
  従って攻撃する前に後ろを振り返る。その時に攻撃の機会を
  逃すかもしれない。しかし、後ろを見ずに、攻撃を受ければ最後である。」

これを考えれば、後ろの不安がない場合には、好機を逃さないので多くの成果が期待できる。まさしく 
  1+1 >>2
の世界である。

なお、後ろの不安がないと言うことは、色々な面で成果を引き出す必要条件である。会社勤めの人間には、空気のようになりこのありがたさを認識していない場合がある。

青色ダイオードの某先生なども、この恩恵に対する基本的な感謝が少ないように思う。自分が勝手なことをしている間に、黙々と会社を支え、利益を生んでいた人たちへの感謝が必要ではなかろうか。

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2006年10月11日 (水)

評価の厳しさ

日清戦争で、清国海軍も頑張ったと言う証拠として、大砲の命中率は日本海軍の2倍の20%だったとある本で書いてあった。

しかし、ここで大事なことは、日本の大砲は清国の30倍以上の発射数があるということである。つまり実際に命中する大砲の弾は、15倍は命中することになる。

このように、絶対値で評価しないと、少しぐらい相対的に良くても、結果は出ないと言うことも多い。現実で勝つということは厳しい。

帝国海軍が日本を破滅させた(上) Incompetent Japanese Imperial Navy 帝国海軍が日本を破滅させた(上) Incompetent Japanese Imperial Navy

著者:佐藤 晃
販売元:光文社
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2006年10月10日 (火)

「関係の空気」「場の空気」から

講談社現代新書1844の「関係の空気」「場の空気」から、目から鱗と言う感じの表現があったので抜粋する。(p84~p85)

 右派のテロリストは、まず漠然と右派的心情に惹かれるのであろう。例えば、日教組系の教師から疎外されて憎悪を抱いたとか、特攻隊に憧れたとか、戦艦大和の滅びの美学に酔ったとか、きっかけはさまざまだろう。そして、ある時点で「左派」の言動に触れる。そこでショックを受けるのである。
 この人たちは高学歴だ。社会的な地位もある。強者だ。
 強者だから国家に依存することがない。そして不遜にも国家を批判する。
 さらに自分たちが善だと信じている。そして弱者の味方だと言っている。
 だが、この人たちは絶対に自分たちを救ってはくれない。われわれ弱者の本当の叫び知らない。
 そのくせ、大量の言葉をまき散らす。理想を掲げ、美辞麗句を並べ立てて、それ以上に反対派を舌鋒鋭く攻撃する。その言葉が気にくわない。その言葉はわれわれを敵視している。その言葉は醜い、だからわれわれは沈黙せざるを得ない。

この文章は、学生時代に運動家に罵倒された、私に何となくしっくり来る。物理的な暴力は色々と批判されるが、言葉の暴力に対しては甘い国ではなかろうか。もっとも現在は少し風が変わっている。昨日の北朝鮮の核実験に関しても、数年前なら、制裁案に対して、徹底的に罵倒する政党があっただろう。

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2006年10月 9日 (月)

デカルトについて

今まで何回もデカルトの考え方について、限界などがあると指摘した。しかし、デカルトの考え方について述べていないのは、一寸おかしいのでもう一度見直してみた。まず、精神指導の規則の、基本の形而上学部分の抜粋を作ったので、興味のある方は見て欲しい。http://homepage3.nifty.com/manabizz/DESCARTES.htm

ここで大切なことは、17世紀初頭ではまだ、ローマ教皇の指導下にある哲学と自然学が影響していたことを前提に、話をしないといけないということである。ガリレオの事件でもわかるように、誤った自然観をいかにくつがえすことが重大課題であった。

デカルトは、これに対する答えとして、確信できないことは疑いぬき、絶対に確実なことのみ信ずる思考法を編み出した。つまり、確実なことから演繹することで、真実の推測ができると示したのである。疑いぬいた結果からでる
   Cogito ergo sum (我思う、ゆえに我あり)
から始まる演繹推論は間違いは入り込めないと言う発想である。

デカルト思考法の細部は、今回は述べないが、このような机上の理論で、真実を確実に解き明かすと言う発想は、その後の物理学的世界観の基礎になっている。疑いぬいた結果の真実と言うことで、自信を持った議論が展開でき、この強さが近代科学を切り開いたと思う。

一方日本は、このような哲学を一般知識として導入したので、信念の弱さでは負けるところがあり、現場の知恵が重視され、「水=通常性」が力を持ったものと思う。欧米のエリートのある種の強さと、日本の理論家の現場に対する遠慮は、この部分の違いと思う。

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2006年10月 8日 (日)

