ご縁のあった人たち

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2020年9月20日 (日)

地域のリーダーを中央でコントロールすべきか

 大阪での『地域政党維新』の活躍を見ると、中央の権力と一線を画した、地域の力というモノを感じる。ここから少し、明治維新とその前の江戸時代を考えてみた。まず、江戸時代には、各藩が独自性を持って支配し、さらに地域の豪商・豪農や寺などが、民衆を指導していた。これはよく言えば独自性を持った指導であるが、悪く言えばバラバラで、玉石混淆の状況であった。

 これに対して、黒船来航やアヘン戦争による西洋文明の侵略の危機は、国としてまとまった対応が必要になる。そのためには、中央集権的な政策で、指導を一律に行う必要があった。色々な制度ができたが、中央の指導で全国一律という発想が根底にある。この状況で、指導者としては、学校教師や巡査などの役人たちが働いた。

 こうした中央のコントロールで、一律な社会を作り、人材の底上げを行う発想は、昭和の高度成長までは無事働いたと思う。

 しかし、多様化した社会への対応には、『地域の独自性重視』の発想を、もう一度考えるべきである。

 ただし、江戸時代のような、野放しではなく

「他の地域の良い物は取り入れ、間違いを指摘される開放性」

を持った上で、地方の独自性を生かしていくべきだと思う。

 数あわせや、他所の模倣だけでは、地域の活性化の指導者は生まれない。しっかりした方法論が必要だと思う。

2020年8月31日 (月)

私たちが学んだ江戸時代は偏っているのではないか?

 先日から、日本の歴史を見直していると江戸時代の、町人文明について、私の理解がない事に気がついた。更に言えば、豪農などの文明への貢献についても、理解ができていない。この理由は、学校教育が偏っているからだと思う。

 一つは、権力体制を重視し、法制度などのが整ったものを対象に教える。つまり、江戸幕府の支配だから、幕府と各藩の支配が主な話となる。もう一つの偏りは、マルクス主義史観である。つまり、搾取する地主と、支配される小作人という図式である。このような、

「水呑百姓の悲惨な生活」

という一面的な図式で描く農村社会、このようなイメージしか浮かばない。

 しかし、よくよく考えてみると、大阪の淀屋橋や道頓堀は、豪商の力でできた。さらに、多くの農地が、豪農の力で開拓されている。これは、当時の豪商や豪農の富裕層が

「将来のための適切な投資を行った」

結果と考えてもよい。つまり、資本主義の基本である

「投資と回収のセンス」

が既にあったと見るべきではないかと思う。

 更に言えば、江戸時代は一応鎖国という、かなり閉鎖的な経済状況である。そこで、

「持続可能な経済成長」

を行ったとしたら、これも現在学ぶべき者が大きいと思う。特に、国土環境を護りつつ、持続可能な成長ができたのかは興味深い。

 なお、一説によると、

「山の木を燃料として購入する豪商のために、多くの山が荒れ果てた。」

という側面もあるらしい。この観点で見れば、明治維新の新たな意味づけもでるかも知れない。

 日本の文明は、環境との共存が大切だと思うが、山を壊した報いが、明治の大変革というのは、一つの可能性である。

2020年8月15日 (土)

日本と西洋文明の違い

 昨日書いた、社会資本への投資の話を、もう一歩踏み込むと、

   「仕事を通じた指導育成という発想が、西洋文明にあるか?」

という議論につながってくる。

 これは、図式的に言うと

  日本文明:親ー子   が基本で常時育成

  西洋文明:成人ー成人 が基本で契約通りの実行

となる。

 西洋文明においては、古くはヒッタイトの宗主権契約などから始まり、プラトンなどの古代ギリシャの哲学も影響している。一方、日本の文明に関しては、大乗仏教が説く

  「全ては仏の子」
  「誰にも仏の力がある」

という発想が根底にある。

 この違いを、きちんと認識できていないから、現在日本の諸制度には歪みが出ている。

2020年8月13日 (木)

いわゆる『大企業型』についてもう少し

 昨日書いた、記事をもう少し補足しておく。なお断っておくが、私自身大企業に所属し、その恩恵を受けた身である。そこで少し割り引いて、この文章を読まれる人がいるのは仕方ないと思う。

