ボルトの錆について
今朝のNHKテレビの『ルソンの壺』で、錆ないボルトを取り上げていた。確かに、鉄のボルトが錆びたため、強度が低下した事故の例は多くある。
しかしながら、表面だけの錆びは、ボルトとナットの結合を強くしていることもある。
一面だけの見方でよいだろうか?
今朝のNHKテレビの『ルソンの壺』で、錆ないボルトを取り上げていた。確かに、鉄のボルトが錆びたため、強度が低下した事故の例は多くある。
しかしながら、表面だけの錆びは、ボルトとナットの結合を強くしていることもある。
一面だけの見方でよいだろうか?
昨日のNHKスペシャルでは、「ON(王・長嶋)」について、取り上げていた。特に、天才と言われた長嶋選手が、人に見えないところで、必死の努力をしていたことを伝えていた。当時の長嶋=天才というイメージは、マスコミも含めて作り上げたものであった。そしてそれに答えるために、隠れたところで必死の練習をする。一方、見ているファンの方も、長嶋先週の努力についても薄々は知っていた。しかし、天才と言うことを受け入れていた。
しかし現在は、
プロとアマの境目がはっきりしなくなった時代でもある。まれにすごいことを、さりげなくやってみせる人たちがいる。そういうひとこそ不世出の天才というものなのだろうが、天才でないことをわきまえた昔の並のプロは、見た目からまずガツンと威嚇してみせてきたのだろう。
しかし、いまは謙虚にしていたんでは、だれも陰の「努力」に目をむけない時代なんだと紳助さんは言いたかったのかもしれない。
である。(日経BP社のHPから引用)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/?P=2
天才を認めにくい世界になってきたのが、本当の天才が生まれにくく、ブレークスルーが少なくなった要因ではと思う。
先ほどのNHKの番組で『希望』について、取り上げていた。そこで気になったのは、
「高学歴者ほど、希望を持ち、低学歴の場合は、希望が持てない。」
と言う調査結果である。これは、本当に正しいのであろうか。確かに高学歴で成功した人間いは、希望があるだろう。しかし、高学歴者の失敗者は、かなり惨めなものであるし、復活能力も低いように思う。
それは、さておき、低学歴者は、本当に希望を持っていないのであろうか。大学の先生の質問に答えて、上手に希望を言えないだけでなないのではなかろうか。特に、希望と言うと、かっこようくしゃべらないといけないと言う事で、答えられなくなっているのではなかろうか?
特に今までの学校社会では、成績優秀者を目的とした仕組みになっている。成績がそれほどでない場合に自分のやりたいことなど、いえなくなる雰囲気があったのではないか。
このような観点で、いわゆる『希望の格差』についても考えてみた。
今朝の新報道2001は、中国経済に関する特集であった。これを見て最初に思ったのは、中国に対して比較的冷静に報道していたと思う。今までは、どこか批判しても腰が砕けていたように思うが、今回はバブルの可能性もきちんと指摘していてよかったと思う。
しかし、『中国の金で日本の企業全て買える』と言う話しは、1990年ごろバブル時代に聞いた話しのように思う。
さて、中国の企業について、一つ気になることがある。彼らは、子供のころから、共産主義の教育を受けていたはずである。その中では、『資本家は悪人』、『資本主義の経営者は悪徳』と言う話しを、刷り込まれたと思う。
そのような教育を受けた人間が、経営したら、本当の悪徳を実行しそうに思うがいかがであろうか。
今朝のNHKニュースを見ていたら、派遣会社が『僧侶』を派遣する話しを、放送していた。そもそも、お盆のお経は、自分で心を込めてあげれば良いと思う。一方、日頃からお付き合いのあるお坊さんで、尊敬できる方にあげて頂くのも、ご利益があってよいであろう。
しかし色々な事情があり、お坊さんを紹介してもらいたいときもあるだろう。そこで派遣会社にお願いと言う発想もわかる。ただ今回のニュースで、よいと思ったのは、派遣会社の営業担当者が僧侶に同行し、動きを評価していた点である。悪い点もこれで改善されるし、良いと認められれば、僧侶もやりがいが出るだろう。評価を受けないと人間は進歩しないと思う。
むかし、「学校教師は他人の評価を受けないと言う事で、聖職者だ」と書いたことがあったが、現在は聖職者の方が評価が厳しいようだ。
先ほどNHKの番組『追跡AtoZ』で、超高圧送電を例として、国際標準化の重要性を取り上げていた。
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/090808.html
確かにこれから、国際間の相互乗り入れが激しくなれば、国際規格を抑えることが重要である。そのためには、規格の専門化の育成が課題となる。規格の専門化は、技術的な理解だけでなく、規格としての法律的文書作成力、国際的な交渉力などの、総合的な能力が必要である。
自分達が良いモノを作ったのだから、皆がこれに従うのが当然と言う、技術屋の論理はもはや通用しない。
さてこのような、専門家はどうしたら育成できるであろうか。一つのヒントは、特許の権利出現を行う弁理士であろう。弁理士の試験では、技術的な理解力と、条約を含む法的な知識も試験される。その上で、市場性や、国際的な視野を身につければよい。
このような専門能力を自分で身につければ、今後の就職に有効であろう。
日曜の朝は、経済番組2つを連続してみることにしている。「がっちりマンデー」と「ルソンの壺」である。
http://www.tbs.co.jp/gacchiri/archive.html
http://www.nhk.or.jp/luzon/schedule/backnum/090802.html
今朝は、2人の社長の面白い対比を見せて貰った。まず始めは、強烈な個性で部下を引っ張っているエステー㈱の鈴木社長さん、そして、30年後には社長である自分はいないから皆で考えろ、と教える向井珍味堂の片山社長のお二方であった。特に、片山社長の言葉には、老舗の重みを感じた。
エステー㈱の社長さんは、社長が頭を使っている会社は強い、と言う主旨の意見であった。私の個人意見では、
社長も頭を使う会社は強い
と言って欲しかった。
組織を強くするためには、始めは部下に対して色々と指導する必要もあるが、最後にはみなの意見の盛り上がりで、組織を強くしていくべきであろう。リーダーは、後継者を育てる義務がある。
NHKのテレビドラマで、行政書士が法律相談に応じているのは、越権行為と訴えたと言うニュースがあった。http://www.asahi.com/culture/update/0729/OSK200907290086.html他多数のHPに掲載あり。
弁護士会も、NHKに喧嘩を売る前に、講談社に喧嘩すべきと思うが、とりあえずクレームを出した意味を考えてみたい。http://morningmanga.com/lineup/29講談社へのクレームに関しては、講談社からの顧問料金を貰っている弁護士達からの政治圧力か、左翼系の論壇への恐怖からかは、不明確なので今回の議論から外しておく。
従来の法律関係の業務では、弁護士・司法書士・行政書士の階層構造が、暗黙裡に構成されており、裁判の絡むような仕事や、会社の顧問などは、弁護士先生の仕事、巷の示談などの相談は、まず行政書士に気軽に相談と言う、棲み分けがあった。この棲み分けを崩し、示談交渉で、大儲けした一人は、現大阪府知事らしい。
しかし、アメリカの圧力も感じられる先般からの司法制度改革で、弁護士の数を多くすることが決まると、弁護士業務をきちんと確保することが必要になり、今回の苦情になったのではと思う。この話しは、法律の条文どおりに解釈すれば、弁護士会の有利な結果であろう。ただし、従来この仕事で生きてきた、行政書士たちのことも考えてやらないと、新たな社会不安の材料になるのかと思う。戦後、GHQの指導で、助産婦による分娩ができなくなってしまい、現在の産婦人科の危機的状況を招いたことと、何か似ている感じがする。
確かに、立場の曖昧な行政書士の書いた『内容証明文書』を振りかざし、法的権利のあるような行動をするやからもいるが、是々非々の対応が必要かと思う。
京都の葵祭りについて、テレビで放送していたが、これほど、神様と人間が親しいのかと、改めて認識した。神事の一つ一つは、大事なお客様に喜んでいただくためと、はっきり見て取れる。神様が、みなの心の中に生きていることが、はっきり判る。
真言密教でも、色々な行いは、皆大事なお客様を迎えるためと言われるが、このような神の世界と人間の世界に隔たりがない世界も、良いものだと思う。
NHKスペシャルの「マネー資本主義」は中々見ごたえがあった。資本主義の成立のためには、投資を引き出す仕組みが必要である。そのため、個別のトラブルを、多くの投資先に危険分散することで、投資先として成立させる、金融工学の手法は、ある程度効果がある。
しかし、このようにまとめると、個別のものを見なくなってしまう。本来の投資は、投資先を自分の力で見極めて、行うべきである。このように投資を自分で行った人間が、これから生き残ると思う。
今朝のNHKテレビの「ルソンの壺」を見て感じたが、経営者の仕事は、
1.良いものを作らせること
2.それを市場に正しく評価してもらえるようにすること
の2点が重要と思った。どちらかが欠けて、安価な労働力にのみ頼って、利益を追求するなどと言うことは、どこか間違っている。
現在のマスコミ報道を見ていると、東国原知事に対して、
「自民党総裁の要求はなまいき」
と言う論調が目立つ。
確かに、要求はきついが、政治的な駆け引きなら自分の意見を通すためには、トップを要求するのは当然である。このような要求を、大阪の橋下知事や東京の石原知事が行った場合には、ここまで叩くことはないだろう。
どこか、東国原知事は、『元芸人』と言う蔑視が感じてしまう。特にテレビ局は、昔使ったという先入観があるのではないか。人の評価は、現在の能力で行うべきである。
昨日のNHKテレビで、
「有力企業が撤退しないように、地方自治体が種々の努力をしている」
と放送していた。これを見て、とうとうここまで来たかと思った。従来の地方の政治は、社X党や共○党等の勢力の、
「大企業の横暴を排除しろ。出て行け。」
と言う形のキャンペーンを利用し、
「地元に協力しないと、出て行かないといけません。」
と言う形で、企業に言うことを聞かせていることが多かった。
しかし現在は、企業の方も『選択と集中』や『海外生産シフト』などで、直ぐに出て行ってしまう。このような状況では、『企業確保』の努力を地方自治体としても、行わざるを得ない状況になっているらしい。
この話し、どこかで聞いたことがある。それは、大阪の伊丹空港騒動である。関空を作ったときは、伊丹空港の騒音と住宅密集地上の侵入路の危険性が、地元自治体で喧伝され、
「空港出て行け」
と言う声が大きいため、海上埋め立て空港になった。そして、伊丹空港の国際線閉鎖で、規模縮小になったとたんに、地元から逆に伊丹空港を使うようにと圧力がかかり、現在のような形になっている。
大企業に対して、けんかを売ればよいと言う、発想はそろそろ収まるのかな。
今日のNHKのクローズアップ現在で、「10歳の壁を克服せよ 脱暗記」を取り上げていた。現在の子ども達は、いじりすぎた教育制度を受けて、あまり本当の能力が上っていない。特に、早くしろとばかり言われて、本質を考え抜かなくなっている。
この対策は、言語による思考力を大切にすることであろう。しかし、ここで気になるのは、日本の国語教育の現状である。
本当に必要なものは、論理的思考力、特に一般意味論の「抽象の梯子」を確り理解して、使いこなせる教師の養成ではないかと思う。
特に、論理的な討論は、教師に対する反論も生じる。それに耐える教師と言うか、教育システムが重要であろう。
本日のNHK教育の日曜フォーラム「どう進むIT社会 ~暮らしの中の情報システム~」を見た時、少し思いついたことがあるので、忘れないうちに書いておく。
坂村先生の発言だったと思うが、
「クラウドコンピュータを使うためには、利用側の標準化が必要」
と言う意見が面白い。
1980年代の日米のパソコン利用状況を、想い出した。日本人は、BASICのプログラムを作るために、パソコンを購入する。そして、自分の仕事のためのプログラムを構築する。一方アメリカ人は、既製のソフトを購入して、それを使得るように仕事をあわせこんでいく。
この理由として、坂村先生は、
「日本人の顧客が自分専用の書式を要求する。」
等の過剰適応を指摘されていた。
しかし私の考えでは、そのような利用者の要求の高さと供に、作業者の適応力不足もあるのではと思う。特に、日本人の新入社員は、自力で育つのではなく、会社の流儀で育てられている。従って、会社の書式・既存の方式に適用するように、育ってしまう。アメリカの場合、大学卒業で一人前と言うことで、何とか自分で動こうとする。そのため既存ソフトを活用する程度の苦労をして、仕事をこなすのも多いと思う。
これは会社の技術・技能伝承をきちんとするのには良いが、標準品を使いこなすのは下手だと思う。
もう一つ、今回の議論で、「日本は中間が弱い」と言う意見があった。確かに、現場と、一部トップが強い。しかし中間が弱いと言われる。これも、日本の大学制度の、矛盾を指摘したと思う。明治の大学設立時は、
「末は博士か大臣か?」
と言うことで、トップエリートを育成するのが大学であった。一方、高等専門学校や、師範学校など中堅専門職育成を、確り行っていた。
しかし、第二次大戦後の変な平等主義で、大学が多くできた。少なくとも1970年ぐらいの大学教授の多くは、「ミニ帝大」を目指し、中堅活力を育成するのではなく、トップを育成するのだと、思い込んでいた節がある。これで、中間送の活力が失われたのではないか。
現在のテレビは『視聴率』による評価が大きな意味を持っている。しかし、これが地デジになると、視聴率の意味が変ってくる。従来の視聴率は、測定が難しいために、有限サンプルをとり、統計的処理で全体を予測していた。しかし、地デジの場合は、インターネット回線を使って、フィードバックを取る可能性が大きく、視聴率調査によらなくても、反響を取ることができる。
このように考えると、従来の視聴率による評価は、見直さないといけない。
ここで従来の統計手法とは、処理の重点がずれてくると思う。
今後は、単に数値を計算するのではなく、その意味を理解することが大切だと思う。
今朝の朝日系のサンデープロジェクトは、1000回記念と言うことで、色々な議論が行われていた。そこで色々と思うことがあった。
まず、戦後の日本の制度は、民主化と言う蓑を着ているが、まるで
『天皇制の上に、アメリカの代表マッカーサーを、据えただけ。』
と言う感じがした。最も、ある一部では、『マルクス主義』を持ってきたように思ってしまった。(これは、私の個人意見)
この結果、「世界の指導原理=アメリカの指導原理」と言う条件反射ができてしまったように思う。
もう一つ、日本の文化として、仏教伝来・中国文化・西洋文明の受け入れなど多様を、受け入れると言う話しがあった。それを同化したのは、この国の大きな力だと思う。しかし、同化している時には、異分子を受け付けなくなる危険性がある。日本人の多様価値観を受け入れない民族性は、このような自国の異文化消化吸収能力によるのではないか。日本では、変った人間が生き残るのは難しいと感じた。
以上忘れないうちにメモしておく。
NHKの解説番組で、「雇用と経済」の特集を放送していた。(2/11 10:05~11:55)
たしかにもっともと言う意見もある。しかし、NHKの立場には、一般企業の人間には、腹立たしいものがある。なぜなら、彼らが”市場”に受け入れられる苦労と言うものが、実感として感じているとは思えない。テレビの受信料を、国民の義務と言わんばかりに取り立てる。
このように、お客様からお金をいただくと言う苦労を知らない人間に、経営に対して言われたくないと思ってしまうのは、ひねくれているのであろうか?
さらに、派遣労働者の低賃金の話しがあったが、テレビ局の番組つくりでも、下請けの業者に安く作らせることで、製作原価を抑えているのではないか?
内容に関しても、「企業は人材を大切にしていない」と言う話が多かったが、これまで企業の経営を圧迫した要因の一つに、
「旧来ビジネスに適合しすぎた人間を大切にしすぎた」
と言う側面もあることを指摘しておきたい。もっとも、これは政治と言うか制度と言うか、
「一度正規採用したら、不適合になっても雇用契約を切れ無い」
ので今まで残っていると言う側面もあるが・・・
とにかく現状を打破するには、今までの企業の枠を超えて、第一次産業も含めて雇用を広げないといけないと思う。そのためにも、従来制度のしがらみを切って、改革する必要がある。
今回の春闘では、ワークシェアの論議が盛んになっている。私は、ワークシェアより"市場開発"や"雇用創出"が大切と思うが、今回の流れは一寸違うように思う。経営者や労組の幹部の一部は、
「ワークシェアと言う名目での給与削減」
を狙っているように思える。確かに、日本の"終身雇用制社員"の給与は、下げにくい仕組みになっている。下げるタイミングは、不況の危機を、外圧として使うことが多い。
さて、社員側の自営手段はどうであろうか。まず、
「自分の給与を世間相場できちんと評価しておく」
ことである。そして、
「自分は会社に対して、これだけ利益を創出し貢献している。」
と自信を持っていえるようになることである。前にも書いたが、新入社員のころから、
「総合職の責任、正社員の責任」
を心がけることが、このような危機に強い心を育てると思う。
しかし、本日のテレビ番組乱を見て、笑ってしまった。(関西地区限定のジョーク)読売テレビのPM0:00~1:55で堂々と
「ハケンの品格」
を再放送している。どんな考えかな?この番組に釣られて、その放送当時に派遣社員になる道を選んだ人もいるのではないか?テレビ局は、どんな気持ちで番組を作っているのだろう?
学校制度について色々気になることがあるので、忘れないうちに書いておく。まず、モンスター・ペアレントの問題である。確かに、
「昔と比べて、無茶苦茶な要求をする親が多くなった」
のは事実だと思う。そこで、その原因となる『学校制度の問題点』まで踏み込んで、議論したい。まず、モンスター・ペアレントの発生時には、親と教師双方のコミュニケーション・スキル不足で、ことを大きくすることが多い。
この原因を考えると、学校教師の採用状況が一つはあると思う。田中角栄の改革の前には、教師になるのは教育の専門校出身者が多かった。そのような学校は付属校を持っているので、教育実習もきちんと行っていた。そこで、コミュニケーションのスキル不足の学生は、別の道を行くように気付いていた。しかし田中角栄の改革の結果、先生の給与が上ったので、
「いわゆる一流大学の成績優秀者」
が、教師になだれ込むようになった。彼らの教育実習は、多くは母校に戻り、お客様扱いでの実習で難しい目にあわないようにして終わる。そして、教師はいい仕事と言うことで、就職していく。彼らのコミュニケーションスキルは、ペーパーテストの偏差値的評価では、測ることができない。
このようにして、教師側のコミュニケーションスキルの不足が、一つの問題となる。
一方、親の側のコミュニケーション力不足であるが、これも現在の学校教育に大きな責任がある。現在の、国語教育は論理的な会話ができるような仕組みになっていない。どちらかと言うと、文学青年(少女)崩れの心情的反体制教師が、文部科学省の指導要領にしぶしぶ従い、ガイドラインに沿った感情の押し付けを、行っているだけである。つまり一方的な押し付けの教育が、国語教育である。これでは、論理的な会話など生じるわけがない。
さて、もう一つモンスター・ペアレント問題で、
「何でもかんでも学校に押し付けすぎ」
と言う意見がある。これに対して、逆に、
「今までの政策は学校依存を作るようにしたのでは」
「教師の言ううことを全て従うようにしたのでは」
と言う反論があってしかるべきだと思う。学校以外の道徳を親が教えると言うことは、教師の権威を無視する生徒が増えることになる。また現在の高学歴社会では、親が教師の教える内容に不満を持つことも多い。そのような発言をさせないように、できるだけ学校に任せろと、導いてきたのではなかろうか。その結果で生まれたのが、モンスターペアレントではないだろうか。
教師が教育勅語頼みの代わりに、なんらかの権威をもって生徒に接している限り、この問題は起こるように思う。
大阪の橋下知事の発言で、特に目に付くものが
「皆さんに選んで貰った。皆さんの支持が頼り。」
と言うものがある。これは、重い話しだと思う。民主主義の基本である。
例えば、阪神大震災のとき、兵庫県知事と首相の災害救助出動要請が遅れて、多くの死者が出た。その時、自衛隊が独自判断で動くべきと言う議論がある。しかし、
「このような首長を選んだのは、皆の判断、その責任は皆で取るべき」
と言う議論もある。
ただし、今までは首長は、
「選ばれた後は威張りまくっている。」
「自分で選んだと言う認識がない」
と言う感覚で、皆から離れている感じがする。
これを、取り戻すのは、橋下知事のようなまともな知事を増やすのが大切ではないか?
