ご縁のあった人たち

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2013年9月23日 (月)

美しい物の代償

 テーブルを飾るために、かわいらしいサボテンの緋牡丹を飾ることにした。ネットで購入したら、比較的早く入手できる。しかもしっかり鉢に入って送られてきた。但し、気になったのは、八の底に穴が開いていなかった。
 そうこうして、3か月ほど飾っていたら、緋牡丹を支える下の柱のサボテンが、変な色になってきた。鉢の底に水が溜まって腐ったかと思って、鉢を交換してみた。
 そこで驚いたことは、鉢の土の中に、半分以上の緑の三角柱のサボテンが、埋まっていて、それが実際は腐っていたことである。
 これは考えて見れば当然だが、緋牡丹を養うためには、緑の三角柱はもっと大きくないといけない。だから、育てる段階では大きな三角柱の上に、緋牡丹が乗っていた。しかしそれでは見栄えが様くないので、小さな鉢に押し込んだ。
 このように、見栄えのために、無理しているものが、多く在りそうだ。
 なお、我が家の緋牡丹は、少し大きい目の竜神木の上に接ぎ木をしてみた。見栄えは今一だが、元気になって欲しい。

2012年7月 5日 (木)

対話の定義

 今朝の朝日新聞のオピニオンで、平田オリザさんの面白い意見が載っていた。
 まず、彼の会話と対話の定義が参考になる。

会話とは、親しい人同士のおしゃべり。同化を促す。
対話とは、異なる価値観のすり合わせ行為。

日本語は、狭い村社会で皆のきずなを合わせるための言語である。しかし、多様な価値観を受け入れるためには、不十分な面がある。日本だけでなく、ドイツやイタリアのような近代化を急いだ国は、対話の技法が育っていない。

 討議の勝ち負けを重視するのではなく、合意形成のための対話が今後必要だと思う。

2012年7月 2日 (月)

趣味としての学問

 若い人たちが、学校で学ぶとき、

「本当の実力がつかないように学んでいる」

と言う意見を、大学の先生に聞いたことがある。確かに自分でも経験あるが、学問と言うのはある程度の苦労をして、自分が納得したレベルを越えないと、使いにくいものとなる。数学が道具となるレベルは、ある種のイメージができた時である。

 そして、学問の喜びの一つは、

「バラバラに見えるモノから普遍的な規則を見出した時」

である。
 これは趣味の世界である。そのように「趣味としての学問」が大切だと思う。

2012年7月 1日 (日)

工業化への過剰適応について

 昨日、元学校教師だった知り合いと話をした。そこで

「近頃の父兄は、自分の子供が他の子どもと同じことができないと、直ぐに苦情を言ってくる。」

と言う話が出た。
 これと関連して、昔自分が大学の初年で学んだ線形代数と、今の線形代数の教材を見比べてみた。現在の教科書などでは、2×2の行列で、色々な定義や扱いを学んでいる。固有値の意味で悩んだ昔の時間は、なんだったのかなと思う今である。
 このような動きは、メーカーに勤める人間にとっては、しっかり文書化し、説明していく仕事の教え方ともつながってくる。企業の訓練の発想では、マニュアルをしっかりして、規定の時間で作業者を訓練し、戦力化する。このために、標準的な人材像をしっかり把握し、ある程度の個人差を吸収できるように、能力的には余裕を持つ、低い目の人材にターゲットとして、標準訓練期間を設定している。
 しかし勉強の世界でこの発想は正しいのであろうか?学問には、色々なチャレンジ要素が必要である。このためには、個人差が当然出てくる。そして、個人の努力による、繰り返し訓練も必要である。このような側面を無視してしまったら、個人の力を引き出せず、国力の低下に結びついていると思う。

2012年6月 9日 (土)

タニタの料理本はなぜ売れるか

 書店に行くと、料理の本が多く並んでいる。そのうちでも一番よく売れているのが、
   「タニタの社員食堂」
関連らしい。
 他の会社も本を出しているが、このようの成果は出ていない。

 この理由は、売れる企画と言うものを考える教材としては、興味深いものがある。

 タニタと言う会社は、本質は計測器メーカーである。つまり食材供給などに手を染めていない。従って自分の会社製品に縛られていないために、冷静な評価ができる。純粋に消費者目線での記述ができるのが、タニタの強みである。

 さらに計測と言う仕事は、評価を上手に行うことにつながっている。また、利用者の納得性を考える体質がある。

 

このような強みがあるから売れる本ができると思う。

2010年3月 1日 (月)

文章力育成への2つの方向

 文章を作成することを訓練しておくと、色々な所で役に立つ。そこで、どのような訓練が必要であるか、考えてみた。まず、何を書くか、書くべき材料を見出すための訓練が必要である。このための基礎能力として、書くべき対象に対して、観察したり、想像する力がある。さらに、対象物の機能を明確にするために、想像上で動かせればなお良い。その上で、自分のオリジナルな創造を付け加えればなお良い。
 このように題材が見つかった後は、これを実際の文章に仕立てる作業が必要である。これは、思いつきや、個別観察などの断片情報を、一つの構造にまとめ上げる作業である。このための手法が、狭い意味の文章作成法と言われているものである。
 このような2つの文章作成法について、文系と理系と言う発想で考えてみた。想像力が重要な、題材発見は文系が得意である。構造を考える部分は、理系が得意である。『文章工学』などと言う言葉もあるが、理系と文系の両面の訓練が必要である。