本日の朝日新聞記事より

本日の朝日新聞の社会面で気になる記事があった。

その1 大阪市の「カラ残業」封じ
 この話を、経済面や週刊誌などの広告で出ている
   「サービス残業問題」
 と同時に考えてみるとどうなるであろうか?片方では、仕事がなく暇をもてあましている人間に、残業手当を払っている。一方、一生懸命働いているのに、手当てを払ってもらえない人がいる。このアンバランスの原因は何か?一つは、予算の発想問題である。公務員にコスト意識が弱いと言うのは前から言われている。
   「営利企業ならば人権費抑制に敏感になるが、
  公務員は一度取った予算を使い切ることに情熱を傾ける。」
とよく言われている。
 もう一歩突っ込むと、仕事の負荷問題である。
    「公務員は暇なのか?」
これに対しては、一部の高級官僚予備軍が夜遅くまで必死に働いているのは、霞ヶ関などでも有名である。もっとも、キャリア公務員のサービス残業と言う話は聞いたことがないが・・・
 しかし、一般の公務員に対し”暇”と言うイメージがあるのは事実である。実際、これだけの人材を有効活用できないと言うことは、少子化の時代でありこれから重要問題と思う。一つ言っておきたいのは、公務員などの高級官僚は、天下国家の向きを論じるのも重要だが、自分の属している組織の、運用の細部にも気を使って欲しい。一般の公務員が暇なのは、彼らの罪でなく、仕事を考えない・指示しない上司の問題があるのではないか?

その2 神戸高速鉄道の社長給与問題
 神戸市から天下りした、神戸高速鉄道の社長の給与が高すぎると言う記事を見た。更に、神戸市の内規では、
  「社長に長く居座らないように、待遇を良くしないようになっている。」
と言うことらしい。
 しかしこれは何かおかしい。社長の給与は、”仕事”に対して払うべきである。社長としてしかるべき仕事をさせるための給与であり、追い出す手段ではない。
 居心地を悪くして追い出される立場の社長が、社員のことを考えてくれるか?
上の話とも関連するが、高給取りの仕事には、部下が気持ちよく働く様に考えることも重要である。

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2006年10月 7日 (土)

「空気」論の補足

「関係の空気」「場の空気」から

この本は、アメリカで日本語を教えている著者の経験から、日本語と「空気」の関係を解き明かしたもので、参考になるものが多い。以下に内容を抜粋する。

まず、1:1の場合は「関係の空気」、3人以上の場合は「場の空気」と分ける必要がある。「関係の空気」は親密性を維持するため、むしろ必要なものであるが、「場の空気」は問題がある。現在、1:1の「関係の空気」は日本語が「窒息」ししつつある。一方、「場の空気」はまだまだ猛威を振るっている。これを日本語の実際を通じて検討している。

第1章 関係の空気
 話し手と聞き手の間で共有されている情報が濃密な場合は、省略表現で強い共感表現になっている。腹芸もこの一つ。ここで大切なことは、双方の地位が対等である必要がある。共通の価値観で話が進む。

第2章 日本語の窒息
 「空気の欠乏」は関係の閉塞でこれが多くなっている。例えば、書面やメールの一方的な押し付け、言葉の暴力など・・・ 日本の会社での解雇がこうなっている。
 昔の自殺の遺書は名文が多い。今は言葉が死んでいる。切れやすい人の増加、気まずい雰囲気、『バカの壁』の「ディスコミュニケーション」等も、日本語の窒息の一例である。
 現在の「勝ち組」の言う「コミュニケーション力」は、本当は何か?
 狭い勝ち負けで、自分の意見の押し売りではないか?
 「沈思黙考型」の技術者集団の良いものを、経営陣と間で通訳して、引き出す管理職の力が昔はあった。職人集団を生かす人材がいない。左派の饒舌は右翼を沈黙に追いやっていたが、今は右派が饒舌になっている。
 日本語の新語は急激にネット上で生まれ陳腐化している。
上下の関係の「ですます VS である 」コードスイッチ話法が流行しているが、上から下にしか使えない。

第3章 場の空気~空気の研究から三十年
 まずは、山本七平の空気の理解が必要である。しかし、現在も「空気」は猛威を振るっている。長時間労働の原因に「空気」が存在する。
教育現場でも「空気」は猛威を振るう。下克上に対して厳しい日本教師に比べて、アメリカでは「良い質問」と受け流す。

第4章 空気のメカニズムと日本語
 関係の空気は、悪いものではない。「例の件」で通じる関係は、共感で通じる世界を作る。しかしこれで、3人以上で一人が、「例の件」を理解できないと、彼は仲間はずれにされる。
 空気発生器の一つは、略語・造語がある。スーローガン作りは、簡略表現というのが常套手段だが、うっかりすると形骸化して骨抜きになる。「ダラダラ残業追放」が「ダラ残追放」になり、「単なる残業時間規制」に落ち込んでいく。「リストラ」も同様な変化を生んでいる。
 場の空気の問題点は、権力構造が絡む点である。「例の件」と言う表現は、上司しかいえない。これを理解していない人間は、上司を理解していない人間と、ダメ人間化する。公的な場での表現をわきまえない人が多い。

第5章 日本語をどう使うか
 5つの提案
その1:ちゃんと語れば日本語は伝わる。
  聞き手に配慮し、饒舌なぐらいに説明する。
その2:失われた対等性を取り戻すために敬語を見直す。
  尊敬することで相手も受け入れ対等になる。
その3:教育現場では「です、ます」のコミュニケーションを教えよ。
 この教育が、対等性と適切な距離のおき方身につける。
その4:ビジネス社会の日本語を見直すべきだ
丁寧語に統一する。
その5:美しい日本語探しはやめよう
 これは、情況で変わる。共通的なものの押し付けはやめよう。

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空気の研究追加

空気に関して一冊新しい本が見つかった。

「関係の空気」 「場の空気」 「関係の空気」 「場の空気」

著者:冷泉 彰彦
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

著者の意見では、空気は日本語の使用法と密接に絡んでいる。

納得してしまった。

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2006年10月 5日 (木)