新年を迎えて、テレビを見ていたら、富士山で修験道の行者さんの様子が、放映されていた。修験道は、明治維新後の廃仏毀釈で大きく力を削がれてしまった。その結果、神道自体も、力を失ってしまったと感じる。
古神道の力は、神仏習合の力が大きく働いていたことは、多くの識者が指摘している。しかしもう一つ、隠されたものとして、陰陽道を経由した道教の影響も指摘しておきたい。そのような部分は、多くは修験道に入り込んでいた。それを、神仏分離で壊したのが、明治以降の新神道である。
そう思っていたときに、修験道を新年に見ることをできたのは、今年の幸先が良い。洋風文明から、もう一度「古来日本のよさをみなすべき」と言う辻占と感じてしまった。
今年は、欧米に振り回せない、良い年になって欲しい。
日経BP社のHPに面白い意見があった。テレビ局は、下請け搾取と、テレビ局にあこがれる追っかけの子達の低コスト労働で、利益を生んでいるとのことである。
確かに、このように考えると、大企業悪者論も納得がいく。
どうも、自部の世界で考える人が多いように感じる。しかしそれが世の中に影響を耐える業界だと、困ったことになる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081222/181016/
今朝のNHKの連続番組「だんだん」では、ヴォイス・トレーニングのシーンを放送していた。
「プロが上手なのは、自分の声をよく知っている。
自分の声を聴いて好きになる。」
と言う言葉が、特に参考になった。また姿勢として
「常に今行っていることの意味を考えて訓練に望む」
と言うことは、どの分野でも同じだと思う。しかも、
「舞の稽古が発声にも活きる。」
ように、今までの積み重ねを生かすということも、参考になった。
また、腹から声を出す重要性も、よく番組の中で表現されていた。
このように、心と体の関係も、もう一度見直してみたらよい。
年末になると「忠臣蔵」が流行ると言う。赤穂浪士の討ち入りに関し、結構人気がある。
しかし見方を変えれば、多数の人間が集まって、一人の老人を討つ。これはある種のリンチである。また別の説では、
「幕府の政治に対する抗議行動としての、討ち入り」
と言う意見もある。
ここで気になるのは、後者の見解に於ける、「被害者の吉良上野介」の扱いである。幕府政治に対する抗議と言う、大きな目的のためには、
「吉良上野介の名誉」
等と言う
「小事は無視しても良い」
発想が見えてくる。
このように片づけてよいのであろうか。
この発想は、「沖縄ノート裁判」や「百人斬」論争にも影響しているように思う。
近頃のニュースを聞いて、もどかしい思いをする。それは、予兆があるのに、それで対処していないで、物事を大きくする例が多すぎるからである。例えば、元厚生次官殺害事件の犯人は、今まで何度もトラブルを起こしている。また、航空自衛隊の元幕僚長は、
「今までこのようなことは、言っていたのに?」
とテレビで発言していた。
今の世の中、個人の自由を大切にするのが行き過ぎている。人に迷惑がかかる段階で、きちんと対処すべきである。
ハイリッヒの法則は、ここでも適用できる。そのためには、行き過ぎた犯罪者の人権保護を、排除しないといけない。
ある財界団体の大物が、放送内容が気に食わないテレビ局のスポンサーから降りる、と言う旨の発言をしたと言うことで、一部のマスコミが噛み付いている。
しかし、営利企業として、スポンサーとなる相手を選ぶのは、当然の行動である。特に、日本のマスコミの高コスト体質のため、スポンサーを求める必要が生じている。
A新聞では、記者たちが高級ハイヤーを乗り回しているし、報道番組と称していながら、年収XX億円と言うタレント(?)を使っている。もっとも、テレビ局では、下請け先をいじめて、経費節減と言う行動は、しっかり行っているらしいが・・・
スポンサーの行動を責める前に、自分たちの無駄遣いを反省するのも必要ではないか?
安いコストで番組を作り、好きなことを言っている例もあるのだから。
今朝のテレビで、靴下工場と下着工場の様子を見た。両方とも、製品が自動的に流れていた。これは、トヨタ方式ではよく言われている、物流を最低の時間でと言う話しに通じる。
しかしこれは、昔からあった、VE(Value Enginieering)の発想では、当然でるものである。
これがなぜ今まで実行できないのか?
これは、VEは知識でしかないが、トヨタ方式は行動である。やはり知識は行動に、負けるのではないか?
Kプロデューサーが詐欺事件で逮捕されたと言う話しを、ここ2~3日テレビなどで聞く。このような話しの時、いつも思うのは、
人間は、自分の努力に相当しない報酬を得ると、堕落する。
と言うことである。特に、若い時からちやほやされて、頭を下げる経験がないと、おかしくなるようである。但し、頭を、上げる経験も必要である。現在は、一寸上から押さえすぎで、元気のない若者も多いような気がする。これも困ったものである。
しかし、持ちつけない金で堕落するのは、日本の、マスコミを含めた、教育環境にも問題がある。どうも、マルクス主義の影響がまだ残っているようで、
「金持ちは勝手なことをする」
という思想を子供のころから、学校で押し付けられているように思う。そして、マスコミも資本家や経営者の悪い所ばかり穿り出して、子どもに見せている。
だから、
「金持ちになって好きな事をする。」
「国会議員になったら料亭にいく。」
などと言う人種が増えているように思う。
もう少し、経営者の責任の重みと功績を、皆に示しても良いと思う。
今朝のNHKニュースを見ていたら、指導力不足の教師は全国で371人で、内60%が勤続20年以上のベテランが占めていると言う放送があった。これを見て最初に思ったことは、
「ベテランは新しい教育技術などについていけないからかな?」
「そのような評価は、ペーパーテストで行っているのかな?」
と言う感じで、対人能力に関しての問題とは思っていなかった。逆に、ペーパーテストだけで試験したら、対人能力など基礎的スキルを見落としていないか心配であった。
しかし、NHKのホームページhttp://www.nhk.or.jp/news/k10014808991000.htmlで見たところ、子どもとの信頼関係を築けないなど、対人能力にも問題があるらしい。これはひどい話である。そのような教師が、20年も勤続していたと言うことが、問題である。
若手教師は、指導力不足になる前に、研修するから指導力不足は少ないと、文部科学省は言っているが、今まで問題教師を野放しにしていた責任は、大きい。
光市の母子殺害事件の弁護士に対する、『懲戒請求の扇動』と言うことで、大阪府知事になった橋下弁護氏が敗訴した。この件に関しては、橋下弁護士のやり方に色々批判がでている。
しかし、彼が言いたかったことが、本当に裁判で認められる可能性が、あると考える方が間違っている。彼の主張は、現在の裁判制度に対する批判であった。
まず、『被害者の復讐権や、弁護士の発言による感情的な被害』に対する現行の裁判制度の配慮がない。これは前から言われた言葉であるが、「レイプ犯罪の被害者は2回辱められる。1回目は暴行で、2回目は被告弁護士の反対尋問で。」と言う現実が少ししか改善されていない。
もう一つは、法曹関係者に対する、素人の意見表明手段の公開である。これは、従来知れていなかった、弁護士に対する懲戒請求を、制度として明確化した点は大きいと思う。
但し、これは現在の裁判制度に対する批判であり、これを裁判で争う限り、橋下弁護士の敗訴は見えていたと思う。
やはり橋下氏は大衆の指示に頼る政治家が似合っている。
NHKテレビでアメリカ軍人のPTSDについて報じていた。色々な側面があると思うが、イラクの戦いなどでは、第二次大戦までとは根本的に違う面がある。
つまり、
「ゲリラやテロリストは軍人ではない。軍服を着ていない。」
と言うことである。軍服は一般市民を巻き込まないための服装である。また、戦場で攻撃力を明示するものである。だから、戦場でも平服の人間を攻撃することは、重大な国際法違反である。逆に、軍服を着ないで交戦することも、国際法違反であり、スパイとして処刑されても仕方ない。捕虜になる権利すらない。
このような軍服を着ないテロリストとの戦いでは、無差別攻撃が起こりやすく心理的不安も大きくなると思う。
更に、交戦規定を満たすため、相手に先に攻撃させるため、戦争用のロボットが開発されるように思う。
先般、大阪の国際児童文学館について書いたが、朝日新聞の記事に関して、もう一つ別の観点から議論したい。
それは、マスコミの対応である。橋下知事の私設秘書が、勤務振りを盗み撮りしたと書いているが、その国際児童文学館の勤務振りに関しての取材がない。
正義の立場を、マスコミが振りかざすなら、その勤務振りに関しても独自の調査をすべきと思う。
なにか、現場を離れた記事が一人歩きをしているように思う。
先ほどNHKのクローズアップ現代で、コピペで論文を作る話しを取り上げていた。確かに他人の丸写しで、論文やレポートを書くことは、借り物の知識だから、身につかないと思う。小学生の作文まで、このようなコピペで作るものがでたら、世も末だと思った。
さて、子どもの立場で、もう少し弁護してみよう。まず、作文と言うのは、子どもにとって重たい宿題である。その時間が十分にあるのだろうか。さらに、読書感想文等は、本当にかけるのであろうか。マニュアルどおりの感動を押し付けられ、そのとおりの正解を求められ、一生懸命、書かされている。これもかわいそうな世界である。
更に、先生方は、コピペの作文には、自分の言葉がないとおっしゃる。確かにそのとおり。しかし教員指導書の言うとおりに、自分で教材研究もせずに教えている、”教育(単純)労働者”に、それを批判する資格があるのだろうか?
今朝の”がっちりマンデー”で、クリーニング業界の話しを取り上げていた。そこで、
「社内では皆走る」
と言う会社の話しがあった。
少しの時間も無駄にしない。全社員の時間感覚を速く動くようにする。これが全員に染み透ると、経営の効率が上ると思う。トヨタでも、物流の人間は、走って戻ると聞く。
しかし、これで気になるのは、安全の問題である。また人間は、継続的に全力疾走に耐えるように出来ているのであろうか。持続的に仕事をするためには、歩くスピードで、効率的に生産できる仕組みを考えることが重要と思う。
そういう意味では、24時間の受付や返却を行う、自動化システムを考えたクリーニングは素晴らしいと思った。
この時期になると、前の大戦の話が色々出てくる。そこで、一つ気になることは、
「個人としての軍人の人権は、どうなっているのであろうか」
という問題である。例えば、
「南京の百人斬り」
の名誉毀損事件では、戦犯として処刑された、2人の軍人の遺族が、マスコミの「誇大表現」により、戦犯となったので、その名誉を晴らしたいと訴えている。しかし、一部の進歩的な、知識人などが追及している場合には、旧日本陸軍の行った戦争犯罪に関して、個人を責めたてているように思う。
しかし、この訴訟で気になることが、もう一つある。高裁の判決の理由は、
「百人斬りに相当する事象が無かったと証明できない」
である。これは立証責任が原告側にあるという観点である。しかし、マスコミと一個人の遺族という力関係を考えれば、弱者である個人に対して、もう少し裁判所も配慮して欲しいものだと思う。
そうい言う意味では、松本サリン事件での、誤報に対してマスコミが頭を下げているのは、少しはましになったのかもしれない。
今朝テレビで、NHKの”ルソンの壺””経済羅針盤”や毎日の”がっちりマンデー”を見ていた。この手の番組は、見ていると元気になる。日曜の朝から、良い気分となるので、1週間が楽になる。
さて、なぜ経済番組が元気になるのであろうか。一つには、ニュース関連では、元気になる話が少なすぎる。人の悪い話を追求する姿勢が、気分を悪くする。
一方経済番組は、悪い状況から、自分で考えて解決すると言う、良い面の話しが多い。
自分でよくできる。このイメージを持つことが大切ではないだろうか。
旧長銀元頭取ら3人に逆転無罪の判決が出た。http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20080718-00490/1.htm
このことに対して、あるテレビで評論家が
「嘆かわしい判決」
とコメントしていた。これに関して、私は、納得できない。
まず、この事件は
「銀行の経営破綻を、国民の血税で救済したのだから、
経営陣の責任を取らせるべき」
と言う国策の訴追の傾向がある。しかし、歴代の銀行の経営陣や、監督責任のある大蔵省役人、そしてバブル景気をあおった、または危険性を抑制しなかった、一部の大学教授・経済評論家やマスコミ等、広範囲に渡る、関係者がいると思う。そういう意味では、戦犯をABCのランクに分けて、全員を裁く、新東京裁判を行わないといけない。もっとも、前の東京裁判でも、戦争に協力した各新聞社の罪が追求されたとは、とても思えないが・・・
さて、私が頭に挙げた評論家の意見に納得できないのは、今回の被告個人の人権を、まったく無視していることである。どのような、被告にも自己弁護の権利がある。特に今回のような事件では、責任が本当にあったか、合理的な疑問は十分にある。このような状況では、被告が無罪を主張するのは当然である。確かに今回の無罪で、国税投入の犯罪の責任者が、誰もいないことになった。しかしこれは、捜査する検察等の問題で、裁判所の判決に対して、文句を言うのはおかしいと思う。
このような発言が出ることこそ、嘆かわしい。
なお、沖縄の集団自決に関しても、組織としての軍の関与や、圧力は当然あったと思う。しかし、個人の軍人の名誉毀損に関しては、個別に審議すべきである。
個人を組織の代表として、スケープゴートにするのはおかしい。銀行の公的資金投入で代表的に処罰するなら、歴代の大蔵大臣ぐらいであろう。
先日テレビで脳の不思議について、特集をしていた。特にサヴァン症候群の話しについて、考えることが多かった。彼らの記憶力の説明として、
「右脳の情報が無制限に取り出せる」
という説明があった。通常の場合は、左脳で取り出せる情報を制限している。情報を絞ることで、推論などができるようになっている。
こう考えると、人間の学習は、右脳を抑える方向で、訓練しているように思う。右脳を使えという言うことは、本当に人間の能力を増やすのであろうか?
もう一つ、右脳と左脳で分かったことがある。日本の仏教における、左脳の作用である。日本の仏教において、法華経の影響は大きい。一方、韓国では華厳経の影響が大きい。この二つのお経はどちらも、久遠の仏の救いについて述べたものであるが、華厳経は全てのものに仏と言う、イメージが強く、右脳に訴えるように感じる。(これは、華厳の一部しか見ていないというご批判はあるかも!)一方、法華経では、壽量本に示すように、きちんと論理的に如来の寿命が無限であることを解き明かす。これは左能の世界である。
なお、日本の法華経に関しては、聖徳太子の影響も大きいと思う。
久しぶりに「報道2001」を見た。色々面白い意見があったが、特に面白いと思ったのは、
「食料不足対策には、兼業農家を大切にすべき。」
と言う意見である。
製造業に勤めている立場では、
「業務に専念して、合理化改善を必死に行う。」
ことが正しいと考えてしまう。しかし、この番組では、
「家庭菜園では、石油等を使わなく出来る範囲で貢献する。」
との意見が出た。確かに、メーカーの発想では直ぐに機械を導入する。しかし、これはエネルーギーを大量消費する。そこを出演者は指摘していた。
確かに、少しづつでも自作していけば、完全自給まで行かなくても、少しでも貢献するようになる。下手に数値の最適を求めずに、自分で出来ることを積み重ねる。このような答えもあると思う。
その外数値だけで言えば、食料自給では直ぐ米ばかりとなる。大豆や小麦もある。このような観点も大切と思った。
一方、日本には明治前から続いている、本当の老舗会社が2879社あるという話も、あった。こちらは数字の力に圧倒された。
朝から良い勉強をした。
昨日の世界一受けたい授業の、バックグラウンド・ミュージックのパクリ構造はひどい。
例えば、歴史の話しで、坂本竜馬の遺品の値段を鑑定する。この構造自体が、某局の「なんでも鑑定団」のパクリなのに、鑑定中の音楽まで同じ曲を使っている。更に、ゲストの家を訪ねるときには、「建物探訪」の音楽とか・・・
しかし、もしかしたら、同じ下請け制作会社が作っているのかもしれない。それなら納得してしまう。
安く上げるために、創造性をケチって、他の情報を使いまわすのは、船場吉兆が食べ残しを、他の客に出すのと余り変らないように感じた。
「高学歴ワーキングプア」と言う言葉がある。ここで気になるのは、なぜ『高学力』でなく『高学歴』というかである。
高学歴と言うのは、単に大学や大学院に言ったと言うことである。最もそれ以外に、学校の名称が絡む場合もあるが…。
さてここで、「高学歴=高実力」と言う図式が成立するなら、「高学歴ワーキングプア」と言うのは、真にもったいない話しである。しかし、実際仕事ができなくて、ワーキングプアになっている場合はどうだろう。確かにある専門性にマッチしない限り、力を発揮できないと言う見方もある。そうすると社会が求めていない学問をしていると言う話しである。
さてこれが企業なら、求めていないものを作れば倒産は確実である。
何か間違っている気がして仕方ない。
日経BP社の”日経ものづくり”の記者さん達のブログに、記者は”虚業”と言うような表現があった。この言い方には、どうも納得の行かない。まず、マスコミの持っている、力を認識して欲しい。良いものを、取り上げて褒める。これだけでも、社会に大きな影響を与える。そのような力を、マスコミ関係者は知って欲しい。
これを書いていて、もう一つの実例を思い出した。私の知り合いが、テレビで取り上げられた、『美味しいケーキ』を食べた時の感想である。彼女曰く
「阪急百貨店の地下で買ったケーキの方がよっぽど美味しい!」
であった。これは、阪急百貨店のバイヤーの力によるところが大きい。彼らは、自分の力で、見所のある店を見つけ出し、出店させるようにして、育てている。従って、阪急百貨店として、しっかり選んで出店させているので、味が揃っている。
一方、私は昔機会があって、某百貨店の取締役と話しをしたことがあった。彼曰く
「私達は虚業だから、製造業等の実業がうらやましい」
と言う趣旨の発言であった。しかし、阪急のように、本当に良いモノを作っている店を選び、出店させることで育てる。これこそ本当の、
「実を得る業=実業」
だと思う。
銀行の融資も同じだが、本当に良いものを評価し、育てる
「実業」
が今こそ必要である。
今朝のテレビ、がっちりマンデーでは、高速道路の話しをしていた。現在SA(=サービスエリア)での売り上げが向上しているらしい。高速道を社会のインフラとして考えるなら、料金をとって建設資金を回収するのは、一つの考え方である。
しかし、SA等の設備で売り上げを得るということを、デパートのアナロジーで考える。SA等を各売り場と考える。そうすると、高速道路はエレベーターやエスカレーターである。エレベーターやエスカレータの利用料金をとるデパートは存在しない。もう一つ言えば、阪急に始る、駅ターミナルのデパートにとって、電車はエレベータのようなもので、安価にして買い物に出てきてもらうと言う発想もあった。更に、JALなどは飛行中にCA(キャビンアテンダント)の機内販売で、大きな利益を引き出している。
このように考えると、車社会では高速道路網で繋いでSAで利益を引き出す。このようなビジネスモデルも成立すると思う。
なお、本日の番組では、高速道路を発電ビジネスで活用するという話しも出ていた。確かに、これだけの敷地があれば、太陽光発電を活用できると思う。まだまだ、高速道路の利益は引き出せそうである。
道路財源で騒ぐ時、このような観点で、利益を引き出すことを考えて欲しい。
大阪の橋下知事の改革PTが1100億円の再構築を示した。この効果は、大きい。極端な方向付けから、いかに予算を復活させるか。これが、議員たちの腕の見せ所になる。
従来は、予算を取ってくると言う話しから、復活させる。削らせないに議論が移るようになった。これは大きいと思う。
あるテレビで、
「今の若い子は、
『ホリエモンのように、ネットで数十億儲ける』
などと地に足の着かないことを言う」
「昔から、若い子は大きなことを言うものだ!今に始ったことではない。」
と言う議論を聞いた。確かに、昔から
「少年よ大志を抱け」
であった。しかし現在は一寸違いがある。今の子の全てとはいわないが、
「そのように利益が出ないなら、働かない。」
と言う、01的な発想を多く聞く。
昔は、大志に至るまでの地道な努力があった。現在は、これが弱いように思う。この理由として、
「現在は物が自由に手に入るので、モノを作り上げる手順を見ていない。」
ことがあげられる。
このためにも、ものづくりをきちんと教えることが、大切だと思う。
今の世の中、色々トラブルが多いが、本当の原因まで、踏み込んで、対処できていないことが多いように思う。
その1:年金問題
これは、
「若い世代の供給している原資が、供給を受ける高齢者層に行き渡らない。」
と言う状況である。今までは、若い世代の方が人口が多く、経済が成長していると言う社会構造であった。さて、ここで
「年金の原資を適切に投資して増やす」
と言う戦略がなかったか?原資が豊富なら、今のようなトラブルは起こっていない。このような投資は、現在の日本では、
「誰もリスクをとらない」
と言う構造で、中々動かないと思う。
なお、このような投資が難しいもう一つの理由は、日本の経済成長が続き、単純に金を投資した時代が続いたからと思う。真剣に伸びる企業を評価する目が、育っていないのではないか。
その2:痴漢冤罪問題
これは、困った問題だが、警察の取調べの問題以外に、もう一つ指摘しておく。
現在この国の犯罪者に対する、処罰が甘すぎる。特に、性犯罪の重犯が多すぎる。JR列車内での暴行事件、某大学教授など・・・
このような、犯罪重複者がいると、痴漢被害者がナーバスになるのも無理がないと思う。特に、某大学教授の言い訳等聞くと、厳しい取調べに同感してしまう。このような、原因をきちんとつぶして欲しいものである。
今NHKの番組で、教育について色々議論がされている。そこで一つ昔話を、もう一度見直してみたい。
私が仕事についた、1970年代~1980年代には、学校教師は、休みが多くて暇な職業であった。しかも、田中角栄首相のばら撒き政策で、給与が高くなっている。その頃産業戦士達は、今以上の高負荷にあえいでいた。
そのような状況では、もっと学校に仕事をしろと、言いたくなるのは自然ではないか?
