地域創生のためには過去の清算が必要
昨年末の紅白を見て、石川さゆりの「津楽海峡冬景色」を聞いたら、
「上野発の夜行列車も、青函連絡船もなくなっている。」
「この歌が見ている風景はもうない。」
と強く感じた。更にここから思いついた歌が
1964年、伊沢八郎の「ああ上野駅」
である。この歌が見た世界は、中学卒業したばかりの子供達が、集団就職で東京に出てくる姿であった。このような子供が親元を離れて働きに出る。この理由は
「当時の高度成長では、工業化が進み多くの職人をそろえる必要があった。
そこで中学卒業などの若い世代を訓練し、終身雇用で抱え込む。」
と言う、高度成長が背景にあった。ここで、「ああ上野駅」の時代には、親元を離れることへの寂しさや、抵抗があった。
そこで通産省などが取った政策が
「憧れの東京戦略」
である。つまり、
「憧れの東京に喜んで出てくる」
「空気」を日本中に作ったのである。例えば、地方年にも「XX銀座」という通りを作る、これで
「まがい物の東京」
に慣れている人間は、東京に出ることに喜びを感じるようになる。その一つの成果が
1984年 吉幾三「おら東京さ行ぐだ」
である。
このように、通産省などの頑張りで、東京の憧れをあおった後遺症が現在も残っている。
この過去の清算をきちんと行わないと、地域創生は難しいと思う。
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