昨日の女性とのお付き合いに関して、もう一つホットな話題を絡めて書いてみたい。
トリノの唯一の金メダルの”荒川”選手は、「知性の優れた、大人の女性」と言う印象が強い。しっかりした自分の考えで、
”演技を組み立てる。”
”コーチを換える。”
などが積み重なったメダルと思う。
今までもてはやされた選手は、”可愛い系”が、多かったように思う。さらに、秋葉原あたりでは、可愛いメイドさんに萌える向きも多いが、そこには”知性のある女性”に対する、尊敬と言うものが感じられない。
男性が素直に、尊敬できる方として、『荒川静香さん』と素直に言えるときはいつになるのであろうか?
<参考引用 哲学原理 岩波文庫33-613-3 デカルト著、桂寿一訳より>
殿下のうちに、この最高の配慮が存することは、次の点から明らかであります。即ち、年少の婦人たちに無識を余儀なくする、宮廷の気晴らしも因習的な教育も、貴女があらゆる善き技や学を探求するのを妨げ得なかったからであります。次には、貴女の頭脳の最高無類の明敏は、貴女がそれら諸学のあらゆる秘奥を最も深く洞察し、しかも極めて短期間に正確に会得されましたことから、明らかであります。
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ただ私は、貴女の頭脳のみはすべてを等しく明察する唯一のものであると認め、その故に当然類稀れなるものと申すのです。そしてあらゆる事物についての、かくも多様にして完全な知識が、多くの歳月を省察に献げて来た裸形の老修道者のうちにではなくして、容貌と年齢では目青きミネルヴァやミューズの神々よりも、むしろグレースの神をも想わせるうら若き公女のうちに、具わっているのを考えますとき、最高の賞賛に己を忘れざるを得ないのであります。
最後に私は、単に知識の面のみならず意志の面においても、絶対かつ崇高な知恵に必要なもので、貴女の性格のうちに光彩を放たぬものが、何一つ無いことを承知しております。そのうちには、気品とともに並々ならぬ仁心と温情とが、絶えざる運命の危害に曝されつつも、決して荒らされることも弱められることもなく、現れているからであります。
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<エリザベート公女殿下 への献辞から一部引用終り>
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