このような側面があったと、今思いついた。
今朝のNHKテレビの『ルソンの壺』は、ジュンク堂書店を取り上げていた。私もジュンク堂には、30年ほどお世話になっているが、専門書の並べ方や、店員の対応は、まさしくプロである。新入社員に
「プロの仕事を知りたければ、サンパルジュンクに行って、変った本を探してもらえ!」
と教えたこともあった。(神戸地区ローカルな話題で失礼)
ただし、その頃の私の理解は、専門書もたくさん置いている本屋と言う、認識であった。しかし、今日の放送を聴くと、『専門書主体の本屋で、一般書もある。』と言うのが正しいスタンスらしい。
専門書は、購入者が少ないが、絶対的な購入意欲がある、典型的なロングテイル市場である。このような分野は、従来は小回りの利く中堅以下の会社が対応するのが多かった。しかし、書店業界でも大手が、このようなニッチ市場をかき集めている。
今後このような例も増えるのではないかと思う。
大阪府の新知事橋下氏が頑張っている。しかし、彼の言い方で気になる部分がある。
『府民の絶大なる支持を受けて~』
これは本当であろうか?どうも私は、彼が勝ったと言うより、他の候補が負けたような気がする。つまり、
『他の候補に勝たせたくないので、彼に投票した!』
ので、彼を本当に支持しているかは??であると思う。そこを誤解しないで欲しいと思うのだが・・・
さて、彼を支援しているのは誰だろうか。関経連の偉いさんが
『教育する』
等と発言して、みなの反感を買っていた。これでまた支持率が上るかもしれない。このような偉いさんよりはまし・・・
もう少し前の、郵政民営化選挙でも、小泉首相支持より、某氏のばら撒き政治反対で小泉側に票を入れた人もいるのではないか。
良い人を選ぶのでなく、ある人を通したくないので、別の人に投票する。これは悲しいことでもある。
NHKの人気番組であった、プロジェクトXを、経営の立場で考えてみた。まず、プロジェクトX の発端は、苦境になった現場の人たちが、必死に活動することから始る。
さてここで問題である。この苦境は、経営者の失敗で、引き起こされたものではないか?失敗の中には、見通しの悪さも含まれる。本来行うべき先行開発や、基礎研究への投資をサボっていて、現場が必死に苦労して間に合わせる。これに皆が涙して、プロジェクトXが一つ上り。
こんなのものは許されるものではない。現場の苦労で救って欲しいなどは、経営者やリーダーは言うべきではない。
しかし、どうしてもチャレンジすべき課題もある。そのためのプロジェクトX は許されると思う。
このような切り分けこそ、経営者がもつべき才能である。
数十年ほど前のNHKテレビの子供向け番組で、「からくり儀右衛門」が放送されていた。その中で、伊能忠敬と儀右衛門の出会いがあり、
「距離を測る量程車を、儀右衛門が
”木で”模造したが、実際に動かすと
歯車が割れ使い物にならない」
と言う話があった。この話しは、儀右衛門が、強固な金属の重要性を認識し、父親の鼈甲細工を学ぶという展開となった。
これは機械設計の、重要な要素である、材料の強度と加工方法の話しを、上手く伝えたものであると思う。
しかし、設計の話しとして、もう一つ大切な話がある。それは、歯車の形状である。歯車は単に三角形の山を組み合わせただけでは、上手く動かない。直線的な形のぶつかり合いでは、衝撃が生じて歯車が直ぐに痛んでしまう。このためインボリュート曲線等で、歯形をきちんと作り、できるだけ力を面で受け、静かに伝える必要がある。
耐久性のある、丈夫な素材を選ぶこと・その加工法をしっかり考えること、これは機械設計の基本である。しかし、これだけではない。そもそも部品が壊れるのはなぜか。どこに、どうして力がかかるのか。それを最小にする形状は何か、このような検討も重要である。
現在のように、技術蓄積が多くなり、部品メーカとCAD環境が充実すると、なぜこの形の歯車なのかを考えないで、使ってしまう可能性がある。
技術においても、歴史の勉強は重要である。
昔、『名犬ラッシー』と言うテレビ番組があった。ラッシーは、コリーで堂々たる風格と、賢さで皆を魅了していた。40年ほど前は、コリーは賢い犬として有名であった。
しかし現在は、外見の美しさを重視して、交配を重ねた結果、コリーは余り賢い犬としては認められなくなった。
さて、現在のテレビ局では、女子アナに美しさや、芸を求めているように思う。アナウンサーは、知性的で、日本語の模範と思っていたのだが、どうもそのような要素は、選考基準で重みが少なくなったのではと邪推をしてしまう。
もっとも、関西の局では、中央の圧力で「美人を採用してはいけない」ということになるかもしれないので、知性的な女子アナと言う「絶滅寸前品種」が生き残るかもしれない。
昨日テレビで大阪府知事候補者のインタビューを見た。そこで面白いと思ったのが、橋下候補の、「グランドデザインを作らない」と言う発想である。これは、経営で言えば、トヨタ方式の、
「長期計画を作らない」
と言う発想に繋がっていると思う。
確かに箱物や道路等の大規模インフラは、一度計画したら止まらなくなってしまう。ただ、滋賀県の例外が出てきたので、今後は少し変る可能性はある。
そこで橋下候補のマニュフェストを見ると、学校校庭の芝生化、石畳と淡い街灯の街つくり等、土木建築の事業者にも少し配慮しているが、どれも軌道修正が容易なものとしている。
極端な話し、自治体経営にトヨタ方式、と言うのも面白いかもしれない。実際、赤字団体で金を貸してもらえないレベルは、戦後のトヨタと同じではないか。
機会があって『武士の一分』のホームページを見た。http://www.ichibun.jp/
そこで、ショックを受けたのは、剣道の稽古で、昔あった『闇稽古』がなくなっているらしい、ということである。小説としての構成では、「失明した侍が稽古をしなおす」と言うのはあるだろう。
しかし、少なくとも昭和の30年代の剣道の稽古では、目隠しして試合する闇稽古は、昔風の道場では行われていた。また、千葉周作の『一夜秘伝』においても、瞑目して立ち会っている。
武士として、闇夜での立会いや、目潰しを受けての立会いは、想定内であったと思う。スポーツ化した格闘技と違う世界がある。
昨日のNHK教育テレビ日曜フォーラム「自動車燃料の未来」を見た。色々参考になる発言があったので、忘れないうちに記録しておく。パネラーは
今日あるテレビで、面白い意見があった。
「民主党は、大連立を呑み、その条件として厚生労働大臣を要求したらよかった。」
と言う意見である。確かに、同党には、前にも薬害エイズ追求で名を成した人材もいるし、現在もミスター年金が居る。
このように切り込む手段としての大連立は、一つの思想かもしれない。
前に、日本軍隊の奇襲偏重主義について書いた。しかしこれは現在にも、継続しているように思う。
例えば有名テレビ番組プロジェクトXも、結局まともな経営陣の判断と、体制構築があれば、まともな展開をしたはずだが、それを得れない人間が、現場で何とかする話しといえよう。
確かに番組としては、このような展開は面白い。しかし経営者としては、正攻法で波風なく展開する方が正しい。
これを現実と取り違える方が悪いのかもしれない。そういう意味では、国語と道徳の未分化の日本教育の落とし子かもしれない。
ある所でささやかれていたジョーク。
「大阪府知事選で橋下候補の一番の敵は?」
「大阪弁護士会」
と言っていたら、今朝の朝日新聞社会面に、
「橋下氏懲戒請求へ
大阪弁護士会に11都道府県の350人」
と言う記事が載っていた。なお、本件は山口県光市の母子殺人事件の弁護士に対する懲戒請求に関連した話しであり、橋下氏がテレビ番組で、「弁護士懲戒制度」を紹介した結果、3900件以上の懲戒請求が発生した事件に関してである。
しかしこの時点での発表には、何か悪意を感じてしまう。ジョークが本当になる世界と言うのは、怖いような情けないような・・・・
佐世保でまた痛ましい事件が起きた。このような事件が発生するたびに、銃の規制の話しが出る。そこで、比較されるのが銃社会のアメリカである。ここで、アメリカで、
「自分の身は自分で守る」
と言う発想があることに、注意しないといけない。アメリカのルールでは、相手に殴りかかられた場合には、殴り返して身を守るのは、当然の権利である。
しかし、この国では、警官ですら、銃を持って発砲している犯人を、制圧する場合でも、発砲するためには、色々な許可を得ないといけない。挙句の果てに、射殺をしたら、”人権派の弁護士”から、訴えられることになる。そのため、某所の警官のように、「防弾服に身を固めて、密集した体制で近づき、相手の弾が命中したら正答防衛で撃ち返す」と言う手段しかなくなってしまう。そこで警官の命も失うな、安全第一ということなら、犯人に逃げられても仕方ない。
この事態の原因を探ると、この国の法体系や社会制度が、戦前はヨーロッパ式であり、戦後は米国式に切り替えたことにあるのではないか。イギリスの警官は、まず警棒しか使わない。その代わり銃器の取締りをしっかりしている。
現在は、中途半端の米国式である。犯罪者の権利を守るのも結構だが、自己防衛の権利を持っている環境に、犯罪予備軍を放つのと、お上が守ってくれると期待している人間の間に、犯罪常習者を放つのとは、大分違うように思う。
先ほどテレビで、大阪府知事選の橋下候補の後ろに、堺屋太一氏がいると言っていた。これは面白い取り合わせだと思う。堺屋氏の構想は優れたものがあるが、大阪府の色々なしがらみを切り開くには、年齢的にも体力不足と思う。
その点、若く喧嘩上手の橋下候補との組み合わせは面白い。山内一豊の槍働きを、橋下氏に期待するのは、一つの手かもしれない。
しかし日本の歴史で、この手の老人が後ろで、若手を前にと言う話しは、参謀・軍師を重視する日本の歴史にも、あまりないように思う。
大阪府知事選の候補が出揃ったらしい。新聞の書いているところによると、
自民党:タレント兼弁護士の橋下候補
民主党:大阪大学工学部教授の熊谷候補
共産党:弁護士の梅田候補
と言う図式らしい。ここで、3者に関し、理論と現実と言う尺度を入れてみたい。
橋下候補は、理論は弱く経験主義、一方熊谷候補は、工学系の理論重視、そして梅田候補は、マルクス主義の社会学的理論が強い。理論が強いことが良いか悪いかは議論が分かれるだろうが、理論が強い場合には、間違った場合の修正に時間が掛かる傾向がある。
このような見方もあるのではないか。
日経BPが、島田紳助氏の能力開発について書いていた。http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20071127/141612/
売れるために必要な「XとYの法則」というものが語られる。「競争の中で勝ち残り続けるには、『他とは違う自分独自の特色(=X)』と『世の中のトレンド(=Y)』を、どう合致させるかが大事。凡百の一発屋が消えていったのは、Yが変化しているのに気づかず、それに応じて、自分のXを進化させきらなかったから」。
これは、今までの市場原理を、明確に表している。
しかし彼の本当の力、次の努力にあると思う。
さて、島田紳助さんが駆け出しの頃にやっていた具体的な分析作業は、「自分から見て、この人はすごい」と思う先輩の漫才を、逐一ノートに書き写すというテープ起こしの作業だったらしい。自らの手で一語一語を書き出す。そのことによって、初めて、笑いを生む構造や、押す・引くのバランス感などが明示的に分かる、ということらしい。
このような、人の言葉をきちんと書き写す訓練は、人間の基本的なスキルである。忘れないうちに書いておきたい。
近頃の不祥事では、経営者が現場に責任を擦り付けることが多くなっている。
某語学学校の幹部の発言で、「私に秘書はいない」と言うのは、秘書がやったといえないときの、言い訳と思ってしまった。
特に技術的要素では、構造計算を丸投げされた会社が、責任追及されている。
トップの責任と言う美学がなくなったのは、「経営者悪論のマルクス主義教育の成果」ではと思っている。
テレビで”トリックの劇場版”を見た。主演の、仲間由紀恵さんは、知的美女のイメージがあったが、この番組では、見事なまでの三枚目になっている。
昔の知的美女の典型は、吉永小百合さんだが、彼女はそのような役が多かった。しかし、現在はどうも皆が主役の学芸会の延長で、出来る子を引きずり降ろすことが多い。したがって、完璧な美女より、”貧乳の三枚目”としたがるようである。
知的美女が堂々と前に出る世に、なって欲しい。
近頃のお笑い芸人は、個人のギャグで生きているらしい。確かに、決め技の一言は、誰でも真似しやすいし、広がりやすい。
しかし本物のお笑いは、話しの間など色々な面があると思う。昔は、子供は一言を真似し、大人は間の妙等の本当の芸を楽しんでいた。
本物の芸が、育ちにくくなったのか、受け入れなくなったのか?
何か寂しくなってきた。
今朝のNHKテレビ「ルソンの壺」では、下着メーカーのワコールの話しを取り上げていた。そこで、成功するものづくりの一因を見た。
「売れっ子デザイナーの力で売るより、
自社の研究所で開発した技術でよいものをつくる」
売れないからと安易に、外部の力を頼るのでなく、自社の蓄積の上で力を出す。これが本当に強い会社だと改めて理解した。
その後、経済羅針盤では、老舗の菓子メーカ「虎屋」を取り上げていた。老舗の味にこだわらず、利用者の要求にも謙虚に耳を傾ける。また、原材料まできちんと知る。これらの当たり前のことを、きちんと行うことが、本当に強い会社を作るのだと思った。
そのためには、黒川社長に『自分の言葉』で伝えることが大切だと、教えられた。変革は、業績の良い時にする。
なお、新しいものは甘い基準で作れるものではない。虎屋の開発の側面も見せていただいた。良い勉強をさせていただいた。
名物土産等で、消費期限・賞味期限の改竄問題が、世の中を賑わしている。たしかに、期限切れで食品を廃棄するのは、”もったいない”ことである。日本人の古来の知恵は、乾燥や発酵を上手に使って、廃棄すべきものを活かしていた。
そういう意味では、冷凍を使って保存する、赤福の発想は良いアイデアと思う。
しかし、今回の皆の怒りは、「騙した」と言うことである。ブランドを守るためには、嘘と言うのは許されない。
昔も、御木本が、不良真珠を焼き捨てた例があった。ブランドの責任と言うものを、本当に考えて欲しい。
今朝の「がっちりマンデー」では、スイカ・パスモの話しを放送していた。「スイカ・パスモ導入のメリットは、非接触のため、モーターやベルト等の動く部分が少なくなり、メンテナンスが少なくて済むことである」と話していた。
これからも、このように動く部分を少なくして、補修を減らすことは、今後とも進んでいくと思う。特に、メカのメンテには、作業者の勘・コツに頼る面もある。そのような技術・技能の伝承をするか、補修自体をなくすのか、これからの二つの流れが見えてきた。
本日の報道2001で竹村健一氏が、「年金等の金を積極的に運用して増やせ」と言っていた。これは重要な観点だと思う。
しかし、日本ではこのような金儲けは、卑しいこととされそうだ。
江戸時代では、田沼意次が積極的に金儲けをして、幕府を守ろうとしたが、松平定信に葬られた。今の日本でこのような動きがないように期待したい。前にも書いたが、変な武士道を振り回し、『商売人は口出しするな』等と言う、発言に乱されないようにして欲しい。
近頃のニュースの内、国家の威信にかかわる事件と思うものについて、思うところを書きたい。
まずミャンマーでの、長井さんの事件であるが、これは「パスポートで日本国が安全をお願いした国民を、該当国の兵士が射殺した」と言う、大問題である。ある意味で、軍人は国の意思を表明しているのだから、「ミャンマーは日本に対して、交戦意思がある」と考えなければならない。パスポートの重みを考えて欲しい。
次に、大相撲時津風部屋のリンチ死亡事件である。この事件は、警察の捜査結果を待つ面もあるが、一つ気になる面がある。それは、相撲協会に下賜されている、「天皇賜杯と内閣総理大臣杯」の存在である。このような暴力事件と悪質な隠蔽工作を起こした集団に、国家の威信のかかった賜杯を、下賜してよいのであろうか?千秋楽の君が代斉唱も、穢れた身で国家を歌って欲しくない。
なお、相撲に関係するものは、行司は脇差を帯びて土俵に上るし、横綱も太刀持ちがついている。彼らは、自らに恥じることがあれば、潔く自決する覚悟を示すため、刀を持っているはずである。それを「警察の捜査を待って」などというのは、相撲の根本を忘れている。危機管理などという前に、自ら穢れを祓い清める、根本を見直すべきであろう。
それとも、モンゴルにでも行って、相撲道と称するものを教えてもらうか?
