ご縁のあった人たち

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2020年10月29日 (木)

朝ドラ「エール」に見る芸術家の力

 朝ドラの「えーる」は、敗戦後の『戦争協力者』の悩みを描いている。しかし、現実は違うという調査があった。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76563


つまり、主人公のモデルである古関裕而 は、戦後直ぐに作曲活動をしている。

 ここで大事なことは、古関祐而は、元々色々な立場での作曲をした人間である。

 六大学なら、早稲田も慶応も、そしてプロ野球なら、阪神も巨人もと

「敵対する立場の両方に立って作曲している」

切り替えの早い人間である。

 もう少し踏み込むと、

「作曲時には、特定の立場に踏み込み感情移入などする」

「終わると次に行く」

と言う発想が常に行われているのではないか。

 現在の我々は、

「戦争責任の重さ」

だけを捉えて議論しているが、

「芸術の創造における、精魂のかけ方は、平等である」

ならば、『戦争協力』だけを特別視することはできないと思う。

 ここまで、人間の心が変わるか?この問題に関しては、チェスタトンのブラウン神父シリーズが、一つの答えを出してくれると思う。

 本当の、ニュートラルな芸術家は、色々な心をそのまま写す鏡があるのではと思う。

 

2020年2月12日 (水)

深い穴を掘るだけの鍛錬であって善いのか

 昨日書いた、多様性の話に関連して、今朝のNHKの話でショックを受けたので、もう少し書いておく。

 今朝のNHKが取り上げた話は

オリンピックの空手の型選手が、琉球舞踊の膝の使い方を学んでいる

と言う話であった。

 これが、テレビで取り上げられたのは、

「犬が人をかんでもニュースにならない,人が犬をかんだらニュースになる」

と言う原則から、

「空手と舞踊は別」

と言う常識が育っているらしい。昭和の時代に育った立場では、

「空手の琉球舞踊は表裏一体、琉球舞踊の名手は空手もできる」

と言う常識をもっていた。もう少し踏み込めば

「沖縄では、武術禁止・武器禁止が厳しく、そのために素手の格闘技の空手が普及したが、空手すらも危なくなったので、琉球舞踊のなかに、体の使い方の極意を隠した。」

と言う伝説すらあった。

 このように,関連する物事の網をきちんと作らず、バラバラの専門家を育てているのが現在の教育ではないかと思う。

2020年1月 6日 (月)

地域創生のためには過去の清算が必要

 昨年末の紅白を見て、石川さゆりの「津楽海峡冬景色」を聞いたら、

「上野発の夜行列車も、青函連絡船もなくなっている。」
「この歌が見ている風景はもうない。」

と強く感じた。更にここから思いついた歌が

1964年、伊沢八郎の「ああ上野駅」

である。この歌が見た世界は、中学卒業したばかりの子供達が、集団就職で東京に出てくる姿であった。このような子供が親元を離れて働きに出る。この理由は

「当時の高度成長では、工業化が進み多くの職人をそろえる必要があった。
そこで中学卒業などの若い世代を訓練し、終身雇用で抱え込む。」

と言う、高度成長が背景にあった。ここで、「ああ上野駅」の時代には、親元を離れることへの寂しさや、抵抗があった。

 そこで通産省などが取った政策が

「憧れの東京戦略」

である。つまり、

「憧れの東京に喜んで出てくる」

「空気」を日本中に作ったのである。例えば、地方年にも「XX銀座」という通りを作る、これで

「まがい物の東京」

に慣れている人間は、東京に出ることに喜びを感じるようになる。その一つの成果が

1984年 吉幾三「おら東京さ行ぐだ」

である。

 このように、通産省などの頑張りで、東京の憧れをあおった後遺症が現在も残っている。

 この過去の清算をきちんと行わないと、地域創生は難しいと思う。

2019年8月30日 (金)

小学校の生徒が整列して話を聞く世界が理想か?

