2009年9月21日 (月)

努力を見せないといけなくなった

 昨日のNHKスペシャルでは、「ON(王・長嶋)」について、取り上げていた。特に、天才と言われた長嶋選手が、人に見えないところで、必死の努力をしていたことを伝えていた。当時の長嶋=天才というイメージは、マスコミも含めて作り上げたものであった。そしてそれに答えるために、隠れたところで必死の練習をする。一方、見ているファンの方も、長嶋先週の努力についても薄々は知っていた。しかし、天才と言うことを受け入れていた。
 しかし現在は、

 プロとアマの境目がはっきりしなくなった時代でもある。まれにすごいことを、さりげなくやってみせる人たちがいる。そういうひとこそ不世出の天才というものなのだろうが、天才でないことをわきまえた昔の並のプロは、見た目からまずガツンと威嚇してみせてきたのだろう。

 しかし、いまは謙虚にしていたんでは、だれも陰の「努力」に目をむけない時代なんだと紳助さんは言いたかったのかもしれない。

である。(日経BP社のHPから引用)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/?P=2

天才を認めにくい世界になってきたのが、本当の天才が生まれにくく、ブレークスルーが少なくなった要因ではと思う。

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2007年9月15日 (土)

人間的な将棋ソフトウエア

 ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21 C 136)を読んだ。チェスで世界選手権者と名勝負を演じた、ディープ・ブルーが典型であるが、ゲームをコンピューターで処理する場合は、全可能性を虱潰しに見ていく、機械処理特有の手法を使うことが近頃の主流である。これは、認知科学者のデネットの言う所の「認知車輪」の発想である。つまり、人間は平坦でない道にも対応するため柔軟に歩く、機械はそれが難しいので、平坦な道だけで効率の良い『車輪』を使う。このように、人工知能でも人間の真似をせずに、機械の得意な処理に徹して、人間以上の脳力を目指すのが一つの手法であった。

 ボナンザのプログラムも、基本的には虱潰しの『全幅探索』を使っている。しかし、その局面評価が面白い。過去の大量の棋譜をデータベースで記憶し、それを1万以上の特徴ベクトルで記述して、評価関数を機械学習させている。つまり、局面の見たときの良否を過去の棋譜群から学習したのである。

 この評価関数の効果は、人間の学習に似ていると思う。人間でも棋譜を研究し、良い局面と言うイメージを作る。そして、序盤・中盤では、数手先を読むが、その段階での評価は、結局良い局面と言うことになる。その前に読む手を、絞り込む部分はボナンザと異なるが、評価関数はかえって人間とボナンザは似ていると思う。

 人間でも、プロの対局を真似て、角を切って銀を得て攻め込んで失敗するのは、初級者に多い。ボナンザが同じようなミスをすると言うのも、人間的だと思うのは私だけであろうか。

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2007年3月26日 (月)

見方を変える

 時々読む武道雑誌『秘伝』の4月号は、古流剣術の特集であった。伝統のある流派の話は、それぞれ面白いが、一刀流の
 「円は多角形の角度を増やした極限で、至るところに角がある」
と言う話には納得してしまった。

 確かに、このような見方もあると思う。もっとも、相手と同時または少し遅れて切り込み、自分の刀だけが相手に届き、相手の刀をはずす、『切り落とし』を実現するには、半端な鍛錬では無理である。このように、丸いものでも角がたつほどの反発力は、凡人には及ばないかもしれない。

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2006年9月 9日 (土)

資格の話(承前)

資格の話でもう一つ補足しておく。先般の話では、語学関係の資格についての議論が抜けていた。特に英語の資格はある程度就職試験等では武器になることもある。

英語の試験も色々あるが、とりあえず英検とTOEIC/TOEFLのどちらかをとっておくことをお勧めする。但し、両者には大分違いがある。

まず英検は、日本発の資格であり、1級や準1級の上位資格では長文読解や、教養面も試されている。ある、米国からの帰国者が昔英検1級を受験したが、日本語の訳文がまずかったか、論述の内容がお粗末と言うことで落第したと言う笑い話がある。http://www.eiken.or.jp/

一方、TOEFLはアメリカなどでの留学の受け入れ判定用の資格で、リスニングを重視している。http://www.mgent.net/tomato/hajimete.html

またTOEICは、TOEFLをビジネス用に変えたもので、あったがこのたびスピーキングやライティングの試験も追加されるようである。http://www.toeic.or.jp/