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日のテレビで、計算法を取り上げたらしく、このブログの計算法関連のアクセスが増えている。
さて、ここでは、効果が出る計算法の訓練について、提案したい。ここで提案するのは、3桁×1桁の暗算能力である。特に桁上げを暗算で行うのが重要である。
例:146×3=438
なぜ3桁かというと、2回連続して桁上げが出来ると、繰り返すことが可能になる。また実際の数値では、有効精度が3桁ということが多い。次に、3桁÷1桁の暗算も訓練する。
例:459÷9=51
これができるようになると、分数の処理も楽にできるようになる。特に分数の処理は、分子分母を手早く処理が出来ないと、授業についていけなくなる。人間は楽にできることしか実際はできない。約分・通分でも、分子分母を暗算で処理できないと、実際はできない。
このようなことを考えると、3桁×1桁の計算を、暗算でできるように訓練するのが最初だと思う。100問の計算練習を毎日やって、暗算力を身に付ければきっと得るものがあると思う。
その次は、割り算である。一度掛け算が出来れば次もきっとできるであろう。
昨日の、『たかじんのそこまでいって委員会』を見ていたら、精神科医の先生が、出演していた。
そこで、
「犯罪者の弁明のために精神病を使うな」
と言う趣旨の発言があった。
この発言を聞いて、というとう出たという感じがする。前にも、池田小学校事件のとき、精神科の先生が以下のように嘆いてられた。
「私の見ている、統合失調症の患者さんたちは、皆さんおとなしい人たちです。このような事件が起こると、皆気にして小さくなって、しまいます。犯人が、本当に統合失調症なら諦めもつくのですが・・」
余りにも行き過ぎた、弁護手法に泣いている人も多いということを知っておくべきであろう。
本日のNHKテレビ「ようこそ先輩」で、荒川静香さんが母校の子どもたちを指導していた。流石に教え方は上手だったが、体験談がすばらしかった。
荒川静香さんには、
「周囲の微妙な好意を吸い上げて、自分の力にするポンプ」
のような能力があると思った。
現在は、「自分を褒めてくれない」「敵意ばかり」と言う話を聞くことが多いように感じる。自分に対して微妙な好意を感じとり、積みかさねる能力があれば、もっと人生が楽になるのにと思う人が多い。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
日経BP社のホームページに、NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」の要点が公開されている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20061010/111381/
そこで、色々な人の創造の話が載っている。その要点は、プラトニズムの発想で、本当の理想があると信じる。一つの発想に執着し、未熟な状態から育てていく。なお、建築の例では、完全な更地と言うことは無い。周囲の環境等から、色々な制約を満たす答えにしていく。
このような創造のためには、自分の能力(生命力)を信じる。人間は、相互に認め合うことでも成長する。ルーチン作業の中でも、自分の創造を活かすことができる。
なお、私の考えでは、創造には感性が重要であり、色々想像して、正しく評価することが重要である。
その外、感覚の重要性、「プロとは締め切りを守る」「下手なオーケストラは無い。下手な識者がいるだけである。」:マーラーなど、凄い言葉が並んでいた。ゆっくり読む価値のあるページだった。
昨日のNHKテレビで、京都五山の送り火の放送があった。そこで、妙法の送り火に関連して、戦国時代の法華宗徒の町を、比叡山の僧兵が焼き討ちした話しを、取り上げていた。
織田信長の比叡山焼き討ちは取り上げても、「天文法華の乱」を取り上げる史書は少ない。さらに、法華宗が一向宗の寺院を焼き討ちしたのもとりあげない。
われわれは、宗教は平和なものと考えている。しかし、考えてみれば、「異端の教えは人を地獄に導く」ので「いかなる手段を用いても排除すべき」である。
そのために、宗教戦争は必然ではないかと思う。神道と仏教が融合した、日本の平和的宗教は、ある意味で奇跡である。
昨日の関西テレビの「たかじん胸いっぱい」で、面白い話があった。関西のテレビ局と東京のテレビ局では、番組作成の予算が桁違いだそうである。当然、関西のほうが少ない。東京の10分番組の予算で、1時間頑張っている、関西局は大分かわいそうだ。
しかし、予算があれば良いというものではない。金がないなら、無いなりに工夫するのが、日本の底力と思う。この番組でも、担当の女子アナも頑張って、水をかぶっている。
中央にいろいろな力が集中した日本だが、地方も金に頼らずに、工夫をしていく姿勢が大切だと思う。補助金や、公共投資頼みでは、いつまでも中央にバカにされっぱなしと思う。
|
憑神 著者:浅田 次郎 |
『憑神』を読んだ。確かに面白い。ただし、著者の言いたいことの一つである、「負け方の美学」には納得するものもあるが、考えてしまうものもある。
確かに、戦いは両者で行うものであり、負けたと納得することは重要である。そういう意味では、アメリカがイラクを激しく攻め優位に立った時、イランから和平への申し出でがあったと聞く。イランの指導者の立場に立てば、この時の講和なら、国民を納得させることが出来たであろう。
このように相手の国のことまで、考慮して進めるのが本当の外交である。そういいう意味では、現在のブッシュ政権はお粗末としか、言いようがない。
皮肉な見方をすれば、第二次世界大戦のチャーチルの、日本に対する"好意"を見て取ることも出来る。欧州戦線で苦戦中のイギリスは、アメリカを参戦させようとして、種種の方策を練っていた。その一つに、三国同盟の日本が、アメリカに攻撃したら自動的に、アメリカも参戦する。ということで、日英同盟の伝統ある我が国は、真珠湾を攻撃した。さて、これで日本は用済みになったので、すぐに降参させるべく、新鋭戦艦『プリンスオブウェールズ』を日本に派遣し、艦隊決戦で屈服させようとご高配頂いた。
しかしながら、日本海軍は艦隊決戦を避けて、航空機攻撃でこの船を葬ったのは、歴史の示すとおりである。その後の日本の、政治指導のお粗末さは言うまでもない。ブッシュ政権よりお粗末であろう。
今朝テレビで見たが、インド式の計算術と言うものが、ブームらしい。
テレビでは、
75×75
を暗算で行う方法と言うのをやっていた。ちなみに答えは、5625である。
確かに私でも、この場合のスピード計算は、いくつか直ぐに思いつく。
例えば、(100-25)×(100-25)で計算してみよう。
10000(=100×100)-5000(=2×100×25)+625(=25×25)
ここで、25×25=625は既に暗記している値である。インド人は2桁の九九を覚えていると言う。そうでなくても5のべき乗は、4乗ぐらいまでは何とか覚えている。
別の方法では、
(70+5)×(70+5)=4900+700(=70×2×5)+25
と言う戦法もある。
インド式計算法の本も読まずに、このようなことを書いてはいけないが、どうもこのようなテクニックばかりが一人歩きするのは、危ないように思う。この場合は、数式の因数分解を考えて
(A+B)×(A+B) =A×A+2×A×B+B×B
の適用でしかない。ある意味で、このような公式の応用が出来れば、すばらしい能力になる。
知識の上滑りは怖いが、本質を理解した応用は、本当に力になる。その切れ目を越えるかどうかが、重要である。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
あるところで聞いたが、今『S(サディスト)系』のタレントにも人気があるらしい。これで一寸思ったが、現在の若い人たちは、余りしかられたことはないらしい。
そのため、このような女王様に叱られる事を、求めてバランスをとっているのかもしれない。
流風さんのページにコメントした内容が、舌足らずであったようなので、もう少し補足しておきます。 http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/2007/04/post_338c.html
私が、言いたいのは、
「いわゆる『学校』と、営利企業としての『塾』等の労働に関する違い」
です。昔から、腹の立つ発言で
「教育労働者」
と言う表現があります。労働者の場合には、結果に対する評価を正確に行います。一方日本の教職員組合は、一斉テストによる評価・管理職による評価に対して、反対することが多いように感じます。これは、まじめに仕事の評価を受ける労働者にとって納得のいかないものがあります。結果評価を拒否するなら、「聖職者」と言って欲しいものだと思います。そういう観点で、予備校のシビアな評価についてのコメントです。
なお、企業の採用に関して一言、
「難関大学入学者は、それだけ努力している。
努力する機会が少なくなった現状では貴重な機会である。」
と言う観点があります。努力する経験がある人が、貴重になった寂しい現在です。
今朝のテレビ、『報道2001』で、『国家の品格』の大学の先生が、「財界人が分を超えて発言する」と言う主旨を聞いて、「少なくとも財界のトップは、世間の厳しい目に曝されている」と反論したくなりました。
流風さんのところで、大学に関してのページがあった。http://ryufuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze/2007/04/post_338c.html
加えて昨日の朝日放送のTVタックルでは、大學人の失業に関しても少しコメントがあった。なお、コメントの内容は、
「これから多くの大学がつぶれて、関係者の失業ももっと出てくる」と言う三宅氏と、
「何をしたくて大学院に言ったのか」と言う主旨の阿川女傑(?)の突っ込みであった。確かにこの席では、自分の力で道を切り開いた人たちだけに、大学院教育まで”多額の税金”で補助を受けた人たちの泣き言には厳しいと思う。(私学でも大学・大学院への国庫補助は行われている。しかも大学院生はあまり税金も払っていない。)
現状でも大学は多すぎるので、教育面などでの努力が少ない大学は、淘汰されるであろう。
ただし、私の付き合っている大学の先生方は立派な方が多い。学外でも、講演等で呼ばれている。またある大学では、2年の学生をきちんとしつけて、90分の講義でも寝させないようして、まともに質問ができるように鍛えていた。これは、現在の高校までの教育の甘やかし方から考えれば、驚嘆すべきな成果である。(爆笑&落涙)
今後、大学淘汰の時代を考えると、大学内での教育を確りして、リストラ後も変な難民を出さないようにして欲しいと考える。例えば上記の教育力を、リストラ対象の先生にも発揮してはいかがであろうか。なお、一部の先生方には、経営側の責任による不幸なリストラもあるのは認識している。ただし、学外にも顔を売っていなかったのは、覚悟不足と言わざるを得ない。
この話を書いていて、昔は企業の中でも、「社外に通用する人材になれ」と騒いでいたなーと、もう一度思い起こした。
昨日あるテレビ番組で、テレビ局に勤める場合と、製作会社に務める場合の比較をしていた。日本の産業構造の一つの縮図を見た感じをする。
まず、製作会社に入って1人前になるまでの期間だが、使いパシリのAD6年、ロケを任され3年、部分任され3年の、12年でやっと一つの番組を見ることになる。この期間は、小学校から高校卒業までで、何となく説得力のある期間であった。
一方、新番組を作る場合には、4ヶ月ぐらい前に概略構想を製作会社が作り、3ヶ月~2ヶ月前に構想を詰めていくが、予算がない、キャストのバッティングなどでだんだんしぼんでいく。
ここで、大切なことは予算がないからと企画を、小さくすると言う発想である。本来なら、発注元のテレビ会社の正社員が、もっと良い発想を出して、コストを削減しつつよりよい企画に仕上げる能力を出して欲しい。正社員は、製作会社より給与が高いのだから、それだけの能力を示してもらいたいものである。
しかし現実は、製作コストの削減を、製作会社の安価な労働力に頼っているように、見える。この結果が、製作会社に入れば48%が中途で退職するが、テレビ局入社は2%程度しかやめないと言う数字である。
本当に、付加価値の高い仕事をするから、給与の差が生じると言う、当たり前のことが確実にできるようになって欲しい。
新聞を見ると、関西テレビの問題放送が16件とあった。さらに、経済面では経済産業省が、
『下請けいじめ対策本腰』
と言う記事も出ている。
前にも書いたが、この問題の根本は、発注する側の能力低下である。
まず、現場の状況を知らないのが問題である。モノを作るのにどれだけの時間と手間がかかるか、本当に把握した上で発注がされていないから、このようなことが起こるのである。次に、コスト削減に対する、発想の貧困である。モノの作り方か、モノ自体を革新しない限り、そう簡単にコストの低減と言うことは、できるものではない。確かに一時的に外部発注すれば、低賃金の労働者が働くので、安価にモノができるように見えるかもしれない。これが、進むと海外での生産と言うことになる。
このようなトラブルの再発防止は、発注側の大会社が社員教育をきちんとして、高給に耐えるだけの付加価値を社員に生み出すように、きちんとしつけることが重要である。
なお付加価値と言うことは、大企業の名前をかざして、発注先を恫喝して、値引きさせることではない!
先ほど見ていた、日本テレビ系の
「驚きの嵐!世紀の実験」
は面白かった。
特に学者先生達の予測が、大きくばらつき、現実に合わないのが面白い。現在の技術進歩でも、このようなことが多い。
逆に、ある程度設計どおりのものが出来るのは、電子工学の世界であり、設計どおりになるのはコンピュータソフトウエアの世界と言えよう。
これらの分野では現場に対する、敬意が薄れているように思うが、実際は多くの分野で現実対応が重要である。
昨日の、”ガイアの夜明け”は興味深いものであった。大手進学塾の新人が参考になった。
テレビで放映されているのは、私の解釈では以下の2項目であった。
1.発声練習…大きな声で明確に伝える
2.起立礼…最初にすることもきちんとさせえられないのに他の事が教えられるか
確かにこれが教育の基本と思う。
現在、テレビで
『コーチング』
を見ながらこのブログを書いている。この番組は、コーチングと言うことより、出演者の努力が魅力と思う。他にも、『シャルウィダンス』も努力を見せる番組であった。
このように努力を見せる番組が出てくると言うのは、世の中の流れを
『努力を評価する』
向きに誘導する思想があるのかもしれない。
個人的にこれは悪くないと思う。
一寸前に、NHKのテレビで写楽の役者絵について、
「現在の目で見ると、デフォルメに見えるが、当時の照明などを
考えると実際は写実的である。」
と言う内容を見て、目から鱗の感じをした。
現在の目で見ると、美意識や写真等の写実での評価による、バイアスが入っていたと再確認した。これも一つの暗黙知の作用かと思うのでここに忘れないうちに書いておく。
近頃テレビのやらせ記事や不完全調査による放送とのニュースが多くある。これを見て思ったが、今まで日本で一番権力をもっていた、マスコミが崩れたと言う感じである。
科学者たちも昔はマスコミに逆らうと怖いと言う話があった。某新聞の取材を断ったために、追求キャンペーンを行われて、立場を失った先生の伝説もある。
しかし、現状マスコミに対するインターネットの世界が生じたのであろう。これでやらせや、疑似科学の公開に対する反論が出てきたように感じる。
関西テレビの人気番組の捏造問題で、色々と情報が飛んでいる。その中でも気になるのは、番組制作を下請けに出す構造である。
下請けから孫請けと発注を繰り返しながら、コスト差を稼いで利益を生む。これはいろんな分野で問題になっている。このような構造で親会社自体が、モノつくり能力がなくなっているらしい。
テレビ局もか?何か悲しくなった。
本当によい仕事をするものに、高給を出す世界が多くなって欲しいものである。
関西テレビの捏造問題で、下請け丸投げの問題が表に出ている。ここで下請けいじめの構図が出ている。
ここでいじめとして出ているのは、
『予算の削減』
である。しかし、現場の立場で一番困るのは、
『無理な期限』
である。今回も調査期間が短すぎたと言ういいわけが出ている。
特に現場の作業を知らない発注者が、
『無理な期限』
を押し込める傾向がある。ただし、下請け側の能力不足で、無駄な時間を費やしている場合もある。もっとも、そのような下請けを指導できないのは、発注側の無能を示している。
先日のNHKテレビの”その時歴史は動いた”では、”天草の乱”を取り上げていた。この取り上げ方で、自分の受けてきた歴史教育の欠点について、感じるところがあったので、書いておきたい。
まず、この番組では、”天草の乱”をキリスト教徒の反乱と言い切っている。しかも、当時の日本でのキリスト教の布教には、『寺を破壊する』ような、他宗教に対する迫害要素があったことを明確にしている。
思い起こせば、数十年前に私が高校で受けた、日本史の授業は、以下の様な内容であった。
1.キリスト教徒の寺に対する破壊には触れず。
なお、仏教徒自体の相互の戦いに関しても触れていない。
2.海外の文献を引いて、これは農民一揆であると、暗示している。
これは、まさしく井沢元彦氏が現在の歴史教育に関して、追求している通りである。
1.宗教に関する、色々な考察を避けている。
特に宗教間の争いは、暴力行為に繋がることが多いのに、目をつぶっている。
2.文書による証拠を至上のもとしている。
3.マルクス主義の階級闘争論に直ぐに結び付けたがる。
このような観点で、今回のNHKの企画は、大切なものを我々に伝えていると評価したい。
本日の新聞で、捏造問題に対する関西テレビの報告を見た。テレビ局の
「危機管理ができていない」
と言う表現に何となく違和感を覚える。
自分がつくるものだから、
「品質管理」
ではなかろうか。まるで、悪事が暴露した時の『危機』管理と言う感じである。
何となく丸投げで無責任と言うイメージを感じてしまった。
自分が送り出すものは、どういう経緯があろうと自分が責任を持つ。このような社会人としての基本をどこかにやってしまったのであろうか。
本日のNHKクローズアップ現代では、オーケストラの経営(?)危機について、放送していた。企業や自治体からの寄付金が減って、大変と言う話であった。こういう話を聞くたびに、
「金儲けばかりしている、儲かっているくせに金を出さない」
と企業を悪者にするのではと心配してが、番組の中では堺屋太一氏が、
「もっと経営努力すべき」
と言うトーンで話していたので少し救われた気がする。
企業に勤めている立場では、少しの無駄も省き、原価を1円やもっと小さい単位で管理しながら、苦労をして利益を出している。このようにコスト低減を図らないと、海外の企業に市場を奪われてしまう。企業と言うものは、存続することで少なくない社会貢献をしているのである。
まずその1:税金を払っている。これは法人税のみならず、
勤めている人間の納めている税金も関係する。
その2:企業がつぶれると言うことは、それだけ失業者が出る。
大量の失業者は、社会不安に繋がる。
このような立場で、必死に利益創出を考えている人間に、文化のために寄付をしろと言われると、
「何で」
と言い返したくなってしまう。
番組の中でも、「バブル期に安易に金をばら撒いた付けが回っている」
と言う説明があったがそのとおりと思う。何ごとも、自分の努力に見合った収入と言うものが望ましい。
なお、仏教の托鉢は、お金とともに悪い因縁など引き取り、寄進者のためになる行為である。そのため、托鉢を受けると同時にお経の力で、清めたり帰ってから、水行したりして清めるのである。それを、しないとうっかりすると、宗教者から金の亡者に転落してしまうのである。お坊さんも大変なのである。
近頃のテレビで、団塊の世代の扱いに関する放送が多い。そこで、活躍する「堺屋太一」氏の発言で一寸納得するものがあった。いわゆる、天下りに関するモノであるが、
「会社においておいて、秘書をつけ何もしないようにしておく。
家庭でも、邪魔になるから、会社にいてもらうほうが良い。」
この発想には笑ってしまう。
しかし考えてみれば、今まで日本の社会では、企業に色々なものを押し付けてきた。天下りだけでなく、色々形での押し付けがあると思う。地域での失業対策事業的なものも、ある意味では企業に押し付けた感じもある。
ところが、海外との競争などが厳しくなり、行政改革が進むと、企業も贅肉を落とすようになってくる。こうすると、雇用も厳しく絞るのは当たり前である。こすると、堺屋太一氏ではないが、「天下りなどお断り」となるが、「彼らが仕事ができない場合は、家庭で迷惑を受ける人がでる」ということになる。
こういう風に、企業に押し付けていた分が吐き出された時、この国は何か起こりそうな気がする。星新一氏の傑作「おーいでてこーい!」は、環境問題だけではないと思う。
| おーいでてこーい―ショートショート傑作選 著者:加藤 まさし,あきやま ただし,星 新一 |
正月のテレビ番組は、どれも力の入ったものが多いが、
テレビ東京 新春ワイド時代劇
『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』
は、面白かった。現在の時代考証などで伝わっている、浅野内匠頭の癇癪の病なども取り入れて、現実性を増しながら、上手く作っていたと思う。
しかし、この番組の中でも主人公の台詞にもあったが、
「これでは吉良側が可愛そう」
と言う感じがする。このように、芝居等の文芸作品に残ってしまうと、フィクションがフィクションでなくなってしまう。井沢元彦氏の作品にもあったが、確かに忠臣蔵は、徳川綱吉の政治に対する、庶民の批判がこもっていたであろう。しかし、このような作品が一度できるとそれが一人歩きしてしまう。
忠臣蔵の後、現在でも赤穂浪士関連の作品ができている。しかも、刃傷の理由を作るために、吉良上野介の悪役理由を無理やり作っている。勧善懲悪のつじつまを合わせるために悪役を作るのが、大衆受けの一つの手段である。
このような被害者は、声を出せないがかわいそうな気がする。
年末のテレビには、力の入った特集番組が多い。「京都の歴史」に関する面白い番組があった。井沢元彦氏の指摘にもあるが、戦国時代までの日本の仏教は、僧兵を抱えた先頭集団であった。そういう意味では、異端の信徒に対する、殺戮などの攻撃は色々在ったようである。織田信長の比叡山焼き討ちの前に、比叡山僧兵による、法華宗に対する殲滅的攻撃がある。これを考えると、イスラム教徒の戦いや、キリスト教の各種戦争を、特別視することはできない。
逆に、日本のような宗教は武力を用いないと言う状況は、織田信長~豊臣秀吉~徳川歴代将軍が成し遂げた”世界の特殊例”かも知れない。そういう意味では、徳川幕府の宗教政策をもっときちんと、中学高校で教えるべきである。『キリスト教禁制』だけでなく、『日蓮宗不受布施派への禁制』も教えないと、寛容な宗教風土を造った経緯が見えなくなる。
そういう風に考えていると、弘法大師が唐に入った時期を考えてみた。当時の唐には、仏教だけでなく、回教やキリスト教の一派まで入っていたと聞く。そういう意味では、他宗に寛容な風土は、そのあたりにお手本があるかもしれない。
今年も残りわずか、このブログを見ていただいた皆様に感謝し、来年が平穏な年であるように祈っています。来年もよろしくお願いします。
これはフィクションです。(笑)
近頃のニュースを見ると、大阪の関係の不祥事が色々でてくる。大阪大学の関係の大先生が、愛人を公の宿舎に住まわせたり、論文捏造をしたり。
そう思っていたら、”某有名タレント”が名誉毀損で敗訴している。
これ一つ一つは、さもありなんと言う感じもするが、こう続くと関西の評価を、落とそうとして誰かが陰謀を企てているのかと疑ってしまった。
首都圏の逆鱗に触れるようなことを、大阪は何かしたのかしら?阪神タイガースも優勝していないし、あまり心当たりはないが・・・
今週のアエラに、
近頃、教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」の話題が、新聞をにぎあわせている。これを見て、思い出したのが江戸時代の「お城将棋」である。
江戸時代に、江戸城で将軍の前で見せる将棋は、一度別の場所で指しておき、その棋譜の通り、タイミングよくおいて行く儀式であった。つまって考えたりする、見苦しい状況は、偉い人には見せないと言う発想である。
偉い人の前では綺麗に進んで欲しいという発想は、昔と同じだと笑ってしまった。
しかし、発言する方も、自分の意見と同じなら少しでも格好よく発言したいと言う心理はあるだろう。しかもそれを、お役所でチェックしてくれるなら、ありがたい話と思うのではなかろうか。
もう一方踏み込めば、このような会議で、見事な質問や意見を言える人間は、少ないように思う。そこまでできるようになるにはそれなりの経験や訓練が必要である。一方、テレビなどで見ていると、会議の発言は颯爽としている。このような評価が厳しくなれば、発言がしにくくなる。このような条件を考えると、担当者の焦りにも少し同情してしまった。
| 固定リンク
昨日のNHKテレビで、『大阪の歌』の特集をしていた。司会者が上沼女史というのを聞き、堺屋太一氏の理論を思い出してしまった。堺屋氏はある講演で、
「官僚の政策で、関東中心主義を貫くために、全国の人間は
東京にあこがれることが重要である。したがって、東京の番組は、皆があこがれる
美人タレントを起用し、関西はお笑い系メインでしか発信できない。」
と言っている。
そう思ってみると、司会者に加えて、主要メンバーは、
「天童よしみ、藤田まこと・・・」
ウーム、美男美女には見えないなー。更に見ていると、バックのセットを動かす黒子の姿も見えるし・・・何か安っぽくつくっている。関東と比べて、大阪は安く見られているのではないか?
ただし、天童よしみさんが、『王将』を歌った時、 彼女が
『将棋の駒の王将の姿に見えた』
この存在感には、満足した。
「明日は東京に出て行くからに、何が何でも勝たねばならぬ・・・」
やはり関西人は、これでないといけない。と言うのは古いのかなー?
| 固定リンク
新聞等のニュースで、高校が決められた教科を教えていない、と言う事件が報じられている。確かに、教えると言うことを教えないのは、悪いことかもしれない。しかし、良く考えてみると、今の学校の教育の場合、授業を聞いても忘れた生徒も卒業させているのではなかろうか?これとどう違うのであろう?