「水」の検討(補足)

先般からの山本七平氏の「空気」と「水」の話に、もう一つ思いついたことを書いておく。

「水」の良い働きをもう一つ述べておく。日本の企業現場では、根回しをしておかないと、どんな良い理論も受け入れない特性がある。これは、革新的なものがとり入れにくいが、指導者の思い込みによる暴走を防ぐ効果がある。

別項でも書いたが、アメリカでは大学や大学院卒業で直ぐに指導的立場に立って、自分の方式で部下を指揮する。この場合失敗も多いであろう。この場合に間違った指導者についた部下がかわいそうである。

日本人ならこのような発想になるが、欧米ではどうであろうか。どうも、レーバーに対しては、賃金を払いさえすれば良いと言う感じがする。

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2006年10月 4日 (水)

図による思考法

最新号の日経ビジネスアソシエでは、図解による思考法を特集している。

http://store.nikkeibp.co.jp/mag/nba.html

確かにこれは、大切なことである。しかし記号には説明が大切である。例えば、標準化などでよく使う、△マークは、基本から応用への広がりを示しているようだが、その意味を知っていない人間には、理解しがたいものがある。

むかし、ISO9000Sの説明で最初に戸惑ったのが、△マークであったことを思い出した。

これも、最初に使った世代はよく知っていたことが、だんだん引き継ぐうちに消えたとのではなかろうか?

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2006年10月 3日 (火)

美しさの活用

流風さんのところで、しばらく前に
 「政治における美しさ」
を取り上げていた。こちらは、政治でなく古武道の美について、少し考えてみたい。

沖縄の空手の古き良きものを伝えている、剛柔流では、型の稽古では、美意識を生み出すようにしている。空手は、一人で型を行うのが重要な稽古であり、当然ながら少ないパターンしか業を稽古できない。それで、多様な攻撃を仕掛けてくる実践で勝ち抜くためには、一つは型を稽古することで体(筋肉・筋・骨格)と神経系の動きが変化することと、業を選ぶ価値観が生じる事によるらしい。この価値観を、美意識と言っている。

このような少ない模範形から多くを選ぶ方向付けは、ヴィーコも重視していたように思う。

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2006年10月 2日 (月)

「空気」の研究に思うこと

先般からの、「空気」の研究、について考えることを、書いておく。

まず、「空気」に関しては、擬人化した『何ものか』に対する感情移入が、原因というのが山本氏の説である。このような、考え方として、一つは真言密教の理趣経を聞いている感じがした。なぜなら、理趣経では、仏の色々な機能が、一人一人の菩薩等の形で、具体的に語りかけるからである。このように機能を人格的に具現化する発想は、神話や宗教では、充分ありうる話である。

一方、「水」に関しては、「空気」より威力があると感じた。これは日本国特有の武器であると思う。仏教も日本化し、和魂漢才、和魂洋才を実現したのは、この「水」の力だと思う。さらに、日本の文明を、外来文明から守り抜いたのは、「水」の消化作用だったと思う。これなしでは、原理主義による武装闘争を持って、文明を守るべきところを、「和をもって」丸く治めたのである。

「水」の正体として、情況倫理・論理があるというのは、村社会の同一発想の効果も大きいと考える。そういえば、雅楽もお互いの演奏に思いやりをもち、共感を持って演奏している。ただし、西洋文明が、きちんとした論理で推論を進めるのは、デカルト以降だと思う。日本で言えば、関が原の戦い以降である。

なお、情況論理に関して言えば、トヨタのナゼの追求は、情況に関して行っているように感じた。
   「その時はナゼそうしたか?」
これを単純に論理だけで、追求しても納得がいかない。トヨタは日本的な企業だったなと、再認識した。

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2006年10月 1日 (日)

景気動向を読む

本日のテレビ、がっちりマンデーで、景気動向の話をしていた。

これで、景気に関する色々な指標が出ていたので、納得できそうな話について少し突っ込んでみたい。

 「相撲の検証が増えると景気が上向き」
これは、宣伝費の増加と言うことで、納得しやすい。別の言い方では
 「ポケットティッシュを多く貰えると景気が上向き」
と言うのもあった。こちらは、見えているものに、”ナゼ”を考え納得すると言う発想である。

また、正月の某社の大型テレビ時代劇に、戦国時代の出世物語を取り上げると、景気が上向くと言う。この理由は、好景気の時には、他人の出世に好感を持って、見る人が多くなるとの説である。

一方、考え方を変えて、アメリカの新築住宅の情況を見るという話もある。これは、広く物事を見るという発想である。

結局、「深く・広く考えると、目に入っている情報が生きてくる」と言うことになる。

但し、2極化した現状では、上の話が本当に成立するか、もう一歩吟味が必要である。

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2006年9月30日 (土)

「空気」の研究への意見(その4)

今まで、空気の研究の山本理論を簡単にまとめてみたが、色々と参考になる。しかし、異論もあるので、少し突っ込んでみたい。

まず、山本氏は新井白石の洋学導入を述べているが、それよりもっと昔の伝統がある。まず明治の「和魂洋才」の原本は、遣唐使の時代の「和魂漢才」である。さらに、仏教伝来まで、日本の「水」は海外文明を上手く消化してきた。 確かに、
  「これが仏教?」
と言う質問は、日本仏教の大部分に当てはまるのではないか。神仏習合などもその際たるものである。そういう意味で、文明消化の天才と言えば、
  一に聖徳太子と弘法大師で三四がなくて、五に新井白石
といえるのではないか。