 一つ目の議論は、大企業文明が日本社会に対して行った貢献である。これは、明治以降の富国強兵や、戦後の高度成長以降の国力増加に、やはり大企業文明の貢献は大きかった。戦後の社会を見れば、鉄・重工・電機そして車と、大手メーカが活躍している。これに加えて、電力会社やNTTなどの通信等、色々な側面で大手メーカーの技術や技能の蓄積活用は素晴らしい。

 そうして、これらの会社が生み出した利益は、税収という形や、雇用という形で、社会の安定にも大きく貢献している。このような、よいところをきちんと認めないと行けない。

 しかし、これらの関係者が全体の1/4という問題も考えるべきである。

 そこで、残りの立場か、この大企業文明をどのように見るべきだろう。戦後にあった、マルクス主義的な見方で

「大企業悪人論」

を持ち出すのは、困ったモノであるが、現在もまだこのような論調が残っている。

 もう一つは、

   「ドロップアルト組に派生した怨念」

の問題である。

 昨日も書いたが、日本の学校教育は

   「大企業文明に入ることを目的とする」

という側面がある場合が少なくない。乱暴に言えば1/4の枠に対して、1/2程度の人材が、『大企業就職』に向かっている。

 この歪みを改善する方法を、考えるべきだと思う。

 私の考えでは、『地元型』の人財育成を、もう少し強化すべきだと思っている。具体的に言えば、

   「その土地での産業指導を行える『神様』の育成」

が重要かと思っている。 

2020年8月12日 (水)

文明の衝突でなく共存ではないか

 先般取り上げた、小熊英二の観点から、もう少し踏み込んで考えてみた。

 小熊の『大企業型』に関しての分析は、鋭いモノがあると思う。私の意見は以下の通りである。

  • 大企業はそれ自体『大企業村』を構成している
  • 大企業の体質は、企業戦争に勝つ軍隊組織である

つまり、地域密着の『地元型ムラ』ではなく、企業内のムラ社会である。しかも、目的達成のための、軍隊組織に近い体質を持っている。このように考えると、日本の企業体質がよくわかる。軍隊の体制なら、命令に従って、移動するのは当然であるし、必要に応じて色々な作業を行う。例えば、歩兵であっても、自分たちの身を守るためには、塹壕を掘る。これは、工兵仕事だと逃げていたら、死んでしまう。

 このように考えると、日本的な雇用の、仕事に対する忠実さ、柔軟さが説明できる。

   『産業戦士』

という表現があったが、これは本質を突いていると思う。

 ただし、このような『大企業型』の雇用者は、ぜんたいの1/4程度である。これに対して、大学などからの人材供給が過剰になっているのが、現在の一つの歪みである。

 さて、小熊が指摘しているように、『大企業型』の他にも『地元型』『残余型』という働き方がある。私はこの部分をもう少し分けて考えるバキだと思うが、とりあえず

 『大企業型文明』とそのほかの文明は違う!

ということを、きちんとしておくべきだと思う。

 そこで大切なことは、

  複数文明の共存

の道を図るべきだ後思う。確かに西洋的な発想なら

  「文明は支配的なモノであり、衝突すれば勝ち負けを決めるようになる」

という発想がある。

 しかし、日本という国は、そのような衝突を上手く避ける知恵があるように思う。

 今回の記事を書いていて念ったことは、『大企業型』を軍事組織と観るなら、江戸時代の武家社会がこれに当たる。一方、残りの部分は町人文化や農民文化に当たるだろう。ここで、武家文明と町人文明は、上手く棲み分けし、共存していた。

 この発想をもう少し活用したらよいと思う。

 

 

2020年8月10日 (月)

東京一極集中の崩壊について

 今回の、コロナ危機の結果を予測すると

   「東京への集中が止まる」

のではないかと思う。もう少し言えば

   「東京に出れば何とかなる」

という幻想が、崩壊するのではないかと思う。これは、東京という、人口密集地のメリットで

   「多様な人が存在する」
    そこで
   「色々な人が受け入れられる、集団ができていた」 

    例えば
   「小劇場やライブハウスを拠点とする、メジャーでないアーティストとそのファン」
    という関係は、大人口の中での、一部のクラスタとして成立する。 

という状況が、コロナによる接触禁止で、崩壊する可能性がある。

 これを逆にとって、ネット配信を使い、地域のこだわりがない、世界への進出を果たす人もいるだろう。

 しかし、今までの漫然とした発想での

   「多くの人がいる東京なら何とかなる」

という考えは、成立しなくなるのではと思う。

 もう少し考えれば、

   「多くの人間がいるから、安い賃金で使い捨てる」

という発想も崩れるのではないか?