分数のできない大学生という話は、前から有名であるが、彼らの小学校卒業を認めるのと、今回の高校卒業とどちらが、問題か考えてしまう。
但し、内申書で取得していない学科の成績があれば、虚偽と言うことになる。しかし内申書を、本当に信用しているのかは、各学校に聞いてみるといろんな答えが返ってきそうである。学校差など、厳しい評価が出るであろう。
学校教育も、何時間教えたでなく、何を理解しているで評価すべきではなかろうか?
極端な話、今回教えていないと言う世界史や、地理の試験を行えば、今回の生徒の平均は、一般的な生徒程度の成績だったらどうなる?
| 固定リンク
学校のいじめ問題が、色々取り上げられている。特に注意すべきは、教師の不注意な発言が原因になったという事実である。
今朝の報道200Xであるゲストが言っていたが、
「このような言い方は昔からしている」
と言う面はある。しかし、これで子供が深刻な事態になる、種々の状況変化がある。
このような子供を取り囲む、環境変化にいわゆる”先生”達が、追従できていないのが、問題ではと思う。
| 固定リンク
テレビで、いじめの問題などを取り上げる時、よく出る言い方に
「数値目標が悪い」
がある。
しかし、数値には善悪はない。数値はある一面を記述したもので、客観性はその範囲である。
悪いのはその数値の意味を理解できない人間である。
特に指導的な立場の人間は、数値の意味をよく読まなければならない。意味がわからず単なる数値で騒ぐのは、無能と言われても仕方ない。
昔、テレビの視聴率でこのような例があった。
電鉄会社の提供の、ミニ番組である。これは視聴率は、1ケタ台の%である。しかし、その番組で取り上げた駅の切符の売り上げは、上昇している。
この結果、低視聴率にもかかわらず、長寿番組であった。
このような例が、ネットワーク化するともっと出てくる。
数値を理解しすることの重要性を再認識して欲しい。
今朝の”題名のない音楽会”を見ていて、ゲテモノの集団と言う感じがした。音楽で楽しむのは、第一に音で楽しむべきと思っていたが、某”美人?!”バイオリニストの率いる、12名の美女と言う集団は何か、美女が先に経って居るように感じる。
何かピアノの音も濁っているように感じてしまった。
音痴の私が、こんな風に思うのは、僭越かもしれないが、本文以外に力を入れ足り、売り出すことには、余り感心できない。
| 固定リンク
本日の朝日新聞の社会面で気になる記事があった。
その1 大阪市の「カラ残業」封じ
この話を、経済面や週刊誌などの広告で出ている
「サービス残業問題」
と同時に考えてみるとどうなるであろうか?片方では、仕事がなく暇をもてあましている人間に、残業手当を払っている。一方、一生懸命働いているのに、手当てを払ってもらえない人がいる。このアンバランスの原因は何か?一つは、予算の発想問題である。公務員にコスト意識が弱いと言うのは前から言われている。
「営利企業ならば人権費抑制に敏感になるが、
公務員は一度取った予算を使い切ることに情熱を傾ける。」
とよく言われている。
もう一歩突っ込むと、仕事の負荷問題である。
「公務員は暇なのか?」
これに対しては、一部の高級官僚予備軍が夜遅くまで必死に働いているのは、霞ヶ関などでも有名である。もっとも、キャリア公務員のサービス残業と言う話は聞いたことがないが・・・
しかし、一般の公務員に対し”暇”と言うイメージがあるのは事実である。実際、これだけの人材を有効活用できないと言うことは、少子化の時代でありこれから重要問題と思う。一つ言っておきたいのは、公務員などの高級官僚は、天下国家の向きを論じるのも重要だが、自分の属している組織の、運用の細部にも気を使って欲しい。一般の公務員が暇なのは、彼らの罪でなく、仕事を考えない・指示しない上司の問題があるのではないか?
その2 神戸高速鉄道の社長給与問題
神戸市から天下りした、神戸高速鉄道の社長の給与が高すぎると言う記事を見た。更に、神戸市の内規では、
「社長に長く居座らないように、待遇を良くしないようになっている。」
と言うことらしい。
しかしこれは何かおかしい。社長の給与は、”仕事”に対して払うべきである。社長としてしかるべき仕事をさせるための給与であり、追い出す手段ではない。
居心地を悪くして追い出される立場の社長が、社員のことを考えてくれるか?
上の話とも関連するが、高給取りの仕事には、部下が気持ちよく働く様に考えることも重要である。
| 固定リンク
本日のテレビ、がっちりマンデーで、景気動向の話をしていた。
これで、景気に関する色々な指標が出ていたので、納得できそうな話について少し突っ込んでみたい。
「相撲の検証が増えると景気が上向き」
これは、宣伝費の増加と言うことで、納得しやすい。別の言い方では
「ポケットティッシュを多く貰えると景気が上向き」
と言うのもあった。こちらは、見えているものに、”ナゼ”を考え納得すると言う発想である。
また、正月の某社の大型テレビ時代劇に、戦国時代の出世物語を取り上げると、景気が上向くと言う。この理由は、好景気の時には、他人の出世に好感を持って、見る人が多くなるとの説である。
一方、考え方を変えて、アメリカの新築住宅の情況を見るという話もある。これは、広く物事を見るという発想である。
結局、「深く・広く考えると、目に入っている情報が生きてくる」と言うことになる。
但し、2極化した現状では、上の話が本当に成立するか、もう一歩吟味が必要である。
| 固定リンク
先日テレビを視聴していて思ったが、戦後の政治家で立派と言われる人にとっては、課題が明確であった。米国からの独立、経済成長、中国との国交回復など・・
ところで、現在は一点に絞って議論することが難しくなっている。しかも方向も曖昧である。
このような状況では政治家も、苦しいようである。しかしそのような状況で、課題発見の人材を、若手の要求するのは、無理な願いにならないだろうか?
国の構造、文化的なものが根底に絡んでいる様に思う。キリスト教を拒否し、技術成果のみ取り入れてきたこの国には、自前の哲学で判断するのが難しいかもしれない。
少年法の根源は
「第2次大戦後の、浮浪児の対策にあった。」
とあるテレビ番組で放送していた。これを聞いて、
「将来のある子供の犯罪は、出直しが可能なように、匿名報道すべし。」
と言う意見に納得できた。
やはり法律は、できた時代の背景を背負っている。しかし、その背景が変化した時に、修正できないのも困ったものである。
この前の、山口の事件でも、
「指名手配の記事を匿名で報道する。」
と言う、変な話になっていた。何かおかしくなっているように感じる。
現在大学進学率が非常に高くなっている。このため、職人の世界にも大学卒業生が進出している。これは、非常に危険な状況であると思う。
理由は、職人の育成はできる限り若い時から行うべきであり、モノの感覚等は長い時間で身につくものであるからである。そういう意味では、親から世襲で子供のころから、親の世界に触れていた人が、教養を広めるための大学進学などは良いと思うが、大学卒業して始めて職人の世界に入るのは、感覚が追従できるか不安に思う。
日本のモノ造りがこのような面でも、危なくなるのではと心配である。
| 固定リンク
またもや、痴漢をした某大学の有名客員教授がいる。前の一件でも本人は冤罪を述べているらしいが、今回は現行犯逮捕と言うことで、まず間違いはなかろう。
このような痴漢常習者には、カウンセリング両方が有効らしい。
さて話は変わるが、彼の所属している大学のキャンパスブログを覗いてみると、カウンセリングと言う項目もあった。このような、項目が表題だけでなく実行が伴うようにして欲しいものである。
直さなくても、危ないと言う危険予知はできなかったのであろうか?
実用的を目指す大学では、このような突込みにも耐えて欲しい。
| 固定リンク
テレビなどで、一流大学の理工系出身者が、オーム真理教の信者になったことを、驚きのトーンで取り上げている。しかし、これは当然の結果と思う。社会学部などの学生が信者になったと言うと、一寸困ったものだと思うが、医及び理工系の学部の学生が、信者になる可能性は高い。
この理由の一つは、理系で重視されている、デカルト的思考法にある。デカルトは、当時の主観的・宗教的な哲学及び世界観を打破するために、直観で確認できる前提と、確実な演繹で推理、そしてそれで全ての確認と言う段階で思考することで、真理を認識できると教えている。特に、途中の推論段階での厳密性を重視している。またこのような推論を行うのは、比較的小さな抽象的・理想的なモデル上で議論を進めることが多い。
ところで、宗教の業などを行うと、ある種の神秘体験を感じることは、よくあることである。一方、今までの教育は、宗教的な体験は、合理主義と言うことで全て否定か触れられないで通ってきた。その結果、免疫なしにいきなり神秘体験をすると、強烈な直観になり、そこから論理的に見える説明を受ければ、ころりと受け入れてします。
一方、社会学の世界などでは、本質的な多様な見方があり、唯一絶対の真理などを簡単に信じない。流石は、ヴィーコの子孫である。
| 固定リンク
今のこの国では、大学は入ってしまえば、勉強しない。
国会議員になれば、それで目的達成と考える。云々・・・
このような状況はいろいろな所で発生している。この原因の一つには、この国の制度の基本に、個人の機能を見ずに、所属組織名のみを見ていることがある。
これは、学校制度を批判している会社人にも多く事例がある。
1.下請け業者に、会社の権威で無理やり指示する。
2.XX長だからと部下に命令する
これらに、きちんとした技術的観点での優位や、指示を受ける者より広い視野での合理性があればよい。しかし、現実には自分の考えがあまり良くないのに、地位や会社の名前を笠に着て、怒鳴っているだけのお粗末な話が少なくない。
これが、納得できない”下請け業者”や”部下”の問題も確かにある。しかしその前に、指示する側から直さないといけないと思う。
近頃、竹中大臣の議員辞職問題がニュースを賑わしている。
その裏側で、次の参議院議員選挙に、日本ハムの新庄選手を担ぐと言う話が出ている。一寸権威主義の石頭で考えると、経済の権威の大学教授とプロ野球選手を一緒にするとはけしからんとお叱りをこうむるかもしれない。
しかし考え方を変えると、これはある意味で自民党の考え方の、大きな変換の象徴かもしれない。
竹中教授ー>自分がよく知っている。皆を指導する。
新庄選手ー>とにかくファンにサービスする。
この図式では、小泉指揮の考えから、国民意見を聞く政治をしたいと言う意思表示かもしれない。
でも、もう一度見直すと、前回の衆議院選挙にも、某容疑者を担いだ自民党にそんな識別力があるのであろうか?
もう一言言えば、プロ野球選手から国会議員なった方や今回の新庄選手は、球界の中で
「人間性はともかく、知能は最高級」
の、野村監督の考えについていけなかったように感じる。国会議員には余り知能を要求していないのであろうか?
日清日露の戦争に関して、少し書いた。ここでもう一つ考え方で注意したい点を述べる。 『坂の上の雲』だけでなく、各種映画を見たり、戦記物を読んでいる時は、どちらかと言うとテンポよく状況が進んでいるように感じる。
しかし実際は、結構時間を費やす準備作業がある。例えば、日清戦争の時、清国の主力艦は30センチの巨砲を持っていた。日本の軍艦には、3隻にそれぞれ一つだけ設置したが、実際は使い物にならず、小口径の速射砲で戦ったと言う記録がある。
ところで、清国の30センチ砲も1時間に2~3発しか発砲できなかったという話を聞いた。しかも、30センチ砲の1発命中でも沈まない。こういう状況ならば、分単位で発射できる速射砲のほうが頼りになるのは納得いく。
また、第2次大戦でも航空母艦同士の決戦の場合300km離れているとしたら、巡航速度で進む飛行機は往復で、2~3時間は確実に必要である。しかも準備作業などを考えると、1日に1回か2回の攻撃がやっとであろう。
このような準備作業など加えた数値で、できるできないを冷静に考えないと、机上の空論になる。現在の経営論などでも同じであろう。
現在、飲酒運転の被害者が多く出て、社会問題になっている。
しかし、この問題をもう少し突っ込むと、二つの側面がある。
1つは飲酒の害である。本日の朝刊にも某大学の教授『酔っ払って』痴漢をして、逮捕されている。これ以外にも、某市の公務員が酔っ払って暴れたりしている。このような、『酒の上で憶えていない』と言う言い訳を通している世の中の問題かもしれない。
2つは、無謀運転の話である。私の知り合いの身内に、
『交差点で携帯電話を見ながら突っ込んできた自転車』
に当たられて、頭を打って死んだ人がいる。このような人たちにも、厳罰で対応してもらいたい。
とにかく現在は、このような事故では人の命が軽すぎるように感じる。最も加害者の人権は、十分に保護されるであろう。弁護士のお得意の手段である
『加害者は正常な判断ができなかった』
と言う弁護を使うと、酔っ払い等は、ほとんど罪にならなくなりそうである。
あるテレビ番組で、『公僕』と言う言葉がいまや死語となったと言う意見があった。このように感じる原因には色々のものがあるとは思う。しかし一番大きいのは、公務員の変なエリート意識ではなかろうか。特に、現在の学校制度が付ける試験序列の影響が大きいと思う。
昔と違い現在の学校社会は、スポーツの一部等を除き、ほぼ試験成績で一本の評価となっている。その試験成績優秀者が、難関の公務員試験を受け、キャリア官僚になる。この時、挫折や他の社会を見ない純粋培養の人間が多くなる。
このような純粋培養官僚の知識だけで動かす世界と言うのは、一寸怖いような感じもする。
| 固定リンク
現在は物騒な世の中である。最悪の場合は、自分の身を守ることを考える必要がある。ところで、現在のスポーツ化した武道では、本当に身を守れるのであろうか?特にルールの弱点が護身には不適切と言う感じることも多い。
例えば、柔道では寝技で一本をとられないために、背中を丸めて亀と言う姿勢をとる。しかし、害意を抱く相手なら、押さえるふりをして、膝・肘などで腎臓等を背中から打ち据えれば、大被害になる。
このようなスポーツの1本と、戦闘力を完全に奪うと言うことは異なっている。護身術の場合は、相手の戦闘力を完全に奪うか、少なくとも追いかけられないようにすべきである。
合気道などでは、投げても受身を取られれば、被害が少ないので、その後固め業で動きを制するか、当身で決めることを教えている。この方がまだ護身には適している。
なお、薬物などの影響下にある人間は、痛みに関するショックが少ないので、たとえ腕一本折ったとしても、まだ向かってくる可能性がある。完全意戦闘力を失わせるまで、気を抜いてはいけない。一本で終わるスポーツと、命のやり取りをする武術の違いである。
昔からよく言われた言葉に、
「犬が人を噛んでもニュースにはならない。
人が犬を噛むとニュースになる。」
と言う話がある。これは少数の特異例を重視すると言う発想である。この結果従来のマスコミでは、少数意見重視に傾いた向きもある。一方、これを見る側にも、特異例を一般化した向きもあった。例えば、ベンチャー企業の社長皆が、贅沢三昧をしているわけではない。
このような状況を改善するには、多様な面から情報を収集し、定量的に処理するのも一つの方法である。上記では、
「ベンチャー企業の何%の社長が豪遊し、何%がつとましやかな生活を送り・・・」
である。
インターネットの社会では、多様な発信がこのような情報を掴みやすくしている。そういう意味で、大衆意見が少し強くなったように思う。
| 固定リンク
滋賀県の新幹線新駅騒動など見て、ふと思いついたが、この国では税金と言うものは無限にあると皆思っているのだろうか?今回の滋賀県の負担金額を考えたとき、少なくとも琵琶湖の西側や、米原より北側の地域の住民が賛成するとはとても思えない。
このような、税金負担を無限に使えると考えるのは、ねずみ講にはまるのと同じ様に感じる。
なお従来の税金負担を甘く見るのは、次のような発想があるのではないか?
1.従来の高度成長の延長で、債券を発行して借金しても、
インフレで返済負担が減る。
2.マルクス主義的発想で、労働者より搾取し
不当に儲けている大企業から搾り取れ。
まず上記1に関しては、今後インフレが起こる可能性はないとはいえないが、まずそのような経済政策は難しい。現状では、価格破壊でデフレにもなりかねない。
次に2に関しては、企業を絞れば税金が取れると言う発想にも、限界が来ている。企業も利益を生み出すためには、合理化を重ねており不当な税金に対しては、反発を買い別の地域に逃げ出しかねない。これは高額所得者の国外脱出も引き起こしている。彼らには批判もあるが、今の高額所得者に対する、ワイドショー的ねたみ報道に耐えかねて、逃げ出すと言うのも解らないことではない。
と言うことで、税金は有限で、有効に使う必要がある。要求することは税金を使うことである。
こういう当たり前のことを、全市民が身をもって知るべきではなかろうか。
| 固定リンク
テレビで見たが、生鮮魚類を日本国内の主要地域に運ぶ手段が実用化しているらしい。
これは、一面ではすばらしい進歩と言える。そして、各地での美味しい食物のバリエーションが広がる。組み合わせの自由度も広がるので、新しい名物料理も出来るであろう。
しかし、従来の各地で採りたてを食べると言う、名物料理の希少性がなくなるのは寂しい。新幹線で、宿泊設備をつぶしたうえ食物の希少性まで壊されると、観光事業で打撃が大きいように思う。関空と伊丹のように、新しいものを出したときに、既存のものとの共存や、転換をうまく出来ないのがこの国の政治ではないか。少し心配である。
でも、見方を変えれば、この国は色々な食材を上手に取り入れ自分のモノとしてきた。このような柔軟性は、仏教伝来依頼1500年程度の伝統がある。今の政治体制が、一寸不適合をしているだけかもしれない。
現在の好景気について、テレビで興味深い話が2つあったので、忘れないうちに記録しておく。
1.現在景気が良いと言うが、従来の好景気は従来と異なる。
従来は全階層から好景気の影響で雇用や給与の向上があった。
今回は、ある程度以下の階層では、雇用や給与が止まり2分化している。
2.上記の原因として、従来は東西対決の世界で、下手に共産革命を
起こさせないため、すべての階層まで給与を適度にばら撒いていた。
現在は、バラまきがなくなった状態である。
小泉改革の発想としては納得できる。
少し古い話になるが、ボクシングの判定に関して、色々と疑惑がもたれている。
これに関連して、面白い意見を見た。
現在の、ボクシングの国際ルールは、当時多くの植民地を支配していた、イギリス人達が『自分達が強いと示しやすいように』、ルールを作った。
確かに、タイ式ボクシングを見た後、国際ルールを見ると何となく作為を感じる。
欧米人はルールを作るのが上手と言う話に、この話を関連付けて考えてしまった。
前にも書いた、インターネット社会は匿名の無責任さの欠点を持っている。しかし、逆にインターネットの上でこそ出てくる本音もある。従来一般人が意見を言う場面は限られていた。しかもそのためには、ある程度の能力が必要であった。
例えば、新聞の投稿欄等で取り上げられる文章は、その新聞社の選別基準に合わないといけない。文章の上手下手もある。
しかし、現在は個人で色々情報が発信できる。個別には偏りがあるかもしれないが、多数になるものにはそれなりの理由が見つかる。
特に商品と広告に関しては、ウエブ社会の木目細かさが、新しい動きを引き出すと思う。
特定の狭いファンでも、全世界を相手になれば商売になる可能性が出てきた。一方、顧客を裏切れば、手ひどい仕返しを受ける。そういう意味では、ネット社会の良い面も見えてくる。
| 固定リンク
インターネットの世界を見ていて思うが、ある意味でプロと言うものの権威が成立しにくい世界だ。誰でも情報を発信できる。私のような者の意見を見ていただけるのもその一つである。
もちろん、大学やしかるべき研究機関の署名入りの発表は、ある種の権威を持っている。しかし多様な意見をブログや各種掲示板で発表する機会は多くなっている。
特に相手に対する攻撃を、匿名で行える可能性がある。これはある意味ゲリラ戦のようなものである。相手が特定できれば、反論ができるが掲示板などの一方的な書き込みには、反論が難しい。
しかし、これで今まで抑圧されていた意見が世に出る可能性もある。個性が生きる可能性をチャンスとしてとらえることもできる。
| 固定リンク
今朝の報道2001で面白い意見があった。
「アメリカは直ぐに物忘れをする国」
と言うことである。確かに大統領が換わると、前の時の約束が通るかどうかは難しい面がある。国民性としても、大統領を挿げ替えて、色々と方針を変えるのが、
「転がる石に苔は生じない。」
国の発想らしい。
これと関連して、戦前の統帥権に関しての意見があった。
「軍人は国のために死ななければならないこともある。その時、
俗世界の状況ですげ変わる首相などの命令で死ぬのは、
首相が変化すれば空しくなる。」
従って、国のためと言うことで、天皇に直属した。
なお、これと同様の議論で、大学の自治権を主張し、東大総長の給与は首相より高かったらしい。
首相が変わることに関して一理はある意見だと思った。
| 固定リンク
靖国問題で、日本とドイツの終戦処理について、
「ドイツはヒトラーに全てを負わせたが、日本は曖昧にした。」
という議論がある。
これを日本の意思決定の形と絡めると、少し見えてくる。良く経営論などで出てくるのは、外国人が日本人と取引すると、意思決定者が見えないと言うことである。経営の提携などをする場合、何人もの人間が入れ替わり立ち代り出て、同じような質問をする。つまり意思決定が、集中していないのである。
ただし、ドラッカーやゴーンが褒めているが、日本の場合決定したことは、皆が実行する。欧米や中国では、意思決定者の決定を、実行に移す段階で、かなりのトラブルが生じる。
この原因を考えてみると、明治維新後の日本の指導者の選び方に、一つの答えが見えてくる。明治維新時の指導者は、指導者として生まれたのではなく、何らかの機会に松下村塾などで教育を受け、その後特定分野の専門家になたものが多い。またその後も、秋山兄弟のように適宜海外教育を受けた、特定分野の権威が生まれている。
このような世界では、トップに立ち決断することを使命とする育ちの人間と言うのは、生まれにくいように感じる。平等な皆で考えると言う方式になる。中国は、儒教の階層で、上の指示に従うことを、道徳的に教えている。もっとも下には対策があるが、これは別の話である。
これを考えると、特定の人間に責任を負わせると言う発想は、日本の場合には難しいものがある。リーダーシップに関しても、欧米理論の翻訳導入では難しい。
| 固定リンク
下で、流風さんから、東電と関電の電力系統に関するコメントを頂いた。これについては、詳細でないが概略的に考えていることがあるので補足しておく。
まず流風さんの指摘の、電力系統の違いであるが、一言で言うと、関電の方が分離性がよく、障害箇所を局所化できるということである。東電のシステムは、ネットワークが回り込み、複雑なルートで電力を送れるが、障害が波及する範囲が広くなる。
この違いは、地域としての特性が絡んでいると考える。関東圏は、何と言っても首都圏、特に千代田区など特定部位の重要度が、極度に大である。従って、この重点部位に供給する電源は、二重三重の多様なルートでの供給になる。
一方、関西圏ではどこが中心であろうか?