なお、日本仏教で原理主義者と言えば、最澄・日蓮の系譜があるだろう。日蓮大上人は、天台宗の原点復帰改革を考えていた。つまり、比叡山開祖の伝経大師(=最澄)の法華経信仰への原点回帰である。但し、日蓮宗でも三十番神が入り、お経を読む前の勧請でも、「日本国内の神祇」と言う表現がある。つまり、経典への原点回帰かは疑問がつく。
しかし、日蓮宗で不受布施派が生まれたのは当然かもしれない。逆に言えば、他の宗派が相互に寛容になってしまったのが、徳川政治の成果かもしれない。これについては、また改めて書く。

さて、日本人の論理が映像的という話には、西洋論理の成立より前に、弘法大師は種智院を創設していることを指摘しておく。西洋思想は、デカルト以降の確りした言葉で、論理を展開しているがこれより前に、真言密教の確りした教育システムが成立している。

弘法大師の真言密教システムは、曼荼羅等の映像的情報、体を使った行そして経典の勉強、と総合的に学べるようになっている。このような総合的な思考法は、現実性を失わずに考えるので、より安全と思う。ある意味で山本氏の黙示文学に近いかもしれないが、もっと優れているように思う。

特に視覚の情報は、言葉情報より遥かに大きく、総合的であり、イメージ上の伝達は、単なる言葉での伝達より遥かに情報が多い。現在の、コンピュータグラフィックスが普及した世界では、画像的思考・シミュレーションが充実し、日本的思考・意思伝達が、予想に弱い欠点を克服して、大きく花を開くように感じる。日本のアニメが、世界で評価が高いのはこの一面かもしれない。

なお、今回「空気の研究」を読み直して、再認識したのは「水」の効果である。日本で新しいものを導入するためには、「水」を変える、または「水」とうまくやることが重要と考え直した。

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「空気」の研究の続き(その3)

さて、「空気」の研究の第3部は
 日本的根本主義について
となっている。現在なら「原理主義」の方が通りが良いかもしれない。

まず「進化論裁判」の話から始まる。このような、
  「宗教の原理を真実として受け入れそれに従わない教育を訴える」
という姿勢は、我が国には求めにくい。山本氏は書いていないが、日蓮宗の不受布施派なら、これぐらいはやりかねないが、これは徳川幕府に大弾圧を受け、しかも国民も支持した形跡がある。一つの論拠としてキリスト教弾圧ほど記述に残っていないことを挙げておく。

さて、山本氏は日本の根本主義は、新井白石→伊藤博文の、
 「聖書絶対と合理性」は分かちがたいのに「合理性のみ分離した日本へ導入」
した手法を挙げている。つまり「和魂洋才」であるが、これが国際文明の衝突時点で、いかなる妙技であるか、日本人は理解していない。

この部分は、私の意見でもう少し突っ込みたいが、別途項を改めて話をする。山本理論に戻る。

日本時の特徴は、
「情況を臨在感的に把握し、それによってその情況に
 逆に支配されることによって動き、これが起こる以前に
 その情況の到来を論理的体系的に論証してもそれでは動かないが、
 瞬間的に情況に対応できる点では天才的。」
と言っている。もう一つの言い方では、
 「論証に納得してもそれで態度を変えず、一枚の壮大な写真に反応する。」
とも言っている。

このような映像に対する反応は、黙示文学など世界中にあるが、日本は激しい。

一方、言葉による思考が制限されているので、日本人の未来予測能力は限られている。一部特殊な言語を使う集団内では、予測ができるがそのような世界では、一部のエリートだけが予測し、民が従う世界になるのではと、山本氏は憂慮していた。

その3 終わり  これに対し私の意見を続編で書く

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「空気」の研究の続き(その2)

「空気」の研究の続きを少し。
まず明治の文明啓蒙では、「霊的な支配」は「ないもの」とした。しかし実際は、ご真影への遥拝など、空気の支配は残っていた。ただ「ないもの」としているので、表立った対策はできなかった。

これに対し、戦前までは、『水を注す』ことで現実に戻る、ブレーキが存在した。水=現実性の話で、皆が冷静になるようにしていた。ところで、日本世界ではこの『水』も猛威を振るっている。「空気」の研究、より少し引用する。

<引用>たとえば内村鑑三はこの作用を一種の腐食にたとえ、日本は雨が多いから、外来のどんな思想や制度もたえず「水」をさしつづけられて、やがて腐食されて実体を失い、名のみ残って内容は変質し、日本という風土の中に消化吸収されてしまうという、面白い観察を述べている。<引用終わり>

このような日本化は、古くは仏教から、近くは「日本共産党」の変貌までを、同書では「(日本的・無意識的)通常性的作用」と呼んでいる。「空気」で暴走していても、ある事件で外れると、この「通常性」が力を発揮するのが日本の力である。

