ご縁のあった人たち

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2021年2月16日 (火)

プラトンが見るモノ

 昨日書いた、プラトンの『国家』で、描いた

『真実』の世界

は、

『イデア』という理想的なモノ

で記述した世界である。このように、現実を抽象化し、理想化して記述する方法が、現在の科学的な西洋文明を生み出す力となっている。プラトンのイデアは、ルネッサンス以降の近代科学では、理想条件での思考という形で、大きな成果を生み出した。

 例えば、ガリレオの思考実験では、

「同じ重さの鉄級を二つ繋ぐ」

と言う極端な形で議論して、当時のアリストテレスの自然学の

「重い物は速く落ちる」

と言う定説を打ち破った。更に、ニュートンの力学では

「大きさがない質点にその物体の質量が総てある」

と言う理想的な条件で、万有引力に支配された、物体の動きを数学的に記述できるようにしていった。

 こうした抽象化した概念を上手く使うことで、西洋文明の理論的な力が増えていった。そこでは、『正しい』と『間違い』が明確になり、議論も進む。

 このような、

抽象化した世界で普遍的な法則という本質を理解する力

を持った人間が、支配する国家を、プラトンは『正義』が行われる『国家』と考えたのだろう。

 しかし、プラトンが考えた、抽象化された『形式的な記述』だけで、全てを支配するのは無理がある。

 例えば、野中郁次郎が提案した『暗黙知』の発想も、プラトンとその子孫への対抗策だろう。

2021年1月27日 (水)

空海は財力と権力の応援を自ら引き出した

 昨日書いた、

「科学者が自分のやりたいように権力や財力の支援を受ける」
科学者の意見が政治に反映されるまで: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

話に関して、E.E.スミスの「大宇宙の探求者」というSF作品を挙げた。この本は、スペースオペラの大家、E.E.スミスの駄作と言われている。しかし、私はこの本を見直して、ある既視感を覚えた。この本の主人公は、ある経緯で、鉱物資源を見つける超能力を持つ。この力を使い、超大企業や政治的な権力の支援を受けて、自分のやりたいことを行っていく。

「これは弘法大師空海の話ではないか!」

空海は、若いときに山の民との交流があり、水銀鉱脈を探す『丹生の民』などからの支援を受けていた。空海が、唐に渡った時に、大量の砂金を持っていた。これを使って、多くの密教法具や曼荼羅などの複製を、職人を雇って作り、日本に持ち帰った。

 空海は、日本の歴代でも最高の超能力者の一人であり、鉱脈探知のダウンジングの才能をあっただろう。それは、水銀を使う『丹生の民』にとって貴重な力であり、十分な支援を受けたであろう。また、超能力を抜きにしても、空海の学識は卓越したモノがあり、そして当時の唐の土木技術で、それを洗練させれば、さらに鉱山の採掘などにも役立つだろう。これだけでも『山の民』が、空海の留学時に砂金等の支援をしただろう。

 このように

「新しい技術を学んでくることは利益を生む」

と、当時の鉱山企業の幹部に納得させたことは、現在にも通じるモノがある。

 また空海は、帰国後も嵯峨天皇等にも、真言密教の価値を納得させ、政府の支援を引き出している。

 学者などが、

「支援がない」

と嘆く前に、空海の成果をもう一度見直すもよいのではと思う。

2021年1月26日 (火)

科学者の意見が政治に反映されるまで

 このブログでは、

「専門家の意見を重んじすぎる」

弊害について、何度か書いてきた。しかし、歴史を見ると、

「学者の意見が取り入れられない」

時代の方が長かったように思う。

 例えば、

「手術の時に消毒が必要」

と言う、今では当たり前の話も、19世紀になってやっと実行されるようになった。現在社会の先進国では、

「学問的に裏付けのある意見」

はそれなりに尊重されている。私達はこれが当たり前と思っているが、20世紀の半ばまで時間を戻すと、少し違った世界が見えてくる。

 例えば、アメリカの多くの物理学者が、政府に原爆製造のための提案を受け入れさせるために、どれほど苦労したかは、マンハッタン計画に関する著作に書いてある。また、イギリスでは、暗号解読に数学者が貢献し、オペレーションリサーチなどのが苦悶結果が、戦争追考に影響を与えるようになった。

