次はニュートン
昨日書いた、ガリレオ達が拓いた科学的思考は、『測定』という道具を、科学に与えた。
「測定できれば数値化できる」
そして
「数値に対して数学的な手法が使える」
このようにして、ケプラーは地球などの軌道を、楕円形であると導いた。
更に、ニュートンは、微積分という数学的手法を編み出して、力学の理論体系を作り上げていく。力学の世界は、数式で予測したモノが、きちんと現実の世界にあてはまる。天文学に対して、物理学の理論的な予測が使われて、新しい惑星等が見つかったりした。
この後は、物理学は数学的な基礎がなければ成立しなくなっていく。数学の、綺麗な理論体系によって、多くの物事が説明され予測される、予測を観測で確認することも行われていく。こうした物理学的世界観が、産業革命以降の技術進歩を生み出す。これを見た他の学問も、物理学の様な『数学的な記述』を欲しがるようになる。
この影響は、社会科学などにも及び、統計的数値の活用などが、社会科学の方法論に持ち込まれるようになった。
しかし、ここで一つ大事なことを、確認する必要がある。それは、
「力学の理論の成立は、理想化された条件である」
例えば、
「大きさがない質点に、全質量を集中したとして、運動を考える」
と言う発想である。これで、現実の物と対応したときに誤差が生じる。例えば、野球のボールに
『重い球というコトはあり得ない」・・某物理学の参考書
「打ったときに手応えが違う。XXの球は重い」・・野球選手の実感
これは、ボールの構造や、バットとボールの接触の状況などを精密に調べれば、
「反発力が大きい『軽い球』も、反発せずに食い込む『重い球』もある」
と言う発想が出てくる。このような、理想化と現実の関係に向き合うことが、本当に物理学的世界観を生かすことになる。
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