「この後ろには、日本的情況倫理と情況論理がある」と言うのが、山本式日本人間である。日本人の議論では、「あの情況ではそうするしかなかった。=自分は正しい」と言うのが多いが、これは情況倫理(論理)で、世界で同じ発想が通用しないことが多い。
このような空気も水も、「虚構の世界」の支配が力を持っている。「いつも芝居を見ている日本人」と言う図式である。

ひとまず区切って続きはその3で

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2006年9月29日 (金)

「空気」の研究について

山本七平氏の「空気」に関して、もう少しまとめてみる。

まず彼は、
 「日本人の最終決定者は『空気』である」
 「日本人には『抗空気罪』があり、軽くても村八分になる」
 「我々には常に、論理判断と空気判断の二重基準で生きている」
 「空気は、臨在感的把握に基づく判断基準で醸成される」
 「擬似人格を持つ物心論的発想に基づく宗教的決断が、空気の表れ」
と言うような議論をしている。

つまり、「擬似的人格を持つ何物かを感じ、それに対する宗教的判断が空気」である。いいかえると、「感情移入の絶対化」である。このように自分の信じることを、絶対視するおっちょこちょいが日本民族の特徴である。

キリスト教など一神教の世界では、絶対者は神だけで、後は相対的である。更に偶像などは徹底拒否する。われわれは、アニミズムの世界の住人なので、空気の拘束が厳しい。

明治時代までは、『空気』に対抗して『水を注す』知恵があったが、戦後の論理主義をかぶると、『水』すら通用しない強固な『空気』になっている。

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2006年9月28日 (木)

日本人における「空気」

山本七平氏の空気の話は面白い。彼の意見には、大衆意見が暴走するときは「空気」で決まってしまう。但し、それを止める「水を注す」のが日本人のバランスである。

「空気」の研究 「空気」の研究

著者:山本 七平
販売元:文芸春秋
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 これを、「空気」の暴走で有名な、太平洋戦争でIFを加えて作ってみよう。舞台はミッドウエー海戦である。史実では、日本海軍の空母を4隻失い、これ以後の戦いは勝ち目がなくなったと言われている。特に、この作戦では、山本五十六司令長官が、作戦ミスを陸軍などからごまかすために、沈んだ空母をごまかし過大な戦果を報告した。
<概要>
 空母が沈められたと言う報告を受けた、連合艦隊司令部は、そのまま主力の戦艦部隊をミッドウエー島に急行させ、艦砲射撃でミッドウエー島の米軍部隊を降伏させた。

 連合艦隊司令部は、大本営に対し空母4隻を失い、今後の戦争継続は難しいが、ミッドウエー島の降伏という状況で、講和を提案する。

 空母4隻の沈没で、「水を注された」帝国陸海軍は、対米講和の交渉に進んだ・・・

<終わり>

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2006年9月27日 (水)

与えられた問題を解決する政治

先日テレビを視聴していて思ったが、戦後の政治家で立派と言われる人にとっては、課題が明確であった。米国からの独立、経済成長、中国との国交回復など・・

ところで、現在は一点に絞って議論することが難しくなっている。しかも方向も曖昧である。

このような状況では政治家も、苦しいようである。しかしそのような状況で、課題発見の人材を、若手の要求するのは、無理な願いにならないだろうか?

国の構造、文化的なものが根底に絡んでいる様に思う。キリスト教を拒否し、技術成果のみ取り入れてきたこの国には、自前の哲学で判断するのが難しいかもしれない。

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2006年9月26日 (火)

アメリカと日本の物造り

先日の朝日新聞に、青色ダイオードの中村教授が、アメリカと日本の大学と企業の関係の違いを書いていた。アメリカの学生は、大学で研究したことを企業で実現するために、就職する。一方、日本の企業は、大学での研究成果ではなく、体育会の経験などを聞いて採用を決める。

これは一面の真理である。しかし、ドラッカーの信奉者としては、立派な理論をもったDr.の指導者が、部下にやるべきことを納得させられるかが心配になる。

藤本隆宏先生の説くところでは、アメリカでは標準品を組み合わせてモノを作り、日本人は細かく擦り合わせてモノを作る。この場合の精緻な擦り合わせは、作業者全員の納得が必要である。

日本的作業者に、大学から天下った指導者の理屈だけでの指示が合致するのか、一寸考えてしまう。

日本のもの造り哲学 日本のもの造り哲学

著者:藤本 隆宏
販売元:日本経済新聞社
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2006年9月25日 (月)

技術者のふがいなさ

縁があってプレジデント誌の最新号を読んだ。http://www.president.co.jp/pre/20061016/index.html

色々興味深い記事があるが、ここでは神戸大学大学院教授の加護野忠男 先生の
   パロマ事件の根底にある「二つの逆説」
について、一寸述べたい。  

この記事では、品質トラブルに対して議論されている。特に第1のパラドックスとして、高品質になったがために、耐用年数以上に使用されて、主要部品の寿命となり致命的故障を引き起こすと言う事態を指摘されている。

加護野先生は、致命的でない部品が壊れることで、利用者に警告するシステムを提案されている。

しかし、本来工学の設計者としては、このような指摘を受けることは、恥ずかしいことである。設計の基本である信頼性工学には、信頼度配分と言う発想がある。これは、設計時点で、壊れ方を予想し、重要な部分の壊れる前に、周辺部分が壊れるようにする設計である。また、壊れても致命的な動きをしないようにするのも、信頼性設計基本である。