 このような、

「戦争勝利に貢献する学問」

と言う形で専門家の意見が政治に影響するようになった来た。一方、我が国でも

「戦争で負けたのは、科学を無視した精神論の結果」

と言う反省で科学重視の政策に舵を切っている。

 この文脈で20世紀半ばの、アメリカのSF、特にE.E.スミスの作品を見ると、

「科学者に好きなようにさせる、権力と財力の支援」

を求める作品が見受けられる。スミスは博士号を持った技術者であり、

「技術者が自分のやりたいことが予算の都合でできない不満」

を色々と持っていたらしい。このような時代が、つい先頃まであった。これをもう一度考えておく必要がある。

2021年1月21日 (木)

小説家が教育に関与することの是非

 昨日書いた、クリエイターの力の話に関して、もう少し議論したい。

 詩人の教育的な役割について: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

昨日の主張は

クリエイターは全貌を掴む力がある

から上手に使うべきと言う話であった。実はこれに関連して、元東京都知事の某作家が

学者より小説家農法が政治家に向いている

と主張している。

 確かに全体像を描くことや、将来像を想像することは、厳密な議論の学者より、クリエイターの方が向いているように思う。

 しかしながら、若い人の教育を、小説などで行うことの危険性もある。典型的な例は、司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」である。この本は、若者の精神を鼓舞し向上心を引き出すには、良いように見える。

 ただし、この本には

劇的効果を求めすぎ、地道な成果を無視している

側面がある。旅順要塞攻撃に関しても、現在の研究では、乃木将軍の採用した、工兵による地道な正面攻撃は、悪くない戦法と言う評価が多い。

 更に、秋山好古率いる騎兵の活躍だが、この本では

「桶狭間のような奇襲効果」
だけを見て
「馬の運搬力」
を見ない

傾向がある。実際、秋山騎兵隊は、馬の運搬力を使って、鉄条網と杭を運び、即席の陣地構築を行い、更に機関銃も運び込んでいる。これは、

長篠の戦いを、移動先で実現した

といえる、最高の創造性である。実際、ロシアのコサック騎兵は、この戦いの恐れをなし、奉天での戦いは消極的になってしまった。このような面が、派手さがないので見過ごされる。これが小説家が教育に関わる欠点ではないか。

2021年1月 5日 (火)

プラトンの『国家』を時代背景を見ながら理解する

 先日から書いている、古代ギリシャの哲学の意味を、当時の時代背景を思いやりながら、もう一度考えて見た。

 まず、『国家』について、当時の状況を考えて見よう。ソクラテスやプラトンが考えていた『国家』は、

「アテネと言う都市国家」

であって、私たちがイメージする『近代国家』とは大きく違っている。そこでは、

「都市国家を支えるよき市民」

をどのように育成するかが重要な課題になる。

 当然現在のような法制度も、教育制度もない。そのような状況で、若い人育成方法として

「先人の英雄の活躍を叙事詩として伝える」

と言う方式である。先人の経験を伝承することで

「よい行動を伝える」

ことが教育方法であった。しかし、ソクラテスやプラトンはこれから一歩踏み出した。それは

「物事の本質を見抜く」

ことで、『国家』に必要な人材の

「あるべき姿を描く」

可能性を見いだそうとした。ここで、彼らの頭に浮かんだのは

「ユークリッド幾何学の普遍的な性質」

であった。このようにして、『イデア』の発想が出てきた。

 ここまで『国家』を読むと、プラトンの『哲人政治』の本質は

「物事の本質を見抜いて、あるべき姿を見いだす力を持つ『哲学者』に政治をさせる」

こととわかる。これは、政治家の資質としては必要な力だと思う。決して

「哲学の学位を持った人間」
特に
「カントがXXと言った」

「〈空気によって)戦争協力のため日本人の優位性を論じる」

哲学科の『大先生』に政治をさせることではない。

2020年12月18日 (金)

