ご縁のあった人たち

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2020年6月10日 (水)

日本教についてKindleで一冊出しました

 今までこのブログで議論してきた、日本教の話をまとめて、Kindleで出版しました。

 

まだシリーズ化して書きたいことは多くありますが、日本教の原点について、まとめることができました。

なお、2020/6/10 17:00から四日間の無料ダウンロードキャンペーンがあります。

その時を活用いただければ幸いです。

 

2020年5月30日 (土)

就活の予定が変化した学生に対して助言

 今回の自粛ムードで、学生のバイトや部活または留学等の海外経験が、無くなった人もいるだろう。

 そのような人の中には、

「就活の時の売り文句がなくなった!」

と困惑している人もいるだろう。

 しかし、そもそも論から言えば、学生の採用時に見るべきモノは、地頭や学問的知識であり、バイトや部活というのは少し間違っている。確かに留学は少し違うかもしれないが、そのような本筋から考えれば、対応策は見えてくると思う。

 私が考える、現在の状況を踏まえた、就活生の戦法は

「知性をいかにPRするか」

である。例えば

  1. コロナ対応の日本と種外国との比較検討を、文化的なモノなどで加味して検討する
    ->この成果は今後の市場検討に使える
  2. コロナ以降の働き方はどうあるべきか提案する

等のレポートを、一度作ってみる。このようなモノも良いのではないかと思う。

 このために参考になる本は以下の通りである。

 

2020年5月22日 (金)

本を読むと言うことについて その4

 昨日書いた、

「生活環境などの違いから、共感できない人に対して、心に寄り添う読みができるか?」

もう少し、議論してみたい。

 まずこの問題に関連して、前に読書感想文の作文教育との関連で書いた記事があるのでもう一度挙げておく。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-1e7d.html

ここで議論したことは、作文教育に関して

「子供の生活環境に差があるので、体験したことの作文を書かせることはできない。」
その代わりに
「疑似体験として、本の中の世界に対して作文させる。」

という手段が執られた。

 これを、広げれば、

「友達づきあいができない子も、本の中の世界での交流を見て、人と人との関係を学ぶことができるはず。」

という発想になる。これは確かにある程度の効果が期待できるだろう。

 しかし、教科書的な読み方になれば、どこかで正解の縛りが出てくる。

「感動する場所も決まったところで、決まった形で感動しなさい。復讐などの心は抑えなさい。」

という読み方になってしまう。(鴎外の山椒大夫を読んだときの違和感を思い出した。)

 この問題は

「国語教育と道徳教育の分離問題」

伴絡んでくる。

 明治維新以降の日本の学校教育は、このような

「人の心への関わり方」

まで教える様になって、

「正解のある読み方」

にこだわってきたのではないかと思う。

2020年5月10日 (日)

小さな声を拾い育てる仕組み

 昨日書いた、発達途上のクリエイターと不安な読者の話に関連して、もう少し広げて考えてみた。昨日の話を一般化すると、

「小さな声を拾い上げて、良いモノを育てる力とする」

と言う議論になる。現在の有利な点はSNS等の力で、

「情報発信のハードルが下がった」

である。ただし、このハードルの下がり具合については、もう少し議論が必要である。確かに、ツールとしてのSNS環境は備わっている。しかし、それを使う人の心が向いているだろうか。この問題について、もう少し議論が必要と思う。

 まず、著者に対して、

「買ったよ!」「良かったよ!」「XX好きだよ!」

等の声をあげることの大切さを伝えることができているか?これに関しては、昨日も引用したように

作り手にとって、作品の購入報告ってね、最高にうれしいです

と作者側からの発信もある。

 しかし、もう一歩踏み込んで

「読者の反応が、クリエイターを育てる道筋を見せる」

方法で、もう少しこのような声を引き出せないだろうか?

 このような関係の

「クリエイターが育っていく状況のライトノベル」

「クリエイターを育てていくゲーム」

等で、

「小さな声が生み出す効果を実感させる」

という方法も無いだろうか?

2020年5月 9日 (土)

発達途上のクリエイターと不安な読者の交流について

 Twitterで著作の購入に関して少し議論をした。ここで話題になったことは、

作り手にとって、作品の購入報告ってね、最高にうれしいです

買ったよー!の一言にはね
「あなたの商品を吟味した結果、金銭を支払うに値すると判断したため、頑張って稼いだお金を使いました」っていう、途方もない量の情報が入ってるからね

と言うことで、クリエイターに対する評価の重要性である。

 このような購入報告は、SNSの利用で、従来と比べれば、比較的簡単にできるようになった。著者が発行したとつぶやけば、それにリプライで、「買ったよー」とでも返せばよい。このような著者に対するつながりが、容易になったのがSNS時代の特徴だと思う。