このような基本的な概念が表に出なくなったのは寂しい。

なお、今回のご指摘は、信頼度配分設計に”寿命設計”の概念を、加味すべきと考えると、重要な問題提起である。今までの経験のない耐用期間に曝されているので、従来の信頼度の考慮範囲を超えた可能性がある。これについては工学者としてもう一度見直さないといけない。

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2006年9月24日 (日)

会社の教育

本日の朝日新聞の『オピニオン』は
 『仕事の技能 会社は教えない。そんな時代が来るかも。』
と言う表題であった。この記事を読んで、
  「大学などの新卒時点の戦力性に関して何も書いていない。」
ことに一寸した違和感を感じた。大学や大学院で4~6の年月を費やしたことに対する、話が抜けているように思う。必要に応じて、社会人入学などの勉強をすると言う話があるが少し足りないように思う。

 確かに、まだ現在の企業教育は比較的確りしていると思う。これは、新卒者に一般的な説明文や、自分の抱負を書かせると直ぐわかる。1年程度会社で鍛えた文章と比べると大きな差が出る。学校教育は、狭い専門知識を教えても、広い使い方を身に付けさせていないように思う。
 例えば、論文発表の経験を上手く使えば、特許など幾らでも書けそうなものだが、実情はそうはいかない。こういう現状では、会社での教育・訓練に頼るのはわかる。

 しかし基本的として、もっと大学卒業時点での、知的な基本技能を蓄えて、自立的に能力開発できるようにして欲しいと思う。本来、社員と会社の対等な関係を考えるならば、自分の力で開発した能力が多いことが望ましい。特に、自分で必要な事項をまとめて、ノートを作り説明する技能は、きちんと見に付けさせて欲しい。

 なお、知的なスキルに関しては、『日経ビジネスアソシエ』の毎号の特集が面白い。企業の教育に依存する前に、このような情報を上手に活用し、一つ一つの技能を身に付けて行けば大いに違って来ると思う。この次の特集の長時間残業に関しても、スキルアップが一つの解決になると思う。

  『日経ビジネスアソシエ』の毎号の特集を身に付けるためには、全部でなく一つの手法を徹底して使うのがよいと思う。前の号のカード利用、特にポストイットの利用などを徹底するのが効果があると思う。

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2006年9月23日 (土)

国歌・国旗に対する礼儀

<日経新聞から引用>

入学式、卒業式で国旗に向かっての起立や国歌斉唱などを教職員に義務付けた東京都教育委員会の通達を巡り、都立高校などの教職員401人が義務がないことの確認などを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「憲法が定める思想・良心の自由を侵害する行き過ぎた措置で、通達や校長の職務命令は違法」として、起立・斉唱などの義務はないと認定した。

<引用終わり>
この話、何となく釈然としない。教職員達が、「学生に対して何も強制しない」と言うことがあるのであろうか?自分の授業に対して、起立・礼をさせる教師も多いと思う。そのような時、学生が「自分の信条で起立しない」「尊敬できない先生に礼をしない」と言うことを許しているのであろうか。

また裁判では、規律が要求されるはずであるが、「信条により起立しない」被告に法廷侮辱罪が適用されることは、この裁判長の時にはなさそう・・・

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2006年9月22日 (金)

理論だけで人は動かない

日経ビジネスアソシエ
[2006年10月3日号 no.105 定価550円(税込み) 9月19日発売]を読んだが、面白い記事が多かったので紹介する。http://bpstore.nikkeibp.co.jp/mokuji/nba105.html

まず、山崎 元のエコノミック渡世塾(068p)の次の名言である。
 『伝統的な経済理論の世界では、ダイエットに失敗する人はいない。』
これは笑ってしまった。理論と現実の乖離を見て変に納得してしまう。しかも追い討ちは、
 『米国人は基本的にはデブが多いのだが、
    政治家やビジネスエリートはデブの比率が非常に少ない。』
このような自己コントロール能力を誇示するのが、アメリカ流らしい。

他にも、為末大氏の『必然的にスランプを引き起こした』と考える選手は『偶然』のせいにする選手に比べて、なぜそうなったか原因を考えて、自分で引き起こしたことを解決しようとする。こうしていると、スランプを抜けやすく、またスランプに陥り始めている自分を明確に自覚できるようになる。

また好調時にもなぜ好調か理由を探す人は少ないが、それをする人は残す結果が大きく異なる。

この話は、トヨタ方式の勉強で必ず出る、ナゼの追求と繋がっている。

他にもあるがとりあえずこれだけ。

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2006年9月21日 (木)

少年法の原点

少年法の根源は
 「第2次大戦後の、浮浪児の対策にあった。」
とあるテレビ番組で放送していた。これを聞いて、
 「将来のある子供の犯罪は、出直しが可能なように、匿名報道すべし。」
と言う意見に納得できた。

やはり法律は、できた時代の背景を背負っている。しかし、その背景が変化した時に、修正できないのも困ったものである。

この前の、山口の事件でも、
「指名手配の記事を匿名で報道する。」
と言う、変な話になっていた。何かおかしくなっているように感じる。

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2006年9月20日 (水)

日本海海戦に関して補足

 先般も書いたが、日露戦争の日本海海戦の時点では、主砲の発射速度が2分間で1発まで高速化していた。このように高速に発射すると、発射の間に相手の軍艦は余り動かなくなる。当時のロシア海軍の速度を概算で時速18キロとすれば600メートルしか動かない。