 このような問題を考えるのが、政治の役割ではないかと思う。

 大阪は、西成の特定地区問題で、これについてある程度理解しいる。しかし小池都知事にこのような理解力があるだろうか? 

2020年8月 5日 (水)

現在日本社会の歪の原因について

 現在の日本社会に関し、歪みの原因が見えてきたので、忘れないうちにメモをしておく。発端は、JAICO産業カウンセリングNo384の小熊英二の記事にある。

 小熊は日本社会における働き方を

  1. 大企業型 26%
  2. 地元型  36%
  3. 残余型  38%

と分けている。私はこの分類は当たっていると思う。ただし、残余型には、非正規労働者が含まれるため、大企業型から流れ込む人がかなりいて、増加傾向にあるかと危惧する。

 さて、ここで大事なことは、日本の教育などのシステムが、1/4ほどしかない、大企業型を目標としていることにある。つまり、1/4しか枠がないのに、そこへ向けて少なくとも1/2程度の人間を向かわせる。当然はみ出した人間の対策が必要となるが、それが不十分なのが一つの問題点だと思う。

 更に言えば、大企業の中でも、出世競争で勝ち残るのは1/4ぐらいである。

 このように1/4の人財の育成というか、発掘のために、残りの3/4を切り捨てる。これが現在の歪みではないかと思う。

 さて、このような発想はどこから来たのだろう。私は、明治以降の急速な成長路線に原因がある、と考えている。特に、軍隊的な組織を考え

  「よい司令官を選抜するために篩いをかける」

システムがそのまま他にも適用されている。

 この問題をもう少し踏み込むと、西洋文明の特質である

  「大陸国家は常に侵略の危険性がある」

という背景がある。そのような世界では

  「よい司令官を得ることは生存条件である」

ために、他を犠牲にしても、選抜することは必要悪かもしれない。

 しかし、明治までの日本の文明をよく見ると

  「多くの開拓できるフロンティアがあり、豪農や豪商が私財をなげうってでも指導した」

という、多様な人材の活躍があった。

 このような多様性をもう一度見直す、それが本当の人材の多様化であり、地域に密着した活性化ではないかと思う。

2020年7月23日 (木)

ベーシックインカムに対して一つの考え

 先般から書いている、貧困者問題について、

「ベーシックインカムで対応すべき」

という主張がある。

 私は、この発想には一理あると思う。

 しかし、もう少し別のアイデアとして、

「ボランティア予備」

「医療支援者予備」

という、人材プールとして、給与着きの訓練という発想はどうだろう。

 無償提供よりも、社会貢献に繋がる形での支給は、受ける側のモラルにも、よい影響を与えると思う。

 政治家の皆さん検討してください。

2020年7月14日 (火)

「日本教」的な「神様」について

 前から書いているように、日本教的な世界では、西洋文明的な「リーダー」とは、少し違う指導者がいる。

 これは、従っている人が「神様」と思う、存在である。

 確かに、全てを見通して、皆を正しく導く、しかも、大衆の個々人の力を認めてくれ、伸ばしてくれる存在は、

「神様」

という言葉が相応しい。

 また、西洋文明の契約的な発想と比べて、支配している人々を思いやる心があるし、思いやりに対する

「感謝」

で力を得ることは、神様の信仰に通じるものがある。

 日本教的なリーダー育成には、神様への道を考えるのも一案かもしれない。

 そのためには、日本の今までの神様への信仰をもう一度見直すべきだと思う。

2020年6月24日 (水)

本当の地方創生とは何か

 地方創生の話を聞いていると、

「東京一極集中で,税金が東京に集まっているから,それを地方に返す」

という議論が出てくる。

 この話、どうも納得のいかない。

 まず、税金の交付金とは、その地方の,国に対する貢献で支払われるべきである。例えば

「他国の侵略に備えるため,国境の地域に暮らしている」

というような地域には、厚く税金を投入するべきである。

 ここで本質的な議論は

「その地方の国民全体への貢献は何か?」

を、明確にすべきである。

 ただし、この議論は、もう一歩踏み込むところがある。つまり

「東京一極集中は、国益に対して、どのような貢献があるのか?」

という観点からの議論である。

 確かに昭和の戦後の工業化促進のためには、都市部に労働者をかき集める必要性があった。しかしその惰性で、東京に本社を置かせる必要があるのか、もう一度見直しが必要だと思う。