TOEICのほうが英検の上位よりは実用的な感じがする。しかしどの試験でも、成績評価を行うために、わざと難しい単語や表現を使っている。実際、インターネットの英語サイトを読む為には、そんな難しい単語を知らなくても読める場合が多い。もっとも、go,make,do等が一体何をしているのか、理解できないことが多い。

さて本題に戻して、この資格は実際どの程度役に立つであろうか?英検1級やTOEIC900点台と言えば、それなりに評価を受けるであろう。しかし実際は、海外でXX年暮らしていた、と言う実績の方が重視されるように感じる。

とりあえず、資格は足切試験を通過する、必要条件として考えた方が良さそうである。これで合格すると言う、十分条件と考えると失敗する。

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2006年9月 8日 (金)

護身術について

現在は物騒な世の中である。最悪の場合は、自分の身を守ることを考える必要がある。ところで、現在のスポーツ化した武道では、本当に身を守れるのであろうか?特にルールの弱点が護身には不適切と言う感じることも多い。

例えば、柔道では寝技で一本をとられないために、背中を丸めて亀と言う姿勢をとる。しかし、害意を抱く相手なら、押さえるふりをして、膝・肘などで腎臓等を背中から打ち据えれば、大被害になる。

このようなスポーツの1本と、戦闘力を完全に奪うと言うことは異なっている。護身術の場合は、相手の戦闘力を完全に奪うか、少なくとも追いかけられないようにすべきである。

合気道などでは、投げても受身を取られれば、被害が少ないので、その後固め業で動きを制するか、当身で決めることを教えている。この方がまだ護身には適している。

なお、薬物などの影響下にある人間は、痛みに関するショックが少ないので、たとえ腕一本折ったとしても、まだ向かってくる可能性がある。完全意戦闘力を失わせるまで、気を抜いてはいけない。一本で終わるスポーツと、命のやり取りをする武術の違いである。

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2006年8月31日 (木)

時間の使い方

現在企業に勤めている自分にとって、大学の先生をうらやましく思うことが一つある。それは集中して勉強できると言うことである。自分は短い時間で勉強する癖がついてしまった。これは細切れ時間の有効活用としては便利である。

しかし、一つのことを深く追求するには、やはり集中して対応できる時間が欲しくなる。私にとっては、1時間の集中時間は贅沢な時間である。

これを考えていたとき、やはり大学の先生の思考には、集中した深みがあると感じた。ポランニーの暗黙知の検討にもこれを感じる。

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2006年8月13日 (日)

将棋から思うこと

将棋について2つほど思うことがあるので、忘れないうちに書いておく。

まず、名人戦の毎日新聞から朝日新聞への移行騒動である。私が知っている名人戦は、朝日新聞でやっていたが、ある時毎日新聞にスポンサーが移ってしまった。これがまた戻ると言う。ここで、将棋と言うものは、棋士だけのものであろうか?

将棋自体を支える裏方、各新聞社にいるはずである。しかしこのような騒動をしていると、そのような支えてを失うことにならないか心配である。更に、最後は顧客である将棋フアンの意向もある。このような、ステークフォルダーの検討が弱いように思える。

昔、某有名棋士の不倫問題に関して、
『奥様と、彼より将棋の強い人しか口を出すな。』
と言った将棋界の実力者がいたが、世間一般の常識に対し、将棋さえ強ければ全てに優れる発想では、どこかでファンの反撃を受けそうに思う。

その2

近頃の将棋では、駒落ち将棋を指すのが少なくなっているらしい。昔は、飛車角を落とされた二枚落ちの、本定跡をマスターするのが最初の関門だった。これで、守りは金銀三枚、攻撃は飛車角銀桂と言う形を未に付けていた。近頃は自由な形が多いように感じるが、入門から違っているのではと思う。

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2006年7月 7日 (金)

手裏剣に見る道具の変遷

昔から興味のあった古武術が、現在かなりのブームになっている。特に手裏剣術のような、マイナーな分野もネット上では結構人気があるらしい。

ところで、手裏剣の投げ方(撃ち方)には、大きく分けて以下の2つの考え方がある。

 1.手裏剣が飛びながら回転し、丁度的のところで真っ直ぐに突き刺さるようにする
 2.手裏剣の回転を殺し、直線的に飛ぶようにする

特に棒状の手裏剣を、通常上から投げると手から離れた時はほぼ的と平行で離れるので、的までの間で90度か270度回転して刺さるように目測して投げるか、飛びながら直線になるように手裏剣自体に工夫をする必要がある。

