持続可能な社会を目指すなら根本的な解決が必要
公務員のキャリア官僚の出世レースでは、同期の一人が頂上の事務次官になったら、他は皆外に出る。これは、蜜蜂の雄蜂が沢山いるが、それが女王を追いかけて、唯一匹だけ残った者が女王蜂と結ばれる話を思い出す。それ以外の雄蜂は、皆脱落して死んでいく。多くの企業でも、トップ選別レースを展開しているが、トップになれなかった者は、関連会社の幹部などに割り当てている。
しかし、この発想の本質は、
雄蜂のように一匹以外は脱落
と言う発想にある。しかし、木の葉層が本当に良いのだろうか?
人材が豊富にあり、使い捨てができる社会なら、これで良いという説もある。例えば、アメリカ的な市場原理の信奉者には、
適任者以外は去れ
と言う発想がある。しかしこのとき
去った人間の存在場所は?
と言う問題がある。人間を使い捨てにして、どこかに追いやるな、極端に言うなら殺す。ここまで想像力を働かした上で、市場原理によって、人材を選別するという議論が行われるべきである。
しかし、私達の社会は、このような人材の使い捨ては、許されなくなってきている。少子化、若年労働力不足という現状を考えても、
人材の有効活用
は必要である。
そのために、
- 人財をどのように評価し育成するか?
- 育成不可能な場合はどうするか?
- 外部調達できるか?
- 育成不可能な資質の人罪をどう処理するか?
等の問題を、多様な観点から考えていかないと行けない。
このように、人材問題を根本から考えることが、現在社会の持続可能性について、方向を示すことになる。
私が今知りたいことの一つは、縄文時代に人口過剰が起き鱈、どのような解決を立ったかが知りたい。戦争などの解決が無い社会で、しかも長期の持続性がある。そこで人口増加をどのように吸収したか、これは現在につながるヒントがあると思う。
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