「大阪のために、ゆずる」
等と言う台詞を、京都府知事や兵庫県知事が言った話を、聞いた覚えがない。プライドの高い古都である京都、今一寸さえないが商都大阪・・・この序列を誰が付けられるか?
このような、地域を相手にする関電の場合は、個別に供給路を別け、お互いのトラブルが波及しないのが、安全であろう。そう言えば、滋賀県では既存の米原だけでは足りずに、新しい新幹線駅を作ると言っていたり。その一方で、米原駅前の再開発計画にJR貨物さんを担いだりしている。東京駅に、中央線や東北新幹線を引き込んだ、1極集中の東京にも良い所があるかもしれない。但し、東京の地下鉄よりは、大阪の地下鉄の方が、直角平行でわかりやすい。
なお、阪神大震災時の関電の系統制御は、やはり名人芸であったと思う。姫路の西から大量に大阪に向かう電力が、阪神地区という経路を失ってしまう。電力は溜めるのが難しいが、緊急で揚水発電などを動かし少しでも吸収するとともに、迂回路を設定して東に流していく。これを、全系統ダウンになるまでの、短い許容時間でやってのけたのは、ベテランの操作員の功績と推察する。
但し、今回の東電の場合は、震災時ほどの切迫感がなかったため、一つ一つの操作に関して、安全性のシミュレーション等での確認後に実行と言う、マニュアルどおりの操作で時間を食ったと思う。平常時では、決断即実行と言うわけには行かないのではないか。
昨日の記事に関連して、少し補足しておく。まずテレビで見たが、電源復旧時に配電盤が焼けると言う二次災害は、少しはあったようである。非常用の自家発電装置を動かしたまま、電力会社からの電気が復旧したためとの説明があった。
しかしこれは、なんとも納得いかない。非常用の発電装置は、電力会社からの商用電源と、自家発電からの電力の切り替えに関しては、安全確保の試験が充分されるべきであり、その後の定期点検でも確認されるべき事項である。そもそもの設置条件がどうなっていたか?その後の点検はどうなっていたか、気になる部分である。
もう一つ言えば、今回の事故の発端であるクレーン船の操作が、まったく感性がない操作である。そもそもクレーンを操作する場合は、周囲に充分気を使うのが基本である。上に不注意と言うことは許されない。
今回の話はどちらも、安全の基本の感性がなくなった仕事と言う点で、プール事故など全てに共通の問題である。
| 固定リンク
本日の首都圏停電が一応復旧したらしい。お盆休みで企業の休みが多く、消費電力が少ない。しかも朝7時台と言う時間で冷房のピークでなかったのが、まだ被害を軽くしたと思う。
今回の原因は、送電線に船のクレーンが接触したためと聞く。これは、数年前に自衛隊のジェット機が突っ込んできたのや、四国電力で発電所の近くの送電鉄塔を倒されたのと、本質的には同じ問題である。現在のように、空中を送電線で電力を送っているかぎりは、残念ながらこの弱点は残っている。
電力供給の信頼性確保のため、通常送電線を二重化すると言う対策を取るが、物理的配置は、同じ鉄塔の左右に3本ずつ電線を並べる形式になる。つまり、三相交流の2回線である。余談であるが数年前に上海に行ったら、片側の3本線だけで送電しているのを見た。
昔から、電線に蛇が巻きついたことで、地絡・短絡などした場合等には、この二重化が威力を発揮する。また、設備の保守点検時にも、片系ごとに行うので、その意味でも信頼性は高くなる。しかし、電力を運ぶために、今のような架空送電線を使う限りは、鉄塔を分離するまでの対策は実際上無理であろう。根本的な対策は、送電線を地中化することであるが、これもケーブルの特性など難しい問題がある。一番思い切った解決は、直流送電にして地中ケーブルで送ることであろう。
しかし、今回の東電さんの復旧は、それなりのスピードで行ったと思う。確かに、阪神大震災時の関電の操作員達が、今回とは比べ物にならない系統損傷に対応し、緊急に迂回路を設定し全系統ダウンを避けた”神業”と比べれば、不満があるかもしれない。しかし、阪神大震災時は、それしかないと言う状況での操作であり、例え失敗しても誰も責めることはできない作業であった。今回は、過負荷や電力過剰の発生で、波及的停電を許されないため、一つ一つ確認しながらの作業であったろう。これを考えれば、今回の復旧時間は、充分速かったと思う。
唯一つの難を言うならば、情報公開のスピードである。たぶん制御の現場では、どの送電線が最初におかしくなったと言う情報までは、7時台には掴んでいたはずである。そこまで原因を掴んでいながら、復旧作業に当たっていると言う、情報を速やかに流して欲しかった。それがなかったので、テレビの一部で、
「サイバーテロにより、停電させられた」
と言う発言も出たし、私も
「東電さんが事故発生後1時間たっても原因を発表しないのは、
情報系等に被害が出たのか」
と疑ってしまった。
そういう意味で、経済産業省からお叱りを受けたのは、しかたないかもしれない。公共的事業では、大衆に安心感を与えることも重要と思った。
自衛隊がイラクから無事撤収した。めでたいことである。
今回の派遣に関しては色々な意見があるが、私は、今回の任務は自衛隊でなければできないと考えている。しかも、今後のイラクで日本のODAが進む切り口になった考える。
今回の任務が、自衛隊である必然性は、
「武器によるテロ攻撃による、命の危険に
冷静に対応できる覚悟がある、
組織は自衛隊しかない。」
にある。
今後は、更に規模の大きいODAが成立し、サマワの人たちの生活向上に、役立つように祈念している。
近頃また靖国問題が騒がしくなっている。これは軽々しく取り上げるべき問題ではないが、前から気になっていることがある。つまり
「A級戦犯の人々は、本当に自分に罪があると、思っているのか?」
という観点である。
よくある時代劇のパターンに以下の形がある。
「某大名の領地で密貿易などのご禁制を行われている。
これを内偵する、公儀隠密やお忍びの大物が探ると、藩ぐるみらしい。
そこで動かぬ証拠を押さえると、そこに出てきた忠義な家老が、
白装束(=死装束)で出現し、
『これは藩主には関係なく、私が私利私欲で行った』
と言い残して、腹を切る。そこで探っていた者達が解ったとうなずく。」
靖国問題の報道と、この時代劇を見た海外の人間はどう思うであろうか?このような雰囲気で、戦争指導者の罪について、曖昧になってくるのではなかろうか。
なお、私は太平洋戦争での日本人の多くの死者を出した責任は、軍部指導者にあり、特に以下の方々の罪は重いと考えている。
1.東条英機・・・・・・陸軍指導者として、また首相として
2.山本五十六・・・・ミッドウエー海戦の責任隠蔽と、以後の誤情報流布の口火
昭和天皇を欺いた罪だけでも、彼らを軍法会議で裁き、その後で
”祟らないように靖国神社に祭る”
これなら、海外から口出しされる筋はなくなると思う。
現在の、靖国問題には、東京裁判の否定も絡んでいるので、海外の敵も多くなっている。
少なくとも、A級戦犯の一部は、正式に日本でも有罪判定をした上で、
『神社の祭りは別』
というべきではなかろうか?
本日の題名のない音楽会21はとても面白かった。特に説明を聞いて納得してしまったのが、
不安定→安定→不安定→安定→・・・・
の繰り返しで、表現を拡げていくと言う構造である。
これは学問や仕事でも同じことだと思う。
無理して背伸びした緊張感ある不安定→安定させて定着→・・・
と繰り返して成長していく。
しかし、ラヴェルの考えは、解りやすい。これは、彼がフランスで活躍したと言うことと、関連しているのではなかろうか。フランス人は、哲学で話をまとめるのが上手である。従って議論できる構造を自然と考えるのが上手である。但し、現実につくった時には洗練されており、ドイツ式の堅苦しさはない。一方情熱のイタリアでは、感情が主体で筆舌に尽くしにくいように思う。
テレビなどの各地の案内では、日本3大大仏等がよく出てくる。しかし、奈良の大仏は、鎌倉の大仏・・・その後が、大抵ご当地ものになる。
大体、3大XX の時には、1,2ぐらいは定評があっても、3番目ぐらいは、ご当地で適当に言っているように思う。
なぜか、他の1,2を持ってこないといけないのが、自己主張だけではやっていけない日本風らしい。
| 固定リンク
今朝のテレビで、フリーターを働かせるために、時間を守るなどのサービスをする会社の話をしていた。そのために、モーニングコールを行う。
ここまでしないと時間を守れない。
と言うことは、自立性を期待できないのではないか?しかし現在の仕事は、定型業務から応用的業務に移ることが多い。これでは、フリーターから次の段階に進むのは難しいのではなかろうか?
近頃、脳開発のブームになっている。この一つは、高齢化社会に対する、ボケ対策で恐怖の問題がある。
しかし別の内容は、東大ブームとおなじく、お父さん達の
『自分は、訓練が悪かったので損した論』
があるように思う。
何か格差を認めない、みんな平等論の変形のように思う。
これで、できない人間には非常に怖い議論が起こりそう。
成果が出ないのはお前が悪い。
本日の朝の、『がっちりマンデー』で、『各社のトップ社員』を取り上げていた。彼らに共通するのは、他の人間が気の付かない、微妙な違いにこだわる点である。いや違いの存在に、気が付くことが成功の条件かもしれない。
例えば、タクシードライバーがサービスの水を出す場合にも、お客様の状況により水の種類を変えている。ヨーロッパのお客様と言っても、単なる硬水のミネラルウォーターがよいというものではない。銘柄により硬度が異なる。そこに対応するのが、サービスと言われて納得した。
しかし一流の人材は、
『車を売るのではなく私個人を売る』
『大きな幅で知り尽くす』
という発想で、幅広く総合的な人格まで含めた努力があることも忘れてはならない。
広い目を持ち、細かく心を配る、これが成功の条件かもしれない。
あるテレビ番組で、東大受験のハウツー本等が多く売れる理由を、説明していた。その理由は、お父さん達が、
「我々は、このようなノウハウを知らなかったので、東大に行けず損をした。」
という愚痴をこぼす材料としているらしい。
つまり東大に入ったのは、要領の良い人たちで、資質的には自分と変わらないと、言いたいらしい。
確かに、大学受験でテクニックの占める要素は少なくないが、それだけではないと思う。
それだけの努力があったと思う。そういう努力に対する敬意が、少なくなったと思う。
AERAを見ていたら、
「シルバー人材センターが仕事の相場を破壊し、
既存業者が困っている。」
という記事があった。特にひどいのは、入札に参加することもあるという話である。
確かに補助金を貰った事業者が、安いコストで入札に参加するのは、不公正の感じがする。但し、今までのこの国の国策発注は色々な分野で、行われていた。そういう意味では補助金行政が普及していた。
また見方を変えれば、利用者側の立場で、このコストと言う評価をした、指値で発注できないのがおかしい。日本の行政は、生産者保護しかしていないと言うのは、堺屋太一氏の意見であるが、納得する面もある。
このような利用者が決める指値と言う発想は、トヨタなど強い会社では行われている。
私の経験で、ある地区に行ったら、駅前にタクシーが1台しかなかった。話を聞くと、NPOで老人の通院などを送り迎えしているので、タクシーの仕事がなくなり、どんどん廃業していったと言うことである。
もう少し地域経済を考えると、外部から来てお金を落とす人間は、NPOの車より、タクシーを使うに決まっている。税収も考えれば、変にNPOを使うより、タクシー利用者への補助金を考えるべきではなかろうか。
本日のNHK教育テレビのサイエンスZEROで、医療の進歩を取り上げていた。特に、触覚まで対応しているシミュレータには感激した。医師の卵たちにはぜひこれで、訓練して欲しい。
私がこれを言うには、身をもって経験した笑えない話があるからである。あるとき私は、腹の具合が悪くなり、会社の診療所に行きました。そこに居たのが、某大学の医学部のインターン先生でした。いやな予感がしたので、急激に腹具合が良くなって、戻ろうとしたのですが、暇そうにしていた先生と目が合ってしまって、
「まあ入りなさい。」
ということになりました。そこで、腹の調子がと言うと、ベッドに寝るように指示されました。
ますます、いやな予感がしたが、一方で問診だけで適当な薬を出す、名医(迷っていないのでこの字でOK?)よりは良いと横になったのが、喜劇の始まり。
先生は、教科書に書いている、腸のあるところを押して、痛むかどうかチェックしているつもりらしい。しかし、こちらの感触では、そこに目的の内臓はなさそう。それでも、まじめにやっている先生に、協力しないといけないから、時々腸に当たった時には、
「そこ感じます」
と答えてあげました。先生は女医さんだったので、男と女がベッドの上で、触って「感じる、感じない」と言う一幕です。本当に疲れた診療でした。
しかしもっと凄い先生も居て、
「お前の内臓の位置は、教科書と違っている。すぐに精密検査を受けろ。」
という話も、聞いています。
こう言う先生に、色々なパターンの内臓シミュレータを経験して欲しいものです。
明石の事故に関して、遺族の再三の意思も空しく、起訴は行われなかった。これは、起訴の成功率で評価する、検察体制の問題と言う意見もある。考えてみると、保険金の収集比率を上げるために、勝手に免除したり、検挙率を上げるために、訴えを無視したりする話と似たように感じるかもしれない。
確かに不起訴と言うのは妙な話で、裁判で公開の議論で、有罪無罪にするのではないから、いつまでも遺族の不満が残るのも納得する。裁判所の前に、検察が裁いてよいのかと言う議論である。
しかし、見方を変えれば、負けると決まった裁判をするのは、税金の無駄遣いという言い方もできるかもしれない。結構、日本の刑法で有罪にするのは難しいだろう。疑わしきは被告人の有利と言う原則がある。
そなると、結局民事裁判で、責任を追求するしかないのかもしれない。アメリカ流の高額賠償は、一つの仇討ち的要素や、見せしめによる再発防止効果がる。そんな世界が来るかもしれない。大分怖くなってきた。
本日のテレビで、マスコミの役割に関して、考えさせられるものがあった。
一つは、日銀総裁に関する意見である。
「日銀総裁としての業務・功績と今後代わりの人間の資質を評価し、日本の国益で彼を止めさせるかどうか議論すべきである。」
また、裁判官に関する意見である。
「国会議員が、何をしたと言う話は、マスコミが色々報道するが、裁判官がどの判決で、どう判断したと言うテレビの取り上げは非常に少ない。これでは、最高裁判事の国民審判も意味が薄くなる。」
どちらも、重要な仕事をしている人の、仕事自体をとらえて報道していない、今のマスコミの欠点を示しているように思う。
そういえば、「国会議員になったら料亭に行きたい」、「財務省の官僚になったら、銀行の接待を受け、XXしゃぶしゃぶを食べたい」というような話も聞いたことがある。あるいは「会社幹部は何を、しているのか?」という社員の話も聞いたことがある。
マスコミや教育だけの責任とは言わないが、エリート官僚や経営者は”権力に胡坐をかき、搾取や部下や下請けへ丸投げしている”と言う、マルクス主義的観点での話が多すぎるように思う。
もっとも、経営者軽視に関しては、ノンキャリアの実務屋レベルからの反発も大きいのかもしれない。昔の海軍でも、下士官から上った特務士官の兵学校でのエリート士官に対する、内心での軽蔑はひどかったように感じる。特に参謀達への反発が大きい。
逆に言えば、トップの判断で大きくよくなったと言う話が少ないのかもしれない。特に中級管理職の貢献が、見えていないように感じる。参謀も一つの黒子であるから、成果が残らないのは宿命かもしれないが・・・
このような、各人のよいところを
”見える化”
することが、現在の改善に繋がるのではなかろうか?
| 固定リンク
昨日までの話と関連して、歴史の勉強に関して、目から鱗があった。
NHKの”その時歴史が動いた”で、薩英戦争を取り上げていた。http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#02
この内容では、英国公使の日本での行動が色々取り上げられていた。
特に、私が興味があったのは、”英国兵士による富士登山”である。これは当時の信仰の対象である、霊峰を汚す行為であり、当時の民衆が”攘夷”と叫んだことも、当然と思ってしまう。
このようなことは、少なくとも高校までの歴史の教科書では、取り上げられていない。そのような間隙を埋めていたのは、実は司馬遼太郎氏等の著作などであった。特に司馬遼太郎氏の作は調査が綿密で、しかも歴史教育にないものがあり、多くの人は司馬史観を真実と信じている節もある。
しかし、竜馬が行くを読んでも、英国軍人の富士登山の項目は私は見落としてしまった。これは信仰に対する問題で、ある人にとっては重要だが、ある人にとっては無視できる問題かもしれない。
しかし、司馬史観は個人のものであることを、忘れてはいけない。
なお、富士の山など当時の信仰を壊したのは、明治政府と福沢諭吉などの文化人であり、そういう意味では英国人のしたことなど小さいことであり、消えてしまったのかもしれない。
| 固定リンク
今の世の中の右傾化には、「右翼的・愛国的発言は簡単にできるから」という説があると聞いて、一面では納得してしまった。左翼の反体制には、それなりの理屈が必要と言うことである。
確かに、マルクス思想等を理解して、左翼は議論していたが、XXはけしからん、で右翼の議論はできると言う説もある。
本当の保守・右翼には、日本民族の伝統などに深い理解が必要であり、そのような活動家も多いと思う。しかし、保守派の行動と言え、本当に日本の神道を理解しているのかと疑問に思うことも多い。例えば、明治以降の国家神道で、古神道の良さがどれほど破壊されたか、考えてみたい。
これを考えると、右傾化と議論能力不足が、微妙にリンクしているような感じもする。
但し、知識人があまりにも左翼化して、マルクス主義教育が普及しすぎた、反動かもしれない。どうもこの国の文化は、極端から極端に触れるような気がする。戦国時代から、生類憐みの令まで振れた後には、幕末明治の武力闘争の時代があったが、今度は収まる所に収まって欲しいものである。
でも、本当に今までの左翼も、みんな勉強していたのかしら?例えば、憲法維持論者の中の全ての私大教授が
「憲法89条後段:公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、
便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、
教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、
又はその利用に供してはならない。」
を勉強しているとは、とても思えない。
そういう意味では、左翼の末端でも、単に
資本家の横暴!
とわめいているだけの人間も多かったように感じる。どちらも同じに見えてきた。
| 固定リンク
あるテレビ番組で、ワールドカップのまともな予想ができないと言う話をしていた。
つまり、本音バージョン
「今の日本チームでは、とても勝てませんよ。」
と言うことはできなくて、
「善戦するでしょう。勝機は有ります。・・・・」
等の表現をしないと、視聴率を気にする局の上部から、カットを食らうそうである。
その結果、景気のいいことを言う評論家しか、お座敷が掛からなくなる。
これどこかで聞いたような覚えがあるな。
まず日米開戦前に、勝算ありかと聞かれた、山本五十六発言。
「1年半程度は、暴れてみせる。」
その他、大本営発表の色々がある。
何か進歩していない国だなー。
世界遺産に登録されている和歌山県かつらぎ町上天野の丹生都比売(にうつひめ)神社境内にある樹齢約100年の杉の根元に穴が開けられ、中に除草剤がまかれていたことが14日、分かった。木は大部分が枯れており、回復させるのは難しいという。県警妙寺署は器物損壊事件として捜査し、文化財保護法違反の疑いもあるとみて調べている。
<毎日新聞のHPより>
この犯人の一つの仮説として、
”スギ花粉賞”の被害者達の反逆
というのは成立しないか?