 この程度の動きなら、着弾先と相手艦の位置を見ながら修正するフィードバックが意味を持つ。艦橋で相手との距離を測り、制御した射撃法が、日本海軍勝利の一因であったらしいが、これを成立させる高速連続発射の技術が必要条件であった。

 日清戦争の主砲のように、30分に1発等言っていれば、相手は数キロ移動しており、修正など無意味になる。なお、このような場合は1発必中で一つ一つ照準を大切にしないといけない。

 一方、フィードバックが使えるなら、とりあえずそれらしき所に撃ち込み、その結果を見ながら修正するほうが有効になる。

 なお、このよう修正上手と、じっくり構えて一発必中を記する場合とは、適性が異なることが多い。適材適所を状況に応じて使いこなすことが大切である。 

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優等生へのモノの頼み方

昔、某有名大学の出身者に仕事をさせても、一向に理解力が見えない。具体的には、あるデータを、フーリエ変換して整理するのだが、その軸の意味を理解できていない。

そこで彼を追及した。
 「大学で何を勉強した?」
  「卒論でフーリエ変換は使った」
そこで突っ込み、
  「それならなぜ解らない」
に対して、このような答えが返ってきた。
  「私が答えることができるような、問題を作れば、答えることができる。
  そのような問い方ができないそちらが悪い。」

当時はこれで絶句したが、現在の優等生達にはこのような反応が多くなったように感じる。国を動かす、官僚たちがこのような病気に罹っていないことを祈るばかりである。

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2006年9月19日 (火)

大学全入時代の危険性

現在大学進学率が非常に高くなっている。このため、職人の世界にも大学卒業生が進出している。これは、非常に危険な状況であると思う。

理由は、職人の育成はできる限り若い時から行うべきであり、モノの感覚等は長い時間で身につくものであるからである。そういう意味では、親から世襲で子供のころから、親の世界に触れていた人が、教養を広めるための大学進学などは良いと思うが、大学卒業して始めて職人の世界に入るのは、感覚が追従できるか不安に思う。

日本のモノ造りがこのような面でも、危なくなるのではと心配である。 

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2006年9月18日 (月)

大学の言行一致

またもや、痴漢をした某大学の有名客員教授がいる。前の一件でも本人は冤罪を述べているらしいが、今回は現行犯逮捕と言うことで、まず間違いはなかろう。

このような痴漢常習者には、カウンセリング両方が有効らしい。

さて話は変わるが、彼の所属している大学のキャンパスブログを覗いてみると、カウンセリングと言う項目もあった。このような、項目が表題だけでなく実行が伴うようにして欲しいものである。

直さなくても、危ないと言う危険予知はできなかったのであろうか?

実用的を目指す大学では、このような突込みにも耐えて欲しい。

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理系の弱さ

テレビなどで、一流大学の理工系出身者が、オーム真理教の信者になったことを、驚きのトーンで取り上げている。しかし、これは当然の結果と思う。社会学部などの学生が信者になったと言うと、一寸困ったものだと思うが、医及び理工系の学部の学生が、信者になる可能性は高い。

この理由の一つは、理系で重視されている、デカルト的思考法にある。デカルトは、当時の主観的・宗教的な哲学及び世界観を打破するために、直観で確認できる前提と、確実な演繹で推理、そしてそれで全ての確認と言う段階で思考することで、真理を認識できると教えている。特に、途中の推論段階での厳密性を重視している。またこのような推論を行うのは、比較的小さな抽象的・理想的なモデル上で議論を進めることが多い。

ところで、宗教の業などを行うと、ある種の神秘体験を感じることは、よくあることである。一方、今までの教育は、宗教的な体験は、合理主義と言うことで全て否定か触れられないで通ってきた。その結果、免疫なしにいきなり神秘体験をすると、強烈な直観になり、そこから論理的に見える説明を受ければ、ころりと受け入れてします。

一方、社会学の世界などでは、本質的な多様な見方があり、唯一絶対の真理などを簡単に信じない。流石は、ヴィーコの子孫である。

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入ってしまえば・・・

今のこの国では、大学は入ってしまえば、勉強しない。
国会議員になれば、それで目的達成と考える。云々・・・

このような状況はいろいろな所で発生している。この原因の一つには、この国の制度の基本に、個人の機能を見ずに、所属組織名のみを見ていることがある。

これは、学校制度を批判している会社人にも多く事例がある。
 1.下請け業者に、会社の権威で無理やり指示する。
 2.XX長だからと部下に命令する
これらに、きちんとした技術的観点での優位や、指示を受ける者より広い視野での合理性があればよい。しかし、現実には自分の考えがあまり良くないのに、地位や会社の名前を笠に着て、怒鳴っているだけのお粗末な話が少なくない。

これが、納得できない”下請け業者”や”部下”の問題も確かにある。しかしその前に、指示する側から直さないといけないと思う。

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2006年9月17日 (日)