 先日書いた、「国会の議論に関する記事」について、もう少し思いついたことがあるので補足しておく。昨日までの話は以下のとおり。

国会の議論は「勧進帳の演技ではない」  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-3d7401.html

議論に関連して今まで書いてきた記事の整理  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-ebc1fb.html

 この話で思い浮かんだ

「正しい議論の形は、質問と答えがかみ合い、結果が出る」

と言う価値観がこの問題に関係している点について、もう少し考えてみたい。つまり、大臣が質問を受けて、

「もう少し調べる、検討の時間をほしい?」

このような答えでも善いのではないかと思う。もっと言えば、

「文書にて公開します。」

と言う答えもありではないか。

 これをもう少し一般化すると、

「小学校の教室で、お行儀良く、先生の言うことを聞き、ルールを守り発言する。」

世界を理想としているのではと思ってしまう。この価値観に縛られると、

「事前準備をして、筋書き通りの芝居になるように持って行く」

ことが当然と言うことになる。そういえば、ある番組の

「子供の意見を聞くという企画」

「出演者はタレント事務所所属の子役」

と言う問題があった。このとき内幕を知っている人が

「(変に騒いだりしない)物わかりの良い子供を
そろえることが大変だから、タレント事務所の子役を使う」

と言う説明したが、これに私も納得してしまった。

 しかし、もう少し現実の多様性や、トラブルの存在に目を向けることが、現在社会に対応するためには大切ではないかと思う。

2019年6月11日 (火)

人材育成の問題点を広く深く考えてみた

 「ニュース番組でありえないミスが続出!急増する『非常識AD]の実態」という記事を見た。

 この話を色々と深堀すると、現在社会に共通的な問題点が見えてくる。最初に見えるものは以下のようなものである。

  1. 下請け制作会社に丸投げしているのではないか
  2. 下請け会社は、作業者個人に押し付け(丸投げ)
  3. 個人のスキルは低くなっている
  4. 先輩と共同して対応する機会がないので育成できていない

さて、一歩踏み込むとこれを階層化して考えることもできる。

  1. 個人スキルがない作業者レベルの問題
  2. 仕事の与え方、管理の仕方が判っていない、管理者レベルの問題
  3. 人材育成に資源(金)を回さない、経営者レベルの問題
  4. 企業と社会(学校教育)との間の人材育成の分担を考える、政治レベルの問題
  5. 働く意識の変化という世相変化の問題

このように考えていくと、この問題は

「マスメディア特有の問題」

と考えるべきではないと思う。

 対処療法としては、対人スキル訓練を行ったり、管理職の業務方法の訓練や、個人尾行動特性評価などを行う。一方で、仕事の全貌を描く教科書を作成していく。このようなものだろうが、全体を見た解決はもう少し広く深く考えるべきだと思う。

2019年5月30日 (木)

この国の多くの人の精神年齢は?

 昨日、#春名風花 版の「しくじり先生」をAbemaで見た。

 https://abema.tv/video/episode/88-77_s1_p9?utm_campaign=episode_share_tw&utm_medium=social&utm_source=twitter

 名子役の #はるかぜちゃん の、若いときの失敗談だが、色々と教訓に満ち溢れている。なお、春名風花氏は、現在でも18歳なので、年寄りの回顧ではない。但し、0歳からの役者経験があり、3歳以降は、お金のことを常に意識していた生活だから、普通の大人が25歳で意識していることを、3歳から意識していることになる。つまり