 さて、この話を読者側から少し見てみよう。昔の紙の本、そしてファンレターという、紙の文化の時代には、

「読者側の発信に大きなハードル」
つまり
「ある程度まとまった感想でないと書くのは恥ずかしい」

があった。これをもう少し言えば

「良い作品です」「素晴らしいです」

ときちんといえるほど、ある程度の自信が無いとお手紙を書くのは難しかった。しかしSNSの時代の気軽さなら

(どこが良いとはいえないが何となく)「好きです」

と言う言葉が、気軽に出せるように思う。また、メジャーな意見でなくても

「XXが好きです」

と言う言葉も気軽に出せると思う。

 逆に、このような気軽な

「~~が好きです」

と言う言葉が、発達途上のクリエイターの届くと、これが進歩のきっかけになると思う。

 そう考えると、クリエイターと読者が、気軽にふれあえるSNS社会を上手く使うことで、クリエイターの力、そして読者の力が増えていくのではと思う。

2020年5月 8日 (金)

読書の方法

 外出自粛の影響で、自宅にこもる人も多いと思う。特に学生の場合は、自分で本を読む機会も多くなるだろう。そこで、今回は

『読書の方法』

について少し議論しておく。

 私の考えでは、読書には以下の3段階がある。

  1. 本に書いている世界で考える
  2. 本の登場人物の心に寄り添って理解する
  3. 著者の立場を思いやり、『何故この本が書かれたか』を理解する

なお、これは3段階と言ったが、優劣を付けるつもりではない。ただこの違いを意識することが大事である。

 1.の『書いてある世界で考える』の極端な例は、数学である。本の中で書いている、定義に従って議論する。それ以外の直観的要素などを持ち込んではいけない。例えば、群論では『積』と言う表現を使うが、これを

  「今までの数学で使った整数などのかけ算」

のイメージで考えると失敗する。あくまで

  「二つの項の間の演算で制約条件を満たすモノ」

と言うルールで考えないと失敗する。大学数学の初心者の失敗は、このような

  「抽象的なルールできちんと考える」

訓練ができず

  「直観的な思考に縛られてしまう」

弊害が残った場合がある。

 一方、2.の『人の心に寄り添う』読み方は、文学作品などに対して必要である。このときには、自分の想像力や直観的な感覚も大いに生かすべきである。

  「人の悲しみ、喜びについて、自分も共感していく」

一方、

  「そのような共感している自分を客観的に観る」

このような経験が、文学的な読書には必要だろう。

 さて、最後に『著者の立場を思いやる』読み方であるが、これは考え方によれば『上から目線』という危険性もある。しかし、

  「著者の生きた時代背景を考え、何故このように書いたか」

を想像することは、著作を理解するために大事な作業だと思う。これは自然科学の論文でも、社会科学の本でも、文学作品でも大切なことである。例えば、物理学の基礎として

  「マックスウエルが電磁気の基礎方程式に関する論文は、当時の機械の発想が入っている」

と言うことを読み解けば、どうして『場の概念』という創造ができたか解るだろう。

 また、私は天台の『摩訶止観』を読むときには、6世紀の環境をできるだけ意識して読んでいる。紙が貴重な時代、これを意識するだけでも得るものがある。

 このような本の読み方を考えるのも良いのではと思う。

2020年4月24日 (金)

自宅待機中の大学生に対する助言

 コロナ対策で、大学に行けない学生さんも多いと思う。そのような学生さんに対して、私の経験から助言したい。

 私は、1968年に大阪大学に入学した。この年は大学紛争中で、大学も学生運動による封鎖の影響で、半年以上

合格浪人という自宅待機

を経験した。

 その時私は、その年に初めて行われた、情報処理技術者試験を受けようと思った。しかし、コンピューターとは何かも知らないので、色々と本を読みあさった。そこで読んだほんの一部が、コンピューターの基礎である、チューリングマシンに関する本である。当時完全に理解するレベルには至らなかったが、基本原理に少し触れたことで、後々のソフトウエア技術者としての基盤が、しっかりしたように思う。

 この経験から、現在の自宅待機中の学生さん達に言いたい。

この機会に基礎になる本をしっかり読む

これが生涯の基礎力として役立つと思う。

 しかも現在の環境は私の時代より遙かに良い。例えば、ちくま学芸文庫からは、多くの古典が翻訳されている。これが文庫本で読めるありがたさを知ってほしい。

 私のお勧めの品は以下の通りである。

 読書術 (岩波現代文庫)加藤周一

 数学序説(ちくま学芸文庫)吉田洋一/赤攝也

 現代数学概論(ちくま学芸文庫)赤攝也

 

2020年1月18日 (土)

西洋文明の影響下における「禅と悟り」の役割

  新潮選書の大竹晋著:「悟り体験」を読む、を読んだ。色々な人の、座禅体験から、悟りに至った経験談がある。私個人の感想では、例えば、植芝盛平や山本鉄舟など武術関係者など、もう少し広い人を書いてほしかったが、色々と参考になる話があった。