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2009年9月21日 (月)

努力を見せないといけなくなった

 昨日のNHKスペシャルでは、「ON(王・長嶋)」について、取り上げていた。特に、天才と言われた長嶋選手が、人に見えないところで、必死の努力をしていたことを伝えていた。当時の長嶋=天才というイメージは、マスコミも含めて作り上げたものであった。そしてそれに答えるために、隠れたところで必死の練習をする。一方、見ているファンの方も、長嶋先週の努力についても薄々は知っていた。しかし、天才と言うことを受け入れていた。
 しかし現在は、

 プロとアマの境目がはっきりしなくなった時代でもある。まれにすごいことを、さりげなくやってみせる人たちがいる。そういうひとこそ不世出の天才というものなのだろうが、天才でないことをわきまえた昔の並のプロは、見た目からまずガツンと威嚇してみせてきたのだろう。

 しかし、いまは謙虚にしていたんでは、だれも陰の「努力」に目をむけない時代なんだと紳助さんは言いたかったのかもしれない。

である。(日経BP社のHPから引用)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/?P=2

天才を認めにくい世界になってきたのが、本当の天才が生まれにくく、ブレークスルーが少なくなった要因ではと思う。

2007年9月15日 (土)

人間的な将棋ソフトウエア

 ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21 C 136)を読んだ。チェスで世界選手権者と名勝負を演じた、ディープ・ブルーが典型であるが、ゲームをコンピューターで処理する場合は、全可能性を虱潰しに見ていく、機械処理特有の手法を使うことが近頃の主流である。これは、認知科学者のデネットの言う所の「認知車輪」の発想である。つまり、人間は平坦でない道にも対応するため柔軟に歩く、機械はそれが難しいので、平坦な道だけで効率の良い『車輪』を使う。このように、人工知能でも人間の真似をせずに、機械の得意な処理に徹して、人間以上の脳力を目指すのが一つの手法であった。

 ボナンザのプログラムも、基本的には虱潰しの『全幅探索』を使っている。しかし、その局面評価が面白い。過去の大量の棋譜をデータベースで記憶し、それを1万以上の特徴ベクトルで記述して、評価関数を機械学習させている。つまり、局面の見たときの良否を過去の棋譜群から学習したのである。

 この評価関数の効果は、人間の学習に似ていると思う。人間でも棋譜を研究し、良い局面と言うイメージを作る。そして、序盤・中盤では、数手先を読むが、その段階での評価は、結局良い局面と言うことになる。その前に読む手を、絞り込む部分はボナンザと異なるが、評価関数はかえって人間とボナンザは似ていると思う。

 人間でも、プロの対局を真似て、角を切って銀を得て攻め込んで失敗するのは、初級者に多い。ボナンザが同じようなミスをすると言うのも、人間的だと思うのは私だけであろうか。

2007年3月26日 (月)

見方を変える

 時々読む武道雑誌『秘伝』の4月号は、古流剣術の特集であった。伝統のある流派の話は、それぞれ面白いが、一刀流の
 「円は多角形の角度を増やした極限で、至るところに角がある」
と言う話には納得してしまった。

 確かに、このような見方もあると思う。もっとも、相手と同時または少し遅れて切り込み、自分の刀だけが相手に届き、相手の刀をはずす、『切り落とし』を実現するには、半端な鍛錬では無理である。このように、丸いものでも角がたつほどの反発力は、凡人には及ばないかもしれない。

2006年9月 9日 (土)

資格の話(承前)

資格の話でもう一つ補足しておく。先般の話では、語学関係の資格についての議論が抜けていた。特に英語の資格はある程度就職試験等では武器になることもある。

英語の試験も色々あるが、とりあえず英検とTOEIC/TOEFLのどちらかをとっておくことをお勧めする。但し、両者には大分違いがある。

まず英検は、日本発の資格であり、1級や準1級の上位資格では長文読解や、教養面も試されている。ある、米国からの帰国者が昔英検1級を受験したが、日本語の訳文がまずかったか、論述の内容がお粗末と言うことで落第したと言う笑い話がある。http://www.eiken.or.jp/

一方、TOEFLはアメリカなどでの留学の受け入れ判定用の資格で、リスニングを重視している。http://www.mgent.net/tomato/hajimete.html

またTOEICは、TOEFLをビジネス用に変えたもので、あったがこのたびスピーキングやライティングの試験も追加されるようである。http://www.toeic.or.jp/

TOEICのほうが英検の上位よりは実用的な感じがする。しかしどの試験でも、成績評価を行うために、わざと難しい単語や表現を使っている。実際、インターネットの英語サイトを読む為には、そんな難しい単語を知らなくても読める場合が多い。もっとも、go,make,do等が一体何をしているのか、理解できないことが多い。

さて本題に戻して、この資格は実際どの程度役に立つであろうか?英検1級やTOEIC900点台と言えば、それなりに評価を受けるであろう。しかし実際は、海外でXX年暮らしていた、と言う実績の方が重視されるように感じる。

とりあえず、資格は足切試験を通過する、必要条件として考えた方が良さそうである。これで合格すると言う、十分条件と考えると失敗する。

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