25+15=40の人生経験がある

40歳と言えば、不惑である。

落ち着いて、道を考える時だろう。

 さて、彼女の5歳~9歳ぐらいの話は

銭ゲバ

ということらしい。確かに、自分の力で稼ぐことができる。しかも、ギャラという形で、評価がそのまま帰ってくる。このような体験をすれば、

「お金が全てでしょう」
「金儲けは悪いことですか」

という発想にもなるだろう。

 さて、このセリフはどこかで聞いた感じがしないだろうか。色々と世の中を騒がせた、『XXの寵児』などが言いそうな言葉である。

 そうしてこれをもてはやす社会であった。

 一方、春名風花氏は、その後もSNSでの騒動など、色々と苦労をし、現在は

「人の心に触れる演劇の世界」

で活躍しているらしい。

 しかし、日本社会の拝金的要素や、言わゆる論理的な主張を振り回す、ネット世論の状況は、

「小学生の春名風花」

のレベルにも達していないのではないかと思うってしまう。

 

 

2019年5月11日 (土)

AKBシステムの危機管理能力は凄い

 先般から、色々と話題の出ている、NGT48のトラブルだが、AKBシステムとしては、見事な危機管理能力を発揮している。

 まずこのような場合には、悪い部分を明確にして、切り離す必要がある。端的に言うと

   「悪人探しと、その人間に全てをかぶせる」

ということである。

 しかもそれを、世間に納得させる必要がある。

 これを見事にやってのけている。

  1.「悪役は運営側であって秋元氏は関係ない」
  2.これを中立とみられる指原莉乃に言ってもらう

これは、見事な収束方法である。運営が悪いというのは誰もが認める。しかも彼らが、

   「AKBシステムのカリスマ秋元を無視して動いていた」

という図式にして、システム全体を護る。

 更にスポークスマンとして、日ごろから、少し離れた立場の

  「変わり者の指原」

にさせる。このような、切り札をあらかじめ育てていたのではないかと疑ってしまう。

 各企業は危機管理の見本として学ぶべきではないかと思う。

2019年5月 4日 (土)

AKBシステムについて思うこと

 NGT48のトラブルを見て、色々と考えついたことがあった。まず、AKB48に始まるグループシステムの効果である。昔のタレントは、個人の力に依存していた。従って、

  「XXさんが活動をやめる」

と言ったときには、グループであっても解散ということになる。つまり

  『個人の意志による停止」

という危険性があった。しかし、AKBにようにグループメンバーの入れ替わりなら、

  「XXさんは卒業」

と言っても、グループは存続させることができる。このようにリスク回避の仕組みとしてよくできている。
 更に、メンバーを客の選挙という仕組みにした点も巧妙である。従来の、プロの選抜という責任を、利用者に投げることで、選択の責任を負わなくてもよくなる。さらに言えば、ファンの側も

  「自分たちが推した」

という参加意識、責任感を持つのでサポートが協力になるというメリットがある。

 しかし、ここで一つの問題がある。このシステムでは、ファンとの間の障壁を作りにくくなるので、暴走するファンの危険性がある。さらに悪いことを考えると、メンバーと悪質ファンの結びつきによる、他メンバーの追い落としなども当然予測すべきである。

 このように考えると、運営側の役割は、今までの芸能プロダクションの範囲と微妙に違ってきている。確かに、一般企業でも、「困った客」への対応は、大きな問題である。これができないのは、管理者としての責任であり、しかるべき人選をしないのは経営者の問題である。

 また、一般人による選択ということは、大きく考えると選挙制度の衆愚政治への転落危険性を示している。ブレグジット問題の某国などや、大阪都構想の選挙における宣伝など見ても、この問題が現在社会に大きく影響しているように思う。

 このようなことをゆっくり考えるべき時が来ているようにおもう。

2019年4月22日 (月)