わかりやすい物を作るために

 昨日見た、日経BPの「ノーベル経済学賞ミルグロム教授のオークション理論」の解説で、色々と思いついたことがあった。

 その中で

「よくわかっていない人が仕組みを作ると、色々な意見のつぎはぎで、複雑すぎて使えない物になる」

と言う主旨の発言があった。この問題に関して、私は自分で経験したことがあり、もう少し詳しく説明できる。

 私が、1970年代半ばに、マイコンの組み込みソフトを作ったときには、プログラム生産性の向上が最大課題であり、そのための有効な手段が標準化であった。私は、開発担当として、この問題に正面から取り組んでいった。ただし、標準化は巻単位できるモノではない。最初の製品は、何とかロジックと設定部門の分離をしただけであった。次の製品は、スペックの可変範囲を全て吸収しようとして、複雑なモノとなってしまった。このときの教訓は

「使い方の説明書が書けないようなモノは使えない」

であった。

 こうして苦労していると、

「自分の仕事の全体像が見える」

時が来た。そこで私が思いついたことは

「処理をデータの変換と見て、フォーマットを記述する設定表を使う」

である。このとき学生時代に習ったFORTRNのFORMAT文や、コンパイラの知識が色々と応用できると見えてきた。

 こうして

「全体像を見渡した上で、すっきりした標準化製品を作る」

コトに成功した。

 なお、このとき

「全ての要求に対応するのではなく、頻度の少ないモノは、その時々の特殊処理で対応」

と割り切ったことも、複雑怪奇なパッチワークを逃れるために要綱であった。

 この話は、

「使いやすいモノを作るための考え方」

として有効だと思う。

 なお、この講座の中で、慶応大学の坂井教授が

「複数の視点で見ること」

の有効性を指摘しているが、上記経験談でも

  • 色々な現場体験
  • 学生時代のプログラム経験
  • コンパイラの知識

と言う、複数の視座が役立っている。   

2020年12月17日 (木)

古代ギリシャの哲学についてもう一度考えてみた

 先日から、マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』を読んで、プラトン達の求めたモノについて、考え直してみた。実は、この問題は前にこのブログで一度書いている。しかしその時見えなかったモノがあるので、今回はもう一度議論したい。

 西洋文明の発想について振り返ってみる 古代ギリシャ: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 ソクラテスの見た世界: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 今回の論点は、プラトンやソクラテスが求めたモノは

「良き市民としての生活」
であり
「先人の教訓を生かしてよりよい生活にする」

と言う観点である。そこで、ソクラテスの前に行われていた手法は

「古代の出来事を叙事詩で伝える」

であった。しかし、ソクラテスやプラトンは、このような具体的な事例の裏側にある、本質的なモノを見いだす可能性を発見した。それが

「幾何学が使っている『概念』による抽象化」

である。当時の幾何学は、測量を抽象化して、同じ図形と言う概念の本質を押さえて

「合同な図形ならどこでも同じ」

と言う普遍的な原理を与えていた。このような

「抽象的な『概念』を使って普遍的な規則性を見いだす」

手法が哲学者の道具として使えるようになった。この発見がプラトンの『国家』の中で

「詩人より哲学者が若い人の教育をすべき」

と言わせている。

2020年10月30日 (金)

人間はどこまで『悪人』となるのか

 昨日書いた戦後の日本人の対応について、現代人の感覚からすれば

「戦争の責任を感じないのはおかしい!」

と言う人が多いと思う。

 このような、道徳に関しての感覚は、時代の流れで大きく変わることは、私のような年寄りは色々と経験している。何度もこのブログで書いたが

「朝鮮民主主義人民共和国は理想の国、拉致などはアメリカ銀地主義のでっち上げ」

叫んでいた『良識派』が多数存在した。その人たちの多くは、自分たちがしたことの口を拭い、

「北朝鮮の人権侵害を許すな」

と叫んでいる。

 このような変節が、自然にできるのである。

 こうして考えてくると、

「人間の主義主張の一貫性などは、怪しいモノである。」

という感じがしてくる。

 もう少し言えば、

「人間は弱い面があり、それまでの主張を飼えたり、裏切ったりする」

と言う可能性に向き合わないと行けない。

 教科書通りの、『道徳的人材』だけの世界ではない。人間には多様な面がある。これに向き合う必要がある。チェスタトンのブラウン神父が、

「どのような悪人の心も理解したい」

と言った話を真剣に考えないと行けないと思う。

 

2020年10月16日 (金)

日本の文系学問が何故弱いのか?