そう言えば、PRESIDENTの7.3号に、スギの木を倒すNPOを作ると言う記事もあったし・・・
これが、単なる冗談になるように願っている。
そうでなくても和歌山の神社は、明治維新以来、合祀などでいじめられてきたのだから、これ以上自然と一体になった信仰を壊されたくない。
先般のNHK教育テレビのサイエンス番組で、マイクロバブルというものを取り上げていた。これは、通常の泡より小さいもので、長持ちする特徴があるらしい。
これの応用として、船の周りの水の間で抵抗を少なくして、燃費を良くする話があった。
このように、本体だけでなく周辺を考えることで、従来を越えることが多い。発想法の一つとして、枠を超えるのも重要なことである。
新聞で、高校野球指導者の体罰問題が、報じられている。
この話を聞くと、現在”本当の意味で”大人になりきっていない、人間が多いのだと思う。逆に、そういう人間を指導者に選ぶ、選択眼のなさが情けないと思う。
これを、もう一度考えると、選択ミスは色々な所で出ている。
絵画の賞を、盗作問題の人に出したり、会計監査の不適正など・・・
この国では、本当によいという評価ができにくいのではなかろうか?
逆に、哲学論がしっかりしすぐに評価するのも、少し怖い感じがする。
難しいものである。
| 固定リンク
昔、太秦の映画村を見学したことがあった。ちょうどテレビの収録をしていた。
そこで面白いことを発見した。
主役級の俳優の回りはずっと、緊張感がある。しかし、端役の通行人などは、本当の出番まで、のんびりしゃべっている。
一流は、緊張感が持続できることが、一つの条件である。
今朝の新聞で、社会保険庁の役人が、
「姉歯建築士の気持ちがわかる」
と言う記事があった。上位から数値ノルマだけ出して、締め付けるやり方は、同じだと言う言い分である。
しかし企業の発想で考えると、
「適度な権限のある管理職なんだから何とかしろ」
と言うことである。
これを整理すると経営の方法論として、適切な地位・権限・責任の分担が出来ていないと言うことである。
これは企業側でも、管理職人選が勘コツで行われ、権限・責任も少し曖昧になっているように感じる。MBAの数式で少しは見えるような感じもするが、まだまだ難しい問題がある。
下に問題解決を丸投げしているようなら、姉歯や社会保険庁問題は、またでそうである。
社会保険庁の年金不正免除であるが、とうとうこれが出た。
まえから、
| 内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 著者:城 繁幸 |
等で、
「成果主義の追求を厳しくしていると、自分の出来ることしかノルマにしない。」
と言う記事があったが、ついに
「自分が取り立て出来ないものは、全て免除」
と言う実行者が出てしまった。
もっとも、現在多かれ少なかれ、自分のしていることを正当化する向きは多い。考えようによっては、昔は少しの悪いことは、仕方ないとして許容する面もあったが、今は正しい/正しくないの0-1世界になっているような気がする。
『罪がないから石を投げる人間』
が多く居そうである。
なお、自己正当化の一例としては、下の漫画で主人公が、教室で立ち小便する場面を見て欲しい。
「ここがトイレです!」
イヤハヤ南友 [文庫版:コミックセット]永井豪 (著)
昨日の内容と関連するが、昔の武術では秘伝と極意を区別していた。秘伝と言うのは、文字通り秘密に伝えるものであり、特別な技(=秘技)であったり、本質を伝える言葉だったりするらしい。一方、極意技と言うのは、技の本質を伝えるものである。
ここで、極意技は公開になっているものが多い。しかしそれを実現出来るかどうかは、本人の体得によっている。極端に言えば、『その人が一番得意な技が極意技である。』と言うことも多い。また、初心者が最初に習う技や型が極意技を含んでいることも多い。極意に関しては、別途述べるので、ここでは秘技について述べる。
秘技にも大きく分けて2通りある。一つは、幻の技とも言うべきもので、特別な運動能力がないと実現できない技である。空手では、別の方向に跳ぶことで相手の予測しない方向から飛び蹴りを入れる三角跳びがあると聞く。しかしこれが現実に出来た人間はほとんど居ない。
もう一つは、知っている人間には比較的習得し易いが、予想していない人間には、不意を衝く効果がある技である。例えば柳生心眼流には、
「右手に持った小太刀を、体の後ろで左手に持ち替え、切りつけることで
相手の間合いを狂わす、左立ちの秘伝がある。」
と聞く。また多くの流派では、武士の作法では、右手での抜き打ちを封じるため
『座った時に右側に刀を置く』
ことを逆用して、左手での抜き打ちを秘技としているらしい。
このような、秘技は乱用を戒め口外禁止とし、武術なので
『使った場合は相手を殺す』
原則で秘密を守ってきた。実際、1回限りの命のやり取りならば、
『相手が予測せず、自分が一番得意な技』
を使う方が勝率が高いであろう。
しかし、スポーツとして何度も試合を行う状況では、基本的な技の完成度を上げるか、多様な技を持たないと、相手に手の内が読まれることになる。一般に、一つの技の完成度を上げても、相手が対策を練ることが多いので、複数の業に頼ることが多くなる。
柔術を柔道にした時、危険な業を禁じて、乱取りを採用したことで技が多様化し、修練が深くなったのは事実かもしれない。しかし、一つの技に全てをかけた修練が出来にくくなった面もあると思う。そういう意味では、相対的訓練より絶対的な道を求める古流の稽古にも意味があると思う。
なお、インターネットの世界では、誰かが秘技について書くことが多く、知らない人間の不意をつく業の成功率が低くなる。これは、ある意味ではよいことだと思う。本質的な修練で差がつくのが、やはり正しいと思う。
| 固定リンク
企業の中間管理職は、上司の命令を上手に展開して実現する任務を持っている。そこで、2つの事例を考えてみたい。
まずその1は、前にも書いた八甲田山の事例である。これでは、一般的に成功例になっている、少数精鋭の突破も、上司の本意である『大部隊での雪中行軍』を達成していないので、本当の意味の成功ではない。
次に、第2次大戦中で日本が始めて敗北したミッドウエー海戦の事例がある。これに関しては、http://kurohune.hp.infoseek.co.jp/midway/midway.htm
等に色々書いてある。
| 日本海軍・太平洋戦史 Vol.1~真珠湾攻撃・ミッドウェイ海戦・ガダルカナル海戦~ 販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント |
等でも良いが、ここでも事前に図上演習を行っている。
しかしこの演習で、赤軍(アメリカ軍)から不意に攻撃されて、青軍(日本軍)の空母2隻沈没、一隻大破という結果になった。すると統監役の宇垣参謀長は「アメリカの命中弾は3分の1とする。」と鶴の一声で裁断した。
これは例によって、楽観的なお手盛り演習で、現実にこのような不意打ちが成立している。この結果、宇垣参謀長の暴論と一般では述べているが、彼はこの演習の後、
「命中率を1/3にする工夫をしろ」
と命令したと言う説がある。
これは例によって上司の無理難題かもしれないが、無理でも命令が出たら何とかするのが、中間管理職の宿命である。このような観点から、ミッドウェイ海戦はマネージメントのケーススタディとしてもっと考えても良さそうである。
昨日のテレビで見た、”天才ダヴィンチの謎と隠された暗号~”では、少し考えるものがあった。読んではいないが
| ダ・ヴィンチ・コード(上) 著者:ダン・ブラウン |
| ダ・ヴィンチ・コード(中) 著者:ダン・ブラウン |
等と関連しているらしい?
詳細は、さておき現在のキリスト教に関しては、本当にキリストが説いたものか?もう一度考え直す必要があると再認識した。この本等の主張はさておき、我々のキリスト教のイメージは、よくも悪しくも「ローマカソリック教会とそれに反発したプロテスタント」のイメージで、それより前の原始キリスト教の認識が薄かった。また、ギリシャ正教や異端とされた各宗派の認識も薄い。特に中世の異端裁判の歴史もうっすらとしか知らなかったが、各地の古来の信仰を押さえ込んだことは、充分想像できる。
このような観点で考えると、フランスなどはローマ帝国では、田舎であっただけに、その土地の信仰が押さえられ、色々な形で残ったことも充分考えられる。
もっとも、日本の仏教も充分お釈迦様の教えとは、別の進歩をしたかもしれない。法華経は、お釈迦様の時代に書かれたのでないことは、ほぼ確実と言われている。但し、霊的に直接教えを受けた可能性は否定しないが・・・
| ダ・ヴィンチ・コード(下) 著者:ダン・ブラウン |
本日の報道2001で、戦後政治の話が出ていた。色々な観点があり面白いが、一つこのブログで前に触れた内容があった。
それは、戦後の重大時期を指導した、吉田茂元首相の話である。
彼は、アメリカとの厳しい対決を通じて、戦後日本の進む道を決めた。善悪ともに彼の指導で現在の日本が決まった面は、大部分の人間が認めるであろう。
このような、軸が触れない人間と言うことは、彼が『戦前からの自由主義者』であったことで説明できる。
本来の自由主義者は、自分の信念を確保して、軸がぶれないようにしないと、すぐに流されてしまう。このような自由主義を支える信念が、今揺らいでいるように感じる。
今朝の報道200Xを見たら、東京都知事が出ていた。そこで、オリンピックの誘致に関して、福岡に対して、
「東京ほど設備が整っていない。」
と発言していた。これを聞いて地方の立場で、少し腹が立った。
東京オリンピックなどで、今まで東京に対するインフラ投資をした。先に充分投資を受け取ってから、他より設備があると言う論議はないのではないか。
今まで、地方へ補助金のばら撒きには、批判的な私であったが、先に充分投資を受けた大都市との比較で補助金と言う論法には、少し肯定すべきものがある。
勤め人は、上司の無理難題に対応する必要がある。そのような例として、例えば
|
八甲田山死の彷徨 著者:新田 次郎 |
単純にモデル化すると、2人の指揮官が日露戦争を前にして、雪中行軍の可能性を探る命令を受けた。指揮官Aは20名程度の少数精鋭の体制で使命を全うするが、Bは上位指揮官の介入を受け、200名以上の大きな部隊で遭難してしまうと言う話である。
ここで、B指揮官の立場でどうすべきかと言うのが、リーダーシップ研修などの課題である。ここで一つの模範解答は、以下のようになる。
<通常の答えの一例>
「上位指揮官に対し客観的データを使い説得し、実践においては、危ない徴候を事前察知し、退却する勇気を持つ。」
しかし、実際はこのような上司は中々聞く耳を持たないのが現実である。ここで、もう一ひねりした答えは以下のようになる。
<変化した答え>
「まず、事前調査を出来るだけ厳しい条件で行い、現実的データで上官を説得して、精鋭部隊での実行を説得する。」(なお、この本でも事前演習はあるが、晴天の楽観的演習でしかない。最悪条件での事前試行と言う原則が抜けている。)
しかし、これをもう一歩踏み込むと、大局的な立場では、日露戦争の前段階と言うことなら、大部隊での集団行動は必須事項である。このような、上位の本意を考えて、対応するのが、良い管理者と言うことかもしれない。整理すると以下のようになる。
悪いリーダー:上位の丸呑みで部隊全滅
凡庸なリーダー:悪条件を避け精鋭での成功
傑出したリーダー:上位指揮官の本意を踏まえて、
大部隊での成功または中間成果入手(ぎりぎりでの撤退)
現在でも、上司の無理に泣く管理者は多いが、上司の本意を無視して動く管理職も少なくないのではなかろうか?
世界の山を綺麗にする運動が行われている。色々な廃棄物があるが、酸素ボンベの残骸なども多いようである。
これを聞いて、思うのだが、登山は自分の力で行うべきであり、高地対応の呼吸法・体の使い方を、マスターしたものしか登ってはいけないのでなかろうか。山と言うものは、絶対必要と言うわけでもない。そのような条件では、行ける人間と行けない人間の差があっても良いのではなかろうか?
ここまで書いて、少し気になったのは、暖房用の防寒具まで否定するのか?あまり極端に走ると問題があるが、少なくとも山にゴミを残さないと言う原則は、守って欲しいものである。
先日のNHKテレビで、江戸時代の遊びを取り上げた時、観客の上手下手があるという議論があった。確かに良い客が供給側を育てるのは、自然な流れと思う。現在は、専門性重視と言うことで、供給側の力が過剰評価されているのではなかろうか?
これには、もう一つ言えば、供給者重視の政治姿勢もあるかもしれない。農業を保護する農林政策はあっても、消費者の食生活全般を見る省庁は見当たらない。この議論も、色々考えることがあるが、ここでは、専門性の認定に関して、話をしたい。
江戸時代の観客では、”どこそこのご隠居”と言う感じの、皆が認める権威があった。これは、村社会で皆が顔が見えて、物知りと自然に認め合う雰囲気から、選ばれたものと思う。このようなご隠居は、物知りに加えて知恵もあり、総合的な判断が下せ、皆がそれに自然に従うようになっていた。
一方、現在では”xxソムリエ”と言うものが、色々出来ている。これは資格社会と言うことであろう。資格社会の客観性には良い所もあるが、知恵のように失われるものもある点に注意して欲しい。
昨日NHKで江戸時代の話を色々と取り上げていた。
これを見て思ったが、江戸時代の創作意欲は、内側に向いていたように思う。自分達の使うものを出来るだけ良いものにする。細部を出来るだけつめることに力を注ぐ。
このような力が、外を向くと製品あまりになり、ヨーロッパ文明のような一部侵略的様相を呈するのいではないか。江戸時代の日本は、生類憐みの令を頂点とする、極端な平和主義と、貿易等を極度に絞った、閉鎖に近い環境で、しかも皆の創作意欲を生かすような仕組みを創造したのではなかろうか?
大衆の平和的エネルギーを上手に活かした江戸時代と言うべきではなかろうか?
今朝のテレビで、プロ野球の人気について色々と話があった。
そこで、一つ納得するのは、地方では充分人気があるが、首都圏で巨人軍の人気がいまいちと言う話である。
これには、いろんな理由があると思うが、国際化のボーダーレスの切り口で説明したい。今まで、巨人軍はこの国で一番と言うブランドで、他球団の花形選手を、引っ張ってきていた。しかし、国際化し大リーグが見えてきた現在では、良い選手は、アメリカ大リーグに抜かれていく。多くの分野で、日本で一番と言っていたが、国際化の波で壊されている話と共通している。
なお、巨人軍の体質として、他所のチームで活躍されるよりは、自チームに取り込み、2軍で腐らせると言う発想が見えて仕方ない。自分で使えない選手は、放出してよい試合を出来るだけ作るのが、プロ野球全体のためになると思うがいかがであろうか?
ある本で、雅楽士の東儀さんが、面白いことを書いていた。
「雅楽と言うのは、楽譜がないという意味ではいい加減です。
しかし、環境に調和するという意味では、必然です。」
西洋文明に毒されていると、自分で全て決まるように思っている。しかし自分ひとりで存在するのではなく、環境の中に浮かんでいる自分である。
昨日のブログに流風師からコメントいただいたが、良い店と言うものも、店側と客側両方があって成立するものである。
但し、独断の楽譜どおりで、皆に受け入れられる西洋音楽の作曲家、と言うのもすごいものである。西洋の文明は、記述による普及が大きく働いている。
某安売り航空会社の安全性が問われている。その他にも建築会社の強度偽装問題など、安全に関わるニュースが多い。
この原因を考えてみた。私の仮説は、本当のコスト低減と言うことが、解っている経営者でないと言うことである。良い方の例として、2つの会社を取り上げてみよう。
その1は、あまりにも有名なトヨタである。
トヨタの現場での改善は、徹底している。現場の作業者には大きな裁量権が与えられて、自分の仕事をやりやすく合理化することを自然に常時行うようになっている。このように現場での改善の積み上げで、無駄を最低限として利益を生み出している。
その2は、京セラである。
京セラの取引先への説明会を聞く機会があった。この場では、市場予測を完全に公開し、各取引先には、VE(ヴァリュー・エンジニアリング)的な代案の提案を求めている。京セラは必要な機能を公開するから、それの実現方法に関して、取引先からの提案を求めると言うスタンスである。
この両者の共通点は、会社としてどうすれば同じ機能のものを安く作れるかを、経営陣が知り尽くし、自社に適した方法で実現しているということである。
一方、トラブルの生じている経営陣は、もの作りや運用の現場を本当に知らないように感じる。単に命令し、労働者や下請けを搾取する、時代遅れのマルクス主義的世界観の経営者である。
考えようによっては、彼らこそ戦後の教育の、マルクス主義を実行しているのかもしれない。
| 固定リンク
昨日の話と関連して、前にも述べたが格闘技の例で議論したい。
見せる格闘技では観客が理解できない技は、使ってはいけないと言う暗黙の了解がある。従って、プロレスでは非常に派手な技を使っている。しかし実戦的と言う格闘技ではどうする。実戦空手と称するある流派では、大衆向けに技を解説して、この技は高度であると説明することで、観客の評価を得ていた。例えば、
「相手の突きを、手で引っ掛けて受けるのは高度な技で、
めったに決まらない。先般の大会でこれを決めて、
相手をのめらせた時、良くわかる観客から拍手が出た。」
と言うよう内容を、カリスマ総帥が本に書くなどの対策を行っている。
このように大衆の見るレベルが、高度な技が評価されやすくなるのは確かである。
もっとも、真剣勝負なら、掛け手でのめらせたら、すぐに別の手で肋骨を折るか、顔に打ち込んで、勝負を決めたであろう。そこまで出来ない、試合の限界がある。
本日のテレビで、日本マクドナルドの話を聞いて、色々と参考になった。
まず、その場で供給できるようにするために、電子レンジを入れ替えたと言う話が、今の日本の経営論に関して、大きな教訓になると思う。
①まず、劇的な時間短縮は、サービス向上だけでなく、
不良在庫の削減でコスト低減になると言うこと。
つまり、お客様を待たせないで、受注直後に物を作れるならば、
仕込み生産の不良在庫が0に出来る。
これは、サービスでなく、利益創出である。
②この実現に対して、高速の電子レンジ導入で実現したと言うこと。
ともすれば、改善を現場に要求する向きが多くなっている。
しかし、実際は設備などを入れ替えないと、劇的な改善は難しい。
プロジェクト?・・・のように人間の努力を取り上げるのも良いが、
冷静に技術的な解決を図ることが重要だと思う。
精神主義は、旧日本軍だけで充分である。
次に、クルーと呼ばれるパート労働者の扱いであるが、きちんと能力評価をし、ランクわけをしている。これこそ本当の成果主義だと思う。
さらに、企業内教育だが、対人スキルを重視し、しっかりした行動科学や心理学的な裏づけを持って訓練していた。ラボラトリートレーニングなどの成果を確実に生かしているようだ。
このようなシステムが出来ていて、しかもテレビ公開できるのがすごいなと思った。
ある番組で、H弁護士が、
「子供は公立の学校行かせる。公立の学校は、
親の収入などに多様性があり、その経験で得るものは多い。
私立の学校で、一様な文化で育った者は何か違う。」
と言っていた。なるほどと納得した。
一方、特別進学コースで有名大学を目指す高校は、スポーツでも強いことがある。これは、学生に個人差があることを認める学校文化の成果であろう。
どちらが良いかより、その弊害を踏み越えるような子供の育て方が重要ではないか?
前に霞ヶ関の官僚は、法律を調べるなら、大宝律令の前例まで遡って調査するという話を書いた。これは大したことだと書いたが、本当に必要なのだろうか?
「仕事が大変で夜遅くまで残業する。そのために都会の一等地の宿舎が必要。」と言う議論も聞いた。確かにこれほど調査したらものすごく時間が必要だろう。
でも本当に、このような調査が必要だろうか。必要なだけの説得性には、まず明治以降で充分と考える。そこでどうしても必要なら、江戸時代から順に遡ればよい。
何故こんな調査をするかと言えば、一つは国会議員の多様な質問に対応できるように準備するかららしい。しかし、実際に必要なものはほんの少しではなかろうか?確かに、専門家の追及と言うのは、素人のわからないような細部を厳密についてくる。どのような追求に耐えるには、色々調べる必要があるだろう。
このようにオーバースペックの対策としては、価値観をしっかりして、どこまでが必要と言うことを明確にして、打ち切る勇気が必要である。後で検討漏れの指摘が出た場合には、修正する能力があればよい。そのような対応能力が弱くなっているのではなかろうか?