例えば、ある流儀では、房を後ろに付け、空気抵抗で直線状になるようにしている。矢羽根のようなものを、後ろに付ける場合もある。また逆に、回転してもどこかが刺さる、十字形など車状の手裏剣もある。

一方、人間の技で間合いを読み、単純な棒状の手裏剣を、的に刺さるように撃つ流儀もある。名人と言われる人の技は、無造作に撃ちながら的をとらえている。

個人の技に頼るか、道具で工夫するか、現在の技術と匠の技のせめぎ合いが、ここにもある。

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2006年4月26日 (水)

違いが解る

お世話になっている、”流風”さんのブログで、コーヒー店の話を見た。

私も、良く喫茶店にいくが、”美味しいアメリカン”を出してくれる店が好きである。これがものすごく難しい。近所の店で、本当のアメリカン用の豆を準備しているのは、1店しかない。もっともエスプレッソマシンの交換カートリッジを持っている店はある。

問題なのは、ドリップなどの店である。

事例1:「お湯が入りすぎた。これもサービスでしょう・・・」
事例2:「この店のアメリカンはお湯割ですか?」
     「そんなお湯がもったいない。豆を減らします」

このような店に囲まれている、我々の食文化である。

なお、豆を減らすのはコーヒー豆を下ろすメーカーの指導らしい。
  「大抵の人には解りません。」
と言うことらしい。

しかし、その違いにこだわるのがプロそして名人への道である。

微妙な差に対する感覚なしでは、上達は出来ない。

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2006年4月 1日 (土)

行ってはいけない

近所のあるレストランに、私は家族が行くことを禁止している。この店は、昔は美味しいものを食べさせてくれたので、大いに贔屓していた。しかしあるときに、少し値上げした。

値上げしたこと自体は、元々割安感があったので、許されないことではない。しかしその時にパンが小さくなった。しかもそれが、徐々に行われている。さらに、調味料が少しづつ換わっている。人間の感覚は、非常に精妙なのだが、また慣れやすいことも確かである。

昔、プロ野球で非常に好調の首位打者候補に関して、江夏解説者がこのようにコメントしていた。
  「このようなバッターを壊すには、得意のコースに投げ込んでいくのです。
   そして少しづつボール側にずらしていく。そうして悪球打ちに誘い込んで、
   フォームを崩すのです。」
この場合、感覚を崩すことが重要である。

食事でも、良いものを認識する感覚を大切にしないといけない。

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2006年3月31日 (金)

桜と法華経

桜のシーズンが近づいている。桜の特徴は、一斉にあっという間に咲いて、さっと散る潔さにある。桜が、このようにすぐ散らないなら、熱狂する人も少ないであろう。

とここまで書いてもう1つのことに思い当たった。それは、日本で一番読まれているお経の一つ、法華経の思想である。

法華経の中でも一番大切といわれているのは如来寿量品第十六では、仏の命は永遠であるが、凡人は教えを何時でも聞けると思うと、安心して身を入れて聞かない。そのため、仏にはめったに会えないと説くことで、皆が説法を聞きたがるようにする。そのため、お釈迦様は死んだ姿を皆に見せたのである。

『人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生にむかって度せずんば、さらにいづれの生にむかって、この身を度せん。』

これは、短い命の桜の花を追い求める、我々に通じるものを感じる。

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2006年2月21日 (火)

占いについて

最近の週刊誌で、占いブームが取り上げれれていた。占いに関してよく言われているのが
 『当たるも八卦、当たらぬも八卦』
と言う言葉である。ある人の説明では、
 『人により、当たるも八卦、当たらぬも八卦』
と言うのが正しいと言う。

確かに、私の経験でも、よく当たる占い師に出会ったことは何度もある。一方、これはと言う経験も何度もしている。

一般に占いにも色々な流儀があるが、占い師の関わり方で分類すると以下のようになる。

  1. 精密な読み取りにより霊感に頼らず判定できるもの。・・・四柱推命の一派はこれで占っている
  2. 道具などでヒントを示し最後は占い師の霊感によるもの・・・水晶球やタロットはこの例

なお、四柱推命などの精密な形式のある占いでも霊感によって最後の判断する占い師も多い。

ところで、人によりと言うとき、私は占われる人に関しても、相性があると思う。
例えば、宿曜経による占いは、仏教を信じていない人間に通用するか?
西洋風の生活に染まり、弘法大師様や日蓮上人様にも縁のない人間には、西洋占星術の上昇宮を持ち込んだほうが良いかもしれない。

送り側と受け側の相性が大切なのは、占いでも教育でも同じと思う。

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