日露戦争の補足

先日の日清戦争の海戦に関して、補足情報があるので書いておく。

日清戦争では30センチ砲の発射速度は、1時間に2発程度と書いたが、日露戦争時点では、2分に1発と大幅に性能が向上した。この時に、主砲が戦争の主役に躍り出た。

しかし、この時新しい問題も発生している。連続発射による砲身の過熱問題である。これは、自爆に繋がる危険な現象である。

世の中で大抵のことは、性能が10倍になると用途が広がるなど、使われ方の革命が起こる。しかし、今まで予想もしなかったトラブルが生じる場合もある。

10倍になれば全く違うと言うことを、肝に銘じた見直しが必要である。特に急激な変化では、これは解るが、じわじわと増加して、10倍になった時に、旧体制のままと言うのはよくあることである。そして思いもかけないトラブルが生じることも多い。

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参議院の候補で考える

近頃、竹中大臣の議員辞職問題がニュースを賑わしている。
その裏側で、次の参議院議員選挙に、日本ハムの新庄選手を担ぐと言う話が出ている。一寸権威主義の石頭で考えると、経済の権威の大学教授とプロ野球選手を一緒にするとはけしからんとお叱りをこうむるかもしれない。

しかし考え方を変えると、これはある意味で自民党の考え方の、大きな変換の象徴かもしれない。

竹中教授ー>自分がよく知っている。皆を指導する。
新庄選手ー>とにかくファンにサービスする。

この図式では、小泉指揮の考えから、国民意見を聞く政治をしたいと言う意思表示かもしれない。

でも、もう一度見直すと、前回の衆議院選挙にも、某容疑者を担いだ自民党にそんな識別力があるのであろうか?

もう一言言えば、プロ野球選手から国会議員なった方や今回の新庄選手は、球界の中で
 「人間性はともかく、知能は最高級」
の、野村監督の考えについていけなかったように感じる。国会議員には余り知能を要求していないのであろうか?

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2006年9月16日 (土)

実際の値で考える

日清日露の戦争に関して、少し書いた。ここでもう一つ考え方で注意したい点を述べる。   『坂の上の雲』だけでなく、各種映画を見たり、戦記物を読んでいる時は、どちらかと言うとテンポよく状況が進んでいるように感じる。

しかし実際は、結構時間を費やす準備作業がある。例えば、日清戦争の時、清国の主力艦は30センチの巨砲を持っていた。日本の軍艦には、3隻にそれぞれ一つだけ設置したが、実際は使い物にならず、小口径の速射砲で戦ったと言う記録がある。

ところで、清国の30センチ砲も1時間に2~3発しか発砲できなかったという話を聞いた。しかも、30センチ砲の1発命中でも沈まない。こういう状況ならば、分単位で発射できる速射砲のほうが頼りになるのは納得いく。

また、第2次大戦でも航空母艦同士の決戦の場合300km離れているとしたら、巡航速度で進む飛行機は往復で、2~3時間は確実に必要である。しかも準備作業などを考えると、1日に1回か2回の攻撃がやっとであろう。

このような準備作業など加えた数値で、できるできないを冷静に考えないと、机上の空論になる。現在の経営論などでも同じであろう。

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大企業の弱さ

今朝の朝日新聞BEは、『雪国まいたけ 大平社長』の記事を載せていた。

色々参考になるが、戦略的に徐々に市場価格を下げていくことで、大企業の参入を防止できると言う記事があって、納得してしまった。

大企業はどうしても、計画実行のサイクルが長くなる。その間に、計画時点より市場価格が下がると、また計画のやり直しになり、参入が難しくなる。

大幅な、価格の変化には、大規模な研究もできるが、微妙な改善レベルは、後発側には難しいものがある。うまく隙間を衝いている。

なお、同社には『もやし』市場で、大企業の参入で痛い目にあった経験があるとのことである。この場合はエチレンガスの効果と技術的に説明できる手段があったので、参入が容易だったらしい。技術はだれでもできるが、技は習得が難しい。

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2006年9月15日 (金)

飲酒運転に思う

現在、飲酒運転の被害者が多く出て、社会問題になっている。

しかし、この問題をもう少し突っ込むと、二つの側面がある。

1つは飲酒の害である。本日の朝刊にも某大学の教授『酔っ払って』痴漢をして、逮捕されている。これ以外にも、某市の公務員が酔っ払って暴れたりしている。このような、『酒の上で憶えていない』と言う言い訳を通している世の中の問題かもしれない。

2つは、無謀運転の話である。私の知り合いの身内に、
 『交差点で携帯電話を見ながら突っ込んできた自転車』
に当たられて、頭を打って死んだ人がいる。このような人たちにも、厳罰で対応してもらいたい。

とにかく現在は、このような事故では人の命が軽すぎるように感じる。最も加害者の人権は、十分に保護されるであろう。弁護士のお得意の手段である
 『加害者は正常な判断ができなかった』
と言う弁護を使うと、酔っ払い等は、ほとんど罪にならなくなりそうである。

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日清・日露戦争の見方

昨日の話に関連して、日露戦争における旅順要塞攻略の戦略的意味について触れる。

まずロシアの戦いでは、退却と言う言葉は、負けを意味しない。ナポレオンに対した時のように、自国に引き入れて、相手の補給路を絶ち、最後に勝つのがロシアの戦略である。従って、
  『奉天の大決戦に勝った』
と日本が言っても、ロシアにとっては、
  『戦いの一部で引いた』
という表現になる。しかし、難攻不落と言われた要塞が降伏したり、軍艦が沈んだ場合は、負けを認めざるを得ない。

従って、『海の日本海海戦』と『陸の旅順』