 このブログで前に書いた、軍事研究と文系学問の話が、現在の学術会議論争と関連して、色々と話題になっている。

 そこで、今回は、

何故日本の文系の学問が実用的でないのか?

と言う議論をしてみたいと思う。この議論の基本アイデアは、高根著「創造の方法学:講談社現代新書」に書いてあった話が土台になっている。

 この本でマックス・ヴェーバーの代表的な著書、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」についての議論が、日本の学者とアメリカの学者で根本的に違うと言っている。

日本の学者は、XXの何ページにどのような記述がある・・・これを正確に言う

アメリカの学者は、ヴェーバーの発想を、日本の資本主義発生に適用できないか議論する

この違いは大きいと思う。ある本を読んでも、その内容を一字一句記憶してなぞるのではなく、根本的なアイデアまで踏み込みそれを別の形で展開する。ここまでやって本当に、その本を読んだと言えるだろう。

 なお、高根の本では

日本の資本主義を助けたのは
「勤勉を善とする」石田心学の影響

と言う議論を紹介している。

 私はこの議論は踏み込みが弱いと思う。ヴェーバーの『プロ倫』に対抗するなら、

「キリスト教のカルバン主義には、最後の審判で救われるという恐怖から、仕事をすることで自分の善ある面を信じようとした」
と言うヴェーバーの主張に対し
「日本の大乗仏教には、天台の本覚思想で全てが救われると言う発想が根底にある。その現れとして
『口に念仏の意ずる時は神仏のご催促』
という神仏と一体になって自分お救いを信じ、安心して仕事に励む国民性がある。

と言うぐらいの議論を展開してほしいと思う。

 ヴェーバーの著書の、一字一句で議論しているなら、実用性は乏しいと言われても仕方ないと思う。

2020年10月 5日 (月)

反・『反ポピュリズム』 黒幕政治から大衆参加の民主政治へ

 昔買っていた、新潮新書『反ポピュリズム』を読んだ。著者は、読売新聞の主筆であった渡邉恒雄で、見識はあるが好きには成れない人物である。

 

 前に読んだときに反発を感じたが、今回その反発内容が見えてきた。つまり

『知識人の独占政治』または『黒幕政治』

『大衆参加の政治』つまり『大衆の納得理解の政治』

の対立である。

 この本でも、橋下徹を意識しているが、橋下氏は大衆参加に関して大事なことを言っている。

専門家が、法的根拠等について、厳密に論理を添加し手いくことは重要である。
しかしながら
「大衆が、何か納得できない」
と言う不満も大切にしないといけない。

これは、弁護士である橋下徹の経験が言わせたモノであろう。つまり、

「弁護士の立場で法廷で争うときには、きちんと法廷の論理で議論する。」
しかし
「一般人の納得できない法廷テクニック的なモノへの反発は大事にしないといけない」

と言う問題である。これは、光市の殺人事件裁判の懲戒問題の時に、彼が板挟みになった状況からも見える。

  • 弁護士としての法廷テクニックとしての裁判引き延ばしは仕方ない
  • 被害者家族が傍聴に来たのに無駄足させた大衆の怒りも解る

つまり、専門家の事情が大衆の支持を受けなくなったときの怖さを彼は知ったと思う。これが維新の

「ふわっとした民意を大事にする」

と言う姿勢につながっていると思う。

 一方、渡邉恒雄の行動は、黒幕政治そのものであり、自民党の実力者を通じて、竹中改革を潰したり、大連立を仕掛けたりしている。

 このような、一部の人間だけの密室政治が、現在は成立しなくなってきていると思う。

 なお、大衆参加に関しては、多くの手間とコストがかかる。これに関しては長くなるので、別の議論としたい。(続く)

  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-b51c58.html

 

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