 特に、「平塚らいてうが、禅を経験していた」と言う話を、不勉強で知らなかった。ここから、一つ思いついたことは、

「西洋文明の不備を補うための禅体験」

である。このブログでも何回か書いたが、

「西洋文明は、一部を切りとって、厳密に議論する。
日本文明は、全体像を持っている人を求める。」

傾向がある。そこで

「自分が全体像を持っているという自信がほしい」

人が、禅に頼るのではないかと思う。確かに、座禅で、

「世界が自分のなかに入ってくる」

というような体験をすれば、

「私は全体像を持っている」

と強くいえるだろう。しかし、この強さが思い込みとなると、とんでもない暴走に通じる。西洋科学と禅のミックスで

「科学的宗教カルト」

に陥るととんでもない暴走になる。

 このような暴走対策として、大乗仏教では天台大姉が「止観」の修行を進めている。この点は、臨済宗の中興の祖である、白隠禅師も「法華経を学ぶ」ことで、毒の中和を図ったが、もう一度

「現在人が、なぜ座禅に惹かれるのか?」
「求めるモノは何か?」
「いわゆる『悟り』に危険性を考える」

という振り返りが必要だと思う。

2020年1月17日 (金)

日本的な論理思考

 論理的思考に関して、このブログでも何度も書いている。

 まずは、三段論法の使い方について

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_e3c4.html

 狭い意味の論理でなく、物語の使い方について

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_0101.html

 類推などの総合的な考え方とその可能性について

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-1edb.html

 仏教の顕教と密教の関係から

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-1203.html

等がある。

 これを見直すと、西洋文明の

 A ならば B (IF A THEN B)

A AND B,A OR B

等の論理だけでなく、類推なども論理と考えるように広がり、さらに、物語的に色々な動きを確認する思考法まで考えるようになった。しかし、思考実験と言う手法は、ガリレオ以来、西洋文明の科学的議論でも色々と使われているので、『日本的思考法』とまではいえない。

 さて、今回は、山本七平(イザヤ・ベンダサン)の『日本教』での議論も考慮して、日本的思考法をもう少し明確にできないか、考えてみたい。

 まず日本的思考法の根底には、大乗仏教の深い影響がある。もう一つは、無邪気なまでの『お上への信頼』がある。実はこの両者が、見事に絡み合っているのが、日本的論理思考の基盤である。もう少し具体的に言うと

「私たちより優れた方が、世界を準備してくださる。
その中で、私たちは『あるべき姿』を求める。
その世界を私たちは想像し、その上での物語を
試しながら考える。あるいは比喩を使うこともある。」

という形が、私たちの納得のいく思考法である。

 このような『理想の世界』を造る方法は

「色々なエピソードを持ち寄り、それを重ねていくことで、
登場人物の人格や舞台背景である自然環境などを明確にしていく。」


するとあるところで、登場人物が自動的に動きだす。この動きを知っている人を信頼し、その人に従う。これが日本的論理ではないかと思う。

 なお、このようなエピソードの持ち寄りから、人格を創造していく方法は、大乗仏教の経典の手法でもある。例えば、法華経には色々な物語が入っているが、これを聞いていると、

「この世界を創造する仏の智慧が何となくわかってくる」

瞬間がある。更にその智慧を自分も持つことができる。これが大乗仏教の教えである。

 ここで、西洋文明と決定的な違いは、

「絶対的な創造者の智慧を人間でも持つことができる。」

と可能性を信じることである。プラトンの洞窟の比喩や、キリスト教の神とこれが違うので、日本の場合には

「絶対神への契約」

という概念はない。

 逆に、

「誰か完全な智慧を持って皆を救ってくれる人がいる」

という無邪気な信念が生まれている。このような考え方の人間が集まる日本は、西洋人には理解不可能な面があるだろう。

 日本教については山本七平の著作「日本教について:イザヤ・ベンダサン」を参考にしてほしい。

2020年1月 5日 (日)

基礎の教科書の二つの形

 先日、大学の教科書について少し考えた。そこで気になったのは

「XXの基礎」

と書かれていても、2種類の教科書がある。つまり

  1. 基礎事項の項目を列挙しているだけ
  2. 本当に身につけておくべきことを絞って丁寧に教える本

である。特に、東大の先生が書いた本は、前者の重要項目を、洗いざらい述べる形の本が多かったように思う。つまり、

「これだけの基礎知識のない人間は、議論に参加する値がない。」

と言うラインを示している。確かにこれは、

「基礎のラインを示す本」

である。しかし、これでは上滑り知識をそろえただけの人材を作る危険性がある。一方、懇切丁寧な基礎の本は、確かに入門にはよいのだろうが、いつもこのような本を求める人材なら、自分で切り開く力がなくなっていく。また、丁寧な基礎作りのためには、

「狭く深くなる」

傾向がある。確かにきちんとした土台作りのため、狭くてもよいから深く堀る必要はある。しかし、広く全体を見ておかないと足元をすくわれる。ある程度土台ができれば、

「基礎として必要な物を網羅した本」

で整理することも大切である。現在のネット社会は、このような全体像を描くことも弱いし、深く掘る力も弱くなっている。 

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