学問と実用生活
ある機会から、『アメリカが生んだ最も多才で最も独創的な哲学者』C.S.パースの著書を読み直している。パースの著作は膨大なものがあるらしいが、邦訳は限られている。しかし、邦訳された文献からでも、凄みは伝わってくる。まず最初に、「連続性の哲学:岩波文庫688-1」から、学問と実生活の関係を考えてみたい。
ここでは、実生活の意思決定と、学問世界の論理的思考方法の両者について、その違を指摘している。パースの指摘のとおり、現実世界では、感情・本能による意思決定が力を持つ。一方、学問の世界では、数学・論理と形而上学などの理論的にしっかりした思考方法が重要である。
特に、大学で学ぶべきことは、まずしっかりした、論理的思考法を学ぶべきである。この論理とは、数学なども含む広い論理である。その後、科学哲学の思想をきちんと理解して、理論と現実の関係も、しっかり学ぶべきである。このような論理性が、学問の世界で生きていく条件である。
なお、パースは、本能なども学問的経験が浸透することで改善されると指摘していることも、付記しておく。
<第1章p46~p47から引用>
われわれはどのようにささやかな仕事であれ、周囲の状況が許す範囲で自分の微力をもって遂行することのできる、人生の仕事を見つけ出さなければならない。われわれはそうした仕事の遂行のためにすべての力を発揮しなければならないから、それには当然理性も含まれる。しかしすでに述べたように、そうした作業の過程で主として頼りにすることができるのは、魂の部分のなかでももっとも表層的で誤りやすい部分ー理性ーではなくて、もっとも深く確実な部分ー本能ーの方である。
とはいえ、この本能もまた発展し成長することができるのである。たしかにそれが担う決定的な重要性を考えれば、本能や感情の発展の運動は非常にゆっくりしたものであるが、それでも本能や感情の発展は理性の発展とまったく並行した形で生じる。ちょうど理性が経験から生まれてくるように、それらの発展もまた魂の内的、外的な経験から生じる。その経験とは、例えば内省であり、あるいは逆境での生活である。またそれは認識活動の発展と同じ本性をもっているが、主として認識活動が提供する道具的有用性の側面を通じて発展する。魂の深い部分に触れることができるのは、その表面を通してである。それゆえ、このような内外の経験に対処する過程のなかで、われわれが数学と哲学と他の科学によって触れることを許される永遠的な諸形式は、ゆっくりとした浸透作用によって、われわれの存在の中核へと達することになる。それらはわれわれの生に実際に影響を与えるようになる。そしてそれらの形式、イデアのコスモスが、結局のところ人間の生への影響力をもつことができるのは、それらが人生にたんに決定的に重要な真理を含んでいるからではなくて、それ自身がまさに理念的で永遠的な真実であるからである。
<引用終わり>
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連続性の哲学 (岩波文庫) 著者:パース |



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