見方を変えれば、このような検討時間を、もっと生産的なことに回し、機会損失を最低にすべきである。
PSEマークについて、色々議論がある。PSEの根本には、「お上が安全を保証する」と言う発想がある。言い換えれば、「何か事故が起これば、すぐにお上の責任と追求する。」と言う発想である。
これは、米国産牛肉に関するBSE問題と同じである。何か病気が出れば、「これを許可した政府の責任を追及する」のが目に見えている。従って、「少しでも危なければ、輸入を許さない。」と言う事態になっている。
確かに、建築計算を偽装したマンションを建てても、そういう建築確認を許した政府の責任を追及し、裁判に訴えるやからの居る国である。お役人が、自衛のため、何でも禁止と言うのはわかる。
とは言っても、有名音楽家の反対運動で、すぐに変わる禁止と言うのはなんだったんだろう。
もう一つ言えば、古物商の扱いである。禁止したら困る業界がある。それに対する配慮は・・・
これは日本の政治でよく抜けている。古くは、伊丹空港を廃止する予定で関空を作ったくせに、伊丹近辺の空港依存業者の都合などで、つぶしそこなった時から、全く進歩が見えない。困ったものである。
本日、JR西が新しい企業理念を示したと聞いた。
そこで前から気になっていたのが、事故に遭遇した運転士の扱いについて一言述べる。
昨年の尼崎大事故に乗り合わせた運転士達が、そのまま勤務したことについて、マスコミ・世論は「救助に参加しなかった。」ことを追求している。確かに、周辺の一般住民が仕事を放り出して救助しているのに、自分の勤務が重要と、救助を手伝わないのは道義的におかしい。
しかし、これよりもっと重要な点がある。
人命を預かる運転士が、少しでも事故の後遺症の可能性がある場合に、勤務を命じて良いのであろうか!!
と言う議論である。例えば、ボクシングの強烈な戦いをした選手は、その後車の運転を禁止していると聞く。これよりもっと厳しい状況にあった人間に、多数を預かる運転をさせてよいのであろうか?
これに関しては、医療関係者のホームページで指摘されているのを見たが、マスコミなどでは見受けない。
人の命を預かる業務では、体調管理も重要と考える。少しでも危ない場合には、勤務禁止にすべきではなかろうか。これを、もう少し拡げると、病気の人間の勤務禁止となる。これは個人情報の関係などで、難しい面もあるが、多数の人命を預かるということを、真剣に考えて欲しい。
昨日のテレビで、大学の先生が歌で教える、と言うことをやっていた。
その動機が、学生が寝ないためとのこと?!
そこまでやるか?
何か離乳食ばかり食べている子供のようで、難しいものを自分で読み砕く力は待ったく身に着かないのではと心配である?
またある先生が、学問の底上げのため大学評価は反対と言っているのも聞いた。確かに、変な尺度や評価員の評価には反対かも知れないが、大学と言うものはそもそも、国のトップクラスの学問の府であり、学芸会の発表の場ではないと言うことを、念頭に置き、自ら厳しく評価して欲しいと思う。
ちかごろ”格差社会”と言う言葉、または”格差拡大”などと言う言葉をよく聞く。テレビなどでもよく取り上げている。
ここで気になるのは、なぜか今のこの国が、
単一尺度での評価
になっているように感じる。30年程前には、小学校・中学校から色々な分野で、
できる子
がいた。スポーツ・芸術・何か特別な分野のことごと、その中の一つに、親が金持ち、成績が良いなどもあったような気がする。
しかし今は、学校では成績・一般社会では収入と、一本道で評価しているような感じである。これでは、多様性がなく、一度負けると感じると、救いがなくなる。
昔の多様な価値観で、自分の位置と他人の位置を冷静に見るように、出来ないであろうか。多様な価値観で自分のよさと、他人の良さを同時に知ることが重要である。
昔、ある芸術系番組で宮本武蔵の特集をしていた。そこで、「武蔵は必要に応じて、長い刀でも、短い刀でも使い分ける。」と言っている。「これは当たり前のことである。」と発言した先生が居た。その席にはヴァイオリニストと言われている、美女も同席していた。
しかしこれはそんなに単純なことであろうか?剣豪の使う刀には、切っ先まで神経が通っている。それで長短を変えると言うことは、任意の間合いで戦えると言うことである。宮本武蔵は、相手の刀と自分の体で、間合いを取ったと聞くので、これも可能であったかも知れない。しかしこの見切りは、達人だからこそ出来たことである。
ヴァイオリンで例えれば、演奏中に弦を切り、仕方ないので一回り大きい”大人用のヴァイオリン”を借りて演奏を続けた、五嶋みどりさん以外には、これを出来る演奏家を、知らない。
もっとも諏訪内晶子さんなら、「ドルフィンの苦しむ声が聞こえるから、弦を切るようなことはない。」と言うかもしれない。
名人の世界は、凡人の思いよりはるかに深いものがある。
昨日の”行列のできる法律~”で、
「子供の小学校の先生に、夢を壊された。訴えてやる。」
と言うテーマを取り上げていた。
弁護士の結論は、
「このようなことは訴えるべき事ではない。多様な意見があるのを知らせるのが良い。」
と言う内容であった。
しかし、小学校と言う構造を考えると、一人の先生が子供に対し絶対的な権力を持つ。これを考えると、子供の受ける影響は大きいのではないか?
確かに、裁判でと言うのはやりすぎかもしれないが、教師の不適切な発言には、父兄からの苦情を広く受けるようにして欲しい。
特に弁護士のように社会的な強者は、小学校教師ぐらいは必要に応じて、つぶすことも出来るかもしれないが、平凡な庶民にはそういうことも難しい。
昨日の女性とのお付き合いに関して、もう一つホットな話題を絡めて書いてみたい。
トリノの唯一の金メダルの”荒川”選手は、「知性の優れた、大人の女性」と言う印象が強い。しっかりした自分の考えで、
”演技を組み立てる。”
”コーチを換える。”
などが積み重なったメダルと思う。
今までもてはやされた選手は、”可愛い系”が、多かったように思う。さらに、秋葉原あたりでは、可愛いメイドさんに萌える向きも多いが、そこには”知性のある女性”に対する、尊敬と言うものが感じられない。
男性が素直に、尊敬できる方として、『荒川静香さん』と素直に言えるときはいつになるのであろうか?
<参考引用 哲学原理 岩波文庫33-613-3 デカルト著、桂寿一訳より>
殿下のうちに、この最高の配慮が存することは、次の点から明らかであります。即ち、年少の婦人たちに無識を余儀なくする、宮廷の気晴らしも因習的な教育も、貴女があらゆる善き技や学を探求するのを妨げ得なかったからであります。次には、貴女の頭脳の最高無類の明敏は、貴女がそれら諸学のあらゆる秘奥を最も深く洞察し、しかも極めて短期間に正確に会得されましたことから、明らかであります。
~
ただ私は、貴女の頭脳のみはすべてを等しく明察する唯一のものであると認め、その故に当然類稀れなるものと申すのです。そしてあらゆる事物についての、かくも多様にして完全な知識が、多くの歳月を省察に献げて来た裸形の老修道者のうちにではなくして、容貌と年齢では目青きミネルヴァやミューズの神々よりも、むしろグレースの神をも想わせるうら若き公女のうちに、具わっているのを考えますとき、最高の賞賛に己を忘れざるを得ないのであります。
最後に私は、単に知識の面のみならず意志の面においても、絶対かつ崇高な知恵に必要なもので、貴女の性格のうちに光彩を放たぬものが、何一つ無いことを承知しております。そのうちには、気品とともに並々ならぬ仁心と温情とが、絶えざる運命の危害に曝されつつも、決して荒らされることも弱められることもなく、現れているからであります。
~
<エリザベート公女殿下 への献辞から一部引用終り>
昨日の続きで、新聞で読んだネタから書く。
インターネット上でファイルを共有するWinny等を搭載したパソコンから、多くの情報が流出していると聞く。これに関連して、Winny開発者の金子勇・元東大助手の意見は以下のとおりである。
「一連の情報漏洩はウイニーではなく、ウイルスの問題。作った人、流した人、感染した人が悪い。」「パソコンの情報漏洩を誘発するウイルスは広まっている。ウイニーさえなければいいと考えると、対策を誤る。」
これを一言で言うと、「使った人間の責任だ!」である。
この裏側で、某警察の幹部は、
「ウイニーを使う人間は、パソコンに詳しい人間」
と言っている。
しかし、ウイルス対策の常識もない人間を、「パソコンに詳しい」と言うのなら、一般のレベルはどんなに低いんだろう!これで、コンピュータ犯罪の対策などできるのであろうか?
見方を変えると、パソコンに関する知識は、自分の知りたい部分ばかり調べる、バランスの欠けた吸収が行われるので、ウイルスと言うものを知らない人間でも、色々できるのが現状である。これを考えると、パソコンの使い方に危険な部分も含めた、体系的に教える体制が緊急に必要である。
この裏側で、金子元助手達の大学人は、一般市民より恵まれた環境で体系的にコンピュータ全般の知識を吸収出来ている。なんだかんだと言っても、大学人は勉強に使う時間は豊富である。一般人に対して、勉強が少ないと言う言い方にも、少し反発を感じるものがある。
本日アクセス解析を見たら、1000を突破していました。読者の皆様ありがとうございました。まだ書きたいことが残っているので、しばらくお付き合い願います。
さて、書きたいことは色々ありますが、本日は自助努力について書きます。と言うのは、時々テレビで見る、徳島県の”彩”に関してです。知らない人のために簡単に説明すると、徳島の田舎村で、紅葉などの美しい葉を採集し、料亭での彩りに使ってもらうようした起業です。当地区の老人パワーを使って起業したのがポイントです。
でもこれが成功すると、色んな所から、「自分の地区の”落ち葉”を売って欲しい。」と言う人が多く申し入れているとのことです。
ここで、注意して欲しいのは、これを実用にするまでの、大変な努力と工夫があったと言うことです。他人の成功を真似するどころか、売ってくれと言う人が多いのは困ったものです。
本日の報道2001で食育について取り上げていた。”頂きます”が言えない給食の話を聞いて、少し思うところを書きたい。
まず農業に限らないが、子供達が
”物を作る”作業の実感がなくなっている。
沢山の労力(=熱意・誠意・愛情)の塊である食物を食べると言う実感がない。
つまり、米は白米の形しか知らず、稲穂とは何であるのか知らない。魚は、切り身の形で海から取れると思っている。これは一つの要因であろう。
しかし、もう一つ今までのマスコミ等取り上げ方でも、都市部では、農業にあまり好意的でなかった面があると思う。
昔、有名だった”ノーキョー=農協”と言う言葉には、今のヒルズ族の金満家(=成金)を皮肉ったイメージがある。某作家の”農協月へ行く”など、まるで今のヒルズ族の”合コン”を、思わせるものがある。その他、米の買い上げの逆さや問題や、ものすごい立派な農協の建物や、農協の貯金余りとそれに付随する不祥事など、多く取り上げられている。
私の理解が一面的かもしれないが、地道な物作りの重要性を、もっとマスコミも取り上げて欲しい。まあ、都市部の人間には、自民党を飛び出した「地方への補助金と言う、K国会議員」のイメージがあり、農村部に好感をもてないのかもしれない。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041305144/nifty0b5-nif1-22/ref%3Dnosim/249-4825034-2345924
前に、首都圏にテレビが支配されている、と言う話を書いたが、この副作用があることも分かった。
首都圏以外で放送されている、”TXXのそこまでいってていいんかい”と言う番組がある。この番組にでた、某代議士が、
「XX幹事長、あんなの換わりはいくらでも居る。」
と放言しておいて、
「但し、首都圏では検閲があるし、彼も見ている可能性が大きいので、
『立派な幹事長です。』と言う。」
と後始末していた。
これは、一面の真実ではないかと思う。そうでなくても首都に居ると、日本の全てを解った様に誤解することが多い。これに自主規制テレビの奇麗事が加わると、全体が見えない、裸の王さまになってしまうのではなかろうか。
本日の「なるラボ!」で、業務用スーパーの特集を行っていた。この中で
『昔は料理人は仕入先を客に隠した。しかし今は、逆に良い素材・安心できる素材の仕入先と公開するようになっている。』
と言う興味深い内容があった。
このことは2つの変化があると思う。まず一つは食肉問題などで、食品安全意識が厳しくなった。
しかしもう一つは、素材だけでなく、料理人の
”腕に対する正当な評価”
行われるようになったことが大きいと思う。
従来の日本人は個人の技に対する評価・敬意が少なかったように思う。これが評価されるようになったのは、良い傾向だと思う。
また、情報隠しの効果が弱くなってきたのも事実である。昔のように海外の情報入手が難しかった時期には、日本に2冊しか入っていない本を買い占めて、それの焼き直しで国内の大家となった、大先生が居たと聞く。しかし、現在のネット環境ではそのようなことは無意味になってしまった。
またある大学では、学生に学会に入れないことで、教授に対する崇拝の念を維持しようとしたこともあったと聞く。
このような情報隠しでごまかすことはもう時代遅れになったようである。
本日の夕刊で、国会追及の民主党議員が辞意を表明したとあった。やはり詰めが甘いと思っていたが、このような結果を見ると、進歩していないなと思う。
しかし、国会の証人喚問は何とかならないものか?あれでは言葉のリンチだ!
とは言っても、国会答弁自体が自分の言いたいことを一方的に、しゃべっているだけ。
やはり会話の教育を基本から見直さないといけないように考える。
基本は人の言うことを聞くことから始まる。
近頃の若い人達は、
・傷つくことを必要以上に恐れている。
・その結果、チャレンジ精神が無くなっている。
と言われている。
先日もある大学の先生に伺った話であるが、
『建築学科の学生でも、大きな建物のデザインをしたいと言う学生が少ない。』
『とりやすい資格ばかりとりたがる』
と言う話を聞いた。また就職に関しても、
『落とされたら困る。従ってランクを落とし入り易そうなところを狙う。』
と言う話をよく聞く。
困ったものだと思ったら、先週の”行列のできる法律相談室”で、
『振られるのが怖いなら告白しないと良い。』
と言う、某弁護士のコメントを聞いた。彼がどう思っていったか知らないが、現在の若い人たちにはこれを実践して、ズート告白しないものが居ると聞く。
そう言えば、似たような問題が昔もあったな。私達の高校進学の時の中学の進路指導で、
『安全を見てこの高校・・・』
と厳しく言う先生が居たような気がする。この御仁は、上記失敗を極端に怖がる人種と似ている。
しかし、昔は各人が色々な価値観を持っていたので、一つの失敗では全人格が傷つくのではなく、色々な立ち直りが出来ていた。現在は、学校の成績の比重が大きくなり、成績不良で全人格否定のように、1箇所で全部が壊れるような感じがする。理論だけで、走っている怖さかもしれない。
| 固定リンク
トリノオリンピックではまだ日本のメダルが聞こえてこない。
気になるのは、以下の2点である。
1.まず行く前のメダル予想は多すぎたのではないか
マスコミがオーバーに言い過ぎたのか。
スポーツ指導者が予算獲得のため誇大広告したのか?
2.取れない時の言い訳が入賞と言ったりしてごまかしている
太平洋戦争中の、目的達成により転進する
このような、状況を正しく伝えない発表(報道)には、危ないものを感じる。
いろんな番組の過激発言で
「**に人権はない」
と言うのを時々聞く。また昨日の内容にも関連するが、大企業の社長などを追及する国会議員の発言を聞くと、
「大企業の社長など、資本家には人権などない。」
と言う発想が感じられる。これが進むとマルクス主義革命で、「資本家は殺しても良い」とまでいきそうで怖い。
これを考えていたら、日本人の人権はなぜか偏っているように感じる。例えばかなりの地域では、
「吉良上野介の人権はない!」
としか考えられない。このように、悪役の人権はないのか?と言う一方で、犯罪者の人権には非常に熱心に保護される向きがある。特に、「精神障害で罪に問われない」「少年法で保護している」と言う保護は立派である。
その結果、本当に治療したかどうかわからない人間が、世間に出てきても、そのような情報を公開してはいけない!
そして彼らが再犯して、被害者が出る。「一般国民の平和な生活を行う権利」のような小さなものは、犯罪者及びその予備軍の人権の前には消し飛んでしまうらしい。こんなことを言うと、いわゆる人権派の文化人様に袋叩きにされそうである。この手の意見を言う、人権も非常にさびしいものである。
この原因をもう少し突っ込むと、賛否両面から考えると言う、雄弁(ディベート)訓練と社会学の方法論が基本的に普及していないからではと思う。社会学の創始者ヴィーコの学問の方法では、この点に関して以下のように述べている。
<岩波文庫版 p73から引用>
トピカの修練を積んで、自然、人間、国事について、それを賛否両論において自由自在かつ鮮明な議論様式のもとで討究できるようにならなければならない。ことがらのなかに存在する、蓋然的で、より真らしく見えるものをつかみとることができるようにである。
注:トピカ・・・ここでは議論を支える証拠(実例)と考えても良い <引用終わり>
日本の教育は議論に関し、特に相手の意見の良い所を聴いてその上で、答えを求める力が弱いように思う。
本日の新聞記事を見てもう一つ。
自民党の幹事長と、ライブドア社長のあいだの金の流れについて、民主党が追求しているが、証拠が弱いと逆襲されている。その結果証拠のメールのコピーを出すが、情報提供者保護のため、黒塗りばかりとなっている。
政府の非をつくのは野党の仕事だが、この程度の反論で追求が止まるようでは、お粗末としか言いようがない。社会党の昔から、追及と称して質問するが、ニュースソースを明かしたり、一般人の社長を引っ掛けて、隠し録音を証拠として、国会で追求するなど、国会議員なら何を言っても許されると言う、思い上がりがあるような気がするのは、私だけであろうか?
ちなみに、偽メールの紙のコピーなら、少し知識があれば誰でもそれらしい、印字は出来る。このような反論で、つぶされるようでは、やはり詰めが甘いと言われても仕方あるまい。
昔、外務省の密約問題で、毎日新聞の記者が、入手した情報を、社会党議員に渡した事件で、あるベテランジャーナリストが『私なら、この情報を手にしたらすぐにアメリカに飛んで裏を取り、マスコミとして流した。それが出来ない記者を、マスコミとして庇うのはおかしい。』と意見を出した。
マスコミにしろ、国会議員にしろ反論に耐えるような、意見陳述をして欲しい。
本日の“題名のない音楽会”で、指揮者の2つの方式があった。
一つは、各楽器の演奏家に対し、「扉を開ける」などのイメージで伝える方法。
他方は、各楽器の演奏に対し、直接音の出し方を指示する方法。
集団をまとめてよい結果を出すための手法を、良く示していた。
なお、イメージで伝える方法は、全員の共感が得やすいが、使い方を間違えると失敗する。例えば、「雲の上を歩く」などの抽象的イメージは人により異なることが多い。
このような条件の成功には、各楽器奏者のレベルが高いことが必要条件である。
一方、個別まで踏み込んで指示する場合は、細部まで責任を持つ必要があり指揮者の細部までの理解力が必要である。しかも、全体のバランスが識者の責任なので、全てが指示待ちになる危険性もある。
これは、どちらかが大プロジェクトの成功要件でもある。
| 固定リンク
本日、ある地方(首都圏)では放送されていない、”たかじんのそこまで言って委員会”を見ていたら、「下手なタレントだが弁護士資格を持っているのでよく番組に出る。」と言うことで、有名なH弁護士の話を聞いた。内容は、
『悪徳商法の対策の講演会に来て欲しい。』なお、
地域は辺鄙だが『聴衆は女性ばかりで、しかも講演後の宴会付』と言うのでつられた。
と言うことであった。誰にもすぐ読める落ちだが、『聴衆には65歳以下はいなかった!』が結論だった。ところで、ここで気になるのは、
”この程度の引っ掛けに掛かる先生に、悪徳商法対策を聞いて役に立つの?”
と言う疑問である。考えてみるに、この国では
”先生は実用的でないことに価値があるのではないか?!”
と言う感じがする。例えば、大学で経営学や経済学を教えている先生が、
”株で大儲けをして、豪華な邸宅を立て、高級車を乗り回している。”
よりも、
”先生は、世俗のことに疎くて、清貧で机一つで本を読んでいます。
靴や服は少しは破れても平気です。その金で本を買っています。”
と言う方が尊敬を受けそうな気がする。
本当に実践に疎い先生でよいのであろうか?
近頃テレビなどで、よく出てくる”ホリエモン”ことライブドアの堀江社長の言い方は、日本人にしてはかなり強いように思う。彼の発言には、「ご意見番は、自分でやらずに口だけ」「それほど言うならあなたがやったら」と言う風に、実行の裏づけがある。
選挙に立ったのも、「政治が悪いと言うくらいなら、自分で変える。」と言う強い意志の現れであろう。確かに単なる評論家よりは、強く言える一つの要因である。
このように自分で全て”やる”・”できる”と言う体験は、ソフトウエア関係の分野で、一流の技術者によく出るパターンである。特に昔のソフトウエアの作業は孤独な戦いであり、「だれよりも自分が知っている。自分しか頼るものがない。」と言う経験をし、やり遂げた後には「自分しかない」と言う観点に陥ることが多い。この場合、自然と言い方も強くなってくる。しかも実行を重視するようになる。
しかし、伝統ある物作りでは、自然の複雑さの前には、無力な自分も感じ、多くの先輩や職人の経験を尊敬して自然な謙虚さも身につく機会が多い。昔、ある情報工学の先生と話した時に、「情報工学は電気工学や機械工学のような正統的な手法が身につきにくい。」と嘆いていらっしゃったことを、思い出した。
最近のコメント