芸能人の育て方について

 私はあまり興味のない分野なので、どのように呼んでよいのかわからないが、AAAというグループの浦田という人間が、暴行事件を起こしたらしい。しかもその動機が

「自分のことを知らないと言われて怒った」

というものらしい。このようなことで、暴行をふるうとは、まともな常識ある人間とは思えない。つまり、個人的な資質に何等かの欠陥がある人間かもしれない。

 しかし、個人の問題の前に、このような人間を管理する芸能事務所の問題を、少し考えてみた。まず基本は

   「事務所の運営、つまり利益モデルは、
     『売れるタレントを作ることから出る』
    である。」

このような世界では、

   「人気のあることが一番大事」

という価値観が根底にあり、

   「人気さえあれば何をしても許される」

という空気になるのも自然だと思う。そのような世界で

   「知らない」

というのは、最高の侮辱であり、狂暴性のある人間なら、暴行に及んでも不思議はない。
 この件に関して、上沼恵美子氏が大事な指摘をしていた。

   「近頃は芸人を育てる時、人間として大事なものを育てていない。」

これが本質だと思う。

 ただし、経営という観点から、芸能事務所を考えてみよう。芸能界の大きな収入は、広告関係である。テレビ放映などでのスポンサーの立場も考えないといけない。その観点からすれば、

   「事務所の所属タレント・歌手・・ のスキャンダルはスポンサーの致命傷」

ということを考えているのだろうか?

 今回の事件を見ても、所属事務所がそのようなセンスを持っているとはとても思えない。既に

   「酒癖の悪さのうわさがあった。」

等の情報は出ている。このような危険性をきちんと把握できない芸能事務所を、スポンサー企業がどう思うだろう。まともな企業なら、ハインリッヒの法則ぐらいは知っている。トラブルを事前に予知し対策できない管理、これでよいのだろうか?

2019年4月21日 (日)

一方的な見方での議論でよいのか?

 先日、Twitterで見かけた

 「夢と有名混乱させて金むしり取るやつらだせえ」Kダブシャインがアイドル業界の運営を痛烈DIS

という記事に対して、

「儲けさせて貰った相手にはそれなりのものを返すという、人間の基本ができいない人がいることが問題」

とTwitterでコメントした。しかしよく考えると、この問題には色々な側面がある。私は、今までも

   「多面的な評価が大事」

と主張してきた。その観点で言うと

   「金銭的な評価だけで議論しているのではないか?」
   もう少し補足すると
   「タレントとして育て、有名にするようにした貢献は評価したのか。」

という問題も出てくる。この観点では、

「タレント側にも感謝の気持ちが必要ではないか。」

という議論が出てくる。お互いの評価、感謝が旨く絡み合うことができればよいのだが、今はそれが出来ていないことがある。その理由の一つは、

   「金銭的なモノの評価が大きすぎる」

ことであり、もう一歩踏み込むと

   「数値化できないものを見ない」

人が多くなっているからだと思う。

 しかしタレントの問題には、もう一つ別の側面があると思う。どこかで見たが

   「(某人気アイドルGを評して)彼らは、たいしてとりえもない男の子だったが、自分が一流アイドルにした。」

と言った、某事務所の人間がいた。これが、真相の一部ならば、上記の『感謝の気持ち』というものが大きく影響してくる。
 但し、もう一歩踏み込むと、マネージャー自体の

   「大した人間ではないが、事務所の名前を笠に着て仕事をしている。」

という状況ではなかったか?

 このように、『本当の値打ち』以外のもので、人気を得た人は、どこかで挫折していくように思う。

 もっとも、今の世の中、もう一つひどいビジネスモデルがある。それは

   「人をおだてて金を出させる」ー>「有名になれる!」->「XXしなさい」

という形での商売である。

   「タレントになれる!」

だけではない。私も人のことは言えない。

   「本を出しましょう。」

ということで、進めてくれる人がいて電子本を書いたが、10冊も売れていない(涙)このブログを見に来てくれる人の、半数は「正社員登用」関係だったので、まとめたが売れない・・・ 

 さて、暗い話になったが、そうはいっても実際に力のある人は、世の中が認めていくものである。例えば、今活躍している、戦慄かなのさんなどは、マイナスの条件から出発して、自分のポジションを確保している。確かの彼女の頭脳は明晰であり、たくましく切り開く力もある。それでも、彼女の活躍は一つの救いになると思う。

 

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